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2017年3月31日 (金)

経験の賜物

人生は経験の積み重ねであって、自分というものも経験によって出来上がるのだと思う。

仮に一生を農作業で終始したとすれば、考えることや行動も農業者らしくなる。

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それはサラリーマンでも職人・教師でも同じことで、付き合う人だってその範囲が多いから当然のことで、

語る言葉も日々扱う物事も偏ってくるはずで、その独特な世界で進退することになる訳だ。

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或いは、若い頃の読書三昧が生涯を決定してしまう事だってあるし、運動も同様だ。

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つまり環境や習慣が自ずと人を形作る訳で、そういう意味では職業と居住地が、自分形成に大きな影響を及ぼすことになる。

実は例の80歳計画に関係して、自分のこれからのありようを考えている。

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70年も生きてきたから、サラリーマン時代もその後の事も含めて、私もその偏った経験から成立っている。

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この直近の11年間のことについては、その粗方をこのブログに書いてきたから、

過去の経験によって出来上がった男の輪郭は、おおよそ想像いただけるのではないか。

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しかしてそれはこれまでの事で、これから先は年と共に身体能力も行動範囲も次第に限られるのではないか。

そのこれからの10年間に、どんな経験を積み重ねればよいのかとの思案である。

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仮に老人の仲間に入れば自ずと老人らしくなっていくだろうし、趣味の会に入ればそいつにのめり込む事になる。

一人電子書籍を読む日々や旅行三昧も悪くないが、やはりそこには充実と交流が欲しい。

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そして私の前には、時間だけがたっぷりとある「サンデー毎日」が広がっているのである。

この期に及んで、自分を別人に仕立てるのは無理としても、その「毎日」を使って自分の中の何かを開発したいと思う。

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それが何なのか、あれこれと思案する毎日なのである。

それは多分、年齢の力(経験力)の発揮と言うか、人生の面白さを味わう「時熟」だろう。

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その時熟に身を浸しながら晴耕雨読する、それが我が晩年になればそれでも良いだろう。

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2017年3月30日 (木)

琵琶湖旅情

仲間達は今日も琵琶湖の北半分を走っていると思うと、無性にあの湖が恋しくなる。

湖岸には水運によって開けた幾つもの町や戦国期の城、伽藍の厳めしい寺社が連なり、

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あの地には歴史が幾重にも積み重なっていて、そして今日の佇まいになっている。

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彦根に於ける佐和山の悲劇・豪壮な城郭と城下町、長命寺の古代仏教と聖徳太子、

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近江八幡の豊臣秀次と近江商人の勃興・掘割の街、石山寺の紫式部、三井寺の盛衰と弁慶、

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比叡山という歴史の山・・・・それらを自分の足で踏みしめ、

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そこで暮らした人々を偲びながらの三日間だった訳で、昔と今の時空の旅でもあった。

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それにあの歌を思いだす。

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我は湖(うみ)の子 放浪(さすらい)の 旅にしあれば しみじみと

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         昇る狭霧や さざなみの 滋賀の都よ いざさらば

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         松は緑に 砂白き 雄松が里の 乙女子は

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         赤い椿の森蔭に はかない恋に 泣くとかや

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         行方定めぬ波枕 今日は今津か長浜か

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そう・・瀬田川の辺りでは、学生の合宿だろうか、早朝から幾艘ものボートが見られた。

あの琵琶湖で水難がどうして起ったのか想像し難いが、それも歴然とした歴史でもある。

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ともあれ、私達の時空の旅も人生の日々と同じで、瞬く間に過去の出来事になっていく。

おそらくは私の80歳計画も、過ぎ去ってみればかくのごときかとふと思ったりする。

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計画は80歳を仮の死期と定め、それまでの10年間に何を為すべきかの計画である。

何もせずにのんびりも良いが、私にはピンピンコロリ、走り回って突然死ぬのが似合いだ。

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それまでの間、あれもこれもし尽くして、相続などの必要も無くしたいと思っている。

今回走られなかった北半分は、今年の秋にでも改めて訪れようかと考えている。

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2017年3月29日 (水)

最澄の叡山

琵琶湖走り旅から帰って、あの比叡山一帯の天台宗のいまなおの隆盛を思っている。

比叡山の山頂部に位置する東塔、西塔、横川に立ち並ぶ塔頭群もさることながら、

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山裾に位置する大津の三井寺、坂本の西教寺など、大小の寺院ことごとくが天台宗である。

まさに京の都と琵琶湖の間のこの山陵そのものが、今日も天台宗の一大拠点だったのだ。

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そもそも延暦寺は唐から仏教を学んで帰った最澄が、朝廷に請願して建てられた仏教大学(788年)だった。

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彼は桓武天皇が派遣した遣唐使の一員として中国に渡って、早々に帰国し、

彼が持ち帰った、仏教先進地の莫大な経典の翻訳・布教の拠点としたのである。

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その経典の多くは密教だったが、どうやら様々な経典が入り混じっていたらしい。

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しかし古代仏教(顕教)しか知らなかったこの国では、或いは驚きをもって迎えられたのだろう。

その天台密教が隆盛になろうとした矢先、同時に留学僧として唐に渡っていた空海が帰国する。

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もともと最澄と空海は同時に渡唐したのだが、途中で空海の乗った船が難破し、帰国も大幅に遅れていたのだ。

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だがその分、空海は当時の中国のおける密教のエキスを全て持ち帰った。

都の(最澄の)様子を伝え知った空海は、やがて用意周到な準備をして都に乗り込み、

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「これぞ本物の密教」として流布したから、叡山の最澄の立場は微妙になった。

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空海(弘法大師)は都の郊外に東寺を建立し拠点とし、やがて高野山に真言密教の大本山を築く。

当然ながら最澄の天台宗は下火になるのだが、その後最澄の幅広い教義が故に、

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源信、親鸞、日蓮、道元などの名僧を生み出すことになって、今日の一大天台宗に至るのだ。

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それにしても一時は僧兵が番拠して京の政治を差配したし、信長の焼き討ちにもあった。

仏教のみならず歴史の舞台だった比叡山は、今は世界中から観光客の訪れる聖域エリアだ。

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私達は、その聖域を大津から叡山、坂本と、修験者の道を含め自分の足で巡ったんだから、おおいに納得せずばなるまい。

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2017年3月28日 (火)

瀬田から坂本・叡山へ

走り旅もはや三日目を迎え、今朝は待望の快晴である。

宿から瀬田の唐橋まで移動し、琵琶湖西岸を北上するコースをとった。

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言うまでもなく唐橋は、壬申の乱以来戦の度に焼き落とされて、京都に入ろうとする軍勢と対峙した場所だ。

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その唐橋から10k程北、大津港の少し西側にあの三井寺がある。

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桜や紅葉の名所ともされ、数多くの時代劇映画の撮影地でもある天台宗の寺である。

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それに京都南禅寺に通じる琵琶湖疎水の水源地でもあって、一旦は秀吉によって廃絶とされたのだが、現存の金堂は北政所の寄進で再建されたものだ。

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有名な伝説があって、かつて同じ宗派の延暦寺との争いがあった折、弁慶が梵鐘を奪って、

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比叡山に引き摺り上げたという、その鐘がイノー・イノー(帰りたい)と響くんで、弁慶が怒って金を谷底に投げ捨てたんだそうだ。

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その傷跡の痛々しい鐘が名物であって、・・はて数トンはあろうかと思われる鐘をどうして運んだのか?

