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2017年5月31日 (水)

私学の憂鬱

田舎に生まれ育った私は、学費の高い私立学校に進学するなど想像も出来なかった。

一部の特権階級の子弟が行く学校とばかり思い込んでいた。

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就職して同僚が「僕は、あの丸刈り頭がいやだから私立に行った」と言うんで、へぇ〜と驚いた。

当時の公立は、高校までみんな丸刈り頭だったからね。

従順な私などは、そんな理不尽な制度にも何の疑問も抱かなかったし、こんなもんだと思っていた。

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そう言えば、祭りの日に学生服でなく普通の恰好で外出して、教員室でえらく叱られたことがあった。

そんな私の頃とは時代は様変わりして、今じゃ悪いことをしない限り叱られることは無い。

そんな自由な気分を先んじて導入したのが、私立学校ではないかと思っている。

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今時学校法人と言うと、森友だの加計だのと随分評判を落としているが、実は何処も大変なんだ。

少子化で子供の数はドンドン減るし、だからと言って教師の数を減らすのには限りがある。

公立高校も授業料無料の折、私学の授業料の値上げなど出来る訳もない。

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施設の更新も思うに任せない状態で、何処の学校も内実のやりくりは大変なんだと思う。

況や小学校(森友)や学部の新設(加計)なんて、経営者の感覚を疑いたくなる程だ。

それはともかく、公立と私立を比べれば明らかに私立の方が臨機応変で、

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公立は様々な制約の上に教育内容だって定型的なのに対して、私立は競争で成り立っている。

教育の中身が悪ければ、子供達から自ずと敬遠される学校になってしまうからだ。

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ともあれ静岡県の私学協会が設立されてから、今年で70年になる。

今日はその総会があって出向いてきたのだが、改めて私学を考える機会となった。

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教育の真髄は自分の足で歩けるようにすることだと思うのだが、今の教育はグライダー(エンジンのない飛行機)を育てているのではないか?

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2017年5月30日 (火)

日々を生きる

朝目が醒めると、「あれをして、これをして・・」とその一日の予定を思い浮かべる。

天候如何で予定を変えることはあるが、そうしたリズムはこの十年来のものだ。

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と言っても、予定は至極単純なもので、日程をやりくりするなんてことは近年絶えてない。

大抵は子供達の見送りが終わると、山に出かけて午前の半日は走ることになる。

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午後は暗くなる頃まで畑の作業が続き、晩方にこのブログを書くといったパターンだ。

畑の優先度合いと手順、そしてその日の体力を思案する程度だろうか。

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そう・・・言うならば、何でもない毎日が過ぎていくのである。

人生というのは、人が年をとっていく過程以外の何物でもない。

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だから、どういう過程で歳を取っていったら良かろうかと考えるのである。

つまり、何の変哲(冒険)もない日々で良いんだろうかってことだ。

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実は来月から基本的にサンデー毎日になって、暦を意識しなくても済むようになる。

自分の時間の裁量枠が大幅に増える訳だが、これはこれで私にとっては大きな革命である。

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それで当面、その何の変哲もない日常を楽しもうと思っている。

基本は、体の鍛錬と晴耕雨読である。

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そしてメリハリにマラニック、100kのマラソン大会、季節に応じた山行きを入れるのだ。

本当はそろそろ人生を終えても良いのだが、諸般を鑑みると、まだ当分この人生は続きそうな気配である。

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これを本当の余生と言うんだろうが、さてどんなコース(過程)を経てゴールすべきか。

これを考えるのは、実はなかなかに難しいものである。

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心と体のアンバランスってこともあるし、何しろこれは初めての経験なんでね。

そうだな後悔のない様に、可能な冒険は全部やる(撃ちてし止まん)ってことかな。

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2017年5月29日 (月)

始めも終りも

物事に始めがあれば何時か終りがやってくる・・・これは人生と同じである。

おぎぁ~と生まれて母親のおっぱいにすがり付き、やがてそれも乳離れとなり、

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自分の足で歩き始めて爛漫で甘酸っぱい子供時代を過ごし、それもやがて(モラトリアム)卒業と共に大人になる。

社会を支える構成員の一人として就職(業)し、働き手として人生の大半を過ごすのだ。

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それも過ぎてみれば束の間で、やがて老いに向かって人生最後の冒険を始めなければならない。

人はそうやって順繰りに生まれては死に、死んでは生まれることを繰り返してきた。

「何故、何のために生きるのか」などと考えないではないが、

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そうした宇宙の厳粛な摂理の前には、ただただ「そうしたもの」と納得せざるを得ない。

この私も50年近く何らかの組織の一員として働いてきたが、古稀を前にしていよいよ見切り時とするつもりだ。

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そして向後は一農夫として園芸を楽しみ、ラン仲間と遊ぶ日々がくるのだろう。

老いに向かっての冒険と書いたが、これは年齢との戦いでもあって当然未知の挑戦だ。

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もっとも、後生大事に挑戦などと言っては見ても、かつて経験したことのないステージだから、あくまでもそれは自然体である。

もともと人間なんてそんなに大業なものであるはずも無く、生まれた時から余生を生きてるようなものと考えればよい。

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ともあれ、いよいよ私にとっての人生の第三ステージが始まるのである。

このステージの上演時間が如何ほどか知りたいものだが、こればっかりは神のみぞ知る。

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それこそ明日何が起るやも知れないし、結局は「今」を生きるっきゃないのだが・・・。

而して、勝手に人生80年と決めて、それなりの生き甲斐を追求しようと思っている。

好き勝手な残りの人生だが、これはこれで結構楽しかろうと期待している次第だ。

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ところで米国での死を前にした人達への調査によると、その九割程の人が「もっと、

冒険(出来る時にできる事を)しておけば良かったと後悔するそうだ。

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正に後の祭りで、明日有りと思う心の故に、人間にとって冒険はかほど難しいのだ。

私も、その冒険を躊躇する年齢に、刻々と近づいているのである。

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2017年5月28日 (日)

現実浪漫

午前中の山走りの日課を終え、浜松で開催されるマンドリン奏者青山忠さんの音楽会に出掛けた。

弦色浪漫と題したアンサンブルのひと時である。

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実は私にとって音楽は猫に小判みたいなもんだが、それでも美しい旋律は心地よい。

音痴と言うのではないが、実際はそれに近く、ひけるものと言えば布団くらいしか無い。

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それでも学校の頃の音楽の成績は良くって、音楽の先生から合唱部に誘われたりした。

何故成績が良かったかと言うと、音符の第一小節だけをすべて暗記していたし、

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キーモニカは荒城の月だけを特訓していて、だから音楽のテストはいつもほぼ満点だった。

左様に音楽は苦手なジャンルだから、あの小さな楽器から絶妙な音を奏でる技には敬服する。

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どんなことでもプロの技は凄いが、音楽家もそれで生活しているんだから並みではない。

この点サラリーマンはプロの技能無きプロであって、退職してさして役立つスキルはない。

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そう言う意味で、プロとは全く異なった生き方をしてきたのだと思う。

そのサラリーマンの世界で、ひたすらコツコツと正に亀の様に40年近くを過ごしてしまった。

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自分にプロの真似は出来ないと覚った上でのサラリーマン生活だったから、コツコツは私にとって最後の砦だった。

ウサギと亀の掛け比べの童話があるが、足の速いウサギが負けてしまう物語だ。

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では何故、亀は足の速いウサギに勝つことが出來たのだろうか。

それはウサギが亀を見て走ったのに対し、亀はゴールを目指していたからに過ぎない。

実は私達のサラリーマン生活も同様で、大抵は職場のライバルを意識して仕事している。

自分の生きる上でのゴールを、見失ったまま生活しているのである。

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そして、甘いと言われるかもしれないが、それは人生に浪漫を求める心なんじゃないか。

自分の人生に何がしかの浪漫を求め続けることが出来たなら、それでプロに近づけるんじゃなかろうか。

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2017年5月27日 (土)

一個の天真

人は誰もが、等しく「天真(爛漫)」を宿して生まれてくる。

しかし、苦労の如何などのその育ちの過程、或は本性の開発の程度によって、それぞれ異なった個性を表に出すようになる。

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だから人の真価と言うものは、そうした成長の過程を見極めた上でこそ理解できるものだ。

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これは森信三先生の卓見で、だからこそ吉田松陰は門下生を愛しんで育てたのだ言う。

確かに松下村塾からは、草加玄瑞を始め高杉晋作や井上門多、伊藤博文など奇跡的な程の時代の担い手を輩出した。

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しかも吉田松陰自身は、29歳で刑死(安政の大獄)しているのである。

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しかし松陰は口先の徒ではなく正に行動の人であり、短かい人生を「今を生きる」ことで

周りの人々の心に火を灯し続けて死んでいった人である。

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実は今日は人生を学ぶ勉強会があって、テーマが第19講「松陰先生の片鱗」である。

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吉田松陰の自分自身に対する厳しさとは裏腹な優しさは、天真に発し至誠に通ずと言った所だ。

さても、その優しさを含め松陰先生の真似は、とても私などの凡庸が出来るものではない。

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「若い時の苦労は買ってもしろ」と言われるが、果たして私は如何ほどの苦労をこれまでしてきただろうか?

