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2016年12月31日 (土)

あの感傷を再び

子供の頃の大晦日は、正月を前にして心ときめいていた。

ラジオから流れくる紅白歌合戦、そしてそれに続く除夜の鐘は、まだ見ぬ世界への入り口だった。

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京都の古寺の鐘の音に、どんな素晴らしい所なんだろうかと想像していたのだ。

枕の側には、両親が工面してくれた新品の下着や靴下が置かれ、

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翌朝はそれを身に着けて暗い道を初詣に出掛けるのが習わしだった。

初詣の祈願だって、新鮮な気持ちで真剣に手を合わせていた。

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老年に入って時にその新鮮さを思い出すこともあるが、大抵は毎年の当たり前だと惰性が先に立つ。 

この期に及んで往時の感傷(感動)を取り戻すには無理があるが、何時になってもあの胸のときめきが必要だと感じている。

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そもそも人間の若さとは、感動の量なんじゃなかろうか。

平凡ではあっても淡々と過ごす中に、どれ程の感動と感傷を盛り込めるかが若さのバロメーター。

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例えば、立原道造の詩「夢みたものは」のように素直であって良いのだ。

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  夢みたものは ひとつの幸福

  願ったものは ひとつの愛

  山並みのあちらにも 静かな村がある

  明るい日曜日の 青い空がある

勿論今年の私にだって感動や喜びは一杯あって、精一杯の一年を過ごしたって気持ちはある。

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そして来年は古希を迎えるから、この節目の年を成熟した感動で一杯にしたい。

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折しも来年は酉年で、酉の字は酒を熟成させる器に由来するらしく、

若い頃のナイーブな感傷を思い起こしつつ、古希を迎える成熟度を楽しみたい。

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一日一日の、その一つ一つを如何に楽しむかを課題としてみたい。

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さても、残り数時間で新年を迎える。

この一年、数々の励ましを戴いたことに感謝しつつ、今年最後のブログを閉じたい。

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2016年12月30日 (金)

未だ見ぬ明日へ

よくよく考えてみると、私達は常に未知の時空を旅している宇宙飛行士の様なものだ。

誰もが分かったような顔をして生きているけど、実は明日の事など何も分かっちゃいない。

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何故って、私達は一度しか生まれないし、この人生だって初めてのことなんだから。

振り返ってみても、少年時代は若いって事の意味や素晴らしさを知らずに過ごしちゃったし、

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結婚の何たるかもろくすっぽ理解しないで結婚して、何時の間にか子供が生まれてた。

65歳からは高齢者だと言われて、えぇ~ッと、半信半疑でその高齢者をやっている。

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年金の将来問題なんてことでなく、この先老いるとはどういう事かさえも分かっちゃいない。

つまり老人自身が自分の老化に関して体験して来なかったし、更には死については勿論のことだ。

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人に聞いたり学んだりで分かったような気がしても、自分が体験する明日は未知なんだ。

大地震が襲うかも知れないし、年末ジャンボ宝くじが当選するかも知れないしね。

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・・・ってことは、明日のことは明日になって見なきゃ分からんってことだろう。

もっとも私達は、宇宙飛行士同様に色々な予備知識にサポートされながら生きている。

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だから、初めてではあっても、何も知らずに老いさらばえていく訳ではない。

当然ながら、用心して身構えながら明日に向かうのである。

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未知の体験はさておき、今日は年の瀬もとうとう晦日である。

この一年、年中行事をこなして来た様でもあるが、やはり一年一年中身が違っている。

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考えることも感じることも、そして身の回りの環境だって、少しずつ移り変わっている。

そして来年は、古稀と言う「新たな」ステージに突入することになる。

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節目の年だから、あれこれと気張って生きてみたいと思っている。

未だ見ぬ明日を創り得るのは、明日を切開く自らの意志なんだから。

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2016年12月29日 (木)

私と農業

私は、あの日本国憲法の発布された年に生まれた。

あのと書いたのは「日本国民は、恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。」の前文を思うからである。

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他国の公正と信義をあてにして、自分達の安全を保持すると言っているんだから、信じられない程虫の良い話である。

ともあれ終戦後間もない時期だから、食べるものも着るものも無く、復員した父が懸命に百姓で生きようとしていた。

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我が家では年寄りが早く亡くなって、若い夫婦だけが働き手で、当時の農作業は全て人力だったから、それはそれは大変だった。

広い田圃は全て三本鍬一本で耕し、その田から獲れる米が唯一の収入源だった。

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当然ながら貧しい暮らしで、父は時折日雇いなどに持出かけていたようだ。

それに手が回らないから就学前の子供も立派な労働力で、私は農作業の手伝いはもとより、小学2年の頃から炊事や風呂焚きを担当させられていた。

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学校から帰ると、へっついにお釜を掛け稲わらを丸めて炊飯し、裏の井戸からバケツで水を運んで風呂を沸かし、暗くなって野良から帰る父母を待ったのだ。

今考えれば「おしん」の世界だが、当時は何処の家でも大同小異だったと思う。

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やはり小学2年の頃、稲作だけでは食べていけないと、借金してハウス栽培を始めた。

始めはキューリやトマトを栽培していたが、やがてメロン栽培に収れんしていく。

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温室栽培も重労働の連続で、暖房の石炭焚きやら被覆の菰掛け、栽培土の出し入れと、

父母の苦労を見かねつつ、子供なりの働きをしてきた。

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結果として、このメロン栽培のお蔭で、私は学校に行かせてもらった訳だが、

百姓しか知らずに育った私は、高校を卒業したら父の後を継ぐものと自然に考えていた。

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江戸の昔からそうやって綿々と受け継いできたのだから、それが至極自然に思えたのだ。

高校を卒業する頃になって、大学入試だけは受けてみようと思った。

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半ば就農を決めていたのに、それが幸か不幸か入学試験に通ってしまったのである。

親父に相談すると、「俺が未だ働けるから、お前は大学に行け」と言う。

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そして大学では左程勉強はしなかったが、世の中の仕組みや流れを大いに学んだ。

それで百姓の生き方しか知らなかった男が、まったく別の世界(勤め人)を歩くことになったのである。

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今、親父が死んで10年になるが、親父が建てたガラスハウスでブドウやホウレンソウを栽培している。

生きる為に(家族のために)必死で働いてきた親父の気持ちを思いながら、私は楽しみながら作物を育てている。

人間は、良くも悪くも時代の中で生かされているのである。

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2016年12月28日 (水)

私の流儀

60歳を過ぎる頃には、良くも悪くもその人の生き方の流儀は出来上がっていると言われる。

その存在の大半が過去にあって、俄かに改心して一から人生をやり直そうって訳にゃいかないからだ。

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長年の性と言うか、物の感じ方や対処の仕方、好き嫌いや情愛の濃淡は変わりそうに無い。

それに、思い切って過去を棄てたら何も無くなっちゃうと思いがちだ。

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だから定年退職しても、往時のままの精神状態が続いて、人付き合いも過去に拘泥する人が多い。

それはそれで一つの人生であって、過去を懐かしんで生きるのも結構だと思う。

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しかし私は、昔から新しいもの好きと言うか、心機一転と言う気分が気に入っている。

それで定年退職時に、幾つかの旧職場の会に入りはしたが、ほとんど参加したことは無い。

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過去を懐かしんでも、何も生まれやしないと思っているからだ。

先日、過去に付属する身の回りの多くの物を一気に棄てて、その思い切りに清々としている。

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自分の書斎も見違えるようにすっきりして、さてこそ新しい年を迎えるに相応しい気分になっているのだ。

私の自分なりの流儀はと言えば、この過去に囚われない生き方だと思うのだが、同時にしつこく続けることも私のやり方だ。

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このブログは書き始めてから11年になろうとしているし、ランニングは30年、街頭での立哨は9年目に入る。

