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2016年8月31日 (水)

市井の暦日

昨日「丹後100kウルトラ」の登録番号が届いて、20002番だと言うのに驚いた。

この丹後を走り切れば10回目の完走となって、「タイタン」の称号が戴けるんだそうで、

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その候補者のゼッケン番号なのだそうだ。

それにしても、もう十数年この大会を走り続けて、既に9回完走しているとは知らなんだ。

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月日の流れは速いもので、幾分の白髪と共に馬齢だけは確実に重ねてきたものらしい。

そもそも人間の体と言うものは、生まれた瞬間から老化(壊死)が始まるものらしく、

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そうだからと言って、歳をとれば老人に成ると決まったものでもないようだ。

ギリシャの哲人の言葉を借りるなら、五十歳過ぎてからやっと一人前になるらしい。

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つまり人間はある程度老化しないと、成熟の域に達しないと言うことだろうか。

私自身も古稀になんなんとしている訳だが、気力体力共に歳をとったなぁ~と言う実感は全く無い。

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それに若い頃(50歳以前)の自分を「青かったなぁ~」とさえ思うようになっている。

そりぁ~、髪の毛が薄くなったり、朝の目覚めが早くなりはしたが、今の私にとってはそれだって進歩だ。

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毎朝の日課(収穫作業や立哨)をこなすのだって、それなりに歳を経たから出来るのである。

コツコツと体を鍛えて、もう30年近くも100kウルトラマラソンに挑戦してきているし、

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山にだって登るし、この体力は急に失われるものでもないだろう。

それで、世間一般の老人の定義は間違っているのではないかとさえ思う。

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毎日それなりの仕事もしていて貧乏暇無しだが、まさに人生の現役なんである。

ともあれタイタンとは、ギリシャ神話の神でもあるし、土星の第六惑星でもある。

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あぁ~それに、初期のICBMの名前も確かタイタンと呼ばれていたっけ。

いずれにしても、是非とも完走してタイタン(称号)を戴こうじゃないのって気持ちになっている。

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2016年8月30日 (火)

馬子の衣装

スーツを着ることがとんと少なくなって、大抵は小パン・ランシャツで過ごしている。

子供達に「ショウパンの叔父さん」って言われてる位だから、かなり板についているし、それに過ごし易い。

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堅苦しい衣類などは式服を残して、可能な限り減らして行こうと思っている。

先日あるラン仲間に「背広姿が似合うんですねェ〜」と言われたが、三十数年の積み重ねがあるから当然でもある。

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その友人は、常日頃のラフな格好を見尽くしていたから、稀なスーツ姿に驚いたのである。

ところで私達は、生まれてこの方その風体で持って、自分を表現し続けている。Img_7025

その時々の衣装もそうだが、自分の顔だってその生活の在り様によって少しずつ変わっていく。

馬鹿・アホになるんなら、口をだらんと開けて目尻を下げヘラヘラ笑っていれば良い。

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こ狡い人間は、顔を動かさずに細目で眼球だけを動かして、人を横目に見れば良い。

ヤクザなら、背を丸めて肩を怒らせて上目遣いに歩きゃ良い。

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そしてそれなりに良い顔になるには、良書を読んで思慮深く・・・・それは言わずもがなだね。

私も長いこと自分の顔が嫌いだったけど、そりゃ〜自分の了見違いだったようである。

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最近ではようやく馬子らしくなってきたと言うか、キリキリした顔が失せて穏やかになった。

ところで、人生はここまで歩いてくると、永い様でそれ程でもなかったなぁ〜と思う。

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改めて言うまでもないが、人生80年とすれば、たったの2万9千日に過ぎない。

それも70年近く使っちゃったんだから、残りの日数は4千日あるのかどうか。

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そう思うと私にとっての一日は値千金で、とてものこと良い顔をして過ごすのが肝心な訳である。

衣装なんてのは仮のもの、金襴緞子を羽織ってあの世に行けるものでなし、馬子の装束で十分である。

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それにしても・・・・・・残り4千日かぁ〜!!

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2016年8月29日 (月)

ゆっくりの贅沢

私の地区の小中学校では今日から新学期が始まって、朝の立哨の再開である。

子供達にとって夏休みは、進級と同程度に変化の契機となるらしく、みんな生き生きとした顔をしていた。

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まだまだ暑い日が続いているが、ともかくも夏休みは終わって季節は秋へと移って行く。

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久しぶりに子供の顔を見てフッと「毎日この子供達の顔を見られるのも、ちょっとした贅沢だな」と思った。

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立哨が無ければ、子供達の通学風景などは車窓の一瞬景でしかなかろう。

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しかし、ここには人と人とのやり取りがあるのだ。

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思えば、速いと言う事が美徳である風潮(例えば仕事を速く片付ける。試練問題を素早く解く。)

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がずっと続いてきて、文明の利器とも相俟って私もそういう生き方をしてきた。

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速い事は確かに効率的だが、気持ちのゆとりとか人と人との関わりを希薄にしていく。

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否そればかりか、空間とか時間を想像以上に圧縮してしまって、印象を薄くしてしまう。

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例えば昨日までの浜松縦断走では、車なら2時間弱の所を10時間余を費やして辿った。

お陰で、途中の五平餅屋さんや土地の人々とのやり取り、トンネルの長さ、

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町と街の距離、棚田や山の上の住居、小さな滝や人工湖の大きさなど、日頃見落としていたことに気付く。

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勿論仲間と呼吸を合わせてのランだから、お互いの心情は鮮明に表れて親交はより深まる。

瞬時にして遠距離を移動できる便利さとは別の、野次北道中の豊かさも棄て難いものだ。

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思えば現役時代には、一歩でも先を争って忙しい日々を過ごしてきた。

時代に煽られていたのか、それとも気持ちだけが急いていたのか、結果として人間関係も 疎遠になったようだ。

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しかし今、何でも速ければ良いってもんでもなかろうと思うようになっている。

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時間はかかっても深く理解し、内容を充実させるって生き方へ徐々に変わってきたのかな。

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2016年8月28日 (日)

三つのダム

昨日と今日は浜松縦断マラニックで、昨日午前7時浜松駅をスタートし佐久間に向かった。

広域合併して10年、巨大な市域となった政令市だが、山間部の疲弊は顕著だ。

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その中心部から北の山間部まで、地域の様子を眺めながら少しだけ考えてみようというマラニックでもある。

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実は暑い最中でもあって、大量の汗をかいて相当に辛いランになったが、

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14時過ぎからの雨に助けられて、17時にはゴールのキャンプ場に着く(60k、10時間)ことができた。

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天竜川を遡る訳だが、途中に船明ダム、秋葉ダム、佐久間ダムがある。

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佐久間ダムは戦後の復興の象徴ともされたダムだし、以来二つの多目的ダムが出来て、

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天竜川の水の大半は河床ではなく、分水されて陸地を流れるようになった。

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勿論その水は工業用水や飲雑用水として、下流地域の発展に大きく貢献したのである。

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しかし、ダムが出来る度に多くの住居移転伴って、地域の人口は激減してきた。

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見渡せば小中学校の廃校ばかりといった景色が広がっている訳で、役場も無くなって寂れる一方だ。

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地域が原点などという政党ポスターばかりが、あちこちに空しく色あせている。