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人間は自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形づくる支柱になると言うが、

この70年、私は一体何を克服してきたのかと考えると・・・・戸惑わずにはいられない。

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自分が躬をもって処理し、解決してきた事柄のみが、真の自己の力となると言うが、

私はこれまで一体何を解決に導いてきたのだろうか。

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確かに日々困難に直面し、私なりの苦労もあったし、それで収まった物事もあっただろう。

しかしそれは日々を生きる為に必然的なことであって、果たしてそれが本当の苦労だったのかどうか。

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過ぎこし日々を顧みて、「だから俺は、この程度の甲斐性なのか!」と嘆息している。

私の過ごしてきた程度の苦労では、「覚悟」なんて生まれっこないと思うからだ。

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その分、生まれた時の天真は、まだまだ心の底に温存しているのである。

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2017年5月26日 (金)

朴念仁の独り言

かつては講演などに引っ張り出されてあちこちで話をしたが、本来人前で噺をするのは嫌いだ。

そもそも話すからには意味のある中味が必要だし、同時にささやかなジョークもほしい。

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そんな器用な事は無理だから、事前に相当に分厚い原稿を準備するのが常だった。

それがないと、話が何処にいくのか・・・支離滅裂になりゃしないかと心配だったからだ。

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人には恐らく、話すのが得意な人(例えば政治家)と書く方が良いって人の二種類がある。

私の場合は多分に後者で、オズオズと話すよりも、書く方がよっぽと良いと思ってる。

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世の中には当意即妙と言うか、目から鼻に抜ける様な受け答えのできる人がいる。

しかし私は、言いたいことの半分ほども言えずに、後になってそれを悔やむタイプだ。

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頭の構造が違う訳で、根っからの鈍だと思っていたが、私の様なのを朴念仁と言うのだと遅ればせながら気付いた。

つまり、無口で愛想がなくて物分りの悪いヤツ、融通の利かない役立たずの分からず屋である。

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そもそも「語り」と言うのは「騙り」に通じていて、ある程度の嘘を織り交ぜて、

面白おかしくしゃべくるものであって、これは全くもって私の性に合わない。

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大体において、そういう方向に頭が回らないというか、発想がいかないのである。

そんな訳で、喋る代わりに、このブログを書いてきたような気がするのだが・・・・。

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所詮その朴念仁の書いているブログだが、既に訥々の4,030日余が積み重なっている。

塵も積もれば山になるの如くで、本にするとすれば一日1ページでも15冊にも相当する。

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それがたった一つの箱(ブログ)に入っているんだから、電子メカって凄いと思う。

だがプロバイダーのディスク容量にも限りがあるらしく、このブログの残り部分が十数パーセントになってしまった。

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やがて満杯になって閉鎖すれば、この4千余日と数万枚の写真は一瞬にして消滅してしまう訳で、

それは私の十年余の存在の証明でもあるだけに、いかんとも寂しくどうしたものかと思案している。

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さしもの朴念仁も、相手が機械だから如何ともし難いなぁ~。

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2017年5月25日 (木)

一粒の種

朝からほんの少しだがお湿り(雨)があって、小ネギ、インゲン、夏大根、大豆の種を播いた。

種と言うのは不思議なもので、ダイコンを播いてニンジンが生えてくるなんてことはない。

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必ず、彼ら本来の個性を持った植物が生えてくる。

この点人間の場合、それなりの形質を受け継ぐとは言え、必ず親と同じ個体が育つ訳じゃない。

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否むしろ、生まれてからの家庭環境や教育によって、別物に育ったりもする。

どんな教師と出会うか、どんな友が出来て何を語らうか、人生に何をいつ見出すかでも変わってくる。

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そういう意味で、人間の種は育てよう(育ち方如何)なのである。

今日は地元の中学校の学校運営協議会があって、その苗の育て方を協議したのである。

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一年生は全体がざわざわと未だ中学に馴染んじゃいないし、二年生は生徒会に誰を代表に出そうかと相談していた。

そして三年生は、高校から先生を招いて進路説明会である。

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人間は、小学・中学・高校とその段階ごとに「脱皮」をしながら大人になっていく。

その脱皮を誤るとグレたり引き籠ったりと、それでなくとも目的を誤ってしまったりする。

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植物ならそこに居座ったままだが、人間の場合には自分の足で歩かなければ目的地に辿り着けないのだ。

だから教育は、それぞれの個性に対して自分で歩くことが出来るように仕向けてやることだろう。

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そういう意味では、学校は種を播くのと同じことかも知れない。

そもそも意図して「種を播く」のは人間だけで、動物は自然に体につけて運ぶことはあっても決して種蒔きはしない。

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狩猟採集生活から抜け出した人間だけが、種を播くことを始めて今日の文明を築いたのである。

しかしなから、子供の心に種を播く(火を灯す)のは容易ならざる熱意が求められる。

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2017年5月24日 (水)

季節の食と作物

年を重ねるとこんなもんかなぁ~と思うが、昔と比べると確実に食が細くなっている。

それに細君があまり料理に凝るってことが無いから、私もどんどん粗食になっている。

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人間喰う為に生きるのではなく、生きるために喰ってるんだから、それで良かろうとは思う。

だけど、時にはフレンチなんかを格好つけて食べたいと食い意地の部分が思っている。

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確かに昔はフレンチであれイタリアンであれ、肉料理だって腹一杯食ったものだが・・・。

そうだなぁ~、最近じゃ美味しいものを少しの方が体に合っている気がする。

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それに菜食と言うか、肉や魚・揚げ物よりも断然野菜が美味しく感じる。

それだけ「今更、大きくなる訳じゃない」ってことで、体が本質的に求めていないんだろう。

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ただ筋肉が求めるのだろうか、プロテインはここ数年毎朝の欠かせない食になっている。

それと季節の移り変わりを愛でるのが、食事の最高の楽しみだと思っている。

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春には竹の子やワラビだし、これからはナスにピーマン・キューリなどの夏野菜だ。

我が家の畑では玉葱や馬鈴薯・ニンニクの収穫を終え、その夏野菜が稔り始めている。

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加えて今年はセロリやゴボウ、インゲンや大豆も育てているから、これも楽しみさぁ。

この季節の移り変わりと言うヤツが、作物を育てているものにとって誠に嬉しいことで、

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それはその季節ごとの収穫ができるのも然ることながら、季節の野菜を愛でる歓びだ。

これもおそらく、年齢を重ねてきたからこそ感じる感慨なんでしょうね。

ところで何時か書いた網で覆って育てているキュウリが、ウリハムシの被害にあうこともなく

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元気で育って実を付け始め、どうやら細工は流々・・上手くいきそうである。

そうやって毎年少しずつ進歩・工夫していくのも、季節の野菜を育てる醍醐味だ。

それから良いことだけじゃなくって、今年のオクラは既に30本余もヨトウムシに倒されて、

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その一本一本を捕植するのだが、倒された株元を慎重に掘っていくと深さ5cm位の所に奴らは潜んでいる。

とにかく、葡萄の世話も含め、そんなこんなの毎日なのである。

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2017年5月23日 (火)

