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2016年11月30日 (水)

秋草の花語るらく

昨夜は「年々歳々花相似たり」と書いたのだが、確かに春夏秋冬約束したように花は咲く。

されどこの晩秋、私達の心を楽しませてくれる花は数少ない。

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それに晩秋の花は、ツワブキやチャの如く心淋しく、少しも華やぐことが無い。

しかるに、皇帝ダリアだけがあだ花のように一人豪華に咲いている。

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過日、一人ガーデンパークを歩きながら、多分もう花咲かせることの無い老成を思っていた。

確かにあの豪華に競い合うようにして咲く春の花こそないけれど、そこには自然の営みの醸す美しさがあるはずだと。

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メタセコイアの紅葉しかりであり、パンパスやススキの穂だってこの季節の花なのだ。

そして彼らは、季節に見合った落ち着きと諦観とを兼ね備えた風格をすらを感じさせる。

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私の勝手な思い込みだが、この枯れ具合とそのほのかな愛嬌が嬉しい。

この点皇帝ダリアは、頑張って咲いているにしても、いかにも時期はずれなのである。

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彼らを眺めながら思うこと、それはいずれキチンとした年寄りにならんとなぁ~ってことだ。

我が身を振り返れば、古稀になろうとするのにやることは依然若者と同じ。

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ウルトラを走り、気持ちは17歳のままであって・・・・まさに皇帝ダリアの如くであろうか。

まぁ~当分は寒さをものともせずに咲き続けるつもりだが、何時かはメタセコイアにならんと思う。

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その時にこそは、自分に似合ったきちんとした年寄りを演じようと思うのである。

「かたはらに秋草の花語るらく ほろびしものはなつかしきかな」(牧水)

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2016年11月29日 (火)

歳々年々

私の葡萄畑はすっかり紅葉し、もう冬の到来を待つばかりである。

それで先日から、新しい品種への植え替え作業に汗を流している。

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ブドウの世界も日進月歩で、これぞと見込んで植えた品種も何時の間にか古びてくる。

それなりに丹精して育てたのに、新人に変わってもらうのも致し方ないのである。

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一旦植えたブドウは、年々歳々花相似たりと、同じようなリズムで実を稔らせる。

だが、この世の流れも人の心も移ろうものであって、彼らの安寧を許さないのである。

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もう今年も明後日からは師走であって、あぁ〜年々歳々だなぁ〜と嘆息する今日この頃だ。

今年も何時もの様にガシガシと恒例の行事をこなしてきて、そしてまたここに居る

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この間に何程の進歩があって、ここに辿り着いたのかと考えると、ただ流されてきただけの様にも思える。

世の中、トランプ大統領が登場することになり、舛添知事が失脚し小池旋風が吹く。

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そう、世の中も、そして世間もしきりに移ろっていくのに、自分だけは依然として同じ所にいる。

人生とはそうしたものだと思いつつ、それでもこの時の流れの速さに戸惑うのである。

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ストレスが人を老化させるというが、私に関しては歳と共にストレスは減る一方で、

これでは老熟など願うべくもないのではないかと思うのだが、それでも人は歳を取る。

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早く植え替えの時期が来れば良いのだが、それはまだまた当分先の様な気がする。

それまでは年々歳々、それなりの花を咲かせ、実を稔らせるべく専心するのが人生だ。

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人がどうあろうと、世の中がどのように変わろうと、私はそうして生きていく。

これからも年々歳々花相似たりであり、歳々年々人同じからずなのである。

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そうして、私は今ここに居る。

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2016年11月28日 (月)

永遠の十七歳

会議などの席に出ると、かつては自分が一番若かったのに、何時の間にか年かさの部類に入っている。

それで何となく尊大な顔を作って訳知りのフリをしているが、これは本来の自分と違う。

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ちょっとくだけた集まりの中にいると、自分が高校生なんじゃないかと思うことがある。

皺が多かろうが白髪があろうと、それは皺や白髪の勝手である。

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自分じゃ禿げ頭や皺ばった顔は見えない訳で、ついつい心は十七歳に戻っていく。

又、純粋無垢のそれが楽しいというか、至極自然なのでもある。

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それに人間は、歳を取ったからって(幾分の分別は兎も角)、特段利口になる訳じゃない。

仮に利口になるのだとしたら、この長寿高齢化の時代、世の中利口だらけのはずだ。

だけど金輪際、この世の中が利口になったなんて話は聞いたことが無い。

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ただ永く生きた分経験だけはあるから、例えば「人間(じんかん)万事塞翁が馬」なんてことも体で知っている。

だからイザとなると、「そりぁ、時間が解決するさ」って、大人の態度が取れるのである。

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それはともかく、今朝は強い北風が吹きつけて、遠く富士山も凍えたような姿をしていた。

それでも子供達は元気なもので、この十七歳のオジサンに「お早う御座います」「今、何分」などと声を掛けていく。

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この瞬間ばかりは、私は子供の友であって大人の友ではないのである。

ともあれ、世間知らずでも素直で闊達な17歳頃の心は、多分私達の心の古里だと思う。

思ったことを真っ直ぐに語り、仲間と群れたりはぐれたり、そして懸命に汗をかく。

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悪戯な分別など無用であって、そんな永遠の十七歳であれかしと思うのである。

とは言いながら十七歳はもう孫の歳でもあって、あぁ~昭和は遠くなりにけりである。

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2016年11月27日 (日)

雪の思い出

今年の初雪は随分早かったが、この遠州で雪が積もるなんてことはめったに無い。

それでも富士山はしっかりと雪化粧し、オッ冬が近いぞって気分にさせてくれる。

先日、一足早く福島の氷玉峠で雪に遭遇し、戯れに雪を投げ合う真似事まで体験した。

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勿論とっても寒くって早く峠を下りたかったのだが、落葉の敷き詰められた中の雪はおつで、

俄かには立ち去り難かったのである。

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雪深い福島の皆さんには申し訳ないが、遠州では雪は数十年に一度の珍事だ。

その雪の記憶は、私の成人式の日(50年前)まで遡らねばならない。

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その日は前日にクラブの合宿か何かで静岡に泊まって、成人式の為に朝帰りした。

成人式の内容はすっかり忘れたが、辺り一面の銀世界のキラキラを今でも覚えている。

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その雪が、人生初めての体験でもあり、

何だか自分の未来を祝福しているようにも感じられて、とても印象的だったのだ。

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以来、雪(殊に初雪)には新鮮な若さを感じるのである。

そう、小春日和の空に咲く白玉の花のように。

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外は瀟湘と雨が降っていて、何だか今年はこの地域でも雪が降り(積もり)そうな気がする。

初雪に因んだ七言絶句を探すと、林羅山の『初雪』と題する句があった。

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 非霜非露乱如綿 (霜にあらずして露にらず 乱れて綿の如し)

 淡白軽飛欲浥煙 (淡く白く軽やかに飛んで あたりの霧を湿らせる)

 菊後無花誰解道 (菊の後花無しとは 誰が言ったのか)

 玉英先発小春天 (白玉のごとき花が 小春日和の空に舞って)

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2016年11月26日 (土)

最早(もぅ〜はや)

月日の流れに逆らっている訳でも、日向ぼっ子をして迎合している訳でもない。

しかし月日は、行く河の水の様にとおとおとして流れ、最早来週は師走である。

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そして今日は、私達小笠山RCの恒例(かれこれ20年も続く)の忘年会なんである。

毎週末小笠山に集まって中山の中を走り、時にあちこちに遠征してきた仲間の忘年会だ。

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当然ながらみんなそれだけ歳を取ったのだが、一緒に年を経てきたからこの仲間といる限り年齢を感じることは無い。

走力が落ちて食べるものも若者の様でないとしても、話すことは4〜50代のままだ。

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年中顔を合わせている訳だが、腰を据えての飲み会はこの忘年会だけで、

今年もこの御前崎の民宿に集って、とても食べきれぬ程のご馳走を前に人生を語る。

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もっとも忘年会の前段があって、風呂上がりに仲間の造った地ビールを飲む。

これがまた、酵母が生きたままの作りたてビールだから、ついつい飲んで出来上がってしまうのだ。

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しかしてこの時期の夜は長く、そして飲むものが泣くなるまで延々として会は続くのである。

それはともかく、この一年間随分いろいろとやってきたのだが、それらがギュッと詰まって、

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特急電車で過ぎ去って行ったって感じの一年だった。

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充実の一年と言えばそれだけだが、とにかく西に東に走り回っているうちに一年が経った。

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そして「何時まで、付き合いが出来るだろうか」って、チラッとは思う年頃にもなっている。

楽しんで走るランに定年など無いのだが、それでもやはり走る力は維持したい。

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そんなことを考えながらの忘年会である。

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2016年11月25日 (金)

人生は座興?