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ともあれ、途中で友人のエイドやコンビニで鋭気を補給しながら、雨の中の山間のキャンプ場に到着したのだが、

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そこには伊藤料理長が準備万端私達を待っていた。

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雨脚がますます強くなる中で、仲間の懇親の宴が続いて・・・これが又、良いんだよね。

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心配なのは明日と言うことだが、ともかくぐったりと疲れている体を横たえたのである。

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今朝は小鳥の囀りと共に目覚めると、昨夜とは打って変わった涼しさでもあった。

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朝食を済ませ、6:50にはキャンプ場を後にし、昨日のコースを巻き戻すのである。

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10時過ぎからは晴れ上がって、気温も鰻登り、そんな折の金ちゃんのカキ氷は旨かった。

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昨日の疲れは当然で、連日のランは確かに堪える。

無理することもなかろうと、42k走った段階で西鹿島から電車に乗ることにした。

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ともあれこの二日間で、102k程を走ったのである。

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2016年8月26日 (金)

緊急機動隊

警察には、誰にしろ何かと怖いイメージがあって、出来れば敬遠したいと考えている人も多いんじゃなかろうか。

交通違反にしろ何にしろ叱られる事はあっても、普段あんまり褒められることは無いからだ。

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しかしながら、自治会連合会と連携した高齢者の交通事故削減とか、

広報・メールを使った振り込め詐欺対策など、警察は普段から実に熱心に取り組んでいる。

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相当真剣に市民の安心・安全を生み出すために働いている官庁なんだ。

実はこのところ少々の縁があって、色々と警察の仕事を教えてもらっているのだが、

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先日は緊急機動隊の任務を紹介してもらった。

隊員のほとんどが二十代で緊急時(地震や水害など)に、発災から24時間以内に現地に派遣される。

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先般の熊本地震や東日本大震災、長野地震や北関東の水害でも急派されている。

普段は地域課に所属して一般業務に就いているのだが、

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一端事があると昼夜を問わず召集され、そのまんま現地へ駆けつ派遣される。

切断機やら抉じ開け機などの破砕機を常備しているのだが、悩みは急派されるために、

「どんな業務が現地で待ち受けているのか事前に分からない」ことだそうである。

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何処でどんな状態の中で何に対応しなければならないのか、それは現場次第だそうだ。

確かに被災直後の現場に放り込まれ、対応は指揮官の判断次第と言うことなんだろう。

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車のドアを抉じ開けたり、コンクリを破壊したり、金属の壁に穴を開けたり・・・・・業務には危険も多分に伴う。

災害救援と言えば自衛隊を想像するのが一般的だが、先ず真っ先に派遣されるのは警察なんだ。

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2016年8月25日 (木)

富士総合火力演習へ

今朝は朝一番の電車で御殿場は富士山の麓に出掛けた。

今日25日から28日まで実施・公開されている自衛隊の富士総合火力演習見学だ。

御殿場駅からシャトルバスに乗ったのだが、大変な人の波で会場は万余の人で溢れていた。

中には自衛隊父母の会など団体も数多く入っていて、一時間前に着いたのに座る場所探しに苦労するほどだった。

演習の前段は主要装備の紹介を兼ねた射撃・砲撃で、後段では実戦を想定した機動展開である。

とは言え、生まれて初めて目前にする最新兵器の威力に、前段ですっかり肝を奪われてしまった。

轟音とともに発射される砲弾やミサイルは、数キロ先の目標をcm単位で着弾していく。

戦車も戦闘ヘリ・迫撃砲もすべからくコンピューターで制御され、偵察ヘリや航空機などからの赤外線で誘導されるのである。

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機動展開に至っては息もつかせぬ動きと振動で、日本の島が攻撃・進攻されたことを想定した戦闘行動だ。

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想定された敵は確実に殲滅されていくのだが、この近代兵器の戦闘は明らかに

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兵器の能力の競い合いであって、兵員の能力はそれに追随するものでしかない。

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果たして今日の自衛隊員が戦闘できるのかと懐疑的だった私も、目を見張る思いであった。

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それにどんな兵器であれ昔の戦争とは隔世の感があり、今日では戦争を仕掛けた方が負けるとの思いを強くした。

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あらゆる想定をして戦闘行動がプログラミングされているからだ。

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殊に10式戦車や戦闘ヘリ、多目的誘導弾、多連装ロケットシステムは、それだけでもの凄い威力を発揮する。

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先ごろの平和安全法制を「戦争法」などと揶揄する向きもあるが、国際関係も時々刻々と変わっているのであり、

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それなりの対応を取るのが自立国家として当然のことだろう。

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その上で、自衛隊の能力はそんなに馬鹿にしたものではない。

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生まれて初めて目の前で砲弾が火を吹いて発射され、確実に目標に向かっていく。

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つまり、近代戦は始まったら一瞬にして終わると言う性格を秘めている。

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そういう意味で、(近くに戦争の好きな国もあるが)戦争など起こしてはならないのである。

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2016年8月24日 (水)

埋め尽くし

インドにはサドゥと呼ばれる諸国行脚の坊さんがいて、ボーッと一日中座っている。

別に瞑想をするって訳でもなく、ひたすら同じ姿勢で座ったまま動こうとしないで過ごす。

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勿論働かない訳だが、そんな無為な生き方を支える民衆がいて、それで彼らは存在しているのだ。

一種の浮浪者とも言えるが、年中温暖なインドでこそ可能な生き方かもしれない。

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しかし、そもそも人間は動かずにいられる(生きられる)ものなのかどうか。

おそらく人間は、やがて自分に死がやってくるって事を知っている唯一の動物だろう。

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猫のようにそれを知らずに生きられるなら、一日の大半を寝ていたって一向に焦ることもない。

自分の行く末や死を考えるなんてことは無いから、ただ今を生きてりゃ良いんだ。

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だけど人間は普通、何にもする事が無いってことは恐怖であって、自分の生存すら脅かしかねない。

90歳を過ぎてなお元気な私のお袋は、年中草取りやら掃除・花作り、はたまたウオーキングなどと自分の仕事を探し歩いている。

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何事かをする事が、自分の存在価値であり元気の源なんだと割り切ってもいる。

当然ながら今日よりも明日をと成長社会を生きてきた私も、明らかに空白恐怖症だ。

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手帳に空白があればそれを埋めるべく、ごく自然に行動しているのである。

そして予定は自分を律してくれると言うか、日々の行動の原動力でもある。

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因みに今週末は、浜松から佐久間までの間80kを往復する浜松縦断走を予定している。

まだまだ暑さの続く今日この頃、その暑さの中を何処まで頑張れるか我慢比べである。

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人生は山登り同様に、何事も挑戦してみなければ結果は見えてこない。

畢竟、人間は思考し行動する葦でなければなるまいと思っている。

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「この命なにを齷齪」で良かろうとも思っている。

それに「閑」とは、門に木(かんぬき)を掛けることに他ならないのだから。

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2016年8月23日 (火)

幼保園の子供達

4つの幼稚園と1保育園が合併して幼保園が誕生してから、もう2年余になる。

合併の際の周旋などにも関った関係で、何かと園からの頼まれごとがあるのだが、

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今日は夏休みのない保育の子供達がバスでやってきた。

目的は、ブドウ園の見学と言うことだが、もちろん試食の方に子供達の関心がある。

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その肝心のブドウ園だが、もう8割方収穫が終わっていて、ブドウの夏も終わりに近づいている。

ともあれ子供達には、「翠峰」「シャインマスカット」「ピオーネ」「安芸クイーン」を食べ比べてもらった。

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ひとしきり夢中になってブドウを食べる子供達を眺めながら、好々爺になっいる自分を思った。

やってきたのは自分の孫達よりも小さいのだから、子供達から見れば大変な爺さんだ。

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その爺さんがセッセと育てたブドウを、子供たちは歓声を上げて食べている。

「どれが一番美味しい?」と聞くと、やはり一番人気はシャインマスカットだったが、

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大人びているのかどうか「どれも、旨かった」と、優等生の声が返ってきた。

誰の子供であれ子供は可愛いものだが、それにしても極端に少なくなってしまった。

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4園を合併してもそこそこの規模だし、保育にしても一学年がこれだけとは・・・・・!

