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2016年9月 2日 (金)

一日の時間

例えば100kの道程を淡々とゴールに向かっている時、私は「時間」の意味を思っている。

例えば高山の頂を目指して喘ぎながら登っている時、時間だけが解決すると思っている。

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100kのゴールも山頂に立つ感激も、もう一時間、もう一時間と積み重ねていくその努力無くしては有り得ないのだ。

一時間走れば、一時間登れば、一時間耕せば、それだけ目的に近づくことが出来る。

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その一時間はうたた寝を、或いはTVをボヤって見ていれば消えてしまったかもしれない。

元より一日をどう過ごすかなんてことは個人の好き勝手だが、私はその一日の時間を考えたいと思う一人だ。

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先日の浜松縦断走の折、暑い最中をひたすら走り続けているその時間の意味を思っていた。

のんびり本を読むのだって一人酒を飲むのことだって、はたまた黙々と畑を耕すことも出来たはずである。

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それを敢えて、重いリュックサックを背負って汗びっしょりで走っていた。

そして、自ら選択し主体的に走っていることに、「時間とは、こう言うものだ」と納得する。

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どの様に過ごそうと24時間に変わりは無いのだが、皆と目的地に向かって走ることが意味のある時間だと思ったからだ。

実を言うと私はかなり鈍で、極めて平凡過ぎる人間でしかない。

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そんな人間が何かを実現しようとしたら、一つのことを飽きずに根気良く黙々とやるしかない。

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その一日の一時間一時間を懸命に生きて、それを積み重ねることっきゃないんだ。

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要するに頼りになるのは、「継続の力」でしかないのである。

だから走ることをはじめ、書く事やつくる事などなどを、もう30年も継続してきた。

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結果として今日の体力を維持出来ているし、思いの他実現できた事だって多いんだ。

それに継続が大切だからって、同じ道ばかり歩いている訳ではないんだ。

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時には違う道を辿って、その好奇心の報酬を何時もかみ締めている。

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