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2017年6月30日 (金)

健康談義

隣家の世帯主(私と六歳違い?)が、昨日救急車で運ばれて行った。

是非とも快癒をと思うのだが、入退院を繰り返して消耗していくのが世の常だ。

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私もそう言う(同じ)年代の仲間入りをしつつあるのかと思うが、さりながら自覚症状はない。

強いて言えば老眼と走力の劣化が顕著で、正にこれと戦っていると言っても過言ではない。

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実は老化と言うものは、体の末端から始まるらしい。

ほらッ、歩けなくなったり、手足が冷えたり、手が震えたりって奴さ。

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だから老化を抑止したかったら、手足や指を絶えまなく動かすに限るのである。

散歩をしたり手芸に取り組んだり、活発な会話をしたり・・言うならばそれが長寿の秘訣だ。

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この点私は、始終走って居るから足は使い過ぎなくらいだし、農作業で手はフル回転だ。

私が常時手にしているのは鋏で、この音が近づくとブドウをついばむ雀達が逃げていく。

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問題は困難が減って頭を使わなくなったことで、こればっかりは対処に苦慮している。

ともあれ、手足は伊達にあるのではなく、使う(生きる)為にあるのである。

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ところで昨日は国保の健康診断の日だったが、今年もあえて受診をしなかった。

「どうせ形ばっかりの検診」との思いが強いが、案の定、青森の調査では40%もの癌患者を見落としていたという。

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医者たる者の善意を信じたいが、私の経験上「どうにも、あてにはならない」のである。

それよりも自分で自分の健康は創るし、自分でその状態は認知すべきなのだと思う。

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その上で不治の病にかかれば、それはそれ、それが人生と言うものよ!!

どの道長く生きたところで良いことがある訳もなく、程ほどで死ねば良いのである。

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「撃ちてし、止まん」そんな覚悟で生きれば良いし、要は「今を生きる」ことに専念すべきだ。

ますます、そんな具合に考えるようになっている。

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2017年6月29日 (木)

今を味わう

私にとってこの世に存在する「今」が人生であり、私の歴史そのものだと思っている。

その掛け替えのない今をとくと味わうこと無くして、自分の人生を生きたとは言えないだろう。

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隠居の身分とは、まるまる一日、その全部の自己裁量権限を得たと言うことでもある。

考えてみればこんなことは、五十年近く得られなかった僥倖なのである。

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しかし、生きるとは老いることでもあるし、やがては朽ち果てることになる筈であって、

その「将来」だって何時まであるのか本人ですら分からない。

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とかく私達は将来にこそと夢や希望を期待しがちだけれども、もはやそれは止めようと思う。

刹那的と言われようが一向構わない、今見るを味わい、今聴くを味わい、自分を感じる。

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そう思っただけで、見るもの聞くものが、何だか玄妙な味わいを帯びてくるから不思議だ。

ブドウを稔らせるのも、ゴボウを掘るのも、子供達に声を掛けるのも、これが最後と思えば

それは自ずから覚悟が違うではないか。

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望むらくは、残る人生はしかるべき覚悟で臨むべきだと思っている。

それで突然下世話な話になるのだが、アイパットを購入して二か月ほども放ってあった。

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何とか使いこなしたいと思っても、自分のアドレスと暗証番号が分からなかったのである。

このまま捨て置くのは沽券にかかわるとばかり、今日は大手電気店に乗り込んだのである。

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結果としてキーボードを購入し、アドレスIDも確認して、何とか使えそうな雰囲気になってきた。

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出来ればこれを、携帯パソコン代わりにしようと考えている。

スマホで間に合わないこともないが、やはり今を味わうにはパソコンが必要だ。

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当面この未開発の分野を、何とか使いこなそうと悪戦苦闘している・・・これも今だから。

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2017年6月28日 (水)

推敲

かつて(四半世紀前)、農の風景に寄稿を始めた頃、一旦書いた文章を翌日2/3に削った。

文章を綴る場合、思いのままに書くからどうしても回りくどくなったり、余分が多くなる。

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それに一晩寝かせて改めて読むと、書いた本人の思いとは裏腹にその意中が伝わっていなかったりするからだ。

流石に毎日書いているこのブログは、(見直さないから)正に書きなぐりって感じで誤りだらけだが、本来文章に推敲は不可欠なものだ。

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ところでこの「推敲」と言う言葉は、唐の詩人「買島」の詩作に由来する。

 鳥宿池辺樹 (鳥は宿る池辺の樹)

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 僧敲月下門 (僧は敲く月下の門)

・・・・と言う句らしいが、「僧は推す」が良いか「僧は敲(たた)く」が良いのか迷いに迷った。

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馬上考えながら進むうちに大詩人韓退之に出会い、彼と共に半日も考えて「敲く」が良しとなった。

それ以来、文章をあれこれ考察することを推敲と呼ぶようになったとされる。

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肝心の詩そのものは何だか訳が分からないが、詩人にとっての言葉とは左程重要なものなんだろう。

いやさ私達だって、毎日言葉を読んだリ書いたり、或は話したりと言葉と共に生きている。

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そうして腹が立ったり元気が出たり、喜んだりするのも言葉によって反応している。

そう・・、言葉には人の心を動かす力があって、だからこそその意味に酔うことが出来るのだ。

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私の一日は「お早うございます。」「行ってらっしゃい!」から始まるのだが、一日に使う言葉の量は日一日と減っていく傾向にある。

何しろ隠居の身分になって、言葉を操る相手が減ってきたのである。

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とてものこと、細君相手では言葉の継穂すらないし、葡萄相手では残念ながら一方通行だ。

と言う訳で、言葉を増やす何らかの方策を考えねばなるまいと思っている。

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例えば創作とか・・寄稿・投稿、はたまた新たなサロンへの参加かな?

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2017年6月27日 (火)

インブリーディング

近親交配的なことを指して言う言葉である。

自然の摂理は何故か、この同質的な生存をひどく嫌っている様である。

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例えば私のオクラ栽培にしても、中二年を空けたのに、どうも生育が思わしくない。

ナス科の植物に顕著な嫌地現象がオクラにも若干あって、これが不思議なんだなぁ〜。

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この嫌地の回避に農家は接ぎ木をしたり、土壌改良材の投入などと苦労してきた。

ホウレンソウの連作は作土の洗浄でクリアーしてきたが、オクラは未だ未解決である。

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どうやらこれらの植物には、異なった地域(転地)での繁殖を促す遺伝子が組み込まれているようだ。

実はこの現象は植物に限ったことではなく、当然ながら動物はもっと顕著だ。

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同じ親から生まれた個体を交配し続けると、体も小さく弱々しいものになっていく。

人間だって同じことで、だからこそ近親同族の結婚を禁止しているのである。

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ところでこれはメンタルな面でも同じことで、企業なら同族経営は極めて弱体化し易い。

その原因が、「似たものは、似たものに影響を及ぼさない」ことにあるらしい。

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私達は、似たもの同士で群れている方が楽だが、それでは確かに刺激がない。

