« 空き瓶通信 | トップページ | ホモ・ルーデンス »

2016年10月11日 (火)

帰リナン、イザ

やっと吹き始めた秋らしい風に背中を押され、俄かに畑仕事に精を出している。

一本の鍬で耕して畝を作り、白菜やキャベツの苗を植え、大根や人参の種を播く。

Img_7584

汗ばんだ体を暫し癒す時、フッと陶淵明のあの古詩を呟いてみたりする。

「帰リナン、イザ。 田園マサニ荒レナントス。 ナンゾ帰ラザル。」と少し感傷的になるのだ。

Img_7583

少し前までの日本人には誰にもそんな感覚があって、都会に出た人々も不況になれば故郷に帰ってきた。

かつての農村には、そんな都市の生活に疲れた人々や政争に敗れた政治家、企業家や復員者などを受け入れる包容力があったのだ。

Img_7582

或いは時を遡れば、剣豪や戦国の野心家の平時の姿だったのかも知れない。

もとより都落ちに変わりはないのだが、畑を耕しながら精を養い再起を期すのである。

Img_7581

そして故郷の自然は何の変哲も無いものであったにしても、山川草木ことごとく静かに移り変わっていく。

その自然の営みは遅々としたものだが、それでも耕せばやがて幾ばくかの稔りをもたらし、糊口のみならず心の糧ともなる。

Img_7289

このもどかしい様な田園での時間の経過が、敗残の人々の心を癒し続けてきたのだと思う。

いやさ、私が再起を期すと言うのではなく、「農」には心を耕す趣があると言うことである。

Img_7288

もっとも私の場合には再起とは真逆であって、実はその農そのものを楽しんでいるのである。

戦国の覇者の一人、伊達正宗の詩を引用するのは少々不遜だが、正に実感なのである。

Img_7290

 馬上少年過グ 世平カニシテ 白髪多シ 残躯天の赦ス所 楽シマズシテ是ヲ如何セン

という次第であって、耕さずして是を如何せんとばかり、連日の如く土と格闘している。

Img_7505

涼風の秋空に急かされる様に白や黄のチョウチョがやってきて、卵を産み落としていくのだが、これも自然の摂理と大目に見ている。

要は、農を楽しむことにあるのだから。

|

« 空き瓶通信 | トップページ | ホモ・ルーデンス »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/172740/64330554

この記事へのトラックバック一覧です: 帰リナン、イザ:

« 空き瓶通信 | トップページ | ホモ・ルーデンス »