私達は幾つになったって、何がしかの楽しいことや満足感を求めて生きている。

たとえそれが、季節の変わり目の日差しの変化や、旅先で買った干物の味だって良い。

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本を読んだり、どこかに出かけたり、スポーツしたりグルメに関心を持ったりするのも、

そこで躍動的で高揚感のある何かに、出会えると期待するからだろう。

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私も随分と生きてきて、一般的には(孫に爺じと呼ばれる)年寄りになりつつある。

陰毛にも白髪が増えたし、油物が余り食べられなくなったし、睡眠も浅くなったようだ。

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そんな訳で、走力の劣化もさることながら、私にも老化の兆しが無い訳じゃない。

だからこの先のドラマが何処まで続くかは兎も角、向後の人生を少しは面白くしたいと思う。

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現役時代を振り返ってみても、自分では結構クソ真面目に生きちゃったと反省している。

その40年近い勤め人生活は私の人生の大部分だから、すべきことは全てやったと思いつつ、

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その一方で、何だか物足りない様な気持ちが残ったのは事実だ。

しかして、浦島太郎のように人間は誰しも歳をとる。

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竜宮城に出かけて快楽の日々を送った訳でもないのに、私も歳だけはとった。

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そして思ったことは、玉手箱を抱えて浜辺に一人佇んでいても詮無い、だからこの先は俺の人生をやろうって事だった。

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それでこの十年近く、あれこれと試行錯誤しつつ一生懸命に遊んでいる。

今出来ることをやっておかないと、いずれ玉手箱の煙が浸み込んで来るだろうから・・。

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それに今更「人生の意味」などと考えても、答えなど出ようもないだろうし、

自分なりの「人生の味わい」を探そうと、あちこちを走り回って遊んでいる次第だ。

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平安時代の今様で「遊びせんとや、生まれけむ」と詠われたように、年寄りこそは思いっ切り羽ばたくべきだ。

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そうして、自分らしい演技が出来れば帳尻は合うはずで、それで人生は完結する。

そうさなぁ~よくよく考えてみれば、人生なんて所詮は座興に過ぎないのかも知れないしね。

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心置きなく戯れせんとやと思い続けている。

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2016年11月24日 (木)

時代の悪戯

会津の地図を眺めながら、たかだか150年前の出来事を思っている。

思えば、歴史の大きな流れと言うものは誠に冷酷なもので、

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そこに生きる人々の思惑など関係無く、言わば大津波のように全てを押し流してしまう。

幕末から明治初期にかけては、殊にこの地域をその時代の悪戯とも言うべき大津波が襲ったのである。

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江戸時代には全国に宿駅制度が設けられていて、街道ごとに宿場が栄えていた。

参勤交代や街道を行き来する旅人を、その宿場の本陣やら旅篭、伝馬役や飛脚などが世話したのである。

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その三百年の歴史も、明治維新を契機に一気に滅び去って、本陣の宿場役人も飛脚も無用になった。

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大内宿に入って思いだしたのは、藤村の「木曽路はすべて山の中である。」で書き始める小説「夜明け前」であった。

藤村は、木曽は馬篭の本陣の家に生まれたのだが、仮に宿駅制が続いていたら、宿役人として人生を終えていたかもしれない。

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しかし、ペリー来航以降の時代の波が木曽の山奥にも押し寄せ、全く異なった歩みをすることになる。Dscn0174

「夜明け前」の筋書きはともかく、この大内宿の変化は戊辰戦争の兵火と共にやってきた。

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下野街道は会津盆地に入る幹線だから、同然ながらこの街道沿いに攻め入ってくる。

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これに対して会津側は、街道沿いの村々を焼き払い、陣を構えて西軍を迎え撃ったのである。

そして街道のあちこちには、当時の戦いで無くなった有名無名の兵士の塚が残っている。

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果たしてこの街道沿いに住み暮らしていた人々は、その過酷な事態にどう対処したんだろうか。

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冷たい風に向かって街道を駆け下りながら、・・・・そんなことを考えていたのである。

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会津盆地に入ると、この広がりの中でどう戦争が繰り広げられたのかと心配になる。

それでも鶴ヶ城の4kほど北側には西軍砲陣跡が残り、飯盛山には白虎隊士の墓の他、

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会津藩士の集合墓が数多く残されている。

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思えば、幕末における会津藩の存在は、朝廷の守護者として京都の治安を守る立役者だった。

それが一旦政変が成るや朝敵として追われ、攻撃の的にされたのだから歴史は皮肉だ。

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しかも、それはたった150年前の出来事に過ぎないのだ。

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2016年11月23日 (水)

会津は霙て

湯之上温泉の宿は民宿「いなりや」さんで、会津弁の女将さんの言葉が2割程わからない。

だがその掛け流し湯は温まるし、殊に晩飯が驚く程盛りだくさん出てきて食べおおせない。

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その満腹の腹を摩りながら、今度は炉端で2時間近い作戦会議兼雑談となった。

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明日の天気を機にしながらの就寝だったが、果たして今朝は小雨がぱらついていた。

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それでも8:00には予定通り宿を出発して、街道を大内宿に向かった。

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大内宿までは6k程だが、全てが急な登りになっていて、ひたすら歩くのみになった。

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次第に標高が高くなるにしたがって、何時の間にか落ちてくるものは白い雪になっていた。

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凍てついて言う事を聞かなくなった指先を摩る頃に、ようやくにして私達は大内宿に入った。

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目を見張るようなと言おうか、そこには正に江戸の昔にタイムスリップしたかのような風景が広がっていた。

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明治になって湯之上温泉から山道を避けてバイパスが造られ、一時大内は忘れられた存在になった。

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結果として昔の景観がそのまま残され、往時そのままが保全されたらしい。

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暫しその宿場を楽しんだのだが、何せ寒さが昂じて、更にこれから峠を越えねばならない。

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宿場を北に進むと下野街道は大内ダム湖によって中断され、これを迂回して大内峠に向かう。

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峠道に入ると落葉が厚く道を覆い、その上に雪が積もり始めていた。

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こんな山道を通ったのかと感慨を深くしながら辿ると、戊辰戦争の戦跡績やら茶屋跡が現れ、

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この山中を伊達政宗や欧州仕置きのために豊臣秀吉が巡行したらしいのである。

それはともかく、峠には標高の高いこともあって氷風が吹きつけてくる。

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それに回りの木々は須らく葉を落とし、もうこの奥会津は冬に突入しようとしているようだ。

旧街道の跡を確認しつつ、一刻も早く山を下りようと道を急いだのである。

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栃の木宿辺りまで来ると、幾分氷風は和らいだが、それでもあたりに冬の空気である。

それでも消防小屋に風下に入り、少し遅い昼食を済ませた。

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ここから会津若松までは、残り15k位となって、遠くに街並みが見えると俄然元気になった。

