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2016年12月29日 (木)

私と農業

私は、あの日本国憲法の発布された年に生まれた。

あのと書いたのは「日本国民は、恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。」の前文を思うからである。

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他国の公正と信義をあてにして、自分達の安全を保持すると言っているんだから、信じられない程虫の良い話である。

ともあれ終戦後間もない時期だから、食べるものも着るものも無く、復員した父が懸命に百姓で生きようとしていた。

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我が家では年寄りが早く亡くなって、若い夫婦だけが働き手で、当時の農作業は全て人力だったから、それはそれは大変だった。

広い田圃は全て三本鍬一本で耕し、その田から獲れる米が唯一の収入源だった。

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当然ながら貧しい暮らしで、父は時折日雇いなどに持出かけていたようだ。

それに手が回らないから就学前の子供も立派な労働力で、私は農作業の手伝いはもとより、小学2年の頃から炊事や風呂焚きを担当させられていた。

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学校から帰ると、へっついにお釜を掛け稲わらを丸めて炊飯し、裏の井戸からバケツで水を運んで風呂を沸かし、暗くなって野良から帰る父母を待ったのだ。

今考えれば「おしん」の世界だが、当時は何処の家でも大同小異だったと思う。

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やはり小学2年の頃、稲作だけでは食べていけないと、借金してハウス栽培を始めた。

始めはキューリやトマトを栽培していたが、やがてメロン栽培に収れんしていく。

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温室栽培も重労働の連続で、暖房の石炭焚きやら被覆の菰掛け、栽培土の出し入れと、

父母の苦労を見かねつつ、子供なりの働きをしてきた。

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結果として、このメロン栽培のお蔭で、私は学校に行かせてもらった訳だが、

百姓しか知らずに育った私は、高校を卒業したら父の後を継ぐものと自然に考えていた。

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江戸の昔からそうやって綿々と受け継いできたのだから、それが至極自然に思えたのだ。

高校を卒業する頃になって、大学入試だけは受けてみようと思った。

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半ば就農を決めていたのに、それが幸か不幸か入学試験に通ってしまったのである。

親父に相談すると、「俺が未だ働けるから、お前は大学に行け」と言う。

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そして大学では左程勉強はしなかったが、世の中の仕組みや流れを大いに学んだ。

それで百姓の生き方しか知らなかった男が、まったく別の世界(勤め人)を歩くことになったのである。

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今、親父が死んで10年になるが、親父が建てたガラスハウスでブドウやホウレンソウを栽培している。

生きる為に(家族のために)必死で働いてきた親父の気持ちを思いながら、私は楽しみながら作物を育てている。

人間は、良くも悪くも時代の中で生かされているのである。

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コメント

珍しい単語がでてきますね~。
難しい単語はよく登場して小生を始め皆さんを悩ましているようですが。
今時「へっつい」なんて言ってもなかなか通じないですよ。まだ竈(かまど)のほうが分かる人が多いと思います。
小生がこの単語を知ったのは立川談志の落語で「へっつい幽霊」を聞いた時で30年くらい前かな~、その時でも前振りで説明があったので現在ではもう死語に近いんじゃーないですか?

投稿: かわい | 2016年12月29日 (木) 22時16分

ついつい使ってしまうんですよね。
 へっついは、私にとって餓鬼の頃から慣れ親しんだ生活装置でした。宮沢賢治に「窯猫」って短編があって、へっついの中で暮らす真っ黒な猫の話だったと思います。
 私が丸めた稲わらをへっついに放り込むと、その窯猫と同じように飼猫が飛び出してくるんです。髭をチリヂリに焦がして・・・
 そんな昔を思いだして、ついつい「へっつい」を使ったという次第です。でも、今時へっついを知っているのは、60歳以上の人でしょうね。
               山草人
 

投稿: 山草人 | 2016年12月30日 (金) 06時20分

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