そして温故知新などと粋がるつもりは無いが、それなりに私も少しずつ進化しているのだと思っている。

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永らく人生五十年の時代が続いてきたが、その嘗ての人々には確かに人生は一度しかなかった。

だけど今、人生は九十年かも知れず、とてものこと半世紀前を引き摺って生きる生き方は、果たして如何なものだろうか。

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九十年の生涯なら、二度くらいの人生を生きられるのではなかろうか。

その為には或いは、過去への必要以上の執着は無用なのである。

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2016年12月27日 (火)

剪定日和

今日は春の嵐(?)の様な一日で、こんな日にこそと始めたのがブドウの選定である。

私のブドウ園は全てハウスの中だから雨の心配はなく、雨で高湿度だから埃も立たない。

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何とか年内には選定を終えたいと思っていた折、タイミング良く雨の一日になった。

ブドウは来春に伸びてくる新梢に花芽が着くから、今年の枝は全て落としてしまう。

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来年伸びる芽だけを残して、残りの枝を全て切り落とすのだから、これは根気仕事だ。

当然ながら思い切らないと出来ない作業で、この雨は絶好のきっかけになった。

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とは言え、作業を終えたのは一部屋と少しで、これから当分この作業が続くのである。

この時期は品種更新も進めていて、今回は極早生を伐採してシャインマスカット2本を植えた。

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植えた苗を乾燥させない為に菰で覆って、来春まで大事に発芽を待つのである。

ハウスの中はそんな具合で安泰なのだが、今朝の強風でレタスのトンネルが飛ばされて、

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この修復やらホウレンソウの間引きなどで、この一日が瞬く間に終わってしまった。

フッと傍らのブロッコリーを見ると、十分に蕾が大きくなって、すっすり食べ頃になっていた。

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何時も思うのだが、どんな時期だって畑にはやるべき仕事が待っている。

人間(殊に私)は何もせずジッとしているのが苦手で、その何事かに生かされている面がある。

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やるべきことがあれば早起きもするし、背骨だってシャンとさせることが出来るのである。

だから有意義な(呆けない)人生を送りたかったら、絶えず自分の仕事を設えておくことだ。

この点農業(家庭農園)は、その作業をエンドレスに与えてくれるし、自分でマネージメントできる。

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園芸療法なんて言葉もあるくらいで、それなりの成果を得る為には工夫努力も必要だ。

仮に私が呆けるとしたら、それは畑の世話をしなくなった時だろうな。

ともあれ、畑仕事のできる暮らしは、随分贅沢なライフスタイルだと思っている。

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2016年12月26日 (月)

人それぞれの幸福

近頃しみじみ思うのは、若い頃よりも今の方がずっと幸せだよなぁ~ってことだ。

幸せの中身は具体的じゃないけど、自分なりの心の居場所がチャンとあるってことかな。

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あの(現役の)頃には、兎角心配事が多かったし、喜びも苦しみも悩みも起伏が大きかった。

それは仕事のことだったり、人間関係だったり、はたまた子供の事だったりと、

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遮二無二生きていて、幸福なんて感じている暇は無かった。

責任ある立場に立って日々奮闘している頃を振り返っても、幸福なんて実感は無かったな。

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それが今は殊更大きな出来事がある訳ではないが、毎日の一つ一つをそれなりに幸福って思えるようになっている。

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朝目覚めて天気が良ければそれだけで、日課のランが心地良く走られればもうぐっすり眠れるし、畑の作物がすくすく育っていれば機嫌よく過ごせる。

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楽しいマラニックに参加できて仲間と語るだけで、それはもう言うことはない。

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食べる物だって、とてものこと美味や量は既に卒業してしまっている。

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古稀を迎えようとするしがない年寄りの幸福なんてのはそんなもので、決してダイナミックなもんじゃない。

要するに良い意味で鈍感になった訳で、その鈍感な分逞しく生きられるという次第である。

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既に物欲なんてものは無いに等しいし、諸行無常も世の常と心得ているから、

この自分のふんわりと感じている小さな幸福こそが本物だよなって思う。

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人が生きるためには、どうしても幾らかの幸福感が必要らしく、それは勿論各人各様だ。

そして誰だって、自分なりの幸福感を温めながら生きている。

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何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、程々が肝心なんである。

私も、やっとのこと、そんな簡単な事が分かる年齢に成ったのだろう。

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2016年12月25日 (日)

歓喜の歌を共に

この年の瀬、一年365日を一日づつ埋めてきて、とうとうここまでやってきた。

さあ〜て、この一年をこの歓喜の歌に寄せて締めくくろう・・・・そんな気分で第九を聴いた。

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3階の席から見下ろしていると、アクトの大ホールの座席が次々と埋まっていき、

(それは正にこの一年の様に)ほぼ一杯になると、やおらフィデリオ序曲が始まった。

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この第九は、ベートーベンが53歳ころの作品で、もう既に彼の耳は聴力を失っていた。

日本の明治維新の頃に当たるが、当時のフランスは革命直後で大きく変わりつつあった。

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この「苦悩を乗り越えて歓喜へ」と歌う第九は、時代を生きる人々への歓喜の呼びかけだったろう。

その歌詞にも、「天上の楽園から来た乙女よ、我らはあなたの聖なるところに情熱に溢れて足を踏み入れる。

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優しい女性を得た、彼の歓喜の声に声を合わせよう。

兄弟よ君たちの道を走れ。勝利に向かう勇士の様に喜ばしく。

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兄弟よ星空の上には、愛する神が住んでいるに違いない。

世界よ。彼を探そう。星の彼方におられる父なる君を。」と歌っている。

楽曲が進んで第四楽章になると400名の合唱団が登壇し、その歓喜の歌が始まるのだ。

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もう何度も身に馴染んだ、ランラン ランランラ〜ララ、ララランラとかすかなリズムが始まる。

今からの歓喜の大合唱を殊更引き立てるように、密やかな期待を書きたてるように響く。

そして、オー、フロイデ、ニヒット と始まっていく。

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歓喜の歌、それはこの一年間を「よお〜、やった!!」と祝福する歌ではないのか。

次第に高まる興奮を胸に、その荘厳な歌声と共に、この自分の一年を祝福しようとしていた。

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いろいろとあったけど、それでも良くやったじゃないか。祝福しよう、祝福しよう、この一年をと。

あぁ〜、一年の終わりに第九を聴けるなんて、そりゃ最高だぜ。

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2016年12月24日 (土)

絶景の富士を訪ねて

この時期、適度な雪化粧の富士山殊のほか美しく、何時も薩埵峠からの眺めを楽しみにしている。

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今日は駿河健康ランドをスタートゴールに、その薩汰峠から浜石岳(707m)への往復を走る浜石岳トレランの一日である。

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遠くは那須塩原や横浜・豊橋から何時ものメンバーが集まった。

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女性が多いと言うこともあって、早朝から大変にぎやかで、楽しい忘年ランになりそうである。

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忘年・・・との名目で、今月に入ってからもう隋分数多くの会になるが、こういうことは何回でも良い。

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ともあれ9時前、ホテル前を元気にスタートして直ぐに薩埵峠の登りに入る。

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期せずしてと言うか、思った通り駿河湾のその奥に雄大な富士山が浮かび上がってきた。

薩埵峠で想起するのは、山岡鉄舟である。

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幕末、官軍が駿河まで迫っていて、勝海舟の命を帯びて駿河に向かったのが鉄舟だった。

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その鉄舟を官軍はこの峠で、鉄砲を打ちかけて追い払ったのである。

逃げ帰った鉄舟は眺望亭に隠れ、翌朝船で駿府に向かい、清水次郎長一家に守られて

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駿府城の隆盛に面談、江戸城の無血開城を取り決めたのである。

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さても、この薩埵峠から臨む富士山は、江戸の昔から(広重)の有無を言わせぬ絶景であって、私の最も好きな景色だ。