そして14:30、感激と共に、やっと待ちに待った鶴ヶ城を前にしたのである。

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戊辰戦争でも焼けずに残ったのだが、現在の天守閣は昭和40年に建築されたものだ。

白虎隊の悲劇などを思いながら城を一巡し、若松駅近くの富士が湯に移動。

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このスーパーセントーで、しっかりと体を温めたのは言うまでもない。

少しタフな35kだったが、大内宿をはじめ見どころは多く、それにこれが紅葉の時期なら、

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遠州のそれと違って、全山の紅葉が続く訳で、正に圧巻ではないかと思われた。

ともあれ、特急やまびこの車中にて、ほろ酔い加減でブログを書いている。

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2016年11月22日 (火)

下野(しもつけ)街道へ

今日は下野街道マラニックの下見のために、会津に来ている。

とは言いながら、早朝の地震の震源地にも近く、電車のダイヤが大幅に乱れ、

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それに乗り次に次ぐ乗り継ぎで、(今回の予定した路線が悪かったこともあり)車中8時間余、

スタート地点に予定していた会津田島に到着したのが、なんと14時半近くになっていた。

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それでコースを短縮して養鱒公園駅から走り始め、ゴール予定地の湯野上温泉に着いたのは晩方になってしまった。

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下野街道とは、栃木県の今市から山王峠、中山峠、大内峠を越えて会津若松に抜ける旧街道だ。

会津と江戸を結ぶかつての幹線で、会津・庄内・米沢藩などが参勤交代に往来した道である。

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それに幕末には、吉田松陰が東北地方見聞の旅の帰路、この街道を辿っている。

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ともあれ今回の企画は、その会津田島から大内宿を経由して会津若松までの55k余を、

二日間で楽しむために、何處をどの様に走ったが良かろうかの見分なのだ。

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田島駅では栃木在住のAさんが待ちくたびれた顔で待っていて下さって、合流。

養鱒公園駅に降りると、空気は幾分ヒンヤリとして、地震の被害らしいものは見られない。

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雪の深い所らしく民家の屋根はトタンぶきで、屋根の最上部に独特の尖がり(空気抜き?)がある。

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所々に刈ったカヤが稲村のように立ててあって、やはりこの地の風土らしきものを感じる。

8k程走ると阿賀川沿いに「塔のへつり」があって、自然が何万年も要して造りあげた絶景だ。

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鬼怒川の景色の巨大なものと考えればいいだろうか。

この「へつり」の字は、山を弓のように削ると書くのだから、まさに表意文字だ。

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このへつりでウロウロしているうちに暗くなってきて、その暗い中を温泉に向かって2〜3k走るのだが、

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これが寒くなってきて中々辛いのだが、闇の中に湯之上温泉の明かりがポッと見えてきて、

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やはり、ほっこりとうれしく、民宿「いなりや」に入ったのが17時ジャストだった。

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源泉かけ流しの湯にゆっくりと浸かって、十数キロになったが車中の疲れ共々を流したのである。

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2016年11月21日 (月)

ちょっと弱気

今朝は仕事に出かける前に、ホウレンソウの種を播いていた。

少しでも時間に余裕があれば、何かせずにはいられないって感覚があるのだ。

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時にそれは、キャベツに着いた青虫取りだったり、畑の雑草駆除であったりもする。

実はこのところ、相次いで同年配者の「思わぬ不幸」を耳にした。

一人は中学の同級生で、シルバー人材の一員として庭の手入れをしていて、脚立が倒れ、後頭部を打って亡くなったと言う。

そこまでの寿命だったとすれば、ピンピンコロリで見事な死に方だが、いかにも若すぎる。Dscn0122

又一人も同級だが、孫が腹の上に乗った拍子に肋骨にヒビが入ったと、嘆いていた。

ややもすると、意外に脆いのが年齢を重ねたものの宿命らしく、これも切ない。

更に70歳そこそこで高速道路を逆走した男がいて、認知と診断され家族が頭を抱えている。

体は強健で本人にまったく自覚が無いから、事はやっかいなのである。

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いずれにしても人間の心体は、馬齢を重ねるとともに錆びたり、ネジが緩んだりする。

ともあれ、私の歳を重ねることの認識は、人生経験を積んで滅多に動じなくなること。

世の中の厄介やら面倒、はたまた難儀な出来事への免疫を獲得していく過程ではないのかと思ってきた。

諸々の出来事も笑い飛ばしたりして、兎に角うろたえることなく対処できるのが高齢者像だ。

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しかしながら、その裏側には自身の滅びへの予感だって静かに隠れているだろう。

老いると言う事は、心身ともに弱者になることらしく、時に時流から取り残され、未来も狭まっていく側面でもある。

いつも強気の私だが、そんな周りの声を聞くと、時には弱気にもなるのである。

セカセカと動き回っているのも心の衰えかも知れないし、それに当たり前だが、人間は最終的には一人(棺おけの定員)であって、

やがては日一日と孤独になるのが宿命なのかも知れない。

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2016年11月20日 (日)

大国の変容

21世紀は、ひょっとしたら大国割拠の時代になるのではないか?

ドナルド・トランプ氏の登場は、そんな20世紀初頭を連想させるものがあった。

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戦後の日本は、鬼畜米英から一転して、すべからく米国にならへ方式でやってきた。

現実に車やスーパーにしても、コンビニや数多の音楽も、数年から数か月のタームでこの日本のものになった。

米国をよぉ〜く観察していて、逸早くその流行を取り入れたものが、何時も勝利を納めていた。

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その米国が変調をきたし始めたのは何時の頃だろうか…確かに変わってきた。

その最たるものは金権主義で、リーマンショックはその典型だが、基本的には変わっていない。

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金が全ての国であって、ほんの数パーセントの人々が国の富の大部分を握っている。

貧富の差は当然のことであって、そこに雑多な民族が関わるのである。

それに過剰なまでの人権意識は、どこから派生するのかと不思議なくらいで、

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ゴネ得がまかり通っていて、日本のメーカーも(トヨタのブレーキ)かなり痛めつけられている。

その余波は日本にも押し寄せていて、須らく自己責任のはずが他者に責任を押し付ける風潮だ。

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それにトランプ氏の動向の最たるものに、自国主義があって、地球温暖化にしても通商貿易にしても、大国が勝手なことを言いだしたら、正にそれは20世紀初頭だ。

中国やロシア、それに英国も加わって、自国中心主義に邁進しようとしているようだ。

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さてもこの日本、グローバルな世界にこそ活路を見出そうとしてきたのだが、はてどうする。

しかしてトランプ氏の登場で株価こそ上がったが、その先の在り様はようとして知れない。

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2016年11月19日 (土)

変わりよう

平成も28年が残り少しとなって、思えば昭和も随分と遠くなったものである。

それで毎朝街頭に立って子供達の顔を見ながら、フッと気付いたことがある。

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子供達の足がスラァッと細長くなって、その分頭が小さく、みんな同じような顔をしていることだ。

言うまでもなく私が子供の頃は、寸胴で顔だって角ばったのやら食い付かれそうな顔、

泣き出しそうな顔、怒り顔などとあって、あんまり均整の取れた顔は少なかったように思う。

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そりが今じゃ、全体としてスマートな顔、甘い顔がずらりと並んでいる。

みんなお利口さんの顔になって、餓鬼大将なんて顔は絶滅危惧種になったようだ。

勿論、二本の青洟やピカピカの袖、ヒビもアカギリも絶滅である。そして、

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個人主義が行き渡って個性が尊重される筈なのに、その個性が顔に現れてないのである。

この大きな変化は栄養状態の変化を映すものだが、どうやらそれだけじゃ無さそうである。

本当の理由は使わなくなったからで、昭和の世代よりも退化したのだと思う。

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スラッとした足は歩くことや労働が減ったからで?、頭もあんまり使わなくなってスマートに?

