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2016年9月 9日 (金)

人並み

思えば子供の頃から、服装もすることも人並みでなきゃならないと過ごしてきた気がする。

母親にも「○×ちゃんが出来て、なぜあんたが出来ないのよぉ」って、よく叱られたっけ。

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だから人並みでなかった運動神経とか喧嘩や気の弱さに、事の他劣等感を持っていた。

それに戦後の学校教育は、多くの「人並み」を育てることに眼目があったようだ。

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その影響か親の本能かどうか、自分の子供にも「せめて人並みであれかし」と願ってきたと思う。

長じてからだって一人目立つ事が嫌いで、言いたい事も言わずに大人しく振舞ってきた。

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だけど今、人との違いこそが、その人の価値として認められる時代になっている。

リオでパラリンピックが開幕し、障害ですら得手に成り得ることを私達に教えてくれる。

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そう、人が人並みでない部分を持つと言う事は、素晴らしいことなんである。

ただ人は、その得手を発掘し伸ばすことが出来るがどうかで、人生の粗方が決まってしまうようだ。

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そもそも大抵の人間には手足があり、心臓などの臓器があって、解剖すれば大差ないのである。

しかるに人間は実に多様で、それぞれが個性(オノレ)を主張しあって生きている。

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オギャアーと生まれて以来、親兄弟との関係を含め、喧嘩をしたり苛められたり、

得意になったり落胆したり、褒められたり叱られたりと、それぞれが異なった経路を経てきているからだ。

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そんな紆余曲折を経ることで、人は少しずつ自分ってヤツが見えてくる。

つまり、自分と言うのは、それまでの経験によって造られているに過ぎないのである。

ともあれ100年前までは、日本人の大部分はお日様の下で田畑を耕して暮らしてきた。

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隣が田を耕せば吾も耕し、田に水が入れば一斉に田植えをし、鎮守の神様を祭った。

ながぁ~いそんな時代の経過が、「人並み」を殊更に育てたのではなかろうか。

個性が大切なこの時代では、人々の持つ尺度(定規)が皆それぞれ違うのである。

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