白髪催年老
年の暮れは夜も長いし、今年も終わりかぁ~って気分が加わって、幾分心淋しくなる。
まして老年期を迎えようとする者にとっては尚更で、既に新しい年をと心待ちしている。
年の瀬とはよく言ったもので、川底が浅くなって水の流れが速くなった所が瀬だ。
多分、この半月は忽ちにして過ぎ去ってしまうのだろうが、未だ宿題は色々と残している。
ともあれこの年の瀬に、歳を重ねるとはどういうことなのかと考えたりしている。
10年前の定年退職の際、「まだまだ気力体力充実してるのに・・・」と、何だか唖然とする気分のまま職場を追い出された。
実はそれまで、60歳と言う年頃には相当な老化の兆しがあるものと思っていたのだ。
ところが老化どころか、50,60は洟垂れ小僧であって、私の場合はその兆しすら感じなかった。
そしてその感覚は、古稀になろうかとする今日に至っても何ら変わることが無いのである。
確かに白い物が増え、走力にも幾分の衰えがあるが、それにしても老化とは程遠いと思っている。
老いを自覚できない年寄りは如何なものかと思案していると、孟浩然の詩に白髪催年老とあった。
白髪が老いを急き立てると言うのである。
いかにも白髪は、「ニャロメ俺も、それなりに歳を取ったかぁ~」と言う感じにさせるものだ。
だが、かと言ってそれが全てではあるまい、30代からの若ハゲや白髪頭だってあるんだから。
それに自然界では、生き物がそれぞれ異なる速さの時間を生きている。
例えばチョウチョなら、大抵は若い時代が春で、冬には死んでしまう。
それが多くの虫の一生で、彼らは同じ季節を再び経験することは無いから、老化も糞もないのだ。
これがイチョウの木だったら、数百年は裕に生きる訳で老化なんて見当もつかない。
人間にしたところが、若年痴呆もあるし100歳を超えての矍鑠も存在する。
事ほど左様に、老化なんてのは一概に言えないものらしい。
それよりも老化を急き立てるのは、その「老いた」という気持ちではなかろうか。
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