慣れ合って居心地はいいとしても、その反面進歩することには向いていない。

ランニングの仲間のことを考えると、これが一種の異業種交流でもあって、日常とは異なった刺激を頂いている。

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今日は、先日のシラス丼のお礼にと、大アジとイサキを届けて下さった方がいた。

趣味の海釣りで得た獲物のおすそ分けって訳で、新鮮な海の幸が居ながらに味わえる。

かと思えば先日は、大量のビワの実を頂いて、これは裏庭の鈴生りの幸なんだという。

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いやさ貰い物の話ではなく、知的な分野と言うか、頭の活性を促してくれるのはやはり異分野の人間である。

生きている世界も、考えることも違う仲間がいるってことは、それはつくづく財産だと思う。

だからして、歳はとっても敢えて、自分とは異なる人種との接点を求めねばなるまい。

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2017年6月26日 (月)

齢今七十にして

昨日今日と養生(疲れを抜く)のに専念していて、再起動は明日からだ。

と言ってもジッとしてなどいられる訳もなく、今朝はゴボウの掘り取り作業から始まった。

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それが干天が続いた為か根が深く、掘り取りはスコップで、まるで土木作業である。

それでも昼には美味しいキンピラゴボウなどを戴いて、やはり苦労の幸はえも言えぬ旨みがする。

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午後はブドウの徒長枝の除去だが、彼らも必死で一週間もしないうちにとんでもなく枝を伸ばす。

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その徒長枝を見つけては除去して採光を確保するのだが、既に果実は緩み始めている。

それまで硬かった粒が柔らかになって、それぞれの色付きを始めるのである。

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そして早生のデラウエアは、もう一週間ほどで収穫期を迎えそうである。

ところで、くだんのごとく毎日を気侭に過ごしているのだか、それで良いのかとの思いもある。

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毎週のようにレースに出掛け、平日は晴耕雨読でまさに願った様な毎日なのではある。

本来なら天命を知って、天運を楽しむ年頃のはずだが、どっこい何も悟っちゃいない。

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又しても佐藤一斎だが、その言志後録に「而して余の齢六十六にして、猶ほ未だ深く理路に

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入る能はず、而るを況や知命・楽天に於いてをや、余齢幾ばくも無し、自ら励まざるべからず。」とある。

一斎先生にして、70近くなっても人生の何ぞやを分かっちゃいない。

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何とかしなきゃって言うんだから、ぼんくらの私なんぞムベなるかなである。

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70歳からは余生、而して遊び呆けてやれと思っていたのだが、どうも簡単には呆けさせてくれない。

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それにしても65歳以上の5人に1人は認知だというのに、当面呆ける兆しはない。

「自ら励まざるべからず」とは、ただただ我が道を進めと言うことか!!

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2017年6月25日 (日)

動行して以て体を養う

昨日遠山郷の風呂で体重計に乗ると、何と53kしか無かった。

一瞬、何処か悪いところがあるのかと疑ったが、何のことは無いランナー体型になったらしい。

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栄養補給よりも消耗する分が遥かに多く、どんどん痩せていっている様子である。

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激しい運動を毎日のようにやっているんだから、無理もない。

例の佐藤一斎の言志晩録の養気養体の項に「吾れ静座して以て気を養ひ、動行して以て

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体を養ひ、気体相資し、以てこの生を養わんと欲す。地に従いて、天に事ふる所以なり」とある。

地に足をつけて清々と生きるには、動いて体を鍛え、静座して気を養うことが必要だと言う。

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この点わが息子などは全く運動などしたこともなく、ぶくぶくと見苦しく太りつつある。

正に痩せ馬の親父にして、この子ありかと嘆息する毎日なのだが・・・・。

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体を養うとは現実を直視することでもあって、どうもバーチャルな世界に生きる彼らには苦手らしい。

この情報過多の時代には、単なるニュースは面白くなく感じるらしい。

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それでニュースをショー化して、面白可笑しくするのが全盛になっている。

而して私達は、世の中の出来事を野次馬の目で観る癖がついちゃった。

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ショーで伝えられる中身はあくまで他人事だから、さして考えもせず、あーだこーだと論評したりしてね。

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特に政治が他人事になって、獣医学部の新設を問題にしているが「それが、何なの?」って言いたくなる。

それにミサイルの脅威、テロ防止(共謀罪)などと騒ぐだけで、国民はほとんど分かっちゃいない。

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みいんなショーなんだ。それで今度は、どうやら憲法がショーのテーマになろうとしている。

少し脱線気味だが、要は体を張って正面から生きようって≪気≫が少なくなったってこと。

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寝ないで18時間、走り続けてみてごらんなさい。多分、真実が見えてくるから!!

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2017年6月24日 (土)

さりながらの遠山郷

昨夜からの走りづめで、13;50(16時間50分)にゴールの遠山郷観光協会に着いた。

18時間以内に90kを走るミッションだから、簡単に走られると思われがちだがさにあらず。

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これが中々の難コースなのである。

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先ずは昨夜21時、集まった30人が浜松駅を通り抜けて、市街を抜けて北を目指す。

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当然ながら幾つもの信号を順守するから、その度に信号待ちとなって時間をロスする。

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浜松市の天竜区に入る頃から登り勾配がきつくなり、ライトだけが頼りの深夜のランとなる。

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暗闇に転ぶ人も何人か出て、いやがうえにも慎重な足運びをしなければならない。

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明け方、旧佐久間町から水窪へは、かつての塩の道を辿って山越えとなる。

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この山越えが八丁坂と呼ばれる喘ぐ様な登りを経て、水窪側の山にと続く。

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水窪の市街からはずっと歩く他ない登りで、青崩れ峠の入り口に至る坂道は歩くのも辛い。

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この坂で数時間を消費してしまうのである。

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しかしながら今回は主催者のシンシンさんの配慮で、適所にエイドを配置していただいた。

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そのエイドを頼りに苦しいながら歩みを進めて、やっとゴールしたって感じである。

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最後の難所の青崩れ峠は、遠州と信州の国境にあって、昔から海の幸山の幸が行き交った峠だ。

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近世では製糸工女が越した峠であり、恐らくは深い歴史の峠と言うべきかもしれない。

ともあれ、この青崩れ峠のピークからは、遠山郷に向かって一気に10k近くを駆け下る。

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遠山道の駅で風呂に浸かり、昨夜来のレースを振り返っても「疲れた」の一言である。

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これで来週の日光100kの仕上げになったのかどうか、あすからはこの疲れを抜かねばならない。

でも仲間と共に走った90kは、終わってみれば苦しかった全てが楽しみに変わっている。

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日本のチロルと呼ばれるだけのことはある遠山郷である。

その険しい自然を楽しむ人間は、不思議な生き物だと思う。

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2017年6月23日 (金)