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経済とか生活とか言うが、結局は親世代の自分本位主義の成せる業だろう。

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しかして、その付けは何時かは自分達に回ってくるのだから、それも致し方あるまい。

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2016年8月22日 (月)

人生謳歌型アクティブシニア

定年後の生き方のタイプ分類だそうだが、対極に意気消沈型ポジティブシニアが存在するのかどうか?

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実は私の周りにはその謳歌型のタイプが溢れていて、意気消沈型をあまり知らない。

と言うよりも、その可哀想な生き方(?)を知りたいとも思わないのだが、

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どうせ捻くれた根性になっているだろうことは想像出来る。

人間の分かれ道は、その「意気地」如何だと思っている。

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やる気とか向上心、挑戦する心や前向きな考え方と言い変えても良いだろう。

どうせ・・とか、俺なんて、しょうがない、そんな大変な・・、やだやだ・・などは、意気地無しの言うこと。

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人間どうせ生きるなら、死ぬまで前向きでありたいと思っている。

そして、今出来る最大限に挑戦し続けることだ。

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定年退職後、それでも精一杯働き、懸命に遊び、以前よりずっと色々と考えるようになった。

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そう言う意味では、私も今現在の人生を謳歌しているし、毎日を心弾んで生きている。

思うことは、「そんなに長いこと生きられる訳でなし、今出来ることを精一杯」と言うこと。

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結果として朝暗いうちからあれこれと始めて、夜は目一杯疲れてパタンキューの毎日だ。

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ブドウの収穫も朝早くから続いたがそれも残り半月で、その後はホウレンソウが始まる。

自分の仕事も遊び事も、やはり創り続けることが肝心だ。

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平成のジイジはアクティブで、月並みに何かと多忙なのである。

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2016年8月21日 (日)

人生の大欲

如何に無欲な人だとて、まったく欲の無い人生などと言うものは有り得ないだろう。

ハイハイが出来る様になれば、次は立ち、やがて歩き・走りたいと努力するのが人間だ。

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ただ多くの場合に、小さに欲望に囚われて人生の本当の目的を見失っていることが多い。

而して人生の大欲のためには、眠たいとか、少しばかり疲れたとか、飲みたいとか、

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のんびりしたいなどのそれこそ小欲は、意識して捨てる方が人生はスキッとする。

今日は人生を学ぶ勉強会の第2講があって、テーマは「捨欲即大欲」であった。

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何時もの様にムーハウスに集まって、自分にかかわる人生の近況を相互に話す。

それはそれ、過去一週間に限ったにしても、実に多くの異なった体験をしているのである。

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その中から、それぞれがどんな教訓を導き出しているかがテーマでもある。

それが終わると軽装に着替えて、やはりランニングに飛び出して行く。

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熱い日中ではあったが、昨日の下山で痛めた足を労わりながら峠までの往復10kである。

帰ると既にそれぞれ持ち寄った豪華な昼食が待っていた。

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この勉強会の魅力の半分はこの昼食であって、今日も十二分(小欲)に戴いてしまった。

ともあれ、人間にとって「欲」というものは必要にして、扱いは非常に難しい。

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或は生命力の源泉でもあるのだが、ちまちました欲に目を奪われていると、人生の大局を見失いかねない。

人生の大局とは、如何に充実した生涯を過ごすことが出来るかであって、

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残された月日が少なくなるほど、その色合いは濃厚になってくる。

少なくとも溜息をついている暇は無いし、自分は恵まれないと愚痴っている場合ではない。

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やはり人生は、可能な限り謳歌せずばなるまい。

今日の勉強会は、そんなことを考えさせてくれたのであるが、実は「欲」ってのは難しい。

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それは人によって何を優先させるかの価値判断が違うからだ。

トライアスリートのS富士さんは、旧式のフレームで如何に実力を発揮できるのか、そのことに大きな価値を見出していた。

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竜洋で開催されるトライアスロンの大会での健闘が期待される。

何に拘ってそのことに邁進できるか否かも、つまりは人生の大局に通じるのだと思う。

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2016年8月20日 (土)

甲斐駒ケ岳(黒戸尾根)へ

甲斐駒ケ岳は山岳信仰の霊場であって、黒戸尾根を辿る登山道は日本最大急登のコースだ。

今年はこのかなり危険を伴う山岳信仰の道を辿って、山頂を目指すことにした。

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金曜の午前4時過ぎに出発し北斗市の竹宇駒ケ岳神社から登り始めたのは9:00である。

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この日は2,370mの七条小屋に泊まり、今朝からピークを目指す計画だった。

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予定通り8人揃って歩き始めたのだが、何故か全員額からぼとぼとと汗を流していた。

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確かに最初から息をつかせぬ急登で、それでびっしょりの汗を出していたのである。

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笹野平(11:30)を過ぎ刀利天狗(2049m)に至るとやや涼しくはなったが、この辺から

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梯子や鎖場の連続する所が増えて、熱いのなんのと言っている暇がなくなったのである。

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このコースでは過去に滑落事故が何件も発生しているらしく、我々もそれなりの緊張をして臨んでいた。

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それでも登坂し始めて6時間少々、午後三時過ぎには待望の七条小屋に到着して一安堵。

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少しぶっきら棒な小屋の親父さんとのやり取りなどを含め、まぁこの日は無難に終わった。

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今朝目を覚ますと外には朝日がさしていて、7:00きおい立って山小屋を出発した。

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だが実は黒戸尾根の急登はここからが本番で、岩場を梯子や鎖でよじ登り、

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鎖のないところでは体が落ちないように腹ばいになって、足場を探しながら登っていく。

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生きた心地がしないというか、「人が登れるんだから、俺に登れないはずはない」と思いながらも、やはり怖い。

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山頂近くなってやや緩傾斜に入ってホッとしていると、目の前に何やら動くものがいる。

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雷鳥の親子で、この雷鳥が私たちを導くように登山道を先導していく。

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もう山頂は指呼の間に来ていたのだが又も腹這いの匍匐前進が始まって、・・・・

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折から天かき曇り、やおら大粒の雨が降り始めていた。

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雨具をつけてなお前進しようとしていると、先頭のK藤隊長から「撤退」の指令が下った。

山頂まで500mを残すまで迫っていただけに残念だったが、心は既にしり込みしていた。

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リスクの多いコースとは聞いていたが、これ程の難コースとは想像がつかなかったのである。

