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2016年10月31日 (月)

人間の木地

良くも悪くも、今の自分はどうして出来たのかと考えてみている。

多分人間と言うものは、その幼少期の体験や環境で、その木地の様なベースが出来る。

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それは恐らく小中学校時代までに原型が出来上がって、それが年月と共に、

漆を塗るように幾重にも上塗りされていって、そうして現在の自分になっているんだろう。

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そして、外見上それなりの漆器に見えるのだが、時として地金が顔を出すこともある。

塗りが剥げた訳ではないが、その木地の強弱や素材などの本源的な部分が現れるのだ。

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私の子供時代に関しては、終戦直後の貧乏で生きるのに必死な生活を経験しているし、

子供が親を助けて働くのは当たり前だったし、だから炊事をしたり、土を運んだり、山羊や牛の世話をしたりと忙しく、勉強などした記憶は余り無い。

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それに内気で近所の子供と遊ぶことも少なく、悪餓鬼に苛められることもしばしばだった。

俄然、赤銅鈴之助や鞍馬天狗などのラジオ放送に聞き入って、正義の味方になることを夢想していた。

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格闘家になって苛めっ子をやっつけるイメージもあって・・・そう、力を得たい、強くなりたいって思っていた。

中学二年になって少し物心が付いて俄然勉強をする様になったのも、そんな心の裏返しだったのだと思う。

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思うに自分の木地は、かなり粗雑で壊れ易く出来ている。

その弱さを覚っているから、あれこれと試行錯誤して、今日の見てくれを創って来たのだ。

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ともあれ、馬齢を重ねてみて分かることは、そんな人生の機微の様なものだろうか。

翻って、孫達の世代は何不自由することも無く、伸び伸びと子供時代を過ごしている。

栄養も十分で、木地だって不純物の無い無垢で出来ているだろう。

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それにアニメ全盛の時代で、正義の味方と言えばアンパンマンくらいだろうか。

この時代、スーパーマン的な強烈な正義感は必要ないのだろう。

孫達の未来は、きっ素晴らしいものになると信じたいが、それはやはり緻密な上塗り如何だろう。

漆器の美しさは、やはり幾重にも漆を重ねてこそ生まれる。

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2016年10月30日 (日)

スカイウォーカー

日本一高いとか、日本一長いと言われると、そりゃ行ってみたくなるのが人情だろう。

それで今日は、三島スカイウォーク箱根マラニックである。

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スタートは何時もの三島駅近くの白滝公園で、そこから箱根路を登っていく。

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遥かに石畳みを登り切った辺りに、その大吊橋があって、入り口から大変な人の列である。

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日本一長い大吊橋とは如何なるものかって関心が、連日これだけの人々を呼び込んでいる。

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大吊橋は400m×2で、地上70m程のところを往復するのである。

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瞬間的にどれ程の人が乗っているのか(多分数百人)分からないが、かなり揺れ動いている。

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汗をかいて坂を登ってきたから、このつり橋ですっかり体が冷えてしまって・・・・・

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ともあれ、ここから芦ノ湖の畔(安らぎの森)までバス移動し、今度は芦ノ湖の西岸を走る。

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芦ノ湖の水を裾野市に流している深良水門から湖尻峠をよじ登って御殿場に出るのである。

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深良水門は、芦ノ湖の水を静岡県側に流している唯一の取水口で、湖尻峠の下をトンネルで流し、深良用水になっている。

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事は1666年、富士山の裾野(火山灰)故に水がなく、毎年の様に干ばつで苦しんでいた。

その地に、山向こうの芦ノ湖から水田に水を引こうと考えた男がいた。

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幕府からやっと許可をもらって、三年余の歳月を掛けてトンネルを貫通させ導水させたのである。

江戸初期のことだから、人力で1,300m余のトンネルを掘ったのである。

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それ以来、芦ノ湖の水利権は静岡県に帰属する様になった。

それはさておき、私達は私達は湖尻峠を登り切って、今度は337号をひたすら裾野に下っていく。

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ゴールは時之栖で、昨日からイルミネーション祭りが始まっていた。

都合28k余を走り終わって、ゆっくり風呂に入りやはりビールで乾杯である。

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てもさぁ〜、私達のゴールをイルミネーションで歓迎してくれるなんて、ラッキーだよね。

今日も汗をたっぷりかいて、そして寒く(芦ノ湖の気温7度C)なったりしたが、皆さんのお蔭で充実した一日になったぞなもし。

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2016年10月29日 (土)

秋の一日

この今日という秋の一日も、自分なりに完全燃焼したって感じである。

朝は少し明るくなるのを待ちかねて、昨日残した畝のホウレンソウを播き終えた。

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朝食もそこそこに山に出掛けて、仲間と共に来週の練習会のための走路整備である。

スズメバチを駆除したり、邪魔になる雑草を除去したり、・・・山を歩くのは良い気分だ。

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一転午後は農作業で、玉葱の植床を作り早生を定植、晩成の大根を二畝播いた。

夕日が傾き始めたころ、ピーマンを箱一杯収穫し、その次は今年初めてのホウレンソウの収穫である。

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値段の高いうちに・・・と言う細君の求めに応じて、少し早いのだがニ時間ばかりの作業だ。

而して秋の日は、さほどの事もしないうちに暗くなり、一瀉千里に終わってしまうのである。

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その収穫したてのホウレンソウが食卓に登って、緑の輝きといい、流石に美味だね。

ところでこれからドンドン陽が短くなって、私の一日の行動だって制約される様になる。

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アウトドアの好きな私にとっては、暫しの試練の季節である。

とは言え、これからも毎週のようにマラソン大会があるから、安息なんて有る筈もない。

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そんな秋の日々の過ごし方に、実はけっこう満足しているのである。

半月前に植えた白菜やキャベツも、私同様にこの秋の日を成熟へとひた走っている。

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早朝、畑の彼らを見て回ると、やはり自然の生命力を感じるな。

陽は短いにしても、秋の日が私たちに与える影響力はそれだけ強いんだ。

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秋が深まるにしたがって、日本の四季の醸し出す愁いを心のままに楽しんでいる。

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2016年10月28日 (金)

湯船に浸かって

あちこちのマラソン大会に出掛けて汗をかいて、その後の風呂が如何とも楽しみである。

ウルトラでは70k過ぎた辺りで、完走してから温かな湯船に浸かっている自分を想像しながら走っている。

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何時ものマラニックだって、必ず走後の風呂がセットされていて、それから懇親会になる。

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楽しみなだけでなく疲れた体を湯船に沈めると、すぅ~っとその疲れが発散していくから不思議だ。

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ところが最近、次々と「銭湯」が廃業して、沼津市でも遂に一軒も無くなってしまった。

それで、狩野川べりをランニングする人も多いからと、近くの公園内にシャワースタンドが出来た。

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それはそれで有り難いが、冬季などはシャワーだけで冷えた体が温まるだろうか?