走れ痩せ馬

昨日久しぶりに山に来たA達女子に、開口一番「随分、しぼりましたねぇ〜」と言われた。

痩せて黒光りしたこの駄馬が、そんな具合に見えたらしい。

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絞るなんて気はないが、確かに高山ウルトラに失敗して以来、連日走りづんめである。

「疲れないの?」などとも言われたが、取り立てて疲れたと言う自覚もない。

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それで今日も山を走ってきて、今夜21時からは「夢街道90k」を走ろうとしている。

浜松駅をスタートして天竜川沿いの国道152号線を北上、明日の15時までに南信濃「遠山郷」まで走るのである。

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夜を徹して走る訳だから疲れないこともないが、何の、朝が来れば水窪辺りに達している。

これ全て来週の日光ウルトラ100kの準備のつもりであって、直前の5日間は休養を取る。

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そして7月早々の早朝、私はあの日光街道を駆け抜けて行くのだ。

これが、私の当面の物語である。

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いやさ、屁理屈でも何でもなく、人は常に自分の物語を求めているのだと思う。

これは、こうしてああなって、それからこうして、こうなるのだと言う物語である。

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仮に物語が無い人生を想像してみると、それは信じられない程何もない平板なものになる。

而しておそらく誰もが、自らのシナリオに沿って行動し、そのシナリオに縛られているのだ。

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シナリオはともあれ、目標は常に人を行動的にさせてくれる。

私も日光のレースが無ければ、幾ら暇でも、これ程は走っていないだろう。

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それにしても、御年70になろうとする痩せ馬ながら、まだまだ使い物になりそうである。

もっとも今更つぶして肉にしたようたって、ほとんど骨と皮だろうから焼却場行きだろうしね。

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よって老骨に鞭打って、とにかく行けるところまで走るのだ。

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2017年6月22日 (木)

無垢の休日

もう一か月もすると、子供達は夏休みに入る。

学校には冬休みも正月休みもあったけど、やっぱり夏休みが特別に輝いていた。

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当時のことだから遊園地に行くことはなかったけど、気怠い暑さと遊びの数々があった。

と言って何をしていたのか思い出せないが、時々宿題の日記を書くくらいで、夏休みの友は最後の三日間だった。

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毎日朝早く起こされてラジオ体操に行き、その後は夢中で遊んだんだろうが、とにかく時間と言うものを意識していなかった。

あの頃の時間と言うものは、多分止まっていたのではないかと思うくらいだ。

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その止まっていた時間が急に動き出すのが、夏休み最後の一週間で、あの時の思い(カウントダウン)は今でも夢の中に登場する。

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ところで沖縄は梅雨明け宣言とかで夏入り、私もいよいよ70回目の夏を迎えようとしている。

と言うか、子供時代以来の毎日が日曜日の、あの夏休みを迎えようとしている。

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しかも、あの「夏休みの友」はなく、言うならば人生の初めての夏休みなのである。

喜びに溢れて良さそうなものだが、しかし子供の頃のあの無垢な凝縮された夏ではない。

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流れゆく月日の中での限られた夏だと、もう五感が知り尽くしているんだからね。

それでもレースに山に、畑の稔りにと、私の毎日は止まることを知らない。

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そもそも、思う存分生きる為に食べているんであって、私には休日なんてなくて良い。

思えばこれまでの仕事だって楽しんでいたし、苦しいレースはもっと楽しんできた。

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カクレンボやかん蹴り、草野球や冒険ごっこは昔話になったが、気持ちはあの頃と同じ。

雑念を捨てて、この夏もただただ夢中で生きれば良い。

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そうして、思いっ切り汗をかくぞッ。本当の夏休みを謳歌してやろうじゃない!!

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2017年6月21日 (水)

命の季節

本格的な雨になって、私達人間はともかく、押し並べて自然界はホッとしているのではないか。

こんな雨では終日部屋にこもっている他ない訳で、こんなことも久しぶりなんだなぁ〜。

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それで気持も、少しばかり内向きになっているようだ。

今年の春はいきなり初夏になって、あったような無かった様な不思議な春だった。

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それでもこの所、心地良い初夏が続いてきて、鮮やかな緑を渡る薫風が爽快だった。

しかし流石に雨が少なくて、畑の野菜たちも山の木々も少しばかり辟易していたようだ。

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そして雨は、そうした諸々の命を蘇生し育む源でもある。

この時期の緑は生命の躍動そのもので、私達もその緑に多いなる「気」をもらっている。

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春になれば花が咲き、鳥は恋を探して囀り、そして私達の心身にも元気が湧くのである。

そうこの季節には、あらゆる命が一年で最も高潮を迎えるのではないか。

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それで老いぼれの私だって、いつもの山に入れば意気揚々と駆け出すのである。

ところで、命とは「こころ」とか、「気」あるいは「実」ではないかと思っている。

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何も命に限らないのだが、心や気のないものは夢遊病者の様なもので、何らの実を発揮することもない。

これは絵や文学のような芸術でも同じで、人生もその「気」が肝心なのではないか。

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書道など習ったこともない私は、ずっと下手な字しか書けないで通してしまったが、

中学校の頃、冬休みの書初めで金賞をもらったことがある。

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もとより下手な字だったはずだが、確かにその書には気持ちが入っていたようだ。

ともあれ自分の存在は「思い」だろうし、この万緑の季節に精一杯の思いを膨らめよう。

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2017年6月20日 (火)

本来無一物

かつて若い頃には人並みに、出世欲だの豊かになりたいって願望が多分にあった。

いやさ、その為にコツコツと人知れず苦労してきたのだと思う。

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そんな生臭さのピークはたぶん四十代で、あれも出来るこれもと拡大の時期だった。

世は正に高度経済成長の真っ盛りで、少し背伸びすれば何でも手に入る雰囲気もあった。

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それが平成二年にバブルが崩壊し、世の中の雰囲気は一転して重苦しくなっていった。

そんな時代の変化を映して、私の内面もその「欲しいもの」が徐々に変わってきた気がする。

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と言うか、男も五十を過ぎりゃ人生が少しは分かるようになって、達観するんだろうなきっと。

それまでのギラギラが無くなって、人生を楽しむって方向に自然に舵を切ったのだと思う。

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つまりそれまでの発展・拡大から、整理・縮小の方向に転換したってことだ。

それが70に近づくに従って次第に加速し、物も余計な人間関係も捨てる方向に動いている。

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そして最終的には、この自分を捨てるところまで行くのだと思っている。

という訳で、これまでに身の周りの物をかなり処分して身軽になってきたのだが、

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昨日からクローゼットの整理を始めていて、背広やワイシャツ・ネクタイの処分を始めた。

そもそもこれからは、背広など式服を含め2〜3着もあれば十分なのだ。

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人間本来無一物、人生の極意は、自分を如何に消して行くかではないかとさえ思う。

そうして生まれたままに近づいて、裸になって天真爛漫に生きられれば最高ではないか。

茶の湯や華道の世界も、無駄なものを限りなく削いで形式美を求めるじゃない。

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人生も、アレと同じなんじゃなかろうか。あぁ〜、色即是空 空即是色。

