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2017年5月27日 (土)

一個の天真

人は誰もが、等しく「天真(爛漫)」を宿して生まれてくる。

しかし、苦労の如何などのその育ちの過程、或は本性の開発の程度によって、それぞれ異なった個性を表に出すようになる。

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だから人の真価と言うものは、そうした成長の過程を見極めた上でこそ理解できるものだ。

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これは森信三先生の卓見で、だからこそ吉田松陰は門下生を愛しんで育てたのだ言う。

確かに松下村塾からは、草加玄瑞を始め高杉晋作や井上門多、伊藤博文など奇跡的な程の時代の担い手を輩出した。

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しかも吉田松陰自身は、29歳で刑死(安政の大獄)しているのである。

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しかし松陰は口先の徒ではなく正に行動の人であり、短かい人生を「今を生きる」ことで

周りの人々の心に火を灯し続けて死んでいった人である。

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実は今日は人生を学ぶ勉強会があって、テーマが第19講「松陰先生の片鱗」である。

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吉田松陰の自分自身に対する厳しさとは裏腹な優しさは、天真に発し至誠に通ずと言った所だ。

さても、その優しさを含め松陰先生の真似は、とても私などの凡庸が出来るものではない。

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「若い時の苦労は買ってもしろ」と言われるが、果たして私は如何ほどの苦労をこれまでしてきただろうか?

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人間は自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形づくる支柱になると言うが、

この70年、私は一体何を克服してきたのかと考えると・・・・戸惑わずにはいられない。

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自分が躬をもって処理し、解決してきた事柄のみが、真の自己の力となると言うが、

私はこれまで一体何を解決に導いてきたのだろうか。

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確かに日々困難に直面し、私なりの苦労もあったし、それで収まった物事もあっただろう。

しかしそれは日々を生きる為に必然的なことであって、果たしてそれが本当の苦労だったのかどうか。

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過ぎこし日々を顧みて、「だから俺は、この程度の甲斐性なのか!」と嘆息している。

私の過ごしてきた程度の苦労では、「覚悟」なんて生まれっこないと思うからだ。

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その分、生まれた時の天真は、まだまだ心の底に温存しているのである。

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コメント

昨日はお世話になりました。
久しぶりに参加させていただき,少ない時間でしたが自分の生き方と向き合う貴重な時間となりました。
走りとともに、真摯な生き方を求める皆さんから学ばせていただくことが多くあります。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: 片山 | 2017年5月28日 (日) 09時56分

こちらこそ、素直に勉強させていただきました。何とも素朴で正直なところが良いですよね。
 常日頃格好つけて生きているんだけど、何のことは無い、人生ってそんなもんだよなって、何時も納得して帰ります。森先生の講義録もさることながら、自分自身が少しばかり考えるってことが出来ますからね。今後ともよろしくお願いします。
                山草人

投稿: 山草人 | 2017年5月28日 (日) 19時31分

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