美しく歳を重ねる

生きている限り人は必ず年をとる訳で、人生とはその年をとってゆく過程に過ぎない。

だからアンチエイジングに挑むのではなく、その年齢の持つ中味をこそ充実させよう。

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そう思って昨夜は「年齢への挑戦」と書いたのだが、何も加齢に抗する訳ではない。

確かに年をとれば体力は年々衰えるし、100kの走力だって微妙に減衰していく。

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そのことを実感させられたのが一昨日の野辺山100kで、卒直なところここまで力が無くなったかと思い知らされた。

疲労はそれ程でもなくて走り続ける力は十分残っていたが、何しろスピードが出ないのである。

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これでは門限のある大会はドンドン難しくなる訳で、大会は諦めてマラニックに変更するのが普通の選択だろう。

しかし広く世の中を見渡せば、高齢者と言っても一様ではない。

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先ずは冒険家の三浦さんを思い起こすが、世は正に長寿社会で、

これからの時代は、限界まで精一杯生きて、ピンピンコロリを目指す人は数多いだろう。

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やはり私も諦めるのはまだ早いだろうし、75歳までは100kに挑もうと思っている。

その為には走る練習だけではなく、筋力と体幹を鍛える訓練が必要になる。

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と言う訳で、早速昨夜からスクワットと腹筋強化の体操を少しずつ始めたところだ。

まぁ〜それはともかく、歳を重ねることを自分にとって価値あるものにしたいと思う。

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出来る限りの努力をして、限界に挑戦するのもその一つだろう。

それには体力はもとより、気持ちや学びのハリ、前向きな精神を失わないことだ。

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私の場合、その基礎の部分に100k走がある訳だから、ここは何とか突破して行きたい。

そもそも歳をとって老齢になることは、世間的には人間の価値が損われていくことだろう。

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たからこそ、何時までも若々しくいたいと誰もが願うのだ。

私も若々しくいたいとは思うが、それよりも美しく歳を重ねたいと思う。

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それにゃやはり、年齢に相応しい中味(可能な限りの体力・知力)が大切になる。

「よおぉ~し、やってやろうじゃない」ここは腹を括って、野辺山のリタイアを教訓にするっきゃなかろう。

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2017年5月22日 (月)

年齢と戦う!!

昨年のリタイアは、肺炎に加えて構成物を服用して走ったのだから、自分で納得できた。

しかし、今回は万全の体制で臨み、走り始めの調子だって快調だった。

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だけど結果としてスピードが出せず、ウルトラを走った最短記録のリタイアとなってしまった。

正直を言うと、50k地点を目指しながら、自身の体力の衰えをこれ程かと実感していた。

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毎日の訓練を積み重ね、それなりの抗エイジ対策をしていれば大丈夫と思っていた。

それが、物の見事に覆されたショックである。

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いやさ、良い訳をすれば暑かっとか、寝不足だとか幾つも挙げられるが、筋力の衰えは否めない。

それが年齢の故なのだと悟らされたのが、最大のショックなのである。

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確かに野辺山の高低差は他のレースに比べれば破格だが、それをこれまで17回も完走して来ている私だ。

回収バスで風呂に着いてホテルに入ろうとしていると、後ろの方でヒソヒソと声が聞こえてきた。

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「デカフォレストでも、リタイアするんだねぇ〜」「そりゃあさ、10年以上走ってるんだからさぁ」

それで「奴ら、俺のことを噂してるだ」と慌てて、デカフォレストのゼッケンを外した。

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そりゃあさ、あれからもう22年もこの大会を走り続けてきたんだから・・・・とは思うが。

で、今はもう、心を入れ替えている。Dscn1548

今夜から体幹を鍛える筋トレを、朝晩2回始めることにした。

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走るだけでは補えない筋力を筋トレで補って、次の高山100kに備えるのである。

90歳を過ぎてなお世界記録を塗り替える人だっているんだから、古希程度で弱音を吐く訳にゃいかない。

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2017年5月21日 (日)

ゴールは遥か彼方に!

昨夜は特別に興奮していた訳でもないのだが、とにかくウトウトして午前2時を迎えた。

仲間はそれぞれ起き出して、ごそごそと出発の準備を始めている。

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3時の朝食、4時には会場に向けて出発し、直ちにスタートラインに立つ。

その明るくなり始めたスタートラインを、後ろから雪を戴いた八ヶ岳が見下ろしている。

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スタートを前にして、山梨学園大学のチアーリーダー達がパフォーマンスでエールを送ってくれる。

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今年からウエーブスタートと言うことで、私達デカフォレストとフル・71k組が先にスタートする。

それでかなりのハイペースで飛び出すことになって、雲一つない八ヶ岳に向かって掛け上がっていくのである。

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八ヶ岳の山容を眺めるたびに心に浮かぶのは、富士山との背比べの逸話で、

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八ヶ岳の方が高かった為に富士山のサクヤコノハナヒメの嫉妬を買い、ポカンと頭を叩かれて現在の形になったという。ともあれ・・・

朝のヒンヤリした空気もやがて汗の滴る登りになるのだが、今日の天気予報は猛暑である。

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予め何時もより多くの水分を補給することにしていたのだが、それでもすぐに喉が渇く。

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体はかなり快調で、あまり疲労感を感じずに走って居るのだが、その割にはスピードが出ない。

20k辺りから第二ウエーブの皆さんに抜かれる様になって、それでも「淡々」を心掛けていた。

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遅くとも歩くことなく走り続けていれば、必ずゴール出来ると、そう信じてである。

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42k地点を5時間20分程で通過しながら、流石にペースの遅さが気になり出していた。

今日完走すれば18回目となって、3年でイプシロンの称号を手にすることが出来るのだ。

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気持ちは「必ず完走できる」と、少しも疑っていなかった。

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しかし、50kが近づくに従ってその不安が広がって、50k地点で6時間43分であった。

つまり後半の50kへの貯金は17分しか無い訳で、この先馬越峠の難所を控え、何処かの門限に引っかかることになる。

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そう思った途端に気持ちが萎え、手打ち蕎麦の行列に並んでいた。

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蕎麦はこのレースの名物なのだが、これまで一度も食べたことがなかった蕎麦を、この際食べようと思ったのだが、つまり試合放棄である。

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バスでスタート地点に戻ると、救護所には何人ものランナーがアルミホイルにくるまれていた。

どうやら、予想外に大変なレースコンディションになったようで、我々仲間の16人のうち完走者は5人に過ぎなかった。

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20回完走は、更に難しくなったようだ。

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2017年5月20日 (土)

空のくう

無始無終 我が一心 不成仏の性 本来の心。本来成仏 仏の妄語。衆生本来 迷道の心

以上は異色の禅僧一休の言葉で、心眼を衝くというか誠に正直な言い様で、私のような凡人にも納得がいく。

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その意味は「私の心に始まりも終わりもない。それに仏になれるなんて考えちゃいない。

成仏できるなんてのも、お釈迦様の妄言さ。人の心は迷って当たり前なんだ。」ってことだ。

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一休和尚は仏教界から「それを言っちゃ、お終いよ」ってなことも言って、故に愛された。

ところで今日は、明日の100k走のために八ヶ岳の麓・野辺山高原に来ている。

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もう二十数年来、この時期になると遠路遥々とこの山里にやってくるのである。

そう・・・100kを始めて走ったのも日本一過酷と言われたこの大会で、以来毎年通い詰めている。

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当然ながら一所に参加するメンバーが入れ替わりこそすれ、私の気持ちは当時と変わっちゃいない。

ただこの間に流石の私も壮年から老年へと移り、山越え谷超えのレースに年々思いのほか難渋する様になっている。

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しかしこのレースは、言わば走る禅(座禅に対する動禅)であって、俗世の垢にまみれたこの身には一休和尚の本音が福音なのである。

レースが始まればただただ無心でひたすら走るだけ、止めよう・歩こうと常に誘惑されるが、

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その自分の弱さを自覚しつつ、それでも夢遊病者のようになりながらもゴールを目指すのである。

現地に着いて受付を済ませたが、会場もその雰囲気も22年前と少しも変わるところがない。

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私も何ら変わるところはないと言いたいが、昔の様に逸る気持ちは無く、14時間の禅に臨む平らな気分だ。

