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2017年4月29日 (土)

寺の街鎌倉

鎌倉観光の多くは、大仏を始めとした神社仏閣を訪ねるものだろう。

私もついでながら、ふらりと鎌倉に寄ってみようと降り立ったのである。

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公家の時代から武士の時代へ、その拠点として武家が築いた街だから俄然禅寺が多い。

訪ねたのは北鎌倉で、表通りはせわしく車が行き交うが、少し路地に入ると閑静で山裾の緑が美しい。

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そして鎌倉街道沿いには、円覚寺を始めとして東慶寺、浄智寺、明月院、建長寺、円応寺などが続いている。

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その通りから細い石段を登っていくと、巨木の間の木陰にぽつぽつと墓が点在している。

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その少し地味なお寺が東慶寺であって、開基は1285年北条貞時、開山は北条時宗の夫人とされている。

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歴代住持には名門が多く、後醍醐天皇皇女、豊臣秀頼の娘(娘が居たんだ)天秀尼などだ。

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俗に縁切寺として知られ、この寺に逃げ込んで3年間尼を務めれば、離婚が認められたという。

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時宗婦人の覚山尼が定めた縁切寺法によって、東慶寺同様に幾つかの駆け込み寺が

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指定されていたようで、女からの離縁が認められなかった、江戸時代の話ではある。

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その駆け込み寺に、何故か西田幾太郎、和辻徹朗、小林秀雄など文人の墓がある。

木々の下に苔が青く折敷、その苔の中に墓石が建っている。

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聞けばこの東慶寺、昔から文学学識世界の人にとっては、憧れの墓所(?)であるらしい。

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なるほど、鎌倉なんだなと思った。

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続いて訪ねた円覚寺は、蒙古襲来による犠牲者の菩提を弔うために建立されたらしく、

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6万㎡もの寺域に18の塔頭が点在する広大な寺院だ。

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開山に当たって招かれたのが宗の無学祖元と言う坊さんで、鹿の一群が現れて彼の法話に耳を傾けたとの伝説がある。(よって瑞鹿山円覚寺)

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700年以上前の元寇が如何に甚大なダメージだったかが、この円覚寺の規模からも察せられる。

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結果として鎌倉幕府は衰微し、室町時代へと歴史は移り行くのである。

ともあれ鎌倉は源から北条に引き継がれ、そのしっかりとした歴史を残していた。

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