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2016年9月30日 (金)

遊びも真剣

かつて欧米から「働き過ぎ」と揶揄された日本人だが、仕事しか眼中に無かったあの頃とは様相は随分変わった。

しかし「働き方改革」などと、残業制限が相変わらず課題なんだから、この病は生活を変えることでもあって、本質的にはなかなか難しい。

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それは、私達が「より良く遊ぶ」ことを知らないからだと思っている。

遊ぶとは、勿論何かをしないことではなく、積極的に何かをすることを意味している。

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そんなことを言うと、「エッ、只でさえ仕事で疲れきっているのに、仕事を休んで何をしろって言うのか?」って声も聞こえてきそうである。

だけど例えば子供は遊ぶのが仕事だが、好き勝手な事をして時を過ごすからといって、何もしていない訳じゃない。

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キャッキャと遊ぶことで手足を動かし、頭を使って、言葉や感情を育て、それで成長していくのである。

何もせずにボーっとTVを観ているだけなら、子供も大人も、そりゃ成長など望むべくも無い。

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反対に懸命に遊ぶことによって、遊びの中に自らを見出す事が出来れば、仕事だって客観視できるのではないか。

仕事ではない何かに真剣に取り組むこと、それはスポーツでも物づくりでも、或いは旅行や修行であるかも知れない。

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私の知り合いには、役の行者よろしく100名山にセッセと挑む人、フルマラソンの距離を毎日走って世界記録を樹立した人、得度して坊主になった人などと自分への挑戦者が多い。

まぁ人並み外れた偉業はともかく、真剣に遊ぶことを心掛けるだけで、その人生は随分変わってくる。

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と言う訳でこの十年、不祥私も良く遊び、良く学び、良く書き、適度に働くことに努めてきた次第である。

そのお陰で何言うことなく健康で、而してこうして立っている。

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遊ぶのは決して楽な事ではないけれど、私達はもっともっと懸命に遊ぶべきだと思っている。

望むらくは、世の中を相手に遊ぼうなんて野心家が出てくりゃ、もっと良かろう。

そうすりゃ、この日本の国の社会や経済だって、より活気付くのではないか。

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2016年9月29日 (木)

ローマのコイン

暇に任せて全国各地(時には外国)に出掛け、その地を走ることが多くなっている。

何れも航空機であったり、車(高速道路)や電車(新幹線)で、瞬く間に目的地に着いてしまう。

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そういう意味では、かつての寝台車での旅のあれこれを思いだすと、旅情は乏しくなった。

駅弁や土産物、更には宿の料理や景色まで均一化して、旅そのものが面白くなくなったかも知れない。

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旅先の地には、それぞれの歴史や風土があって、それを知り訪ねるのが魅力なんだが、

交通手段の発達が、そんな悠長な旅を許さなくなっている面もあるんだろう。

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でも私の場合は、何処に出掛けたとしても大抵は自分の足で、その土地を走り回る。

ベルリンやローマ、浙江では道に迷って往生したこともあったが、それも貴重な経験になっている。

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国内の旅も当然ながら件のごとくだが、やはり旅は自分の足で体で感じなければ駄目だ。

ところで今日は、沖縄・宮古島100kレースのエントリーを済ませてきた。

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厳寒の地から温かな所へ飛んで走るのが、毎年一月の恒例行事になってしまっている。

この宮古島にだって、静岡空港を午後一番で飛び立って五時頃には到着するんだから、その時間距離は信じられない位近い。

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しかしこの距離を、自分の足と小さな舟で辿ったとしたら、果たしてどれ程の時間を要するだろうか。

先日、沖縄の勝連城跡からローマ帝国の(3〜4世紀の)コインが発掘された。

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勿論、太平洋の片隅に浮かぶこの小さな島が、西洋世界とも何らかの形で繋がっていた証拠だ。

しかし、どの様な人達の手を経て、何の為にローマで使われていた古代のコインがこの地に伝わったのか?

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或は、この島に貨幣が登場するのはずっと後世のはずだから、ローマから遥々とどれ程の時間(或は数百年)を経て伝わったのか?

いやいや、大航海時代にやってきた西洋人が、土産に持ち込んだのか?

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そう言えば、宮古島には1873年にドイツの帆船ロベルトソン号が漂着した歴史があったっけなぁ。

たった数個のコインだけど、いろいろと想像を巡らせると面白い。

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2016年9月28日 (水)

逆算の営み

仕事にしても宿題にしても、切羽詰らないと手が付かない性格と言うのは損なものだ。

夏休みの宿題が典型的で、八月の中旬くらいから「残り何日もある」と暦を眺めながら、

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その運命の日(月末の残り1~2日)の近づくのを最大限気にしながら、誠に切ない話だがそれでもやろうとしない。

期限に追いかけられながら生活するのは、決していい気分のものではない。

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だから早々に片付けて晴れ晴れと遊べは良さそうなものだが、それが出来なかったのである。

そんな性分は幾分緩和されたとは言え、難しい課題に対峙する度に先送りする癖は抜けきってはいない。

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まぁそれにしても、区切りと言うものがあるお陰で、何とか間尺にあってきたのである。

その間尺だが、長距離を走る者にとっては、例えば100kのうちの50kを山頂と考える。

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そして50kから先は、49,48・・・・10,9,8と走らねばならない距離を逆算するようになる。

もう残り30kだ、頑張れもう少しだ、もう10kを切ったぞ・・・って、そうやって自分を励ましながら走っている。

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さも背中に背負った100kの荷物が、だんだん軽くなるかのようなイメージを持とうとするのである。

だがそれも近年のように関門時間に追われる様になると、「残り何分何秒」が切羽詰ったものになってくる。

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このところホウレンソウを播いているのだが、一粒ずつ30mの畝を播き終えるだけでも数時間を要する。

この作業を始めるまでは少しばかり決意が要るのだが、作業が進んで、やはり半分を過ぎると「残りあそこまで・・」と自分を励ますようになる。

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事ほど左様に一種のカウントダウンであって、良きにしろ悪しきにせよ、何事もゴールまでを逆算しながら取り組んでいる。

しかしながら厄介なのは人生であって、こればっかりはゴールが予測できない。

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先日ある走友が「癌かと思って、真剣に終活」をしたと語っていたが、そんなに簡単に逆算の営みが出来るものでもない。

まぁ~、人生のゴールまでは、ひたすら走り続ける他ないのだろう。

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2016年9月27日 (火)

遊ぶ歓び

子供の頃から、「自分は生まれつきの不器用者」と観念して、諦めてきたことが多い。

その第一が運動神経で、草野球をやればボールよりもバットを飛ばして恐れられたし、

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長じてはゴルフのティーショットでゴルフボールよりもドライバーを遠くに飛ばして笑われたこともある。

もちろん鉄棒も組み体操も駆けっこも駄目で、「俺にゃ、体を使うことは向いてネェ」と信じてた。

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その運動と同様に苦手なのが、形あるものを創る事で、絵などを描かせりゃいまだに小学一年生より珍奇な形になる。

だからトラウマで、陶芸教室や絵手紙などと聞くと、そっとその場を離れるようになっている。

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楽器の一つ位はと思うのだが、件の如くで、ひけるのは今日に至っても布団だけである。

私はこれをずっと、能力そのものが欠落しているからだと自覚して生きてきた。

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だけど「人生は、生きてみないと分からない」・・・そもそもが能力ではなく、環境の成せる業なのだ。

終戦直後の生まれで生きるのが精一杯、親とキャッチボールなどしたことも無かったし、絵や音楽に触れるどころじゃなかった。

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ガキの頃は、学校から帰りゃまいにち毎日、家事や野良仕事が待っていたんだから。

