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2017年4月30日 (日)

古代の巨大建造物

中国は北京を訪れている。

気温28度、オゾンの匂いがして、少し蒸せる様な暑さである。

かつて月からも見えるとされていた万里の長城、その城砦を走る大会に参加するのである。

中国の歴史書「史記」には、長城について「それは地勢に従い、険阻な場所に砦が作られ、

臨洮から遼東まで、延々一万余里」と記述されている。

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「万里の長城」の万里は、この史記の記述に由来するのだが、実際は6000k余とされる。

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それにしても、秦の始皇帝(紀元前221年)から、漢や明など歴世の王朝が心血を注いで、

しかも険阻な場所に人力だけで、延々1500里もの城砦が築かれたのである。

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長城の目的は、韃靼(蒙古)なと゜北方の騎馬民族から中華を守ることだった。

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しかし実際には元は蒙古民族だし、清王朝は満州族だから、長城は機能しなかったことになる。

当然ながら異民族支配の時代には長城は放置され、長い間崩壊を余儀なくされていた訳だ。

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因みに、元の時代に中国を訪れたマルコポーロは、長城のことは一切触れていない。

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関心すら持たれなかったのだろうが、しかしその後長城は歴史遺産として見直され、

山海関や嘉峪関、八達嶺などは修復されて、今では重要な観光資源になっている。

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ところで、この長城は長い間「月からも見える」と(私もそう思っていた)とされていた。

しかし、総延長は長いにしても、幅10m足らずの構造物が見えるはずも無く、勿論ホラだ。

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それでも宇宙飛行士アームストロングがリップサービスで「見えた」と発言したりしたが、

2003年中国初の有人飛行舟「神舟5号」の楊利偉は、「我々の長城は見えませんでした」と明確に否定している。

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月から見える逸話は、それ程巨大な構造物だと、ロマンとして言い継がれてきたんだろう。

ともあれネットを見ていてこのマラソンを知り、吸い込まれるように参加にクリックしていたのだ。

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後は野となれ山となれだが、どうやらそれは石段の山の連続らしく、厳しいトレイルと知った頃には後の祭りだった。

まぁ~何とかなるだろうと、王府井を散策しながら不安と期待に戸惑っている。

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王府井は、明代以降皇族の邸宅があったところで、北京随一の繁華街である。

サソリのから揚げなどを売る店が並び、人々が群れ溢れていて如何にも中国を思わせる。

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しかし、30年近く前に訪れた中国とは、全く違った国になっていて、人々の姿も明るい。

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2017年4月29日 (土)

寺の街鎌倉

鎌倉観光の多くは、大仏を始めとした神社仏閣を訪ねるものだろう。

私もついでながら、ふらりと鎌倉に寄ってみようと降り立ったのである。

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公家の時代から武士の時代へ、その拠点として武家が築いた街だから俄然禅寺が多い。

訪ねたのは北鎌倉で、表通りはせわしく車が行き交うが、少し路地に入ると閑静で山裾の緑が美しい。

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そして鎌倉街道沿いには、円覚寺を始めとして東慶寺、浄智寺、明月院、建長寺、円応寺などが続いている。

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その通りから細い石段を登っていくと、巨木の間の木陰にぽつぽつと墓が点在している。

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その少し地味なお寺が東慶寺であって、開基は1285年北条貞時、開山は北条時宗の夫人とされている。

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歴代住持には名門が多く、後醍醐天皇皇女、豊臣秀頼の娘(娘が居たんだ)天秀尼などだ。

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俗に縁切寺として知られ、この寺に逃げ込んで3年間尼を務めれば、離婚が認められたという。

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時宗婦人の覚山尼が定めた縁切寺法によって、東慶寺同様に幾つかの駆け込み寺が

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指定されていたようで、女からの離縁が認められなかった、江戸時代の話ではある。

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その駆け込み寺に、何故か西田幾太郎、和辻徹朗、小林秀雄など文人の墓がある。

木々の下に苔が青く折敷、その苔の中に墓石が建っている。

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聞けばこの東慶寺、昔から文学学識世界の人にとっては、憧れの墓所(?)であるらしい。

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なるほど、鎌倉なんだなと思った。

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続いて訪ねた円覚寺は、蒙古襲来による犠牲者の菩提を弔うために建立されたらしく、

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6万㎡もの寺域に18の塔頭が点在する広大な寺院だ。

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開山に当たって招かれたのが宗の無学祖元と言う坊さんで、鹿の一群が現れて彼の法話に耳を傾けたとの伝説がある。(よって瑞鹿山円覚寺)

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700年以上前の元寇が如何に甚大なダメージだったかが、この円覚寺の規模からも察せられる。

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結果として鎌倉幕府は衰微し、室町時代へと歴史は移り行くのである。

ともあれ鎌倉は源から北条に引き継がれ、そのしっかりとした歴史を残していた。

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2017年4月28日 (金)

粗忽の人

自らを省みて、「俺も、粗忽な男だからなぁ~」と、溜息をつくことしばしばだった。

思わず口にした言葉が相手の琴線に触れたり、悪口と受け止められたりしたこともある。

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本人にはそんな気はまるっきり無いのに、相手に誤解されてしまうのである。

そんな時、いつも「口は災いの元」だと、自らを戒めたものである。

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もっとも、公人でもない只のジジイの発言などさしたることは無いが、それでもである。

況や大臣をや・・・・と、首になった今村大臣をマスコミに迎合して鞭打つつもりは無い。

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つまり私同様の粗忽者に過ぎないなぁ~、と幾分同情しているのである。

あの「東北でよかった」発言は、被災者には申し訳ないが、誰もが思っていることだ。

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もし津波が自分の所だったら、もし首都圏を直撃していたらもっと大変な事だったってね。

彼はその心の中で思っていたことを、ポロリと極自然に派閥の会合でしゃべっちゃった。

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多分「東北も甚大な被害を出した訳だが、これが仮に首都圏だったら被害は想像することも出来ない程だ」と言いたかったんだろう。

だけど彼の立場は、最も被災地の事を考えなきゃならない復興担当大臣だった。

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全く持ってお粗末としか言いようが無いが、彼にはまったくもって悪気が無いのである。

それに「自己責任」発言は、もっと粗忽だった。

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得点を稼ぎたい無名記者が矢継ぎ早に無理な質問を「帰還は自己責任ってことか?」と

答弁を誘導しているのに、それにまんまと乗せられて、「帰る帰らないは自己責任」って言っちゃった。

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多分本人は、「規制は解除したから、帰るか否かは自身の判断だ」と言いたかったんだろう。

結果として翌日の新聞には、その「自己責任」の言葉だけが大きく扱われることになった。

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揚げ足を取ることの出来たあの無名記者は、恐らく得意満面ではなかったか。

つまり言葉足りずというか、単なる言い間違いをしてしまうところが粗忽だ。

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国務大臣としては失格と言う事になるが、それにしてもマスコミの報道姿勢に疑問が残る。

粗忽な私などは、かつて中世フランスで起こった「魔女狩り」を連想するのだが・・・。

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あぁ~、もの言えば唇寒しである。

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2017年4月27日 (木)

自分の生きる物語

私も古稀を迎える年頃になって、やっと「自分の生きる物語」を認識できるようになっている。

自分ってヤツが分かって来たって言うか、こんな性格で、趣味も定まっていて、

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こんな人達と付き合って、家族の力関係やら自意識はこの程度だと分かるってこと。

それが所謂アイデンティティであって、周りからも「そういうヤツだよな」って認めてもらってる。

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つまり自分の形が定まっている訳で、そういう意味じゃ人生で最も心の安定した状態にある。

「それで良いじゃないか」と思うが、穿った見方をすれば「リスクを取らなくなった」ってことだ。

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思えば、現役時代はいつも満身創痍で、悩みを抱えていない時なんて皆無だった。

同僚のちょっとした言動に傷つき動揺し、そのくせあくまでも平静を装っていたり。

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間接的に理不尽な悪口が聞こえてきたりすると、心の底に逆襲感情が沸き起こったりもした。

自分が正しいのに何故なんだと、不愉快な感情を押さえ込めないことだってあった。

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そう、自分の存在が否定されることは、誰の人生にとってもいかにも不愉快な事である。

「人から何を言われても気にするな」なんてのは、人間の感情を知らない者の戯言に過ぎない。

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要するに人は本来、他人にその存在を認めてもらいたいんだ。

然るにこの点でも、馬齢のお陰で他人の目を気にして萎縮するって事が少なくなっている。

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それに清貧ぶる訳ではないが、あれが欲しいこれが買いたい食べたいなどと言う欲望が少なくなった。

而して自分で自分を認めるって言うか、「まぁ~こんなもんか」って自分の生きる物語を観ている。

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論語に「吾 70にして心の欲する所に従いて矩を越えず」とあるが、こうした心境を言うのかどうか?

