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2017年3月29日 (水)

最澄の叡山

琵琶湖走り旅から帰って、あの比叡山一帯の天台宗のいまなおの隆盛を思っている。

比叡山の山頂部に位置する東塔、西塔、横川に立ち並ぶ塔頭群もさることながら、

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山裾に位置する大津の三井寺、坂本の西教寺など、大小の寺院ことごとくが天台宗である。

まさに京の都と琵琶湖の間のこの山陵そのものが、今日も天台宗の一大拠点だったのだ。

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そもそも延暦寺は唐から仏教を学んで帰った最澄が、朝廷に請願して建てられた仏教大学(788年)だった。

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彼は桓武天皇が派遣した遣唐使の一員として中国に渡って、早々に帰国し、

彼が持ち帰った、仏教先進地の莫大な経典の翻訳・布教の拠点としたのである。

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その経典の多くは密教だったが、どうやら様々な経典が入り混じっていたらしい。

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しかし古代仏教(顕教)しか知らなかったこの国では、或いは驚きをもって迎えられたのだろう。

その天台密教が隆盛になろうとした矢先、同時に留学僧として唐に渡っていた空海が帰国する。

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もともと最澄と空海は同時に渡唐したのだが、途中で空海の乗った船が難破し、帰国も大幅に遅れていたのだ。

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だがその分、空海は当時の中国のおける密教のエキスを全て持ち帰った。

都の(最澄の)様子を伝え知った空海は、やがて用意周到な準備をして都に乗り込み、

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「これぞ本物の密教」として流布したから、叡山の最澄の立場は微妙になった。

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空海(弘法大師)は都の郊外に東寺を建立し拠点とし、やがて高野山に真言密教の大本山を築く。

当然ながら最澄の天台宗は下火になるのだが、その後最澄の幅広い教義が故に、

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源信、親鸞、日蓮、道元などの名僧を生み出すことになって、今日の一大天台宗に至るのだ。

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それにしても一時は僧兵が番拠して京の政治を差配したし、信長の焼き討ちにもあった。

仏教のみならず歴史の舞台だった比叡山は、今は世界中から観光客の訪れる聖域エリアだ。

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私達は、その聖域を大津から叡山、坂本と、修験者の道を含め自分の足で巡ったんだから、おおいに納得せずばなるまい。

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