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2016年11月24日 (木)

時代の悪戯

会津の地図を眺めながら、たかだか150年前の出来事を思っている。

思えば、歴史の大きな流れと言うものは誠に冷酷なもので、

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そこに生きる人々の思惑など関係無く、言わば大津波のように全てを押し流してしまう。

幕末から明治初期にかけては、殊にこの地域をその時代の悪戯とも言うべき大津波が襲ったのである。

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江戸時代には全国に宿駅制度が設けられていて、街道ごとに宿場が栄えていた。

参勤交代や街道を行き来する旅人を、その宿場の本陣やら旅篭、伝馬役や飛脚などが世話したのである。

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その三百年の歴史も、明治維新を契機に一気に滅び去って、本陣の宿場役人も飛脚も無用になった。

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大内宿に入って思いだしたのは、藤村の「木曽路はすべて山の中である。」で書き始める小説「夜明け前」であった。

藤村は、木曽は馬篭の本陣の家に生まれたのだが、仮に宿駅制が続いていたら、宿役人として人生を終えていたかもしれない。

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しかし、ペリー来航以降の時代の波が木曽の山奥にも押し寄せ、全く異なった歩みをすることになる。Dscn0174

「夜明け前」の筋書きはともかく、この大内宿の変化は戊辰戦争の兵火と共にやってきた。

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下野街道は会津盆地に入る幹線だから、同然ながらこの街道沿いに攻め入ってくる。

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これに対して会津側は、街道沿いの村々を焼き払い、陣を構えて西軍を迎え撃ったのである。

そして街道のあちこちには、当時の戦いで無くなった有名無名の兵士の塚が残っている。

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果たしてこの街道沿いに住み暮らしていた人々は、その過酷な事態にどう対処したんだろうか。

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冷たい風に向かって街道を駆け下りながら、・・・・そんなことを考えていたのである。

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会津盆地に入ると、この広がりの中でどう戦争が繰り広げられたのかと心配になる。

それでも鶴ヶ城の4kほど北側には西軍砲陣跡が残り、飯盛山には白虎隊士の墓の他、

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会津藩士の集合墓が数多く残されている。

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思えば、幕末における会津藩の存在は、朝廷の守護者として京都の治安を守る立役者だった。

それが一旦政変が成るや朝敵として追われ、攻撃の的にされたのだから歴史は皮肉だ。

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しかも、それはたった150年前の出来事に過ぎないのだ。

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