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その峠から山にはいり込んで、山の中をひたすら浜石岳に向けて登っていく。

竹藪があり杉の林があり、その登りは決して容易なものではない。

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それでも登り続けること2時間余り、待望の浜石富士である。

坂を登っていくと、忽然と富士山の雪をかぶった頭が浮かび上がってくる。

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これがまた、絶景なんだなぁ〜。

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よしも、今年も浜石に登った価値があったのである。

みんなで楽しく昼食を済ませ、後は急な坂を滑り降りて、健康ランドに帰る。

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例年のごとく風呂で疲れをいやし、そして今年最後の忘年会なんである。

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2016年12月23日 (金)

自分を操る

この世に生き物は数多いけれど、その中で人間だけが大脳を著しく発達させた。

そしてその大脳は、キャパシティの違いはあるにしても精巧なコンピューターである。

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キーボードに相当するのが目口鼻皮膚だが、中でも口が自律神経を大きく支配している。

昔学生の頃、試験勉強(覚えなきゃいけないことは)は、常に繰り返し口に出して記憶した。

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口が覚えると言うか、目で見て口で発声して耳で聞く、それが結構効果を発揮したのだ。

ところで私達の人生は、人と話をしたり愚痴を言ったり、細君と口喧嘩をしたりと、口の出番がかなり多い。

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その一つ一つが、実は自分のPCのキーボードにインプットしているのだとしたら、

自分の口から出た言葉が、自分を何時の間にかコントロールしてることになりはしないか。

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夫婦げんかで怒りを爆発させて後で振り返ると、腹立たしかったのは自分の言い放った言葉のせいだった。

人の悪口ばかり言ってる人は、そうやって自縄自縛で自分で自分を不快にする人だ。

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自律神経って奴は、どうやら主語を理解しないらしく、すべてを自分自身のこととして受け止めるらしい。

だから不満やら愚痴、人の悪口を言っているうちに、ストレス解消どころか自分自身がダメージをこうむるらしい。

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つまり悪い言葉を口にするほど、その言葉通りに神経回路が配線されて、自分を悪い方向に向かわせてしまうのだ。

・・ってえことは、自分の口には前向きなことをしゃべらせるに限るのだ。

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だから人は褒めるに限るし、「自分にも出来るさ」「まだまた、若い」って自分を励ますことだ。

自分を口に出して褒められなかったら、○×さんに移し替えて褒めりゃ良い。

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コンピューターは、そいつを自分のこととして、ちゃんと表現型を律していくだろう。

例えば100kマラソンなら、当然事前の準備はするが、私は自分に暗示を掛けている。

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レース直前、「さぁ〜て、行くぞ。お前なら出来るさ!!」って小さな声で言うんだ。

そう、言葉には、未来を切り開くもの凄い力が備わっているんだ。

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2016年12月22日 (木)

而今力

過去を綺麗さっぱり消去してしまった…と言う気分になっている。

朝からたっぷり一日がかりで、書斎(たかだか四畳だが)の大掃除をしたのである。

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恐らく20年ぶりだから、土埃と共に思い出のあれこれもたっぷりと内蔵されている。

その部屋をすべてひっくり返し、過去を基本的にすべて捨てようと試みたのである。

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だから多くの写真や辞令書、完走証や名刺、講演記録、それに手紙類などを消去する。

当然ながら手紙や写真には、当時の真実が一杯詰まっている訳で、邂逅していたんでは名残は尽きない。

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そしつをエイヤッとばかりに断ち切って、そして夕方には四畳の部屋が真っ白になった。

物は勿論のこと、過去の思い出(失敗や挫折、そして僅かな成功)も捨て去った。

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所詮それらの諸々は、私一人に帰属するものであって、残したとしても価値を認めるものとていないのである。

この際、向後の憂いなく始末するのに越したことは無いのである。

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そして而今力とは、とりもなおさず自分の心に忠実に生きることだ。

他人がどう思うかなんてことを考えずに、自分がどうしたいのかを考え行動することだ。

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古希を前にして、やっとそうした方向に踏ん切りをつけたという次第である。

今、広くなった机に向かってブログを書きながら、何だか心の半分がエンプティになった様な心地がしている。

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そう・・・これから、これからここに、楽しいことや面白いことを一杯書き込めば良いのである。

過去は、押し並べて、消してしまったのだから…・・。

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2016年12月21日 (水)

陽は又昇る

今日は日一日と陽の光が復活を始める節目の日、冬至である。

昔は冬至など意識したことも無かったのに、歳を重ねるに従ってこの一陽来復が殊に嬉しく感じられるようになった。

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そもそも冬至は太陽の運行の出発点であって、太陽の年始と言っても良いだろう。

やがて年が明ければ、梅が花開くだろうし、寒さはともかく春のたよりも聞こえてくるのだ。

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年々歳々、人事に代謝あり、往来して古今を成すのである。

清の時代の沈受宏に、妻に送った七言絶句「示内」がある。

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 莫歎貧家卒歳難 (歎ずるなかれ 貧家 年が越せないなどと)

 北風嘗過幾番寒 (北風 嘗て過ぎ 何度もの寒さ)

 明年桃柳堂前樹 (明年 桃や柳が 座敷の前に芽吹く)

 還汝春光満眼看 (汝に還さん 春光 眼に溢れるを)

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これからは春を待つ日々になる訳だが、年を越せば又しても白髪が増え、一年歳をとる。

こいつばかりは一陽来復とはならないが、その代わりに新しい行事が始まる。

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ランの予定なら初詣マラニック、湖西連峰マラニック、宮古島100kウルトラと続くし、

葡萄は春の発芽に向けた準備が忙しくなるし、ホウレンソウの栽培も続いていく。

正に年々歳々花相似たりであって、歳々年々人同じからずである。

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人は誰しも歳を取るのだが、これが自分のことになると中々素直に納得できない。

上手い具合に年寄りになれないというか、あくまでも自分は何時までも若いのである。

やる事だって何年も前から変わっちゃいないし、否むしろ上手くなってきている。

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走る事だって、昔よりもずっと楽しく走っているし、作物を育てる技術も上達した。

残り何年の寿命かはともかく、自分が介護保険のお世話になるなんて想像もできない。

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多分このままずぅ~っと突っ走って、コロリって逝くだろうと信じている。

人間は同じ事を繰りかえす生き物であって、私にも毎年春が来るのである。

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2016年12月20日 (火)

走る申

今夜は、幾分ほろ酔い気分で帰ってきました。

結構忙しくって、朝はホウレンソウの収穫調整作業を終えて、日課の10k走、慌ただしく昼食を済ませて、午後は静岡の会議に出席。

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そして、夜は浜松での忘年会で、今帰ったという次第です、

まぁ〜、この一年を象徴する様な、目まぐるしい一日を過ごしたって感じかな。

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この申年の一年も残すところ10日余り、振り返ってみれば色々とあった。

猿と言えば、私達は日本猿の群れを連想するのだが、猿に随分と種類の多い動物で、

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スローロリスなんて猿は、行動もスローで昼間はほとんど眠っていて、それでも生きている。

珍しいところでは、ゴールデンライオンなんて猿は、金髪でライオンの様な顔をしている。

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今年話題になったスーパーマリオも猿の仲間なんでしょうね。

それぞれその猿にも、生きてきた結果の風貌であって、

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猿の世界も多彩だけど、この人間社会もしかりと思ったりします。

その人間社会では、些細もない事で賛成の反対のと(政治)茶番を見せられた一年でした。

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それにしてもこの一年よく走って、100k級のウルトラマラソンを8大会、マラニックの20余会を加えると、30大会を走ったことになります。

小笠山でのランを加えると、そうさなぁ〜3,000k超を走ったことになりそうである。

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故障もなくこの一年走ることが出来たのは、健康なお蔭であって、充実した一年だったろう。

