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2016年8月18日 (木)

少々の無理

先日、エコパで開催されたジュビロ×ガンバのゲームを観戦した。

ジュビロ側は勿論のことガンバも大変な応援団で、大きな競技場も人で溢れていた。

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特にジュビロはこのところ勝ちが無いから、今度こその思いで出かけたのではある。

しかしながらどうにももどかしい試合運びが続いて、45分のうち半分程も本気で戦っていない。

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サッカーは、何たって力と力のガチンコ勝負が魅力なのに、時間を悪戯に費やしているようで、なんともイライラの観戦になってしまった。

プロのゲームと言うものは、何時の間にか駆け引きに堕するのかも知れない。

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この点、我々素人のゲームも人生も一回こっきりの刹那を生きている。

誰もこの点で相違は無いのに、何時しかその人生には大きな開き(格差)が生じてくる。

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それは体力であったり精神力、はたまた経済力や行動力であったりするのだが、

その差は実は些細な努力(自分に常に少々の負荷をかける)如何なのだと思う。

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殊に定年退職後は、諸々の制約が無くなってどうしても安易に堕する(楽をしたがる)ようだ。

自分の枠の中に止まって冒険を忘れてしまう訳で、自ずと人としての魅力も無くなっていく。

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そもそも人間は、アクセルを踏むことなくほどほどの力で毎日過ごしていると、排気量が徐々に小さくなるものらしい。

つまり、無理をしないゲームには魅力が無いということになる。

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と言う次第で、畢竟私も老骨に鞭打って毎日暗いうちから動き回っているのである。

「人生は、少しだけ無理をしてみる」・・・これはあらゆることに通じるテーゼではないかと思っている。

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自分のいる箱の中に安住するのではなく、そこから一歩出る勇気を持てるか否かだ。

そんな簡単な事が、とどのつまり自分の人生を決めていくのだろう。

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それにはやはり、achievement こそ必要だろうな。

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コメント

若いうちは無理を無理とも思わずにやってきたものですが、年を取ると、同じようなことをしても無理していると感じてしまう。それでもってもう年なのだから無理はせずに楽をしたほうがいいのではないかとも思ってしまう。自分の中でももう年なんだから…などと訳知り顔でつぶやく自分が現れたり…。何をするにも優先順位を考えてするし…。若い時は無理も無茶も無駄なこともたいして自覚せずにたくさんした。今はどうなんだろう。多少の無理はしても無茶はしたくないし、無駄はもっといやかも…。無駄口失礼!

投稿: そよ子 | 2016年8月18日 (木) 20時15分

 そう、生きる姿勢とでも言うべきものかな。毎日の生活の中のほんの少しの無理を無理と思わなくなったら本物だね。
 生きている限り、多少の無理は自分の甲斐として遣り抜こうと思っています。マラソンは、そんな自分を試す試金石かな。
               山草人

投稿: 山草人 | 2016年8月18日 (木) 20時37分

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