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2016年11月18日 (金)

大自然の神

91歳になる私の母親は、毎朝仏壇の前で般若心経を唱えるのを日課にしている。

しかしてその息子は、墓参りはおろか線香の一本も供えない不信心者である。

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否、無信心と言う訳ではなく、特定の対象を殊更信心する必要は無いと考えている。

だから神社仏閣を訪れてもそれ程熱心に祈ることも無く、一種の儀礼の範疇に留まっている。

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本来宗教は空気や水の様な存在であるべきで、宗教に傾倒しすぎると必ず悲劇が起る。

中世の宗教戦争はもとより、中東の宗派対立などは、正に悪魔の仕業になっているだろう。

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既存の宗教そのものに関心はないが、この大自然と言うか、お天道様には感謝している。

先日のスーパームーンは、一日遅れた宵の口、暫らくその美しさと神々しさに打たれていた。

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科学技術の進歩で何物も解明されたかのようで、俄然宗教心は薄くなってきたが、

現実にこの大自然の在り様には、我々人間を超えた何物かの存在を思わせる。

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そもそも地球上の人間の存在だって奇蹟の塊だから、

この自分の存在に至っては、自然の生み出した偶然そのものだろう。

それに生まれてこの方、病気をしたり事故にあいそうになったり、いく度かの幸運にだって巡り合った。

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だからお天道様に、こうして健康で日々生活できることを感謝するのである。

さても宗教心の希薄な私だが、自分をこそ信じるべきだと考えている。

お天道様のお陰で生かされている命であって、これを目一杯活かして使うべきだろう。

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くよくよしたり妬んだり、人の迷惑を顧みない生き方をしたんじゃお天道様に申し訳ない。

而して、毎日のように西へ東へと走り回っているという次第である。

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まぁ、頭と体がヒマな奴に限ってロクな事を考えないらしいから、それで良かろうと思っている。

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