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その三井寺を後にして8kほど走り延暦寺の門前町、坂本に至ってやっと中食になった。

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皆でニシン蕎麦を食べて元気を出し、坂本からケーブルで比叡山延暦寺に登った。

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根本中堂を中心とした延暦寺を巡り、やれやれというところだが、三日目のランで足はかなりの疲労を蓄積しているのだが、

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そんな弱気は億尾にも出さず、更に5kほどの山中の修験道を抜けて横川へ向かった。

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千日業の展開される激しい道筋で、途中には修験者が皇居を遥拝する玉体杉もある。

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ともかくもその山道(トレイル)を進んで、15:40横川に至った。

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横川は延暦寺の奥の院でもあって、親鸞や日蓮が修行した所である。

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はてここからの便(交通手段)は無く、止む無く6k余の林道を坂本まで駆け下りることにした。

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その長い長い下り坂を降り切って、JR坂本駅に着いたのは既に17時だった。

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この旅はまだまだ続くのだが、残念ながら私は皆さんとは逆方向の家路につかなければならない。

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と言う訳で、対岸に一昨日以来走ってきた夕暮れの近江富士を眺めながら、

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三日間の何と短かったことかと感慨にふけりながら家路についたのである。

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2017年3月27日 (月)

湖畔の佇まい

煙った湖面も風情がないではないが、湖面を渡ってくる風はさすがに冷たい。

歩くと直ぐに寒くなるので、とにかくランを続ける他なかった。Dscn1224

その冷えた体を温泉で温めて、宿で暫しゆっくりした一時を過ごすことが出來た。Dscn1233

起きると昨日来の雨も降り止んで青空が見え、8:00前には近江八幡の宿を出、瀬田の唐橋に向けて元気に出発である。

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そして今日は、昨日の40kに続いて瀬田の宿まで48kを走らなければならない。

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近江八幡からさばえに出て、そこからは対岸に雪を被った比叡山を見ながら南進する。

比叡山から吹き降ろす冷たい風を受けながら、淡々と距離を伸ばして行く。

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12時近くなって、環境をテーマにした琵琶湖博物館に立ち寄って昼食、とくと見物するには2時間は要するとのことだったが、何せ先を急がねばならず、これを30分で一周した。

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確かに琵琶湖の環境を保全するのは容易なことでは無く、それに琵琶湖はバイカル湖や

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フブスグル湖などと同様に、数多くの固有種が生息する古代湖なのである。

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博物館でヒロボーさんと合流し、14:30、あの著名な石山寺を目指したのだが、これが遠かった。

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瀬田の唐橋に達したのが15:20で、石山寺はここから3k先の瀬田川沿いにある。

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おまけに宝蔵館の最終入館が15:45までと言うから、猶予なくひたすら走ったのである。

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何とか一分前に間に合って、紫式部の足跡をほのかに味わうことができた。

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そう石山寺は、紫式部が源氏物語の想を練り、執筆を続けた寺なのである。

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この寺に籠り、琵琶湖に映る十五夜の月を眺めながら、都の人々に思いをはせ想を広げ、ここで須磨・明石の二帖の筆をおこしたとされる。

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「近江の海 夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのに いにしえ思おゆ(柿本人麻呂)」などと、古の人々の心情を少しばかり想像してみた。

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2017年3月26日 (日)

琵琶湖の畔

今日は彦根に来ていて、ここから時計回りに琵琶湖を一周しようというランに参加している。

東京の三人娘に誘われての参加だが、かねて念願のランでもあった歴史の地である。Dscn1181

先ずは9時過ぎに彦根に集まったのは、6人の気心の知れた仲間である。

彦根は江戸時代の二百数十年の間、井伊直政から直弼までの彦根藩の城下町である。Dscn1191

井伊家は女城主直虎で周知の如く、浜松の北部伊井谷の出だが、

所以あって三河の家康に近侍し、関ヶ原後には三十五万石の大名になる。Dscn1195

と言っても、直政自身は関ヶ原合戦で受けた鉄砲傷が元で、彦根に移って二年後に42歳の若さで死んでしまう。

井伊家は、武田信玄の軍法を吸収して以来「井伊の赤備」と呼ばれ、代々徳川の先鋒部隊を務める藩であった。Dscn1199

小牧長久手の戦いの折には、井伊軍は豊臣秀吉に赤鬼と呼ばれ、

さらに幕末の安政の大獄では、容赦のない弾圧で直弼は「井伊の赤鬼」と呼ばれるのである。Dscn1201

ともあれ、この35万石程度の藩にしては、あまりに立派過ぎる勇壮な彦根城である。

それと言うのも、彦根城は直政の子直継の時代に築城されたのだが、Dscn1204

大阪城に残る秀頼を念頭に、近在の7カ国12大名に手伝わせ、徳川幕府の政策として家康が建てさせた城である。Dscn1211

以来西国三十四カ国に対して武威を誇って来たのだが、果たして幕末の維新では時勢に押され、戦わずして降伏した歴史を持つ。

ランのスタートは、三成の佐和山城を取りこぼして建てられたこの城を見物することから始まった。

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城見物を終えていよいよランだが、琵琶湖は湖岸延長235kあって、今日は近江八幡までの約40kを走ったのである。

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先ずはその彦根城を一巡し、湖岸を一路近江八幡を目指す。途中から雨になったが、

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それでも途中に聖徳太子ゆかりの長命寺に登ったのだが、何とその石段が808段で30kほど走った足にはかなりきつかった。

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長命寺から水郷近江八幡までは5k程で元気良く足を進めたのだが、

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あの堀端を巡るころになると雨と共に冷たい風に冷やされ、ほうほうの体で喫茶店に避難し、体を温めた。

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それでも近江八幡宮に参拝し水郷を巡り、18:00今日の行程を無事走り終えたのである。

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2017年3月25日 (土)

政治ショーの茶番

このところ豊洲だの森友だのと、およそ埒もない出来事が私達の耳目を集めている。

マスコミも面白いネタが出来て大喜びで、我々もこの報道に踊らされている嫌いがある。

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端的に言えば、森友は国有地払い下げが適切な価格だったかどうかに尽きる筈だが、

メールがどうのこうのと枝葉末節が下世話で面白く、しきりにこれを弄っている。

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国会と言うのは国民の税金を少なからず費消しているのだが、

国会議員諸氏は面白い場面の演出に熱心で、肝心の土地価格には一向に関心が向かないようだ。

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それに役者が揃っていて、特に学校法人の理事長は(証人喚問に値する)なかなかの山師でもあって、多分全国の学校の理事長先生は目を丸くしていただろう。

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只の民間人が国会で喚問に立たされて、あれほど能弁に対応できる人はめったにいまい。

それだけでも賞賛に値する(??)のだが、肝心の払い下げ価格について何の質問もなかったのはどうした訳か。

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豊洲については、移転反対派を上手く利用した正に政治ショーだった。(そろそろ幕引きだ)

普通の為政者なら、豊洲の「安心」に懸念があるとすれば、それを解消すべく全力を投じるのが当たり前だ。

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つまり汚染地下水の影響を回避する工夫(初めから影響など無いが)であり、そのPRが必要だったのである。

もとより東京の臨海部などは、大半が江戸時代以来の埋め立て地であり、

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築地も含め地下水が飲める筈もないのだが、現在の知事は正反対のことをやった。

東京都議会は百条委員会まで開いたが、一体全体何を知りたかったんだろうか??