物も金も要らないけれど、逆にやりたいことは次から次へとあるんだから人生は面白い。

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2017年6月19日 (月)

過ぎ去りし日々

マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」は、南北戦争と共に過ぎ去った「何か」を現していて印象深い小説(映画)だった。

この六月は、私にとって新しい生活が始まろうとしていて、心のどこかにかすかな痛みを感じている。

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多分その痛みは、過ぎ去って還らないものを後ろに残してきたと言う思いだろう。

そう・・・それは何って一言で言えるものではなく、50年近い私の人生の諸々なのである。

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春夏秋冬季節は必ず巡ってくるのに、そこにいる自分は昔の自分ではないという思いだ。

「風と共に・・」のエンディングは、(アイスランドの)ヒース(の自然)に帰ろうだったと思う。

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父母の生まれ故郷のあの荒涼たる大地に、自らの波乱の人生を映しているのである。

私の場合は戦争があった訳でもないが、この70年それでも時代は随分と変わってきた。

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否時代はともかく、私にとって何かが確実に過ぎ去って行ったのである。

ところで今、玄関横の大きな鉢にジャカランダ(南半球では日本の桜に相当)が咲いている。

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我が家にやってきて十年余になるのだが、昨年から花をつけ始めたのだ。

南半球の春は10月だが、この新学年(卒業・入学)が始まる時期にジャカランダが咲く。

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人々は日本の桜と同様に、この花を見上げて何かを思うのである。

毎年巡りくる春と、自身の人生の過ぎ去った部分を、どこかで冷静に眺めるんでしょうね。

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かつて25年程前にオーストラリアを訪れた折、満開のジャカランダ並木を歩いたことがある。

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その時の同行者は既にこの世にいないのだが、やはりこの時期にジャカランダは咲くのである。

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季節は繰り返し巡り来るのだけれど、過ぎ去った人生の日々は還らない。

先日訪れた見付の大見(ダイケン)寺にもジャカランダがあって、忽ちにしてそんな感慨を懐いたのである。

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Gone With The Wind・・・・・だからこそ、この一日をしかと生きなければならないと思う。

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2017年6月18日 (日)

心思を労せず 体躯を労す

確かに、歳とともに煩わしいことを考えるのは、無駄(面倒)だと思う様になった。

先行きを心配したところでどうなる訳でもないし、欲しい物とて特段見当たらない。

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況や、下らない事に腹を立てても馬鹿らしいし、今更色恋などと言っても始まらない。

要するに、まっすぐ物事を見つめて行動していれば良いのである。

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それとは逆に、老いたとは言えこの体はまだまだ使えるのであって、暖衣飽食の暇は無い。

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セッセと農耕し、全国のあちこちを走り、山にも登りたいと思っている。

常々そう思っていたところ、佐藤一斎の言志晩録に「心思を労せず。労せざるは是れ養生なり。体躯を労す。労するも亦養生なり」とあった。

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これが究極の養生方法だとあって、我が意も正にこれにありである。

昨日の五感を堪能するマラニックも、体躯を駆使して心思を新たにする試みだ。

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歴史であれ故人の生き様や民俗に心を通わせつつ、川・海・田畑の自然に身を任せる。

ひたすら汗をかきながらも、少しは美味しい物も口にし、仲間と心を通わせる。

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この時ばかりは老若男女の区別すらなく、そのひと時一時を大切にしたいと思っていた。

マラニックを終えてみて、かく言う(主催者の)私こそが最も楽しんでいたのかも知れない。

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前日に下見に回って、トウモロコシ(カンカン娘)を調達し、飲み物を三日がかりで冷やしetc、

すべてを整えて、集合場所の大クスの前で皆さんを待った。

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誰にとっても一日は大切な一日で、その一日を出来れば共に楽しみたいと考えていた。

果たして目論見通りであったか否かは別にして、少なくとも私は楽しんでいた。

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初夏の31kのランニングは、それはそれ大変だった人もいたのではないか。

だけどその人生の一日は、無駄ではなかったはずである。

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「体躯を労するも、亦是養生なり」これからも可能な限り体躯を駆使したいと思っている。

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2017年6月17日 (土)

五感マラニック

磐田駅前の樹齢700年の大楠の前に集まったのは、29名のいつものメンバーである。

マラニックを色々と楽しんではいるが、今日はちょっと違った楽しみ方をしようと提案する。

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走ることを基本にしながらも、知覚・聴覚・視覚・味覚・触覚すべてを味わっちゃおうとの試みである。

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先ずは大楠の樹齢700年、私の10倍生きてきて、胴回り9mもの巨木に成長している。

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樹と人間はそのアクティブ度合いが違うにしても、鎌倉時代から生きているクスに、「おい、樹生って楽しいかい?」って聞いてみたい気がする。

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謎かけの様なスタートだが、次に訪れたのは天平時代の国分寺跡で、その広大な敷地を踏みしめながら、

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仏教で国を治めようとした時代に、果たして何が出来たのか少しだけ考えてみる。

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その次に訪れたのが、見附宿の(昔の)西木戸にあった名刹西光寺である。

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この寺は樹齢500年のクスとナギの織り成す縁結びのパワースポットとして知られている。

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歴史の寺と極めて今日的なパワスポを、私達は刹那の遊びとして受け入れているのだ。

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次いで江戸中期に跋扈した大泥棒日本左衛門の墓(見性寺)を訪ね、一人の武士崩れの人生を考える。

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彼は藩境の大店を荒らしまわるのだが、やがて幕府の火付け盗賊改めによって全国に指名手配された最初の日本人だ。

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江戸期とは言え情報は各藩に行き渡り、さしもの日本左衛門も逃げ切れなかった様だ。

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見付に引きまわされて、遠州鈴ケ森の刑場で斬首されるのだが、晒された首がその夜のうちに盗まれる。

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盗賊の首だから盗まれようがどうって事はないのだが、女が盗んだとなると男が上がる?