それに撤退するとはいっても、腹ばいになって登ってきたところをどうやって降りれば良いのか。

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今度はその不安が一杯になって、それでも案ずるよりも生むがやすしで何とかなるものである。

時折雨が降り続く中、10:00~15:15、5時間余りかけて何とか降りることができた。

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途中、霧で真っ暗くなったり、垂直でながぁ~い梯子にしがみついたりと波乱に富んだ下山だ。

古くからの修験道とは言え、人間はかくも危ない目をしながら山頂を目指す。

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その人間の業の様なものを感じながらも、この駒ヶ岳の霊感を改めて感じていた。

山頂を目の前にして撤退の断を下した隊長の決断は、実に適切なものだったろう。

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後続の登山者たちも続々と山を後にし始めていた。

それにしても、登山とは如何とも不思議な魅力を秘めたものである。

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2016年8月18日 (木)

少々の無理

先日、エコパで開催されたジュビロ×ガンバのゲームを観戦した。

ジュビロ側は勿論のことガンバも大変な応援団で、大きな競技場も人で溢れていた。

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特にジュビロはこのところ勝ちが無いから、今度こその思いで出かけたのではある。

しかしながらどうにももどかしい試合運びが続いて、45分のうち半分程も本気で戦っていない。

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サッカーは、何たって力と力のガチンコ勝負が魅力なのに、時間を悪戯に費やしているようで、なんともイライラの観戦になってしまった。

プロのゲームと言うものは、何時の間にか駆け引きに堕するのかも知れない。

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この点、我々素人のゲームも人生も一回こっきりの刹那を生きている。

誰もこの点で相違は無いのに、何時しかその人生には大きな開き(格差)が生じてくる。

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それは体力であったり精神力、はたまた経済力や行動力であったりするのだが、

その差は実は些細な努力(自分に常に少々の負荷をかける)如何なのだと思う。

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殊に定年退職後は、諸々の制約が無くなってどうしても安易に堕する(楽をしたがる)ようだ。

自分の枠の中に止まって冒険を忘れてしまう訳で、自ずと人としての魅力も無くなっていく。

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そもそも人間は、アクセルを踏むことなくほどほどの力で毎日過ごしていると、排気量が徐々に小さくなるものらしい。

つまり、無理をしないゲームには魅力が無いということになる。

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と言う次第で、畢竟私も老骨に鞭打って毎日暗いうちから動き回っているのである。

「人生は、少しだけ無理をしてみる」・・・これはあらゆることに通じるテーゼではないかと思っている。

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自分のいる箱の中に安住するのではなく、そこから一歩出る勇気を持てるか否かだ。

そんな簡単な事が、とどのつまり自分の人生を決めていくのだろう。

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それにはやはり、achievement こそ必要だろうな。

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2016年8月17日 (水)

モンゴル余話

今回のモンゴルの旅も、いよいよ思い出の彼方のものになろうとしている。

この13日間書いてきたことで了とすべきだが、未だ何だか書き足りない気分でもある。

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モンゴルで最も印象的だったのは、杞憂を思わせるほど壮大な星空の広がりだった。

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モンゴル人も北極星をアルタン・ガダス(黄金の杭)と呼んで、星空に神意を感じているようだ。

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チンギス・ハーンの祖先、ボルジギンを産んだアラン・ゴアは、ゲルの天窓から差し込む星の光によって妊娠したとされ、この降る様な星空がこの民族を育んだのだろう。

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ところで、民族の不思議とでも言うべきことを思っている。

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1206年には、高々300万人程度の民族が世界帝国とも言うべきモンゴル帝国を起こしたのであり、

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はたまた近世に至っては60万の満州族(女真人)とモンゴルの連合体が「清」を建国するのである。

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文明・文化も遥かに未開であったはずの彼らが、長期に亘って中国大陸を支配する不思議は如何か。

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果てなく続くうす緑の高原には人影など稀であって、しかしその広大な高原が民族のエネルギーなのであった。

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この高原を馬で疾駆するとき、人々は或いはロマンとでも言うべき感情の高まりを得るのではないか。

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京大の3高寮歌に「紅萌ゆる 岡の花 早緑匂う岸の色・・・通える夢は崑崙の 高嶺の彼方 ゴビの原」とある。

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夢はモンゴル高原の遥か彼方・・・、青年よ大志を抱けと言うことであろうか。

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確かにモンゴルの高原は、無限とか永遠を思わせる広がりがあるのだ。

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さても、我々はそのモンゴルの一角で非日常的な何日かを過ごした訳だが、

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毎日トレッキング三昧のその日々が、その澄み切った空気と共に懐かしく思い出される。

モンゴルのこの季節は、実に過ごしやすいのだ。

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国籍の隔てなく寝食を共にし20カ国の人達も懐かしく、中には際立って目立っていた人もいた。

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テンションのすこぶる高かった中国人女性は忘れられないが、やはり英語力が物を言う。

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言葉が通じなければ、本当の意思疎通は出来ないのだから。

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それも含めて、仲間の皆さんに助けられて、今回は得難い体験をしたと言うべきだろう。

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同行の皆さんに感謝しつつ、私のモンゴル紀行を閉じることにする。

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2016年8月16日 (火)

ノモンハン

モンゴルはロシアに追随して、世界で二番目に共産主義政府を樹立した国である。

因みにウランバートルとは、赤い兵士(英雄)であり革命の担い手ほどの意味だろうか。Img_6601

今では共産主義を放棄して、ロシア文字にその片鱗が残っている程度だが、ロシアよりになった経緯は多分に日本が関係している。

ウランバートル市内には立派なジンギスハーン公園があるのだが、かつて共産主義時代にはロシアに遠慮して、このモンゴル民族の英雄の名を口にすることさえ憚られた。Img_6609

ハーンはユーラシア大陸の大半を制圧し、1206年(810年前)モンゴル帝国を樹立した。

だがその武力制圧には当然ながら数多くの虐殺を伴っていたのだから、他民族からすれば嫌われても当然だろう。Img_6610

この日本も度重なる元寇で散々痛めつけられて、鎌倉幕府倒壊の契機となったのだから。

奥州から大陸に渡った源義経がジンギスカンだとする説は、そんなところからだろうか。Img_6611

だが、モンゴル民族にしてみれば巨大な英雄であるに違いなく、今ではその公園にハーンの巨大な像が出来ている。

それはともかく、このモンゴルと日本との歴史的関係で忘れてはならないのがノモンハン事件だろう。

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私達自身が既に忘却の彼方に置き去った悲劇だが、この国では未だに厳然とした歴史だ。

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ノモンハン事件は、当時の満州とモンゴル(外蒙)の国境近くで関東軍が起こした国境紛争を契機として勃発した。

1939年、モンゴルの騎兵数十騎が馬にハルハ川の水を飲ませに来たことから始まった。

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モンゴルにすれば「何千年来、馬に水を飲ませてきた所だ」と言うことだが、

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関東軍はこれを国境侵犯として断固排撃すべきとばかり、歩兵一個大隊を急派し、爆撃機すら動員してモンゴルのパオを爆撃した。

