未だ見ぬ明日へ
よくよく考えてみると、私達は常に未知の時空を旅している宇宙飛行士の様なものだ。
誰もが分かったような顔をして生きているけど、実は明日の事など何も分かっちゃいない。
何故って、私達は一度しか生まれないし、この人生だって初めてのことなんだから。
振り返ってみても、少年時代は若いって事の意味や素晴らしさを知らずに過ごしちゃったし、
結婚の何たるかもろくすっぽ理解しないで結婚して、何時の間にか子供が生まれてた。
65歳からは高齢者だと言われて、えぇ~ッと、半信半疑でその高齢者をやっている。
年金の将来問題なんてことでなく、この先老いるとはどういう事かさえも分かっちゃいない。
つまり老人自身が自分の老化に関して体験して来なかったし、更には死については勿論のことだ。
人に聞いたり学んだりで分かったような気がしても、自分が体験する明日は未知なんだ。
大地震が襲うかも知れないし、年末ジャンボ宝くじが当選するかも知れないしね。
・・・ってことは、明日のことは明日になって見なきゃ分からんってことだろう。
もっとも私達は、宇宙飛行士同様に色々な予備知識にサポートされながら生きている。
だから、初めてではあっても、何も知らずに老いさらばえていく訳ではない。
当然ながら、用心して身構えながら明日に向かうのである。
未知の体験はさておき、今日は年の瀬もとうとう晦日である。
この一年、年中行事をこなして来た様でもあるが、やはり一年一年中身が違っている。
考えることも感じることも、そして身の回りの環境だって、少しずつ移り変わっている。
そして来年は、古稀と言う「新たな」ステージに突入することになる。
節目の年だから、あれこれと気張って生きてみたいと思っている。
未だ見ぬ明日を創り得るのは、明日を切開く自らの意志なんだから。
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