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押し並べて登場するそれぞれの役者は、自分の利害得失だけを考えて動いている。

勿論その付けは、私たち国民が払うのではあるが…。

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まぁ〜お蔭でこの半年、私達野次馬はやいのやいのと楽しむことが出來たから良いか。

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2017年3月24日 (金)

光彩

平々凡々と生きてきた七十年近い人生を省みて、「あぁ~人生とは」などと思ったりする。

平凡で結構じゃないかと思う一方で、「それじゃ、ただ食って抜けただけの人生だろ」って声がする。

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生きた甲斐と言うか、たとえ線香花火にしても、人生にとって大切なのは「光彩」なんじゃないかという思いだ。

そりぁ~団塊の世代の激烈な競争を駆け抜け、職場の出世競争にもそれなりの結果を得た。

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出来の悪さを別にすれば、三人の子供を成人させて孫も生まれた。

自費出版ながら何冊かの本も書き、葡萄栽培やウルトラランにも精力を注いできた。

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いずれも自分なりに精一杯やってきたんだから、悔いを残すことは無いはずである。

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しかるに第四コーナーを曲がり、いよいよゴールに向かって加速する段になって、「何かなぁ~」と物足りなさを感じている。

人の生き型には「細く長く」と「太く短く」の別があるらしく、私はどうやら細く長い型らしい。

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しかし人生は長きが故に貴からずであって、キラリと輝く瞬間があれば生きた実感は残る。

吉田松陰や高杉晋作、正岡子規、坂本竜馬などは、正しく一瞬を輝いてこの世を去った。

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もとより維新の偉人と比べるべくも無いが、何が違うかと言うと「時代と志」が違いすぎる。

それに胆力が無いと言うか、所詮、生活や女房・子供の迷惑も顧みず背水の陣を敷く事など出来なかっただろう。

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人は結果として、そうやって安心・安寧を求めて生涯を送るのだと思う。

それも止むを得ないが、・・駄馬は駄馬にしても、競馬のハイライトは第四コーナーだろう。

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ならばここで、幾分なりともキラキラと光彩を放つことが出来れば、申し分ないのである。

而して、キンキラキンの装束でも調達して毎日走ろうかしらん?

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それはともあれ、幾つになっても創めることを忘れないでいたいと考えている。

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2017年3月23日 (木)

株主総会へ

30代の頃に、株主総会とはどんなものかと東京まで出かけたことがある。

軽微も厳重で資本主義の原点にしては、何と厳めしい型通りの儀式と思った記憶がある。

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今回はそれ以来だから40年ぶりで、近くに本社のある一部上場会社の総会に出掛けた。

田舎のことだから出席者は少なかろうと思ったが、存外千人程が集まる盛大な会だった。

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この企業は戦前に軍用機のプロペラを製作していたことから、原動機メーカーとなった会社で、

その歴史展示やら製品のラインナップ、将来への商品開発コーナーを見ているうちに、

私はメインの総会会場とは別の、第三会場に案内される羽目になってしまった。

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大型映像スクリーンを通じての参加だが、その臨場感はたっぷりと味わうことができた。

と言うのも、事業報告から決算など、須らく映像での説明となっていて、議長(社長)は

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その映像を交えながらの登場で、会場からの発言を差配するしきり人でもあった。

それでも十数人の発言(長期ビジョン、働き方改革、AIの導入、新製品、リスク管理、

子会社の経営など)があって、それなりにこの企業の業況が理解できた。

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ともあれ、株主総会とは言っても、株主42,000人余の大部分の賛成を得た上での総会であって、

出席した千人が全て議案に反対したところで、原案は覆る筈もないのである。

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それを承知の上での総会出席なのだが、確かに企業を知るという点では意味がある。

実のところ、近所に本社がある企業なのに、私も訪れたのは初めてであった。

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かてて加えて、お茶と羊羹のお土産を手に、来年も行こうと思った次第である。

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2017年3月22日 (水)

残日録

学生の頃からと言うか、随分永いこと日記を書くことを習慣としていた。

「天気晴朗なれども波高し、今日は」ってな具合に、備忘録であり心の揺れの記録だった。

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「人生はたかたがか六十冊の日記帳に過ぎない」ようで、記録が無かったら何も無くなる。

だから自分の生きた証のつもりで書いたのだが、その誰の目にも触れない記録が、

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(そもそも読みたい人などいない)何時の間にかバカバカしくなった。

記録が貴重なのは本人だけで、本人が消滅すれば何の価値もなくなる代物だったからだ。

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それに60年を振り返ってみても、それなりに波乱万丈ではあったとしても、

突き詰めると、ただ生きてきたということに尽きるのである。

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それで定年退職を目前に日記帳を全て処分し、一念発起このブログを書き始めた。

大げさに言うと、退職して別の自分に生まれ変わる努力の一端でもあって、

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未知の世界での生き様を、今度はオープンにして記録しようと思ったのである。

本人にとっては、残された一日一日を「我、かくて生きなん」とする残日録のつもりだった。

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以来4,000日近くになるのだが、我が人生は容易に尽きることを知らず、予想を超えてまだまだ当分続きそうである。

しかるに、最大容量を確保していたこのブログの残容量(キャパ)が僅少になっていて、

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近く何らかの決断が必要になりそうなんである。

引越しして新たなブログを立ち上げるか、若しくは全てを閉鎖するかである。

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引越しするとすれば、「不良ジジイの残日録」とでも名付けて、余生を生きるよすがにしようかと思案しているのだが・・・・。

そう言えば、この6月に「GG」と言う雑誌が創刊されるそうで、テーマは「ちょい不良ジジイ」。

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「金は残すな、自分で使え」などと、正に長寿高齢社会の生き様へのアプローチらしく、果たしてこの時代に影響を与えるのかどうか。

因みにGGとは、ゴールデン・ジェネレーションなんだそうである。

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とは言え、これからの10年で「ちゃんとしたジジイ」になれるのかどうか自信が無いなぁ。

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2017年3月21日 (火)

今と向き合う

禅問答の様だが、人生とは「今・ここ・自分」の積分に過ぎない。

たった今の、この場に於ける自分の存在、その積み重ねが自分の人生だとの認識だ。

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いやいや認識どころか、それ以外に人生などあり様もないのである。

しかしながら、理屈で分かったとしても、現実に「今・ここ・自分」を感じる瞬間は少ない。

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私の場合、そいつを濃厚に意識できるのはマラソンを走っている時で、

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殊にウルトラマラソンでは、大地を一人喘ぎながら進む自分を俯瞰する目を感じている。

ウルトラでは、スタートしてから15時間もの間、野を越え山を越え走り続ける訳だ。

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足腰が鉛のように重くなって疲労がピークを越えても、頭は冷たく冴えている。

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「もう、止めよう」とか「歩こう」と考えることもあるが、頭の中はその長い時間の大半がエンプティだ。

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時折走馬灯のように昔が蘇ってきたり、なぜ四苦八苦してるかなどと、自分と葛藤していることが多い。

心がどんどん一人だけの世界に入り込んで、そう・・・正に「今・ここ・自分」を感じている。

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100kを走るのは自分との戦いだが、実はそこは「今と言う瞬間」を意識できる時間なんだ。

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何が楽しくてそんな苦しい思いをするのかと言われるが、これは動く禅だと思っている。

その走る座禅に挑戦する様になって、もうかれこれ四半世紀になる。

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今年も既に1月の宮古島100kが終わったし、続いて「余呉湖70k」「チャレンジ富士五湖100k」

「八ヶ岳・野辺山100k」「高山100k」「日光100k」と既にそこまでのエントリーを済ませている。

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つまり、毎月のように100kマラソンが続くのである。

昨年はウルトラ8大会を走って、その内3大会で途中リタイアを余儀なくされてしまった。

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今年は古希を迎える節目の年でもあり、全大会を制覇すべく意気込んでいる。

私が100kを走るのは生きている確認の様なもので、

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そして歳と共に、その「今」と向き合う時間が濃密になるのを感じている。

いよいよ来月から、そのウルトラマラソンのシーズンを迎えようとしているのだ。

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2017年3月20日 (月)

春分の日に

暑さ寒さも彼岸までの言葉通り、穏やかな晴れの一日である。

この彼岸は遠州三山を巡って走ると決めていて、袋井の街をぐるりと一回りした。

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江戸時代の宿駅制度では東海道に53宿が設けられたが、袋井宿は23番目で東海道のど真ん中に相当する。

それでかつての東海道(旧道)の傍らに、「ど真ん中茶屋」が設置されている。

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先ずはこの茶屋に寄って美味しいお茶を戴き、いつもと少し異なったスタートになった。