家畜の世話を済ませて、風呂桶に水を運んで沸かし、釜戸でご飯を炊いて親の帰りを待つって具合だ。

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ともあれ、戦前戦後の環境で育った人間にゃ、趣味や遊びなんて向いていなかったんだ。

とにかく、何か意味のあることをやってないと・・・と言う強迫観念に追いかけられていた。

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振り返ってみると、私がそこそこ生き方や遊びを考えるようになったのは、バブル崩壊以降のことである。

平成2年8月経済バブルが崩壊して、あれよあれよと思う間に世の中は様変わりして行った。

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「物よりも心」と言われたりもしたが、当座はその本当の意味すら分からなかった。

以来四半世紀が経過し、作物を栽培し、各地を走り、仲間と語らい、本を読み文章を書く。

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言ってみればすべてが遊びであって、その遊ぶ歓びを謳歌しているのである。

何も器用になった訳ではないが、子供の頃の反動で何事も例外なく楽しもうと思っている。

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2016年9月26日 (月)

秋から先へ

暖冬予報だったのに次から次へと台風が襲来して、一気に秋になった感じである。

この秋の最大の私の農作業は様々な秋野菜を育てることだが、中でもホウレンソウが中心になる。

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ブドウの収穫が終わって、暫く躊躇していたのだが、今日から播種を始めている。

ホウレンソウを大量に栽培する様になって、かれこれもう15年になるだろう。

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この時期から12月初旬まで毎週播種を続け、11月から毎朝の出荷が始まる。

なに、栽培コストが甚大で何の得にもならないのだが、女房が朝市に持って行くから栽る。

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播種と言っても、ホウレンソウは移植ができないアカザ科の植物であって、

かつてはバラマキをして間引きで栽培したが、それでは大量の高価な種子(デンマーク産)が必要で、それで今では筋蒔きにして、

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一粒一粒を丁寧に播いているから、これも随分手間のいる作業だ。

そのコツコツと播く作業に、大抵の土日の半日を当てていて、レースで無理な時は毎日の夕方が播種の時間になる。

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地味な作業だが、播種と言う作業には未来がある。

播いた順番に芽を出し、私が何処で走って(遊んで)いようが、彼女らはコツコツと成長するからだ。

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尤もホウレンソウは収穫作業が一番大変で、冬の凍える時期に毎朝水洗いして出荷する。

手は凍傷で真っ赤になるのだが、風呂の残り湯で温める時の快感(?)が中々で止められない。

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ともあれ秋から一冬を遊ぶ為の仕掛けを、今日から始めたという次第である。

しかしながら、今週末からは毎週のようにマラニックの予定があって、忙しくなりそうである。

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まぁ〜しかし人生は、やることが無いよりも、忙しい方がはるかに幸せである。

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2016年9月25日 (日)

家の話

先日ある方から、「減築に取り組んでいる」と伺った。

住んでいるお宅が幾分古くなった上に、大き過ぎるから二階を除いて簡素にするらしい。

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それを伺って、我が家こそ減築が必要では無いかと思い始めている。

昔からの農家だから、二階建ての長屋と離れまであるのに、子供達が独立して主屋だけでも持て余している。

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その主屋だって昔風の床の間など、年中使うことのない部屋があって全く無用の長物なのである。

いずれ女房と二人の生活になるとしたら、二間と狭い書斎が一つあれば十分だろう。

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それでいざ減築をと思ったのだが、その莫大な予算を考えると、「老後もあるしなぁ〜」と二の足を踏んでいる。

それにセッセと働いて建てて20年、やっとローンを返済し終わったばかりなのに、そいつを壊してしまうのは業腹ではないか。

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この点、昔の庶民の住処は簡素で、財産と言うよりも「ねぐら」程度であって、人生と同様にうつろう存在だったようだ。

例えば鴨長明の方丈記は一種の住宅論(方丈=住処)であって、彼は方丈をうたかただと言っている。

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少し長くなるが書き写すと「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたる例なし。

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世の中にある、「人」と「すみか」と、またかくのごとし。・・・・・・・・・

知らず、生まれ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。

また知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

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その「主」と「すみか」と、無常を争うさま、いはば朝顔の露に異ならず。・・」とあるではないか。

つまり鴨長明は、人の一生もその住居も同じ様に儚いもんだと断じているのである。

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考えてみれば、私達はその住宅を得る為に働き続けてきた様なものだから、何とも哀れな話になる。

でもやっぱり、一家を構えた以上、家を建てるのは男の夢だったからなぁ〜。

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2016年9月24日 (土)

子供のいる風景

先ごろ、嬉しいことに孫がもう一人増えそうだと言う便りが届いた。

毎朝多くの子供達と顔を合わせているのだが、その顔も年々少なくなっていて、

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かつて大規模校とされた近所の小学校も、空き教室が随分と多くなっている。

それに朝晩はともかく、休日にだって屋外で子供の姿を見かけるのは稀になった。

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私は団塊の世代の先頭だから、そこら中に子供が群れているって環境で育った。

そんなかつての風景からすれば、誠に寂しくって不安な世の中と言わざるを得ない。

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少子高齢化社会と言われるが、そもそも長寿が問題ではなくて、少子化が問題なのだ。

これは中国のように国策で「一人っ子」政策を取った訳でもないのに、子供を産まないし、

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それ以前に結婚しない男女が猛烈な勢いで増えている。

戦後の自己本位教育の故に、自分さえ勝手気ままに楽しく(?)生きられりゃ、それで良しって思想が蔓延しちゃった。

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しかし、個人の問題ではあろうが、結婚しない(出来ない)のは、動物としては片端なんだと思う。

累代子々孫々、子供が成人して親の面倒を見てきた訳だが、今では国が年金や介護で面倒みてくれる(?)様になった。

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つまり苦労して子供を育てる必要が無くなった訳だが、しかし国を支える人材がいなくなっては、その有難い制度が未来永劫続く筈がない。

この世に生まれて来た以上は、一人が一人(夫婦となって子供二人)は育てるのが、社会的ノルマなんである。

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それにも拘らず、公にこれを言えば「人権侵害」などと騒ぎ立てるマスコミがある。

だから誰(学校)も、親となって子供を育てることの重要性を教えることをしない。

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それで「少子化対策」が政府の大きな課題だと言ってるが、教育を変えられないんじゃ本気で考えていないってことだ。

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いずれにしても、子供の少ない世の中は、それは寂しい世の中でしかない。

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2016年9月23日 (金)

サラリーマンと顔

昨日のマラニックの際、ぼんやりと感じていたことを思い返している。

あちこちに出掛けて多くの人に出会うと、先ずは相手の顔を眺めながら、その人の人生の遍歴を想像してしまう。

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人間は大抵五十歳を過ぎる頃にゃ、その人の経験とか思考・趣味などと言うものがその顔を作るようになる。

その人が過ごしてきた人生が、彫刻のように顔に映し出される訳で、そういう意味じゃ誰もが歳と共に顔には一定の責任を持たなきゃならない。

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と言って責任の取りようも無いが、顔は自分の人生における象徴的な作品だと思うんだ。

この点、昔(戦前くらいまでかな?)は、もっとはっきりしていた。

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国民の大半が百姓か職人だったから、顔を見れば鍛冶屋か床屋か、或いは百姓か程度の見分けはついた。

勿論武士と町人とでは顔も風体も、そして言葉の使い方すら違っていたんだから言わずもがなである。

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ところが近世に入って国民の大半が押し並べてサラリーマンになったから、顔の出来も随分と曖昧になった。

