経験の賜物
人生は経験の積み重ねであって、自分というものも経験によって出来上がるのだと思う。
仮に一生を農作業で終始したとすれば、考えることや行動も農業者らしくなる。
それはサラリーマンでも職人・教師でも同じことで、付き合う人だってその範囲が多いから当然のことで、
語る言葉も日々扱う物事も偏ってくるはずで、その独特な世界で進退することになる訳だ。
或いは、若い頃の読書三昧が生涯を決定してしまう事だってあるし、運動も同様だ。
つまり環境や習慣が自ずと人を形作る訳で、そういう意味では職業と居住地が、自分形成に大きな影響を及ぼすことになる。
実は例の80歳計画に関係して、自分のこれからのありようを考えている。
70年も生きてきたから、サラリーマン時代もその後の事も含めて、私もその偏った経験から成立っている。
この直近の11年間のことについては、その粗方をこのブログに書いてきたから、
過去の経験によって出来上がった男の輪郭は、おおよそ想像いただけるのではないか。
しかしてそれはこれまでの事で、これから先は年と共に身体能力も行動範囲も次第に限られるのではないか。
そのこれからの10年間に、どんな経験を積み重ねればよいのかとの思案である。
仮に老人の仲間に入れば自ずと老人らしくなっていくだろうし、趣味の会に入ればそいつにのめり込む事になる。
一人電子書籍を読む日々や旅行三昧も悪くないが、やはりそこには充実と交流が欲しい。
そして私の前には、時間だけがたっぷりとある「サンデー毎日」が広がっているのである。
この期に及んで、自分を別人に仕立てるのは無理としても、その「毎日」を使って自分の中の何かを開発したいと思う。
それが何なのか、あれこれと思案する毎日なのである。
それは多分、年齢の力(経験力)の発揮と言うか、人生の面白さを味わう「時熟」だろう。
その時熟に身を浸しながら晴耕雨読する、それが我が晩年になればそれでも良いだろう。
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