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2017年5月 8日 (月)

何を何ゆえに

この間北鎌倉の街を歩きながら、人間の弱さについて考えていたと思う。

私達は存外神社仏閣が好きで、あちこちの歴史ある神仏に詣でるのを常としている。

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そのくせ身近な寺や神社には、催事でもない限りめったに出向くことは無い。

実を言うと私は神仏をおよそ信じておらず、先祖への感謝は別にして、信仰心はゼロだ。

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それでも詣でた折には、人並みに習いとして手を合わせ柏手を打つ。

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そもそも私達は、先のことが分かって生きている訳じゃない。

突然病に倒れるかも知れないし、思わぬ事故や不幸に遭遇するかもしれない。

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いや仮に知っていたとしたら、それはそれで安心して生きられる訳でもない。

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つまり、先のことは何時だって不安だし、だからこそ困らぬ前の神頼みだったのである。

ところが医療を始めとした科学技術や、年金等の保険制度の進展で神仏が飾りになった。

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それに地獄も閻魔様も、祇園精舎も天国の桃源郷も存在しないって知れ渡っちゃった。

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もっとも、少しばかりの賽銭を投げて、柏手を打ったからって、

それで望みを叶えたり叶えなかったりするような神なら、居てもいなくても同じだけど・・。

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しかし私達は生きている限り、失業したらとか失恋したらなどと、悩みは尽きないものだ。

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神が居てもいなくても、「ご加護がありますように」と頼んでおくにしくは無いのである。

私が神仏の前で祈願すること、それは大抵「元気で、完走できますように」である。

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他に頼むことが無いのかと言われそうだが、他の事は頼んでも無駄だと思うのである。

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なるほど生老病死を心配しないでもないが、それが無くなったら幸せって訳でもあるまい。

何故って、心配するのは人の心だって、それがかなり分かってきたからなぁ~。

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よってこれからの神社仏閣は、やはり観光に磨きをかけることだろう。

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本筋を逸れたが、残り少ない人生と思いつつも、毎日の多くを惰性で過ごしてしまう。

自分自身が何を何ゆえに行動するのか、時にその事を振り返って考えたいと思う。

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人生の意味は、自分がそれを感じるところにあるのだから。

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