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もっとも月給取という職業は無いはずで、本当の職業は営業とか経理、研究者・工員・銀行マン・行政マンなどと、それなりの職分に分かれている。

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当然ながら顔の造形に一番大きな影響を与えるのはその職業で、物腰だって決まってくる。

私もサラリーマン生活が長かったが、卒業して10年も経つからそのあくが抜けたかと思うのだが、実はそう簡単でもない。

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やはり長年に亘って染み付いた処世と言うか、あれこれは随分と残っているようである。

ところでこの国のサラリーマンの始まりは、江戸時代に遡るのではないか。

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それまでの刀や槍を振り回す戦闘技術者を、俸禄生活者に変えたのは江戸幕府だ。

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尚且つ、彼らを調教する規範として儒教が持ち込まれ、そいつが今日のサラリーマンにも色濃く受け継がれている。

儒教はそもそも秩序だし、それぞれの秩序の中で私達は自分の顔を創ってきたんだ。

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「それがこの顔かぁ~」と鏡の中の初老(?)の男を眺め、臍をかんでいるのが昨今である。

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2016年9月22日 (木)

ダメージを忍て

今日はお彼岸恒例の、遠州三山マラニックである。

雨予報にもかかわらず、袋井駅に20人余が集まって、可睡斎、油山寺、法多山を巡る。

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お彼岸なのに三山とも散簡としていて、日本人の宗教心(?)もお天気次第なのである。

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100k走から中3日開けたからもう大丈夫と走り始めたのだが、どうも勝手が違った。

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さっぱりスピードが出ず、アッと言う間に皆さんに置いていかれてしまった。

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遠州三山はいずれも袋井市内に在るが、いずれも由緒ある名刹である。

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その三山をお彼岸の度に巡るってのは、私は心のどこかで気に入っていて、毎度参加する様にしている。

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それに三山を巡りながらのラン友との語らいも楽しいのだが、今回は一人旅になった。

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100kのダメージがこんなに続くのは無かったことで、自分としては少々ショックでもあった。

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ともあれ27kを走り、和の湯にゴールして皆さんとの楽しい一時を過ごすことができた。

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足の具合も、むしろ適度な刺激があった方が回復は早いだろう。

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かなり疲れたけれど、それは心地良い疲れで、清々しい気分で(雨の中を自転車で)帰った。

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やはり、人間はアレだね。

人と人がどう関わるかってことが、その人生を決めていくと思うんだ。

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私はたまたまランの世界で多くの友を得たけれど、どんな世界だって同じことだろう。

どの世界にも俺が俺がって人がいるけれど、その人は実はとっても寂しい人なんだと思う。

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近所に爆音と共にバイクを走らせるお兄ちゃんがいて、とっても寂しそうな顔をしている。

警察にも「何とかして!!」って声が行ってるらしいが、彼は「俺は、今ここにいる」って必死な思いで主張しているのだろうと思う。

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はた迷惑には違いないが、彼に似合いの女性が現れれば、バイクなんて打ち忘れるのではないか。

要するに、人生は人と人なんである。

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今日も、少し無理して出掛けて良かったとしみじみ思っている。

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2016年9月21日 (水)

壮年熟期

これ、耳新しい言葉だが、県によると66歳~76歳を壮年熟期と呼ぶことにしたらしい。

やや高齢者に阿った感じがしないでもないが、私なぞは「オォ~、そうだ !!」って感じだ。

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健康寿命ってやつは71.68歳(静岡県の男)と意外と低く、平均寿命まで8.35年もある。

この間は何らかの支援が必要になる訳だから、壮年熟期と煽てることで社会的負担を減らそうと言うコンタンらしい。

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ともあれ長生きしても健康でなけりゃ意味が無い訳で、その為には「運動習慣」「バランスの取れた食生活」「社会参加」の三要素が、健康を維持し死亡率を格段に低下させるらしい。

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だからその三要素を心得て、平均寿命までは元気で動き回って、その後はバタンキューで良かろうと思っている。

運動習慣に関しては、40歳の頃からずっと人よりは幾分多めに継続している訳だが、

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果たしてこれを何時まで続けられるかってのが、私にとっての当面の課題になりつつある。

因みに先日の丹後100kランの最高齢参加者は76歳だから、私もその近くまでと思うのだが・・・どうだろうか?

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食生活は、これはまぁ~あんまり贅沢を言うと女房殿に横を向かれるから、程々で我慢するしかない。

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ただ、毎朝の牛乳+プロテインは欠かさないし、セッセと自分で野菜を育てて、これを食べることにしている。

加齢と共にだんだん難しく希薄になるのが、社会(人と人)とのかかわりではないか。

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望むらくは仕事が有れば一番良いのだが、ボラであれサロンであれ、社会の中の一員って感じを持てるか否かが特に男は大切かな。

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それに遊びであれ何であれ、仲間とワイワイと談笑出来る一時が殊更大事だろう。

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いずれにしてもこの三要素は、サラリーマン(職業)生活とは別の所にあるから、

自分でその気になって心掛ける(創造する)他ないのである。

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平凡な俸禄生活者として終わるのも一生、アクティブな壮年熟期を過ごすのも一生だ。

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2016年9月20日 (火)

昔を今に

一昨日、京丹後の宿の主人から「どうしたものだろう?」と問いかけられた。

話は、日に日に寂れていくこの地域を、何とか旺時(丹後縮緬)の賑わいを復活する術は無いかと言うことである。

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風光明美な観光地として賑わってきた天橋立や宮津があるが、所詮風景などと言うものは一度観ればそれだけのもの。

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ましてグローバルなこの時代に、国内の箱庭の景色の価値は失われる一方だ。

仮に景色が価値を増すとすれば、それは文学性や詩的ロマンの情感によってではないか。

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それで「しずやしず しずのおだまき 繰り返し 昔を今に なすよしがかも」を思い出したのである。

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義経を愛した白拍子「静御前」が鎌倉に引き出され、「鎌倉万歳」の舞台で踊った歌だ。

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義経を純愛する歌だが、頼朝は「流人だった昔を今に・・」とも受け取って激怒し、妻政子に「(義経を慕う)女とは、そうしたものです」と諭される。

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義経の子供を身籠っていたのだから、「静」にすれば命を掛けた最後の舞いだった。

結果として満座の中で頼朝は大恥をかかされた訳だが、義経の子供は殺される。

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それはともあれ、京丹後の網野の浜に、静生誕地の石碑と静神社が残されている。

単純な比較は出来ないが、静は義経を慕い、細川忠興の妻ガラシャは父(光秀)を思い、

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厨子王の母はさらわれた自分の子供を思って、壮絶必死に生きていたのである。

どうだろうか・・・・今、私達は命がけに何事かに取り組んでいるだろうか?