大丈夫、きっと完走出来ると思い定め、弱気の自分との戦いを始めようとしているのだ。

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そう・・・100kは気力の戦いだから、明日はひたすら「淡々」と足を運ぼうと心に期している。

「始めなく 終りもなきに 我が心 生まれ死するも 空のくうなり」(一休)

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2017年5月19日 (金)

不器用だからこそ

私はほとほと不器用で、運動神経は言うに及ばず、書く事喋ること、人付き合いや立ち居振る舞いも須らく鈍だと自覚している。

先日「運が良かったのか?」と書いたが、実はこの生まれつきの不器用が運と関係している。

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子供の頃、他人はそんな鈍な私を「おっとり」と評していたが、要するに馬鹿にしていたんだろう。

勿論本人は劣等感の塊で、「自分にも人並みに出来る」なんて想像も出来なかった。

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それが中学に入って少し試験勉強をするようになると、すると徐々に成績が上がっていく。

自分は鈍だと考えていたから、根気しかないと覚ってコツコツやるようになったからだ。

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やがてそのコツコツが奏功して、何時しか「為せば成る」と思う様になっていた。

就職してからも鈍が基本だから、いつも謙虚で通したし事前の準備もコツコツとやった。

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後に「運・鈍・根」と言う言葉を知って、振り返ると正にそれを地で行っていたようだ。

自らの「鈍」を承知しているからこそ「根」気が勝負で諦める事がない。結果として運を引き寄せるのである。

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人間に自惚れは大敵で、これに感染すると大抵は失敗する。

私の周りには利口な人が幾らもいたが「才気煥発才ならず」で、それぞれ自滅していった。

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それで必然的に、鈍な男が居残ったということではないかと思っている。

野球で言えばポテンヒットの様なものだが、結論から言えば運も実力のうちと言う事になる。

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ところでマラソンは、正真正銘の根気比べだ。

私の参加するマラソン大会には、足の速いはずの短距離アスリートはまずいない。

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のろのろと走るのが馬鹿らしいのか、根気が続かないのか走り尽くしたのか分からない。

だが競技をもっぱらにしていた人達は、ランニングを楽しむ考え方が無いようだ。

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この点私なぞは遅いのが分かっているから、毎日コツコツと走って力を蓄えるのが常で、

これがウルトラマラソンを走るベースになっているのである。

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ともあれ私の人生のベースはコツコツで成立っていて、

このブログにしても何にしても、鈍だからこそしつこく続けられるのだと思っている。

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2017年5月18日 (木)

色即是空

最近はかなり難解な哲学書などを、自分なりに無理して読もうとしている。

何が書いてあるのかさっぱり要領を得ないが、それでも少しだけ分かったような気にはなる。

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例えば、仏教で最も知られているお経は般若心経だが、あれも立派な哲学講義である。

お釈迦様が語ったとされているもので、とにかくこの世界は全て「無」だと強調している。

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経文を紐解いてみるとザット次の様で、

 無無明 亦無無明盡    (迷いなどは無く、故に亦、迷いがなくなることも無い。)

 乃至無老死 亦無老死盡 (老いも死も無く、故に老いや死がなくなるということも無い。)

 無苦集滅道 無智亦無得 (苦しみも苦しみをなくす道も無い。知る事も得る事も無い。)

 以無所得故          (得ると言うことが無いのだから。)

 菩提薩埵 依般若波羅密多故(菩薩とならん、般若波羅多に帰依するが故に。)

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 心無罜礙 無罜礙故    (知恵は満ちて心無く、故に知恵も無く)

 無有恐怖 遠離傾倒夢想 (恐れすらないのは、夢想することを遥かに離れたからだ。)

 究竟涅槃 三世諸佛    (菩薩は既に涅槃に入っているのである。)

  依般若波羅密多故      (般若波羅多に帰依するが故に)

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これを色即是空・空即是色の世界と言うのだろうが、こんな難しいことを唱えられて、

果たして人は成仏できるのだろうか? (私なら、棺桶から起き上がって説明を求めるところだ)

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この宇宙と一体化するから空の様に「無」だと言うが、それじゃ涅槃は何処にあるのかと。

実は本当は天国も地獄も、そして涅槃だってありゃしない・・・全て無に帰るのだ。

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そう・・・私達は生きているからこそ、迷い悩み、苦しんだリ恐れたり、夢想したりするんだ。

今日一日畑で汗をかいてかなり疲れたが、それもこれも生命の発露なのである。

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「無」なんてことではなくて、そこには一歩前に出れば一歩前進する世界がある。

ともあれ分かったようで分からない様な、70年生きても人生は分からない。

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しかし、この先何があるのか分からないから、人生は面白いんだよね。

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2017年5月17日 (水)

幸運な人生?

私は運命とか運などと言うものは信じないのだが、この世に運らしきものはあるようだ。

人との巡り合いや事故・災害との遭遇、或いは宝くじや生まれた時代も「運」なのかも知れない。

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この点職場に恵まれ、加えて多くの優れた先輩や仲間に恵まれた私は、総じて幸運だったと思っている。

勿論不運だって数限りなくあった訳で、特に籤運の類には全く見放されている。

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だからこの三十年宝くじ等は買ったことが無いし、大売出しの籤引きすら敬遠している。

昔、麻雀に熱中したことがあって、あのゲームにはツキ(運)を呼び寄せる極意がある。

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それは多分、ツキがないと思った時には、ひたすら我慢して無理をしないことだ。

その流れに逆らうと大負けを喫することになるし、やがて来る運を遠ざけてしまう。

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同様に人生にも多分に波があって、数少ないチャンスを確実に捉えるのも運だろう。

いや運と言うよりも、偶然の重なりなのかも知れない。

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偶然出会ったとか、たまたま空きがあったとかで、その偶然とどう付き合うかで人生は変わる。

そもそもこの世は無限の偶然で成立っている訳で、偶然も人間が作り出しているものだ。

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いやいやそれどころか、この地球上の人間の存在だって宇宙の奇跡だよね。

そうして肝心な事は、その偶然に出会う場所に自らを置いているかどうかと言うこと。

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人や仕事との出会い、アイディアの発見も運と言えば運だが、それも・・

自分の能力や感性・考え方によって大きく変わる訳で、それは運命でも何でもない。

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定年退職して半年後にあのリーマンショックがあって、退職金の大部分を株に投資していたからそれが半分になった。

それは大変な不運だったけど、経済や株について深く知るところとなって、今ではむしろラッキーだったと思っている。

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要するに気持ちの持ち様で、運は努力によってもたらされるんだろう。

それにしても今もって分からないのは、細君との出会いは貧乏籤だったのかどうかという事。

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2017年5月16日 (火)

あの子もこの子も

私がボランティアを始めるようになったのは、自治会長を任された60歳の時からである。

当時定年間際と言うこともあって、仕事では相当に過密なスケジュールを強いられていた。

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しかし集落の選挙結果ということで引き受けざるを得なくなって、まぁ~それを機に地域を少しは考えた。

それで自治会長の年齢を引き上げたり、防犯組織を作ったり、地区長制度を整えたりした。

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他にも色々と試みたことはあったが、その時以来毎日街頭に立って、「お早うございます」「行ってらっしゃい」と子供を見送り続けている。

その立哨も既に10年目に入って、月日の流れは矢の如しで、もうそんなに経ったのかと感慨深い。

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小学校には「子供の安全を見守る会」が組織されていて、その会員にもなっている。

そして今日は、その会員の皆さんと生徒達が対面する年に一度の会があった。

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この十年、生徒の数は4割近く減ったが、一人一人の子供は10年前と同じだ。

子供だって親分肌もいれば、泣き虫に目立ちたがり屋だっていて、大人の世界と同じだ。

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そんな一人一人を眺めながら、この子が大人になったらどんなになるのかと楽しみに想像している。

人生は学校の成績が全てじゃないし、果たして人の運命を決定づけていく要素は何なのか。

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自分の子供の頃を思いだしながら、子供の顔にその想を巡らせることもある。

押し並べて元気に返事のできる子供には、その将来の発展性を感じてしまう。

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講堂に居並ぶ600人余の子供たちは、みんな無邪気で気のままに生きている。

この無邪気が様々な困難とぶつかって、色々と悩むようになるのは中学生位からだろうか。

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そうやって幾つもの殻を脱皮して大人になるのだが、その人生だって色々な選択がある。

何が幸せって、それはこの子たち一人一人が試行錯誤しながら、選び取っていくものだ。

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仮にこの子たちの歳に戻ることが出来るのなら、果たしてどんな人生を選び得るだろうか?