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マラニックの面白さは、ぶらり立ち寄りにあるのだが、ついつい先を急いでしまうのが常だ。

今回の遠州三山でもその気になれば、可睡斎では雛人形とボタンを楽しむことが出来たし、

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油山寺では宝物殿の観賞や栄西禅師像、少し下って久能城跡、法多山の団子などを楽しむことができる。

今回の参加者は、それぞれ思い思いの立ち寄りをして、ゴールの和の湯に至ったようだ。

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私はと言えば、昨日の長距離ランの疲労が残っていて、先を急ぐことに汲々としていた。

その途中エコパスタジアムの脇を通るのだが、スタジアム入り口に書かれた2002が気になった。

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かつてこの辺りは小笠山の縁で、鬱蒼とした雑木林が続いていた。

一瞬その頃のことを思いだして、随分様変わりしたんだなぁ〜と追憶が始まってしまった。

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エコパが出来るまでの過程でも私も幾分の関わりがあったし、あの静岡国体の折には、

小笠山RCとして開会式のセレモニーにも、ダンサーとして加わった。

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もうあれから15年もの歳月が流れたのかと思ったとたん、一気に様々な追憶の中に引きこまれてしまった。

私達は日々目の前の雑事に追われて過ごすから、過去を懐かしく追想することは稀だ。

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それで何かのきっかけて過去を思い出すものだが、我が人生も既に多くがその追憶の中にある。

既に遥か彼方の蜃気楼ではあっても、妙に懐かしさが込み上げてくるのであった。

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温泉に浸かって、「はて何時まで生きるか・・・・」などと、人の一生を思っていた。

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2017年3月19日 (日)

年齢不詳の時代

何故なんだろうか?、一昔前は年相応のライフスタイルが定着していたのに、今日ではほとんど消え去ってしまった。

50歳そこそこでの楽隠居が普通で、盆栽いじりなどをしてあんまり表に出ることは無かった。

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70にもなれば老人会の主要メンバーだったし、村の中じゃ古老でまかり通っていた。

それが今じゃ、70歳で老人会に入る人など稀だし、まだまだ小僧っ子(?)ではないか。

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今日は来月からのウルトラの練習を兼ねて、少しばかり遠出をして走ったのだが、

その私をチャリンコに乗った人達が、何グループか次々と追い抜いて行く。

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赤や黄・緑のカラフルなウエアーを身にまとい、その後ろ姿は颯爽として風を切っていく。

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やがて自販機の前で休息している彼らに追い付くと、少しばかり若者の群れとは違う。

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「近くば寄って目にも見よ」となると、経年変化は覆うべくもないオジサンの集団であって、遠目にはまったくの年齢不詳であった。

そもそも4〜50年前には、ロードレーサーで走る回る年配者など皆無ではなかったか。

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静岡あたりの繁華街を歩いても、行き交う人々は、若者よりもむしろ落ち着いた風貌の人が多い。

それもスポーティなカジュアルを着こなして、畢竟紳士淑女のオンパレードである。

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かてて加えて、女性の年齢が娘なのか、はたまた年増か大年間か、それが皆目見当がつかなくなっている。

整形なのか美容の進歩なのかは別にしても、服装によって年齢を見分けるのは無理らしい。

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聞くところによると、40代の初産も珍しくないらしいから、それもむべなるかなである。

いやいや、人の話は別にしてこの私だって、ランパン・ランシャツの後ろ姿からは、40歳以下に見られるのが普通だ。

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かつてプールで泳いでいたら、プール脇にいたおばさんから、「ボク、ボク」って呼び掛けられた。

スイミング帽にゴーグル、それに贅肉のない体つきから中学生と勘違いしたようだ。

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まぁそれはともかく、年齢で物事を斟酌する時代でないことは確かだ。

而して歳だからって、あえて年相応に身をやつす必要は無いのである。

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2017年3月18日 (土)

得手に帆を上げて

今日は例によって、森信三先生の修身講義録から人生を学ぶ勉強会である。

テーマは第17講、前回に続く「一道をひらく者」である。

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森先生の40歳ころの講義だが、先生はこの中で、「大志を抱くべきことを知らず、

人生の半ばを過ぎた今日に至って、ようやく人生の意義に目覚めそめた」と言っている。

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しかも、その遅きを「真に憐れむべき人間に過ぎない」と、豊かな春秋のある学生に対して

「人生は二度とない」「諸君らにして大志を立てなかったならば・・・」と激を飛ばす。

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けだしさもあらんだが、勉強会の私達は既にみんな還暦を過ぎた年配であって、

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「はて、失った年月は取り返せないし・・・」と暫し、戸惑う態ではあった。

しかし良く考えると、志を抱くのが早いに越したことは無いにしても、年齢は関係ない。

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畢竟私の80歳計画だって、小志くらいの価値があるのではないかと考えていた。

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要はその中身だが、もとより大そうな目標を掲げる必要は既になく、例えば1「00歳まで健康で生きる」でも良いのだと思う。

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私の場合は「元気で走り続ける」程度の細やか夢だが、大切なのは自分の得手に帆を上げることだ。

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既に何憚ることなく生きられる年齢だとすれば、山本常朝の葉隠に言う様に肝心なのは「好きなことして、生きる」ことだ。

好きなとは楽なことである筈もなく、実は中々難しいことを達成していって、始めて喜びは生まれる。

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「得手に帆を上げる」は本田宗一郎の言葉で、彼は生涯車造りという「好きなこと」をして生きた。

ともあれ、勉強会はそんな難しい話も時々挟みながら、走ったり食べたり和気藹々である。

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人それぞれ考えることも感じることも違うし、何かを感じて帰れば良いのである。

今回も、歳とは関係なく志を少しでも高くせにゃいかんなぁ〜と、うたた感慨に堪えなかった次第である。

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2017年3月17日 (金)

人生の筋書き

人生に、果たして筋書きなんてあるんだろうか?

出生やその時代、或は出会いの幸不幸などを上げて、運命や宿命に重きをおく人がいる。

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生まれた瞬間に、人生の筋書きの大半は決まっているというのである。

確かに身分制の時代、農奴に生まれれば農奴で生きたし、戦乱の世なら若くして命を落としたかも知れない。

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しかし平成の今日、若者達がその気になれば、その可能性は無限に広がっている。

それに今の人達は、私達の時代と比べて、格段に個性が多様になっている。

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スポーツに秀でてプロを目指す、特定の科目が飛び抜けて得意、挨拶や笑顔が美しい、

心地の良い性格などと、逐一挙げればきりのないほどだろう。

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そのたった一つの取り柄であっても、磨きに磨いて極めていけば、人間の幅も自ずと広がって行く。

だから若い時は、自分の個性を育て、その上に自分の将来の筋書きを考えりゃいい。

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当然ながら道は一杯あって一本の筋書きなどは有り得ないだろうが、それで良いんだ。

だけど、自分の人生は自分で切り拓く(筋書きを書く)気概が肝心だと思う。

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実は今日は、中学校の卒業式があって、はなむけに「自分の得意を磨こう」と呼び掛けた。

これからはAI(人工知能)が幅を利かす時代だろうが、だからこそ私達の個性が生きる時代になるのではないか。

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自分の得手を創ってそれを磨きあげていくことが、人生の筋書きと大きく関わってくる筈だからだ。

そして中学を卒業してからの3年間は、大人になるための最後の猶予期間だ。

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何にも、臆することは無い。

何処までも続く果てしない人生の道筋だけど、自分の確かな道筋に向かって歩き出す時だ。

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若さには無限の可能性があのだし、その若い力と未来を信じて飛び立てと念じながら。

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2017年3月16日 (木)

好いた事して

あの佐賀藩の謹厳な「葉隠」を著した山本常朝が、「好いた事して、暮らすべきなり」との言葉を残している。

「武士道は、死ぬ事と見つけたり」と徹頭徹尾厳しい生活を強いた考え方と、これがどう結びつくのかは分からない。

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だがそうした社会的規範とは別に、人は本来好きな事をやって暮らすべきだと言っている。

果たして私達は好きな事をやって暮らしてきただろうか? ・・・・それは中々に簡単じゃない。

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多くの人は、生きる為に自分にムチ打って、好きでもない事に精力を費やしてきたのではないか。

勿論常朝は、堕落や安易に浸かって生きろと言っている訳ではなく、好いた事(信念)に

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沿ってその道をひたすら歩くことを求めている。

もとより人間は習慣の動物であって、辛い仕事でも真正面から向き合っているうちに、

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それがいつの間にか「好いた事」になっていくものらしい。

私の人生の「筋書き」の大半は既に終えた様なものだが、「はて、何が好きなこと」かと振り返ってみる。すると、

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好きなことなど何一つやって来なかったような気もするし、全て好きでやってきたとも言える。

学校の勉強が好きだったか? 、毎日の仕事が果たして好きだったろうか?、体を動かすスポーツなんて大嫌いじゃなかったか!!