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実は就職したての頃、沼津の下宿に住んでいて、週末に一度、2kほど離れた風呂屋に歩いて通っていた。

それが冬場などは「神田川♪」さながらに、下宿に帰る頃にゃすっかり冷えちゃってね。

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ところで、私は一日の終りには、毎晩必ず風呂に入ることにしている。

それもカラスの行水で儀式みたいなものだが、大切な生活習慣だと思っている。

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ともあれ風呂好きな日本人だが、今日の様な湯船の風呂に入るようになったのは、どうやら江戸時代以降らしい。

それ以前はタライを使うとか、蒸気を浴びるサウナの様なもの(蒸し風呂)だったようだ。

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世界各国を見渡してもシャワーが大勢で、湯船は水の豊富な我が国ならではのことだ。

しかし、日本人が昔から風呂好きだったかどうかとなると疑問だ。

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「養生訓」には、「しばしば浴すべからず。気快しといへども、気へる。」とあって、多浴を戒めている。

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小原節にも「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、♪そぉれで身上つぅぶした♪」と歌うから、要するに贅沢だったんだろう。

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まぁ~、薪で風呂を沸かした一昔前を考えれば、容易に入られる毎日の風呂が、贅沢だとしてもありがたい限りだ。

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2016年10月27日 (木)

人生の道

随分長いこと人生やってきて、人生って結構面白いじゃんって思う様になっている。

思いがけないところに曲がり角があったり、この先何処に行くのかって迷ったり、

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高速道路のように道はなだらかじゃないし、行き先が決まり切って居ないのが良い。

誰に合うのか、何に出っくわすのか、何が起こるのか、予めの予定通りにゃいかない。

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毎日何かに新鮮な驚きがあって、発見があって、心が揺れ動くのが良い。

私は結構本を読むけど、その本の中にも私の知らない世界が一杯ある。

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あちこちのマラソン大会に出掛けて、知らない道を辿るとその町の歴史が見えてくる。

世の中には知らない人ばかりが居て、そんな折に「この人」って人に出会ったりして…。

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円満な人、居丈高な人、捻くれ者、ハグしたくなる人、色々な人が居るけど、

みんな懸命に生きていて、やっぱり人生で一番面白いのは人だろうな。

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そう・・・・、人生の道すがらには、その気になりゃ面白いことが溢れているんだ。

随分生きてきて、そういう面白さがやっと分かる年頃になったと言うことだろうか。

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高村光太郎の「道程」は、彼の若いころの詩だろうか?

 僕の前に道はない  僕の後ろに道は出来る

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 あぁ自然よ  父よ  僕を一人立ちさせた広大な父よ・・・・

この詩のように、この私と言う自分なんて、始めっからあった訳じゃない。

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あっちにぶつかり、そこでこけたりしながら、擦り傷をいっぱい作ってきて今ここに居る。

まだまだ未熟だけど、それでもやっと独り立ちして歩いている自分が、ここに居る。

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人生と言う長い道のりは何処まで続くのか分からないけど、ひたすら歩いていく。

そうだな、人生の道は「時の旅」そのものかも知れない。

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「時は様々な人達と連れ立って、さまざまな足取りで旅をする」シェークスピアの言葉だ。

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2016年10月26日 (水)

選択の結果

やる・やらない、行く・行かない、食べる・食べないなどと、私達は大小無数の選択をしながら生きている。

そして、その諸々の選択の結果が、現在の自分だということは疑う余地も無い。

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作物で言えば播かない種は生えないのであり、誰と結婚したとか、どんな職種・企業に就職したかによっても、人生の軌跡は大きく変わってくる。

因果応報で実に簡単な原理だが、現実には目の前のことに夢中で毎日を過ごしている。

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遠い将来のことなどは、「その時の事さ」と思って進退しているのじゃないか。

だけど「その時の事さ」って選択が、実は将来を決めてしまっていることが多い。

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私も、仮に人生をやり直せるのならあの時・・・・などと、時には思わないでもない。

あの時もっと勉強してたらとか、女を見る目がなかったなぁ~、無駄な買い物したなぁ~などとね。

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そして、自分は立ち止まって考えることをしてこなかったと思う。

糞真面目に真っ直ぐ生きてきたけど、どうせ生きるなら一年や二年寄り道しても良かったかも知れないってね。

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しかしながら、人生は何時もこれからが肝心であって、過去を悔いても始まらない。

誰だって、自分の未来はこれからの選択が決めるんだから・・・。

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とは言え、その選択の幅はどんどん狭まってくるらしく、つい馬齢を考えてしまう。

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先日の金沢マラソンのスタート時、栃木の方と一緒になって年齢の話しになった。

走歴などを語り合った後、彼は私の顔を見ながら安堵した顔で「先輩ですよね」と言った。

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「まだ、この男の年齢までは大丈夫だ」って、彼は自分の未来を計算してたんだろう。

ともあれ、選択肢は限られるとしても、そいつを一つ一つ大事に選び取っていこうと思っている。

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2016年10月25日 (火)

昔のこと

若い頃は誰でも人間ってものを知らないから、辞を低くして辺りを伺いながら自分の居場所を探すものだ。

それは就職先で自分の存在価値を生み出そうとする、新入社員の切なる気持ちだろう。

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私も、先ずは付き合いが大切と考えて、あれこれと随分無駄な努力もしたものである。

最初のツールは囲碁だったが、当時棋院の初段だったから、これは私の軽いステイタスになった。

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しかし囲碁をやるのは一部であって、やがて飲み会やマージャンにも頻繁に行くようになった。

いずれも習慣性のある遊びで、マージャンなどは何時も負けるのに、癖になったものである。

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終業時間が近くなると「行こうか」と誘いがあって、その誘いが断れない。

給料の大半をマージャンに使うなどは愚の骨頂だが、私にもそういう時期があったのである。

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何しろ独り立ちしていない人間にとって孤独は禁物と、組織に認められることばかりを考えていたのである。

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当然ながら、帰宅するのは毎晩11時過ぎと言うことになって、朝は6時過ぎには家を出るから、自宅は唯のねぐらだった。

よほど勤務地に下宿しようかと考え始めた頃、改心と言うか、転機が訪れた。

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それは奇しくも平成2年8月のバブル崩壊で、時代が変わったというか、環境の変化を肌で感じたのである。

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それに40歳を過ぎていたし、自分なりの自立の意識もあって、その時に自分の生活を変えようと決意した。

酒・マージャンは基本的に止め、新たな自分づくりを始めたのである。

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そもそも、生きる為の目的を持たずにエネルギーを消費するなら、酒とマージャンは精力と才能の絶好の消耗方法だろう。

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それを思い切って転換しようと決意し・実行したんだから、この頃の自分を褒めて良いと思っている。

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この点お節介ながら、酒と博打、読むのは週刊誌と漫画というサラリーマンが多いのである。

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どう生きようが勝手だが、人生はゲームや博打ではなく、まして頽廃でもない。

一歩一歩積み上げて、その一歩を楽しむのが人生だろうと思うこの頃である。

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2016年10月24日 (月)

人生の楽しみ

毎日のようにセカセカと動き回っていて、少しのんびりしたらどうかと言われることがある。

確かに春夏秋冬、朝から晩まで、何もしないで過ごしているなんてことは皆無だ。

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だけど正直に言うと、実はのんびりと楽しむ術を知らないのである。

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貧乏百姓の子せがれで、餓鬼の頃から働かされていたからかも知れないが、ジッとしていられない性分のようだ。

それに「人間は死ぬものではなく、自死するものだ」と思っている。

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人間は喫煙とか深酒、過食や運動不足、憎悪や葛藤などの自殺行為で、徐々に自分の寿命を縮めていく。

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そしてそれ以上に、いや最大の自殺行為は自分を「無用の存在」にすることだ。

特に一定の年配になるほど「生存価値」が重要になって、その価値に生かされる。

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だからそいつが無くなったら、生きる意欲が無くなるんじゃないか。

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長寿社会を迎えてサロンなどのコミュニティーが注目されるのも、人と人の関係が価値を生み出すからだ。

私の場合には、それぞれの行動に充実(歓び)を感じていて、行動することが活力になっている。

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例えば、作物を育てるのは確かに大変だけど、日々変化し成長する植物が相手だから、楽しくないはずが無い。

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マラソンにしたって仕事だって、それ自体を楽しむ為にやっている。

だから、次々と自分のやることを創り続けていて、大抵のことは「やってやろう」ってことになって、「止めよう」は僅少なのである。

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スポーツにしろ仕事にしろ「大変だ。疲れた。」などと愚痴る人は、疲れることを楽しまないからであって、人生を損している人だ。