猿はむやみやたらに走りゃしないけど、人間はその気(目標があれば)になれば、何処までだって走ることが出来るのである。

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そうだな、来年も年々歳々、少しずつ前に進むことが出来ればと思っている。

多分、来年はもっと時間の経過が早くなるんだろうなぁ〜。

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2016年12月19日 (月)

山のあなたになお遠く

憧れとか希望、夢などと言うものは、自分の知らない未知の世界にあると思いがちだ。

大田川河口の水田地帯に生まれた私は、町も山も知らない田舎の子供だった。

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そしていつも、田圃の先のあの山の向こうには何があるんだろう?と、おぼろげな期待をしながら育った。

自分の見渡している世界の他にきっと別の世界があると感じていたし、未だ見ぬ世界に憧れていた。

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小学四年の頃、幼な友達と連れ立って小さな自転車で、遠く東に見える山に向かったことがある。

あの山に何があるのか?・・・・、それが、どうしても知りたかったのである。

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大変な冒険だったが、行って見れば何のことは無い、雑木が生い茂っているだけだった。

以来、成長と共に私の行動範囲はドンドン広がったが、夢を探す気持に変わりはなかった。

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現実を逃避していたのかも知れないが、いつも山の向こうにロマンチックな空想をしていた。

そんな子供にとって、カール・ブッセの「山のあなた」は、子供心を納得させる詩だった。

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  山のあなたの空遠く  「幸」住むと人のいう。

  ああ 我ひとと尋めゆきて  涙さしぐみ かえりきぬ。

  山のあなたになお遠く  「幸」住むと人のいう。

そうしてこれまで、ブッセの言う「幸」を求めて、この国のあちこちは勿論のこと、

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広い世界にも足を伸ばし、高い山にだって登ってきた。

幸の住みそうなイベントに出かけ、映画を見たり本を読んだり、何時も幸を探してきた。

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だけど期待に胸膨らませて新しい街を訪ねても、住んでいるはずの幸はいつも幻影のように消えていく。

それで、幸と言う名の青い鳥を探し続けて70年近くになった。

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当然ながら、幸は何処かの町に転がっているものじゃないって分かっている。

そもそも幸は探すものでなく慈しみ育てるものだが、それでもついつい探してしまうんだ。

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それに、未知のものに触れ合うあのドキドキ感は、人生の醍醐味だしね。

 

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2016年12月18日 (日)

駄馬

昨日の忘年ランは、45歳から後期高齢者までかなり幅広い仲間の集いである。

40k付近で若手のSさんと並走した折、彼が「私、驚きましたよ!」と話しかけてきた。

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続けて「Nさんに伺ったら、もう古希に近い年齢なんですって!」「私は、定年になったばかりだと思ってました」と言う。

一瞬、上手いお世辞を言いやがって…と思ったのだが、どうも彼は本気で話している様だ。

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それで人間って奴は、なかなか簡単にゃ歳を取らせてくれないんだよ・・・などと話しつつ、

片方で、そう言えばランナーにも色々な歳の取り方があるなぁ〜と思っていた。

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今年の私は8大会のウルトラマラソンを走って、その内3大会で途中リタイアしてしまった。

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その3大会が残念至極と反省しきりだが、見渡してみても、私の歳でウルトラを8回も走っている人は決して多くはない。

そう言う意味では、現実に身も心も若いのである。

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夜の忘年会でそれぞれ一言スピーチがあったのだが、71歳のO野さんは私より10歳は老けて見えた(気のせいだろうか?)。

その逆に、私と一歳違いのK池さんは、私よりも30分も早くゴールして風呂に入っていた。

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彼も目標を見定めてコツコツと走ってきた男で、私は少しだけ彼に近いのかも知れない。

勿論彼はサラブレットで私は駄馬だが、駄馬は駄馬なりに真面目に走り込んでいる。

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目標にひたすら向かうという点では、必ずしも負けてはいない。

実は、その目標があるからこそ、簡単にはジジイになれないのである。

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しかして、来年こそは現在予定しているすべてのウルトラを完走したいと思っている。

ウルトラは途中で何が起こるか分からないレースだが、だからこそ準備万端して臨むのである。

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その為のモチベーションこそ、若さの秘訣なのである。

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2016年12月17日 (土)

浜名湖半周忘年ラン

今朝はこの時期にしては珍しく冷えて、田圃に薄氷が張っていた。

今日はハギさんのマラニックの走り治め、恒例の浜名湖半周忘年ランである。

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午前10時、強い北風にもめげずに総勢50人程が舘山寺に向けて走り始める。

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今回も千葉や東京、大阪など遠方からも含めて、多くの走る仲間が集まって、

今年を振り返りながらの、忘年会を兼ねてのランである。

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とは言え、弁天島から舘山寺までの12.4k、船で対岸の瀬戸に渡って弁天までの21.6k、

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全体で43kを走るんだから、決して安気なものではない。

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私は彼の呼び掛けのマラニックに18回走ってきたが、何れも楽しく様々な出会いと、発見に溢れた大会だった。

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そうして今日の私のテーマは、宮古島100kに向けて最後までテンポ良く走ることであって、仲間のお蔭で楽しく淡々と走ったのである。

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前半はTSさんと四方山話をしながら、後半は東京の皆さんに浜名湖を案内しながらのランとなった。

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そう浜名湖は、地元の人間には退屈な湖?かも知れないが、その気になれば色々と面白いところがある。

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来年の大河ドラマの舞台をはじめとして、歴史や自然・・・特に新居の宿場はゆっくりと見物すれば良いのだが…・

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ともあれ、6時間余でゴールとなって、夕日を眺めながらゆっくりとお風呂に入って忘年会である。

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年齢にかかわらず、40k近い距離を楽しんで走ることが出来るんだから、健康とこの足腰に殊更感謝しなければなるまい。

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2016年12月16日 (金)

棄てよう

年末を迎えて、今年こそはやろうと心していることがある。

それは長年手付かずのまま溜まりに溜まったあれこれを、思い切って棄てることだ。

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言うならば身辺の大掃除だが、将来を見越して(一種の終活で)今のうちに始末しようと思っている。

見渡せばクローゼットも本棚も、引き出しも箪笥も一杯で、それに奥にゃ何が入っているのかさえ分からないのだから。

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講演記録や書類だって、後で役立つと思って後生大事にしてきたが、これもそろそろ見切りをつけたい。

いったん全てを放り出して、その中から尚必要なものだけを拾い出す。

衣類だって、三年も着ないヤツは一生着ないんだから、これも全て棄てる。

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そもそも本人だけが必要としてきたものなどは、たとえ家族でも(多分)不要なものだ。

その諸々をエイヤッと棄てようと思っているのだが、果たして上手くゆくのかどうか??

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殊に自分が手がけてきた成果品などは、どれだけ棄てられるかと危ぶまれるが・・・。

それだって、どこかで見切りをつけねば成るまい(そういう歳なんだと思う)。

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しかし物や人にはそれぞれ思い出が詰まっていて、その思い出や汗をポイと棄てるにはかなりの勇気が必要だろう。

思い出は物に付属していて、物や写真に接することで記憶の底から再生される。

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最近、夜が長いこともあって、若かりし頃を舞台にした懐かしい夢を見ることが多くなった。

それはそれで意外と楽しんでいるのだが、どうやら身辺を整理しようとしていることと関係がありそうだ。

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そう、過去ってヤツは良かれ悪しかれ自分の宝なんだなぁ。

まぁ物は兎も角、亭主を一向に敬することの無い女房殿に関しては、整理はこりゃ無理だろうな!!