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勿論100kマラソンは半分は命がけだが、まぁ〜所詮は遊びの人生ゲームでしかない。

若さ(自分の年齢)とて同じことだが、「昔は良かった」と思うだけでは何も生まれない。

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純愛の聖地(静)、神話の故郷(天橋立)などと掘り下げれば、この日本の国を見つめ直すようなテーマがこの地にはあるのではないか。

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丹後縮緬は平安の昔からの時代を彩った織物であって、単なる綿製品とは違う。

これからの時代に活かし得る素材(スマホやスポーツなど)になるのではないか。

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とにかく、命がけで取り組む覚悟が無くては、地域起こしなど出来はしないだろう。

私が毎年通ってきたこの街が、少しでも活気づいてくれればと思う。

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2016年9月19日 (月)

鯖の道

京丹後から車で東に一時間ばかり、そこが若狭湾の中心・小浜である。

かつ日本海でとれた佐波を薄く塩にして京都まで担って運ぶ幾つかの道筋があった。

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鯖街道と呼ばれ、小浜から京都の出町までの18里(72k)の道筋である。

鯖ほど傷み易い魚はない訳だが、その鮮度を競って多くの運び屋が京の食を支えていた。

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100kランの帰り道、その小浜の町に立ち寄って、思ったことの一つは鯖の道は文化の道でもあると言うことだった。

小浜には寺町と呼ばれる一角があって、14〜15の名刹が散らばり、いずれにも秘仏とされる貴重な仏像などがある。

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たまたまその公開がされていて、私達は明通寺(真言宗御室派)を訪ねたのである。

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寺暦は延暦の昔、紀元806年に時の征夷大将軍坂上田村麻呂公が創建とある。

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現在の本堂や三重塔は鎌倉時代(1258)に再建されたものだが、いずれも国宝である。

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檜皮葺の屋根が美しく、往時の文化や技術の粋を想わせる。

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それに多くの寺が残っているのも、大陸からの文化の移入を想起させ、京都と密接な関係を連想せざるを得ない。

米国のオバマ大統領が登場して話題になった町だが、かつて北前舟で栄えた日本海の玄関でもある。

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更に辿れば、梅田雲浜や杉田玄白の出生の地でもあって、文化度はかなり高かったのではないか。

丹後の宮津なども同様だが、江戸期までの北前船(物流)が明治後鉄道などに置き変わって、

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何時の間にか「裏日本」になってしまったのが、この地域一体なのである。

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丹後の人達も高齢化と過疎化、産業の空洞化に悩んでいたが、地域の盛衰も産業の盛衰よって一変してしまう。

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経済成長などしなくても良いと主張する人達もいるが、やはり一定のフレキシブルな産業が必要なのである。

産業がなくっちゃ、町は成り立たない。

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2016年9月18日 (日)

タイタンに!!!

朝四時半、土砂降りの雨が号砲と共にピタッと止み、2,202人の列が動き始める。

仲間と共に向けてスタートしたんだが、暗闇を1kmも進まないうちにバラバラになった。

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マラソンというスポーツは、人に助けてもらう訳にはいかない、自分との戦いだけが結果を決める。

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幸いにも今年は体が軽く下りの走法の工夫もあって、疲労を例年のように感じなくて済んでいる。

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それに、やるべきことは全てやってきたとの思いも、気持ちを楽にしていたかも知れない。

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20k過ぎ夜が明けてくると、次から次へと私に声が掛けられる。

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「タイタンにおめでとうございます」は別にして、「このペースなら大丈夫ですね。」「すごいですね」「もう10分/kmでも大丈夫」などと、実に多くの人がゼッケンを見て声を掛ける

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今年から従来からコースも大幅に変わって、むしろ従来よりもきついコースになった。

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しかし、皆さんの期待もあって、歩く訳にはいかない。

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否、今回は碇高原直下の登り2.5k以外は決して歩かないと心して取り組んだのである。

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目論見はおおむね貫徹されて、43k地点で10時、碇高原の門限は20分の余裕で通過。

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しかし、気を抜けば忽ちにして完走を逃すペースなのである。

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70kを過ぎても9分/kを維持しつつ、必死の走りを続けていた。

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その70k少し前あたりから、雨が激しくなり始めていた。

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その雨の中を1kまた1kと残りの距離を縮めていく。

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これは映像の早回しなど出来る筈もなく、時間の経過だけが距離を縮めていく。

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自分との根気比べと言えば良いだろうか。

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距離を縮めて・・・・それでも最後の3kmは遠かった。

ともあれやがてゴールの瞬間がやってきて、13時間44分でのゴールとなって、

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直ぐに舞台に呼ばれて学さんと共にTI-TANの認定証を授与された。

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自分なりの一区切りをつけたという気分になったが、それにしても辛い一日だった。

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2016年9月17日 (土)

愛しの丹後

今日丹後の空は、曇り空が泣き始めポツリポツリと雨が降り始めている。

どうやら、明日は朝から一日雨になりそうである。

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この浦嶋子(浦島太郎)の故郷である丹後に来るのは、今年で何年目になるだろうか?

朝8時家を出て、O場さんが120k超をぶっ飛ばし、14時過ぎには到着してしまった。

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この十数年余、長駆400k近くを走って、毎年この明媚な丹後に通ってきたのである。

感慨は、その間に9回の完走をし、今年は10回目のタイタンに挑戦と言うことの筈だが、

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「そうか、10回目か!」と言うクールな思いだけで、その間の幾つものここでの出来事を思いだしている。

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そして気分も体調も気負うことなく、極めて冷静なのである。

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走り出してみなければ結果は分からないが、ともかく雨の中を淡々と14時間走り続けるだけだ。

やるべきことは、すべてやってきたのである。

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丹後は、丹後風土記の浦嶋子だけでなく、静御前(しづやしず 賎のおだまき 繰り返し・・と頼朝の前で舞った)の故郷であり、細川ガラシャの縁故の地だ。

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天橋立や夕日が浦、蕪村縁故の与謝、かつて繁華で知られた宮津、それに安寿と厨子王の舞台でもある。

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言うならばロマンの里でもあって、静かでのびやかなところである。

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更に加えて毎年お世話になってきた茂左衛門の親父さんは、今年を最後に宿を閉めるという。

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さても、宿の夕食は例年のように皆で宴会である。

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鏡さんは、三味線を弾き歌い・・・・なだそうそうには、私は迂闊にも涙していた。

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この十数年のこの宿での出会いを、つらつら思い出してしまったのである。

人と人の出会いは、摩訶不思議なものでもあって、鏡との出会いもそうなんだ。

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明日の朝は3時起床、4時半スタートである。

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2016年9月16日 (金)

年齢の輪郭

自分の年齢を現実の問題として受け止めたのは、確かに60歳の定年を迎えた瞬間だった。

花束を渡されて一斉に拍手が起って、イヤイヤながらも馴染んだ執務室を去らなければならない。

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後ろ髪を引かれるような、エスカレーターに無理やり乗せられているような、虚無感の支配する一時だった。

或いは退職そのものよりも、自分の生活の流れが途絶えることが不安だったのかも知れない。

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この点、専業主婦などは生活の流れが自然に続いているから、年齢による然したるダメージは少ない。

そもそも生命と言うものの本質は、細胞が生まれては死滅を繰りかえす様に、大きな変化なく連続することにある。

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つまり人間は、生涯を貫いて生き甲斐になる何事かに関わっていることが望ましい。

それに私達の寿命だが、「人間五十年 げてんの内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」と歌われた時代からすれば驚くほど永くなっている。

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日本人の平均寿命が男女ともに五十歳を越えたのは昭和22年だから、その変化も急だ。

当然ながら、私達の人生の輪郭だってこの半世紀で大きく変わらざるを得なかった。

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それに人間の成熟だって、昔よりも遥かに長い年月が掛かっているんじゃなかろうか。

而して高齢者の比率はかつて無く多くなったはずなのに、老人らしい老人と言うものを余り見かけない。

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それだけ元気な高齢者が増えたって事で、初老(?)の私ですら明後日は100kを走る。

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その100kの道すがら、長年の走友と再会できることを楽しみにしているのである。

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十年一昔とは言うけれど、確かにICTの進歩などはそうかもしれないが、

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人生の十年と言う時間は、今振り返ってもさほど「昔」の感じがしないのではないか。

そうだなぁ~、私などはまだまだ掛け出し者で、

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70年近く生きて来て、最近ようやく年齢の輪郭が少しだけ見えてきたってところだ。

そういう意味じゃ、自分の人生もまだまだかも知れない。

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2016年9月15日 (木)