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正直言ってみんな嫌いだったが、ただただ無我夢中で取り組んだだけだ。

結果として、あのがっぷり四つに取り組んだ仕事の日々は懐かしいし、

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半分死にそうな顔をしてたとしてもマラソンを走り続けている。 

人間おぎぁと生まれて、始めて覚えた好きなことはオッパイを吸うことくらいだろうか。

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その後は、みんな苦しくて大変なことばかりが続くんだ。

そうして今、例えばマラソンを楽しんでいるし、汗をポタポタ流しながら農作業に勤しんでいる。

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大変な事が、何時の間にか好きな事になっちまったんだ。

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2017年3月15日 (水)

他人の目

耳順から従心へと生きてきて最も変わったこと、それはあまり他人の目を意識することがなくなったことだ。

子供の頃から「人から、どう思われているのか」は重大な関心事で、極めて過敏だった。

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世間の全ての人が自分に視線を向けているかの様な意識だったと思う。だから、

些細も無いことで顔を赤らめたし、他人の一言にひどく落ち込んだりするのが常だった。

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実のところ「自分が思うほど、他人は気にかけちゃくれない」んだが、とにかく他人の目が気になった。

小さなニキビが苦になったし、他人と違う格好が出来なかったし、人前で喋ることもできなかった。

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「良く思われたい」一心で、行動の一部始終がビクビクと気になる小心な餓鬼だった。

この性格は何時の間にか鈍感にはなってきたが、長じてもかなり長く続いたと思う。

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世間知らずでもあったが、今思えばいわゆる自意識過剰というヤツである。

それが様変わりして、今では毎朝ヨレヨレのふうてんの様な格好で街頭に立っている。

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他人の言葉にも「あ、そう・・」って感じで、簡単に受け流すことが出来るようになった。

つまり、「どう思われようが・・どうでも良くなった」し、同時に相手に過剰な期待もしなくなった。

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そう・・、どうやら自意識と他人への期待は、何処かで繋がっているのである。

例えば夫婦関係で言えば、かつては私の期待を逐一裏切る細君に腹を立ててばかりいた。

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いやさ夫婦関係に限らず、子供にも期待したし、仲間にも自分にも、そして未来にも期待していた。

それが、期待しても裏切られ、それでも期待して又裏切られってことを繰り返してきた。

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いっそ期待などしなけりゃ、「ああ、こんなもんか」って納得できたんだよね。

そんな簡単な事が分かり始めたのは、やっぱり耳順(60歳)頃だからで晩生には違いない。

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人生は結局は一人旅、人は人、自分は自分なんである。

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2017年3月14日 (火)

人生は走り旅

私達の生涯は、走り旅とよく似ているのではないかと思う。

走り旅と言えば、室戸岬から佐多岬までの日本列島縦断走り旅を想像する。

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北海道から鹿児島の沙汰岬までを、毎日60k程を走り続ける二か月ほどの旅だ。

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今月末には、沖縄からサクラ前線を追って北海道まで北上するランがスタートするようだが、

私も一度は走って見たいと思ってはいるが、これに参加するには相当の覚悟がいる。

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当面はマラニックが私の走り旅だが、これとてもやはり人生の旅だと感じている。

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リュックに必要なものを背負って、見知らぬ街や村を目的地に向かってひたすら進んでいく。

時に立ち止まって景色を見たりもするが、やはり目的地へと急ぐ足があって、

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その沿道の景色や出会う人々などは、流れるように過去のものになっていくのである。

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もう一度立ち返って過去の地点に戻ることは出来たとしても、最初と全く同じと言うことは無い。

それは遠い昔に訪れた地を再び訪ねて、あぁ〜あの頃は・・・と追慕するのと同じことだ。

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実は、そんな思いで先日の横浜を辿っていた。

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多分それは、横浜が古い物と超近代とが混然としいて、その中に人々の暮らしがあったからだと思う。

ともあれ、走り去るという行為そのものは、時間を走っている私達の日々と同じだ。

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そう意識しながら、この人生の時間をもっと大切にするにはどうすれば良いかなどと思っていた。

確かに一日一日を燃焼すべく齷齪はしているが、それでも時は流れるように立ち去って、

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こればかりは納得と言うことが無い。

まさしく、走り過ぎる旅なのである。

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2017年3月13日 (月)

非日常を遊ぶ

私達の毎日は、基本的には同じことの繰り返しから出来ている。

子供の頃から規則正しくと教えられている様に、ルーチンは安心の基礎なんだと思う。

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だけど私達は、その同じことだけでは飽きてしまうというか、耐えられなく出来ている。

それで誰にとっても非日常はハレの日で、旅行とか外食などをセットしようとするのだ。

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私の場合は、定期的に参加しているマラニックやマラソン大会がそれに該当する。

かなりの頻度だからもう日常化しているとも言えるが、その度に会う人も違って、

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シチュエーションの異なった舞台があって、そこで繰り広げられる時間は別世界だ。

と言っても実はマラニックの一日は、目的地を追い掛けているうちにアッと言う間に終わってしまう。

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味わい方は色々とあるだろうに、何故か先を急ぐ気持ちが勝ってしまうのである。

昨日の「横浜いいとこ」も正にしかりで、終わってみれば「もっとゆっくり楽しみゃ良かった」との思いが残る。

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異人館もそれぞれを訪れて、そこで供されるコーヒーやケーキだって頂いて、公園があれば

その成り立ちや歴史を掘り下げて、あの横浜の醸し出すものを全部味わうべきだった。

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外人墓地を訪れたなら、その中の一人二人の生き様を想像するだけで世界は変わってくる。

あぁそうだなぁ、中華街を訪れたなら、最も美味しいシュウマイや揚げまんじゅうを食べるべきなんだ。

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老い先などと言う言葉があるが、もう既にこの非日常を楽しむ十分な資格が有るんじゃないかと思う。

それで今度は気の合った数人で、そんな気儘なマラニックが出来ないかと夢想してみた。

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同じ景色や歴史に遭遇しても、人によって思うことはそれぞれで、そのお互いの違いを楽しむ旅が出来ないだろうかと思う。

例えば、横浜のランドマークタワーの下(地下)に巨大なドッグ跡がある。

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あの地下空間を考えただけでも、人それぞれの思いが湧き出すのではないか。

ふぅ〜んで終わるんじゃなく、「無駄だろ」やら「凄い、こんな巨大たったんだ」「人間って・・」

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「どうやって、船を支えたんだろぅ」「あの底で音楽会ができないか」「・・・凄いなぁ」などと、

人間のやること、この人類の進歩や人生観に関わる面白さがある。

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たかがマラニックだけど、そこで何を感じ考えるかもマラニックなんだと思う。

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2017年3月12日 (日)

