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2016年12月 3日 (土)

白髪三千丈

この時期は、冬を目前にした二十四節季の降霜にあたる。

夕刻、西空にかかった三日月と宵の明星を眺めながら、「白髪三千丈」と呟いてみた。

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晩秋の三日月は、向かう冬の寒さを予感させ、ひとしおもの思わしく淋しい。

実は近頃、毎朝鏡を見る度に、白髪の増えていくのが目立つようになった。

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白髪など然したることも無いはずなのに、それが自らの「老い」を示すとしたら、やはり李白同様の愁いを感じるだろう。

人は何時だって自分が基準で物事を感じていて、世の中が如何に移り変わろうと、そいつを評論しながら過ごすことが出来る。

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しかしながら、自らの変化を厳然として見せつけられると、これは誰しも動揺せざるを得ない。

白髪三千丈も正にその驚きだろうし、増してこの降霜の頃、我が人生の行く末を思わざるを得ない。

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長寿の時代だとは言え、人生70年はほどほどの一生ではないか。

先行き欲を出せば際限が無いにしても、精々十数年の命であろうか。

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さすれば日に日に寒さが増していく折、いかな命の燃焼をさせようかとの思いである。

さてもそれは、成るようにしかならないのだが、それにしても我が白髪三千丈を思う。

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殊更愁いが積もりに積もって白髪が増えた訳でもないが、これも致し方ない。

秋浦長似秋(秋浦 長しえに秋に似たり)であって、猩々として人をして愁えしむ。

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白髪三千丈「秋浦歌」は、李白の五十五歳の頃、自らの老いの嘆きを詠ったものだ。

 白髪三千丈 (白髪三千丈)

 縁愁似箇長 (愁いによってかくのごとく長く)

 不知明鏡裏 (知らず 明鏡の裏)

 何処得秋霜 (何れの処にか 秋霜を得たる)

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