オダマキ

私の育った町は、かつてガチャマンと言われて一時だが繁華な時を経験している。

織布産業は戦前から存在したようだが、戦後の繊維ブームの頃には織機がガチャンと鳴ると万札が入ると言われた。

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昭和20〜30年代の万札だから、とんでもなく価値があったろう。

私はドン百勝の倅だから、お手伝いさんを何人も抱えた友達(織布業の息子)を羨ましいとも思わなかったが、時に織布工場を覗かせてもらうことはあった。

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すると、何百本もの糸繰車が回っていて、その糸が撚り合わさつて別珍コール天になっていく。

その時は、あの細い糸から布が出来ることを不思議に思いつつ、人間は太古の昔からそうやって工夫しながら寒さを凌いできたんだと感慨深かった。

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話は変わるが、家を新築した際に友人から「オダマキ」の花の大きなパネル写真を戴いた。

以来、我が家の玄関に掛けてあるのだが、何故オダマキなのかと、その語感と共に気になっていた。

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オダマキは糸繰草とも書いて、真ん中が空洞で糸玉を巻く環に似て(特に蕾の形)いることからその名がある。

ともあれ、この歳になって「人生ってのは、糸繰の様なものかも知れない」と思った。

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持って生まれた素材を糸の様に繰り出して、人生と言う織物を苦労しながら織っていく。

糸の具合で柄だって織布の肌触りだって千変万化で、見事に織れればそれで良し。

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だけど時に糸が切れたり、染みが付いたりと、誰もが錦を織るって訳にはいかない。

それでも人は、生きている限りセッセと自分の糸(意図)を繰り出し続けている。

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そうやってグルグル・ぐるぐると、私も70年近く糸を出してきて、オダマキを振り返るともう随分と細くなっている。

やがて無用の糸繰になるのだろうが、近年フッと気が付くと、同じ事を繰り返し言っている。

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残りの糸が少なくなった証拠だろうかと、時に不安になったりもする。

しかしまあ、それも幾分の年配者の愛嬌と見れなくも無い訳で、堂々と繰り返しゃ良かろう。

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「同じこと 二度繰り返し おだまきの 話すを恥と 思うことなかれ」(作者?)って詩があった。

その人生だが、織りあげてそいつの出来を愛でることが出来れば最高だろう。

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2016年9月14日 (水)

神田で思ったこと

東京(江戸)と言う所は、その名が「入り江の戸口」に由来する様に、潮の満ち干する葦原から始まった。

その幾つもの入り江を埋め立てて、江戸と言う町を作ったのは徳川家康だ。

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先日のマラニックでは品川から走り始めたが、南に1kも行けばもうそこはお台場(ペリーに備えた砲台跡)である。

私達はその逆に日暮里(武蔵野台地の北端)方向に出て、谷中から千駄木、本郷、神田と辿ったのだが、

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神田は駿河台に接し海と台地の接点だった辺りに位置するのだろうか。

神田では、当然ながら神田明神に立ち寄った。

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お神輿と庶民の祭りで知られる神田明神で、江戸の総社(江戸総鎮守)だそうである。

境内には神馬なるポニーがいたりして、他の社殿とは違った明るい賑わいがある。

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その隣には湯島聖堂が控えていて、かつて幕府の昌平校が位置していたところだ。

この辺りには各大名の藩邸が密集していたから、必然的に私塾(佐久間象山や清川八郎など)が集中していたらしい。そして今では、私立大学の街だ。

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私塾ばかりか、於玉ヶ池にはあの千葉周作の道場・玄武館があって、

神保町には神道無念流の練兵館があり桂小五郎が塾頭をつとめていた。

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江戸幕府の参勤交代制が賑わいを作り、武家と庶民の町を発展させてきたのだが、

正にこの神田周辺がその中心だったといっても過言ではないのだろうと思った。

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ともあれ、この界隈を勝海舟や坂本竜馬などが闊歩していたのだし、そこを私達も走っている。

大村益次郎の私塾もこの近くにあったから、上野戦争の際の土地勘も当然ながら熟知していたはずだ。

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それにあれだね、神田明神下と言やぁ~野村胡堂の描いた銭形平次の長屋があったとされる所だ。

因みに、神田明神の茂みに「銭形平次」と刻まれた碑があって、明神下を見下ろしている。

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余談になるが、神田の隣が本郷で、東大近くのそこに弥生町という地名がある。

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明治の初めには、多くのお雇い外国人が東京大学にやってきた訳だが、

その一人エドワード・モース(動物学)の影響を受けた坪井正五郎が、そこで稲作初期の弥生式土器を発見した。

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関東地方の本郷にも縄文ではなく古代弥生文化が栄えていた事実を証明した訳で、それが地名の由来になっている。

つまり東京を走ると言うことは、歴史をかみ締めるってことでもあるなぁ~。

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2016年9月13日 (火)

いにしえの美田

日本人の大半は、三代遡れば大なり小なりの田畑を耕して暮らしていた。

押し並べて農耕民族であり、その貧富は耕す田畑の広さで決まってしまっていた。

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だから先祖代々何とかして田畑を増やそうと、(一所)懸命に働いたのである。

私は田園地帯に育ったのだが、我が家は1ha(10,000㎡)少々を耕す平均的農家だった。

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そして家の収入は、田から採れる100俵余の米に依存していたから、田は貴重だった。

稲作が始まって以来、この列島の津ず浦々押し並べて同じ様な状況だった筈であり、

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だからこそ「一つの土地を命懸けで守る」のが、一所懸命が日本人のエートスになった。

思えばバブル経済の際の地価高騰も、その土地に対する愛着(執着)にこそ遠因があったのだろう。

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この国の農地はもともと(律令制以前)は国の土地であり、税を納めることで耕す権利を得た。

公家のその専売特許を打破したのは鎌倉幕府であり、一所懸命も同時に培われてきたんだろう。

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ともあれ平成2年のバブル崩壊から既に四半世紀、私達の土地に対する感覚は様変わりした。

特に農地に関しては、一所懸命どころか、耕し手(農地の借手)を探すことに汲々としている。

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耕してきた一所懸命世代が、寄る年波で次々と耕作出来なくなっているからだ。

朝の立哨の傍らには田圃が広がっていて、その稲田が今朝は綺麗に刈り取りされていた。

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かつての稲作が人力による大変な労働だったことを思うと、機械力を駆使する稲作は隔世の感がある。

米に依拠してきた日本人の食生活も随分変わって、米そのものが単なる一食材になった。

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高々この半世紀で瑞穂の国の歴史は終焉し、同時に一所懸命も死語になろうとしている。

子供の頃、自分はこの田を耕して生きていくのだと思っていた。

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しかし、想像もしなかった様な時代の変化が、私をこうして街頭に立たしめている。

やんぬるかな、人生はその人の最大の作品だと思っていたが、何のことは無い、時代がそいつを作っていたのである。

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2016年9月12日 (月)

自分の時間

人の一生と言うものは、自分なりの時間をどう生かすかで決まるように思う。

日々あれこれ駆け回っている訳だから、誰にだってそうそう自由な時間がある訳じゃない。

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だけど良くよく自分の一日を振り返ってみると、実はちゃんとそれなりの時間があるんだ。

昨夜の懇親会の際、M女子が「実は、走る時間がなくって困っている」って相談された。

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朝は早いし帰宅も大抵は9時過ぎになって、再来週の佐渡の練習が全然ダメだと言う。

体力的にも精神的にもタイトな毎日だとは思うが、その気になれば工夫できるとも思った。

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私の場合も似た様な状況下にあったが、昼休みを活かして使うことで景色は一変した。

