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2017年5月12日 (金)

長生きの先

私は今年の10月で古稀を迎える訳で、肉体年齢は間違いなく70才と言う事になる。

ちょっとギョッとすると言うか、いったいこれは誰の歳なんだって気分である。

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しかし、人は老いると回顧的になるとされているが、使古しの自分の人生など・・・・

回顧しても何の面白みも無いから、そんな酔狂な事はしたことがないし、したくもない。

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それに肉体年齢は別にして精神に年齢は無いから、無理に老け込む必要も無い。

とは言え平均寿命がドンドン長寿になっても、何時かは終止符を打たねばならない。

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一般的には長寿は寿ぐべきものだが、そもそも人は何故長生きしたいのだろうか?

十分な体力と若々しい容貌を維持して、バリバリの人間盛りが続くのならまだしも、

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肉体的に歳をとれば老眼になるし、食い物も食えなくなるし生殖能力だって無くなる。

人が長生きしたいのは、そのぉ~現世的快楽、つまり楽しいことをしたいからではないのか。

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そんな快楽三昧で150年も生きるのなら考えないでもないが、それだって飽きちゃうだろう。

歳と共に出来ることがドンドン制約されて、長く生きる為だけの長寿に果たして意味があるのだろうか?

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そこんところが昨今の悩みの種ではあるのだが・・・、どうにも分からない。

むしろ人生は起承転結があって、それなりの苦労と喜びの思いでがあればそれで十分だと思うのだ。

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ただ厄介なことに私の場合(私だけなのかどうか?)、精神年齢は一向歳をとることが無い。

あれも出来るこれも出来る、あそこにも行ってみたいetcと、夢想を続けているのである。

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この知的好奇心には際限が無いが、老年には老年に相応しい老成とか円熟もある。

それに枯淡の境地とか崩れゆく滅びの美もあるらしいから、本当は何がしたいのか明確にせずばなるまい。

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まぁ~それも、やがて肉体が滅びれば、そこに宿る精神も消えて無くなるんだろうな。

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