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2016年12月28日 (水)

私の流儀

60歳を過ぎる頃には、良くも悪くもその人の生き方の流儀は出来上がっていると言われる。

その存在の大半が過去にあって、俄かに改心して一から人生をやり直そうって訳にゃいかないからだ。

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長年の性と言うか、物の感じ方や対処の仕方、好き嫌いや情愛の濃淡は変わりそうに無い。

それに、思い切って過去を棄てたら何も無くなっちゃうと思いがちだ。

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だから定年退職しても、往時のままの精神状態が続いて、人付き合いも過去に拘泥する人が多い。

それはそれで一つの人生であって、過去を懐かしんで生きるのも結構だと思う。

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しかし私は、昔から新しいもの好きと言うか、心機一転と言う気分が気に入っている。

それで定年退職時に、幾つかの旧職場の会に入りはしたが、ほとんど参加したことは無い。

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過去を懐かしんでも、何も生まれやしないと思っているからだ。

先日、過去に付属する身の回りの多くの物を一気に棄てて、その思い切りに清々としている。

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自分の書斎も見違えるようにすっきりして、さてこそ新しい年を迎えるに相応しい気分になっているのだ。

私の自分なりの流儀はと言えば、この過去に囚われない生き方だと思うのだが、同時にしつこく続けることも私のやり方だ。

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このブログは書き始めてから11年になろうとしているし、ランニングは30年、街頭での立哨は9年目に入る。

そして温故知新などと粋がるつもりは無いが、それなりに私も少しずつ進化しているのだと思っている。

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永らく人生五十年の時代が続いてきたが、その嘗ての人々には確かに人生は一度しかなかった。

だけど今、人生は九十年かも知れず、とてものこと半世紀前を引き摺って生きる生き方は、果たして如何なものだろうか。

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九十年の生涯なら、二度くらいの人生を生きられるのではなかろうか。

その為には或いは、過去への必要以上の執着は無用なのである。

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