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2016年9月25日 (日)

家の話

先日ある方から、「減築に取り組んでいる」と伺った。

住んでいるお宅が幾分古くなった上に、大き過ぎるから二階を除いて簡素にするらしい。

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それを伺って、我が家こそ減築が必要では無いかと思い始めている。

昔からの農家だから、二階建ての長屋と離れまであるのに、子供達が独立して主屋だけでも持て余している。

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その主屋だって昔風の床の間など、年中使うことのない部屋があって全く無用の長物なのである。

いずれ女房と二人の生活になるとしたら、二間と狭い書斎が一つあれば十分だろう。

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それでいざ減築をと思ったのだが、その莫大な予算を考えると、「老後もあるしなぁ〜」と二の足を踏んでいる。

それにセッセと働いて建てて20年、やっとローンを返済し終わったばかりなのに、そいつを壊してしまうのは業腹ではないか。

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この点、昔の庶民の住処は簡素で、財産と言うよりも「ねぐら」程度であって、人生と同様にうつろう存在だったようだ。

例えば鴨長明の方丈記は一種の住宅論(方丈=住処)であって、彼は方丈をうたかただと言っている。

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少し長くなるが書き写すと「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたる例なし。

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世の中にある、「人」と「すみか」と、またかくのごとし。・・・・・・・・・

知らず、生まれ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。

また知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

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その「主」と「すみか」と、無常を争うさま、いはば朝顔の露に異ならず。・・」とあるではないか。

つまり鴨長明は、人の一生もその住居も同じ様に儚いもんだと断じているのである。

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考えてみれば、私達はその住宅を得る為に働き続けてきた様なものだから、何とも哀れな話になる。

でもやっぱり、一家を構えた以上、家を建てるのは男の夢だったからなぁ〜。

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