人は兎角自分の人生と他人の人生を比較して、それで妬んだり嘆いたりする訳だ。

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だけど結局のところ、自分の物語を生きるっきゃ無い訳で、自分の物差しを持って、

他人を認め、自分も認めてもらって、尚且つ自分で自分を認めてやりゃ良いんだ。

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そんな簡単な事が分かるってのは、・・・・あぁ〜古稀かぁ!!

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2017年4月26日 (水)

人生を楽しむには

近頃、時たまだが「人生を謳歌してるね」と言われることがある。

確かに不在がちで、傍目には遊び回っているように見えるらしく、家の事もしないで・・・と言うことらしい。

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しかし弁解させてもらうと、最小限の「家の事」はやっているし、いやそれ以上に畑仕事やら何やらをこなしてもいる。

そもそも人生を楽しむには、それなりの踏ん張り無理、つまり力が必要なのである。

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ほら最近のスポーツ選手は「試合を楽しんできます」なんて言って遠征するよね。

あれは自信の表れで、楽しんでいてボロ負けしたんじゃ楽しんだことにゃなら無いでしょ。

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楽しむ為にはそれなりの練習に耐えて、より上の力を獲得しなくっちゃ無理だってこと。

私はスポーツ選手じゃないけど、楽をして「人生を謳歌」している訳ではない。

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私達は人それぞれに生きるための価値を創りだしていて、その為に生きるって面がある。

本来、人生そのものに価値とか意味があるのかと考えてみて欲しい。

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そして幾ら考えたって、人生それ自体に意味はもとより、価値なんかあるはずがない。

犬も猫も、ウサギだってミジンコだって、そして人間も生まれて生きて死ぬだけだろう。

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ただ私達に出来ることは、自分が出っくわす物事の中に意味を見出すことで、それが結果として人生の価値になってくる。

それが地位とか名誉だったり、蓄財や学歴、それに自分なりの納得だったりする訳だ。

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私の場合には地位とか蓄財は所詮無理だから、時にマラソン完走が最大の価値になったりする次第だ。

人生には意味が無いのに、そうやって意味があるかのように生きているんだ。

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例えば、今日で4003日目になるこのブログにしても、自分では続けるって事に価値を見出しているから書いている。

だから何の価値があるのかと問われても、価値を認めるか否かは人それぞれでしかない。

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だけど私にすれば、書くことが一種の人生の謳歌であり、自分なりの存在価値なんだ。

だからして、人生はおおいに楽しむべきであり、のんべんだらりしてる暇は無いのである。

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2017年4月25日 (火)

習慣の力

子供の頃、学期松のテストが近づいて机に向かう、あの勉強が嫌いで仕方が無かった。

勉強だけじゃなく、草野球に誘われても、そのボールを扱うことがどうにも苦手でしょうがなかった。

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人前で話をするなんてとんでもない事で、自分は凄く小心なんだと思っていた。

だけどそれは、今考えると、ただ単にそうした習慣が無かっただけだと分かる。

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勉強をする習慣もボール投げすることも、話をすることもほとんど無かったからだ。

人間は習慣の動物で、怠惰が癖になれば生涯をそれで過ごすことになる。

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私はケチだが、これは小さい頃からの貧乏性が身に染み付いて習慣化したからだろう。

同様に浪費癖だとか、怒りっぽさ、泣き虫、アルコールや喫煙、整理整頓なども、すべからくその人の習慣に起因する。

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正直な人はいつも正直が習慣だから、嘘などつこうと思ってもつけるものではない。

明日から日記を書こうと一念発起しても、習慣にならなかったら3日坊主で終わっちゃう。

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つまり良い習慣を身につければ、私達の人生の諸々の苦労の大くは解消したと同じだ。

そしてその習慣を身につけるには、物事を先延ばしすることなく直ぐに始めることだ。

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そうして、とにかく繰り返すことで、勉強も仕事も、ボール投げも楽しくなるものだ。

私は、理由も無く体を動かすことが大嫌いだった。

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それも、自分は運動音痴で適性が無いと思っていたが、実は体を動かす習慣が無かったに過ぎない。

40歳の頃、時代(バブル崩壊)や人生の転機を迎え、何とか自分の生き方を変えようともがいていた。

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その時、その手段として始めたのが、書く、合う、走る、栽るの四つの事だった。

書くことは同人誌への定期的な寄稿、合うことは幾つかのサロンへの参加、

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作ることは葡萄を植えることで、それ程の障害も無く習慣化できたと思っている。

しかし走ることは中々定着させられずに、止めたり始めたりが数年続いた。

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それが走る会に参加することでやっと習慣化し、今日の私のランニング生活に繋がった。

仲間との競い合いが習慣化を促してくれた訳で、それも偶然の出会いがきっかけだった。

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ともあれおよそ人生は、良い習慣(コツコツ)を身に付けることが鍵になると思う。

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2017年4月24日 (月)

おとうさん

普段使っている何でもないその言葉が、最近は妙に気にかかるようになっている。

昨日のウルトラの80k付近エイドで給水していると、となりの女性から声を掛けられた。

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「おとうさん、ここまで来たんだから、何が何でもゴールしましょうね」と微笑んでいる。

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その瞬間素直になれなくて、「おとうさんじゃ、ないよ」と言葉を発しそうになった。

だが、改めて見れば相手は、自分の娘くらいの年恰好の女性であって、そう言われても無理はない。

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逆に女性の方からすれば、「こんな年配の人が頑張ってるんだから、私もゴールを・・」と思ったとしても不思議はない。

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宿に帰って鏡を覗くと、やはりそこには、疲労して皺ばった初老の男の顔があった。

かつての紅顔の青年も、馬齢を重ねに重ねりゃあ、この程度の顔になるだろうって顔だ。

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それにもかかわらず、その自分の加齢を納得できないでいる自分がいる。

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このウルトラマラソンにしても、こんな苦しい事を何時までやるのかと攻める自分も存在して、

そいつと何時もせめぎ合いになるのだが、75歳までは挑戦を続けるつもりでいる。

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とは言えかつて11時間代で走ったのに、今では関門を常に意識しなければならなくなっている。

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持久力はともかく、瞬発力では格段に劣化しているのである。

それでも人間は不思議なもので、「やれば出来る」と確信して疑わない。

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出来ないのは、自分がそれだけの努力をしないからだ、とそう思って生きている。

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そしてこれは多分、何歳になっても続くのではないか。

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しかして、人間とはそう言う生き物なんだろう。

そして、エキサイティングな昨日は、体のどこかで今も続いている。

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2017年4月23日 (日)

走るその訳はゴール後に

久しぶりに晴予想となったチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンである。

この大会は山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖をぐるりと回って帰って来る大会だ。

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私はleiku4の100kを走るのである。

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スタートの早朝五時の気温は2℃と岳麓にしては温かったが、走り出して直ぐ手の感覚がなくなった。

