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2017年4月13日 (木)

惰性の功罪

私達は、たいていがマンネリに則って生きているようだ。

マンネリ打破などと言ったりするが、毎朝会社や学校に行く事だって、歯を磨き風呂に入ることもマンネリだろう。

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変化に乏しくて退屈かも知れないが、だけど十年一日の如く続く同じリズムこそが、

私達の普通の生活であって、その繰り返しのお陰で、安心して日常を送ることができるんだ。

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この私も、早起きして朝一番に葡萄畑を見回る、朝食を終えると街頭に立って登校する子供達を見送る、

山を走り・・ブログを書いてってな具合に、一日が多くの習慣化された行動で成立っている。

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かつて学生やサラリーマンだった頃、その惰性の連続に辟易したこともあったが、

定年退職でその毎日が無くなって始めて、その惰性の有り難さが見にしみたものである。

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元来スポーツの苦手だった私には、体を動かす(有酸素運動の)習慣は全く無かった。

それがあるきっかけで少しずつ走るようになって、やがて走ることが習慣になった。

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習慣とは恐ろしいもので、寝る前に歯を磨かなければ気分が悪いように、

走って汗をかかないことには、どうにも一日を終えることが出来なくなった。

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事ほど左様に、苦手な事でもコツコツ続けているうちに、やがて得意へと転換していく。

そして人はどんな習慣を身につけたかで、その個性がその習慣に見合って磨かれていく。

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勿論、その運命(人生)だって大きくその影響を受けるだろう。

いずれにしても習慣が人を創ると言うか、習慣そのものがその人になっていくようである。

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ところで私も今年から、齢70代の老年期を生きなければならない。

それにしては貫禄は無いし、深みも落ち着きもなくて、それこそ枯淡の境地には程遠い。

心ばかりは青年のようだと思っているのだが、生物としては確実に老いていくはずだ。

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それで改めて、老年期のマンネリの在り様について思案している。

上手く生きるとは、より良いマンネリを創りだす事から始まるのではないか。

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