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2016年9月23日 (金)

サラリーマンと顔

昨日のマラニックの際、ぼんやりと感じていたことを思い返している。

あちこちに出掛けて多くの人に出会うと、先ずは相手の顔を眺めながら、その人の人生の遍歴を想像してしまう。

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人間は大抵五十歳を過ぎる頃にゃ、その人の経験とか思考・趣味などと言うものがその顔を作るようになる。

その人が過ごしてきた人生が、彫刻のように顔に映し出される訳で、そういう意味じゃ誰もが歳と共に顔には一定の責任を持たなきゃならない。

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と言って責任の取りようも無いが、顔は自分の人生における象徴的な作品だと思うんだ。

この点、昔(戦前くらいまでかな?)は、もっとはっきりしていた。

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国民の大半が百姓か職人だったから、顔を見れば鍛冶屋か床屋か、或いは百姓か程度の見分けはついた。

勿論武士と町人とでは顔も風体も、そして言葉の使い方すら違っていたんだから言わずもがなである。

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ところが近世に入って国民の大半が押し並べてサラリーマンになったから、顔の出来も随分と曖昧になった。

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もっとも月給取という職業は無いはずで、本当の職業は営業とか経理、研究者・工員・銀行マン・行政マンなどと、それなりの職分に分かれている。

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当然ながら顔の造形に一番大きな影響を与えるのはその職業で、物腰だって決まってくる。

私もサラリーマン生活が長かったが、卒業して10年も経つからそのあくが抜けたかと思うのだが、実はそう簡単でもない。

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やはり長年に亘って染み付いた処世と言うか、あれこれは随分と残っているようである。

ところでこの国のサラリーマンの始まりは、江戸時代に遡るのではないか。

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それまでの刀や槍を振り回す戦闘技術者を、俸禄生活者に変えたのは江戸幕府だ。

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尚且つ、彼らを調教する規範として儒教が持ち込まれ、そいつが今日のサラリーマンにも色濃く受け継がれている。

儒教はそもそも秩序だし、それぞれの秩序の中で私達は自分の顔を創ってきたんだ。

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「それがこの顔かぁ~」と鏡の中の初老(?)の男を眺め、臍をかんでいるのが昨今である。

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