山中湖はまだ冬で、ソメイヨシノの蕾は堅くつぼんだままだった。

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だが小さな花弁で可憐な富士桜は満開で、遠目には綿毛が積もったように見える。

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その富士桜を横目に、かなりのスピードで山中湖をグルッと回っていく。

と言うのも、この大会の前半は特に門限がハードで、56k地点を7時間(12時)までに通過しなければならない。

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その関門のある河口湖に入ると、標高が下がって今度はソメイヨシノが満開であった。

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加えて富士山が霧の間から顔を出し、大勢の花見客と共にアマ写真家がズラリと並んでいた。

時々富士山と桜を見上げるのだが、50k前後から足は勿論、体中が痛みだし、次第にそれどころでは無くなる。

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しかし、歩いたのでは門限に間に合わない訳で、痛みにも拘らず淡々と走り続けた。

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そのお蔭で、最大の課題だった56kの関門を10分前に通過することが出來た。

本栖湖の入り口では、マラニック仲間の浜ちゃん達が私設エイドを設けてくれていて、

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本栖湖一周5kの最初と最後にビールの接待を受けた。

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ランニング時の少量のビールは、かなり疲れた体を奮い立たせてくれるのである。

ともあれこの頃から弱気の虫が顔を出し、止めよう、もう止めよう、何の為に走るんだ・・などと囁き掛けてくる。

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それでも「何のために走るのかって、そんな答えはない。答えはゴールしてみなきゃ分からんだろう・・・」と反論する。

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そう・・・・、100kマラソンは、自分の体と心の果てしない戦いなのである。

そして遂に、18時46分(13時間46分)でゴール(完走)することが出來た。

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ずっしりと思い完走メダルを戴いて、このブログの4000日目を嬉しい報告で終えることが出来た。

しこうして随分疲労したが、この長い一日は終わったのである。

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2017年4月22日 (土)

知るよりも感じなきゃ

今日は恒例の修身講義録の勉強会である。

集まった13人は、先ずはそれぞれこの一か月間の近況報告をするのが慣例だ。

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僅か一か月と言えども、身近な人を亡くしたり、何年かぶりのイベントがあったり、

思わぬ社会現象や事件に遭遇したりと、人それぞれの日々なのである。

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それを我が身に照らして、それぞれに思いをはせるのも、もうすっかり習慣になった。

今日はゲストに35歳でアスリートで学者でもある二見さんも見えて、

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以前予告していた出版の報告があった。

著書の内容は、学ぶこと、走ること、生かすことの三章立てで、シロフネ小学校の物語になっている。

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これまでの教育は、出来ることを増やす教育だったけど、これからはやりたいことを探す教育が必要だという。

つまり知識を詰め込む教育から、大いに感じさせる教育こそ肝心ではないかと言うのである。

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自分の体を動かすことで、より感じ方が敏感になっていく。

何の為に学び・走るのか、答えは「やり終えた先」にあるのであって、諦めないのがアスリートだ。

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ところで今日のテーマは第18講「人を植える道」と難しいが、要は「自律させる」ことだ。

真の教育は、教師の「内面より発する心の光」によってこそ実現できると先生は言う。

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その生徒の未来を思いやる心の教育とも言えるが、現実は知識(教材)を型通り教えるのが精一杯だ。

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教育の面白さは、容易ではないが、確かにその知識をとび越えたところに生まれるのだろう。

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この点、二見さんの感じさせる教育は、森先生の説くところと共通する点がある。

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私の様な凡人は、この落莫たる人生の晩年になって、初めて少し分かる程度でしかない。

この「教育とは、人間を植えること」だと言う、荘厳な洞察など出来ようもないのである。

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H子さんからは、自分の生徒の嘘に翻弄された話があって、現実には今日の子供達と真摯に向き合うのは、そんなに容易なことではない。

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ともあれ私は勉強会の半ばで退出したのだが、皆さんから温かな激励の拍手に送られた。

明日は、とにかく懸命に走るのみだ。

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2017年4月21日 (金)

適応能力を磨く

昨日の「年寄りの顔」に関連して、顔の形やその印象は皮下脂肪の中で動く筋肉の状態で決まる。

そしてその筋肉の動きは、感情や欲望・思想を映し出すから、顔つきは心の動きで次第と言う事になる。

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だから何時も笑っている人は笑い顔になるし、強欲な人・怒りっぽい人もそれなりの顔になる。

要するに年寄りの顔は、長年生きて培ったその人の人格の表現と言う事になる訳だ。

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それに加えて、顔が表現する最大のものは、その人の適応能力ではないかと感じている。

人間のキャパシティと言うか、この人にはここまで頑張れるけど、それ以上は無理だってなことが、顔つきで分かっちゃう。

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動物も植物も、本来相当に広い適応能力を持っている筈だが、生活環境がそれを退化させてしまっている。

かつては人間も相当に苛酷な環境に耐えて生き残ってきた訳だから、凄い適応能力を持っていたはずだ。

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だけど今日、戦国時代の武将達、いや戦前の戦地での環境を考えたって、その環境には雲泥の差がある。

車や航空機で移動し、空調の整った所で汗もかかずに機械をコントロールしている。

生き物としての適応能力を奮い立たせる環境には無い訳で、それが当たり前になっている。

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俄然人々の顔は、生き物本来の精悍な顔つきが少なくなって、甘ったるい顔ばっかりになった。

食べ物にしても飽食は寿命を縮めるものらしく、鯉なども餌を与えすぎると死んでしまう。

私達も時には断食(ラマダン)する方が、生き物としての適応能力が刺激されるのではないか。

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我田引水になるが、ウルトラマラソンはその適応能力(体力と精神)を極限まで刺激する競技だ。

水と僅かな補給食で野を越え山を越え100kを走るんだから、自分の生きることへの適応能力を試す試みだ。

もっとも昔の人は、生死を賭けて走ったのだから凄い。

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例えば豊臣秀吉と柴田勝家の戦った賎ヶ岳の合戦では、豊臣軍は一昼夜で大垣から余呉湖まで走り抜けている。

本能寺の変の際の「大返し」も同様で、わら草履で武器を持って走ったんだから、正にウルトラマラソン以上だ。

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余談になったが、要は人間には生きるための適応能力を刺激する過酷さが時々必要なんだと言うこと。

眠くても早起きする、寒風に耐えて運動する、汗を書くことを厭わない、あえて机に向かう、

美味しいものでも腹八分目、・・・ってなことかな。

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フランスの生物学者アレキシス・カレルも、その著書「人間・この未知なるもの」の中で、

「動物や植物など生物体の価値は、その適応能力である」と書いている。

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2017年4月20日 (木)

年寄りの顔

4月も下旬に入ろうとしているのに、未だに花弁の残る桜があるんだから、今年は異常だ。

その散りそうで散りきれない乳母桜を見上げながら、「地震でも起らにゃ良いが」と思う。

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私の葡萄達も、変わった春の到来に疑心暗鬼なのか、一斉に芽を出すに至ってはいない。

乳母桜と言えば、あの詐欺事件のS子(62)は、30歳代で通用していたってんだから立派?だ。

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貢がれたタイの男もちゃっかりしたもんだが、女の魅力に歳は関係なしってことか。

片や男の魅力は、働き盛りの颯爽とした壮年がピークだと思っている。

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それが仕事から離れる年頃になると萎びて、髪も薄くなって、いかにも年寄の顔になっていくようだ。

私もしかりで、自分の気持ちと顔付きは、残念ながらどんどん乖離していく一方である。

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実はいずれは、笠智集みたいな味のある爺さんになりたいと思っていた。

しかしながら、何時までたっても「なぁ~、とらさんや」とか「年寄りの顔に免じてここは・・」などと言った場面に遭遇しないのである。

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人生経験が尊重されない世の中と言うか、むしろ時代の歩みが早すぎて、若きに学ぶことの方が多くなった。

現実に私のアイパットもスマホも、困った時には孫が頼りなのである。

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暮らしだってどの家も老人世帯になって、この私も92歳の母親と暮らしているんだから、