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ともあれ次は明治の見付小学校で、明治8年に完成した木造五階建ての校舎に感心しきり。

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遂には校舎に上がっての見物となって、マラニックの時間を大いにロスすることになった。

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次には鳥人幸吉の墓を訪ねて大見(ダイケン)寺へ、彼はライト兄弟より118年前(1786年)に空を飛んだ男である。

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私達も幾分変わった(飛ぶ=走る)人間だが、幸吉も多分に好奇心の塊だったようだ。

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そして次はしっぺい太郎由来の見付天神社へ、茅の輪をくぐって一路福田海岸を目指す。

途中で我が家に立ち寄って小休止、ここは少しばかり味覚のマラニックである。

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海岸では海鮮丼やらシラス丼やら、それぞれに楽しんで最後のゴールを目指したのである。

だが、その途上は海で戯れたり、芝生のスプリンクラーに暫しの涼を求めたりと、今日は五感以上を楽しんだようである。

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2017年6月16日 (金)

時中の言

文は人を現すと何時か書いた様な気がするが、人は多くの場合言葉によって評価される。

多弁な人、寡黙な人、それは人それぞれだが、言葉はその人なんだろうと思う。

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とかく多弁な人はおっちょこちょいで、如何にも物知り顔にあまり関係ない事をしゃべったりする。

まぁ〜人が知れる訳でこれは御し易いが、逆に寡黙な人はなかなかその心中が測り難いものだ。

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しかしまぁ・・・世の中は益々軽躁になっているように思う。

例えば今日の国会しかりで、強いて誇張して人に宣伝しようとする言葉ばかりである。

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例の獣医学部設置に関しても、「だからどうなの」と聞き糺したくなる言説ばかりで空回りだ。

それはそれぞれ権限を持つ省庁にしてみれば、様々なメモやら見解に溢れていて当たり前だ。

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常時誰がどう考えているとか、それにどう対抗するかなどを考えているのが「省庁だ」。

例の特区に関しても、文科省だって馬鹿じゃないから、内閣府の考えは?農水省は?と情報を探り合っていたはずだ。

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当然、内閣府へ出向している文科省の密偵からの情報もあるだろう。

だから関連の文書なんて無数にある筈で、そんなもの箸にも棒にも、話すだけ無駄。

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況や、その内部メモがあったのか無かったのかなど、どうだっていいはずである。

それを高額な歳費を費やして延々とやって居るんだから、その心底を疑ってしまう。

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昨日まで牛歩して期限切廃案を目指していたはずの、共謀罪法はもう忘れたかのようだ。

国会が審議すべきことは、国家特区の制度が正しく運営されているか否か、そしてその効果如何ということだろう。

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国民に分からないのは、国会が何をやっているのか分からないってことだ。

ついつい脱線したが、佐藤一斎の言志耄録に「言語の道 必ずしも多寡を問わず、

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只時中を要す。然る後人その言を厭わず。」とある。

時中とは、時に中(あたる)すと訓んで、その時々の必要にピタリと的中することだ。

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私も、肝心な時に肝心な言葉を発する、そう言う老人になりたい。

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2017年6月15日 (木)

高等遊民

戦後の農地解放までは地主階級と言う人々がいて、その子弟などは仕送りで正に遊民の暮らしをしていた。

明治大正時代の小説には、そんな身分の人物が数多く登場する訳だが、彼らは往々にして

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人生を考えたり、恋したり失恋したりして、それが小説のテーマになっていた。

そんな小説を読んで「恵まれた連中がいたものだ」と思ったが、今じゃ働かにゃ食えない時代だ。

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いや、ニートなどと呼ばれる人間が五十万人以上いるってから、例外はあるのだが、

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それだって「何時までもあると思うな親と金」で、何にもしないってのは覚悟がいることだろう。

私の場合にはそんな上等な身分じゃなかったから、躊躇するまもなく働かざるを得なかった。

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そしてひと頃は仕事が人生だと考え、働くことこそが自己実現と信じて動き回っていた。

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そうして今、その生甲斐だった会社を離れ、諸々の仕事もしなくていい身分になった。

併せて組織への責任も義務も、その人付き合いさえからも解放されている。

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おまけに日本年金機構なるところから、決まった額が定期的に支給されるようになった。

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つまりさ、ささやかながら昔の高等遊民の暮らしができる身分になったって訳だ。

だから、思いっ切りこの一回きりの人生を楽しまなくっちゃ損じゃんと、真剣に思ってみたりする。

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だけど今更、恋だの友情だのって、周りを見まわしてみても、既に時遅しって感じかなぁ〜。

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それに一昨日の「老いて学べば」の如く、人間ってのは快楽を追い求めていくと馬鹿になる。

だからして、人間は働いている方が楽なんである。

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年金暮らしの高等遊民なんて、何にもせずに死ぬのを待てってことでしょ!!

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少なくとも≪食べる≫為に苦労しなくて良くなった分、やはり荒業は止められないな。

毎日三時間以上山の中を走って、そうして時々(かなり頻繁に)レースに出掛ける。

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レース途上でバタっとこの世を去るような、そういう年寄りに私はなりたい。

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2017年6月14日 (水)

大正ロマンの街

どうやら平成も残り少なくなったようだが、バブル崩壊と失われた時代になるのだろうか?

この点、短かったとは言え大正時代は、文明開化後の成熟の時代と言えるだろう。

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そして大正時代は、何故か「浪漫」の時代としてノスタルジックな雰囲気を醸している。

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岐阜県の明智に大正村と呼ばれる≪地域≫がある。

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地域ぐるみ大正時代を演出して、それによって地域を起こそうという、正にロマンが続いている所だ。

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明治村の様なミュージアムかと思って訪れたのだが、何とこれが生きたミュージアムだった。

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元役場の建物が「大正村役場」で、そこには大正105年とか記されていた。

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その役場を中心に、郵便局やら土蔵、大正時代を彷彿とさせる建物が続いていて、

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近くのバラ園では大正時代の音楽を奏でていた。

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大正期の映画のあれこれ、ブリキやこけし玩具のコレクション、電話など逓信発展の歴史、

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大正期の教科書などが町のあちこちに展示されていて、遊歩道に沿って歩き回れば半日は遊べるだろう。

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昭和、しかも戦後生まれの私にとって、大正とは文学や歴史の中の世界でしかなかった。

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欧米に追い付けとばかりに文明革命を驀進した明治という時代があって、

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暫しの踊り場の様な時代だった印象があるが、私の親父もお袋も大正生まれだ。

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果たして、この大正村の発起人は大正時代生まれの人達だったのだろうか?

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この村の運営は多くの人達の寄付で賄われているようだが、平成も終わろうとする今日、

時代の色彩を頑固に保存しようとする人達の試みは、ただただ感心するに尽きる。

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ここはあの明智光秀の生まれた所なんだろう。

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2017年6月13日 (火)

老いて学べば

人生などと言うものは、敷かれた線路の上をまっしぐらに進むものと思っていた。

事実、私も真実一路さながらに進んできて、ここに来て「さて、何を学ぶべきか」と戸惑っている。

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限りなく敷かれた線路だって曲がりくねってるしトンネルもあるし、夜のとばりだって訪れる。

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先日訪れた岩村は、幕末の儒学者佐藤一斎のふるさとでもあって、一斎にはこれまで度々お世話になってきたことを思いだしたのだ。

「少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。

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老いて学べば、則ち死して朽ちず」・・・とは、佐藤一斎の言志晩録の一説である。

岩村は山間の城下町だが、江戸時代の街並みの風情をそのまま残す不思議な所だ。

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その城下を歩きながら、佐藤一斎という男とその思想を思っていた。

佐藤一斎の言志四録は、正に人の生き様を言葉にしていて、心に響く中味がある。

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実は今日、少し時間にゆとりがあって、山田洋次監督の映画「家族はつらいよ」を観たのである。

映画は70歳を過ぎた男の悲哀と人生の一時を活写しているのだが、映画の老人に老いて学ぶとは何かを考えていた。

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家族なんて何処の家も同じで、さして楽しいものでもないのだが、これを失うとなると、それはさて人生を失うに等しい。

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誰にだって我がままはあるし、その我がままを言いながら生きている。

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家族は、そいつを許容してくれる人生のオアシスなんだと思う。

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私も人生のあれこれを終えてきて、これからはサンデー毎日の毎日になる。

「やれやれ、これで悠々自適か」と思う一方で、この先の線路の行方を考えている。

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「老いて学べは、則ち朽ちず」とは、一斎は何を言いたかったのだろうか?

