古代の巨大建造物
中国は北京を訪れている。
気温28度、オゾンの匂いがして、少し蒸せる様な暑さである。
かつて月からも見えるとされていた万里の長城、その城砦を走る大会に参加するのである。
中国の歴史書「史記」には、長城について「それは地勢に従い、険阻な場所に砦が作られ、
臨洮から遼東まで、延々一万余里」と記述されている。
「万里の長城」の万里は、この史記の記述に由来するのだが、実際は6000k余とされる。
それにしても、秦の始皇帝(紀元前221年)から、漢や明など歴世の王朝が心血を注いで、
しかも険阻な場所に人力だけで、延々1500里もの城砦が築かれたのである。
長城の目的は、韃靼(蒙古)なと゜北方の騎馬民族から中華を守ることだった。
しかし実際には元は蒙古民族だし、清王朝は満州族だから、長城は機能しなかったことになる。
当然ながら異民族支配の時代には長城は放置され、長い間崩壊を余儀なくされていた訳だ。
因みに、元の時代に中国を訪れたマルコポーロは、長城のことは一切触れていない。
関心すら持たれなかったのだろうが、しかしその後長城は歴史遺産として見直され、
山海関や嘉峪関、八達嶺などは修復されて、今では重要な観光資源になっている。
ところで、この長城は長い間「月からも見える」と(私もそう思っていた)とされていた。
しかし、総延長は長いにしても、幅10m足らずの構造物が見えるはずも無く、勿論ホラだ。
それでも宇宙飛行士アームストロングがリップサービスで「見えた」と発言したりしたが、
2003年中国初の有人飛行舟「神舟5号」の楊利偉は、「我々の長城は見えませんでした」と明確に否定している。
月から見える逸話は、それ程巨大な構造物だと、ロマンとして言い継がれてきたんだろう。
ともあれネットを見ていてこのマラソンを知り、吸い込まれるように参加にクリックしていたのだ。
後は野となれ山となれだが、どうやらそれは石段の山の連続らしく、厳しいトレイルと知った頃には後の祭りだった。
まぁ~何とかなるだろうと、王府井を散策しながら不安と期待に戸惑っている。
王府井は、明代以降皇族の邸宅があったところで、北京随一の繁華街である。
サソリのから揚げなどを売る店が並び、人々が群れ溢れていて如何にも中国を思わせる。
しかし、30年近く前に訪れた中国とは、全く違った国になっていて、人々の姿も明るい。
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