毎日の1時間の昼休みを、30分のランと15分の昼食と決めて、それなりの算段をした。

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結果として仕事も歯切れが良くなったし、午後の能率もリフレッシュ効果で格段に向上した。

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周りを見渡すと、TVを観たりうたた寝をしている人が多かったが、昼休み=休息は誤りだ。

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体験から言うと、体を動かして気分転換するのがベストだと思う。

それに30分のリフレッシュは、毎日やってこそその効果が現れる。

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という訳で、「多少の抵抗があっても、断固やるべし」と助言したのである。

さても私のもう一つの時間捻出とは、朝晩の一時間余の通勤時間であった。

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一日2時間ほどのこの時間を、私は毎日本を読むことに徹底して充当した。

社会人にとって本を読むための時間は中々確保できないものだが、これは素晴らしい時間だった。

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なんと一日2時間×300日×30年=18,000時間も捻出できた訳で、こののお蔭で、

鈍才の私にも人並みの教養らしきものが身についたのだと思っている。

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いずれも極意は「継続の力」を信じることで、三日坊主じゃ何にもなりゃしない。

折角の自分一人になれる時間を大切にして、そこで継続力や話題力などを磨くんだ。

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そんなことが癖になつていて、私は何時も何かを考えている。

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2016年9月11日 (日)

気儘な東京マラニック

今日は品川から東京スカイツリーを目指して走るエンジョイマラニックである。

だが、例年のコースと少し変わった所を辿ってみようとS嬢の提案があって、今回は裏コースを行くことにした。

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品川はもう海浜のすぐ側だが、そちらに向かわずに駅の北側の泉岳寺を目指した。

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2k程であの浅野家の菩提寺であった泉岳寺に着くと、想像以上の立派な門があって、

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ここには内匠頭の首を洗った井戸をはじめとして、四十七士の墓石が並んでいる。

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正に300年前の江戸元禄を彷彿とさせる場所と言えるが、その墓石に享年の年齢が刻まれていた。

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四十七士は流石に二十代の若手が多いのだが、中に60代の志士もいる。

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その墓石を眺めながら、20年の人生と60年の人生の中身を思っていた。

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その彼らの生きた軌跡にどれ程の違いと意味があっただろうかと言うことである。

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さても、そんな感傷に浸りつつも、仲間は既に増上寺に向かって走り始めていた。

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増上寺までは5kほどで、言うまでもなく徳川家歴代将軍の墓所であり、歴史の舞台にも繰り返し登場する場所でもある。

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往時は広大な寺域があって、東京タワーはその一角に聳えている。

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次は日暮里に向かうのだが、ここへは浜松町から電車でワープしなければならない。

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日暮里駅を下りると、直ぐにあのレトロを売り物にした谷中銀座が続いている。

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猫でも有名らしいが、私達は揚げたてのコロッケとビールでこの銀座を少しばかり味わった。

団子坂下を通って不忍通りを少し行くと、そこには国宝の根津神社が鎮座している。

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その根津神社から1.5k程で本郷通りに出て、加賀藩の赤門から東京大学へ。

当然ながら三四郎池をぐるっと回って、あの安田講堂の前に出る。

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あの45年前のブンドが立て籠もった事件を思いだしながら、あれは何だったのかとも思う。

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神田明神に詣で、秋葉原に出てラーメンの昼食を済ませ、今度は両国である。

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国技館の初日の賑わいを横目に、私達は隅田川の岸部を浅草に向かって走っている。

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浅草寺の賑わいは相変わらずで、その脇をすり抜けて、15時近くSKY TREEにゴールである。

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さても、今回の東京マラニックは、ご馳走と観光の一日となった。

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皆と離れて8人をリードして下さったS嬢に感謝の一日であった。

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2016年9月10日 (土)

あの日あの時

人生には、必ず何度かの大きな転機がある訳だが、そのことを書こうとしている。

と言っても、私のその転機はもう遥か昔のことになってしまって居て、少々霞がかっている。

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私は弱虫で苛められっ子で内向的な子供だったから、何時も自分は駄目だと思い込んでいた。

同級生が大きく見えて、何時もその後ろから静かについて行くそんな子供が、

少しばかり「自分」を意識し始めたのは、中学二年の頃だったか。

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ふとしたきっかけで好きでもない勉強をする様になって、落第生が突然優等生になった。

当時は試験の成績が学校に張り出される事になっていて、確かその時は400余人中3番だった。

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当然ながら周囲からは「えっ、あの子が?」と奇異な目で見られたのを覚えている。

その頃だろうなぁ〜、同窓の女の子から「がり勉、がり勉」と揶揄われもした。

この段階で私の目の前の景色は大きく変わったが、高校に進むと元の鈍才に戻っていた。

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そのガキが大学に入って、その時の解放感(何でもできる)たるや大変なものだった。

それまで鬱屈していたものが取り払われて、自分ってのが一人で泳いでいた。

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そう・・・思えば大学の4年間は色々あったし、ある意味青春のドラマだったなぁ〜。

その男が就職・結婚して20年、来る日も来る日も仕事に振り回される毎日だった。

転機は40歳を少し過ぎたあたりで、「自分の人生」ってことを考えるようになっていた。

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夜明けと共に仕事のことを考え、当時の帰宅は10時過ぎが当たり前の毎日だった。

そんな生活の中で「このまんまじゃ、いかん」と思いつつ、悶々とした毎日が続いた。

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ある日、思い切って自分の体を鍛える(走る)ことを始めたのである。

始めた以上毎日続けるのが私の性分でもあって、走ることに続いて幾つかのことにも取り組んで、今日只今に至っている。

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走り、書き、人と会い、作物を育てる今日の生活は、もう既に30年になろうとしている。

やはり、人生はその生涯における最大の作品だから、その選択肢は自分でチョイスしなければならない。

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そして誰にだって、あの日あの時があるのだ。

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2016年9月 9日 (金)

人並み

思えば子供の頃から、服装もすることも人並みでなきゃならないと過ごしてきた気がする。

母親にも「○×ちゃんが出来て、なぜあんたが出来ないのよぉ」って、よく叱られたっけ。

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だから人並みでなかった運動神経とか喧嘩や気の弱さに、事の他劣等感を持っていた。

それに戦後の学校教育は、多くの「人並み」を育てることに眼目があったようだ。

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その影響か親の本能かどうか、自分の子供にも「せめて人並みであれかし」と願ってきたと思う。

長じてからだって一人目立つ事が嫌いで、言いたい事も言わずに大人しく振舞ってきた。

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だけど今、人との違いこそが、その人の価値として認められる時代になっている。

リオでパラリンピックが開幕し、障害ですら得手に成り得ることを私達に教えてくれる。

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そう、人が人並みでない部分を持つと言う事は、素晴らしいことなんである。

ただ人は、その得手を発掘し伸ばすことが出来るがどうかで、人生の粗方が決まってしまうようだ。

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そもそも大抵の人間には手足があり、心臓などの臓器があって、解剖すれば大差ないのである。

しかるに人間は実に多様で、それぞれが個性(オノレ)を主張しあって生きている。

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オギャアーと生まれて以来、親兄弟との関係を含め、喧嘩をしたり苛められたり、

得意になったり落胆したり、褒められたり叱られたりと、それぞれが異なった経路を経てきているからだ。

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そんな紆余曲折を経ることで、人は少しずつ自分ってヤツが見えてくる。

つまり、自分と言うのは、それまでの経験によって造られているに過ぎないのである。

ともあれ100年前までは、日本人の大部分はお日様の下で田畑を耕して暮らしてきた。

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隣が田を耕せば吾も耕し、田に水が入れば一斉に田植えをし、鎮守の神様を祭った。