真偽のほどはともかく、まぁ〜一般的に使わないものは退化するのである。

ともあれ、子供たちと同様に大きく変わったのが野菜で、これも個性が激減している。

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昔の野菜は長いのや短いの、アクの強ょ〜いの、キューりだって揃っちゃいなかった。

それが今じゃ、大きさも形もみんなキチッ〜と揃って、スーパーの棚に並んでいる。

個性とか不揃いは、この世界では尊重されないのである。

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だからこの数十年、如何に個性を無くすかってのが育種の眼目で、而してみんな同じになった。

私の作っているホウレンソウにしても、昔はあく(蓚酸)があって虫なんて食わなかったが、

今じゃ少し油断すると穴だらけになって、とても売り物にゃならなくなる。

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サラダ用のホウレンソウもあって、既に蓚酸なんてのも神話になりつつあるのではないか。

個性が強調されればされるほど、実際には個性が失われていくのはどうした訳か。

人間も野菜も、あまり個性的だと使い勝手が悪いんだよね。多分!!

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2016年11月18日 (金)

大自然の神

91歳になる私の母親は、毎朝仏壇の前で般若心経を唱えるのを日課にしている。

しかしてその息子は、墓参りはおろか線香の一本も供えない不信心者である。

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否、無信心と言う訳ではなく、特定の対象を殊更信心する必要は無いと考えている。

だから神社仏閣を訪れてもそれ程熱心に祈ることも無く、一種の儀礼の範疇に留まっている。

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本来宗教は空気や水の様な存在であるべきで、宗教に傾倒しすぎると必ず悲劇が起る。

中世の宗教戦争はもとより、中東の宗派対立などは、正に悪魔の仕業になっているだろう。

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既存の宗教そのものに関心はないが、この大自然と言うか、お天道様には感謝している。

先日のスーパームーンは、一日遅れた宵の口、暫らくその美しさと神々しさに打たれていた。

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科学技術の進歩で何物も解明されたかのようで、俄然宗教心は薄くなってきたが、

現実にこの大自然の在り様には、我々人間を超えた何物かの存在を思わせる。

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そもそも地球上の人間の存在だって奇蹟の塊だから、

この自分の存在に至っては、自然の生み出した偶然そのものだろう。

それに生まれてこの方、病気をしたり事故にあいそうになったり、いく度かの幸運にだって巡り合った。

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だからお天道様に、こうして健康で日々生活できることを感謝するのである。

さても宗教心の希薄な私だが、自分をこそ信じるべきだと考えている。

お天道様のお陰で生かされている命であって、これを目一杯活かして使うべきだろう。

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くよくよしたり妬んだり、人の迷惑を顧みない生き方をしたんじゃお天道様に申し訳ない。

而して、毎日のように西へ東へと走り回っているという次第である。

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まぁ、頭と体がヒマな奴に限ってロクな事を考えないらしいから、それで良かろうと思っている。

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2016年11月17日 (木)

生の実感

あなたにとって、「今、生きている」って感じられるのは、どんな時だろうか?

昔の人達は、肉体労働ばかりで寿命も短かったけど、折々に「飯が、美味いなぁ〜」とか、

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「今日は、ここまで出来た」などと、体で生きることを実感していたんじゃないかと思う。

その延長上に、四国八十八カ所のお遍路旅や、お伊勢詣、富士講などがあったのだろう。

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しかしながら、現代人はたいていが「生の実感」を感じないまま生きている。

人間関係だって、友人にしても同僚でも、はたまた親子ですら、他人行儀に生きている。

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日々の生活だって、文明のおかげとは言え、暑い寒いもまともには感じなくて済んでいる。

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その結果が、少子化だの自殺の増加だのに繋がっているのだが、生きるってのはそんなに安直なものかどうか。

実は先日、スペイン巡礼の旅に行かないかと誘われたのだが、フランスとの国境ピレネーを越えて、スペインを横断して大西洋まで歩くのである。

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それに前後して、北海道の宗谷から鹿児島の佐田岬までの走り旅に行かないかとも誘われた。

いずれも自分の存在を試すような試みであって、それをやれば何が得られるのかと言っても、

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それは、「生きることの実感」とでも答える他ないだろう。

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いずれも数か月を要する訳で、このチャレンジは当分物理的に無理だろう。

しかし、巡礼の旅は無理にしても、私のウルトラマラソンの遍歴も生の実感の旅なのである。

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スタート前の幾分の緊張感と覚悟、距離が進めば体力の損耗と足腰の痛みとの格闘、

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汗をかき涙を流し、前後する仲間と笑い合い、遥か彼方のゴールをひたすら目指すんだ。

その十数時間の間、何を考えてるかって・・・そりゃ、何にも考えてやしない。

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強いて言うなら、「俺は、今、ここで、生きてるんだ」って実感だけは確かにある。

そしてレースが終われば、また普通の生活に戻っていく。

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而して人生の日々も、実感を伴うものであれかしと試行錯誤している。

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2016年11月16日 (水)

ついつい本音

かって「貧乏人は、麦飯を食え」と発言して物議をかもした総理大臣がいた。

我が家も3割位は麦を入れていた頃で、まだ麦の方が安かった時代だから、それ自体は至極当然のことを言ったのである。

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つい最近「冗談を言ったら、首になりそうになった」と本音を喋って、国会を2日ばかり空転させた大臣もいる。

そう、政治の世界はもとより下々でも、うっかり「冗談」を言えない時代なのである。

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ところが、某国の次期大統領は、タブーとも言える本音を次々と言い放った。

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それは宗教や人種、性別や外交など多岐に渡るが、強烈なリアクションがあった反面、

むしろ、その暴言とも思える本音が結果的に支持を集めたようだ。

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心の中で思っていても口にしないのが大人の心得だし、この社会を融和的にする知恵でもある。

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だが、テロやら不法移民による失業やら、何時の間にかそれが鬱屈感に繋がっていた。

そんな諸々を躊躇することなく公言する男を、あの国の人々は大統領に選んだのである。

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選挙民は、彼ならば慣行やタブーに果敢に挑戦するだろうと考えたのだ。

確かに「個人主義」が当たり前になって、私達の周りにも???と思うことが多くなった。

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例えば、「結婚して、子供を産もう」などと言っただけで、差別だと騒ぐ人達がいる。

言葉だってよほど注意しないと・・・例えば「バカ」なんて気楽にゃ言えないんだ。

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馬鹿とは、中国の故事(鹿を馬と言いはる)に由来するのだが、ごく普通の言葉のはずだ。

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諺にだって、「火事場の馬鹿力」とか「馬鹿と鋏は使いよう」などとあるし、時にはプラス評価でもある。

現実に私などは明らかにランニング馬鹿であって、何を言われようと「バカ言ってんじゃないよ♪」と鼻であしらっている。

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ともあれ、多くの人が漠然と感じていることをズバリと言える事が大切なんじゃないか。

エゴでないズバリが、この社会を全うで健全な方向に導くんじゃなかろうか。

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しかして言葉尻をとらえ、無駄な揚げ足取りばかりしているマスコミや政党も、如何なものだろうと思う。

物言えば唇寒し・・・なんてのは、戦前までで懲り懲りしたんじゃなかった?!

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2016年11月15日 (火)

相応の自覚?

