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2016年8月16日 (火)

ノモンハン

モンゴルはロシアに追随して、世界で二番目に共産主義政府を樹立した国である。

因みにウランバートルとは、赤い兵士(英雄)であり革命の担い手ほどの意味だろうか。Img_6601

今では共産主義を放棄して、ロシア文字にその片鱗が残っている程度だが、ロシアよりになった経緯は多分に日本が関係している。

ウランバートル市内には立派なジンギスハーン公園があるのだが、かつて共産主義時代にはロシアに遠慮して、このモンゴル民族の英雄の名を口にすることさえ憚られた。Img_6609

ハーンはユーラシア大陸の大半を制圧し、1206年(810年前)モンゴル帝国を樹立した。

だがその武力制圧には当然ながら数多くの虐殺を伴っていたのだから、他民族からすれば嫌われても当然だろう。Img_6610

この日本も度重なる元寇で散々痛めつけられて、鎌倉幕府倒壊の契機となったのだから。

奥州から大陸に渡った源義経がジンギスカンだとする説は、そんなところからだろうか。Img_6611

だが、モンゴル民族にしてみれば巨大な英雄であるに違いなく、今ではその公園にハーンの巨大な像が出来ている。

それはともかく、このモンゴルと日本との歴史的関係で忘れてはならないのがノモンハン事件だろう。

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私達自身が既に忘却の彼方に置き去った悲劇だが、この国では未だに厳然とした歴史だ。

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ノモンハン事件は、当時の満州とモンゴル(外蒙)の国境近くで関東軍が起こした国境紛争を契機として勃発した。

1939年、モンゴルの騎兵数十騎が馬にハルハ川の水を飲ませに来たことから始まった。

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モンゴルにすれば「何千年来、馬に水を飲ませてきた所だ」と言うことだが、

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関東軍はこれを国境侵犯として断固排撃すべきとばかり、歩兵一個大隊を急派し、爆撃機すら動員してモンゴルのパオを爆撃した。

これをモンゴル併合の為に起こした戦闘と受け取った彼らは、止む無くスターリンに救援を求めたのである。

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スターリンは好機とばかりに、急遽ヨーロッパから戦力を大量動員してあたったから、関東軍は壊滅的な敗北となった。

ロシアに捕虜になった兵士は1,021人で帰還できたのは146人とされているが実態は?だ。

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当時その屈辱的な敗北を関東軍はひた隠しにしたのだから、この時代の軍隊は狂っている。

このノモンハン(ハルハ・ゴル戦争)事件でモンゴルも三千人余の戦死者を出し、この時からソ連と極めて緊密な関係になっていくのだ。

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それで今でも、モンゴル科学アカデミーの傍らにはスターリンの銅像が立っている。

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ロシアですらスターリンは姿を消してしまったのに、ここでは「あの時の恩義」が生きているだろうか。

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関東軍自体が後々の悲劇を作り出し続けていたのだが、モンゴルにとっては二十世紀前半の日本は最悪の存在だったようだ。

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ともあれ時代は進み、社会主義を放棄して以降、モンゴルは画期的な発展を見せ始めている。

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と言う訳で、首都に記念公園が造られ、ジンギスカンの巨大なブロンズが鎮座する時代を迎えているのである。

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