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まぁ~、これは人生観の問題なんだろうな。

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2016年10月23日 (日)

金沢を走る

金沢広しと言えど流石に宿がなく、昨夜はかなり離れた粟津のホテルに泊まった。

ホテルは粟津駅から4kほどの所にあるのだが、便が悪い上にタクシーが少ない。

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やっとホテルに入って今朝のタクシー予約を頼むと、それが車はありませんという返事。

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止む無く、朝食もせずに5:10にホテルを出て駅まで暗い道を歩くことになった。

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粟津から金沢まで電車で40分程だが、早朝は1時間に2本しか便がないのである。

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金沢駅からは兼六園近くのスタート地までシャトルバスに乗るのだが、これも長蛇の列。

金沢城内の公園も早朝から人で溢れていて、スタート前50分には自分のスタート位置にスタンバイしなければならないのだ。

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確かに15,000人をさばくのは容易ではないのだが、それにしても融通が利かないって感じ。

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やがてスタートの号砲が鳴って7分後にやっと列が動き始め、スタート地点には10分後だった。

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だが、その列が進むにつれて驚くのは、沿道の人垣と応援隊の圧倒的な数であった。

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毛槍隊や鼓笛隊、吹奏楽やチァーバンド、などが金沢市を上げて出動している様だ。

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私も随分あちこちの大会を走ってきたが、質と量に於いて金沢市のそれは圧巻であった。

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最初の十数キロは駅周辺部の名所を回り、やがて西の郊外へと展開していく。

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天気も薄曇りの絶好のマラソン日和になって、快調にこの北陸の地を駆け抜けて行く。

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聞けば、もう10日程もすれば、北陸独特の寒さが訪れるんだとか。

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まぁ〜、暫し残り少ない金沢の秋を楽しませて頂いたのだが、その42kは直ぐに終わってしまって、ネット4時間52分でゴールとなった。

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男子出場者10,332人中5,576位だった。

それはともかく、心地よい疲労に包まれて、今は特急しらさぎ62号に乗っている。

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当たり籤に乗せられて遥々やってきた金沢だが、何だか温かな心地が残った。

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多分それは、やはり金沢独特の雰囲気に触れた故だろうか、金沢の人達は人懐っこいしね。

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2016年10月22日 (土)

加賀百万石

今日は、加賀百万石の本拠、金沢に来ている。

明日の金沢マラソンを前にして、金沢の駅は大変な人出である。

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駅前のつつみ門の下には、もてなしメッセ会場が設けられ、受付会場もごった返している。

町の中心部を閉鎖して15,000人もの人が走るんだから、金沢はマラソン祭りである。

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ともあれ受付を済ませてから、加賀の香りを求めて市内見物に出掛けたのである。

金沢と言えば兼六公園だが、入場料を払おうとすると・・65歳以上はタダなんだそうである。

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暫し年代物の赤松と泉を眺めてから、となりの二十一世紀美術館を見物することにした。

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「五感で楽しめる個性的現代アート」と言うことで、それはかなり期待して入館したのである。

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しかして予感は当たったと言うか、表現のしようのないのが21世紀の芸術らしい。

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形あるものは須らく電子的に表現可能だから、摩訶不思議な造形を目指すらしい。

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しかし、20世紀を生きて来た人間とすれば、何が何だか理化いし難いものが芸術だという。

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少しばかり唖然として外に出、全盛期の花街「にし茶屋街に向かった。

加賀藩の侍たちが城下がりに席を設けた花街である。

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どんな人達が集い、どんな会話が交わされたのか・・・・加賀だから、京都の様ではあるまい。

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などと想像しながら、その一角のお茶屋に入って、金粉入りゼンザイを戴いて帰ってきた。

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その茶屋街から東に2k程のところに、長屋福家屋敷跡があって、江戸期そのままの景色が残っている。

しばし江戸の昔の雰囲気に浸ったのだが、それはそれ、侍たちが群れている訳でもない。

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さても、明日はこの名所の界隈を巡って走るのであって、今日はその下見って感じだ。

やはり加賀には歴史の重みと言うか、それなりの落ち着いた雰囲気があって心地よい。

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明日は、折角だからこの空気をたっぷり吸って、快走しようと思っている。

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2016年10月21日 (金)

強歩会

今日は、中学一年生の強歩会に参加して、一日たっぷりと歩かせてもらった。

コースは掛川の日坂宿から磐田の見付宿まで、旧東海道を辿って26k歩くのである。

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日坂宿は金谷からの峠を越えてきた旅人が、ヤレヤレと腰を落ち着けたところで、

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川坂屋をはじめとして本陣や宿場宿など、往時を偲ぶ建物がそのまま保全されている。

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川坂屋を覗けば、山岡鉄舟や西郷従道の足跡があるし、まさに時代を彷彿とさせる。

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そんな宿場のあれこれを観察しながら、事任(ことのまま)八幡宮へと辿る。

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この神社は室町の昔から、願い事はそのまま叶うと言うことで、熱く信仰されている社だ。

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日坂から10k程で掛川城下に入るのだが、例によって入り組んだ七曲りである。

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その迷路を抜けて、やっと掛川城で昼飯となった。

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山内一豊が(家康に明け渡すことで)、土佐一国の城主へと出世のバネになった城である。

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街道に残された松並木は多くはないが、その風景にも秋の情緒が漂って、父兄の皆さんにも助けられ街道を確かめながら歩くのである。

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途中の何箇所かに学校の縁者の、子供達への励ましがあって、「休もう」とか「足が痛い」などと言っていた子も、何時の間にかシャンとしている。

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子供達に聞くと、小学校で2kmの持久走を走ったのが一番長かったとか・・・・・

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そうさ、大きくなりゃあ、もっともっと持久力が必要になるんだ。

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仲間と助け合って26kを歩くってのも、そんなこれからの人生のほんの序の口さ。

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そうだろぅ〜、一人で歩くのは大変だけど、仲間がいりゃあ時の流れは別次元になる。

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ススキやコスモスを横目に、最後は急な磐田原の坂をよじ登って、16時過ぎ学校に到着した。

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大勢の在校生に迎えられたのだが、何と私にまで完歩証が用意されていた。

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歩くってことは、ともすれば走るよりも大変かも知れないが、日頃見えてなかった色々が見えてきて、本当は大事なことなんだよな。

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それにさ、一緒に歩いた仲間のまた異なった個性が見えてくるだろう。

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私も孫の世代と一緒に歩いて、体力とは又別のエネルギーを感じたな。

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2016年10月20日 (木)

後生大事

もうそんなに生きたのかと感心したくなるが、何と69歳の誕生日を迎えようとしている。

人生50年と言われた時代からすれば、既に二十年近くも長生きしたことになる。

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しかるに、この現在の瞬間がずぅっ〜っと永遠に続くかのごとき思いで生きている。

不思議といえば不思議だが、私達は自分が死ぬなんてことを考えずにいられるんだ。

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しかしそれは錯覚と言うべきもので、いつ何時病気やボケ、或いは死に遭遇するかも知れない。

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そう言う年頃になりつつあるってことを、気持ちのどっかにちゃんと持ってないと遺憾だろう。

そういう意味で向後の毎日は、茶道で言う「一期一会」が肝心かと思っている。

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今日のこれが人生の終わりと思って生きろと言うのだが、気持ちはともかく果たしてそんな事が可能なのかどうか?