笠智衆の様に覚りきった出番を演じることは、金輪際ありっこないのである。

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人間誰しも、とにかく生きていれば老人になるのである。

だけど老人にはなっても、自分に似合った年寄りを演じられるかどうかとは別であって、

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うっかりすると、諦めの気持ちが先になって、その玉手箱の煙に巻かれかねないのだ。

だから私は、無理に年寄りらしく振舞うなんてことはせずに、アナーキーな壮年を演じようかと思っている。

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もっとも顔はS子のように整形する訳にもいくまいから、せめて赤い服でも着て、ウルトラマラソンを走りまくるんだ。

それに思うに、人生なんて所詮は座興だろうしね。

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2017年4月19日 (水)

Self Help

何でも反対の野党の悪弊は、この国の癌だと思うのだが、とみに最近はポピュリズムが目立つ。

介護保険法改正や年金・医療でも、存続の危機に至っても(党利党略のためには)なお反対を貫くのである。

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「天は、自ら助くる者を助く」の言葉は、福沢諭吉の西洋事情にも出てきたと思うが、

中村正直の「西国立志論」が始まりで、その大本はサミョエル・スマイルの自助論にある。

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イギリスの産業革命時代の書で、労働者が如何にすれば中産階級になれるかを説いている。

自分のことは自分でやるのが原則で、自分の向上は自分で努力することだと。

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当時のイギリスは、世界の工業生産の過半を占め(七つの海を支配す)る超強大国だった。

しかしその後(特に戦後)は、「揺り籠から墓場まで」とされた福祉政策のために、

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急速に国力を衰微させ、一時はヨーロッパの只の一国に過ぎなくなってしまった。

同様に国が全てを差配してきたソ連が、今日の脆弱なロシアになったのもしかりだろう。

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押し並べて、国も組織も家庭も、その栄枯盛衰は構成員の自助努力如何なんだと思う。

いや他国の話ではなく、この私たちの住む日本の社会のことを考えている。

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格差社会が殊更に強調されて、教育や福祉をはじめとした弱者対策が正論とされている。

教育の無償化、医療費負担、高齢者介護、生活保護、失業対策、年金などと、世は成熟してきた。

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だけどその制度自体の存続が危ぶまれるほど、国にはかつての経済力は無くなっている。

それでも繰り返し福祉問題が大きな政争の具になり、極論すると自助を損なってきている。

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本来国がやるべきことは、自助を促す福祉であって、「生活保護」ではない。

冷たい様でも基本は自立であって、社会も個々人の存立も依存で成り立つ訳がない。

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今日これからの政治は、そこのところが問われているのだと思う。

そして、これからの課題は高齢者の自立だな。

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2017年4月18日 (火)

取っ掛かり

何事も一番難しいのは、そいつに取り掛かる最初のところだと思う。

私はクズで怠惰で優柔不断だから、宿題を前にして先ずは色々な事を考えてしまう。

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大変だろうなぁ~とか、上手く出来るかなぁ~などと、グズグズと時間を費やしている。

やがて締め切りが近づいてきて、切羽詰ってやおら手を付けるといった按配である。

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この点、スイスの思想家ヒルティは、先ずは(やれ)手をつけろと言っている。

文章を書くならすぐさま最初の一行を書くべきだ、畑を耕すなら先ずは鍬を握って一打ちする、それだけで物事は格段に容易になる。

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何事も一歩前に出ることで気分が乗ったり、アイディアが湧いたりすると言うのである。

全くその通りで、「大変だなぁ~」と思って逡巡していても、何にも解決しないのである。

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だから事が大変なら大変なほど、先ずは手を付けることだと、経験的には分かっている。

今年は古希を迎え、この先「サンデー毎日」の日常が待っている訳で、

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幾らでも時間があると思えば、その先延ばしの癖は常態になりかねない。

それに「何時か実現しよう」ってんじゃ、何時までも出来ないのと同じことになりそうである。

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いやさ、私の80歳計画への取っ掛かりを考えているのである。

人生最後の締めくくりとなる計画だから、相当に周到に準備しwてやろうと思っていて、

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その中身は未だ朧げのままで、その緒に付くどころか、逡巡を続けているのだ。

かえてどこまで体力が続くのかなどと、未知の世界に足を踏み入れるのだから、霧の中を歩くことにもなる。

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長寿(時熟)の時代をどう生きるべきか・・・・、これがなかなかに難しいのである。

ともあれ直ぐに始める。先延ばししない。とにかくやる。そんな癖を身につけねばなるまい。

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2017年4月17日 (月)

心ひとつ

昨日の天竜路で、彼の地には面白い人が住むと見えて、大分変わったヤカンに遭遇した。

「阿多胡川の大なまず」伝説があって、道端に手作りの流木を使ったなまずが祭られている。

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それ自体が洒落なんだが、その参拝用の鈴が、なんとヤカン二つがぶら下がっていた。

紐を振るとこのヤカンがカランカランと音を出し、もうそれだけで住人のユーモアに感服してしまう。

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もう一つは畑の隅に建てられた小さな人形で、なんとこの頭がヤカンで出来ていた。

ヤカンは逆さに使われているから、頭部は勿論つるつるのハゲ頭で、注ぎ口は鼻である。

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確かにアルミのヤカンは近頃では使われなくなったが、物も使いよう考え方一つである。

ところでこのところ、年寄り扱いされることが増えて、気力が萎えると言うか、かつての自信が少し揺らいでいる。

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某大型家電店でアイパットを購入する際、対応する若い店員が私を「お父さん」と呼ぶのである。

「お父さん、これはね云々」と、それは訳の分からない年寄りに教え諭すかの口振なんだ。

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始めは親しみを込めてなのかと思ったのだが、そのうち見下した表現だと気付き、こちらが動揺してしまった。

それに仲間の女性からも「ねぇ、お爺ちゃん」と話しかけられることが多くなった。

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これも親しさの面があるにしても、覚悟のない本人にとっては、これが堪えるのである。

年齢からすれば確かにジジイに相違ないにしても、若さを自認する精神が崩れそうになる。

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そもそも人間と言うものは、自分を(若く)理解してくれる人間に傍にいて欲しいものだ。

しかるに、周りの人間にシジイ・シジイと言われるに及んで、若さの自尊心がグラグラ揺らいでいる。

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しかして、その崩れかけた自分を引き上げ、改めて前を向くには生半可じゃできない。

それにゃ改めて若さの実績を積み上げ、「おぬし、人間の値打ちが分かる?」と言えるようにする事だ。Img_0025

イヤイヤそんなことは言わずとも、自分の若さを自分の心でしかと認識することだ。

武道の極意も心であるように、全てが心によって決まるのである。

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他人の目(コケにされる)など気にすることなく、その自分の心を生きりゃそれでいい。

使われなくなったヤカンだって、立派にユニークな役割を果たしているしね。

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2017年4月16日 (日)

熊平の山桜

天竜区の山間の山桜が、満開だという。

今年の桜は二週間は遅れたが、山桜に関しては平年通りの開花と言う事らしい。

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その山桜を見に行くマラニックをトッチーさんが呼び掛けて、今朝(午前8時)は船明ダム湖畔に14名が集まった。

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このダム湖から阿多古川沿いに約20k遡った所に、その目的の山桜はそびえている。

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湖畔の桜もまだまだ見ごろで、南風を受けて初夏の様な日差しの中、一行のスタートである。

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ダムの堰堤を越えて少し下ると、そこからはずっと登りが続くのである。

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所々に咲く桜に励まされ、清らかな阿多古川の流れに背中を押されるのだが、次第に足は重くなる。

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それでも来週の予行演習と思えば、弱音はこぼせず、ひたすら皆さんの後を追いかける。

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昨日の雨の影響か林間の道は幾分の湿度を保ち、仲間はぐんぐんスピードを上げていく。