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2017年6月12日 (月)

傷心の飛騨古川

食欲のなかった一夜が明け、ホテルの朝食を食べると幾分元気を取り戻したようである。

100kも強制終了となった93.3kも同じ様なものとの慰めもあるが、何故あの時奮起出来なかったのかとの思いが残る。

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そして、レースは終わってから評論(悔い)しても何にもならないのである。

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気を取り直して、高山の隣の飛騨市の一角古川町を訪ねた。

古川と言う町は静かな佇まいの街で、街道沿いに発達した酒蔵の街なんだろうか?

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町を貫いて流れる瀬戸川という疎水に1000匹もの大きなコイが泳いでいて、その川沿いには白壁の蔵がズラリと並んでいる。

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その一角にある明治3年創業の渡辺酒造を訪ねたのである。

国の登録有形文化財に指定されている酒蔵は、流石に重みがあって、創られる酒もさぞかしと思わせるものがあった。

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酒蔵の一分始終を案内してもらって、ユニークな点が三つあった。

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先ずは鞍の中には常時、吉本の新喜劇の音声が流れ続けている。

これ酒にも笑ってもらって、朗らかに発行を進めるのだという。

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二つ目は、醸造タンクに褒め言葉を落書きするってこと。

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水も褒められると美味しくなるのだそうだ。Img_0333

そして三つめは、蔵人の一人にアメリカユタ州出身のダリルさんがいて、日本酒の美味しさに惚れて日本に定住した人物である。Img_0336

初めの頃は岩手県出身の杜氏の「んだ、んだ」という相槌を「ダウン、ダウン」と聞いていたという。Img_0337

そり12年目のダリルさん、今では日本語も堪能で渡辺酒造の顔にもなっていて、Img_0338

アメリカへの輸出用のプロジュースなどをしているんだとか。Img_0339

試飲をするとその香りのすばらしさに、酒に弱い私も三本も買い求めてしまった。Img_0340

それにしても飛騨地方は、高山もさることながら飛騨市にも静かな山の街がある。Img_0342

雪国の育んだ独特の佇まいが、酒蔵や鯉の泳ぐ疎水と相まって、私の心を癒してくれる。Img_0341

幾分の痛みを伴っていた私の足も、ようやく三週間後に向けて起動しそうである。

今度こそ、自分の気持ちには負けまいと思っている。

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2017年6月11日 (日)

Never Stop Exploring

筋力トレーニングの成果があるのか、たっていた疑心暗鬼のままスタート地点に並んでいた。

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何の、走り始めの最初の20kは7分ペースで入っていて、古い高山の街並みを通り抜け、

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山道に出てひたすら登っていくのだが、その登坂もしかりで歩かないと心に決めていた。

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最高地点のスキー場(40k)に5時間20分だったから、まずまずのペースである。

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そこからは10k余の滑り落ちる様な下り坂になるのだが、これも快調に降り、50k地点で45分の貯金が出来ていた。

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内心これで完走出来るとかなり安堵していたのである。

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ところが73kの関門を制限時間まで27分残して通過してから、心が乱れ始めていた。

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頭のどこかで「歩こう」の大合唱が始まって、一時間ほど歩いてしまったのである。

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残り17kとなって時間を計算してみると、8分半/kmで走っても?の状況になっていて、

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そしてその先85kからは、三度目の大変な坂が待っているのである。

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結局のところ、今年新設された93.3kの関門に捉まってしまったのである。

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止まらないと決めて臨んだレースだったのに、主催者によって強制終了となってしまった。

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終わってから何を言っても仕方ないが、体はともかく、今回は心が揺れていた気がする。

完走したK地さんとバスに揺られながら、彼は盛んに70歳を口にする。

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70の声を聞くと同時にエントリーが激減するんだそうで、気持ちに体がついて行かないんだという。

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「そうなんかなぁ〜」とその言葉を反芻しながらホテルに帰った。

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2017年6月10日 (土)

天空の城の女城主

その天空の城は、岐阜県恵那市岩村(標高717m)にあった。

信長の年下の叔母(信長の祖父の末娘)として生まれ、信長の政略に散々使われ、

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波乱と悲劇の生涯を生きた「お直の方(おつや)」が立て籠もった城である。

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山裾から700mの急峻な山道が続いていて、かなりきついが20分程で登れる。

城は鎌倉時代に築かれたが、戦国期には森蘭丸が城主だったこともある。

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少し登ると急峻な山の縁を上手く使った石垣が次々と現れ、如何にも難攻を想わせる。

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ところでこの城の女城主おつやは四人の夫に仕え、最後の夫は攻め手だった武田方の大将と結ばれている。

最初の婚姻は美濃結城城主で間もなく戦死、二度目は信長配下の武将だった。

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その夫が死ぬと、岩村城の遠山影任(かげむね)に嫁ぐのだが、武田との攻防が激化し、

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当てにしていた信長の救援(長島の一揆で前に進めず)もなく、あえなく討ち死にしてしまう。

止む無く女城主として戦うが、遂に敵将秋山信友の軍門に下るのだが、ここから人生は一変する。

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それまで子が無かったのに、秋山との間に子(六太夫)に恵まれ、女らしいひと時を過ごす。

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だが、やがて信長が武田攻めを始めることになり、先ずは裏切り者として岩村城を囲むのだ。

そして長期の籠城戦(三か月)のあげく、遂に捕えられて磔の刑にされるのである。

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信長のために半生をささげ、挙句の果てに信長に殺されるに至ったお直の方。

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昨今、女城主と言えは直虎だが、壮絶な生き様は直虎どころではないかもしれない。

因みにこの城は、日本三大山城の一つ(大和の高取城、備中の松山城)とされる。

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城の下には今も江戸期の城下町がそのままの姿で保存され、佐藤一歳の記念館などもある。

佐藤一歳は幕末の儒学者だが、この岩村にルーツがあることを始めて知った。

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ともかくも、この岩村という所はなかなか面白いところだ。

地酒「女城主」を買い求め、帰ってからしかと思いを膨らませようと思う。

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2017年6月 9日 (金)

無私

明後日は飛騨高山100kを走る・・・・・否、決意としては走り切るつもりである。

100kと言うのは実に遠い遠い道のりで、その14時間何を考えているのかと問われたりする。

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勿論、何も考えてなどいない訳で、そこでもがき苦しんでいる「自分」を見つめている。