横浜を走る

今日は、はじめての横浜いいとこマラニックである。

横浜は、幕末に勝海舟が海軍操練所を創設する頃は、裏寂れた漁師町に過ぎず、

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それが開港地になるに及んで山の手に外人町ができて、一気に賑やかになった。

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この100年で今日の大都市にまで膨らんだ訳だが、

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その痕跡が新旧織り交ぜてあちこちに散在している。

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その一つ一つを巡って走る20k余が、今回のいいとこマラニックである。

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朝9時、中華街近くの石川町駅に集まったのは、長野や愛知・三重・千葉などからの43人だった。

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ここから先ずは山の手に向かい、日本で初めて開設された競馬場(根岸森林公園)を回る。

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かつて馬が走ったであろう馬場を走るのは、何ともはや歴史の福音だろうか。

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馬場は広い公園になっていて、菜の花は咲きそろうものの、木々は未だ静まり返っていた。

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そして私達は元町商店街で生プリンを食べたり、横浜名物のパンを買ったりしながら、

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山の手の頂き、港の見える丘公園に立って、ベイブリッジを始めとした横浜の眺望を眺めることになる。

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暫しの展望の後、その足元に向けて坂を駆け下り、山下公園では氷川丸を眺めながらの昼食となった。

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ここから先は正に横浜のパノラマで、大さん橋をぐるっと回って赤レンガ倉庫、みなとみらい臨海パーク、

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今では内陸に入り込んでいるこの辺りには、昔のドック跡や氷川丸造船所跡などがある。

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そもそもみなと未来は30年程前に埋め立てられて出来たんだし、

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山下公園だって関東大震災の瓦礫処分地の上に出来たんだ。

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ともあれ旧税関や神奈川県庁、開港記念館などの古い建物を通り過ぎ、

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横浜ベイスターズのスタジアムをぐるっと回って、恵比寿温泉がゴールとなった。

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この百数十年の歴史を辿りながら、超近代都市横浜を堪能したのである。

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そして勿論最後は、横浜中華街に繰り込んで盛大な懇親会となって、あぁ良い一日を今日も過ごしてしまった。

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2017年3月11日 (土)

あの時から6年

もう6年なのか!!・・・しみじみとそう思う他ない歳月である。

あの日の15:46には、静岡市のビル6階の執務室にいて、突然変なブザーが鳴り始めた。

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一体何事かと誰もが戸惑っていると、直ぐに大きな揺れがやってきた。

それも、ゆさりゆさりと大きく振られる感じで、初めて体験する揺れだった。

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それから始まった地獄絵の世界と、その後の原発制御不能は正に歴史的なものになった。

株は暴落し、世の中は一斉に火が消えた様になって、景気も一気に暗転した。

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今度起こるのは東海地震と決めてかかっていた私達にとっても、とんだ伏兵だった。

あれから被災地支援活動や現地訪問、防災講演会開催、地元の防潮堤建設募金、

地域防災組織の再編などに、かれこれ4年間は真正面から取り組んだ。

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二年前にその自治会連合会の役員も退任し、それらも既に自分の中の歴史になりつつある。

そして被災地の皆さんと同じように、私にとっての6年の歳月が過ぎ去ったのである。

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もう6年かぁ〜と諦観とも言える感慨に浸りつつ、これからの6年を考えたりしている。

これが中学・高校の6年なら、とてつもなく長く感じるのだろうが、この期に及んでは流れるように過ぎ去る月日である。

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けだしこの6年の間に私の心境は何も変わらず、馬齢だけが徒に積み重なった感がある。

恐らく6年後にも同じ様な諦観に満たされるだろうし、人生とはそんなものなのかも知れない。

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さりはさりながら、俺はここに生きてるぞッて、何事かに挑みたい野心は残っている。

それが何なのか、とにかく試行錯誤していく他ないのだろう。

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2017年3月10日 (金)

壮にして学べは

私も学校の勉強は好きじゃなかったけど、子供達は何故が勉強嫌いになるんだろうか。

それはあの頃の勉強が、強いて勉めさせるものだったからだと思っている。

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勉強は辟易だったがテストの成績には関心があって、必要からそれなりに勉強はした。

それで大学を卒業して最もホッとしたのは、これでもう勉強しなくて良いってことだった。

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その天高く晴れ晴れとしたのも一時で、やがて勉強は「仕事を覚える」ことに変わった。

これも強いられるに違いは無いが、今度は正に自分の生きる為の学びだった。

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思えば、仕事に関しては懸命に学び、考え、工夫する現役時代だった。

だが現役を卒業すると、その学びの必要が一気に無くなって、

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併せて情報量も激減したから、一時は腑抜け状態になったと思う。

長年の勉強から開放された訳だから喜ぶべきだろうが、人間必ずしもさにあらずだった。

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かつての仲間の飲み会などでは、十年一日の如く同じ事を言っている同輩がいる。

退職と同時に学びを止め「世の中、こんなもんさ」って具合に達観して、そこで人間が止まってしまったのだ。

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かつて尊敬していた先輩もそんな具合で、ガッカリさせられたりもした。

私の図書館通いが始まったのはそんな頃で、「かつて読めなかった本を全部読んでやれ」って勢いで臨んだ。

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やがてそのジャンルは限られてきたが、今でも月に20冊くらいの本を読み漁っている。

かつての強いられたり必要に迫られた「勉強」とは、正に様変わりで、

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小難しい本も読む訳だが、これが何故か(知的好奇心をくすぐられ)楽しく感じている。

そして読み書きは両輪で、ボケ防止と若さを維持することに大いに役立っていると思う。

昨夜の佐藤一斎先生の言葉に「小にして学べは、壮にして為すあり。壮にして学べは、老いて衰えず」とある。

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殊に、人生の味わいは学ぶことによって深まるのではないかと思うに至っている。

だから人間幾つになっても、好奇心と自ら学ぶことを止めないことだが、

子供達にも学びを面白くする工夫が是非とも必要だと思う。

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2017年3月 9日 (木)

起点

80歳計画の起点は、まさに従心(心の欲する所に従えども、矩を越えず)からだろう。

江戸時代後期の儒学者佐藤一斎は、その著書「言志後録」の中で「・・・而して余の齢 今

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六十六にして、猶お未だ深く理路に入る能わず。しかるを況や知命・楽天においておや。

余歳幾ばくもなし。自ら励まざるべからず。」と書き残している。

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持ち時間がそれ程ないから、自分で自分を励まさざるを得ない。・・・と決意しているのだ。

一斎は、幕末の佐久間象山や山田方谷、横井小楠などを育てた陽明学者で、その昌平黌の大学者にしてしかりである。

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いささか小難しく書き始めてしまったが、要は第四コーナーを曲がっていよいよ

ホームストレッチに向かう、これからがまさしく人生の仕上げの時期だと言うことである。

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「ひねもす碁を打ったり、ゲートボールをして楽しんで過ごしたら・・」との声が聞こえないではない。

確かにそう言う悠々自適の生き方もあるが、私は第四コーナーこそ壮絶であれかしと思う。

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この十年の間に何かをやってやろう、何が出来るか分からないし、或は何も出来ないかもしれない。

しかしそれでも、何かをやってやろうという気概は燃やし続けなけれはなるまい。

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今日一日も、早朝から動き回って(ブドウへの堆肥施用、ホウレンソウ収穫etc)、快い疲れに満たされている。

そう、人間は「あぁ、今日も頑張った」って実感と共に眠りにつかなきゃだめだ。

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これから自由な時間がどんどん増えていく訳だから、自分の克己心がキーになる。

「願わくば、我が身に試練を与えたまえ」・・・その位の気持ちで丁度良いのではないか。

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第四コーナーを曲がって各馬一斉に鞭を当て・・・はて、この駄馬は如何に走り切れるか?