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やっとと言うべきか、11時頃、幾分の空の広がりとともに桜花が広がり、ホッと目的地に着く。

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先ずはその山桜周辺を一巡し、一画の民宿で揃って中食である。

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桜を味わった後の昼食は格別で、天婦羅には行者ニンニクまで設えてあった。

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ともあれ今日の行程は、未だ半ばにも達せず、早々に熊(くんま)を目指すことになる。

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熊で小休止の後は30分余の急な登りが続き、その後は10kほどの下りになる。

このコースの良いところは、この下りが幾分の安心材利用になる点だろうか。

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ところでこの北部遠州は過疎化が激しい所で、年々活気が無くなっていく地域だ。

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特に浜松市に合併したこの十数年は、活力を喚起する担い手すらいなくなってしまった。

せいぜい週末に私達の様なランナーやロードレーサー、ライダー達が登ってくる程度だ。

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この山桜だって、もっと多くの人々が押し寄せても良さそうに思うのだが、それでも静かだ。

兎も角もこの山里をぐるっと巡って、15:40には船明に戻ってきた。

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42k程度に過ぎないのだが、体感的には50kほどを走ったと思えるほど疲れていた。

さてゴールしてからだが、桜の下で細やかな花見の宴となって、持ち寄った食べ物でお互いの労をねぎらったのである。

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良いなぁ〜、こんな素晴らしい一日を過ごすことが出来るんだもの・・・って感激していた。

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2017年4月15日 (土)

春の駆け足

万物の動きを促す春風は、ものを長ずる力そのものである。

その遅れていた春風が本格化して、自然界は追い掛けられるかのように大わらわである。

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満開の桜並木の前に広がる茶園では、急いで薄緑の新芽が顔を出そうとしていた。

桜とお茶が競演するのは、遅い春の故で、ついぞ見かけなかった景色だ。

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山の尾根道を走ると、あの派手やかなミヤマツツジが輝き、崖の縁にはヒカゲツツジが満開だった。

黄緑の花を咲かせるヒカゲツツジは極めて希少種で、それと知れるのは花を咲かせるこの時だけである。Dscn1470

今年もヒカゲツツジの満開に遭遇してとっても嬉しくなり、足の運びすらが軽くなった。

するとその道すがら、なんと丁度摘み頃のワラビが顔を揃えているではないか。Dscn1469

にわかに温かくなって、ワラビも一斉に伸び始めたんだろう。

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誰も居(折)らぬでホダだとなるところだったから、これを一抱えばかり収穫して帰った。

この春一番のワラビのヌルヌルとした食感は、まさに春の味わいなのである。

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山から帰ると、暑さに半裸になって、二度目のオクラの鉢上げである。

今年も相当数のオクラを育てる予定で、この育苗はまだまだ続くのである。

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日ごと様相を変えつつあるのが葡萄達で、遅れていた芽吹きを回復しようと、一気に競争が始まっている。

頂芽優勢の原則も何のその、後から後から遅れ芽が出てきて、その整理に大わらわだ。

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何しろ優秀な芽を伸ばさないことには、花も稔りも期待できないのである。

その花房だが、既に極早生のデラウエアは一枝に4つも花を付けていて、これを一花房に絞る作業を始めている。

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二兎を追うものは一兎を得ずの喩え通り、一枝に一つの果房を稔らせるのがベストだ。

これから毎日のように、この春風との追いかけっこの作業が続くのである。

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2017年4月14日 (金)

一生の友?

友だち100人あった〜ぁら♪、などと、幼稚園の子供達は歌っている。

否、子供たちならずとも、肝胆相照らす友人の存在は人生の重要問題だと思ってきた。

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これまで随分多くの同級生、先輩・後輩・同輩、はたまた地域や仕事、そして遊びで、それこそ無数の人々と出会ってきた。

親しくお付き合いさせて戴いている人も多いが、「果たして友か」と言うと正直分からない。

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確かに濃淡は別にして、親しい知人ではあっても、やはり他人であってそれ以上ではない。

正直言って、私には本当の友達なんて一人もいないのである。

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ただ成り行き上、友達であるかの様に振舞っている人はかなりの数いる。

それぞれお互いを認め合って、共存している関係と言ってもいいだろうか。

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「それが、友達だよ」と言われればそれまでだが、その人達に私は本音で話しちゃいない。

あくまでも付き合いであって「何時も、私は私を演じている」に過ぎないのだ。

いやさ、仮に恋人があったとしても、やはりその愛する人には自分の良いところを見せたい。

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清濁併せ呑むなんてのは、友達関係に於いては嘘なんじゃないか。

つまり何らかの打算、利害関係が自ずとその行動を支配している様な気がする。

本当言うと、どこかで「ドあほうで身の程知らずの自分」を知られたくないのである。

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これは利己主義の時代の特徴なのか、それとも私自身の自己の肥大化なのか悩む所だ。

いつの頃からか、一人で産れて自分一人で成長してきた様に感じているんだ。

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そして今、「友達なんて一人もいなくたって良いんだ」って納得し始めている。

人間は一人で産れてきて、死ぬ時だって一人なんだからさぁ。

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2017年4月13日 (木)

惰性の功罪

私達は、たいていがマンネリに則って生きているようだ。

マンネリ打破などと言ったりするが、毎朝会社や学校に行く事だって、歯を磨き風呂に入ることもマンネリだろう。

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変化に乏しくて退屈かも知れないが、だけど十年一日の如く続く同じリズムこそが、

私達の普通の生活であって、その繰り返しのお陰で、安心して日常を送ることができるんだ。

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この私も、早起きして朝一番に葡萄畑を見回る、朝食を終えると街頭に立って登校する子供達を見送る、

山を走り・・ブログを書いてってな具合に、一日が多くの習慣化された行動で成立っている。

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かつて学生やサラリーマンだった頃、その惰性の連続に辟易したこともあったが、

定年退職でその毎日が無くなって始めて、その惰性の有り難さが見にしみたものである。

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元来スポーツの苦手だった私には、体を動かす(有酸素運動の)習慣は全く無かった。

それがあるきっかけで少しずつ走るようになって、やがて走ることが習慣になった。

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習慣とは恐ろしいもので、寝る前に歯を磨かなければ気分が悪いように、

走って汗をかかないことには、どうにも一日を終えることが出来なくなった。

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事ほど左様に、苦手な事でもコツコツ続けているうちに、やがて得意へと転換していく。

そして人はどんな習慣を身につけたかで、その個性がその習慣に見合って磨かれていく。

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勿論、その運命(人生)だって大きくその影響を受けるだろう。

いずれにしても習慣が人を創ると言うか、習慣そのものがその人になっていくようである。

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ところで私も今年から、齢70代の老年期を生きなければならない。

それにしては貫禄は無いし、深みも落ち着きもなくて、それこそ枯淡の境地には程遠い。

心ばかりは青年のようだと思っているのだが、生物としては確実に老いていくはずだ。

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それで改めて、老年期のマンネリの在り様について思案している。

上手く生きるとは、より良いマンネリを創りだす事から始まるのではないか。

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2017年4月12日 (水)

俺様の反省

「仮に俺様がこの世からいなくなっても、それは浜の砂一粒なくなる程度の事でしかない。

だがこの俺様にとっては、それは世界が潰れるほどの生涯最悪の事態である。」

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確かにこの世界は自分の死と共に消滅するが、それでも地球は回り、天気は移り変わり、

人々の活動もとどまることなく続いていくのである。

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そんな至極当たり前のことを、最近ではなんだか新鮮に感じるようになっている。

それは取りも直さず、自分の存在が少しずつ希薄になりつつあるからじゃなかろうか?