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少し力を抜いて、後半生は悠々自適で生きたいと言う人もいる。

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世俗から離れて自分のしたいことをして暮らす・・・一種の隠居の思想であろうか。

昨夜の続きを考えているのだが、やはり人間は幾つになっても目標を持つことが大切だ。

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悠々自適だとしても「希望なし 目標なくて 自由あり」なんてんじゃ駄目だろう。

と言うことで、私の場合は目標を持って思う存分に遊ぶことを考えたい。

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勿論、遊ぶったって放蕩する訳じゃなく、人生を思いっ切り楽しむってことである。

作物を育てたり、飛んだり跳ねたりしゃべったり、時には涙を流したって良い。

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とにかく、後生大事に生きてやれと思っている。

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2016年10月19日 (水)

懸命に遊ぼう

団塊の世代が70台入りするのを目前にして、「第二の人生論」に関心が高まっている。

まだまだ先はかなり長いんだし、さぁ~て如何に生きるべきかと言う人が多いんだろう。

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そして異口同音に第二の人生こそ素晴らしい・・・って、カラ元気を鼓舞している。

団塊は数も多いから、周りにも大勢のご同輩がいるのだが、その多くは既に終わっちゃっている。

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つまり、放心状態(?)で、何かに取り組もうとする気力を持っていない様に見える。

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ひょっとすると「自分の人生は終わった」って、心の何処かで思ってるんじゃないか?

それに面白いことに、良く見渡してみるとかつての秀才も美人だった人も、

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私の様な落第生も、見てきた景色はそれぞれ違うはずなのに、同じ広場に佇んでいる。

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息せき切って走ってきたのに、何の事はない、皆横一列に並んじゃってるって感じ。

過去の経歴が意味を持ったのはほんの数年で、それも既に在所じゃロハになって、

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それで(根無し草の様に浮かない顔で)キョロキョロ辺りを伺っている。

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そんな広場にボラや趣味、シルバー仕事や起業などの「第二の人生」が提案されてるって次第だ。

確かに、仮に90歳まで生きるとしたら2~30年もの時間がある訳で、ひたすら最後の日を待って貴重な日時を費やすのは空しい。

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かと言って、手頃な行動対象が見つからずに、惰性の日々が過ぎていくのである。

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私は、後半生を素晴らしいものにするには、先ずは懸命に遊ぶことだと思っている。

何事も(ボラであれ仕事であれ)半端にするんじゃなくって、とにかく一生懸命に遊ぶ。

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そうして楽しむ気持ちがあれば、自ずと気持ちがドンドン若くなっていくからね。

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そんな次第で、毎日「この次は、何をして遊ぼうか?」って、子供の様にワクワクして過ごしている。

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2016年10月18日 (火)

疏水

水田稲作が国の基礎だった時代、農民にとっても地域(領主)にとっても、水は生命線だった。

大きな河川を制御し、水道を拓いて導水し、田を広げることは正に国づくりそのもの。

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だから何処にも疏水(小川)が流れる水辺の景色は、この国の原風景だったのではないか。

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私も餓鬼の頃には、その小川でどじょっこ・ふなっこを捕ったし、ザリガニも釣った。

ところがこの半世紀、都市化の波と耕地整理で、そののどかな疏水はごく稀になってしまった。

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疏水は掘り返されて、三面コンクリートの殺風景な用水と排水になったのである。

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勿論、多様な生き物の生息場所も失われたのだが、

その疏水を逆に復活させたのが、先日マラニックで辿った三島の原兵衛川である。

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水源は楽寿園内の小浜池だが、その湧水も工場に取られて枯れ、都市化とも相俟って川はゴミ棄て場と化していた。

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その醜悪な景色を見かね、元の川を取り戻そうと立ち上がったのが、三島湧水会だった。

企業が汲み上げた水の一部を還流させ、捨てられたゴミを多くのボランティアが拾い集めた。

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この20年にも及ぶその活動が、今日の原兵衛川を疏水公園として甦らせたのである。

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カワセミが訪れ、水面にはミシマバイカモ(水草)がそよぐ清流は、まさに心安らぐ空間になっている。

疏水に置かれた踏み石を辿って川を下ると、何だか子供に帰った様な心地すらして、

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やはり水辺ってものは、私達にとってとっても大切なんだと、改めて思ったりする。

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原兵衛川を1kmほど下ってから、今度は柿田川の始まる湧出池に向かう。

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富士山が湧出させる最大の水源で、その多くが三島・沼津の飲料水に供給されている。

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自然のダイナミックさを感じさせつつも、水辺独特の麗しさがあって訪れるに値する。

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ともあれ今回のマラニックの前半は、疏水を楽しむピクニックなのである。

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2016年10月17日 (月)

平家公達の最後

昨日走った沼津アルプスの一角、小鷲頭山の山頂近くに中将宮がある。

中将とは平清盛の五男平重衡のことで、彼は鎌倉から奈良に送られる途中、この山頂で斬首されたと説明があり、

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その山頂の真下の巨石をくり抜いて中将宮が造られているのである。

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平家の公達の中でも平重衡はスーパースターであって、平氏の軍事面における中心人物だった。

彼は平家の総大将となって各地の反乱を鎮圧するなど大活躍したのだが、一の谷の合戦(1184年)で義経の奇襲によって敢え無く捕虜になり、

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京の町を晒しものにされて回され、盛者必衰のあわれとして都人の注目を集める。

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やがて鎌倉に送られることになって、甲斐を経由して駿河に出、伊豆で頼朝に対面している。

否、たまたま北条に立ち寄っいいた頼朝に、この伊豆で対面したことになっている。

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鎌倉に贈られる途中の甲斐では「おしからぬ 命なれども けふまでを つれなきかいの

しられをも見っ」と詠っている。

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「ことになっている」と書いたのは、平家物語によるとと言うことであって、その後の重衡は、

鎌倉に幽閉されながら、三種の神器の返還と引き換えに和睦を宗盛に勧告したり、

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頼朝の計らいで世話をした千手前と恋に落ちたり、とかく話題の中心であった。

それが壇ノ浦で平家が滅亡すると、情勢は一変し、重衡は京の南都に送り返されることになる。

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東大寺や興福寺を焼き討ちしたとして、重衡は南都からたいへんな恨みをかっていたのである。

それで平家物語では、南都に送られた重衡は木津川べりで斬首され、奈良に首が晒されたことになっている。

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ところが、小鷲頭山の頂には切腹斬首の場があり、その下に宮まで造られている。

尚且つ、その宮が千年近くも営々と営まれているのはどうしたことか?

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平家物語が物語として脚色されたのか、それとも中将重衡は別人なのかである。

或は、平家の最後の公達として、平家物語を語る上で必要な演出(もののあわれ)だったのかも知れない。

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切腹の場の傍らには、ダイモンジソウがひっそりと咲いていた。

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2016年10月16日 (日)

三島・沼津い・い・と・こ

今日は三島の湧水公園をスタートし、原兵衛川を辿って柿田川を経、香貫山から沼津アルプスを縦走するかなりタフなコースである。

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清水の湧き出す湧水公園を13人の仲間と共に、天高く心地良くスタートしたのである。

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三島は水の都と言われる通り、往時に比べ少なくなったとは言え、富士の地下水が豊富に湧出している。

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学生の頃、コンパで酔うと皆で肩を組んで歌った歌が農兵節だった。

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富士の白雪ゃのぉ〜え♪富士のさいさい、白雪ゃ融けて流れて三島に注ぐ♪・・・

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確か十番くらいまで続くのだが、この歌の由来を知って、少しこの地域を見直してしまった。

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伊豆の代官だった江川太郎左衛門は反射炉を建造するなど、先覚者として知られている。

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彼が幕末、この地域で農民を組織して兵隊組織を作った。

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その兵隊達の士気を鼓舞する目的で作られたのが、この農兵節だったのである。

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庶民を募って奇兵隊を組織し、当時の藩内佐幕派を打倒、明治維新への先駆けとなったのは長州の高杉晋作だった。

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その高杉の奇兵隊はまりにも(庶民兵の先駆けとして)有名だが、この地にも先駆けが居たのである。

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武士が特権階級として時代をリードしていた時代であり、海防の為に農民を兵隊にする発想は、革命的なことだったはずである。

