見沼を走る
今日は日本三大用水の一つの見沼代用水を走るマラニックで、冷たい雨を心配しつつも埼玉県大宮まで出掛けてきた。
その見沼用水は、8代将軍吉宗の享保の改革による新田開発を目的に開設された用水だ。
吉宗に従っていた紀州藩士井沢弥惣兵衛為永がその任に命じられ、利根川の水を
今の足立区やさいたま市に導水して灌漑用水としたのである。
この灌漑工事によって見沼溜井は干拓されて、1200ha余の新田が生まれたという。
だが事はそんなに簡単に進んだのではなく、水を奪われるとの反対運動にも直面する。
見沼には竜神伝承があって、ある夜為永の枕元に見沼溜井に棲む竜神の化身が美女となって現れ、「どうか、私の棲む沼を干拓しないで・・」と哀願する。
為永がその折にどうしたかは知らないが、うなされている為永を不審に思った家臣が覗くと、
大蛇がペロリぺろりと為永の体を舐めまわしていたという。
50kもを導水する大工事であり、事はそんなに簡単に進まなかったことを伺わせるが、
大工事はいつの世も利害相克で「賛成・反対」は付きものであって、当時の取水反対派が流布したとも伝えられる。
ともあれ都市化の進んだ今日でも立派に機能していて、日本の疎水百選にもなっている。
その見沼代用水の堤40k余に延々と桜が植わっていて、その桜の下を走るのである。
満開近しと言うことだったが、残念ながら寒さ続きで3分咲きと言ったところだろうか。
スタート地点の大宮駅に集まったのは、近在の人達を中心に20名である。
先ずは大宮(万葉親水)公園に向かい、大宮の由来でもある氷川神社に参拝、そこから
見沼代用水西縁を、後半は東縁を走ることになるのだが、用水は見沼を囲む丘陵の縁を
蛇行しながら等高線上に造られていて、沼の東西の縁を一周するといった塩梅である。
途中には氷川女体神社、案山子の像が建つ見沼氷川公園(唱歌案山子の原点)、
用水間の落差(3m)を越えて船を通す見沼通船掘、見沼自然公園などが連なる。
案山子の歌が生まれたように一面の水田だったはずだが、今では畑が大部分になっている。
ともあれ、見沼用水を(32k)ひた走って14::20には七里駅にゴールとなった。
大宮に帰って愉快爽快「湯けむり横丁」で、盛大な懇親会となったのである。
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コメント
山草人のモノローグは私のピーマンの頭(空っぽ)を満たしてくれます。
走りながら学ぶ萩田さんのマラニックは最高! 日本にいるときは参加します。
投稿: 村田厚子 | 2017年4月 5日 (水) 17時01分
タフな村田さんにそう言っていただくと、何だか本当の様で嬉しくなります。ともあれ、単に走り過ぎてしまうのではなく、少し寄り道して楽しむのもマラニックの良さですよね。
今後とも、ご一緒した際には、よろしくお願いします。
山草人
投稿: 山草人 | 2017年4月 5日 (水) 17時53分
先日はお世話になりました。大阪駅から夜行バスで大宮そごう前で降り参加させて頂きました。
甘納豆の老舗からは単独走になり、”ずっと用水沿いでいい”と思ってたら、通船堀に左折するところで真っすぐ行った模様。数百Mほど走ると何か方向がおかしい???
通行人に聞くもガッテンいかず。
4人目の人のお陰でやっと通船堀に曲がるポイントに戻れました。(一時パ二クリましたが)
今思うと、人の後ろ付いて走っても道は覚えられない、一人で苦しんでこその判った時の感動が得られるということですね。
(あそこだけは絶対忘れないデス)
投稿: 大場 | 2017年4月 7日 (金) 15時28分
そうでしたね大場さん。あそこだけは要注意ですね。私達も直進すべきか左折すべきか暫く迷いました。用水の水も少なくなっていましたからね。
懇親会でもお世話になりました。私達は一足早く帰ったのですが、あの夜は大阪までは無理だったのでは?
ともあれ、いつかどこかでご一緒しましょう。よろしく、お願いします。
山草人
投稿: 山草人 | 2017年4月 7日 (金) 18時41分