それも人生はまさしく夢の如しであって、やはり似た様な歩みをするのではないかと思う。

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やり直しが利かないからこそ、良きにつけ悪しきにつけ、それが自分の人生なんだろう。

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2017年5月15日 (月)

年齢制限

甲羅を経て老年へ、それで何か良いことがあるのかと考えてみている。

そりゃぁ〜現役時代の緊張から解き放たれはしたが、予備役編入だから基本的に良いことなんて無い。

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第一働かなくても幾分の年金が支給されて、これが高齢者の精神を軟弱にしてしまっている。

ただ幾つかの高齢者特待があって、それ自体商魂の賜物とは言え随分と助けられている。

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例えば映画館のシニア割引、公設美術館などでの割引若しくは無料優待だ。

昨年金沢を訪れた折、兼六園の入り口で入場券を買おうとしていると、何歳ですかと声を掛けられた。

何と65歳以上は入場無料なんだそうで、随分と得をした気分(たかが数百円)になった。

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最大のお得感はJRのジパングで、何と三割引きだから少し遠隔だとホテル代が出てしまう。

お蔭で全国あちこちのマラソンに遠征出来る訳だが、これだけは歳を取って良かったと思う。

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ところが逆の年齢制限ってのがあって、あぁ〜歳を取るってのはそう言うことかと、改めて認識させられた。

実は年齢制限というものは、ピンク映画や酒タバコの様に年少者にのみあると誤解していた。

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先日の富士五湖100kの折、レースの翌日訪れたのがFハイランドで、数十年ぶりに遊園地に入ってみたのである。

入り口で高価なパスポートを買わされて中に入ったのだが、

ジェットコースターなど諸々の遊具のほとんどが60歳未満と表示されている。

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そうはっきり表示されると、それ程危険なのかと思うし、嘘をついて乗ってもしもの事があったらと躊躇してしまう。

結局のところ五千円も払って遊べたのは、自転車とお化け屋敷、それに映像ファンタジーだけだった。

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メインの巨大コースターの数々は、見上げていただけで顎が痛くなって帰ってきた。

俄然何故高齢者を差別するのかとの疑問が吹き上がって、

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前日に100k走れた男が、あのなよなよした連中と差別される所以はないのである。

聞くところによると、101歳で4000mからのスカイダイビングに成功した人がいるという。

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そう・・・、人間は年齢ではなくって、心意気なのである。

これは差別撤廃を求めて、運動を始めねばなるまい。

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2017年5月14日 (日)

人はそれぞれ

先日「人は何故、長生きをしたがるのか?」と書いたが、その続きを書こうとしている。

この世の中、誰もがそれぞれ精一杯のパフォーマンスをしながら生きている。

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例えば走りっこにしても、自分の記録を目指してひたすら走るランナーがいる。

その一方、ユニークなウエアーを着たり仮装をしたりとそれぞれ目立つことに拘る人もいる。

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更にその見ず知らずのランナーの為に、自前でエイドを設けて下さる人がいる。

先日の万里の長城では、日中韓の国際サポートチームが目の不自由な人達の援助をしていた。

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必ず三か国の出身者がチームになって、障害のある方をサポートするのがルールだそうだ。

ラン仲間のMさんをサポートした韓国と中国の方には私も面識があって、彼らの真摯な友好への努力には本当に頭が下がった。

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マラソンは、それは単なる遊びかも知れないが、それぞれにそこに意味を見出して、みんな懸命なのである。

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いやいやこれはマラソンに限ることではなく、人生須らくに通じることなのである。

人間が欲望を満たすことのみを目指して生きるのなら、長生きなんてナンセンスだ。

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動物的能力がどんどん欠落していって、本来の欲望を満たせなくなるのが長寿だからだ。

だけど私達は欲望とは別に、人それぞれの希望若しくは夢を懐いて生きている。

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その夢は何も自分のことに限られたことではなく、社会全体に開かれてもいる。

だから全てに絶望しない限り、夢は次から次へと広げることが出来る筈だ。

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例えば、世界平和の為に何がしかの行動をするってことでも、孫の為になんてのも有りだ。

93歳になってなお気丈な私の母親は、家族のために何らかの為になることを張りに生きている。

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息子の私が頼りなくって心配だってことも、長寿の大きな要素になっている様だ。

ともあれ人は、それぞれの希望(夢)のために生きるのである。

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それで、改めて我が夢を膨らめて見ようと思っている。

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2017年5月13日 (土)

同行二人

久しぶりの雨らしい雨で、畑の野菜も草もホッと一息ついている様だ。

午後になって雨が止んだので、杭を打って諸々の支柱立てをした。

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ナスにしろピーマンにしろ、トマト、キュウリ、すべからく支柱をしっかり作って誘因が必要だ。

それはともかく、今年はウリハムシの発生が早く、折角のキュウリが大被害を受けている。

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それでキュウリの畝全体を網で覆うことを思い付いて、早速実行してみた。

出来栄えは上々なのだが、果たしてこれで奴らの襲来を防げるものかどうか? 先ずは試みである。

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ブドウの管理作業もようやく追い付いてきて、毎朝のジベ処理に忙しい。

ところで、今日は冒頭に「同行二人」と書いたが、その表現の仕方にいささか困っている。

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二人とは夫唱婦随でもなく、いわんや弘法大師や躁うつ病でも、もちろん二重人格でもない。

しかしながらこの期に及んで、時として自分が誰なのか分からなくなることがある。

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否、何をするのが自分なのかが分からなくなるという意味である。

長年付き合ってきた自分だから全て知っていると思いながら、どうもそう言い切れないのだ。

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強気な自分と弱気の自分なら何時も同居しているし、怠惰と勤勉も同様だ。

しかしここ数年だろうか、(年に数回)思いがけず自分が制御不能に陥る時がある。

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何故それが出てくるのか分からないが、人間とは(私だけか?)摩訶不思議なものである。

そこで話は葡萄に戻るのだが、今年の芽生えはバラつきが大きく、花の付かない枝も多い。

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原因は天候だと思うのだが、その制御不能な(管理上の)理由をあれこれ考えている。

毎年、今年こそはと取り組むのだが、その「今年こそ」が中々実現できないのである。

彼らには感情はないのだが、その代わりにはっきりと態度で表現するのである。

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そう、今年手抜きをすれば、その影響は後になって如実に現れる。

この点人間は移り気で、相方の気分次第と言うこともあって、中々に思うに任せない。

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2017年5月12日 (金)

長生きの先

私は今年の10月で古稀を迎える訳で、肉体年齢は間違いなく70才と言う事になる。

ちょっとギョッとすると言うか、いったいこれは誰の歳なんだって気分である。

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しかし、人は老いると回顧的になるとされているが、使古しの自分の人生など・・・・

回顧しても何の面白みも無いから、そんな酔狂な事はしたことがないし、したくもない。

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それに肉体年齢は別にして精神に年齢は無いから、無理に老け込む必要も無い。

とは言え平均寿命がドンドン長寿になっても、何時かは終止符を打たねばならない。

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一般的には長寿は寿ぐべきものだが、そもそも人は何故長生きしたいのだろうか?

十分な体力と若々しい容貌を維持して、バリバリの人間盛りが続くのならまだしも、

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肉体的に歳をとれば老眼になるし、食い物も食えなくなるし生殖能力だって無くなる。

人が長生きしたいのは、そのぉ~現世的快楽、つまり楽しいことをしたいからではないのか。

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そんな快楽三昧で150年も生きるのなら考えないでもないが、それだって飽きちゃうだろう。

歳と共に出来ることがドンドン制約されて、長く生きる為だけの長寿に果たして意味があるのだろうか?