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それはともかくマラニックは快調に進み、今回は香貫山、横山、徳倉山、鷲頭山、大平山と縦走してしまった。

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中でも徳倉山へは直登の大変急な登りが続くのだが、それも次第に足に馴染んでいく。

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最初は悲鳴を上げていた足も、何時の間にか諦めてくれるようである。

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沼津アルプスの尾根道から駿河湾を見下ろしながら、秋の一日を堪能したのである。

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やがて狩野川の河口に降り、沼津駅近くのランニングステーションでさっぱりして、

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何時もの様に打ち上げ会に臨んだのである。

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さても変化に富んだ一日で、十二分に楽しませていただいた。(それに、沼津港の寿司も旨かった。)

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2016年10月15日 (土)

古希前夜

曇天続きが一転、今日は随分と久方ぶりの、秋晴れの空になった。

山を走っていて、何だか何時もと違う所を走っているかのような錯覚すら感じていた。

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天候不順の影響でレタスやホウレンソウなど野菜がことさら高騰しているらしい。

生産者としては喜ぶべきだろうが、私の野菜が出荷出来る頃には反動で暴落だろうな。

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まぁ〜そんなことはお構いなしに、今日もセッセと鍬を振るって空き地に野菜を植えている。

ところで、今年も残り二か月と少々になってしまった。

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年初来、あれもこれもと自分なりに精一杯走ってきたから悔いはないが、それでも時の過ぎ去るのは早い。

それに来年は、いよいよ古来稀なりの古希になろうと言う歳なのである。

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今時の実年齢は七掛けと言うから、やっと五十になるのか程の気持ちでいるのだが、

それにしても、随分遠くまで来たもんだ・・・って気持ちは何処かにある。

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徳川家康という男は、この70歳を境に人間が様変わりして、後世に「狸親父」と呼ばれる様になった。

前半生は律義のお手本の様な生き方で、諸大名の信用を糧に権力を築き上げるのだが、

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流石に七十の声を聞いて、老い先長からんと思ったのか、焦り始める。

時に天下の巨城(大阪城)には秀頼がいて、既に二十歳になろうとしていた。

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自分が死ねば豊臣恩顧の大名は大阪になびく、とすれば徳川の天下は砂上の楼閣になる。

それで家康は、大阪(秀頼)を滅ぼすための権謀術数(悪だくみ)の限りを尽くすのである。

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つまり、家康でさえも、その自身の寿命を計算せずにはいられなかったのである。

翻ってこの私は天下人でも何でもなく、幸か不幸か守らねばならない何物も無いのである。Img_7547

ただ只管に作物を育て、天寿を全うすれば良いのである。

とは言え・・・・・五十を出たくらいで、天寿なんて早過ぎるか!

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2016年10月14日 (金)

田螺

刈り取りの終わった稲株から二番が伸びてきて、田圃は一見青田の様にも見える。

背丈は低いのに籾(しいな)が付いていて、植物のけなげな成長力を思わせる。

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その秋風の吹く田を眺めていると、二番稲の茎に赤い一センチほどの塊が巻きついている。

花の様でもあり一体何なのかといぶかしんでいたら、どうやら田螺の卵らしいと教えられた。

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田螺は今では忘れられた存在だが、この瑞穂の国の人々にとっては貴重な食材だった。

子供の頃、稲刈りの終わった田圃には無数の田螺が転がっていて、それを拾い集めて食した記憶がある。

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程なく農薬が使われるようになって姿を消していたのだが、今又復活しているらしいのだ。

民話に「田螺長者」という話があって、子供の無い老夫婦が地蔵さんに子授かりの祈願を続けていた。

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すると不思議にも婆さんに子供が授かったのだが、その生まれた子供は田螺だった。

老夫婦は地蔵様からの授かりだからと、その田螺を大切に育てていた。

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やがてその田螺に馬を操る才能があることが分かって、庄屋の娘と結ばれることになる。

そしてある時、田螺の殻がカラリと割れて、中から見目麗しい青年が現れ長者になった・・って話だ。

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田螺の様に小さな小さな子供だったけど、何処かにキラリと光る才能が隠れていて、

何かのきっかけでその才を研けば、それは長者にだってなれる・・って事を教えているのかな。

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思えば百姓の子倅の私だって、餓鬼のころは田圃の泥にまみれてコロコロ転がっている田螺みたいなもんだった。

その田螺が人並みに世間を知って、長者にこそなれなかったが、こうやって元気に旗振りおじさんをやっている。

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体の大きな子、小さな子、それはそれは10人十色の子供達が私の前を元気に歩いていく。

仮に今は田螺だって、やがて見違えるような大人になるんだろうと思いながら声を掛けている。

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この子供達が長者になる頃にゃ、旗を振っているこの元田螺は、萎びて小さな田螺に戻っているかもしれない。

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2016年10月13日 (木)

エンドルフィン

実は、私自身で「自分は、幸せだなぁ〜」って、日々思いながら生活している。

なに、毎日特別に幸せなことが起こる訳ではないが、何の変哲もないそれが幸せなんだ。

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毎朝大きな声で「お早う。行ってらっしゃい」と何十回も叫んで、作物に「大きくなぁ〜れ」と潅水して、それから仕事に出掛ける。

帰宅すれば再び耕したり播種したり、晩方にはお酒を戴きながら、このブログを書く。

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休日ともなれば、マラニックやランに出掛けて体を動かし、多くの仲間と楽しく語り合う。

そんな単調な毎日だけど、作物はどんどん成長するし、私は少しずつ歳を取っていく。

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人には色々な生き方があるだろうけど、やっぱり幸せに暮らせるってことが肝心だろう。

悩み?・・・勿論生きていれば次々と難題が起こるし、悩ましいことだってあるさ。

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だけどそんなもの、人生のアクセントだって考えりゃいいのさ!!

私達が幸せって感じるときには、脳の中にエンドルフィンってホルモンが充満するらしい。

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脳下垂体が作り出すホルモンで、こいつはランニングの高揚感などで放出されると言う。

ランニングハイってな現象は、正にこのエンドルフィンの成せる業らしいのだ。

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その他にも、悲観的なことを考えない、ゆっくり呼吸する、愛おしい感情をもつ、入浴や笑いなどでも分泌されるらしい。

・・ってことは、毎日私のやっていることであって、エンドルフィンが出て当たり前なのである。

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人生は波乱万丈、何が起こるか分からないが、悲観して俯いていたって一生。

何のその、こんな坂あんな坂って、楽しんで登ったって一生だ。

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逆に人の悪口言って、さんざん悪さして、腐れて生きたって、残念だがそれも一生さ。

どうせならエンドルフィンに覆われて、楽しく進退した方が生きたって感じがする。

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心のときめき、褒められたり笑ったり、きっとあれを成し遂げてやるって気持、それがエンドルフィンそのものさ。

やっぱり、人生は楽しく生きなくっちゃ!!!

