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2016年7月14日 (木)

懸命であれかし

「人生二度なし」だから悔いのない様に生きろと言われても、じゃ〜どうしたら良いの?

「そんな生き方してたら損じゃないか、人生は二度とは無いんだぜ。」

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そう・・・・不良少年にいくら説教したところで、多分効き目はないだろう。

それに私だって大小の悔いばっかりで、悔い無い人生なんて果たして有り得るんだろうかって思っている。

この点、森信三先生は、それを「腰骨を立てる」生き方と表現している。

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腰と言う字は肉月の要と書いて、体の中心であって、ここが人生の姿勢を決めるという。

剣道や柔道、そしてマラソンも腰がしっかりしないと駄目だし、書や囲碁だって同じだ。

そう言やぁ〜、ヤクザや不良に腰骨がすっくと立ったヤツなんて居ないだろう。

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何事にも真正面に対峙して、「とにかく、俺はこれを遣り抜く」と言う姿勢が人生を決める。

結果はともかく、事に向かって如何に悩み、如何に深く、爽やかに生きたのかが大切だ。

要は、自分なりに懸命に生きることが肝要と言うことだが、実際の人生は難しい。

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挫折の材料は無数に転がっているし、人を恨んだり妬んだり、慢心したり失望したり、

それでも、どんな時でも腰骨をスクッと立てて前に進めるのかどうか。

実は私の前半生を考えても五里霧中、試行錯誤の連続の中を彷徨っていた。

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当時の日記にも「彷徨」って文字がいっぱい出てきて、つまり無我夢中で生きていた。

少しずつ走り始めたのはそんな頃で、自分の内面が体に向かって何かを求めていたのだろう。

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毎日机上で悩み続けることが多く、鬱屈した内面を吐き出したかったのでもある。

今になって思えば、走ることは「全力を挙げて生きる」ことにつながった。

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ゴールに向かって直向きに腰骨を立てることを覚えたのは、マラソンによってだった。

そして走ることは、実は生き方そのものにつながっている。

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