日一日と日長が短くなり、私のブドウ達もカサコソと葉を落とし始めている。

多くの植物が冬ごもりに入ろうとする一方で、キャベツや白菜・レタスなどは今が成長期だ。

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自然界の諸々は、ごく自然にその季節なり、寿命なりを受け止めてしなやかに生きている。

しかしながら、団塊の世代を始めとした『老人』達はどうであろうか。

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来年からこの大量な人達が古希に突入していくんだから、この国も一気に老人大国になる。

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とは言え老人とは言っても、独り浜辺に佇む浦島太郎のイメージとは、どうも違うようだ。

現実に、当の私はとっくに老年期に位置している筈なんだが、その自覚は全く無い。

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昔の老人の様な貫禄も無いし、人間としての深みだってない。

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成程と年輪を感じさせることも出来ないし、今だ現役であって、枯淡の境地には程遠い。

やる事はと言えば、100kマラソンだの登山だの、はたまたバイクなどの過酷なスポーツだ。

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先日も伊豆の帰りに、勇ましい20台程のバイクの群れに出っくわしたのだが、

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たまたまサービスエリアでヘルメットを脱いだ彼らの顔を見ると、なんと皆60代と思しきオジンライダーだった。

事ほど左様に、どうやら今時の老年は、昔のそれとは全く別物になりそうだ。

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かつての老人は、体力や金銭面での弱者だったし、世間から引退させられる寂しさもあった。

だけど今じゃ、核家族化で爺婆やらしちゃくれないし、体力はメカでカバーできる。Dscn0084

年金と貯蓄でむしろ若年世代よりもリッチだし、何にもネガティブな面はありゃしない。

而して命ある限り、この世界狭しと羽ばたこうとしているのが団塊の世代だろう。

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いやなに、若作りしようなんてケチな根性じゃなく、残りの人生を謳歌しようって心意気だ。

畢竟、かなりスマートな歳の取り方だと思うのだが、如何だろうか。

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年寄りだなんて自覚は無用の骨頂、新しい老人の時代がやってきたんだ。

そこに引っ込んで燻っているアナタ、大手を振って外に出ましょうや!!

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2016年11月14日 (月)

老愁

南伊豆から帰って、改めて町の観光地図を見ながら、「あぁ、良いところだ」って思っている。

人口8千人足らずの小さな町なのに、我が国屈指の景勝地を巡って100kも走れるんだし、

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各エイドで堪能させてもらったように、美味な食べ物だってふんだんにある。

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19箇所のエイドじゃ、それぞれ自分達のしつらえた食材の美味を競い合っている。

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それに名の売れた観光地に良くある、あのスレッカラシ感と言うものが全く無い。

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南伊豆の人達は、昔からの純朴な田舎の良さをそのまま残しているのだ。

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私が転倒した時だって、「大丈夫か?送ってやろうか」と村人が5人も駆け寄って来てくれた。

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そう・・・マラソンで転倒するなんてめったに無かったのに、今回はあろうことか二度も転んじゃった。

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最初は真っ暗な時間帯の細い道で不可抗力と思えたが、二度目はゴール手前4k地点でばったりと倒れたのだ。

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腕や足から血を流して悶絶している所に、村の衆が走り寄って靴を拾ってくれたりして・・・・。

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「車を・・」などと言い始めたが、残りはたったの4kであって、ここでリタイアする訳にゃ行かない。

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それで丁重に礼を言い、歯を食いしばって痛みを覚られない様に歩き始めていた。

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しかし実のところ本当のショックは、痛みよりも二度も転んだという精神的ダメージだった。

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何か特別な障害物があった訳でもないのに転倒したのは何故か・・・それは「老」なのかと言う動揺だ。

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齢に負けるもんかと気張って実績も積み上げてきた訳だが・・歳月の流れに驚いたって感じ。

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まぁ~ものは思いようで、大怪我でなくて良かった訳で、若い人と競い合って無茶するなってことかな。

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夜の完走パーティでは、そう思い直していたのだが、しかしながら今年もこの秋を送ろうとしている。

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思いは悠々たりと言えども、紅葉の色付きと共に老愁を思うのはやんぬるかな。

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江戸時代の館柳湾と言う人の漢詩に「秋尽」があった。

 静裏空驚歳月流 (静かな暮らしの中 空しく驚く 歳月の流るるに)

 閑庭独座思悠悠 (閑庭に独座して 思い悠々たり)

 老愁如葉掃難尽 (老愁 落葉の如く 掃えども尽き難く)

 蔌蔌声中又送秋 (はらはらと落ち葉散って 又秋を送る)

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紅葉も、真っ盛りになりつつある。

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2016年11月13日 (日)

寝姿山へ

伊豆下田は、この国で初めて海外の船舶を受け入れた開港の地である。

伊豆半島の先端近くに、深く湾入した入り江があって、江戸時代まで最良の風待港として、

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下田の街は今日では考えられない程、殷賑を極めていたと伝わる。

幕末、江戸から遠く離れた良港のこの地が「開港の地」として選ばれたのは、至極当然だったと思う。

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結果として伊豆下田は歴史の地となって、吉田松陰はここで密航を企て、渋沢栄一は米国語を学ぼうとして訪れている。

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その下田港を見晴るかす山が寝姿山で、下田駅近くからロープウエイで登ることが出来る。

南伊豆の干物屋で土産を求めた私達は、女性が寝ている形に見えるこの山に登ったのである。

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この山の山頂には、黒船監視所や砲台なども築かれたらしいのだが、見下ろせば湾の隅々までが見渡され、

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湾に浮かぶヨットの群れや観光船「黒船」は勿論のこと、一昨日訪れた玉泉寺も眼下に見おろせる。

僅か160年前と比較しても詮無いのだが、当時の下田と今日を比べれば隔世の感があるだろう。

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経済の中心や動脈は東海道付近に集中し、かつての海の東海道は単なる漁港になった。

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当然ながら人口は流失し、観光も振るわず、日本の島嶼部は寂れる一方なのである。

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私達だって、今回のようなハッピーなマラソン大会が無ければ、訪れることもなかったろう。

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ともあれ寝姿山から港を見下ろしながら、その土地の栄枯盛衰の儚さを思ったのである。

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山頂の広場には、往時を懐かしむかの様に花々が咲き乱れ、その歴史を語りかけていた。

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2016年11月12日 (土)

満喫の南伊豆

御前五時、満天の星空の下、青野川の畔を700人余のランナーが動き出す。

南伊豆の景勝地をくまなく回る、100kと75k道草ウルトラマラソンのスタートである。

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みちくさと冠しているのには、それなりの意味があって、国立公園などをくまなく回ることと、

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19カ所のエイドステーションには、地元の人達による地場産の持て成しがあるってことだ。

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主催者がスタート前、「帰って来る時は体重が増えているのは間違いない」と言って居たが、その言葉に間違いはなかった。

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先ずは真っ暗らな中、100kと75kはそれぞれ二手に分かれ、私達はたらい岬に向かう。

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夜が明け始めるにしたがって岩礁のシルエットが浮かび始め、やがてユズリハの機で覆われた小道(遊歩道)に入る。

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伊豆独特の南国の風情(伊豆の植生は地殻からして本州とは異なる)が漂っている。

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注意書きが配られ、国立公園の中は走らないようにとあって、この小道と海岸は全て歩きである。

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次にはいり込んだのは石廊崎の最南端なのだが、ここに向かうには心臓破りの坂を駆け上がり、急な石段を辿る。

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その先には伊豆半島最南端の岩礁が聳えていて、そこをぐるっと一周して元の道に帰る。

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これも道草ならではのコース設定だが、こんな所までは普段ではなかなか来られないものである。

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事ほど左様に、南伊豆のコレッて言う絶景の地を辿って走るのが今回のレースだ。

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当然ながら歩かなければならない所も多く、エイドでは目移りするほどの食材が並んで、

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当然ながら、時間はドンドン経過していく。

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因みにエイドの食材を上げるなら、伊勢海老汁、野菜カレースープ、アロエゼリー、パッションフルーツ、ドラゴンフルーツ、イノシシ肉入りお好み焼き、しし汁、干物各種、みかん餅、お汁粉など無数。