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ともあれ、過去を棄てて身軽になって、新しい年と事を迎えようと思っているのだ。

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2016年12月15日 (木)

続けるってこと

今日はホウレンソウを播きながら、何故続けるのかって考えていた。

ホウレンソウの栽培を始めたのは二十年程前からで、以来ずっとこの時期にはホウレンソウと関わっている。

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当時ファーマーズマーケットがブームになり始めた頃で、盛んにその成果が強調されていた。

「そんな上手い話はなかろう」と思いつつ、ならば自分で試してみようと始めたのが、

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このホウレンソウ栽培で、結果(栽培の収支)は日給にして170円になった。

一袋100円のホウレンソウの経費(種、肥料、水、出荷用資材、手数料etc)を差し引くと、

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一日8時間働いてもパンが2個変える程しか残らなかった。

現実は誠に厳しいものだが、それでも農家の皆さん(奥さん達)は現金収入を求めてそれに精を出していた。

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実はその顛末を「そんな甘いもんじゃないぜ」って、当時出版した本に書いたのである。

以来、収入になろうがならなかろうが、書いた本人としては栽培を続ける他なかった。

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栽培するったって、単に種を播けば良いって訳でなく、想像以上の重労働なんである。

それでも毎年、五か月間はホウレンソウを栽培し続けてきた。その理由の一つは、

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生産性を高める工夫と、「本に書いてあったのに、作ってない」って言われない為だ。

要するに言いたいのは、「自ら公言したことは続けざるを得ない」と言うことだ。

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同様にこの手で、私のランニング生活も、このブログも、公言して以来続けてきたことだ。

既にランニングは30年、ブログは3、870日と、かなりしつこく続けている。

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元来私は三日坊主で、子供の頃の夏休みの計画など二日と続いたためしは無かった。

そいつが改心し、「百姓(武士?)に二言無し」を自ら証明しつつあるのだ。

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とは言え、続ける為には「よし、続けるぞッ」って決意だけでは、そりゃ無理だろう。

続ける為のいろんな工夫が必要になる訳で、ランならモチベーションを何かで高めないといけない。

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同様にブログを書き続けるのにも、それなりの行動(目線)が必要になる。

まぁ何はともあれ、「続けるってことは、生きることに繋がっている」と思っている。

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2016年12月14日 (水)

白髪催年老

年の暮れは夜も長いし、今年も終わりかぁ~って気分が加わって、幾分心淋しくなる。

まして老年期を迎えようとする者にとっては尚更で、既に新しい年をと心待ちしている。

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年の瀬とはよく言ったもので、川底が浅くなって水の流れが速くなった所が瀬だ。

多分、この半月は忽ちにして過ぎ去ってしまうのだろうが、未だ宿題は色々と残している。

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ともあれこの年の瀬に、歳を重ねるとはどういうことなのかと考えたりしている。

10年前の定年退職の際、「まだまだ気力体力充実してるのに・・・」と、何だか唖然とする気分のまま職場を追い出された。

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実はそれまで、60歳と言う年頃には相当な老化の兆しがあるものと思っていたのだ。

ところが老化どころか、50,60は洟垂れ小僧であって、私の場合はその兆しすら感じなかった。

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そしてその感覚は、古稀になろうかとする今日に至っても何ら変わることが無いのである。

確かに白い物が増え、走力にも幾分の衰えがあるが、それにしても老化とは程遠いと思っている。

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老いを自覚できない年寄りは如何なものかと思案していると、孟浩然の詩に白髪催年老とあった。

白髪が老いを急き立てると言うのである。

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いかにも白髪は、「ニャロメ俺も、それなりに歳を取ったかぁ~」と言う感じにさせるものだ。

だが、かと言ってそれが全てではあるまい、30代からの若ハゲや白髪頭だってあるんだから。

それに自然界では、生き物がそれぞれ異なる速さの時間を生きている。Img_7946_2

例えばチョウチョなら、大抵は若い時代が春で、冬には死んでしまう。

それが多くの虫の一生で、彼らは同じ季節を再び経験することは無いから、老化も糞もないのだ。

これがイチョウの木だったら、数百年は裕に生きる訳で老化なんて見当もつかない。

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人間にしたところが、若年痴呆もあるし100歳を超えての矍鑠も存在する。

事ほど左様に、老化なんてのは一概に言えないものらしい。

それよりも老化を急き立てるのは、その「老いた」という気持ちではなかろうか。

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2016年12月13日 (火)

往来成古今

はや師走も半ばに達して冬至(21日)も間近になったから、手帳を新年のに切り替えた。

そして思うのは、年々歳々かくして我が人生も暮れ行くのかと言う切ない感慨である。

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人生に関してこのブログで重ね重ね書いているが、実はこればっかりは分からない。

そもそも一度しか経験できないんだから、人生の意味なんて分かる筈が無い。

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かと言って常日頃、真面目くさって「人生とは・・」なんて語る場面は極めて少ないだろう。

何故って誰もが、そう言う真面目で深刻な話は避けて通りたいのが本音だからだ。

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正直なところ、自分の人生に真正面から向き合うことなんて少し恐いし、それに詮無いなぁ~とも思っている。

だけど月日はどんどん流れて、自分の持ち時間も少なくなっていく訳で、

世代交代と言うか、社会の新陳代謝も静かに進んでいく。

正に、「人事に代謝あり」であって、それを鴨長明は方丈記であからさまに表現している。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、Dscn0307

かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と住みかも、

またかくのごとし。・・・・中略・・・・知らず、生まれ死ぬる人、いずかたより来たりて、

いずかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を

喜ばしむる。・・・・とまぁ、無常観に溢れているのだが。

誰だってこんな年の瀬には、何の為にアクセク動き回ってるのか?って思いはあるだろう。

それでも気丈に生きているのは、やる事が有って、やらねばならぬ事を次々創っているからだ。

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過ぎし日々は昔になり、めぐり巡って今となる。・・・・・人生とは、自転車の様なもの。

自力で漕ぎ続けなければならないのだから。

盛唐の孟浩然の五言律詩に「与諸子登峴首」がある。

 人事有代謝 (人事に代謝有り)

 往来成古今 (往来して古今を成す)

 紅山留勝迹 (紅山に勝迹(古跡)を留め)

 我輩複登臨 (我が輩 又登臨す)

 水落漁・・

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2016年12月12日 (月)

次に向かって

昨日の成績を踏まえて、昨年同様今日から自主トレを始めることにした。

たそがれのひと時を使って、毎日10kを走るのである。

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昨年は宮古島100kを目指して、大会までの一か月間に450kを走って成果を得た。

今年も、真面目に取り組もうと改めて思ったのである。

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人間の体と言うものは正直なもので、少し気を抜いただけで如実にその結果が現れる。

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走るというスポーツは、どうやらそうしたものらしい。

加齢にも負けずに走力を維持するには、とにかく一定の距離を走り込む他ないのである。

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昨日のダメージを残しながらだが、むしろ心地よく走れたのは予想外だった。

ところで、今年も残すところ半月余となった。

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随分とあちこちを走り、そう・・モンゴールの高原を走ったりもして、思い出を重ねて来た。

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中でも1月の宮古島100kでは、豪雨の中を走り抜いて12時間45分をマークした。

諏訪湖から天竜川河口までのランでは、肺炎を起こし、結果として八ヶ岳100kをリタイア。

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高山100kもその流れがあってか、70kでリタイアを余儀なくされた。

来年を占うのは少し早いが、来年こそはそのリタイアしたレースを全て完走したいのである。

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来年は人生の節目の年でもあるから、ここ一番頑張ってみようというのが今日からの取り組みだ。

毎日・・・雨の日も風の日も、毎日10kを走るのである。

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人間、やれば出来るのである。

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2016年12月11日 (日)

青天の霹靂

一変の雲もなく、カラッ風すら吹かない今日この日、第28回袋井メロンマラソンが開かれた。

実はこの大会は、一時の中断(京都東山)を除き、古くから走ってきたマラソン大会である。

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エコパスタートになる以前(12年)は、・・・あの頃は若かった・・・走り終わったらラーメンを食べて・・・、兎も角色々と思いで深い大会である。