ながぁ~いそんな時代の経過が、「人並み」を殊更に育てたのではなかろうか。

個性が大切なこの時代では、人々の持つ尺度(定規)が皆それぞれ違うのである。

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2016年9月 8日 (木)

秋思

台風13号が温帯低気圧に変わって、秋を引き連れて駆け抜けて行った。

ついさっきまでの湿度の高い空気は、爽やかな西風へと変わってきた。

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月は未だかと東の空を探すものの、中秋の名月は一週間後の15日らしい。

今日も雨上がりの山を走ったのだが、笹が穂を出して足にまとわりつく。

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彼らのこの秋は、仲間を広げるための一大飛躍の時なのだ。

だけどどうだろう…、自らの青春、成熟、老成と人生の様々を過ごしてきて、

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あぁ〜あの時は若かったなぁ〜とか、俺にもなんな時が有ったなどと思い出すのも秋だ。

そう・・・・、共に働き、そして共に遊んだ人達のことが懐かしく思いだされる。

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人生は過ぎてしまえばそれだけのもので、ついこの間まで若者だったのに、

今は早や、気持ちは青年だが、古希を真近にした初老の男であることは疑いもない。

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その初老ではあっても、次々と人生の課題は生まれるもので、果敢にそいつに向かっている。

否良し、人生とは老若が全てを決めるものでもなく、心意気こそが肝心なんだろう。

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人に遇うと「痩せた」と言われるが、果たして毎日走り込んでいるからだろうか?

この秋も、なお一層全国を走ろうと思っている。

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ともあれ、人生の経過と言うものをしみじみと感じる秋である。

晩唐の詩人「許渾」が秋思と題して、自らの生涯を詠っている。

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 琪樹西風枕簟秋 (き゚樹に西風 枕でんの秋)・・庭の木々に秋風が立ち、枕もひんやりと

 楚雲湘水憶同遊 (楚雲湘水 同遊を想う)・・・・楚の地や湘水で遊んだ昔が懐かしい

 高歌一曲掩明鏡 (高歌一曲 明鏡を覆う)・・・・声高に歌を歌い、俄かに鏡を隠す

 昨日少年今白頭 (昨日は少年 今 白頭)・・・・この間までの少年が、今は白髪

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2016年9月 7日 (水)

去る者は日々に疎し

台風13号が駆け足でやってくるらしく、この秋は何かと気忙しない日々が続いている。

されど私の葡萄も収穫を終り、回りの田圃では稲の収穫が真っ盛りを迎えている。

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日長も日毎に短くなって、気持ちも日ごとに秋色を帯び始めている。

この二ヶ月の間毎朝収穫を続けてきた葡萄が、明日からはもう無いとなると如何にも淋しい。

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勿論次のステージ(ホウレンソウ作り)へと変わるのだが、心と体の惰性は続いている。

冒頭の句は、吉田兼好が徒然草(三十段)に引用していて、世の儚さを憂えている。

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さらに・・・「嵐にむせびし松も 千年を待たで 薪に砕かれ 古き墳は すかれて 田となりぬ・・・」と続けている。

漢の時代の五言絶句にならって、年月の流れとその無情の感慨を書いているのだが、

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確かにこの時の流れが、殊に秋口に強く感じられるのは私だけだろうか。

時にフッと「あと何年、この葡萄を稔らせられるだろうか? 」などと思ってしまうのである。

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「日々に疎し」と書いたが、実に多くの方々と袖刷りあってきたのだが、それも久しい。

時に夢の中に登場して「あぁ、あの人もいたなぁ」と思い出す程度で、疎遠になるのは止むを得まい。

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「過去に生きるのはよそう」と心に決めて歩んできたが、やはり人生とは前向きであるべきだ。

過去に帰ろうったって、もはや辿るべき道は無いのである。

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それを淋しいと思っても詮無い、毅然として胸を張って前を向き続けるしかないのである。

今回の台風が去れば、季節はもう本格的な秋になる。

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 去者日以疎 (去る者は 日にもって疎く)

 来者日以親 (来る者は 日にもって親し)

 出郭門直視 (郭門を出でて 直視すれば)

 但見邱与墳 (但だ邱と墳とを見るのみ)

 古墓鋤為田 (古墓は 鋤かれて田となり)

 松柏砕為薪 (松柏は 砕かれて薪となる)

 白楊多悲風 (白楊 悲風多く)

 蕭蕭愁殺人 (蕭蕭として人を愁殺す)

 思還故里閭 (故里の閭に還るを思いしが)

 欲帰道無因 (還らんと欲するも 道 因るなし)

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2016年9月 6日 (火)

依存と自立

「人間(人の間)」とは、良くぞ表現された言葉だと思うことがある。

男でも女でも、親と子であっても、相互に依存し合うことで成り立っている。

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いわんや友人関係が継続するってことは、お互いに何がしかを得る物を持っているからだ。

例えば職場における人間関係は、利益共同体であり、ライバルであり、自己実現の手段だ。

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同僚や上司と群れて遊ぶ(飲み会やゴルフなど)のは、その絆を維持したいからでしかない。

私も随分と飲めない酒をつき合ったり、ゴルフやマージャンに無理をして出掛けた。

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時に「世間とは、こんなものか」と落胆したりしたが、退職と共にその一切がゼロに戻った。

依存する必要が無くなったからで、同時に付き合いの必要が無くなってしまったのである。

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やがて職域の付き合いに変わって大きな比重を占める様になったのが、人生の友垣である。

生身(裸)の人間としての付き合いで、それは又それぞれに人間としての魅力を秘めていた。

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自分にない部分を赤裸々に感じたし、第一、自分を飾るってことが必要なかった。

男であれ女であれ、人間を人間として見ることが出来る様になったのは退職してからだ。

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一方私にとって魅力のない人間とは、「自分」を持たない付和雷同の人だ。

それに悪戯な演出をする人間も、その人間の心底が透けて見えてしまって感心しない。

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夫婦は最も近しい人間関係だが、お互いに自立の気持ちが無ければ空しい。

夫婦と言えども、お互いに魅力を錬磨する努力こそが、その人間関係を育てるのだ。

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これまで随分沢山の人と袖すり合ってきた訳だが、良きにつけ悪しきにつけ人間は面白い。

先日もある知人から電話があって、自分本位の物言いをしてきたのだが、それが又その人間の心底が透かして見えて、・・・人間てなぁ〜中々難しいね。

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ともあれ、自分をスックと律して、お互いの紳士関係を育てることが肝心だな。

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2016年9月 5日 (月)

才と小人

人の才能とその人生との微妙な関係について思っている。

野球やテニスの才を研きに磨いて、プロスポーツで生涯を貫く人もいる。

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演じることに憧れ、歌の上手を貫き、向学心を極め研究者になどと、自分の才能を生かし切るような人生がある。

どうせ一生は短いんだから、秀でたところを磨いて生きられればそれに越したことは無い。

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子供の頃、ろくに勉強もしないのに成績優秀なのがいて、私は自らの鈍才を呪った事がある。

だけどその子が成人して栄達したかと言うと??で、奢って能力を磨くことなく、むしろ才能が災いして終わったようだ。

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事ほど左様に中途半端な才のために、反って地を這いずり回る様な人だって多いんだ。

この点私なぞは無芸多食、スポーツは全く駄目で、音楽は音痴、絵を描かせりゃ白痴、

他にこれと言った才能もない小器量な男に、幸か不幸か生まれついた。

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人には得手不得手があると言われるが、私の場合は不得手ばっかりで・・・・・。

勿論自分に自信などは無いから、ひたすら控えめに大人しい子を演じてきたと思う。

そいつが生き残るにはこつこつと飽きもせず努力する他無い訳で、だから特別な冒険もしないで生きてきた。

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正に小吏の才に徹してきた訳で、結果として自分に適っていたと思っている。

それにしても70年この方生きてきて、随分沢山の生き様・死に様を見て来た訳だが、

才能なんてのは所詮瞬間的なもので、コツコツ積み重ねていく力には適いっこないようだ。

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それに人にはそれぞれの役割の様なものが有って、お互いにそいつを演じあっている。

自分にどんな役回りを演じさせるかが人生だが、器量に過ぎた役割など無用の沙汰だ。Img_7145

そして肝心な事は、能力もまたコツコツと育むものだと思う。

又しても大分、堅いことを書いちゃったかなぁ~。

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2016年9月 4日 (日)

飯を食う道具?

