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2017年3月26日 (日)

琵琶湖の畔

今日は彦根に来ていて、ここから時計回りに琵琶湖を一周しようというランに参加している。

東京の三人娘に誘われての参加だが、かねて念願のランでもあった歴史の地である。Dscn1181

先ずは9時過ぎに彦根に集まったのは、6人の気心の知れた仲間である。

彦根は江戸時代の二百数十年の間、井伊直政から直弼までの彦根藩の城下町である。Dscn1191

井伊家は女城主直虎で周知の如く、浜松の北部伊井谷の出だが、

所以あって三河の家康に近侍し、関ヶ原後には三十五万石の大名になる。Dscn1195

と言っても、直政自身は関ヶ原合戦で受けた鉄砲傷が元で、彦根に移って二年後に42歳の若さで死んでしまう。

井伊家は、武田信玄の軍法を吸収して以来「井伊の赤備」と呼ばれ、代々徳川の先鋒部隊を務める藩であった。Dscn1199

小牧長久手の戦いの折には、井伊軍は豊臣秀吉に赤鬼と呼ばれ、

さらに幕末の安政の大獄では、容赦のない弾圧で直弼は「井伊の赤鬼」と呼ばれるのである。Dscn1201

ともあれ、この35万石程度の藩にしては、あまりに立派過ぎる勇壮な彦根城である。

それと言うのも、彦根城は直政の子直継の時代に築城されたのだが、Dscn1204

大阪城に残る秀頼を念頭に、近在の7カ国12大名に手伝わせ、徳川幕府の政策として家康が建てさせた城である。Dscn1211

以来西国三十四カ国に対して武威を誇って来たのだが、果たして幕末の維新では時勢に押され、戦わずして降伏した歴史を持つ。

ランのスタートは、三成の佐和山城を取りこぼして建てられたこの城を見物することから始まった。

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城見物を終えていよいよランだが、琵琶湖は湖岸延長235kあって、今日は近江八幡までの約40kを走ったのである。

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先ずはその彦根城を一巡し、湖岸を一路近江八幡を目指す。途中から雨になったが、

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それでも途中に聖徳太子ゆかりの長命寺に登ったのだが、何とその石段が808段で30kほど走った足にはかなりきつかった。

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長命寺から水郷近江八幡までは5k程で元気良く足を進めたのだが、

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あの堀端を巡るころになると雨と共に冷たい風に冷やされ、ほうほうの体で喫茶店に避難し、体を温めた。

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それでも近江八幡宮に参拝し水郷を巡り、18:00今日の行程を無事走り終えたのである。

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