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2016年10月17日 (月)

平家公達の最後

昨日走った沼津アルプスの一角、小鷲頭山の山頂近くに中将宮がある。

中将とは平清盛の五男平重衡のことで、彼は鎌倉から奈良に送られる途中、この山頂で斬首されたと説明があり、

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その山頂の真下の巨石をくり抜いて中将宮が造られているのである。

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平家の公達の中でも平重衡はスーパースターであって、平氏の軍事面における中心人物だった。

彼は平家の総大将となって各地の反乱を鎮圧するなど大活躍したのだが、一の谷の合戦(1184年)で義経の奇襲によって敢え無く捕虜になり、

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京の町を晒しものにされて回され、盛者必衰のあわれとして都人の注目を集める。

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やがて鎌倉に送られることになって、甲斐を経由して駿河に出、伊豆で頼朝に対面している。

否、たまたま北条に立ち寄っいいた頼朝に、この伊豆で対面したことになっている。

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鎌倉に贈られる途中の甲斐では「おしからぬ 命なれども けふまでを つれなきかいの

しられをも見っ」と詠っている。

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「ことになっている」と書いたのは、平家物語によるとと言うことであって、その後の重衡は、

鎌倉に幽閉されながら、三種の神器の返還と引き換えに和睦を宗盛に勧告したり、

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頼朝の計らいで世話をした千手前と恋に落ちたり、とかく話題の中心であった。

それが壇ノ浦で平家が滅亡すると、情勢は一変し、重衡は京の南都に送り返されることになる。

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東大寺や興福寺を焼き討ちしたとして、重衡は南都からたいへんな恨みをかっていたのである。

それで平家物語では、南都に送られた重衡は木津川べりで斬首され、奈良に首が晒されたことになっている。

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ところが、小鷲頭山の頂には切腹斬首の場があり、その下に宮まで造られている。

尚且つ、その宮が千年近くも営々と営まれているのはどうしたことか?

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平家物語が物語として脚色されたのか、それとも中将重衡は別人なのかである。

或は、平家の最後の公達として、平家物語を語る上で必要な演出(もののあわれ)だったのかも知れない。

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切腹の場の傍らには、ダイモンジソウがひっそりと咲いていた。

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