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2016年10月10日 (月)

空き瓶通信

このブログを書いて3,800日余、もう遥か彼方まで来たと言う感慨がある。

モノローグはあくまでモノローグ(独り言)であって、世間の反応など気にせずに書いてきた。

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しかし、延々と書き続けながらも「これは空き瓶通信だ」と思わないこともない。

つまり無人島に漂流した男が、たまたま海岸に流れ着いた空瓶に手紙を入れて海に流す。

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勿論手紙には「俺は、この無人島で生きてるぞ!」って書いてあるのだが・・・・、

空瓶は何処に漂着するのかも、誰に読まれるのか、読まれないのかも知れない。

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仮に読まれたって、そのままで終わるかも知れないし、或は何かが始まるかも知れない。

まぁ〜大抵は、空瓶を空けるまではともかく、さっと眺めて「なぁ〜んだ」で終わる筈である。

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そんな誰が読んでくれるのかも分からないブログを、それでもセッセと書き続けている。

いや正しくは、ほんの数パーセントの読み手の顔は見えていて、時にはその読み手に向かって書いていることもある。

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けれど、アクセスカウンターを動かしている圧倒的多くの方々の顔は見えないままだ。

それでも、私の投じた空き瓶の蓋が、明けられたと言うことが(カウンターで)分かるのである。

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それに毎日のように訪れる方々も多くって、この孤独な書き手の悪戦苦闘を俯瞰している。

所詮何処に住み、何をして生きようが、この人生の航海で直面する事どもは似たり寄ったりだ。

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だから、覚めた目で一人の男の生き様を眺めるのは、少しは意味があるのかも知れない。

そういう意味じゃ空き瓶通信とは違うのだが、ブログの書き手としては無人島の住人って感覚は何時も残っている。

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人はオギャァーと生まれた時から、他人のリアクションを求めてその一生を生きる。

幼くは親の、長じては世間の認知を求めて、頑張ったり或は目立つことを敢えてする。

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それでも認めてくれなきゃグレたり、敢えて人の迷惑を承知で行動するのも、つまりは寂しいからだ。

確かに生きると言うことは寂しいことだが、人生は自律することから全てが始まる。

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