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2016年10月12日 (水)

ホモ・ルーデンス

人間は思考する動物だからと言う意味でホモ・サピエンスと名づけられた訳だが、

どうせろくな事を考えるわけでなし、人間のやることは須らく遊びじゃないかってんでホモ・ルーデンスとも呼ぶらしい。

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改めて人類の歴史を遡っても、食うこと以外はおおよそ「遊び」に精力を費やしている。

遊びと言ったってスポーツや芸術ばかりじゃなく、小は喧嘩から大は戦争、探検ごっこから宇宙旅行、狩猟や博打、政治やゲームなどと、その範囲は無限に広がっている。

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今日の「産業」だって、遊びに貢献する器機や装束、装置やソフトが全盛なんじゃないか。

極論すれば全てが遊びであって、時に人間は命を掛けて遊んでいるとも言える。

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例えばスポーツにしても、ほんの暇つぶしにキャッボールなんてんじゃ、そりゃ遊びの口にも入らない。

ゲームならゲーム、釣りであれ狩猟であれ、球技であれ登山であれ、次第に自分の限界を極めていくのが遊びだ。

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それにスポーツなどはやり溜めが出来ないから、こつこつと積み重ねることが必要だ。

私がのべつ走っているのも、規則正しくやらないことにゃ意味が無いからで、そういう意味じゃ麻薬中毒みたいなもんだ。

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つまり、しっかりと遊ぶ(例えば100kを走る)為にゃ、相当に厳格な意志が必要って訳だ。

このブログを書くのだって遊びそのものだが、それなりに懸命に書いている。

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ところで平安時代の歌謡集「梁塵秘抄」に、「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや

生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さえこそ動かるれ」と俗謡がでてくる。

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遊び戯れは生きることそのものであり、子供の遊ぶように夢中で生きたいと歌う。

仕事は人間の中身を作り、遊びは人間の行間を広くするとも言われる。

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それに真剣に遊ぶって事で、やはり人生は面白くなるようだ。

人間は楽しみの為には時には命まで棄てるというが、左様にホモ・ルーデンスなんだなぁ~と思う。

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2016年10月11日 (火)

帰リナン、イザ

やっと吹き始めた秋らしい風に背中を押され、俄かに畑仕事に精を出している。

一本の鍬で耕して畝を作り、白菜やキャベツの苗を植え、大根や人参の種を播く。

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汗ばんだ体を暫し癒す時、フッと陶淵明のあの古詩を呟いてみたりする。

「帰リナン、イザ。 田園マサニ荒レナントス。 ナンゾ帰ラザル。」と少し感傷的になるのだ。

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少し前までの日本人には誰にもそんな感覚があって、都会に出た人々も不況になれば故郷に帰ってきた。

かつての農村には、そんな都市の生活に疲れた人々や政争に敗れた政治家、企業家や復員者などを受け入れる包容力があったのだ。

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或いは時を遡れば、剣豪や戦国の野心家の平時の姿だったのかも知れない。

もとより都落ちに変わりはないのだが、畑を耕しながら精を養い再起を期すのである。

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そして故郷の自然は何の変哲も無いものであったにしても、山川草木ことごとく静かに移り変わっていく。

その自然の営みは遅々としたものだが、それでも耕せばやがて幾ばくかの稔りをもたらし、糊口のみならず心の糧ともなる。

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このもどかしい様な田園での時間の経過が、敗残の人々の心を癒し続けてきたのだと思う。

いやさ、私が再起を期すと言うのではなく、「農」には心を耕す趣があると言うことである。

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もっとも私の場合には再起とは真逆であって、実はその農そのものを楽しんでいるのである。

戦国の覇者の一人、伊達正宗の詩を引用するのは少々不遜だが、正に実感なのである。

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 馬上少年過グ 世平カニシテ 白髪多シ 残躯天の赦ス所 楽シマズシテ是ヲ如何セン

という次第であって、耕さずして是を如何せんとばかり、連日の如く土と格闘している。

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涼風の秋空に急かされる様に白や黄のチョウチョがやってきて、卵を産み落としていくのだが、これも自然の摂理と大目に見ている。

要は、農を楽しむことにあるのだから。

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2016年10月10日 (月)

空き瓶通信

このブログを書いて3,800日余、もう遥か彼方まで来たと言う感慨がある。

モノローグはあくまでモノローグ(独り言)であって、世間の反応など気にせずに書いてきた。

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しかし、延々と書き続けながらも「これは空き瓶通信だ」と思わないこともない。

つまり無人島に漂流した男が、たまたま海岸に流れ着いた空瓶に手紙を入れて海に流す。

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勿論手紙には「俺は、この無人島で生きてるぞ!」って書いてあるのだが・・・・、

空瓶は何処に漂着するのかも、誰に読まれるのか、読まれないのかも知れない。

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仮に読まれたって、そのままで終わるかも知れないし、或は何かが始まるかも知れない。

まぁ〜大抵は、空瓶を空けるまではともかく、さっと眺めて「なぁ〜んだ」で終わる筈である。

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そんな誰が読んでくれるのかも分からないブログを、それでもセッセと書き続けている。

いや正しくは、ほんの数パーセントの読み手の顔は見えていて、時にはその読み手に向かって書いていることもある。

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けれど、アクセスカウンターを動かしている圧倒的多くの方々の顔は見えないままだ。

それでも、私の投じた空き瓶の蓋が、明けられたと言うことが(カウンターで)分かるのである。

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それに毎日のように訪れる方々も多くって、この孤独な書き手の悪戦苦闘を俯瞰している。

所詮何処に住み、何をして生きようが、この人生の航海で直面する事どもは似たり寄ったりだ。

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だから、覚めた目で一人の男の生き様を眺めるのは、少しは意味があるのかも知れない。

そういう意味じゃ空き瓶通信とは違うのだが、ブログの書き手としては無人島の住人って感覚は何時も残っている。

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人はオギャァーと生まれた時から、他人のリアクションを求めてその一生を生きる。

幼くは親の、長じては世間の認知を求めて、頑張ったり或は目立つことを敢えてする。

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それでも認めてくれなきゃグレたり、敢えて人の迷惑を承知で行動するのも、つまりは寂しいからだ。

確かに生きると言うことは寂しいことだが、人生は自律することから全てが始まる。

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2016年10月 9日 (日)

秋の雲

ススキに月の似合う季節になったと言いたいところだが、9月以来曇天ばかりである。

空を見上げて「おぉ〜い、雲よ!」と呼び掛けてみたいと思うのだが、

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秋を感じられるようなスキッとした秋雲を、今だ見るに至らない。

しかし昨日は24節気の「寒露」とか、確かに野草の朝露が冷たく感じられる。

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今年も残すところ2か月と少しだから、曇天に隠されていた季節の移ろいは止めようもない。

その季節の移ろいを急かすかのように、祭り太鼓の音が響いてくる。

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収穫の秋を前にして、地域衆が集って非日常を演出するのが祭りだが、その様子も様変わった。

実は私自身は、あのワイワイと騒ぐ祭りはどうにも馴染めないのである。

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子供の頃の祭りが鎮守の村祭りだったこともあるだろうが、踊らにゃソンソンってな気になれない。

ともあれ、この祭りを境にして一気に晩秋の気配が漂う様になる。

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私のマラニックなどのスケジュールも、俄かに(?)過密になって、当然ながら行く秋を惜しむように楽しもうとしている。

そうそう、改めて考えてみれば、人生そのものもそろそろ晩秋を迎えようとしている。

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この秋を如何に楽しむことが出来るか・・・・そういう意味で、真剣なのである。

おそらく明日辺りからは、スキッとした秋雲が見られるのではないか。

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傍らの窓からも、秋風がそよと吹きこんでくる。

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2016年10月 8日 (土)

本当の生き方

今日は恒例の人生の勉強会で、テーマは第14講「真実の生活」と少々難しい設定である。

私はこれを「本当は、どう生きるべきなのか?」と置き換えて、皆さんの議論に参加した。

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人生は言うならば不思議なもので、その気になれば幾らでも選択肢は広がるのだが、

実はその本気になると言うことの少ない時代に、どうやら私達は生きているようだ。

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それに今日の教育には、英数国社理はあるが、人間如何に生きるべきかなんて科目はない。

少なくとも戦前までは、国の為にと言う事を中心にして偉人伝や人生哲学を教えていた。

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しかし、それが意図的に排斥されて、国家社会に尽くすなんてことは、人生の目的とされなくなったからだ。

結果として、人生の目的が軽薄になった嫌いがあるのではないか。

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その証拠に「あなたの、人生の目的は何ですか?」と問われて、どう答えられるだろうか?

