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2016年12月 2日 (金)

今時の親と子

獣はその子供が独り立ちするまでは懸命に育てるが、そいつが独立すれば赤の他人だ。

そして子供も、親のことなど二度と振り返ることは無い。

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敢えて「獣は」と書いたのだが、近頃では人間社会も似たようなものだと思う。

江戸時代までは儒教の価値観が満ちていたから、親に孝行は最大の徳目だった。

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それが次第に形骸化してきて、戦後は学校でも孝行なんてことは一切教えなくなった。

それは戦前に「忠孝」がセットで教えられて、それが敗戦で「忠」が成敗され、家族制度の廃止と共に一緒に「孝」も始末されちゃったらしい。

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その時の理屈は、「親子の情愛は自然のものだから、教えなくても良い。」ってことだった。

教えなくなったら、「孝行」はその言葉共々にかき消すようになくなってしまったのである。

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つまり、孝行は(犬猫同様に)自然じゃなかった訳で、教えて始めて徳目足りえたのである。

それに加えて、年金制度のお陰で、親の方も老後に子供を当てにしなくなった。

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それで子供も「年金があるだろう」「施設に入ったら?」「介護保険があるだろう」となって、

親に孝行なんて物語りは、この社会から消えうせた感がある。

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それでも私の年配辺りまでは、古い映画や書物で「親子の情愛」を見て来ているが、

核家族の独立が当たり前の団塊ジュニアあたりからは、親の存在は如何であろうか?

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何時の間にか個人が単位の社会になった訳で、まぁ~それで良いのかと了解する他ない。

人間も禽獣と同じ動物であって、心も情も教育によって後天的に育てたものだろう。

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だから人間の生きる価値として教えられなければ、孝養も尽くされることはないのだ。

それにしても、高齢者が爆発的に多くなるこれからの時代、その年寄りの面倒を見なきゃならない国も自業自得だな。

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