禅で言うところの荒業であって、恰好良く言えば「自分を見つめる」ってことになる。

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だけど幾ら見つめ倒した所で、自分は自分であってそれ以外ではあり様もない。

ともあれ今日は、自分の心の内側について考えている。

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かつて現役時代には、様々な公式の場で話しをし、多数の聴衆を前に講演もしてきた。

しかし今、人を前に話しをしようとすると心が揺らぐのである。

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この傾向は歳と共に過敏になるようだが、その原因が分からずに悩んでいた。

そしてその原因は「無私」なんじゃ無いかと思い始めている。

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公の仕事をしている時には、私的な考えや思惑なんてどうでも良いんであって、公的に振舞えばそれで事足りていた。

ところが歳を経るに従って、私的なウエイトが徐々に増えてくる。

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つまり公的な覚悟が無くなって、私的な惰弱さが表に出てくるのである。

言葉を変えると覚悟が無いというか、覚悟なんてしなくても良くなっちゃっているんだ。

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私も人の子、自分なんて大事ないと思っていたのに、何時の間にか自分を後生大事にしている。

今更大事にしたってどうしようもないのに、やっぱり自分が可愛いんだろうなぁ。

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さて肝心の明後日だが、途中で自分の弱さと妥協してしまわないかどうか、自分のうちの覚悟を探っている。

完走しようがしなかろうが、それはあくまで自分の心次第なのである。

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2017年6月 8日 (木)

人生いろいろ

人生は正に十人十色、一つとして(双子でさえ)同じ人生なんて在り様もない。

かつて「人生いろいろ」と発言して物議を醸した首相がいたが、あれは本当だから反対派が怒ったのである。

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子供の貧困が話題になり、格差社会が社会問題とされる時代であっても、

それでも人生はいろいろで、伸し上がる人もいれば、没落する人もいる。

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教育だって成績が良いに越したことは無いが、何も人生それだけで決まりゃしない。

劣悪な家庭環境のもとでグレる子供もいれば、それをバネに成長する子供もいる。

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それに毎日同じ様な日が続くと決まっている訳でもなく、誰にだって山あり谷ありだ。

だけど人は普通、毎日同じ日が巡ってくると信じて生活している。

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決まった時間に会社に行って、決められたように仕事して、給料をもらって日々が流れていくと思っている。

しかし、突然会社が倒産するかも知れないし、自身が事故に遭遇するやも知れない。

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痴漢と間違えられたり暴漢に襲われるかも知れないし、大切な物を紛失してしまうかも知れない。

はたまた宝くじが当たる人もいるし、つまり何時どこで何が起こるのか分からないのが人生って奴だ。

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だからして、誰にとっても人生いろいろなのである。

幸・不幸は糾える縄の如しと言うけど、それだって何が幸かは人によって尺度が違うだろう。

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さて老い先短くなった私だが、色々とあった方が面白かろうと思う様になっている。

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サンデー毎日にもやがて飽きてくるだろうし、それでなくったって人生は退屈なんだから。

今日は、ウリハムシを7頭捕殺した。

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2017年6月 7日 (水)

永劫

仏教では、想像も出来ない長遠な時間のことを「劫」と呼ぶのだそうだ。

未来永劫の「劫」であって、広大な宇宙観に通じる無限の時間である。

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昨年の夏訪れたモンゴール高原の天一面の星空を思い出すが、正に三千大千世界であって、無限の広がりがそこにはあった。

劫という長遠な時間からすれば、私達の高々数十年の命など、ミジンコのそれにも似て、

その星空の下に生きる自分など如何にも小さいと思った。

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さて、昨日の男子高校生の演じたエッサッサを観ながら、私はこの「劫」を思っていたのだ。

四百人近い半裸の青年達が作り上げた世界は、一時のエネルギーのほとばしりだ。

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しかし、その中の一人ひとりは星空に輝く星達であって、宇宙全体を構成している。

一時のエネルギーの爆発だとしても、それは永遠に通じるものではないかと思った。

だから彼らが五十歳で死のうが百歳まで生きようが、そんなことは大した問題ではない。

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そもそも長遠な宇宙の時間からすれば、私達の存在など確認しようもないのだ。

その生きている今の輝きを発することが出来れば、もうそれで十分なのではないか。

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彼らが大声で叫ぶ「エイサッサ」の雄叫びは、地域を圧する如く広がり、居合わせた人々の心を揺さぶり続けた。

そしてその響きは、「この今を生きろ」と諭しているように聞こえていた。

群れの中の一粒となって演じきった一人ひとりだって、宇宙の中の一人の存在が意識できたはずだ。

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「俺が、今ここで叫んでるのは、これからの俺を鼓舞してるんだ」ってね。

人間は孤独な生き物だし、みんな一人ぼっちだ。

だけど、その一人ぼっちが寄り集まってこの星空の様な世界を造っているんだ。

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エ~ィサッサ、エイサッサ、これからだってそうやって精一杯踏ん張って生きていくんだ。

そんなエネルギーに満たされて、自分の若さを確認しつつ会場を後にしたのである。

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2017年6月 6日 (火)

青春の一ページ

これまで人生をやってきて、青春の一ページとして思いだすのはどんなシーンだろうか?

高校や大学時代の甘かったりほろ苦かったり、涙したり笑ったり、それは学生時代では無いか。

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私の場合は大学時代が起伏に富んでいて、あぁ〜あの頃が青春だったかと思う。

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高校の頃は何故か陰鬱な圧迫感があって、あまり楽しかった思い出は残っていない。

この点今日の高校生は、実に明るく部活や「高校時代」というものを楽しんでいる。

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今日一日は高校・中学の体育大会をたっぷりと観戦して、その若い息吹を浴びてきた。

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この学校の体育大会は、多くの父兄や近所の住民が押しかけるので知られるのだが、

今日も朝から沢山の見物客が来ていて、私もその一員なのである。

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何故人が集まるのかと言うと、それなりに面白いというか、競技や演舞に迫力ががあるからだ。

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文武両道を標榜しているだけあって、難関大学への進学実績もさることながら、

野球やサッカー、剣道などは県下で常時十指に入る名門校になっている。

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そのパワーが炸裂するのが、この体育大会である。

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リレー競技をみても、そのパワフルな走りが流石とうならせるものがあるんだ。

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それに加えて名物演舞があって、女子生徒のダンスHIGAXILEは卒業生のエクザエルあきらが振付したもの。

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更には日大発祥だが、既に伝統行事となった男子生徒によるエッサッサがある。

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要するに朝から見物していて、飽くことが無いのである。

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いや見物はともかく、その中の一員として練習を積み重ね、青春の一ページを演じた彼らの方にこそ感激はある。

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夢中になれるってこと、それは青春のただなかに居るってことだよね。

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2017年6月 5日 (月)

梅雨よ来い

今春の気候は須らく異常で、雨量の少なさも記録的なんだそうだ。

当然ながら我が家の畑もカラカラで、先日の雨を待ってやっと黒マルチを施したところだ。

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と言うのも、本日そして明後日と保育園児たちがやってきて、芋の蔓挿しをするのである。

もう年中行事になってしまって、その事前準備に気を揉んでいたのである。

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除草に施肥・耕耘、畝立にマルチと、これはこれで結構な労働だが、すべて一人でやる。

そして今朝、保育園の特別支援学級の17組の親子がやって来たという次第である。

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と言っても、子供は2〜3歳児だから、実は蔓を挿し込む主役は母親だ。

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一夏が過ぎた頃の芋掘り収穫が本番で、今回はその事前の布石の様なものである。

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全ての段どりを済ませているのだが、それでも蔓を逆さに差し込む親子もいて????

