« オダマキ | トップページ | 愛しの丹後 »

2016年9月16日 (金)

年齢の輪郭

自分の年齢を現実の問題として受け止めたのは、確かに60歳の定年を迎えた瞬間だった。

花束を渡されて一斉に拍手が起って、イヤイヤながらも馴染んだ執務室を去らなければならない。

Img_7320

後ろ髪を引かれるような、エスカレーターに無理やり乗せられているような、虚無感の支配する一時だった。

或いは退職そのものよりも、自分の生活の流れが途絶えることが不安だったのかも知れない。

Img_7321

この点、専業主婦などは生活の流れが自然に続いているから、年齢による然したるダメージは少ない。

そもそも生命と言うものの本質は、細胞が生まれては死滅を繰りかえす様に、大きな変化なく連続することにある。

Img_7322

つまり人間は、生涯を貫いて生き甲斐になる何事かに関わっていることが望ましい。

それに私達の寿命だが、「人間五十年 げてんの内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」と歌われた時代からすれば驚くほど永くなっている。

Img_7323

日本人の平均寿命が男女ともに五十歳を越えたのは昭和22年だから、その変化も急だ。

当然ながら、私達の人生の輪郭だってこの半世紀で大きく変わらざるを得なかった。

Img_7324

それに人間の成熟だって、昔よりも遥かに長い年月が掛かっているんじゃなかろうか。

而して高齢者の比率はかつて無く多くなったはずなのに、老人らしい老人と言うものを余り見かけない。

Img_7325

それだけ元気な高齢者が増えたって事で、初老(?)の私ですら明後日は100kを走る。

Img_7326

その100kの道すがら、長年の走友と再会できることを楽しみにしているのである。

Img_7330

十年一昔とは言うけれど、確かにICTの進歩などはそうかもしれないが、

Img_7332

人生の十年と言う時間は、今振り返ってもさほど「昔」の感じがしないのではないか。

そうだなぁ~、私などはまだまだ掛け出し者で、

Img_7311

70年近く生きて来て、最近ようやく年齢の輪郭が少しだけ見えてきたってところだ。

そういう意味じゃ、自分の人生もまだまだかも知れない。

|

« オダマキ | トップページ | 愛しの丹後 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/172740/64210867

この記事へのトラックバック一覧です: 年齢の輪郭:

« オダマキ | トップページ | 愛しの丹後 »