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2017年3月 8日 (水)

何とも言えない自分

ただの百姓の子倅で、コレって才能や個性がある訳でもない男だ。

いやさそれどころか、不器用で遊び(スポーツ)も苦手、人付き合いだって下手だった。

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そんな内気な男が、何とか人並みに古稀までやってこれたのは、逃げずにコツコツとやってきたからだと思っている。

自分が鈍いのは承知の上だが、そんな男でもいつか底光りするかも知れんってどっかで思っていたんだ。

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だけど人生の残量を考えると、底光りなどは論外で、「やはりこんなもんか」と観念せざるを得ない。

所詮人間なんて、平凡に生きて平凡に死ねば良いんだろうが、だがそこには物思う「自分」がいる。

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悔しさも楽しく感じるのも、考える男もその自分だし、世の中で最も後生大事なのは自分だ。

その自分が思ったこと感じたことを、ブログと言う形で書き始めたのが11年前だ。

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それが何時の間にか4000日近く積み重なって、人生ってこんなもんかぁ~と、来し方を振り返って少し達観しているのである。

好き勝手な事を書いてきたのだが、書く作業は自分の心の中に入り込む作業でもある。

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書いて初めて分かることもあるし、幾分掘り下げて自分を考えることでもある。

そもそも人生などというテーマは、真面目腐って話すことはなくとも、ブログなら気儘に書くことが出来る。

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もとより人に分かってもらうのは二の次で、自分の考えを自分で確認してきた。

私がブログを書くのは、自分と向き合って、自分自身を繰り返し探る作業でもあった。

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いよいよ古稀にならんとして、実はもろもろが衰えて頭もそれなりにボケるのかと思っていた。

しかし残念ながらそれは違っていて、若い頃と何にも変りはしないことに驚いている。

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つまり、まだまだ先があるって事で、それなりに可能性に向かえるってことだ。

相も変らぬ「何とも言えない自分」だけど、まだ先があるってことは救いだな。

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2017年3月 7日 (火)

五風十雨

春一番が吹いて啓蟄が過ぎ、一雨毎に一歩一歩春が近づいてくる実感がある。

既に河津桜は満開だし、畑の雑草達が一斉に発芽を始めようとしている。

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葡萄の芽はまだ膨らんでいないが、枯れ枝のように見える奥底で何事かが始まっている。

勿論私達だって、「春眠暁を覚えず」って感じで、布団の中の居心地が少し良くなった。

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ともあれ雨風は行楽にはあいにくの気象だが、この自然界にはなくてはならないものだ。

昔から「五風十雨」と言われて、五日に一度風が吹き、10日に一度雨が降る環境は、

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畑の農作物が最も健やかに育つ気象条件とされてきた。

それで今日は、第一陣のオクラとキュウリの種を播いたのである。Dscn1088

まだホウレンソウの栽培が続くのだけれど、今後は順次夏野菜に切り替えていくのだ。

ところで人の一生にも、五風十雨がある。

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もとより無風の人生なんて在り様もないが、適度な風雨が人生を面白くしてくれる。

この私にも人並みに幾度かの危機があって、それは交通事故や仕事・人間関係のトラブルなどだった。

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殊に最も苦しかったのは対人関係で、少しばかり昇進が早かった為に随分逆恨みされて、こればっかりはどうしようもなかった。

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仕事も次々と難題に遭遇して苦しんだが、それでもそれを乗り越える喜びがあった。

思えば、半ば土砂降りの中を歩いてきたのだが、その雨が私を育ててくれたようだ。

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今古稀の年齢に至って、かつてのその雨や風(試練)がいとおしくさえ感じる。

人生はまさしく「五風十雨」、それが糾える縄のごとく折り重なって慈雨になる。

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当時は青息吐息だったにしても、今にして思えば幸せな思い出になっている。

そもそも幸せな思いなどと言うものは、その大変だったことを忘れた過去にあるのだ。

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2017年3月 6日 (月)

一張一弛

人生の日々は、川のように流れている。

小さなせせらぎから流れ下って、行き着く先はともかく、流れに沿って随分下ってきた。

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途中て滝壷にも落ち込んだし、幾つもの堰を越えもして、やがて流れはかなり緩やかになった。

せせらぎの頃はのんびりした子供だったから、親の手伝いを別にすれば自由気儘だった。Dscn0997

それがにわかに急流に出て、40数年の緊張に次ぐ緊張の時代が続いた。

30歳の頃だったか、今で言うところの鬱病でヘルペスと不眠に悩まされた時期もあったが、

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緊張しきった糸は、今日まで何とか切れずに踏みとどまった。

人間は習慣の動物だから、いつしかその張り詰めた生活が当たり前になって、

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目つきも幾分鋭く、いつもイライラとして余裕が無かった時代を送ったようだ。

だけど、それも何時の間にか過ぎ去って、それから既に10年近くが過ぎようとしている。

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勿論この10年間にも幾つかの緩急があったが、その緩急をむしろ楽しんできたように思う。

自治会連合会の役員などもあって時に緊張したり、マラニックのリラックスなどが交互にあって心地良かった。

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しかしながら川下に近づくに従って、その緊張の機会と程度が少しずつ減ってきている。

そしてややもすると、楽ぅ~な一日が過ぎ去っていたりもするのである。

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先日「80歳計画」を考えていると書いたが、これからの10年は「緊張の場面」を如何に創り出すかが課題だと思い始めている。

人間はとかく易きに流れるもので、私の人生の糸もだらぁ~んとしてしまいはしないかとの心配だ。

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緊張の連続は問題外だが、人生にはやはり一張一弛の適度な繰り返しが不可欠だ。

そりぁ~あれかな、緊張感を持って遊ぶことかなぁ~。

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2017年3月 5日 (日)

思い出ぽろぽろ

人生は、とどのつまり思い出づくりなのではないか?・・・・、と思ったりする。

だから長い人生の過程において、どの様なプロセスを経て思い出が出来たかが重要な要素になる。

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苦労して成し遂げたことは生涯の思い出だが、同じ成果でも順調なら記憶にも残らない。

例えば私のウルトラマラソンなら、最初に完走した八ヶ岳は生涯忘れられない感激だったし、

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仕事でもやはり苦心惨憺したことは、今でも夢に出てくる程印象深い。

而して何の波乱もなく淡々と生きて来た人と、波乱万丈の生涯を送った人とでは、

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その思い出のスケールは遥かに異なってくるはずだろう。

どちらの道を選ぶかは人それぞれだろうが、思い出が色々とあった方が人生としては、より面白いのではないか。

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もちろん私も数々の思い出を創ってきた訳だが、最近それらの影がどんどん薄くなっていく。

そうして遥か昔の思い出は、走馬燈のごとくおぼろになり、昔々の物語になった。

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かつては昔のことを繰り言のように語る老人がいたが、今ではとんとお目にかからない。

世の中がどんどん先に進んでしまって、昔語りなんて聞く人が居なくなったからだろうか。

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現に私だって、昔の思い出はさておき、新しい思い出を創ることに汲々としている。

それは、まだまだ新しい思い出を創ることが出来るって確認でもあるし、一種の挑戦でもあって、

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これからもどんどん新たな思い出を創っていきたいと思っている。

ともあれ、新たな挑戦(行動)をすれば新しい思い出が出来るのだから、この歩みを止める訳にはいかない。

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振り返って考えると、このブログを書いてきた3,950日も、その思い出の一つ一つなのである。

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2017年3月 4日 (土)

いやぁ~面白かった

現役時代、それは仕事で充実していたけど、面白いとか楽しいという感覚は無かったなぁ~。

朝は6時過ぎには家を出たし、帰りは大抵が午後10時過ぎだった。

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時には仕事を持ち帰って深夜まで苦闘したし、有給休暇を取るなんてそもそも発想すらなかった。

因みに40年近くの現役時代には、有給休暇の取得は平均すると年に2日も無かっただろう。

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「企業戦士」などと言われた頃の実情で、今で言うところの「働き方改革」の正に対象だったろう。

従って、家族団欒とか、子供と遊ぶなんて事にも縁遠く、そもそも私自身が遊びを知らぬ仕事馬鹿だった。

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必死で生きてた訳だが、それでも心にゆとりが生まれたのは50歳を過ぎて、あちこち走り始めた頃だった。

しかしその頃にゃ、既に子供は独立し、細君も自分の道を遠くへ歩き去っていた。

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而して時は過ぎ去り、何とか生活できる程度の金があって、時間にも心にもかなりの余裕のある時節を迎えた。

ならばイザ、過去の貸しを取り戻さんと思ったところで、既に池塘春草の夢でしかない。

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残された時間は、精々10年と言うところまできてしまっているのだから。

いっそ散り際に大きな波瀾万丈を企てようにも、流石にそこまでの元気は無くなっている。

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私に残された術は、やはり今後の10年を貪欲面白くするしかないではないか!!

