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2017年5月 9日 (火)

ストレスを越えて

子供の頃、自分の運動神経の鈍さに、猛烈な劣等感を持っていた。

それが高じて、野球に加わらざるを得ない時には、ドジをしやしないかとビクビクしていた。

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それからズボンを買いに行って「腰骨が大きい」と言われ、何故かそれを苦にし続けた。

中学の頃だったか、ニキビが苦になって苦になって仕方なかった。

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それやこれや、あの頃は「自分は、この先どうなっちゃうのか?」と不安で仕方なかった。

成人して就職・結婚、今度はストレスの大半が仕事関連に変わった。

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仕事では、障害物競走の様に次々高いハードルが現れて、無我夢中でそいつを越えた。

時には不眠が続き、眠ると直ぐ汗びっしょりで起きたり、胴回りに発心が出来たりもした。

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仕事は上手くいって当たり前だが、それでも何処かにミス(落とし穴)が潜んでいて、

それに加えて同僚の僻みや非協力、そんな人間関係の齟齬も悩みの種だった。

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そして人によっては、ストレスが原因で癌を発症したり、鬱になったり自死する人さえいた。

退職の日を迎えて、やれやれこれでストレスともおさらばと思いきや、今度は父の葬儀や

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住宅ローンの支払いやら、そして子供の結婚やらと、ストレスの種が移り変わっていく。

つまり人生のストレスは、原因が入れ替わるだけで、次々と移動しているのである。

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まさに「真砂の砂は絶えれども、ストレスの種は尽きまじ」だと思っていた。

ところが近年、心配の種が無い訳ではないが、どんどんストレスを感じなくなっている。

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これは「何とかなるさ」って類の諦観なのか、それとも好々爺への入り口なのか、

それとも老人性痴呆の始まりなのかといぶかしんでいるところだ。

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これまでの経験上、適度なストレスは人生を活性化すると信じてきたのである。

しかるに、当面のストレスは葡萄の管理が間に合わない程度だから、もっとストレスを求めなきゃならない。

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と言う訳で、今月は野辺山100k、来月は高山100k、再来月は日光100kに挑戦することにした。

そもそも人生の苦難(ストレス)には、必ずそれなりの意味があって、その渦中で如何に善く生きるのかがその人の価値なんだから。

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