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2016年9月15日 (木)

オダマキ

私の育った町は、かつてガチャマンと言われて一時だが繁華な時を経験している。

織布産業は戦前から存在したようだが、戦後の繊維ブームの頃には織機がガチャンと鳴ると万札が入ると言われた。

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昭和20〜30年代の万札だから、とんでもなく価値があったろう。

私はドン百勝の倅だから、お手伝いさんを何人も抱えた友達(織布業の息子)を羨ましいとも思わなかったが、時に織布工場を覗かせてもらうことはあった。

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すると、何百本もの糸繰車が回っていて、その糸が撚り合わさつて別珍コール天になっていく。

その時は、あの細い糸から布が出来ることを不思議に思いつつ、人間は太古の昔からそうやって工夫しながら寒さを凌いできたんだと感慨深かった。

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話は変わるが、家を新築した際に友人から「オダマキ」の花の大きなパネル写真を戴いた。

以来、我が家の玄関に掛けてあるのだが、何故オダマキなのかと、その語感と共に気になっていた。

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オダマキは糸繰草とも書いて、真ん中が空洞で糸玉を巻く環に似て(特に蕾の形)いることからその名がある。

ともあれ、この歳になって「人生ってのは、糸繰の様なものかも知れない」と思った。

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持って生まれた素材を糸の様に繰り出して、人生と言う織物を苦労しながら織っていく。

糸の具合で柄だって織布の肌触りだって千変万化で、見事に織れればそれで良し。

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だけど時に糸が切れたり、染みが付いたりと、誰もが錦を織るって訳にはいかない。

それでも人は、生きている限りセッセと自分の糸(意図)を繰り出し続けている。

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そうやってグルグル・ぐるぐると、私も70年近く糸を出してきて、オダマキを振り返るともう随分と細くなっている。

やがて無用の糸繰になるのだろうが、近年フッと気が付くと、同じ事を繰り返し言っている。

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残りの糸が少なくなった証拠だろうかと、時に不安になったりもする。

しかしまあ、それも幾分の年配者の愛嬌と見れなくも無い訳で、堂々と繰り返しゃ良かろう。

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「同じこと 二度繰り返し おだまきの 話すを恥と 思うことなかれ」(作者?)って詩があった。

その人生だが、織りあげてそいつの出来を愛でることが出来れば最高だろう。

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