まぁ〜、若い頃は家族のため、仕事のためと答えるのかも知れないが、兎角自分のことで精一杯なのである。

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自分のためとは生活の糧を得るという意味で、ともすれば人生の目的がサラリーマンになることで終わってしまっている。

例えは「私は、先生になる」とは答えられるが、先生になってどう言う教育をしたいかはエンプティなのである。

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かつて高度成長時代には、お互いに一歩でも上の地位を目指す出世競争があった。

ホントは出世して何を為すかが肝心なのだが、何時の間にか地位そのものが目的化していく。

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仮に一定の出世が出来たとして、その梯子段上に安住するだけで終わってしまう人が居る。

代議士になるのが人生の目的で、代議士になって何をするのか中身の無い御仁と同じことだ。

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所詮人間は、自分のために生き、自分一人で死んでゆくのだが、

それでも世のため人のために、何がしかも出来ないで死ぬのは口欲しいではないか。

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本当の生き方というものは、人生に於ける自分の役割を心得て行動することだ。

今日の教育が、こんな大切なことを一顧だにしていない現実を何としようか。

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2016年10月 7日 (金)

人間の値打ち

同じ人間に、価値の多寡などがある筈もないのだが、現実にはそうも言えないようだ。

人間には三種類あって、少しなりとも人の役に立とうとする姿勢を持つ人、

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取り敢えず自分のために専心して生きる人、そして人の迷惑を何とも思わない人種だ。

価値の判断は三つ子でもできる代物だが、当の本人は価値など考えずに生きているから、何とも思っちゃいない。

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そんなこんなの人間がごちゃ混ぜになっているのが、現実の世の中だ。

特に近年はマイナスの価値を持つ人間が増えているのではないか。

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バイク騒音をまき散らす輩、ありったけの悪知恵を駆使する詐欺犯、ゴミの不法投棄、

ストーカー、スパムメールを楽しむ馬鹿な輩・・いずれもれっきとした犯罪者なのである。

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そして圧倒的多数を占めるのは、自分の事にしか目が向かない人間である。

尤も、誰だって自分のために生きているんであって、そのことには十分な値打ちがある。

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だけど人間の価値としては、生まれて生きて死んで・・・・それだけで終わってしまう。

つまり禽獣の生死と、大局に於いてそれ程違わない人生とも言えるのではないか。

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この世に生を受け、たとえ寡少なりとも何程かの(無償の)役に立つことが出来て初めて、

この人間の人生に対して誇りを持ち得るのではなかろうか。

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この週末、祭り太鼓に笛の音があちこちから聞こえてきて、その群れの人々を見てごらん。

少し覚めた目で・・・・・すると、そんな三種類の人種が色分かれて見えてくる。

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みい〜んな、自分だけはと一人よがっているけど、それぞれ品が透けて見えている。

まぁ〜私なぞは、せめて人に迷惑をかけないようにとと心掛けているのだが・・・・。

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色んな人間がいるけれど、それでも人間は面白いと思う様になっている。

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2016年10月 6日 (木)

今時のご馳走

かつて育ち盛りの頃、お祭りや正月・お盆が待ち遠しかった。

たとえ油揚げやハンペンの煮物にしろ、ご馳走が食べられたからだ。Img_7401

それが今じゃ、ゲテ物が珍味になるくらいで、ご馳走と言うものが無くなってしまった。

それに歳とともに少食になったと言うか、宴会料理の揚げ物などはとても喉を通らない。

「今更、大きくなる訳じゃない」と思うから、俄然野菜の方を食べるようになっている。Img_7395

一方スーパーの惣菜コーナーを覗けば、飽食よ進めとばかり食材の数々が溢れている。

尤も我が細君は、時折頼まれて料理教室の講師をするくせに、家では横着が板について

多くが「スーパーの料理を皿に盛っただけ」で・・・まぁ、トレイでなく皿に盛るだけでも評価せんといかんのだが・・・。Img_7339

それに家に食欲旺盛な若者がいないから、調理をする方も熱が入らないんだろう。

ともあれ、私も食に関しては、すっかり団子より花になっているのである。

もとより私達の世代は戦後の食糧難を経験しているから、随分な粗食で大きくなった。

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麦飯は勿論だが、空腹はサツマイモで補って、肉や卵などは稀にしか口に出来なかった。

それも飼っていた鶏を親父が潰して、その殺したての鳥を、それでも美味しく食したのだ。

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小学生の頃には山羊を飼って(その世話は私がした)、そのヤギ乳で栄養を摂った。

まぁサツマイモやカボチャで育ったようなものだから、今でもこの食材は敬遠してしまうが、

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学校給食が始まって、それで息を継いだというか・・・そんな子供時代だった。

もっとも漁港が近かったから、大漁の折には我が家にも魚が回ってきて、そんなこんなで栄養失調にもならずに大きくなったのである。

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ところで、かつては「食い物の恨み」と言ったりしたが、これも今では死語だね。

今時の人達は食べることに切迫感など無いんであって、むしろ食を楽しんでいる。

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或いはグルメを求めるなど、食もレジャーの延長戦に位置しているのかも知れない。

私も美味しいものを求めない訳ではないが、妻の粗食にすっかり馴らされてしまって、

美味しい漬物と味噌汁、それにご飯があれば、それでもう十分である。

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それよりも、明日何をするかと言う方に、より大きな関心が向いている。

それに、季節の移り変わりを愛でることに、食よりもむしろ味わいを感じている。

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2016年10月 5日 (水)

健康遊老人

もう古稀に近いことを考えると、病気もせずに随分順調に歳を取って来たものだと思う。

気持ちは何時まで経ってもジジイにはなれないが、顔の皺とか白髪、老眼は顕著だし、

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菜食指向も進んで、それにあんまり深刻に物事を考えなくなった。

時間が解決することが分かっていると言うか、ジタバタしたってどうにもならんって悟り切っているからだ。

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現役を退いて暫くは戸惑いもあったが、次第に格段に増えた自分の時間が価値を持ちだした。

次に何をして、何処に行って、何を食べて、誰と会ってなどと、無限に新しい世界が広がって行く。

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やっと、人生が自分のものになったと言おうか、自分の時間を自分で裁量できるのである。

誰憚ることなくブログを書いたり、発言もしたり、ストレスも殆どなくなってしまったのではないかとさえ思っている。

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それにしても、60歳を定年とすれば、その後の20年は結構長い時間でもあって、

人はこの20年を楽しむ為に生きるのだとさえ、(私だけではなく)思い始めている。

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楽しむ為には健康でなくてはならず、健康のためには適度な心身の運動も欠かせない。

時には、相当に過激なことだって、心と体の若返りの為には敢えて必要だろう。

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かつて健康優良児ってのがあったが、今日では健康で遊べる年寄りにこそ価値がある。

医療費の公共負担が少なくなるし、幾ばくかは消費支出の増大にもつながるからだ。

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それに矍鑠とした高齢者の増加は、人間関係に於いても世の中を面白くするのではないか。

今日の社会は、余りにも核家族に偏重してしまって、次世代を育てる感覚が薄くなっているからね。

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御託はともかく、健康遊老人たらんと日々精進を重ねている次第だ。

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2016年10月 4日 (火)

山草人小史

小史などと余り使われない表現を使ったが、ペンネーム「山草人」について書こうとしている。

私が山草人を称するようになって、かれこれ二十五年程にもなるだろうか。

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きっかけは当時隔月に発行していた同人誌「農の風景」で、私は同誌に毎号記事を寄せていた。

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始めは組織内に配布する形だったが、運営上幾ばくかの賛助金を戴くようになって、発行の範囲もかなり広がりをみせ、あちこちから反響も届くようになった。

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そんな中で、もとよりボヤッと書く事が出来ない性分だから、かなり歯切れ良い自分なりの主張を書き続けていた。

