いま在る姿
自分の姿は自分では見えないから、自分が何者(何が出来る)か分からず、それで子供の頃から悩んできた記憶がある。
それが何時の間にか、薄くなった頭や皺ばった面体を認めざるを得なくなって、やっと「あぁ~、こんなもんか!」って観念するようになっている。
それで、人生なんてもっと楽に生きりゃ良かったと思うのだが、結構真面目に生きてきた。
人並みに人生の意味や人間何故生きるかなどと、生意気に考えたりもした。
正に徒労と言うべきで、当然ながらそんなもんは始めっからありゃしなかった。
幸福になりたいとほのかに夢見たこともあったが、それも空気みたいなものだった。
そうやって右往左往してここまで来て、今は在りのままの姿が少しは見えるようになった。
先日の高校生とのマラソン風景を写真に撮って下さった方がいて、
かなり良い写真だが、当の被写体の本人は今にも死にそうな顔をして走っていた。
多分私の人生も同様で、息せき切って懸命に走って来て、今そんな顔をしてるんだろう。
残念ながら颯爽とではなく、どうやら、はぁ〜はぁ〜喘ぎながら生きてるようだ。
先日両国の大江戸博物館で、江戸に暮らす人々の姿をジオラマで見てきた。
両国界隈を行き交う人々の姿が生き生きと活写されていて、自分がその中の一人であるかの様な気分にさせられた。
この時代に生まれていたら、八百屋を冷やかす親父か浪々の痩せ浪人か???
堂々と両国の大通の真ん中を歩けたかどうか・・・などとね。
もっとも江戸の昔ならこの歳まで生きているのは稀で、もうとっくに死んでいるだろう。
なれど平成の今日、人生はまだまだ続くのである。
やはり在りのままの自分をそれなりに評価して、そいつと正直に向き合う他あるまい。
今更、飾っても化粧してもどうにもならんがな。
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