これをモンゴル併合の為に起こした戦闘と受け取った彼らは、止む無くスターリンに救援を求めたのである。

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スターリンは好機とばかりに、急遽ヨーロッパから戦力を大量動員してあたったから、関東軍は壊滅的な敗北となった。

ロシアに捕虜になった兵士は1,021人で帰還できたのは146人とされているが実態は?だ。

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当時その屈辱的な敗北を関東軍はひた隠しにしたのだから、この時代の軍隊は狂っている。

このノモンハン(ハルハ・ゴル戦争)事件でモンゴルも三千人余の戦死者を出し、この時からソ連と極めて緊密な関係になっていくのだ。

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それで今でも、モンゴル科学アカデミーの傍らにはスターリンの銅像が立っている。

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ロシアですらスターリンは姿を消してしまったのに、ここでは「あの時の恩義」が生きているだろうか。

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関東軍自体が後々の悲劇を作り出し続けていたのだが、モンゴルにとっては二十世紀前半の日本は最悪の存在だったようだ。

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ともあれ時代は進み、社会主義を放棄して以降、モンゴルは画期的な発展を見せ始めている。

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と言う訳で、首都に記念公園が造られ、ジンギスカンの巨大なブロンズが鎮座する時代を迎えているのである。

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2016年8月15日 (月)

太陽は北西に

その日の夕刻、レストランの前で表彰式(否、閉会の集いと言った方が正しか)が行われた。

今大会に係った一人一人が改めて紹介され、一言ずつのスピーチが求められる。

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このレースを共有した仲間がお互いにエールを交換するのだ。

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この点我々は事が終わればそれっきりだが、ヨーロッパ人は全てをセレモニーにしてしまう。

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因みに完走出来なかった私だが、42k完走と言うことで表彰台に上がった。

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100kの勝者はブラジルの若い男で、次いで日本人のバイアスリートK谷さんが入った。

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完走者は16人(うち女性2人)で、私は17番目の未完走者なのである。

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どうやら18名以外の多くの参加者は、42kで打ち切りになったようである。

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ともあれ、その後は完走パーティとなってご馳走が並び、宴もスピーチも延々と続くのである。

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とは言え陽はまだまだ高く、その美しい景色が刻一刻と日没に向かう様が絶妙だ。

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一抹の寂寥感の故か、ビューティフルと言う言葉そのままに一日が終わろうとしているのであり、

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一人抒情詩に世界に浸るような気分で、その夕日を眺めていた。

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北西の静寂の空に陽は落ちていき・・今回の旅も、いよいよSunsetを迎えようとしているのだ。

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しかし欧州人達の一日は、杳として終わることは無かった。

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レストランの前で屯していたかと思うと、今度は湖岸に出て明け方までキャンプファイアーで盛り上がっていた。

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ところで、このフブスグル湖の周りは、どうやら国際リゾート地になろうとしているようだ。

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南北137kmの湖岸のあちこちにキャンプ場が造られつつあって、各国の旗がなびいている。

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と言っても冬季は氷点下30度の地であり、稼働は2か月半程だろうか?

やはり簡易な(パオ)が中心だろうが、多くの人がやって来ても湖の環境は守られるだろうか? 

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観光開発と自然保護は、モンゴルだって杞憂ではないだろう。

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2016年8月14日 (日)

万里青天

トイログ滞在も6日目になったが、朝は雲が立ち込めて雨になっていた。

大会も終わって、そろそろ帰国してからのことが気になり始めている。

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傍らのストーブでは薪が燃え、外を見渡してもそれぞれのパオから煙が立ち上っている。

今日はこうやって、パオの中で昨日の疲れを癒す他なさそうである。

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ところで、このモンゴルの人々のことである。

都市部は別にして、上古以来の恰好で草原に住む人々は、一見みすぼらしげである。

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ヤクや馬を追って、時に観光客相手にヤクの革製品を売ったりして生計を立てている。

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国民の月収は日本円にして平均で8万円程度まで向上しているらしいが、果たして農村部はどうだろうか? 

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かつて(1570年頃)明と彼らとの間に和睦が成立し、中国人に馬を売って穀物や絹を買う交易が確立する様になる。

以来、モング(蒙古人)は、往年の闘争心を失っていったと言われる。

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さらに西方から伝わったラマ教が殺生を禁じていたのも多分に影響したともいわれる。

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それにしても彼らの漢人嫌いは歴史的なもので、かつてロシアに次いで社会主義化したのも、関東軍の脅威もさることながら、

それ以上に中国から離れるべしという要素を多分に持っていた。

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その社会主義を捨て去って、今日のモンゴルは、外国資本を導入して近代国家への道を急いでいる。

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今このフブスグル湖の湖畔には、無数のキャンプ地が生まれつつあるが、その多くが中国、韓国、日本などからの投資らしい。

ちなみに私達の逗留したモノログは、中国人がオーナーらしかった。Img_6930

資源豊富で未開発なモンゴルだが、さて発展途上国の常として自立発展が出来るのかどうか。

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ところで素晴らしいモンゴルでの滞在だったのだが、同行の多くの皆さんが溶連菌(?)にはなはだ苦しめられた。

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私のパオでは4人のうち3人が倒れ、私だけが元気で帰国したのだが、その私も、

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帰国してほぼ4日間は何も食べることが出来ない程の下痢と発熱が続いたのである。

原因は、レストランのろ過機の水だろうと推測している。

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ともあれ、午後は晴れ上がって、美しい景色を心ゆくまで楽しませてもらった。

そのトイログの雲を眺めながら、晩唐の杜牧の七言絶句、「雲」を思いだした。

 尽日看雲首不回 (尽日 雲を看て 首を 回らさず) 

 無心都道似無才 (無心 全て言う 才無きに似たりと)

 可憐光彩一片玉 (哀れむべし 光彩 一片の玉)

 万里青天何処来 (万里青天 何れの処よりか来たる)

ひねもす雲を見つめて よそ見する事も無い。

無心でいると言うことは 才が無いのだと人はいう。

だけど、愛すべきは鮮やかに輝く あの一片の雲

一面の青空の中を 一体お前は何処からやってきたのか。

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2016年8月13日 (土)

ドイッチェ娘の一言

私が42.195kのエイドに入るのに前後して、例のジュリアがスタートしていった。

補給を済ませて、私も南半分のコースに走り出たのだが、相当に体が重くなっていた。

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先ずは湖畔のトイログに通じる街道を南に辿るのだが、前後にはただ一人のランナーも見え無い。

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すると大型のバンが近寄ってきて、しきりに後方を指さしている。

私がコースミスしているのかと車に近寄ると、運転していた男は「後ろの座席に乗れ」と言っていたのである。

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余程萎れて見えたらしいのだが、慌てて「ノー、ノー」と言うと、同乗者が大笑いしていた。

日本人以上に控えめな感じのするモンゴル人だが、多様な人々が登場し始めているようだ。

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ともあれ一人旅は正にオリエンテーリングのように、コースを探しながら進まねばならない。

500mに一カ所程度のペイントだが1k近く無いこともあって、発見しては安堵する。

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53k付近で林を抜けると前は180度の草原になって、手前の木の印から先がなくなっていた。

草原の向こうに林が見えるが、果たしてコース表示は確認しようもない。

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この時「迷った時には湖に向かえ」と言われていたのを思い出して、左へと曲がった。

