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2016年9月14日 (水)

神田で思ったこと

東京(江戸)と言う所は、その名が「入り江の戸口」に由来する様に、潮の満ち干する葦原から始まった。

その幾つもの入り江を埋め立てて、江戸と言う町を作ったのは徳川家康だ。

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先日のマラニックでは品川から走り始めたが、南に1kも行けばもうそこはお台場(ペリーに備えた砲台跡)である。

私達はその逆に日暮里(武蔵野台地の北端)方向に出て、谷中から千駄木、本郷、神田と辿ったのだが、

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神田は駿河台に接し海と台地の接点だった辺りに位置するのだろうか。

神田では、当然ながら神田明神に立ち寄った。

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お神輿と庶民の祭りで知られる神田明神で、江戸の総社(江戸総鎮守)だそうである。

境内には神馬なるポニーがいたりして、他の社殿とは違った明るい賑わいがある。

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その隣には湯島聖堂が控えていて、かつて幕府の昌平校が位置していたところだ。

この辺りには各大名の藩邸が密集していたから、必然的に私塾(佐久間象山や清川八郎など)が集中していたらしい。そして今では、私立大学の街だ。

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私塾ばかりか、於玉ヶ池にはあの千葉周作の道場・玄武館があって、

神保町には神道無念流の練兵館があり桂小五郎が塾頭をつとめていた。

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江戸幕府の参勤交代制が賑わいを作り、武家と庶民の町を発展させてきたのだが、

正にこの神田周辺がその中心だったといっても過言ではないのだろうと思った。

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ともあれ、この界隈を勝海舟や坂本竜馬などが闊歩していたのだし、そこを私達も走っている。

大村益次郎の私塾もこの近くにあったから、上野戦争の際の土地勘も当然ながら熟知していたはずだ。

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それにあれだね、神田明神下と言やぁ~野村胡堂の描いた銭形平次の長屋があったとされる所だ。

因みに、神田明神の茂みに「銭形平次」と刻まれた碑があって、明神下を見下ろしている。

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余談になるが、神田の隣が本郷で、東大近くのそこに弥生町という地名がある。

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明治の初めには、多くのお雇い外国人が東京大学にやってきた訳だが、

その一人エドワード・モース(動物学)の影響を受けた坪井正五郎が、そこで稲作初期の弥生式土器を発見した。

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関東地方の本郷にも縄文ではなく古代弥生文化が栄えていた事実を証明した訳で、それが地名の由来になっている。

つまり東京を走ると言うことは、歴史をかみ締めるってことでもあるなぁ~。

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