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そこんところが昨今の悩みの種ではあるのだが・・・、どうにも分からない。

むしろ人生は起承転結があって、それなりの苦労と喜びの思いでがあればそれで十分だと思うのだ。

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ただ厄介なことに私の場合(私だけなのかどうか?)、精神年齢は一向歳をとることが無い。

あれも出来るこれも出来る、あそこにも行ってみたいetcと、夢想を続けているのである。

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この知的好奇心には際限が無いが、老年には老年に相応しい老成とか円熟もある。

それに枯淡の境地とか崩れゆく滅びの美もあるらしいから、本当は何がしたいのか明確にせずばなるまい。

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まぁ~それも、やがて肉体が滅びれば、そこに宿る精神も消えて無くなるんだろうな。

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2017年5月11日 (木)

マンパワーから機械へ

私の園芸は、二十数年前に始めたブドウ栽培に始まる。

葡萄栽培は、芽欠きや誘引、花房整理など、その作業のほとんどが手作業である。

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それも棚の上だから、手を上げた姿勢を余儀なくされる作業だ。

その葡萄だが、今春の天候異変の影響か発芽が極めて不揃いで、この時期に作業が一気に集中してしまった。

例年ならブドウの管理作業の合間に畑を耕すのだが、とても手が回りかねていた。

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実は葡萄の手作業にならって、これまで畑を耕すのも鍬一本でやってきたのである。

機械を使えば良いのだが、親父譲りの耕運機はいつも機嫌が悪く、放置していたのである。

もう4〜5年起動したこともなく、これを機に新しい機会に買い替えることにした。

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ホンダの「こまめ」と言う機種で、使ってみると実にこまめで、嘘の様に作業が進む。

例年なら二通りの畝を作るのに半日も要したのに、何と半時間ほどで全て耕してしまった。

勿論堆肥をたっぷり振って攪拌し、その上植え付けまで一気に済ませてしまうことが出来た。

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これまで人力の作業に拘って(如何にも働くって感じじゃない!!)きたが、もう降参である。

ところで今日は新発見(知らなかっただけだが)があって、世の中はどんどん変わっているらしい。

耕運機を新調したら当然ガソリンが必要になって、スタンドに買いに行くとタンクが必要だという。

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消防法によって、専用使用のタンクが無いと売ることが出来ないらしいのだ。

止む無くホームセンターに買いに行くと、全てバリっとした恰好の良い平型タンクで、かつてのようなカンカンではない。

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つまり私が機械を使わなかった数年のうちに、ガソリンの販売も様変わりしていたのである。

さても浦島太郎の様な心地がしないでもないが、やはり寄る年波に抗するには機械力だ。

それに恰好の良いガソリンタンクを買って、少し進歩した気分になっている。

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2017年5月10日 (水)

夢の中の納得

人は大抵ケッタイな夢を見る生き物だが、夢とは魂が見る自分自身らしい。

夢など起床と共に忘れてしまうのが常だが、「善い夢を見た」なんてことは一度も無い。

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大抵は試験問題が解けずに苦しんだり、蛇が寄ってくるのに逃げられなかったり、

オバケに追われたり、大勢の前で立ち往生していたり、大抵は冷や汗をかいている。

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記憶の奥底に格納されている切れ切れの映像が脈絡なく繋がって、何となくストーリーになっているから不思議だ。

もっともそのストーリーは人を食ったように極めて稚拙で、もう少しまし(立派)な夢を見たいと思ったりする。

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そう、中国の荘子が見たという逸話の「胡蝶の夢」の様な夢なら毎晩見たいのだが・・・。

それにしても、目は閉じてるのになぜ映像が現れるのか、夢と言うのは一体何なのか?

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そんなことを思っていた折、先日、久方ぶりに納得できる夢を見た。

夢の中の私は例によって、半年も費やした卒業研究が上手く纏まらずに困っている。

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実はこの夢は三年に一度くらいの頻度で、もう何度も見てきた実話でもあるのだが・・・。

やがて発表会の当日、何人かの教授から「分析方法が稚拙だ」「卒業させられない」などと糾弾されるのである。

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そこには立ち往生し口も利けない自分がいるのだが、実は今回は展開が違った。

「そもそも、この研究テーマの設定に問題があったのでは・・」と滔々と自説を述べている。

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目覚めてからその夢を反芻しつつ、「そうだよな」とつくづくと納得している自分がいた。

あの頃(学生時代)には気が付かなかったが、結果が出せなかったのは当然だと分かったのである。

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えぇ・・・・何でそんなことを夢の中で苦しんでたんだろうと、かねてからの懸案が氷解したのである。

そんな訳で、多分二度とこの夢を見ることは無いだろうが、夢にも効用があったんだ。

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それにしても良い歳をして試験で冷や汗をかいたり、オバケに悲鳴をあげたり、

そんなバカバカしいことに真剣に立ち会うなんて、魂は何時までたっても子供なんだな。

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2017年5月 9日 (火)

ストレスを越えて

子供の頃、自分の運動神経の鈍さに、猛烈な劣等感を持っていた。

それが高じて、野球に加わらざるを得ない時には、ドジをしやしないかとビクビクしていた。

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それからズボンを買いに行って「腰骨が大きい」と言われ、何故かそれを苦にし続けた。

中学の頃だったか、ニキビが苦になって苦になって仕方なかった。

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それやこれや、あの頃は「自分は、この先どうなっちゃうのか?」と不安で仕方なかった。

成人して就職・結婚、今度はストレスの大半が仕事関連に変わった。

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仕事では、障害物競走の様に次々高いハードルが現れて、無我夢中でそいつを越えた。

時には不眠が続き、眠ると直ぐ汗びっしょりで起きたり、胴回りに発心が出来たりもした。

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仕事は上手くいって当たり前だが、それでも何処かにミス(落とし穴)が潜んでいて、

それに加えて同僚の僻みや非協力、そんな人間関係の齟齬も悩みの種だった。

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そして人によっては、ストレスが原因で癌を発症したり、鬱になったり自死する人さえいた。

退職の日を迎えて、やれやれこれでストレスともおさらばと思いきや、今度は父の葬儀や

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住宅ローンの支払いやら、そして子供の結婚やらと、ストレスの種が移り変わっていく。

つまり人生のストレスは、原因が入れ替わるだけで、次々と移動しているのである。

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まさに「真砂の砂は絶えれども、ストレスの種は尽きまじ」だと思っていた。

ところが近年、心配の種が無い訳ではないが、どんどんストレスを感じなくなっている。

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これは「何とかなるさ」って類の諦観なのか、それとも好々爺への入り口なのか、

それとも老人性痴呆の始まりなのかといぶかしんでいるところだ。

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これまでの経験上、適度なストレスは人生を活性化すると信じてきたのである。

しかるに、当面のストレスは葡萄の管理が間に合わない程度だから、もっとストレスを求めなきゃならない。

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と言う訳で、今月は野辺山100k、来月は高山100k、再来月は日光100kに挑戦することにした。

そもそも人生の苦難(ストレス)には、必ずそれなりの意味があって、その渦中で如何に善く生きるのかがその人の価値なんだから。

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2017年5月 8日 (月)

何を何ゆえに

この間北鎌倉の街を歩きながら、人間の弱さについて考えていたと思う。

私達は存外神社仏閣が好きで、あちこちの歴史ある神仏に詣でるのを常としている。

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そのくせ身近な寺や神社には、催事でもない限りめったに出向くことは無い。

実を言うと私は神仏をおよそ信じておらず、先祖への感謝は別にして、信仰心はゼロだ。

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それでも詣でた折には、人並みに習いとして手を合わせ柏手を打つ。

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そもそも私達は、先のことが分かって生きている訳じゃない。

突然病に倒れるかも知れないし、思わぬ事故や不幸に遭遇するかもしれない。

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いや仮に知っていたとしたら、それはそれで安心して生きられる訳でもない。

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つまり、先のことは何時だって不安だし、だからこそ困らぬ前の神頼みだったのである。

ところが医療を始めとした科学技術や、年金等の保険制度の進展で神仏が飾りになった。

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それに地獄も閻魔様も、祇園精舎も天国の桃源郷も存在しないって知れ渡っちゃった。

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もっとも、少しばかりの賽銭を投げて、柏手を打ったからって、

それで望みを叶えたり叶えなかったりするような神なら、居てもいなくても同じだけど・・。

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しかし私達は生きている限り、失業したらとか失恋したらなどと、悩みは尽きないものだ。

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神が居てもいなくても、「ご加護がありますように」と頼んでおくにしくは無いのである。

私が神仏の前で祈願すること、それは大抵「元気で、完走できますように」である。

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他に頼むことが無いのかと言われそうだが、他の事は頼んでも無駄だと思うのである。

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なるほど生老病死を心配しないでもないが、それが無くなったら幸せって訳でもあるまい。

何故って、心配するのは人の心だって、それがかなり分かってきたからなぁ~。

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よってこれからの神社仏閣は、やはり観光に磨きをかけることだろう。

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本筋を逸れたが、残り少ない人生と思いつつも、毎日の多くを惰性で過ごしてしまう。

自分自身が何を何ゆえに行動するのか、時にその事を振り返って考えたいと思う。

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人生の意味は、自分がそれを感じるところにあるのだから。

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2017年5月 7日 (日)

壁は力か?