手持の地図には湖岸にエイドがあることになっている・・・・のだが、それが見つからない。

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キャンプ場に紛れ込んで道を訪ねたりしたが、観念して街道を南進することにした。

すこし山に登りかけたところで、上から「ウエルカム」との声が聞こえてきた。

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探していた55kエイドがこんな山の中にあったのだが、

先行の16人全員が山の中から来たのに、お前だけが湖からやってきたと言われる。

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どうやら私の持っていた地図が、昨年のコースマップだったようだ。

気を取り直して65kエイドを目指したのだが、第三ピーク(2100m)を前にして既に

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歩くのがやっとという状態になりつつあった。

16;15、やっとの思いで65k地点に到達して給水、あたふたと出発しようとすると、

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後ろから、Not continue!!と若い女性の声である。

どうやら「あなた、何時にここに入ったの?」と、既に門限を過ぎていると言っている様だ。

そもそもこの大会はアバウトで、交渉すれば門限なんて有ってなきものと聞いていた。

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「本部に連絡しろ。俺は走るんだ」って言うと、そのドイツ人の娘は、「ここは電話は通じない。」「それに、ここのボスはこの私だ。」とボインの胸を張る。

残り6時間もあって完走は出来ると考えていただけに、相当のショックだったが止む無い。

結局このエイドまで到達したのは、私の後のもう一人を含め18人だった。

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残念無念だが、今回の私の挑戦は12時間余で終わりとなったのである。

しかしながら砂漠こそ無かったが、モンゴルの多様で厳しい自然をたっぷりと味わうことができのだから、まぁ〜良しとしよう。

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2016年8月12日 (金)

苔の山を越えて

夜半、雷鳴が轟いて激しい雨の音で目覚めたが、また何時の間にか眠り込んだようだ。

午前二時半、発電が始まって一斉に各パオに電機がついて、スタートの体制を整える。

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三時からは朝食に先だって装備品のチェックがあり、OKがないとスタートラインに立てない決まりだ。

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無事荷物チェックは通過したが、リュックの重さは3,5kを上回っている。

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慌ただしく日本チームの写真撮影の後、真っ暗な林に向かってスタートである。

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依然とし小雨が降っていて、懐中電灯の明かりを頼りにデコボコした杣道を一列になって進む。

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仲間と逸れまいと思うのだが、一旦遅れると前のランナーを追い越すのは容易ではない。

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林を抜けると砂利道が10kほど続いて、時間を稼ぐにはこの区間しかないので皆懸命だ。

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最初のエイドがあって水とトマト・スライスキュウリを口にして、直ぐに走り走り出すと、

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闇の中から流ちょうな日本語が聞こえてきて、ナイスガイのモンゴル人カメラマンだった。

彼は、元モンゴル日本大使の子息とか伺った。

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やがて第一ピーク(2400m)への登坂が始まって、前にオーストラリア人、後ろにはH江さんだけになっていた。

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急な登りだが思っていた程ではなく、1時間半位でピークに達し、しばし夜明けのフブスグルを眺めていた。

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向かいには草の無い岩山が連なっていて、その手前を迂回しながら越えていくのである。

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下りに差し掛かる寸前の崖に馬が見え、その傍らのモンゴリアンが行くべき方向を指し示してくれた。

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全くもって感謝の限りで、ここでもサンバイノ・・サンキューである。

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そしてやおら下りに入るのだが、登った分を一気に滑り降りる様な感じで下るのである。

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急な斜面を過ぎると針葉樹の林を抜け、ワレモコウの群生する湿地や花畑を走り抜ける。

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雰囲気は北欧(スエーデンあたり)の森に来ているかのような気分だ。

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心配した湿地はそれ程の水かさでもなく、無事通り抜けることができた。

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湿地を抜けると幾つかの川を渡って、何時しか第二ピーク(2300m)への登り口に来ていた。

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と言うよりも山中に待っていたモンゴル人に案内されたというのが正しいだろう。

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人一人通るのがやっとという道なき道を、先に行ったランナーの足跡を頼りに登っていく。

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この山が驚く程多湿な山で10cmもの分厚いミズゴケに覆われていて、踏み込む度に

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靴底から水が染み込んできて、ぐじゅぐじゅと音を立てている。

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静寂が支配するコケの山にハァハァと自分の息だけがあって、周りには驚く程の景色がある。

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コケの間から名も知らぬ地衣類などが顔を出しているし、そんなワイルドな自然に癒されながらピークに達し、今度は草の上をすべる様な下りに入る。

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その下り斜面が緩傾斜に変わるころ、テントと一台のバイクが見えてきた。

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何時からこの山中に居るのかモンゴル人親子のエイドである。

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空になったリュックに給水し、10:00この親子に別れを告げて先を急いだ。

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後は一気にフブスグル湖畔まで降りて、42,195kの第一関門を目指すのである。

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ともあれその関門(スタート地点)には、11時40分(所要7時間40分・・8時間制限)に入ることができたのである。

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2016年8月11日 (木)

馬頭

前夜祭があって豪華なバイキング料理が並び、最後のミーティングも(念押し)半分上の空であった。

そして食事の後のCultural showは、モンゴリアンミュージックとダンスだ。

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古来、蒙古人には四六時中即興の詩を創る癖があると言われてきた。

「青空が続いて、良い牧乾草が出来るように」、そして自分の乗る馬を褒める詩を創って、その馬に歌いかける。

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モンゴリアンブルーの空に歌いかけるのは「空よ、決して泣くな」と言う祈りである。

雨が降れば乾草が腐って、氷点下30度にもなる冬季に家畜は飢え死にしてしまうからだ。

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正に馬頭琴であって、私達の乗馬の際にも彼らの口笛は絶えることが無かった。

明日のレースを前に、その祈りの響きを私達は静かに聞いていた。

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馬頭琴は胡弓の様でもあり、その切ない音の流れにホーミーの不思議な響きが加わる。

そして、奏でる若者達が歌うその声は、まるで地底から伝わってくるかの様な低く太い響きである。

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3人の声が共鳴して、或はお経のようにも聞こえたりする。

曲は「我が馬よ」であり、「群馬」「英雄チンギスハーン」「モンゴルの人々」「ゴビ砂漠」と続く。

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時に、馬を疾駆させる際に発するシェィ-・シェィ-の鋭い声が混じる。

そこに若い娘が異様な装束で躍り出て、祈祷師の様にシャーマンの舞いを狂い舞うのである。

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後で知ったことだが、この奏者達の多くがランナーであり、翌日は一緒に走るのである。

ともあれ、この地はチベット仏教の地であって、古くからのラマ教の影響を色濃く残している。

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私達の走る道々にも、シャーマンの造った祈りの塔があって、ここを通過する際は右回りに三度回ってから通ることになっている。

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塔の上部には家畜の頭骨が飾られていることが多く、馬や牛と共に生きて来た彼らの習俗である。

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そのモンゴルの人達は今、大きく二つに分断されつつあるように思われてならない。

ウランバートルに住んで近代的な生活を謳歌している人々と、遥かなる高原に散らばってパオで古来からの生活を続ける人々である。

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後者は身なりも貧しく、学校も未だに三部制が続いているという。

裸馬に颯爽と跨る子供達の姿は頼もしくもあるが、それも国の大きな課題なのである。

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ともあれ、明日はいよいよレース本番を迎える。

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2016年8月10日 (水)

湖畔のひと時

やはり、モンゴルの乾燥した空気(室内は暖房)にこそ感謝すべきだろう。

一端水中に没したカメラは、朝になって恐る恐るスイッチを入れると出っ放しになっていたレンズがググッと動いた。

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電子機器としては奇跡の生還であって、私自身もにわかに元気を取り戻したのである。

実は夜にかなり激しい雨が降って、その雨が朝になっても少し残っていた。

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考えることは、「ハテ、明日のレースで走る湿地帯はどうなるのか?」ってことであった。

足が大きく(20cm以上も)沈み込んで、1時間に1.6km程しか進めなかったという経験談も聞いていたからだ。

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ともあれ雨は暫らくして上がって陽が射し、勇躍として前日に続く乗馬にでかけた。

kさんから教えられた鐙への足の掛け方の工夫で、馬の操作がぐっと楽になっていた。

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さても乗馬の心地良さとは何に起因するものなのか、動物との意思疎通なのかどうか?