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その数々の食品は、すべて地元の皆さんの手作りなのである。

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後半は蛇石の坂を延々と登り、長者ヶ原から波勝崎まで下っていく。

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あぁ早々、波勝崎では山芋汁が美味しかったし、逸れ猿の「こいつら、何やってんだ」ってのんきな顔はしゃくでもあった。

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ともあれ最後の20kも登りと下りを交互に繰り返し、スタート地点に辿りついたのは4時33分だった。

11時間33分の秋空の下での行楽は、而して終焉となったのである。

主催者のマラニソック支援隊からは、「あっぱれじゃ!!」と書かれた完走証明を貰った。

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2016年11月11日 (金)

玉泉寺にて

明日のみちくさウルトラマラソン75kの為に、長躯南伊豆に来ている。

東京の美人3人を三島で拾って、天城山を越え、途中下田の玉泉寺に立ち寄った。

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玉泉寺は、1856年タウンゼント・ハリスが駐留し、アメリカの領事館を置いた所である。

日米友好通商条約締結に至る幕末開国の中心舞台となり、ハリスの日本亹いきが日本を救った面もある。

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事実、中国が辿った様なアヘン汚染や植民地化は免れたし、彼の日記には日本という国に対する敬愛で満ちている。

人々の生活は貧しいが驚く程清潔で・・・当時の世界を見て来た彼の目には、今日の日本を予見するかのようなことが書かれている。

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ハリスと言えばお吉だが、実はハリスは生涯道程で終えたと言われ、お吉には指一本触れていない様だ。

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ただお吉は、役人の命令に忠実にハリスに尽くすのだが、象徴的なことは牛乳である。

ハリスが体調を壊して牛乳を欲したのだが、その乳を和牛から少しずつ集め提供した。

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地域の人々は、あんな獣の父を飲むから毛むくじゃらなんだと悪口を言うが、このお吉の和牛の乳が酪農の始まりだとされている。

開国当時の日本人にとっての異人は獣であり、その世話をしたお吉は汚らわしい存在だった。

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結果としてお吉の悲劇となるのだが、この国の黎明期を考えると、何とも切ない話である。

ともあれ、その玉泉寺の傍らにハリス記念館が併設されている。

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そこには私達が教えられた不平等条約やお吉のイメージとは、少し異なった記録がある。

人間としてハリスは、相当の日本人ひいきだったのではないか。

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お蔭で・・・・今日の日本があるのかも知れないと考えてみた。

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さても、玉泉寺には下田で亡くなった船員の墓や、星条旗の掲揚場等が残されいる。

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その歴史の地を、明日は楽しみながら走ろうと思って居る。

そして今夜は、明日の為に盛大な完走パーティなのである。

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2016年11月10日 (木)

意之所在

人生の禍福は、所詮その人間の「思い」と行動如何である。・・・と思っている。

それは重要な決断に限ったことでなく、日々の行動はもとよりマラソンの完走如何にまで係って来る。

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三国志の許靖伝にも「意之所在 便為禍福」(意の存する所、すなわち禍福となる)とあって、

自分の意志次第で人を不幸にも幸福にもするし、それに禍福は考えよう如何でもある。

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70年近く生きてきて思うのは、自分はかなり幸運な男だったかも知れないと言うことだ。

勿論色々な不幸にも遭遇したし、現実に悩みだって絶えることなく続いている。

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だけど、そんなものでクヨクヨしたって始まらないし、現実を在るがまま受け入れる他ない。

そして肝心なのは、自分の人生のハンドル(意之所在)を意識してみることだ。

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私の場合には、バブル崩壊(平成2年)の頃がその大きな転機だった。

その頃、経済環境などの変化を契機に、それまでの惰性を脱却しようと本気で考えた。

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惰性と言うものは、退屈だとしても、そのトーンこそが私達に安心感を与えてくれるものだ。

だが一大決心をして、そのマンネリズムを脱出し、自分の行動を変えようとした。Img_7726

日々の惰性をストップさせるのは心細かったけど、結果として目の前の景色は変わった。

様々な分野の人々との出会いや非日常的な経験が面白くなり、それに書く事やマラソンを楽しむようになった。Img_7724

お陰で大病すること無く今日まで来られたし、メンタルや社会活動面でも基礎が出来たのだと思っている。

幸運な男と書いたが実は運など信じていないし、現実に宝くじなど200円以上当たったことは無い。

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よって宝くじはこの20年買ったことは無いし、そもそも運不運なんて然したる意味は無い。

それよりも、人生と言う車のハンドルは、それはまさしく「思い」なのであって、

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そいつをこそ、大切にしたいと思っている。

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2016年11月 9日 (水)

そろそろチェンジ

人生の極意は、それはやはり目標に向かって、コツコツと継続することだと思う。

バブル崩壊以降約30年間、私自身そういう気持で歩んできた様な気がする。Img_7853

そう…平成の始めは経済だけでなく、東西冷戦や共産体制の崩壊など政治的にも大きな転換期だった。

この30年、グローバル化の嵐が吹きまくったし、日本も世界も随分と変わった。Img_7831

そしてまた今、その世界の流れが変わろうとしているのではないか。

EUの試みは英国の離脱でとん挫し、そして今日はトランプ候補がカードの全替えをやってのけた。Img_7829

世界のアメリカであるよりも、貿易の拡大や移民の受け入れよりも、アメリカの利益を最大限追及するという。

複雑にグローバル化してしまったこの世界で、果たしてそんな身勝手が可能なのかどうか。Img_7826

しかし、それが多くの国民の選択なのであって、この日本だって変化を求められるだろう。

まぁ、世界のことはさて置き、私自身の日々の在り様も変えなきゃ・・って思い始めている。Img_7824

古希まで一年足らずとなって、当然ながら自分も周りの環境も変わってくるだろう。

これまでの30年と同じ様に、百年一日のごとく過ごすってのは、どう考えても無理がある。Img_7823

では何を止めて何を始めるのかと、時折考え始めているのだが、これが案外難しい。

殊に新たに何に挑戦すべきかとなると、これが随分と保守的になっている自分に呆れる。Img_7821

一昔前なら無鉄砲に突き進んだろうことも、今じゃあれこれやらない理由を考えちゃう。

撤収は簡単でも、ビルドが難しい年代になったと言うのは簡単だが、そりぁ〜しゃくだ。Img_7820

だって、70歳のドナルドが、これから自分の理想に挑戦するってんだから、俺にだって出来るだろう。

それで改めて、これからの自分のチェンジを考えることにした。Img_7819

時代は、今また新たな流れを創り出そうとしているようだ。

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2016年11月 8日 (火)

紅於(こうお)

昨日の立冬を潮に明日辺りから一気に寒くなって、日一日と冬の気配が濃くなりそうである。

畑の白菜やキャベツも、この季節に併せてそれらしい装いを見せ始めている。

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先日からホウレンソウの収穫を始めていて、今日も夕方から粛々とその作業である。Img_7926

そうして食卓に上るホウレンソウの深い緑は、まさに精気を養う薬草にも思える。Img_7855

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一方我が家の桜葉は紅葉もせずに散ってしまって、今年の紅葉は駄目かと思っていたら、

何時の間にか、あちこちから紅葉の便りが届くようになっている。

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時の流れの速さに驚きながらも、この時期を「楓林の晩(ふうりんのくれ)」と呼ぶのかと思ったりする。

ところで、先日の小春日和の小笠山を思い出しているのだが、

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ウバメガシなどの常緑林だから、秋の風情は際立ってはいない。

が、それでも古い葉を少しずつ落としていて、

その落ち葉を踏みしめながら、木漏れ日の中を走るのはそれは実に心地良い。

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ゆったりと紅葉を訪ねるのもいいが、トレイルの様なアクティブな秋も素晴らしい。

いずれにしても、晩秋の景色は人生の姿とも重なり、これをどう表したら良いのだろう。

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それで、この時期に相応しい漢詩を探したら、晩唐の杜牧の七言絶句に「山行」があった。

 遠上寒山石径斜 (遠く寒山に登れば 砂利の小道が続く)

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 白雲生処有人家 (白雲の生ずる辺りに 人家有り)

 停車座愛楓林晩 (車をとどめて そぞろに愛す 楓林の晩)

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 霜葉紅於二月花 (霜で紅葉した楓は 二月の花よりも紅なり)

紅於とは、色付いた楓のことである。

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私自身の馬齢も紅於の頃を迎えている訳で、果たして春弥生の紅に比肩できるのかどうか?