昨今話題になったのはトランプ大統領のメキシコの壁だが、世に有名な壁はベルリンの壁、

そして先日訪れた万里の長城だろう。

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いずれも甚大なコストをかけて建設されたものだが、果たしてその採算は取れたのだろうか。

拙宅の庭の隅に小さなコンクリート片があるが、7年前訪れたベルリンの土産だ。

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あの壁も観光資源としては今でも価値があるらしく、訪れる人は絶えない。

数々の事件のあったブランデンブルク門の前では、東独の軍服を着た写真モデルが何人もいる。

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巨大な壁でベルリン市を真っ二つに仕切ろうなどと、一体全体どう言う発想なんだろうか?

市民がみんな西側に逃げてしまうからだが、そもそも人が逃げ出すような体制そのものがおかしい。

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だが当時の権力者は、自らの特権を維持するには、市民を縛り付けておく他無かった。

否、そうこうする内に、夢の国でもできると夢想していたのかも知れない。

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ともあれベルリンの壁は、無数の悲劇を生み出し、そして群衆の力で瓦解したのだ。

北方民族の進入を恐れて、紀元前から延々と造られた万里の頂上はどうだろうか。

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北方民族と言っても、そもそも狩猟・放牧を生業とする蒙古族や満州族で、その人口は取るに足りない数しかいなかった。

もともとは草原をどんどん畑にしていったのは中華民族で、北方民族にすれば自分達の放牧地を奪われていた訳だ。

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それに彼らにすれば、放牧や狩猟では得られない物資(人口が少ないから人も)が欲しかった。

それで通常は、馬と絹や穀物と交換のような交易が行われていたのだ。

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6,000kにも及ぶ壁が出来た訳だが、ではそれで国が守られたかと言うとノンだ。

元帝国は壁など物ともしなかったし、つい最近まで続いた清朝は満州族の王朝だった。

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(体制が揺らぐほどの)超大な犠牲を強いて建設された壁だが、実際の機能はコソ泥を防いだ程度だったろう。

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さてこそトランプの壁は尚更疑問だが、そもそもアメリカの農業はメキシカンの存在で成り立っている。

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日本に売ろうとしている安価な穀物や野菜は、メキシコからの季節労働者に支えられているんだからして??

それにもともと、アメリカの住民はみんな(インディアン以外)あちこちからの移民じゃないの?

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だからして今本当に必要なのは、人の心の壁を含めて、みい〜んな壁を取っ払うことさ。

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2017年5月 6日 (土)

久々の中国

10年ぶり、三度目の中国であった。

言うまでもなく、この25年間で中国は目を見張るような変貌ぶりを見せてきた。

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25年前、杭州の西湖マラソンで訪れた折には、街も道路も暗く、並木すら埃っぽかった。

肥溜め積んだ荷車やオート三輪、崩れかけた土壁など、これが共産中国かとの思いだった。

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二度目は浙江省に友好協定10周年記念で訪れた時で、その頃の習近平は省長だった。

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そのころ浙江では多くの人々が、マンションやITに異常な程の関心を示していた。

そして今回の北京だが、街並みも公園も整備され、街路はおよそ幅広く、そこに車が満ち満ちていた。

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25年前の片鱗を探そうとするのだが、時折荷物を満載したトラックがノロノロ動いていて、

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その荷積みの仕方にかつての中国を感じる程度だった。

マラソンのエイドは大学生のアルバイトだったが、当然日本の学生と変わるところがない。

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それに彼らは、みんな一人っ子として育てられたんだろうが、特段の屈託も感じられない。

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東京に帰って新幹線の車窓からの小さな住宅の立ち並ぶ眺めは、中国よりも相当に貧弱に感じられた。

「地震の少ない中国だから、ニョキニョキとマンションが建つんだ」と思ってみたが、

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どうもそれだけではなく、土地そのものが国有だから、そうならざるを得ないらしい。

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とは言えマンションの価格は高騰していて、新築の場合は年収の20倍近いという。

人口が集中(900万人程度)しているとはいえ、バブル期の東京都心なみの価格だ。

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そんな高いマンションをどうやって手に入れるのか不思議だが、北京には金持が集まっていると言うことだろうか。

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ところでかつてマンション建設に盛んに投資していたのは、浙江省の金持ち達だった。

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土地柄なのか商才に長けていて、上海などに投資して財を為したらしい。

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習近平主席も同様な感覚で、世界の中での中国の影響力を高めようと躍起になっている。

そして天に代わって治めるべく、「核心」などと呼ばせているのだが…・。

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2017年5月 5日 (金)

ラストエンペラーの宮殿

紫禁城(故宮)は、明朝(1421〜)から清朝(1644〜)にかけての500年間、24代の皇帝が暮らした所だ。

元が拠点を置いた所だが、明の永楽帝が14年を費やして造営した宮殿だ。

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周りを幅52mの堀が囲み、72万㎡に及ぶ宮殿には大小無数の建物が林立している。

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現在の建造物は、1644年の李自生の乱で焼失した後、清朝により造営されたものだ。

李自生の反乱は、結果的に長城の北側で満を持していた韃靼族を内側に引き入れる結果となった。(この辺の事情は、司馬遼太郎の韃靼疾風録に詳しい)

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ともあれ、紫禁城は天に変わって地上を治める皇帝が住む所で、

北極星(紫微星)と禁城(庶民立入禁止)の合成語で紫禁城と呼ばれる。

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私達にとっての紫禁城のイメージは、あの西太后と愛新覚羅溥儀の映画ラストエンペラーだろう。

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1908年、光緒帝が没して、西太后が後継に2歳10か月の溥儀を据えるところから始まる。

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その即位の礼では、大和殿の広場に百官がひれ伏し、厳かに最後の行程が即位する。

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だが紫禁城の外では、帝国主義の列強が国土を蚕食し、アヘンは蔓延する危機状態にある。

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しかしこの広大な宮殿の中には、そんな世間の喧騒は少しも聞こえてこないのである。

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やがて1911年、辛亥革命が成功して、清は滅び、5歳の溥儀は退位を求められるのだ。

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それも束の間八路軍が台頭し、毛沢東の中華人民共和国が設立される。

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蒋介石は政府共々台湾に逃げるのだが、その際、この紫禁城のめぼしい宝物をそっくり持ち出してしまう。

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その宝物が、現在の台湾にある故宮博物館の展示物だ。

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紫禁城は皇帝の暮らす住居であり、政務の場でもあるが、それにしても巨大で、

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大和門前の小川に掛かる橋は玉で造られ、後宮には皇族の遊ぶ公園まである。

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主な建物は天安門、午門、大和門、大和殿、中和殿、保和殿、乾清宮、神武門などだ。

紫禁城を北に向かって歩きながら、その規模の巨大さに圧倒されつつ、「こけおどし」を思った。

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人間の住む所などせいぜい10㎡もあれば十分だが、目一杯税を尽くしてもこの程度だ。

「天に代わって地上を治める」為に必要な権威づけが、この紫禁城なんだ。

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そもそも皇帝など誰だって良いんであって、統治機構が国を治めるのである。

その権力の象徴として、紫禁城は500年間にもわたって機能し続けたのだろう。

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北側の神武門を出ると、やれやれと大きな溜息をついてしまった。

さらにその北側の丘に故宮を一望できる城(景山公園)が聳えているのであった。

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2017年5月 4日 (木)