或いは非日常的な優越感情なのかもしれないが、馬が好きだという人が増えている。

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実はこの日、仲間のK地さんが一頭の馬と共に2,400mの山を越えて、一人で明日のコースを辿ったのである。

勿論急斜面や崖地も多く難行を極めたらしいのだが、8時間あまりしてぐったりとした馬と共に帰ってきた。

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人間よりも馬の方こそさぞかし辛かったろうと同情したのだが、本人もどうやら命がけだったようだ。

独特のスープとサンドの昼食を終えて、いよいよ明日の準備に取り掛かる。

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ハイドレーションへの給水(2ℓ)、ライト、地図、コンパス、防寒具、救援用笛、薬品、携行食などをリュックに詰め、前後にゼッケンを付けると、残りは気持ちの準備である。

それで、湖岸に出て本(韃靼疾風録)を読むことにした。

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湖岸ではテントの下でH江さんが静かにスケッチを始めていて、その近くで本を開いた。

目の前には鏡の様な水面が広がっていて、時折その静けさの中に水鳥が潜って行く。

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本を開くと忽ちにして静寂な大地が延々と連なって広がり、このモンゴルと遼東(満州)に生きただろう人々の様がパノラマのように動き始める。

力の均衡は馬に跨った女真とモンゴル連合軍が北西に大きく長城を迂回し、Img_6773

清流河の谷底をくぐって、北京に迫ることで失われる。

やがて彼らは、中華民族を支配下に治め、中国最後の王朝「清」を打ち立てるのである。

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三時過ぎ、明日走る42kエイド以降の湖岸コースを辿ってみようと約束してあった。

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どんな疲労度でここを走るのかは別にして、辿る道筋だけは確認したかったのである。

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2016年8月 9日 (火)

馬と少年

この日はメディカルチェックを済ませ次第、各自アクティビティーを楽しむ予定の日である。

早々に朝食を終えて、会場のパオに行くと若い医師と看護師が控えていて、

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美人の看護師がテキパキと血圧を計り、医師が脈と問診を見てくれるのだが、

その西洋人の精悍な医者が、まずOK、Verry Goodと言ってから、Good Luckとグッと腕を突き出してきた。

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晴れてアクティビティーへと出掛けるのだが、先ずは乗馬である。

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既に近くに十数頭の馬が屯していて、順次2〜3kのキャロッブに出掛けて行く。

大抵はその先頭をモンゴル人が行くのだが、中には十歳位の少年もいて、それも鞍のない裸馬を操るのである。

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先頭の彼らは小さく口笛を吹き続け、時に鋭くシィエイーと叫んで馬を叱咤するのである。

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同行した仲間は乗馬の先達で既に軽々と操っていたが、何しろ私はずぶの初心者である。

恐る恐る馬に跨ると幾分背の低いモンゴル馬とは言え、随分と高く感じる。

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思えばジンギスカンの頃(否、歴史的にか)、華人に剽悍と恐れられてモンゴル人である。

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華人の兵は馬に乗れず歩いて行動するのみだが、モンゴル人は疾駆しながら彼らを弓で射、刀で首を刈り落として行った。

つまりはこの馬の行動力が、僅かな兵力で数億の中華民族他を支配することになるのだ。

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そんな事を思いながら馬の背に揺られていたのだが、小一時間もすると尻と拗ねが痛みだした。

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かといって、途中で馬を下りる訳にもゆかず、じっと耐えていたのだが、後で知ったことは、

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鐙には足を深く差し込まず、指先で腰を浮かせるような気分で騎乗するのだという。

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その翌日今度こそはと試みると、馬も私を振り落とさんばかりに走ってくれたのである。

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さて、乗馬を終えて午後は、フブスグル湖へカヤックで漕ぎ出して湖に浮かんだ。

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余り遠くまで行ってはいかんとの最初の思いは何時しか忘れ、湖中眺める湖畔の美しさに見とれていた。Img_6750

それに世界有数の20mもを見通せるという透明度だから、魚群が見える筈と目をさらすのだが、一匹も見えなかった。Img_6751

イトウ等の魚は木の陰などに隠れているのではなかろうか。Img_6752

この湖にもかなりの水鳥が居て、潜水しては魚を獲っている様子だから、きっと小魚は多いのだろう。

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もっとも、モンゴル人が魚を食べるという話は、ついぞ聞くことが無かったのである。

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ところで、もう岡に上がろうとしたその時、カヤックが大きく傾いて湖に落ちてしまった。

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ドンマイとばかりに岡に上がったその時、私はパニックに陥ってしまった。

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カメラがポケットに入っていて、明らかに浸水したのである。

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SDカードの再生は勿論、一台しか持ち込まなかったカメラが動かなくなっていた。

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2016年8月 8日 (月)

湖畔のサンライズ

モンゴルには、星の数が日本の何倍もある。

天の川は地平線まで続き、流れ星が飛蚊症のまぶたのように数限りなく流れていく。

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水蒸気が少なくて宇宙が良く見えるのだが、こう言う所でこそ星の物語が生まれるのだろう。

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午前五時頃、その星々が俄かに消え始めて、東の湖面上にか細く糸の様な月だけが浮かんでいた。

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静かに夜が明けていって、湖畔はゆっくりゆっくりとその姿を顕わにしていく。

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やがて反対側の山が赤く染まると、まもなく湖面から太陽が姿を現すのだ。

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静かな波があって、その傍らでは数頭の牛が黙々と草を食み、その音までが聞こえてくる。

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ハッと吾に返って空を見上げると、そこにはモンゴリアンブルーと呼ばれる蒼く透き通った空があった。

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何時の間にか裸足のジュリア(ヨガの先生)がやってきていて、足を湖に浸けている。

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気温は10℃以下だから、「イッ、ソウ、コールド!」と言うと、足の踵を鍛えるんだと言っていた。

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国際的なトライアスロンの大会を幾つもこなして来た彼女には、それなりの鍛錬方法があるらしい。

ひたひたと静かな波音だけが聞こえていて、こんな時には無心であるべきと思うのだが、

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果たして、あのジンギスカンやスフバートルも夜明け前にゲルを抜け出して、

この湖畔の何処かに立って何事かを決意し、行く末を思ったのではないか。

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そして、自分がこの遥かなるモンゴルの果ての湖畔に、一人佇んでいることが、