その大会がエコパスタートなって、今では6千人超の人達がフルを走る大会になっている。

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昨年の途中でバテてしまった教訓から、今大会はずうっと後ろからスタートし、ゆっくり入ることにした。

確かに快調で20k辺りまでは、十分にK6分ペースを維持していたのだが、

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その後はやはりぐぅ〜んとペースダウンをしてしまって、よっちゃんにも加藤さんにも抜かれて、やはり昨年と同じパターンになった。

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最近の練習量が少なかったこともあるが、少し加齢を甘く見ているのかも知れない。

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まぁしかし、それでもネツトで4時間46分、総合順位2633位⦅年代別201位⦆だった。

それにしても、フルマラソンは難しい。

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ハーフなら目いっぱい走れば良いし、ウルトラは根気勝負だがフルは本当の走力が現れる。

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それに私のベストタイムは3時間27分(50歳ころ)だが、今では三時間代は夢のまた夢だ。

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それはとりもなおさず、それだけ体力が落ちたと言うことで、何とも言いようのない悔しさがにじむ。

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こうやって人は、徐々に戦列を離れていくのかも知れないが、私は諦めない。

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まだウルトラの世界があるし、勿論マラニックを楽しむ余力は十二分にある。

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思うに任せぬ成績は霹靂ではあるが、今の私にはまぁ〜順当なのかも知れない。

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走り終わってすっかり疲れたが、その疲れが何故か心地よく感じられる。

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早々に帰って、今日もホウレンソウの収穫作業である。

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2016年12月10日 (土)

小笠山道普請

今日は、小笠山を愛する会の呼びかけで、杣道の整備作業に出掛けた。

丘陵の北麓に高御所という所があって、かつてはそこから腹摺峠を越えて西の法多山や南の大須賀に抜ける幹線だった。

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その腹摺峠の頂には、昭和初期まで茶屋があって、かなりの人々が行き来していたらしい。

因みに腹摺りとは、馬の腹が狭い坂道で一杯になって摺れることから名付けられたという。

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その茶屋後には、井戸の跡が残り、傍らにはハランが生い茂っていた。

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ハランは、茶屋で提供する弁当に使ったらしく、説明を聞いてなる程と納得してしまった。

近世に至って、ほとんど使われなくなった道だが、散策道としては多いに価値がある。

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その道が7年程前の台風の倒木で通行不能の状態になっていた。

今回、そいつを皆で通ることのできる道にしようと呼び掛けたのである。

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集まったのは私達小笠山RC4名の他、歩こう会や山の会などから14人、計18人だった。

鎌や鋸、鶴嘴やチェーンソウなどで取り組んで、たっぷり汗を流し、ほぼ1時間半で峠に辿り着いた。

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大勢で取り組めば、長年の懸案も予想外に容易に通られるように出来たのである。

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杣道と言うものは、人が入らなくなると忽ちにして荒廃してしまう。

小笠山丘陵はかつて1万ヘクタールもの規模があって、東西南北、山を越さなければ用がたせなかった。

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だから幹線の他にも「古道」が縦横に繋がっていたのだが、薪炭が使われなくなって、

人が入らなくなり、今ではほとんどが荒れ果ててしまっている。

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この腹摺り峠に、お茶屋があったなどと知る人すら既に少ないだろう。

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それにこの道の入り口の地名の高御所は、いかにも曰くありげな地名であって、

徳川家康が武田方の高天神城を攻めた折、この辺に御所を設えたのかも知れない。

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ともあれ、綺麗になったその道を晴れ晴れとした気持ちで下ったのである。

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2016年12月 9日 (金)

人生の素顔

本来私達の人生の時間と言うものは、いつも変哲も無く長くて退屈なものだ。

近世に至って、その退屈から逃れる為に様々な工夫を凝らしてきたのだと思う。

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それが観光、芸術やら博打、スポーツからテーマパーク、或いは情報やゲームなどだが、

極論すると何れも暇つぶしだが、私達はその中に新規な事、楽しいことを探し続けてきたのだと思う。

この点、江戸時代以前の人達の時間はもっとゆっくり流れていて、それでも充実していた。

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農作業も工芸も全て手作業だし、移動だって基本は徒歩だから、それで目一杯だったって事だろう。

僅かに空いた時間は朝顔を育てたり、縁台将棋やら雑談で過ごしたんだろうと思う。

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これが動物の場合、彼らは食い物を得るために動き回っているんであって、腹が膨れればただのんべんだらりんとしている。

現実に飼い猫を見ても、毎日だらだらと過ごすだけで、あいつらは退屈と言うことを知らない。

中世までの人間も、その動物の行動とやや近かったんじゃなかろうか。

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つまり私達の人生は、取り巻く社会のありようや人と人の関わり方などで変わっていく。

その取り巻く色々な環境の産物として、現在の自分の人生があるのだ。

航空機の無い時代に世界旅行は無理だったし、ディズニーに遊ぶことも出来なかった。

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そう・・・TVやラジオの無かった時代の自分の人生なんて、想像だに出来ないだろう。

人間は産業革命によって、より早く能率よくを実現し、フリーな時間をドンドン増やして、

その結果生まれた空虚な時間を埋める為に、次々と暇つぶし産業を創り続けている。

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そのお陰で私達は、退屈知らずで暮らすことが出来るのである。

だけどよぉ~く考えてみると、一人で何もすることの無い時にこそ、ひょこっと自分の人生が姿を現すのではないか。

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とは言え、江戸時代に暮らす自分よりも、現代を忙しく暮らす自分の方が良いかな。

そういう意味で、遅くも早過ぎもせず、丁度良い時代に生まれた自分はラッキーだと思う。

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あれこれと、忙しく遊びまわることが出来るんだから !!

世の中は、喰ってクソして寝て起きて・・・・それも、真実なんだけどね。

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2016年12月 8日 (木)

種は播くべし

私の農作業は、種を播くところから始まる。

今シーズンも白菜やキャベツ、玉葱やホウレンソウなど何れも種から育てている。

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種を播くと、当然ながら本圃の準備が必要になるから、同時に鍬で耕すことを始める。

ともあれ、種は私の行動の原点なのである。

今日は朝からほぼ半日、ホウレンソウの種を播いた。

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9月下旬から播き始めたホウレンソウが次々と収穫を終えて、二回目の播種である。

ホウレンソウはかなり嫌地性の強い植物(アカザ科)で、連作が続くと発芽しなくなる。

それで私は、収穫の終わった畝を大量の水で嫌地物質を洗い流し、連作を可能にしている。

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ところで、私達の人生の軌跡も、それは種蒔き次第じゃないかと思っている。

人生に於いて突然花開いたなんてことがある筈もなく、心して長年の努力の上に花が咲くのである。

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花が咲かないのは、種も播かずその種を育てる努力すらしなかったからに過ぎない。

何事であれ、播かない種は芽を出さないのである。

例えば、私は70歳近くなっても100kウルトラを走っているが、これも40代からの積み重ねの賜物であって、あの時の種なのである。

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人生には種を播く季節があって、それは学生時代、厄年、還暦、古希ってな具合に巡ってくる。

しかして、この時期はこれからを布石する季節なんだろうと思っている。

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ホウレンソウはともかく、果たしてどんな種を播くべきなのかと思案している。

今朝は、思いがけないハプニングと共に始まった。

細君が何をとち狂ったか暗い内から洗濯を始め、私のズボンと一緒にスマホを洗濯した。

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勿論スマホは綺麗になったのだが、同時にチップの中身も一部を残し真っ白になった。

ドコモショップに駆け込んだが修復不能と言うことで、大変な散財になってしまった。

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散財はともかく、電話番号もアドレスも消え失せて、心ある人は連絡頂けません? 

細君は常日頃から崇め立て祭っているんだけど、何か悪い種を播いたのかしらん?