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今週はミニ統一地方選があって、音量最大に候補者の車があちこち走り回っている。

関心度の低い私なぞは迷惑でしかないが、それでも街宣車の主は必死の形相である。

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その常日頃尊大な態度を見せる候補者諸氏にしても、私達同様所詮は65億分の1の存在でしかない。

だが、本当は「とるに足らないつまらんヤツ」でしかないのに、俺様は選ばれるべき人間だと主張して止まない。

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それは私達だって同じで、自分では凡人だと思いつつも、「かなり、ましだぜ」って思いたがる。

そうして、あの候補者同様、誰かに認めてもらいたくてしょうがないんだ。

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この私だって、子供の頃から褒められりゃ頑張れたし、それなりに自信を持つことだって出来た。

そう、人は他人に認めてもらって自信を持つことで、ようやく前に進むことが出来るんだ。

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いい大学に入って、いい会社に勤めて出世したいって願望にしても、とどのつまりは認められたいからだ。

多分私もその類だったはずだが、馬齢の故か「もう、それもいいなぁ~」って気分になっている。

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それで数日前にも「自分の七割は許容するようになった」と書いたのである。

とるに足らないつまらないヤツだけど、それも含めて「まっ、いいか!!」って感じかな。

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グズで何をやらせても下手くそで、尚且つ弱虫なのに、それでもそれなりに生きてきたじゃないかってね。

俺様は大事だけど、所詮砂浜の一粒の砂なんだしねェ。

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2017年4月11日 (火)

春恨幾条条

昨日までの春日は消え去って、今日は冷たい雨の一日である。

山に出かけて走ることも出来ず、やっと芽を出し始めた葡萄の摘芽(無駄芽除去)を済ませ、

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午後はひとり読書三昧で過ごそうと、少し厚着して書斎にこもった。

実は先日購入したアイパッドを何とか活用しようと、今回は電子書籍に挑戦したのである。

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とは言えそれも途中で中断(暗証番号不明)となり、止む無く本を求めて図書館に。

かつては手当たり次第に読んでいたのだが、本にも当たりはずれがあって、フィットする本は10冊に一冊ほどもない。

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小説の世界に足を踏み入れようかとも思うが、これも特定の作家以外はどうも気が進まない。

文学にも、かなりの向き不向きがありそうなのである。

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迷いに迷ったあげく、随筆・哲学関係の本を5冊と、ついでにDVD(トスカーナの休日)を借りた。

初めて借りたDVDだが、これがなかなか興味をそそられて、最後まで観てしまった。

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自宅での映画鑑賞も、これからの選択の一つになりそうである。

外は相変わらずの雨と風だが、DVDを観終わって窓の外を見ながら暫し佇んでいると、

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夏目漱石の「自画に題す」という七言絶句があったことを思い出した。

漱石は画もよく描いたようだが、描いたその画に詩を添えたのである。

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 唐詩読罷倚蘭干 (唐詩を読み終りて 欄干に寄る)

 午院沈沈緑意寒 (午後の庭は沈々として 緑の気配も冷え冷えと)

 借問春風何処有 (借問す 春風何れの所に有ると)

 石前幽竹石間蘭 (石前の幽竹 石間の蘭)

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暫し読書に疲れて窓辺に寄りかかって庭を眺める。昼時の庭はしんしんと静まって、

木々の緑も冷え冷えとしている。春風は何処に行ったのかと尋ねても、そよともしない。

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あぁ春の風なら、竹林、そして石の間の蘭をそよがせるのだが・・。って感じかな。

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2017年4月10日 (月)

時の蓄積

人生において最も大切なものは、時の蓄積なのではないかと思う。

歴史の遺産や思いでの蓄積、はたまた経験の積み重ねなどと言い換えても良いだろう。

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誰と出会い、何を考え、どういう行動をし、歴史とどう関わってきたかが人生だからだ。

今初に訪れた見沼用水は230年前に造営され、今日なおその原型を残していた。

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数知れない人々の手作業によって40数キロの掘削が行われ、利根川の水を引き入れた。

その堤を走りながら考えることは、やはり当時の人々の汗と生き様であって、

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地形に沿って蛇行する水路の姿や、その堤に延々と続く桜並木には人々の思いが溢れていた。

そして昨日訪れた三井寺でも同じ事を感じて、本堂は北の政所(ねね)の寄進と言うから440年前の建物だ。

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弁慶の引き摺り鐘の言い伝えが真実なら、鎌倉期以(800年以上)前の釣鐘と言うことになる。

三井寺の呼称の元になった井戸からは、天智・天武・持統帝の産湯を汲んだらしいから更に古く、

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あちこちに築かれ苔むした石垣には、否応もなく時の蓄積を感じさせられたのである。

私達が古い神社仏閣を訪れるのは、何も信心深いからではなく、そうした時の蓄積に触れたいからだと思う。

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人間の一生も短いながら、その時の蓄積に他ならず、誰もがやがて何時か終りを迎えなきゃならない。

しかして私も随分生きてきて、既に酸いも甘いも噛み分ける年頃になっている。

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いやさ、若さの継続を信じて行き当たりばったり過ごすのでは、残りの人生は秋の日同様の釣瓶落としだろう。

しかし残された時間はたとえ少なかろうと、幾分は人生の時間を読めるはずで、決して無駄に過ごすことは無かろうと思う。

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そうやって、私達は代々歴史を創ってきたのである。

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2017年4月 9日 (日)

変貌の春

水墨画の様に靄がかかり、鏡の様な湖面にその山や集落を映し出す湖を左手に、ひたすら走り続けた昨日。

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その湖畔の桜達の硬かった花芽が、夕方にはほのかに紅色に膨らんで見えた。

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まだ雪塊の残る北国の余呉湖の畔にも、大変な勢いで春が訪れようとしていた。

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その春の訪れの中で、昨夜は23時頃まで延々と賑やかな懇親会が続いて、

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私達もレースの後の解放感をたっぷりと噛みしめたのである。

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そのリースの疲れも、一晩の休息でかなり蘇生し、何故か「やはり春」を思わせた。

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余呉湖からの帰り道、ぐるっと琵琶湖を回って、先日の三井寺(大津)を再訪した。

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12日前には花が咲けばさぞかしと思ったその寺は、まさに満開で風情は一変していた。

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その桜に吸い寄せられる様に多くの人々が訪れ、閑静な佇まいは賑わいで包まれていた。

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春が、遅れていた春が、一気に押し寄せて来ているのである。

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その三井寺では、改めて弁慶の引き摺り鐘や左甚五郎の龍、そして春霞む琵琶湖を桜越しに展望したのである。

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この春の恒例行事になった余呉湖70k は、沢山の思い出を残して終わり、本格的な春の訪れを迎えた。

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帰路の高速道路沿線は、何時昨日とは打って変わって、満開の桜がそこここに広がっていた。

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この数日で、景色も風情も気分も一変したのである。

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春や春、帰宅すると近所の水田では、田植えの準備にトラクターが動き回っていた。

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私のホウレンソウは、逆に暑さに悲鳴を上げるかの様に炭疽病菌が蔓延しはじめていた。

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このドラスチックな季節の転換を、喜びと諦観とをないまぜに、ひとり俯瞰している。

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私の人生の日々も、こうして変貌していくのである。

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余呉湖の畔

余呉湖は、琵琶湖の真北にある。

水深のさほど深くなく(最大13m)周囲6.8キロの長四角の形をした湖である。

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その畔に衣掛け柳とされる相当に古い(樹齢400年くらい)、一見柳に見えない大木がある。

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実はこの柳には、羽衣伝説が伝えられている。

桐畑太夫という近在の長者が、湖岸の柳の木に掛けてある羽衣を見つけて盗み取る。

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天女が現れて押し問答となるが、何せ裸だからと屋敷に連れ帰って・・やがて夫婦となる。

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二児が生まれた頃、天女が子供を寝かしていると、どこからか歌声が流れてきた。

「お前のお母ぁは天人だ 星の高みに住んでいた お母ぁの羽衣どこにある 千束千把

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わらの下」と歌っていて、それを聞いて天女は納屋のわら束の下を探し、天に帰ってしまう。

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母のいなくなった子供は、湖畔の石(夜泣き石)の上で夜どうし泣き続けた。

哀れんだ僧侶が寺(菅山寺)に連れ帰り、一人は死んだが一人は長じて学者となった。

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その学者が、菅原道真だという。

真偽のほどはともかく、衣掛け柳、夜泣き石、菅山寺がこの余呉湖の周りに残されている。

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菅山寺の縁起は古いが、後年菅原道真が再興したらしいのだが・・・・はて?