いやさ・・、春夏秋冬、人生は懸命に生きてこそ華ならんや!!

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2016年11月 7日 (月)

教育を競う

静岡県には、お茶をはじめとして多彩で優れた農水産物がある。

その県産素材を使った料理レシピ・アイディアコンテストの発表会がホテルで開かれた。

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提案者はそれぞれ私立中高校生で、9校の生徒の提案が優秀賞に選ばれ、その料理を味わう会なのである。

それでマグロやカツオ、抹茶や茶殻などを活かしたオリジナル料理を味わってきた。

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食材に偏りがあるから、美味しいというよりも「ふぅ〜ん、こんな料理もある」って感じかな。

でも、生徒たちが地元の食材を使って、新たな料理を考えるってことは大いに価値がある。

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そのコンテストの後、大勢の人達が集まって『県私学振興大会』が開かれた。

県内には、私立の236の幼稚園・子供園、75の小中高校、83の専修・各種学校がある。

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いずれも自主独立して公教育を担っているのだが、その存立環境は年々厳しくなっている。

原因は止まることを知らない近年の少子化で、例えば平成元年の私立高校入学者は55万人だったが、現在は39万人に減っているし、今後更に減少していく。

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一部修学支援金があるとはいえ、その経営が苦しくなるのは当たり前のことである。

それに数年前に公立高等学校の授業料が無料になったのも、かなりの影響を与えている。

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だが私立学校の存在は、競争のない画一的な公的教育に、一定の競争と進歩をもたらしてきた。

江戸時代の寺子屋や塾がそうであったように、魅力的な教育の場に人は集まるのである。

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事実都市部では、公立学校よりも私立学校で多くの子供達が学ぶようになっている。

それに税金で丸抱えの公立学校は、私立に比べ実際にはかなりのコスト高なのである。

ともあれ、公立であれ私立であれ、父兄の負担を出来る限り公平にしていく必要がある。

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それに、子供達の長所を発見して、その個性を伸ばすことこそが肝心なことであって、

私立学校でこそ実現できることも多いのだと思う。

自治体も、個性的な教育をめざす私学支援に、金を惜しんじゃいけないな。

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2016年11月 6日 (日)

晴秋のトレイル

小春日和の秋の日、小笠山RCの今シーズンに向けての練習会である。

そのついでに、旧知の仲間達が一緒に走ることになって、総勢30人近くに膨らんだ。

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木漏れ日の中のトレイルは気分的にも極めて快適で、エコパを9時半にスタートしたのに、

山頂(264m)の小笠山神社には、11時過ぎに到着してしまった。

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エコパからハァハァ言いながら登ること8km、背中にはびっしょりと汗をかいていた。

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神社の広場では、暫しの休息タイムで冷たいものを少しだけ戴きながら、鋭気を養った。

途中、スズメバチもほとんど居なかったのだが、私は見事に転倒して擦過傷を作ってしまった。

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気を取り直して走ったのだけれど、当座は痛みで追いかけるのが大変。

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午後は私達のホームコースで、ここから残りの距離は、下り勾配とは言え20k近くある。

それで兎も角も、2時半にはゴールの「和の湯」に到着して、ゆっくりと温泉に浸かる。

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勿論その後は、みんなでワイワイと懇親会である。

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この素晴らしい天気の秋の日、たったそれだけのことだけど、心は一杯に充実している。

仲間と語らいつつ山を登り、そうして山を下っていく。

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途中、さしたることを話す訳でもないが、この山の空気を全員で共有しているんだ。

ウバメガシの景色が、映画のズームアップのように、どんどん移り変わっていって、

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自分の走る小道だけが、目の前に大きくなって繋がっていく。

この緑に丸く囲まれた緑道は、多分私達の人生の道程と同じなんじゃないかと思う。

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ひたすら前に進むんだが、当座の景色はさして変わりはしない。

ところがある時、目の前がパッと開けて、大きな大きなパノラマが広がるんだ。

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そう・・・、トレイルには、そういう喜びがあるんだ。

今日も、皆さんのお蔭で清々しい一日を過ごすことができた。有難う。

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2016年11月 5日 (土)

ストレイ・シープ

私達も羊も、安全に生活するために、大概は群れて生活している。

人間関係など何かと煩わしいが、その方が生きていく上で都合が良いからである。

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特に島国に生まれた日本人は、昔から「長い物には巻かれろ」と大衆迎合の傾向が強い。

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烏合の衆と言うが、集団と言うものは一旦動き出すと何処まで暴走するのか分からないところがある。

日露戦争後のこの国の在り様は、まさに戦争に向かって突き進む烏合の衆と化していた。

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冒頭から話が走ってしまったが、独りで生きる(迷える羊)ってことを考えている。

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戦前だって、これは「間違っている」って思ってた人は大勢いたに違いないのだが、ほとんどの人は、何も口に出すことさえできなかった。

北朝鮮に暮らすのと同様に、自らの身の危険を意識せざるを得なかったからである。

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今日ではそんな心配はいらないのだが、それでも人は群れて生活している。

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自立出来ている人でさえ、ボッチ状態が居たたまれないからだ。

私自身も、これまでずぅ〜っと、あちこちの群れの中で生きてきた。

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だけど、よくよく考えると自分の心の中には、実は何時も独りボッチの羊が住んでいた。

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その羊が、みんなでワイワイやっている時だって、寂しく俯いて草を食んでいるんだ。

それで、本当の自分は、その羊なんじゃなかろうかって思うんだ。

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羊はほとんど抵抗する術を持たない動物だから、群れで生活して危険分散している。

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そいつが一頭でそこいらをうろついていたら、肉食動物にとっては格好の獲物だ。

人間も、左様に弱く傷付き易い動物であって、「俺は強い」なんて思い上がっちゃいけない。

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だからいつも謙虚に、自分はストレイ・シープなんだって、思いつつ生きてきた。

かなり老いぼれになったが、それでも奴らに食われないで生きている。

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何処まで行ったって、人間は一人で生きる様に出来ているんだ。

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2016年11月 4日 (金)

べっぴん

人生において人間ほど面白く興味深い、そして面白くない(疑心暗鬼な)ものはない。

思えば私達の喜怒哀楽の粗方は、そうした人間どもとの関わりの成せる業なのである。

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そうして主体の無い人を除けば、それぞれに大いなる個性を有している。

その個性にはそれぞれの人品を備えていて、そう・・・、人はみんな「別品」なのである。

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昨日の漫歩の打ち上げで、何故か人の品性の話から発展し、別品の大切さに話が及んだ。

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人は自分の内に、「別品」なるものを育てるべきだと言うのである。

「あぁ~、あの人」って分かる、その人の土瓶の取っ手のような部分かな?

