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2016年7月11日 (月)

文福茶釜

狸の恩返しなど全国に伝わる茶釜伝説の一つが、静岡の古寺にもあった。

丸子宿の奥まった所の吐月峰柴屋寺に、足利義政公から下付された文福茶釜が伝わる。

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この茶釜は長く京都金閣寺に住んだ連歌師宗長に贈られたもので、宗長は今川氏親の庇護を受けてこの地に閑居した。

氏親は義元の父親だが今川氏の跡目相続を巡る争いの折、この丸子城の一角で十余年を過ごしたと伝わる。

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宗長は氏親と共に現在の柴屋寺で長い時を過ごしたのであり、中秋の名月の折には決まって茶会が開かれた。

夜の9時頃東山(寺の東の山)の笹岳の間から月が吐き出される(吐月峰)様に登ってくる。

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その「待月」の間が自然の風詠を楽しむひと時であって、茶会や琵琶奏などが続いた。

京の将軍義政から下付された茶釜はこの際に使われたのだが、一晩湯を汲み続けてもなくなることは無かったと伝わる。

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勿論大勢が茶席に相伴していた訳だが、ご馳走は連歌師宗長の「話」であって、

人々は宗長の話を聞くのに夢中で、茶釜に水が注がれるのも気付かなかったのだろう。

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まさに京都の雅な文化を伝えるひと時であって、故に福と文化を分ける茶釜なんだろう。

柴屋寺のその赤茶けた茶釜を眺め、待月石などを見渡すと、室町中期(1504年)の人々の姿がほのかに浮かんだりする。

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応仁の乱で荒れ果てたとしても、それ程に京の文化は大切なものだったのだろう。

この小さな柴屋寺の設えは、須らく今日と銀閣寺を擬して造られていたという。

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そんな思いを宗長は「山しろの 宇治のかほりに 堪え難し 種をまきおく 柴の山畑」と書き残している。

ちなみに宗長は一休和尚の弟子であって、和尚から賜った鉄鉢なども伝わっている。

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駿府の片隅の鄙びた歴史の一ページを垣間見る思いだった。

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