小笠山道普請
今日は、小笠山を愛する会の呼びかけで、杣道の整備作業に出掛けた。
丘陵の北麓に高御所という所があって、かつてはそこから腹摺峠を越えて西の法多山や南の大須賀に抜ける幹線だった。
その腹摺峠の頂には、昭和初期まで茶屋があって、かなりの人々が行き来していたらしい。
因みに腹摺りとは、馬の腹が狭い坂道で一杯になって摺れることから名付けられたという。
その茶屋後には、井戸の跡が残り、傍らにはハランが生い茂っていた。
ハランは、茶屋で提供する弁当に使ったらしく、説明を聞いてなる程と納得してしまった。
近世に至って、ほとんど使われなくなった道だが、散策道としては多いに価値がある。
その道が7年程前の台風の倒木で通行不能の状態になっていた。
今回、そいつを皆で通ることのできる道にしようと呼び掛けたのである。
集まったのは私達小笠山RC4名の他、歩こう会や山の会などから14人、計18人だった。
鎌や鋸、鶴嘴やチェーンソウなどで取り組んで、たっぷり汗を流し、ほぼ1時間半で峠に辿り着いた。
大勢で取り組めば、長年の懸案も予想外に容易に通られるように出来たのである。
杣道と言うものは、人が入らなくなると忽ちにして荒廃してしまう。
小笠山丘陵はかつて1万ヘクタールもの規模があって、東西南北、山を越さなければ用がたせなかった。
だから幹線の他にも「古道」が縦横に繋がっていたのだが、薪炭が使われなくなって、
人が入らなくなり、今ではほとんどが荒れ果ててしまっている。
この腹摺り峠に、お茶屋があったなどと知る人すら既に少ないだろう。
それにこの道の入り口の地名の高御所は、いかにも曰くありげな地名であって、
徳川家康が武田方の高天神城を攻めた折、この辺に御所を設えたのかも知れない。
ともあれ、綺麗になったその道を晴れ晴れとした気持ちで下ったのである。
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