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ともあれ今日は、その余呉湖の周りを10周回するのである(アプローチを含めて70k)。

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同じコースを10回も回るなんてと思うかも知れないが、エイドステーションで補給すると、

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その度に「さぁ、もう一周」と元気が出るのだから不思議だ。

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昨年は余呉湖の周囲の桜が満開だったが、残念ながら今年は一輪も見えず、閑散としていた。

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おまけに折からの雨で、寒くなかったのが救いかな。

兎も角仲間の助けもあって、9時間10分でゴール。解放されて一路風呂へ。

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風呂を出ると、恒例の大懇親会(今回の参加者180名)と抽選会が始まるのである。

 

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2017年4月 7日 (金)

運命は性格なり

今朝は新一年生にとって初めての登校日と言うのに、あいにくの雨になってしまった。

朝の街頭に立つのも10年目に入った訳だが、その子供の数が年々減って淋しい限りだ。

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とは言え、元気に登校する新一年生の顔は活き活きとしていて、幼くも頼もしい限りだ。

今日は私の関係する高校・中学でも入学式があって、暫し張り詰めた空気の中で過ごした。

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子供達にとっては初めて体験する空間と人の場であって、隣の人間とて初対面なんだから緊張は当たり前だ。

しかし学校とは不思議なもので、見ず知らずの人間が集まって、そして10日もすれば百年の知己のように過ごすことになる。

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そうやって何度も精神的脱皮を繰り返しながら、心身ともに成長していくのである。

やがてその人固有のキャラクターが輪郭を現し、何の何某の人生を演じるようになるのだ。

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どうしてそのキャラクター(刻まれた性格)が生まれるのか分からないが、まさしくキャラクターこそが自分自身だ。

そしてそのキャラクターが、その者の運命(人生)を創っていくのである。

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つまり運命とは、その人のするようにしかできず、キャラクターの醸し出すものでしかない。

とどのつまり、その人はその人以外になることだけは、決して出来ないってことだ。

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禅問答はさておき、性格は一人ひとり違っていて、私の場合もその性格が今日の私を創った。

クズで臆病で小心で、ケチで怒りっぽくて見どころの少ない男だけど、それでも一つの人生を演じてきた。

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入学式の席にいる三百余人の子供達にも、未完成ながらそれぞれのキャラクターがあって、

これからその性格が、それぞれの運命の物語を創っていくのである。

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それにしても、その人がその人なのは、やはりそのキャラクターの故なんだろう。

そういう意味で、自分自身が好きな訳ではないが、この期に及んで自分の八割は認めるようになっている。

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はて、この先も、この同じキャラクターが演じることになるのだ。

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2017年4月 6日 (木)

男たるもの

草食系などと言われたのは昔のことで、今ではその草でさえ食べないらしい。

今日も下世話な話になって恐縮だが、近世の少子化は止まるところを知らない。

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と言うよりも、女が強くなったからかと思っていたら、そもそも男が結婚しないのである。

厚生労働省の調査によると、50歳までに一度も結婚したことのない男性は23.4%、

そしてこの住みやすい静岡県の生涯未婚率は更に高く、男は24.13%(女性12.48)だという。

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動物本来の繁殖機能を疑いたくなる数字だが、どうやら好き勝手が良いということらしい。

結婚すれば収入の大半が家計費に消えるし、掃除から炊事・育児まで関わらにゃならない。

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増して子供を育てるには大枚を叩かにゃならんし、その負担の割りに必ずしも将来の当てにならない。

それに連れ添いの主張(誕生日や記念日にはお祝い、親とは別居、年に一度は海外旅行など)が強くなっている。

この欧米流のご機嫌取りの風潮が故に、その分男達がしらけてしまっているようだ。

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はたして、男の生理的な要求はどう解消されているのか知るよしも無いが、とにかく勝手に生きているようだ。

確かに私だって、子供の教育費やら住宅ローンの支払いでそれなりの苦労はした。

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随分と苦労はしたが、だけど家族があるが故のその猥雑な賑わいに救われてきたし、

お陰で孫の顔(これは何にも代えられない喜びだね)だって、とくと見ることができる訳だ。

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とにかく子供の数が少なくなって、今日の地元の中学入学式でも173人しかいなかった。

私(団塊筆頭)の頃は、一学年が400人を越えていた学校である。

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それでも(朝の街頭で)見知った何人かがいて、少し大きめの制服を着て緊張していた。

入学セレモニーと言うのは退屈なものだが、それでも彼らにとっては重要な節目だ。

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「三年間頑張れよ!!」そんな思いで、彼らを見つめていた。

それにしても、男達の身勝手を何としよう。

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2017年4月 5日 (水)

馬齢と力

プロ将棋の世界で中学生(14歳)の藤井四段が、11連勝の快進撃を続けている。

囲碁の世界なら井山裕太が、二十歳の時から囲碁界の頂点に立ち続けている。

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スポーツの世界も同様で、ゴルフだって最近じゃみんなグゥ~ンと若返っている。

どうやら体力だけでなく、知力も情報蓄積によって進化するようで、時代はどうも若者に利しているようだ。

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人間は、年と共に人間を知り、仕事にも馴染んで、知識・経験・戦略を蓄積していくもので、

本来なら中学生に何が出来るのかと思う筈だが、現実に経験豊富な棋士が勝てないのだ。

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サラリーマンの社会なら、年齢に応じて地位や収入が上がるのが一般的だが、勝負の世界じゃそんな訳には行かない。

つくづくそんな世界に住まなくて良かったとは思うが、しかし「年齢」と言うものをどう考えるべきか?

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先ずは、スポーツにしろ何にしろ、プロの世界は別世界だということだろうか。

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幸いにも、私の楽しんでいるマラソンの世界は比較的高年齢で、選手もさることながら、

マラソン大会の一般参加者は、むしろ高年齢者の方が多いくらいではなかろうか。

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瞬発力では若さにかなうはずも無いが、持続力と辛抱強さに関しては何とかなるのである。

現実に走友のNさんは75歳になるが、毎日山を走っていて年代別ランキングが全国で5~6番をキープしている。

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フルの記録も3時間台を維持しているんだから、とてものこと真似はできないが、続けることだけは可能だと思っている。

ところで、このところ囲碁に再挑戦しようかと思案している。

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二十代の頃に日本棋院の初段を取得して以来、さっぱりご無沙汰している囲碁である。

一頃熱くなった時期があって、ボーナスを叩いて栢の碁盤と蛤の碁石も買い揃えた。

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しかしその後、もっぱらアウトドアに熱中することになって、埃を被ったままになっている。

そいつをおっとり刀で取り出し、改めて腕を磨いてみようかと考えている。

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この転換は簡単ではないが、時間を見つけて棋譜を並べる位は出来るのではないか。

ボケ防止を兼ねた80歳計画の一環にしたいのだが、先ずは碁敵探しが必要かなぁ~。

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それはともかくも、馬齢を重ねはしたが、力の発揮はそれなりの仕方があると思っている。

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2017年4月 4日 (火)

今何処紅顔子

今春の桜はかつてないほど遅く、私の葡萄も未だ芽を出しかねている様だ。

それでも今日は4月4日、畑を耕しナスとピーマン、そしてトマトの苗を定植した。

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毎年桜の花が咲けば私のやることは決まっているのだが、年々歳々その者は変わっていく。

かつて貧しかったが家族の絆があったあの頃、父も母も懸命に働いて生きていた。

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やがて私の時代になつて、父は他界し子供達は独立していった。