いやいや、茶碗や箸のことを書こうとしているのではなく、私達の生き様のことである。

人間に限ったことではないが、生き物は何時の間にか食うのが目的になってしまう。

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つまり、単に飯を食う道具になり下がってしまうという訳である。

他人事でなくこの私を含め、定年後の人々の生き様はともすれば、そんな恐れがある。

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禽獣の様との違いがあるとすれば、それは大なり小なりの夢(目標)の存否だろう。

そう・・・・、人は、夢のあるうちが花なのである。

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夢は立身出世なんて大層なものでなくったって、身の程の身近なもので結構だ。

例えば私なら、如何にしたら立派なブドウを育てられるかとか、今度こそ・・・・だな。

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その葡萄も収穫をほぼ終えて、来年に向けての潅水(お礼水)を始めている。

畑は夏野菜がほぼ終わって秋冬野菜への切り替えの時期で、玉葱や大根の播種、

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白菜やキャベツの育苗などなどを始めていて、ホウレンソウも準備をしつつある。

作物を育てることが楽しみになって久しいが、春夏秋冬こんなに面白いことは無い。

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それに丹後のタイタンに向けて、このところ毎日セッセと走っている。

今日も午前中の山ランを終えて帰ると、足に尿酸がたまってかなりシンドイのだが、

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一度鍬を持てばそんなことは忘れて、早生ブロッコリーの定植を済ませた。

ランニングも丹後100kを皮切りに秋の陣が始まって、週末は例年のごとく忙しくなる。

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結構、結構、人生は困難があってこそ面白くなるんだから。

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2016年9月 3日 (土)

故郷に錦

特別に卓球お宅と言う訳でもないが、今日はミーハーをやってきてしまった。

人口20万人そこそこの街で二人のメダリストが登場するなんてことが、100年に一度あるのかどうか?

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卓球のエース、清水隼選手と伊藤美誠選手の凱旋パレードである。

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二人ともまだまだ若過ぎるくらい若いし、伊藤選手は弱冠中学三年生に過ぎない。

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その二人が揃って真っ赤なブレザーを羽織ってオープンカーに乗り、ジュビロードをパレードするんだから、人出は当然のこと。

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押すな押すなの人の波で、人垣の後ろから写真を撮るのがやっとだったけど、やぁ〜綺麗だった。

沿道からは「可愛ぃぃ〜」の声も響いて、若い二人の顔も一際輝いて見えた。

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ところでこの時代、世界と言うものが随分と身近にはなったが、その最高レベルルに至るのは想像を絶する目標だ。

そしてその目標に歳若くして届くのは、とてものこと凡人に出来る技ではあるまい。

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しかもこの磐田の限られた地域から、この二人は相次いで頭角を現したのである。Img_7161

そもそも人材を育む地域には、歴史的或は特殊な環境があるのかも知れない。

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歴史ならば明治維新を担った人材が薩摩・長州だったのは当然としても、薩摩から輩出した人材の多く(大久保利通、西郷隆盛・従道etc)は、同じ村の出身者だった。

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スポーツとてゴルフの尾崎兄弟や沖縄出身者の隆盛など、やはり何らかの土地の要素が有るのではないか。

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ともあれ、身近な所からこれからのスポーツ人が登場したことに、誇らしい気分だ。

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2016年9月 2日 (金)

一日の時間

例えば100kの道程を淡々とゴールに向かっている時、私は「時間」の意味を思っている。

例えば高山の頂を目指して喘ぎながら登っている時、時間だけが解決すると思っている。

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100kのゴールも山頂に立つ感激も、もう一時間、もう一時間と積み重ねていくその努力無くしては有り得ないのだ。

一時間走れば、一時間登れば、一時間耕せば、それだけ目的に近づくことが出来る。

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その一時間はうたた寝を、或いはTVをボヤって見ていれば消えてしまったかもしれない。

元より一日をどう過ごすかなんてことは個人の好き勝手だが、私はその一日の時間を考えたいと思う一人だ。

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先日の浜松縦断走の折、暑い最中をひたすら走り続けているその時間の意味を思っていた。

のんびり本を読むのだって一人酒を飲むのことだって、はたまた黙々と畑を耕すことも出来たはずである。

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それを敢えて、重いリュックサックを背負って汗びっしょりで走っていた。

そして、自ら選択し主体的に走っていることに、「時間とは、こう言うものだ」と納得する。

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どの様に過ごそうと24時間に変わりは無いのだが、皆と目的地に向かって走ることが意味のある時間だと思ったからだ。

実を言うと私はかなり鈍で、極めて平凡過ぎる人間でしかない。

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そんな人間が何かを実現しようとしたら、一つのことを飽きずに根気良く黙々とやるしかない。

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その一日の一時間一時間を懸命に生きて、それを積み重ねることっきゃないんだ。

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要するに頼りになるのは、「継続の力」でしかないのである。

だから走ることをはじめ、書く事やつくる事などなどを、もう30年も継続してきた。

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結果として今日の体力を維持出来ているし、思いの他実現できた事だって多いんだ。

それに継続が大切だからって、同じ道ばかり歩いている訳ではないんだ。

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時には違う道を辿って、その好奇心の報酬を何時もかみ締めている。

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2016年9月 1日 (木)

命の使い方

過日、自分の余命は4,000日程度だろうかと書いた。

こればっかりは死んでみなきゃ分からないが、そんなことより4,000日を如何に使うかの方が肝心だろう。

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日向ぼっこや昼寝をしている暇は無いが、さりとて何に没頭すりゃ良いのかという大問題が残るのだ。

それに、これにはそれぞれの体温(感性)の差があって、正に一様ではあるまい。

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私の場合は色々とやらなきゃならない事も多いが、兎に角少しだけ無理をする心がけかな。

無茶はしないが、少しだけ前傾姿勢で少々の無理は買ってでもやるってことだ。

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恐らく4,000日なんて過ぎてしまえばアッと言う間だろうが、それでも前向きに歩き続けられればどこかに達することが出来るだろう。

それが何処なのか、どんな境地なのか・・・・・それは、やはり生きてみなければ分からない。

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多分最後の最後まで何も分からないかも知れないが、それでも前向きに生きてみる。

黙々と100kの距離をゴールに向かう、苦行僧の様にあちこちの山の頂を目指す、

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ひたすら耕して作物を育てながら考える、それに少しは人の役に立ってみるetc。

人生の表現の方法は色々とあるだろうけど、ただどの場面でも後ろは見ないことだ。

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そうやって4,000日を生き、ある日突然バタッと前向きに倒れられたら本望だろう。

人の一生なんて、そんなに大層な意義がある訳じゃない。Img_7037

只、自分がどういう人生を生きられたかって、自信と満足を持って死ぬ事ができりゃ、それこそが大往生だろう。

そんなことを、つらつら考えている。

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