そう・・・今日最も大切なものは、自分に残された濃縮されたこの時間だと思う。

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そうしてこの使い方如何が私の人生のラストチャンスであって、それが「80歳計画」である。

だが一つ欠落があって、それは世の為人のために何が出来るだろかって視点だ。

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とにかく、大なり小なりこの世に恩返しをしなければなるまい。

そうして、日々快い疲れを感じながら眠ることが出来れば、最後に「あぁ~、面白かった」って言えるんじゃなかろうか。

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自分に与えられた人生の畑を、その日まで懸命に耕そうと決心している。

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2017年3月 3日 (金)

80歳計画

自分の寿命を仮に80歳までとし、残りの10年間に何をしてどう過ごすかの計画である。

一種の終活とも言えるが、実は先日から考え始めたばかりで、これが中々難しい。

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動機は古稀を迎えるにあたっての心構えだが、年と共に活動範囲がドンドン狭まって

やがてジリ貧でこの世を去るイメージがどうにも気に入らず、ならば如何と言うことだ。

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勿論年とともに体力は落ちるだろうし、本を読もうにも目がかすみ、

体のあちこちも痛むだろうし、人からも年寄り扱いを受けることになる。

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しかしこれを受け入れていたんでは、閻魔大王の思う壺にはまる事になる。

ここは一番、自分なりの快老計画が必要だと思い立ったのである。

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そしてそのキーワードは、未知への探究心、気楽な冒険心、それに旺盛な行動心だろうか。

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先ず考えたのは体力を落とさないことで、月間走行距離300k以上を維持し、75歳までは100kウルトラマラソンに挑戦することだ。

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以降80歳までは徐々に距離を減らして行って、フルマラソンを年間6大会程度にする。

その基礎体力を元に、現在の農業規模を(機械力の導入を視野に)幾分拡大していく。

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勿論その中心は葡萄で、新しい品種への切り替えを含め、これで大いに遊ぶことにする。

それから極力旅に出て見分を広げ、その旅には海外のマラソンツアーを加えたい。

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もっとも海外のマラソンを始めると、次から次へ行くことになりそうだなぁ~。

それから、それから・・・・と尽きないが、

この10年間は、要するにそれなりの最後の気概を持つことが肝心だろう。

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たった10年しか無い訳だから、型通りの年を重ねたんじゃ面白くなかろう。

やりたいことは遠慮なくやって、かなり生意気に生きても良いんじゃないかって思案だ。

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そして10年後、縁者に集まってもらって最上級のワインでも開けて乾杯し、

「この世をば どりゃお暇(イトマ)に 線香の煙と共に ハイさようなら」(十返舎一九)となれば結構だろう。

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つまり、面白いことを追い掛け回す10年になれば、それは大成功であると思う。

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2017年3月 2日 (木)

こざっぱり

一雨ごとに春の訪れを感じるようになって、ブドウの春支度をすべく作業を始めた。

剪定によって大量の枝葉がゴミとなっていて、雨を幸いにこの焼却作業である。

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朝早くからこの枯れ枝処分に取り組んで、昼前にはハウスの中がかなりこざっぱりとした。

そのすっきりとした植床に潅水を施して、彼らに春の到来を知らせるのである。

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実はハウスの中なのに、昨年の11月から4か月近く水を与えていないのである。

当然ながら土は水をはじく程にカラカラに乾燥していて、これをゆっくり湿らせていく。

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午後からは白菜漬けを作ろうと、白菜を収穫すると、もうしっかりと抽苔を始めていて、

10日ほど遅かったことを後悔しつつも、ダシ昆布やトウガラシを入れて漬け込んだ。

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白菜はとっくに春の支度(菜の花)を始めていたし、葡萄もこれで動き出すだろう。

私も堆肥(2t)を仕入れたり、春〜夏野菜の種を購入したりと、春シフトを加速させている。

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あぁ〜それに昨日は、初めての挑戦だが、サラダゴボウの種を播いたんだった。

そんなこんな春の支度で忙しいのを良いことに、私は相変わらずむさくるしいままである。

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土いじりが多いから衣服はいつも汚れているし、その服装で街頭にも立っている。

内心「ボロは着てても、心は錦♪」などと、からっきし風体に気を配って来なかったが、

それが如何にもジジ臭くみえているらしい。

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買い物に出掛ける時でさえ、まぁ〜四六時中この作業着のままの姿で過ごしている。

この自分の身なりが気にならないというのは、感覚の麻痺(老化)の兆しだと指摘された.

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服装に始まって、生き方全般がだらしなくなっていくのだそうだ。

それに、環境が人を作る(馬子にも衣裳)らしく、農作業をしたことのない細君からイエローカードが出たのである。

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それで、この春の到来に合わせて、私も「こざっぱり」を目指すことにした。

汗でどす黒く汚れた帽子も洗濯をし、紐の切れたズボンも新調することにしよう。

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この春から、心を入れ替えて美しくなるぞぉ〜・・・・??

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2017年3月 1日 (水)

明日は君達の為に

高校を卒業する18歳は、言うならば元服で、選挙権同様に大人の仲間入りと言っても良いだろう。

そして今日は全国的に、その高校三年生の卒業する日を迎えたのである。

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私の関係する高校でもその卒業式があって、例年同様の感激に浸っていた。

祝辞に立って申し上げたのは二点で、一つは人生は「今、ここ、自分」の選択遺憾だと言うこと。

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そしてもう一つが、言葉と自分の口を大切にするってことだ。

私達は言葉で考え、言葉で感じて、言葉で自分のすべてを律している。

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これからの時代はAI(人工知能)が幅を利かす時代になりそうだが、それ以前に私たち一人一人が精巧なコンピューターである。

そのCPUは言うまでもなく脳で、その脳に情報をインプットするのが五感と言うことになる。

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中でも口は、脳を自律的にコントロールする最大のインターフェースである。

自分の口から出た言葉を記憶して、自分への命令として受け止めていくからだ。

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だから人生を楽しくしたかったら、自分の口には前向きのことを喋らせることだ。

だが口って奴は兎角厄介なもので、油断すると愚痴ったり人の悪口を言ったりしてしまう。

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そうするとその悪口が脳に伝わって、余計に不快が広がって行くのである。

だから、人は褒めるに限るし、自分の口には後向きな言葉を喋らせないことだ。

自分の口は自分の人生をコントロールする大切なキー、と言うことを忘れないでほしい。

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大筋そんなことを申し上げた訳だが、彼らの人生は明日からいよいよ本番を迎えるのだ。

人の一生はたかだか80年程度、勿論彼らの前には無限の命が広がっているが、

それだって過ぎ去ってみれば、人生は実に短いものと言わざるを得ない。

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「今、ここ、自分」と「自分の口」を大切にすることで 、人生の荒波を乗り越えて行ってほしいと心底祈りたい。

さすれば、きっと明日は彼らの為に開けていくだろう、と確信している。

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