心ひとつ
昨日の天竜路で、彼の地には面白い人が住むと見えて、大分変わったヤカンに遭遇した。
「阿多胡川の大なまず」伝説があって、道端に手作りの流木を使ったなまずが祭られている。
それ自体が洒落なんだが、その参拝用の鈴が、なんとヤカン二つがぶら下がっていた。
紐を振るとこのヤカンがカランカランと音を出し、もうそれだけで住人のユーモアに感服してしまう。
もう一つは畑の隅に建てられた小さな人形で、なんとこの頭がヤカンで出来ていた。
ヤカンは逆さに使われているから、頭部は勿論つるつるのハゲ頭で、注ぎ口は鼻である。
確かにアルミのヤカンは近頃では使われなくなったが、物も使いよう考え方一つである。
ところでこのところ、年寄り扱いされることが増えて、気力が萎えると言うか、かつての自信が少し揺らいでいる。
某大型家電店でアイパットを購入する際、対応する若い店員が私を「お父さん」と呼ぶのである。
「お父さん、これはね云々」と、それは訳の分からない年寄りに教え諭すかの口振なんだ。
始めは親しみを込めてなのかと思ったのだが、そのうち見下した表現だと気付き、こちらが動揺してしまった。
それに仲間の女性からも「ねぇ、お爺ちゃん」と話しかけられることが多くなった。
これも親しさの面があるにしても、覚悟のない本人にとっては、これが堪えるのである。
年齢からすれば確かにジジイに相違ないにしても、若さを自認する精神が崩れそうになる。
そもそも人間と言うものは、自分を(若く)理解してくれる人間に傍にいて欲しいものだ。
しかるに、周りの人間にシジイ・シジイと言われるに及んで、若さの自尊心がグラグラ揺らいでいる。
しかして、その崩れかけた自分を引き上げ、改めて前を向くには生半可じゃできない。
それにゃ改めて若さの実績を積み上げ、「おぬし、人間の値打ちが分かる?」と言えるようにする事だ。
イヤイヤそんなことは言わずとも、自分の若さを自分の心でしかと認識することだ。
武道の極意も心であるように、全てが心によって決まるのである。
他人の目(コケにされる)など気にすることなく、その自分の心を生きりゃそれでいい。
使われなくなったヤカンだって、立派にユニークな役割を果たしているしね。
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コメント
笑えます。
失礼!!
肩書きや貰った勲章でも胸に付けて行きたくなりますね。
それよりiPad購入しましたか?
私も使ってますが、便利ですよ。
キーボードも買えば、ラッフムトップパソコン以上に便利ですよ。
投稿: ひろ | 2017年4月18日 (火) 20時05分
勲章とヤカンねぇ〜。使われなくなったヤカンと勲章は、どこか似ていますね。何というか、そういう人生の機微が少しは分かるようになりました。
別売りのキーボードを買えば良いんですね。早速チャレンジすることにします。何しろ、宝の持ち腐れですから!!
山草人
投稿: 山草人 | 2017年4月18日 (火) 20時21分
Bluetoothで、iPadと繋がります。
私は、電池タイプのLogicool社のを使ってます。
1年間電池持つらしいです。
充電タイプは、軽いですが、毎日充電が必要になるでしょう。
やはりキーボード有るべきです。
このキーボードで、PCもスマホもiPadも入力出来ますよ!
投稿: ひろ | 2017年4月18日 (火) 21時00分