集中力の勝負

歳と共にと言うか、近年は年々、集中力を研ぎ澄ます機会が減っている。

昔は人の前に立つ時には、予め話すことを整理し、大抵はその筋書きでしゃべったものだ。

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ところが最近じゃ、ここ一番と言うことが無くなったし、集中して記憶することもしなくなった。

たまに機会があっても、何とかなるだろうと、始めっから妥協してしまっているのである。

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この点若い人達の集中力は見事なもので、勉強の仕方さえ心得ていれば、一夜漬けでも膨大な知識を詰め込んでしまう。

勉強も量より質が大切で、長時間やったからそれで良いと言うことではないようだ。

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高校に入って二年半真っ黒になって野球をしていた男が、数か月の猛勉強で難関大学に入ってしまった。

要するに、やる気さえあれば集中力如何と言うことである。

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実は今日、春季高校野球県大会の準決勝があって、草薙球場に応援に出向いたのである。

そして高校野球の面白さは、集中力のぶつかり合いが見て取れるところだろう。

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勿論時の勢いや技量も大きいが、基本はここ一番の集中力である。

ここまで順当に勝ち進んできて、勝てば決勝戦進出という大事な試合である。

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しかし中盤まで0封で頑張っていたものの、打線が相手チームのエースに抑えられ、

昨日はあれほどヒットを放っていたのに、今日は散発的なヒットで終わってしまった。

相手ピッチの技量と集中力に負けたのである。

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野球の結果はともかくとして、歳と共に集中力が衰えるのは何故だろうか。

一種のボケかも知れないが、肝心なのは目的意識が希薄になるからだと思う。

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人生への「慣れ」もあって、そこそこで良かろうと、自ずと自らを甘やかせてしまう。

さても、その集中すべきことについて、今日は高校球児達に学ばせてもらった。

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2017年5月 3日 (水)

天安門の広場へ

あの天安門広場に、始めて足を踏み入れた。

近世の中国の歴史と深くかかわり、その動乱の度に世界が注目した場所である。

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そう・・1926年には3,18虐殺事件(列強の干渉)があり、1949年には毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したのもこの場所だ。

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紅衛兵の行進や民主化運動弾圧(1989天安門事件)、1919年の学生の五・四運動など、常にこの国の歴史を映してきた広場でもある。

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広さは44万平米で50万人以上収容できるとされ、地下には集会時のトイレ用の穴さえ開けられている。

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とは言え広場に近づくと、あちこちに検問所があって、持ち物チェックが空港並みに繰り返し行われる。

私はウエストポーチの中の旅行ガイドやパンフレットまで、詳しく調べられた。

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2013年の自動車突入(チベット族のテロとされた)事件以来、厳重な警備が続いているらしい。

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広場はもともと紫禁城の正陽門から天安門に通じる通路で、かつてその両側には朝廷の諸機関が並んでいた。

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その機関やら倉庫群が取り払われ、代わって毛主席記念堂や人民大会堂、人民英雄記念碑が建っている。

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いずれにしても、この国の広大さを反映していて、世界最大の広場である。

この場所から北京オリンピックのマラソンはスタートし、現在の北京国際マラソンも同様だ。

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さても平日なのに大勢の人々(修学旅行の学生なども)が訪れていて、

正陽門から天安門に至るだけでも相当に遠く、かなりの時間を要する。

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ところでこの三十年、中国は共産主義から現実主義へと舵を切り、特に北京オリンピックを契機に大きく変わった。

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二十数年前に訪れた際の、あの混沌と薄汚れた貧しさは影を潜め、

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片道6車線(サイドの道を含む)ほどの道路が縦横に走り、中央分離帯には、バラが美しく咲き誇っている。

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街路も整然と整い、高層マンションが小奇麗に林立するのが、少なくとも北京の姿だ。

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名物だった車の警笛も影を潜め、公衆マナーも少しずつ改善している様だ。

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それでも50以上の民族を包含したこの国の治政は、やはり容易ではない様子である。

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天安門前の広場は、その広大無辺さと言うか、この国の統治の難しさを象徴している。

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いずれにしても明から清へ、そして中国共産党一党支配へと、この国の中心の広場である。

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2017年5月 2日 (火)

遥かなる長城

山の尾根を縫って遥か彼方に連なる長城は、ある種人生にも似て、どこまで行っても

城壁と要所要所に砦があるだけの一本道だ。

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只、遥か向こうに見える先の砦に何があるのか、それは行ってみなければ分からない。

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そうして山々を越え、川や谷を跨ぎ、砂漠を横切って何処までも続くのだ。

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今回私の辿ったのは、たった28kに過ぎないが、それでもウルトラを走ったほどのダメージだ。

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あの険しい階段と坂道が6000kにも渡って続いているのは、それがロマンで無くて何としよう。

しかも、この地の人々は、ひたすら人力で造ったのである。

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日干し煉瓦と石の無機質な道程だけれど、その日干し煉瓦に何百年か前の犬の足跡が残されていたりして、

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否それにも増して、果たしてどんな人達がどんな思いで、砦の警備に携わったのか?

国境というものは、トランプ大統領のメキシコの壁ではないが、かくも大切だったのである。

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清王朝が衰微して、改めて国境としての長城が意識させたのは、日本帝国の陸軍だった。

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長城の外側は異国だろう・・・ならば独立させて属国にしようとの発想だったか?

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清朝の末裔、アイシンカクラ溥儀を皇帝に付けたのは、その流れだ。

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しかし中国は既に、50もの少数民族が入り混じって暮らす地域になっていて、長城は無用の長物だったのである。

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而して今日、長城が長城としての姿を見せるのは、近世の観光施設として修復された場所だけなのである。

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かつて長城越しに交易(馬と絹の交換)が行われていたという。

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しかし今日、物資は壁などなくとも縦横に流通する時代になっている。

メキシコの壁も含め、壁などおよそ無用な時代なのである。

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つまり私達が長城にロマンを感じるのは、歴史の遺産としてであって、むしろ「壁」の無意味を感じさせてくれる。

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それにしても、この大地を這う長城の景色は、いつまで眺めていても飽きることは無い。

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2017年5月 1日 (月)

Great Wall

万里の長城マラソン、正しくはGreat Wall of China Marathonである。

制限時間10時間だからと、悠々完走するつもりで臨んだ大会である。

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朝五時、北京の神舟飯店に集合、そこから高速道路を一時間余り北上すると八達嶺に至る。

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参加者のほとんどが外国人で206名、うち日本人が最も多く66名である。

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予定は7;30スタートなのに、その時刻になっても一向にその気配がなく、

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ウイグルの男が舞台に上がってダンスを踊ったり、女子大生グループのヒップホップがあったり、

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それでも8時頃になってようやくスタートとなって、坂を登り山間の彼方に見える長城を目指す。

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やがて長城に取りついて間もなく、想像を絶するマラソンに参加してしまったことに気付いた。

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50度はあろうかと思える傾斜面を登り下りする訳で、階段はともかく、石を敷いた斜面はスルスルとすべってしまう。

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長城は、山の尾根づたいに石を積み上げて造られている訳で、斜面ばかりなのは当然なのである。

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それにしても、こんな崖地に良くぞこんな巨大な構造物を造りあげたもので、

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どれ程の農民の命が犠牲にされたのか知る由もないが、秦の始皇帝の強法支配による

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治政がこの長城の規格と徹底した工事の完遂を強いたのだろう。

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それにしても、こんなに険しい山中であって、騎馬民族と言えども果たして通ることが出來たのかどうか?

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ともかくも多くの犠牲を伴って造られた長城だが、日干し煉瓦を積み上げたものだから、

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放置されれは直ぐに崩壊が始まるのである。

現実に、草むして崩壊しかけたカ所があちこちで見られるのである。

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ところで肝心のマラソンだが、コースは八達嶺の山越えをする片道7kの3往復である。

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ところが最初の7kで2時間を費やし、往復でも3時間50分を要することになってしまった。

とても完走はおぼつかないタイムで、結局2往復7時間半でコースアウトを余儀なくされた。

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実はこの大会は10k、ハーフ、フルが設定されていて、そのいずれもが10時間制限。

要するに、実力に応じて走り、それぞれ長城を楽しもうという大会なのであった。

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そんな訳で、私も十分長城を堪能した次第である。

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