しかし本名で社会的な主張を続けるには限度もあって、ある時からペンネームを使うことにしたのがその始まりだ。

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週末に山のそま道を走れば、林間には名も知らぬ様々な草が競い合って繁茂している。

それもそれなりの秩序があって、人が入る所には笹ユリやツツジが混じり、林間の明るい所にはウラジロなどのシダ類が生い茂る。

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言うならば雑草の性強さを発揮しているのだが、雑草と言う草は無いのであって、

仮に名も知らぬ草であっても、それはそれそれなりの自己主張をしているのである。

そんな山の草々の(ありのままの)声でも良いのではないか・・ってな気持ちもあって「山草人」をもう一人の自分の名前にしたのだ。

世紀末を迎えた年、それまでの自分の足跡を本にして残そうと製本して配布したのだが、この時もペンネームが役立った。

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やがて2010年に「スローな気分で生きてみたら」を静岡新聞社から自費出版することになって、一時だが「山草人」が本屋に平積みになった。

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定年退職を目前にした頃、このブログを書き始めた訳だが、勿論、山草人は私と一体化していた。

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情報が不特定に公開される今日のネットの世界ではハンドルネームが一般化しているが、私の場合はそんな次第でペンネームなのである。

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ともあれ四半世紀もの間二人三脚で歩んでいると、そこには私であって私でない人格が存在するような気がするから不思議だ。

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それで、山草人にはもっと冒険をさせたいと思っているのだが・・・・。

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2016年10月 3日 (月)

人生の輪郭

自分の人生は凡そこんなものではないか、と莫然ながら思うようになったのは何時頃だったか?

そもそも人生なんて事を思い始めたのは四十を過ぎた辺りだから、結婚して子育ても一段落した頃だろうか。

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親父の背中を見ながら、俺もこんな風な老年を送るのかなとど、親父たちを横目に無意識に思っていたのではないか。

そしてかつての年配者と言うものは、家族の中でもそれなりの威厳があって、幾ばくかの尊敬も得ていた。

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しかし今、時代も変わり、子供達も独立して年寄りだけの暮らしになってみると、ちっとも昔のようではない。

核家族化とサラリーマン化によって、歳とともに(老人らしく)成熟する環境が無くなってしまったのである。

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やはり家族といえども、その観客がいなければ(人生の先達としての)役者は育たないのである。

俄然、未成熟な「熟年者」がひしめく高齢化社会が到来しているのではないか。

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かつて想像していた人生の輪郭と言うものが、ここにきて修正を迫られているようだ。

しかしまぁ、私達は現在しか生きられないのである。

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この点子供達は、日々の瞬間を正に夢中で過ごしながら成長していく。

最近、かなりの頻度で昔の夢を見るようになったが、どうやら歳をとると過去にも生きるようになるらしい?

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過去なんてのは既に過ぎ去ったものだが、それが自動的に再生されるから不思議だ。

望むらくは未来の夢を見たいと思うのだが、未来はまだ存在していないのだから、それは無理な注文である。

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そうして「現在」は流れゆく水のように、忽ちにして過去の中に吸い込まれていく。

だから現在などと言うものは、捕まえようと思っても何処にも存在しないのである。

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在るのは過去と未来の接点だけで、そいつが目の前を通過していくだけのようだ。

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その刹那の連続が自分の人生の輪郭を創り出すんだから、うかうかしてはいられない。

向後の人生の輪郭を探ろうと思いつつ、最近、それはかなり難しいことだと気付き始めている。

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そして、先のことなど考えずに、やはり今を捕まえなきゃならんと心しているのだ。

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2016年10月 2日 (日)

ぐるっと浜名湖

今日は、浜名湖一周マラニックである。

34kから100kまでコースの選択肢があって、今回私が走ったのは60kである。

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浜名湖はその湖岸を縁取るように辿ればおよそ100k、半島部を無視しておおよそ丸く辿れば60k、舘山寺から対岸まで船で渡れば34kである。

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だから午前一時にスタートした100kの部に対し、私達は午前8時のスタートである。

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それぞれの部に100人弱が参加し、自分の実力に応じた走りをするホーミーな大会だ。

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走り始めて気付いたことは、先ずは漁船と釣り人の数が随分多いこと、それに幾分ガスがかかって対岸が霞み、何時もの浜名湖よりも雰囲気を感じたことかな。

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ともあれ15k (舘山寺)付近で愛知県のO田さんとM山さんに合流し、ずっと一緒のランになった。

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お二人は初めての参加で道に不案内と言うこともあり、何とか道案内をしたのだが、

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その道すがら人生の四方山話などをしてしまって、走りの大変さよりも話を聞く苦しさが勝ったかも知れない。

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まぁ〜ともあれ、黙って走るよりも何事かを話しながらの方が、1kが短く感じるのである。

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浜名湖はこの20年来、何十回も走って勝手知ったる道だが、60kにしてもタフなコースだ。

それを楽しいものに変えてくれたのが、嗜好を凝らしたそれぞれのエイドで、全く感謝のしようもないが、これも走る仲間の環のお蔭だね。

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一緒に走る連れがあったこともあって歩くことなく走り、7時間50分でゴールの弁天島に着いた。まぁ、快調と言うべきだろう。

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その淡々と走ることが出来たのはO田さんのお蔭で、これも感謝しなければなるまい。

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M山さんは30k以上のランは初めてと言うことで、やはり30kから先はキツかった様子だが、それでも9時間以内でゴールしたんだから立派である。

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どんなレースでもゴールは感動的で、特に100kの人達の達成感は一際である。

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ところでこの弁天島だが、朝から海岸には人波が一杯で昨年の景色とは様変わりしていた。

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何でも、ポケモンゴーを探して人々が徘徊しているんだとかで、世の中何が起こるか分からないね。

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彼らにとっては、あくせくとゴールしてくる私達は、まったく関心の対象ではないのである。

まぁ・・・人生は、人それぞれだってことか!!

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2016年10月 1日 (土)

人生の価値

現役真っ盛りの頃、職場の先輩達の出世(昇進)競争の幾ばくかが垣間見えることがある。

すると「あの人は、もう終わっちゃったね」などと、飲み屋で噂話をしたものである。

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たかが小さな職場での昇進が数年遅れたくらいで、終わっちゃったも無いものだが、

職域での生活が90数%も占めていた当時は、職場での栄進こそが人生と考えていた。

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あれから二十年も経って、あの若かりし頃を思いだしているのだが、

今だって世間じゃ、役員に成れるかなれないかが分かれ目と、どろどろした競争がある。

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そんなこんなをクールな目で俯瞰しながら、「人生ってなぁ〜、価値は多様だぜッ」って思う。

運が良くって出世競争に勝ち残った者が、定年後も順風かと言うと必ずしもさにあらず。

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息せき切って駆け上がって、定年後数年も経ずに死んじゃった人だっているしね。

これは日本人の悪い癖なのか、世間を知らない子供の頃は喧嘩の強さに価値があった。

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それが中学校くらいから学校の成績がものを言う様になって、職場じゃボジィションだ。

兎角目の前のニンジンに食らい付くのが日本人だが、そういう諸々を通り過ぎて来ると、Img_7479

健康とか交友関係、或は趣味や道楽の方が後生大事になる。

その日一日一日を何に没頭して、何を達成したかってことが大切になるんだ。

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「あれはいけない。これは駄目」なんて組織の制約が少なくなって、自由な行動を手にする。

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ともあれ人間は、その年齢相応に自分の生甲斐(自分なりの人生の価値)を見つけ出して行く。

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そして今、結構狭っ苦しい社会を生きてきたなぁ〜と達観しつつ、これからを考えている。

何だかかなり先までの人生が残っている様な気がして、それをどう生きるかと思案しているのである。

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「終わっちゃった」どころか、私の人生は始まったばかりではないかと思ったりもする。

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