私学の憂鬱
田舎に生まれ育った私は、学費の高い私立学校に進学するなど想像も出来なかった。
一部の特権階級の子弟が行く学校とばかり思い込んでいた。
就職して同僚が「僕は、あの丸刈り頭がいやだから私立に行った」と言うんで、へぇ〜と驚いた。
当時の公立は、高校までみんな丸刈り頭だったからね。
従順な私などは、そんな理不尽な制度にも何の疑問も抱かなかったし、こんなもんだと思っていた。
そう言えば、祭りの日に学生服でなく普通の恰好で外出して、教員室でえらく叱られたことがあった。
そんな私の頃とは時代は様変わりして、今じゃ悪いことをしない限り叱られることは無い。
そんな自由な気分を先んじて導入したのが、私立学校ではないかと思っている。
今時学校法人と言うと、森友だの加計だのと随分評判を落としているが、実は何処も大変なんだ。
少子化で子供の数はドンドン減るし、だからと言って教師の数を減らすのには限りがある。
公立高校も授業料無料の折、私学の授業料の値上げなど出来る訳もない。
施設の更新も思うに任せない状態で、何処の学校も内実のやりくりは大変なんだと思う。
況や小学校(森友)や学部の新設(加計)なんて、経営者の感覚を疑いたくなる程だ。
それはともかく、公立と私立を比べれば明らかに私立の方が臨機応変で、
公立は様々な制約の上に教育内容だって定型的なのに対して、私立は競争で成り立っている。
教育の中身が悪ければ、子供達から自ずと敬遠される学校になってしまうからだ。
ともあれ静岡県の私学協会が設立されてから、今年で70年になる。
今日はその総会があって出向いてきたのだが、改めて私学を考える機会となった。
教育の真髄は自分の足で歩けるようにすることだと思うのだが、今の教育はグライダー(エンジンのない飛行機)を育てているのではないか?
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