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2016年12月 7日 (水)

私の人生

これまで70年近く生きてきたが、思えば、何の変哲も無いごく平凡な人生である。

人の一生には破天荒なそれもあれば、プロ棋士やスポーツの厳しい世界だってある。

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勿論波乱万丈であって面白い生き方なんだろうが、目立た無い平凡な人生にだってそれなりの波乱はある。

子供(少学)の頃、多分歴史小説の影響だろうか、大人になったら外交官になろうと思った。

それで外務省に「どうしたら成れるのか?」と手紙を書いた。

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すると外務省から、しっかり勉強して外国語を覚えろって返事があった。

当時勉強はクラスでも中の下でカラッキシ駄目だったから、外交官はあっさりと諦めた。

少し成長した(中学の)頃、小説家を目指そうと思って、何冊かのノートに物語らしきものを並行して書き始めた。

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それぞれのノートに10数ページ夢中になって書いたのだが、読み直してみて落胆した。

当たり前のことだが、自分で読んでも呆れる程面白くなくって、それであっさり撤退した。

仕方が無いから、農家の長男だし農業高校に入って、卒業したら農業をやろうと思った。

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それがどうした訳か普通高校に行ってしまって、親父が「地元なら、何とか大学にやってやる!」と言い出した。

大学を卒業する頃は、この国の経済がそろりそろりと拡大を始めた時期で、一端就職してしばらく様子を見ることにした。

間もなく爆発的な経済成長が訪れて、家業の農業の見通しには暗雲が立ち込めた。

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仮に二年卒業が早かったら、私は農業者として悪戦苦闘の人生を送っただろう。

まぁ~それはそれで色々と工夫の余地はあったろうが、結局はサラリーマン生活を余儀なくされた次第だ。

とは言うものの、その夢中で関わったサラリーマン生活は、自己実現と言う意味で実に有意義だった。

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世の中の仕組みを始めとして、広い世界を垣間見ることが出来たからだが、同時に自分の中の遊びの領域が広がったことがラッキーだった。

定年退職からかれこれ10年、やっと一介の農夫になれたが、同時に学校や警察、自治会やボランティア活動にも関わってきた。

そして農夫の仕事というのは、やれば確実に目に見えてその作業が進んでいくから面白い。

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体も健康だし、有り体に言えば、平凡な市井の一人として、まぁ良くやってきた人生ではないかと密かに思っている。

70から後のそれは、多分人生の余白だね。

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2016年12月 6日 (火)

無様でも結構

この間の南伊豆道草ウルトラマラソンで、よくマラニックで一緒になるK山さんにお会いした。

薄暗いスタート前、突然出合って「K山さん!!」と声を掛けると「あんた、誰だい」と返ってきた。

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K山さんは現在84歳で100kにエントリーしていたのだが、次の言葉が「最近、ここが駄目で・・」と自分の頭を指差して、照れくさそうな笑いを浮かべた。

今年はニューヨークマラソンにも出場したと伺っていて、老いてなお矍鑠としておられる。

だが、その彼にして、認知能力はかなり低下している様子であった。

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それでも彼は、自分の玉手箱を開けることなどせず、世界中を飛び回っている。

昔話の浦島太郎は、僅か数日間竜宮城で過ごしたはずなのだが、浜辺に戻ってみるとどうも様子がおかしい。

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村の佇まいも辺りの景色も様変わりしていて、知り合いすら居なくなっていた。

すっかり世の流れに取り残されてしまっていて、強烈な孤独感を味わうことになる。

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止む無く禁断の玉手箱を開けて、その煙と共に老いさらばえ、一人浜辺にただずむのである。

浦島太郎の物語は、或いは童話ではなく、この老化と言う宿命を背負った私達への警鐘だ。

殊更竜宮城で快楽の日々を過ごした訳ではないのに、何時の間にか世代は変わり、役割だって漸減して、自分の居場所はドンドン狭まっていく。

昔の隠居ならそれなりに尊重されもしたろうが・・・と思えど、子供達も自分の事で精一杯だ。

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俄然、私達の未来は、浜辺に佇む白髭の浦嶋かと考えても致し方なかろう。

しかるにK山さんは、周りの雑事は物ともせずに、いまだ一人竜宮城に遊ぶのである。

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私もこの歳になると、歳を取るのは可哀そうなことで、とかく俺は彼より若いって慰めるようにもなる。

だけど所詮は五十歩百歩で、人間誰しも歳を取るのである。それが現実だ。

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顔は皺ばみ、髪は抜けて、動きは鈍くなるし、残りの時間は少なくなる。

K山さんは、だから今やる。

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古稀になんなんとする私だって、負けてたまるかって思いである。

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2016年12月 5日 (月)

これから

急激な成長を遂げる時代(男時)と成長の無い時代(女時)は、歴史的に交互に訪れる。

安土桃山時代はダイナミックな激動の時代で、江戸時代は成長の無い熟成の時代だった。Dscn0230

そして産業革命以来、地下資源の活用と技術革新によって成長を重ねてきた近世だが、

どうやら江戸時代の様な「経済は成長出来ないけど・・・」の時代になろうとしている。

経済は成長するに越したことは無いが、人口と共に需要も減っていくからこれは難しい。Dscn0231

逃げ道は輸出する他無いが、その頼みの輸出にも逆風が吹き始めている。

トランプの登場や英国のEU離脱など、世界中で自国経済主義が台頭しようとしている。Dscn0232

先進国も発展途上国でさえもその成長が鈍化して、所得格差や失業で不満が充満しているからだ。

つまり、順調に経済が成長してきた頃の様な訳にゃ行かなくなっている。Dscn0233

ところが年金にしても医療・介護にしても、経済成長を前提に作られているから大変さ。

日銀が金利ゼロでジャブジャブ金を振りまいているんだけど、

インフレの兆しすら無いんだから、かつての常識じゃ考えられない時代なんだ。Dscn0234

消費を増やそうにも、人口減はマーケットを縮小させるし、それに既に物足りていてこれ以上買うものも無い。

高度成長の最中、私の初任給は33,150円だったけど、確か二年ほどで倍になった。Dscn0275

スーツも車も欲しい、家電も必要だし旅行もしたい・・と、デパートには人が溢れてた。

給料もドンドン上がるから、仕事は大変でもみんなハッピーだった。

そんなハッピーな時代は既に昔物語になって、世界中が縮小均衡の状態になろうとしている。

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そして私達の今日より明日は、大きくなるよりも少しずつ小さくなっていく。

そんな目線で世界を眺め、それでも私達の生活を充実させるにはどうするかって考えるべきだろう。

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毎日忙しく動き回っているけど、そろそろ静かな充実って事を考えないとなぁ~。

何事も、進む道さえ分かれば、どうってこと無いんだよなぁ。

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2016年12月 4日 (日)

人生を語る

今時、どれ程の人が自分達の人生について、真面目に語り合う機会を持っているだろうか。

或はクリスチャンが教会の礼拝で、そんな時間を得られるのかも知れないが・・・・。

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生き方は誰もの共通の課題なのだが、そいつに真正面に向かい合って語ることは希少だ。

とかく、真面目なことは嫌われるのが風潮でもある。

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確かに人生を語り合ったとて、明日から新たな世界が広がるなんてことはない。

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それでも、私達にとって人生は、生涯を通じて考え悩み、そして試行錯誤するものだと思う。

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それで昨日から今日にかけて、人生を学ぶ勉強会の15講「諸君らの将来」に参加してきた。

例によって、語り学び、走り、そして飲む勉強会である。

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今回は、今年の取りまとめと言うこともあって、忘年会を兼ねた勉強会になって、

女性陣のフラダンスをみんなで楽しむひと時もあり、楽しい忘年会になった。

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ともあれ今日の本題は、自分達の将来と言うことである。

森信三先生は、将来を築かんとするなら読書によって自分の世界を広げ深めろと教える。

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自分の嚢中に必要な素養を蓄え、事に臨んで臨機応援の対応で将来を切り開けと。