そさして今は92歳になる老婆と、私達老夫婦の質素な暮らしになっている。

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畑は、もっぱら私が年々歳々耕すところとなって、何とか荒れ地になることなく整っている。

しかしこれとて、歳々年々月日の流れとともに、人も景も移り変わっていくのである。

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正にこれ、劉稀夷の詩「紅顔の美少年」であろうか。

 洛陽城東桃李花 (洛陽の城東 桃李の花)

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 飛来飛去落誰家 (飛び来たり 飛び去って 誰の家に落ちるか)

 洛陽女児紅顔色 (洛陽の娘達 顔色良し)

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 行逢落花長嘆息 (行きて落花に逢うと 深い溜息をつく)

 今年落花顔色改 (今年花落ちて 顔色改まり)

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 明年花開復誰在 (明年 花開いて また誰か在る)

 己見松柏砕為薪 (すでに見る 松柏 砕かれて薪となるを)

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 更聞桑田変成海 (更に聞く 桑田 変じて海となるを)

 古人無復洛城東 (昔の人 また洛城の東に無く)

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 今人還対落花風 (今人々は 同じ落花の風に対す)

 年々歳々花相似 (年々歳々 花 相似たり)

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 歳々年々人不同 (歳々年々 人 同じからず)

 寄言全盛紅顔子 (言葉を伝えたい 今盛りの紅顔子に)

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 応隣半死白頭翁 (正に憐れむべし 半死の白頭翁を)

 ・・・・・・・・・・・・・・中略

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 惟有黄昏鳥雀悲 (ただ たそがれ 鳥雀の悲しみあるのみ)

年々歳々、今年も心置きなく、桜の花を愛でたいと思っている。

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2017年4月 3日 (月)

たかが人生

毎日ちょこまかと動き回って、それが自分の生きている証拠だと思っている。

それも私の80歳計画からすれば、残り10年と少々で「無」になることになっている。

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つまり存在しなくなる訳で、・・ってことは、家族や知人も一切感知しなくなるって事だ。

80歳計画を思い立って以来、自分の「存在」の意味そのものに幾分の関心が向いている。

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大げさに言うと、人生とは何か? 何のための存在なのか?ってことになるが、そんなことは考えたって分かるもんじゃない。

分からないし、こちとら老い先短い訳だから、一日の価値だって若者とは根本的に違う。

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ただただ、その「時」を精一杯燃焼させる他は無いと思っている。

そして人生は、一つのお芝居と言うか、斜に観れば一瞬の冗談なのかも知れないと思う。

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無になれば「あんな奴がいた」って事も、宇宙の時間からすれば瞬時に消えてしまうし、

そもそも、大根役者の一人や二人、存在しなくても何の影響も無かったのではないか。

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要するにたかが人生、そんなに後生大事にしなくったって、なるようにしかならない。

昨日市役所から、健康診断を受診するように案内書が届いた。

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実のところこの五年程、あの国保主催の健康診断から一切遠ざかっている。

人間ドックのいい加減さもさることながら、「死ぬ時には死ねば良い」との思いが強い。

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むしろ健康診断で病気をつくるより、自分自身で健康を創り出す方が大切なんだと。

老いることは、肉体の快楽が少しずつ失われることであって、ならば生きる意味も失せる。

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それにこれからは老人が溢れる時代になって、長生きはそれ程御目出度い事でなくなる。

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そんなこんなを考えると、多分人間はあんまり長生きしない方が良いと思うんだ。

それよりも可能な趣味や娯楽に浸りつつも、経験を踏まえた自分をしかと眺めりゃいい。

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それが、時を熟させるというか、人生の集大成だろうと考えつつある。

つまるところ色即是空、たかが一個の人生に過ぎないのである。

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2017年4月 2日 (日)

日本平桜マラソンへ

草薙競技場から日本平(307m)に掛け登り、清水側に下って草薙に戻る23.5kである。

因みに日本平とは、日本(ヤマト)武尊に由来した命名で、草薙の剣とも深く関係している。

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ともあれ天候に恵まれて2400人が一斉に坂を登っていくのだが、肝心の桜は一分咲未満なんだ。

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例年なら桜舞う走路となるところだが、今年の桜は相当に開花が遅れているようだ。

ところで私のペースだが、このところの連戦でかなり疲労が溜っているらしく、一向にスピードが出ない。

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この大会はかなり関門が厳しく、15.4k地点で1時間50分となっていて、私はその3分前の通過となった。

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あわやレース打ち切りとなるところだった訳だが、その後もうかうかできず、7分/kを維持。

何とか2時間25分(僅か5分残し)と制限時間内でゴールとなった。

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それで1583位/2377人だから、相当数のランナーが関門でアウトとなったのだろう。

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もっとも私もこの大会でのワースト記録となってしまって、見えぬ疲労蓄積を思い知った。

この大会は今年で第33回だが、早くから参加していて、今回で25回目位になる筈だ。

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と言うよりも、私が走り始めて最初の本格的な大会が、この桜マラソンだった。

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そして最初のその年に、兄弟マラソンになっている浙江省西湖マラソンにも参加している。

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当時の中国は経済発展の始まる前で、まだまだ混迷の中にあって、その参加者のほとんどが外国人だった。

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かの国では未だマラソンが珍しい頃で、黒山の様な人垣の中を、西湖一周ハーフを走った思い出がある。

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その浙江省から、今年は90人余のランナーが参加しているんだから、時代は大きく変わったものである。

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それはともかく、今年も気持ち良く完走出来たことで満足としよう。

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2017年4月 1日 (土)

見沼を走る

今日は日本三大用水の一つの見沼代用水を走るマラニックで、冷たい雨を心配しつつも埼玉県大宮まで出掛けてきた。

その見沼用水は、8代将軍吉宗の享保の改革による新田開発を目的に開設された用水だ。

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吉宗に従っていた紀州藩士井沢弥惣兵衛為永がその任に命じられ、利根川の水を

今の足立区やさいたま市に導水して灌漑用水としたのである。

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この灌漑工事によって見沼溜井は干拓されて、1200ha余の新田が生まれたという。

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だが事はそんなに簡単に進んだのではなく、水を奪われるとの反対運動にも直面する。

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見沼には竜神伝承があって、ある夜為永の枕元に見沼溜井に棲む竜神の化身が美女となって現れ、「どうか、私の棲む沼を干拓しないで・・」と哀願する。

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為永がその折にどうしたかは知らないが、うなされている為永を不審に思った家臣が覗くと、

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大蛇がペロリぺろりと為永の体を舐めまわしていたという。

50kもを導水する大工事であり、事はそんなに簡単に進まなかったことを伺わせるが、

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大工事はいつの世も利害相克で「賛成・反対」は付きものであって、当時の取水反対派が流布したとも伝えられる。

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ともあれ都市化の進んだ今日でも立派に機能していて、日本の疎水百選にもなっている。

その見沼代用水の堤40k余に延々と桜が植わっていて、その桜の下を走るのである。

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満開近しと言うことだったが、残念ながら寒さ続きで3分咲きと言ったところだろうか。

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スタート地点の大宮駅に集まったのは、近在の人達を中心に20名である。

先ずは大宮(万葉親水)公園に向かい、大宮の由来でもある氷川神社に参拝、そこから

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見沼代用水西縁を、後半は東縁を走ることになるのだが、用水は見沼を囲む丘陵の縁を

蛇行しながら等高線上に造られていて、沼の東西の縁を一周するといった塩梅である。

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途中には氷川女体神社、案山子の像が建つ見沼氷川公園(唱歌案山子の原点)、

用水間の落差(3m)を越えて船を通す見沼通船掘、見沼自然公園などが連なる。

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案山子の歌が生まれたように一面の水田だったはずだが、今では畑が大部分になっている。

ともあれ、見沼用水を(32k)ひた走って14::20には七里駅にゴールとなった。

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大宮に帰って愉快爽快「湯けむり横丁」で、盛大な懇親会となったのである。

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