いかにも不思議で、やはり自分の生命と言うものを思わざるを得ないのだ。

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朝日は何処で見ても同じはずなのに、やはりモンゴルの湖畔のサンライズは特別だった。

パオに戻ろうとレストハウスの前を通ると、欧州人たちが階段に腰掛けて談笑している。

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この場にある全ての瞬間が、自分の人生なのだとしたら、今がその露頭であろうし、

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この点、欧州人はすべからくを楽しむ為に生まれてきたかの様に自然に振舞っている。

私もかくあらんと思うのだが、如何せん思ったことを英語にするのは容易ではない。

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自分のロッジに戻ると、モンゴル人の若い女性が薪ストーブに火を点していた。

彼女達は便所やシャワー室の掃除、各パオの世話など、動き回って実によく働く。

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2016年8月 7日 (日)

ブリーフィング

昨夜は雨が降ったようで、キャンプ場の草がしっとりと湿っていた。

一般的にモンゴルは乾燥地帯とされ、雪解け水と朝露で牧草を育てるとされている。

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こちらでは雨が嫌われるが、それは氷点下30度にもなる冬の牧草を腐らせるからだ。

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しかしこちらは雨季(?)で、かなりの頻度で降雨があり、一日でもドンドン天気が変わっていく。

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今朝も間もなく雲が切れ、どこまでも明るいトイログの景色が広がっている。

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朝食を済ませて早速軽いジョグに出ると、ヤクや牛・馬が勝手に草をはみ正にモンゴルである。

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ここでは若い女性が、逸れそうになった家畜を追っていた。

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各国のメンバーが揃ったところで、2時間余のブリーフィングが始まった。

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何しろ20か国近い国から来ているから、使用言語はすべて英語である。

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先ずは参加者一人一人の自己紹介があって、私以外は皆さんジョークを交えて話していた。

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それからの競技説明はもっと苦労して、単語を繋げておおよその意味を推測した。

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案ずるよりも産むが易しで、まぁ〜何とかなるもので有る。

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午後のひと時は主催者の案内で、コース視察を兼ねて3k×3kのトレッキングに出掛けた。

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コースは走り始めて直ぐタイガ(カラマツ)の林に入るのだが、木の根や岩がゴツゴツと露頭している。

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倒木も数多く、暗い中での走りは慎重にしなきゃなどと考えていた。

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森の途中にシャーマンの塔があって、その周りをぐるぐると回って完走祈願である。

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散策から帰ると、キャンプ場ではヨガ教室が始まって、これもランナーのジュリアが教師だ。

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湖の景色と溶け合った音楽を奏でる様なジュリアの声に次第に引き込まれていく。

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彼女は、世界的なトライアスリートとしても有名なんだとか。

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ともあれこちらでは22時頃まで明るいから、そんな具合に一日をゆったりと過ごすのである。

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2016年8月 6日 (土)

トイログヘ

ウランバートルからの二機のチャーター機は、砂塵を巻き上げてモロン空港に着陸した。

小さな駅舎の様な空港建屋に、その40人乗りのプロペラ機は横付けされたのである。

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窓の下に広がる景色はうっすらと、緑の産毛の生えたような山また山が連なって、

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否、山々と言うよりも緑色の大地がうねって続くと表現すべきだろう。

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時折大きく蛇行しながら流れる半渇きの川以外は、目立つものは何一見え無い。

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さて私達は、そのモロンから目的地のトイログキャンプ場に向けて4時間余の車の旅だ。

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途中まで道路が舗装されてかなりスピードアップされたのだが、つい最近まででこぼこ道(草地)を半日以上揺られてようやく着いたらしい。

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草原は何処までも続き、羊やヤギ、ヤクや馬の群れる一面の野であって、

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その群れをバイクや馬に乗った牧童が追っている。

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確かにこの地には、騎馬民族こそが相応しい。

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かつて世界最大の英雄を生み出した蒙古高原が、勇猛果敢な世界帝国の隆盛をもたらしたのだ。

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道のくぼみに車輪を取られてゆらりゆらりと進む車は、やがてトイログと呼ばれるキャンプ場に着いた。

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フブスグル湖を見下ろす湖畔の一角にパオやロッジが広がって、先着の奥さん、今井さん、岩田さんが私達を出迎えてくれた。

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彼らは数日前に現地に入って、走路の目標となる緑のペイントを整えていたのである。

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そしてここは標高1600mの地であって、朝晩は薪ストーブをくべて暖を取るのだ。

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勿論、TVもラジオもなく、パソコンすら繋がらないし、そもそも給電は19〜24時だけだ。

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水だって、湖の自然を守ろ為に最小限に絞られている。

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もう一つ驚いたのはモンゴルの夏時間は日本と時差がなくなって、朝7時頃から22時頃が昼である。

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モンゴルのスイスと呼ばれるフブスグル湖、流石に度肝を抜かれる程の透明度だ。

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そのコバルトブルーの湖面が時刻と共に刻一刻と変化するのである。

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南北136k、琵琶湖の4倍ほどの広さがあって、流れは北に100k先のバイカル湖に注ぐ。

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穏やかな湖面は鏡の様に青空や雲を映しだしていた。

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2016年8月 5日 (金)

モンゴル紀行・・・

旅心と言うものは、旅の終わり頃になって高まるものらしい。

ロシア国境近くのフブスグル湖畔から600k余り、バスで4時間、モロン空港から一時間半、

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暫く前にウランバートルのホテルに到着し、最後のパーティを終えたところだ。

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バスにしろ飛行機にしろ、窓の外には刷毛で薄く履いた様な緑の山々が延々と連なり、

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その所々に羊や馬、牛やヤクの群れが散らばり、その群れを馬やバイクに乗った牧童が追っている。

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モンゴル高原には、上古以来の放牧文化(農業の重要な一つの様式)が脈々と続いているのであって、それが如何にもこの高原に相応しい景色になっている。

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それに改めて空を見上げると、雲が随分と近く、或は手を伸ばせば届きそうな所に浮かんでいる。

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不思議に思うことは無く、この大地そのものが1500mの高地にあるのである。

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いよいよ明日は帰国だが、何しろTVもラジオもなく、電気すら19時から24時の自家発電で供給するリゾートのことであり、滞在していた間のネット接続はおぼつかなかったのである。

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否、パソコンの接続環境もさることながら、私自身どっぷりとそのリゾートに身を浸していたと言うべきだろう。

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一つの同じキャンプ地に十数か国の男女が集い、共に飯を食い、語り、汗をかいたこの6日間のことを思っている。

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美しい自然の中での、正に夢の様な日々が終わり、過去のものとなったのである。

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しかし、モンゴリアンブルーの空の下、エメラルドに輝く湖畔で過ごした数日は、返す返すも得難い毎日だった。

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人生と言うものが、「今、ここ、自分」の積み重ねであるならば、ここでの色合いは一際輝く瞬間であったのに違いない。

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さて、非日常的空間に身を浸したこの期間を、どう表現し、どう書き残したものだろうか? 

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少しのアルコールと共に過ぎ去った過去にしてしまうには、余りにも貴重な経験だし、・・

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それで明日から数日(何日になるか?)、私自身のモンゴル紀行として表現してみたいと思っている。

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