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2016年7月12日 (火)

人生の選択肢

頼山陽の十三歳の時の詩に「・・・すでに水の如し 天地始終なく 人生生死あり いずくんぞ・・・」とあって、

時は水のように流れ去ってしまい、この天地には始めも終りもない。しかし、人生には生死があるから、ぼやぼやしちゃおられない・・・と詠っている。

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これが十三歳の覚悟とは、頼山陽にしてさすがと驚く他無いだろう。

そして「人生二度なし」と言われると、今日この歳になればまったく持って得心するのみである。

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しかして、私自身そんな覚悟で生きてきただろうかと振り返っても、不甲斐なく反省するのみである。

しかしそもそも戦後の人々の生き方の大勢は、エスカレーターの乗り継ぎのようなもんじゃなかっただろうか。

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幼くは小学校の、次は中学校のエスカレーターにただで乗って、振るい落とされることも無く成長した。

やがてそれぞれ選んだ高校エスカレーターに乗り、大学のそれだって今じゃ狭き門ではなくなっている。

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その大学もトコロテンの様に押し出されて、今度はどのエスカレーターに乗ろうかと就活だ。

上手いこと磐石な企業のエスカレーターに乗ればそれは終身で、定年までは音も立てずに昇っていく。

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節目節目に岐路があるにしても、全体とすれば選択肢はそんなに融通無碍じゃない。

やがてエスカレーターが静かに止まるのが定年で、その時になって始めて、自分がエスカレーターの上にいたことに気付く。

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何の準備も無く下ろされると、明日からは浪人同様の右往左往が待っているのだ。

一度しかない人生は、それで良いとする考え方もある。Img_6411

しかし、かつての人生五十年と言われた時代ならともかく、それから三十年前後は生きなきゃならない時代である。

しかるにもう既にエスカレーターはないし、道は自分で切り開くしかないのだが、それは老いの細道でしかない。Img_6410

この段階になっての「人生二度なし」は、悔悟の述懐でしかないだろう。

やはり「人生二度なし」の教訓は、小中学生遅くとも高校生にこそ大切だと思うのだが、Img_6419

その頃にゃ人生なんて永遠に続くと思っているのであって、頼山陽は例外なのである。

それにしてもエレベーターを降りて、健康なのにやることが無い人生なんてヤダ。Img_6407

やはり一億総活躍社会の中には、高齢者もしっかりと組み込んでもらわねば困るのだ。

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「人生論」カテゴリの記事

コメント

今日のブログは最高です。

我々の時代の流れ・・・ズバリです。

エスカレーターが止まるまで乗り続ける人もいれば・・・

私は途中の階でストップボタンを押して
降りました。その階は43歳でした。

降りてしまってからは
私は自由です。

今度は別のエスカレーターを探すのはやめて
私は自分のエスカレーターに乗って
コツコツ生きることにした。

上るエスカレータの上を一歩一歩コツコツと上り
積極的生き方をしたいと・・・

人生二度なし

やりすぎた後悔より、やらなかった後悔の
方が大きい

そんな生き方をしたいと決めた。

そして
今がある・・・


投稿: ヒロボー | 2016年7月13日 (水) 10時33分

 一昔前まで多くの人は、自分の道は自分で切り開かにゃならなんだ。たとえ親が造った道を引き継ぐにしても、それは決して安易な道じゃなかった。
 そして近世は、サラリーマンと言うエレベーター、それも途中で故障しないエレベータを選ぶのが人生の半ば目的化して、それを下りた途端に人生は9部どおり終わりってことになって、その後は正に「余生」でしか無くなっている。
 もちろんそれぞれのエレベータだって、追い抜いたり抜かれたり、色々とあるけれど、・・・自分で自分の道を切り開く程の苦労はいらない。
 今じゃ人生8〜90年、エレベータの無い時代がぐぅ〜んと増えた。自由なその時代をしっかりと生きなきゃね。
                山草人
 

投稿: 山草人 | 2016年7月13日 (水) 16時44分

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