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分かり易いのは一芸に秀でた人物で、スポーツでも芸能でも、それだけで品が知れる。

この点私なぞは、品の定めようが無いというか、これと言った特徴を持ち合わせていない。

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今更「別品たれ!!」などと言われても、措置のし様がないのである。

実はこのところの夜長を幸いに、漱石の「三四郎」を読んでいる。

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熊本から上京した三四郎の出会う人物はそれ程多くは無いのだが、その何れもが強烈に個性的だ。

車中で出合い同宿した女には、別れ際「貴方は、よっぽと度胸の無い方ですね」と喝破されるし、

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後々付き合うことになる広田先生などは、まったく持って掴みどころの無い人物だ。

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広田先生は出会った早々「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より・・・頭の中の方が広いでしょう。」と言って、人間の多様性を示唆している。

三四郎が惹かれて心波立つ(あの三四郎池で出会った)美禰子などは、明治の文明開化を代表するように自立した女だ。Img_7879

同様に三四郎をかき回す与次郎に至っては、活発発地として何を仕出かすか分からないところがある。

広田先生にも「あれは悪戯をしに世の中へ生まれて来た男だね」と言われてしまう。

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要するに漱石は、若い田舎出の三四郎が、滔々と発展を始めた東京(東大)を舞台に、

次々と出会う別品達との出会いを通じて、人間の心と言うもの、そして初々しい時代と青春を描いたのだ。

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もっとも斜に読むなら、人物の品定めが延々とかいてあるって感じでもある。

それは兎も角、べっぴんとは、女性の容姿を評するのかと思っていたが、どうやら誰にも縁のある言葉らしい。

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2016年11月 3日 (木)

小笠山漫歩

「天高く 里山歩く 文化の日」ってなことで、今日は小笠山を歩いてきた。

雲一つない晴天で、絶好の行楽日和だし、それに何か文化の日に相応しいことをしたかった。

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結局、小笠山を歩こうと言うことになって、朝9時、掛川駅に集まったのは6名である。

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久保から歩き始めて、藤見霊園の手前からドンドン隊道を辿って山頂を目指した。

小笠山丘陵は標高264mの里山だが、ケスタ地形故にかなり急峻な尾根道が続く。

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それに江戸時代には「十文山」と通称されて、畔に10文払って薪炭を得る場所だった。

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だから縦横無尽に杣道が走っていたのだが、戦後の石化エネ時代になって放置され、

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その多くが死道となってしまったが、それでも尾根部分と幹道は辛うじて維持されている。

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ともあれ、そうした痕跡を辿りながら、掛川駅から2時間で小笠山神社に到着した。

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実は今日はその小笠山神社の祭礼の日で、入山瀬の人々を中心に神事が行われていた。

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神輿に続いて、天狗様、稚児行列、神主、地元住民、一般参賀者が行列し、破魔矢を納める。

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傍らの谷では厳かな流鏑馬に続いて、子供達が弓を射ていた。

神事が終わると後は直会で、飛び入りの私達までしこたまご馳走になってしまった。

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かなり足元がふらつく程飲んでしまったのだが、帰りは気丈に六枚屏風経由で板沢コースを下った。

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その六枚屏風は小笠山一番の奇観であって、数万年を要して水道が造った大地の亀裂だ。

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その割れ目を奥まで辿ると、尾根近くまで登ることができた。

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何ともはや、この丘陵にかくも不思議な所があるのかって感じだな。

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その後はひたすら尾根道を下ること2時間、掛川城近くの居酒屋に辿りついた。

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目論見は、ここで反省会をと言うことだが、私はすっかり酔いが回っていて、座っているのがやっとだった。

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はて、文化を求めての漫歩だったが、1300年の歴史を持つ小笠山の神事に参加できたんだから、それはそれで良しとしようか。

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2016年11月 2日 (水)

ねぶり少なく

夜が日一日と長くなってきて、この夜長の時期を如何に過ごすかと思案している。

元来私にはTVを眺めて時を過ごす習慣は無く、晩飯が済めば一人書斎にこもってしまう。

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それもやることが無くなれば布団にもぐって、朝は暗いうちに起き出すのである。

これが夏ならば4時頃から農作業を始めたりするのだが、この時期は暗くて動きが取れない。

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かと言って、布団の中に何時までも留まるのは、一言で言うと「居ようが無い」のである。

幾ら寝ても寝足りなかった頃を思うと、高齢者の生活パターンに入っているのだろう。

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ところで貝原益軒の養生訓に「三欲を忍ぶ事」の記述があって、その一つが「睡の欲」だ。

文中「睡の欲をこらえて、いぬる事(睡眠)を少なくするが、養生の道なることは、人知らず。

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ねぶりを少なくすれば、無病になるは、元気巡り易きが故なり。ねぶり多ければ、

元気まぐらずして、病となる。夜ふけて、臥しねぶるは良し。・・・・・・・」と書かれている。

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確かにあそこが痛いここの具合が悪いなどと寝ていると、何時の間にか病人になってしまう。

それよりも起承転結(?)、メリハリ良く起き伏して活動した方が、精神的にも元気になれる。

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しかして、この夜長を如何にせんとの思案だが、結論は、毎晩一定量の本を読むことにした。

私のこれまでの読書は特定の作家に偏してきたから、改めて古今の名作を読むんだ。

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漢詩集を開くと、江戸時代の菅茶山の詩に「冬夜読書」があった。

 雪擁山堂樹影深 (雪は山堂を擁して 樹影深し)

 檐鈴不動夜沈沈 (檐鈴動かず 夜沈沈)

 閑収乱帙思疑義 (静かに乱帙を収めて 疑義を思う)

 一穂青燈万古心 (一穂の青燈 万古の心)

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私の書斎からは雪を抱く山こそ見えないが、庭の木立は深々としているし、

軒先につるした鈴はコトリともせず、晩秋の夜は更けゆく。

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心静かに、散らかった書物を片付け、改めてこれまで読めなかった書を読む

さすればLEDの白い燈が、昔の人々の心を照らし出してくれる。

まぁ~、そんな気分になっている。ねぶりこそ慎むべし。

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2016年11月 1日 (火)

秘密と情報

私には、人に言いたくないことはあるけど、幸か不幸か取り立てて秘密ってものは無い。

しかし、このネット社会では「情報」が一人歩きし、自己増殖さえする時代だ。

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少し前国会に「機密保護法」が上程されて、野党とマスコミが大反対を繰り広げた。

私には反対のための反対に見えたが、今、その秘密が世界的な話題になっている。

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一つは言うまでもなくクリントン候補の「メール問題」だが、私達には何のことやらピンとこない。

本来機密が保持されるべきやり取りを、個人のメールでやり取りしたから、それは犯罪だと言う事らしい。

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つまり、公的なことを私的ツールで扱ったから、それは国家機密の漏洩罪と言う訳だ。

場合によっては大統領選を左右しかねない大問題らしいが、同様に困ったのはパク・クネさんだ。

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国政のあれこれを親友のチェスンシルちゃんに相談してたことがばれて、大騒ぎになっている。

この二つ、これは私でもやりかねないことで、機密保護法に抵触しちゃうなぁ・・・でも、何故野党は反対してたのかな?

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もう一つの話題が小池劇場のメインテーマだけど、豊洲の屋外は全て盛り土済み、建物の地下は空洞にして、土壌汚染に備える構造になっている。

小池知事が登場して、建物の地下に盛り土がない事が大問題になった訳だ。

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当時の知事は曖昧にしているが、当然ながら了解していたはずである。

だつて、工場(土壌汚染の可能性のある)跡地を活用する最善の方法だからだ。

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まぁ〜、それを丁寧に議会筋に説明してこなかったのは、大いに問題ではあるが。

事ほど左様に、何が秘密で何が秘密でないのかって、紙一重だよね。

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それから、誰に対して何を保護するのか明確でない「個人情報保護法」も問題だね。

どうでも良い様な情報が保護され、災害対策など必要な個人情報が開示されない。

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やたら『個人情報』が強調される一方で、ネットでは規制のしようもない程情報が氾濫している。

クリントンもパク・クネも、この日本じゃ問題にすらならないんじゃないかな?

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