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確かにその通りだが、古希になんなんとする自分にとっては、これは難しい。

改めて読書と言われても緊迫感はないし、世の中には情報が溢れ返っている。

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さりながらよくよく考えると、子供の頃接した「青少年文学」の影響は大きかった。

あの頃夢中になって読んだ冒険小説や科学小説から得たものの大きさは、

今日溢れる映像やネット情報とは比べるべくもない。

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良書には、やはり人間としての奥底を揺さぶる何物かがあって、

思えば人々は太古の昔から書物によって、その文化を伝て発展させてきたのだ。

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明治から大正にかけて、デカルト、カント、ショウべンハウエル(デカンショ)の時代があった。

だけど一世を風靡したデカンショだが、あの当時の訳者自身どれ程理解していたのか疑問だが、それでも学生達はそれに酔っていた。

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哲学が時代の流行だったのだが、以来哲学は難解なものとされて、

哲学と言うものが、あんまり信用されなくなったのは、あの時代の反動なんじゃないか。

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哲学は人生そのもののはずだが、特殊な人々(学者)の学問になった。

ともあれ人生は、如何様に語られたとしても一様ではなく、自分で確かめる他ない道だ。

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例えば、人生においてはその「第一歩」の心構えが肝心だとされる。

ランナーならば、10kを走る場合と100kを目指すのとでは全く心構えが違っている。

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だけど、人生の到達点が見えている人がどれ程いるだろうか。

自分の人生の到達点が見えていれば、当然ながらその第一歩は確たるものだろう。

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しかし、到達点など見えていないのが大方の人生であって、イジコジしながら進むのが現実ではないか。

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プロスポーツの成功者のように目標に向かってまっしぐらに進むなんてのは、正に奇蹟だろう。

増して70歳近くまで生きてきて、さぁ「俺の将来」を考えようとしても、これは中々難しい。

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嚢中の欠けた部分を補おうにも時は限られ、ともすれば惰性で生きることになる。

或は惰性で良いのかも知れないが、欲張りでも70からはもう一つ別の人生を生きたいとも思う。

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しかしてそれがどんな人生なのか、この一年十分に模索しようと思っている。

それには、人の振りを見るのが肝心で、勉強会はそういう意味でも多いに価値がある。

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2016年12月 3日 (土)

白髪三千丈

この時期は、冬を目前にした二十四節季の降霜にあたる。

夕刻、西空にかかった三日月と宵の明星を眺めながら、「白髪三千丈」と呟いてみた。

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晩秋の三日月は、向かう冬の寒さを予感させ、ひとしおもの思わしく淋しい。

実は近頃、毎朝鏡を見る度に、白髪の増えていくのが目立つようになった。

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白髪など然したることも無いはずなのに、それが自らの「老い」を示すとしたら、やはり李白同様の愁いを感じるだろう。

人は何時だって自分が基準で物事を感じていて、世の中が如何に移り変わろうと、そいつを評論しながら過ごすことが出来る。

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しかしながら、自らの変化を厳然として見せつけられると、これは誰しも動揺せざるを得ない。

白髪三千丈も正にその驚きだろうし、増してこの降霜の頃、我が人生の行く末を思わざるを得ない。

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長寿の時代だとは言え、人生70年はほどほどの一生ではないか。

先行き欲を出せば際限が無いにしても、精々十数年の命であろうか。

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さすれば日に日に寒さが増していく折、いかな命の燃焼をさせようかとの思いである。

さてもそれは、成るようにしかならないのだが、それにしても我が白髪三千丈を思う。

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殊更愁いが積もりに積もって白髪が増えた訳でもないが、これも致し方ない。

秋浦長似秋(秋浦 長しえに秋に似たり)であって、猩々として人をして愁えしむ。

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白髪三千丈「秋浦歌」は、李白の五十五歳の頃、自らの老いの嘆きを詠ったものだ。

 白髪三千丈 (白髪三千丈)

 縁愁似箇長 (愁いによってかくのごとく長く)

 不知明鏡裏 (知らず 明鏡の裏)

 何処得秋霜 (何れの処にか 秋霜を得たる)

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2016年12月 2日 (金)

今時の親と子

獣はその子供が独り立ちするまでは懸命に育てるが、そいつが独立すれば赤の他人だ。

そして子供も、親のことなど二度と振り返ることは無い。

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敢えて「獣は」と書いたのだが、近頃では人間社会も似たようなものだと思う。

江戸時代までは儒教の価値観が満ちていたから、親に孝行は最大の徳目だった。

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それが次第に形骸化してきて、戦後は学校でも孝行なんてことは一切教えなくなった。

それは戦前に「忠孝」がセットで教えられて、それが敗戦で「忠」が成敗され、家族制度の廃止と共に一緒に「孝」も始末されちゃったらしい。

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その時の理屈は、「親子の情愛は自然のものだから、教えなくても良い。」ってことだった。

教えなくなったら、「孝行」はその言葉共々にかき消すようになくなってしまったのである。

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つまり、孝行は(犬猫同様に)自然じゃなかった訳で、教えて始めて徳目足りえたのである。

それに加えて、年金制度のお陰で、親の方も老後に子供を当てにしなくなった。

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それで子供も「年金があるだろう」「施設に入ったら?」「介護保険があるだろう」となって、

親に孝行なんて物語りは、この社会から消えうせた感がある。

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それでも私の年配辺りまでは、古い映画や書物で「親子の情愛」を見て来ているが、

核家族の独立が当たり前の団塊ジュニアあたりからは、親の存在は如何であろうか?

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何時の間にか個人が単位の社会になった訳で、まぁ~それで良いのかと了解する他ない。

人間も禽獣と同じ動物であって、心も情も教育によって後天的に育てたものだろう。

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だから人間の生きる価値として教えられなければ、孝養も尽くされることはないのだ。

それにしても、高齢者が爆発的に多くなるこれからの時代、その年寄りの面倒を見なきゃならない国も自業自得だな。

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2016年12月 1日 (木)

歳月

歳月は、勝手に来て勝手に去っていく。

人もまた、その歳月を生きて、そして何時か滅びていく。

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黙って居れば、堀の蛙やメダカのように、人知れず滅びていく。

だからその歳月の一区切りを、カードに書いてビン止めしておこうと始めたのがこのブログだ。

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そして今、そのピンが3,857本になって、そのカードも70万回近く閲覧されている。

書く人間は一人だが、閲覧するのは道端の通行人も含め、筆者からすると不特定多数だ。

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ただカードの何枚か読んだ人は、書いている男の「人となり(?)」を全く知らないではない。

文章はその人間を映し出すし、仮にウソを書いても、それは透けて見えるものだからだ。

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その文章を3,800余回も書いてきたんだから、言うならば私は真っ裸同然である。

この間十一年近くの歳月が流れ、筆者もそれなりに馬齢を重ねてしまった。

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歳を取ったからと言って、ちっとも利口になった訳じゃなく、色々と経験を重ねただけだ。

それも筆者は、名もない市井の盆暗に過ぎず、所詮書けることは限られてくる。

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自分の体験や歳と共に去来する人生への思い、それに走り旅のあれこれを多く書いてきた。

多分、私の中にあるかなりの部分をカードに書き残してきたのではないか。

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そのカードの一枚一枚は、正に筆者の歳月そのものであって、畢竟掛け替えのないカードだ。

もちろん、漠然とした思いを書きながら鮮明にしたこともあるし、それは心の足跡でもある。

このカードは、漱石や鴎外ら文豪の書物である筈もないから、やがて風に吹かれて飛び散っていくだろう。

それが徒労だとしても書き続けようと思うのは、やはりそれが自分の生きた印だからだ。

歳月人を待たずだが、人はその歳月を生きている。

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