流石に今時の若い嫁さん達ではあるが、少し子育てに翻弄されている気配も感じる。

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傍らのブドウハウスに入って歓声を上げ、青いブドウを食べられないのかと問う。

このボランティア体験農園も、少し母親向けにハードにした方が良さそうでもある。

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ともあれ無事蔓挿しは終わって、後は明後日の雨予報を期待するのみである。

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いくら芋づるが乾燥に強くっても、これだけカラカラだと干からびてしまうよね。

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いずれにせよ、この蔓を枯らさないように捕植したりして育てるのは、私の役割である。

さても今年の夏は猛暑とかで、その前にしっかりと育てないといけない。

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先ずは「梅雨よ来い」である。

いやそれよりも、畑のオクラやトマト・なす・きゅうり、セロリも水を欲しがっている。

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用水の無い時代なら、(田植えも出来ず)今年は干ばつで大騒動だろうなぁ〜。

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2017年6月 4日 (日)

音の魔法使い

私達は生まれてこの方、母親の子守歌に始まって、風や雨の音、水の流れや織機の音、

あの台所のトントンと刻むまな板の響きや、轟音を立てて走り去るトラックの音など、

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常に無数の音を聴きながら育ち、今日に至っている。

そうして音は安らぎや危険、はたまた行動を急かせるシグナルだと言うことを知っている。

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それに会話も音によって成り立っているのだから、私達は音に育てられたとも言える。

今日は磐田吹奏楽団の定期演奏会があって、実はあまり期待をせずに出向いたのだが、

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そのレベルの高さと言うか、音を扱って物事を表現する力に圧倒されてしまった。

千人以上の客席もほぼ満席で、多くの人達が彼らの実力を知っていたようである。

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もとより私などは音楽のずぶの素人だが、来年も聴きに来ようと心に決めたくらいだ。

曲目は、組曲ハーリ・ヤーノシュ、サムシング、三丁目の夕日、レ・ミゼラブルなど多彩だ。

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その雰囲気の異なる楽曲を見事に演じ分けるんだから、私からすれば魔法使いだ。

音楽を聞いて情感を動かされるのは、やはりこれまでの音の蓄積(経験)だろう。

音楽こそあまり聞いてこなかった私でも、音の蓄積は70年分あるんだから十分だ。

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それに人生の甘いも辛いも、相当程度に知っていて不思議はない。

最後の楽曲、ミュージカル「レ・ミゼラブル」よりを聴きながら、ジャンバルジャンの人生を思っていた。

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空腹のあまりに一斤パンを盗んで捕えられ、18年の重労働の服役・・・それを脱獄して、

密かな努力で社会的成功を納め、善行を重ねてもいたが、非情な監吏がその彼を追いまわす。

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若者達が蜂起し革命を起こそうとするのだが、圧倒的な武力の前に倒れていく悲劇。

その倒れた若者を命がけで助け出そうとするジャンバルジャン、やがて彼にも安息の日が来る。

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その彼の生涯が、たった15分ほどの音楽に込められて表現されるのである。

そう、やはり音楽は素晴らしい。

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2017年6月 3日 (土)

学園(東陵)祭

新学期が始まって2か月、この時期は何処の学校でも学園祭が開かれている。

クラスや部活で巡り合った生徒達が、一緒に汗を流して祭りを作ることで一体になる。

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学校の中でも非日常的行事で、だからこそ、それぞれの級友の様々な部分が見えてくる。

若者達のパフォーマンスの息吹を感じたくて、午後はそんな学園際に出掛けたのである。

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テーマは「歌舞音曲」笑顔を奏でよう〜で、しおりの表紙には美術部員の作品がプリントされている。

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各クラスごとの出しものや部活の成果発表、音楽コンクール、それにバザールなどと多彩で見て歩くのに大変な程だった。

ひとわたり各教室を巡って茶道部の部屋でお茶を戴き、偶然囲碁部の部屋に立ち寄った。

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すると小学生と思しき子供と囲碁部顧問の対戦が目に入ったが、何だか雰囲気が変だ。

盤面を覗くと顧問が黒石を持ち、しかも何石かの置き碁の様であって汗をかいている。

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尋ねると何と8石を置いての対戦だそうで、しかも相手は小学5年生とのこと。

将棋の藤井六段を思い起こさせるが、何とこの少年は中国棋院の5段を持つそうで、

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実力は8段位らしいと言うから、日本棋院3段の顧問がタジタジなのも無理からぬこと。

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傍らで観戦していた私に対戦をとの話があったが、流石にウンとは言えなかった。

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私の囲碁は二十代前半で終わっていて、棋院の初段を取得して以来石を握って居ない。

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囲碁に復帰したい気持ちはあるが、何しろその時間的余裕がないのである。

ともあれ学園祭は、それぞれの達成感と共に「青春の一ページ」を終えた様である。

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当の私にとっては、学園祭などは遥か昔の出来事なのだけど、それでも覚えている。

あの時の先輩が頼もしかったこと、今でも忘れないが…どうしているかなぁ〜。

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この一時ばかりは、五十数年もタイムスリップした自分が見えたのである。

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2017年6月 2日 (金)

静と動と

田圃を背にして毎朝立つ通りの傍らに、早苗が植え揃って日一日と緑を増している。

子供達の行列が来るまで、その田圃を眺めながら数十回のスクワットをして過ごす。

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そして疲れると、田圃の縁を歩きながら田蛭を探すのである。

毎日何匹かが水の中を這っていて、吸い付かれでもしたら厄介だが、そいつを上から観察している。

田圃には田螺やツボもいるのだが、彼らは動きがないからどうしても蛭を探してしまう。

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何を食料にしているのか?、或いは田圃に水が無くなったらどうなるのか?などと、

何を考えて生きているのか知らないが、彼らの将来が気になったりもする。

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将来と言っても彼らの寿命は僅かだろうし、・・・それでも、多分精一杯生きているんだろう。

私はこの十月で齢70才になる訳だが、この田圃の中の蛭たちと命と言う点では同じだ。

たまたま人間として生まれて来ただけで、ビッグバン以来百五十億年の宇宙に比べれば、

70年も一年もほんの瞬間に過ぎないのである。

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そうして永遠の宇宙の存在からすれば、私達生き物の命なんて些細な余興みたいなものだ。

田圃が干上がれば彼らは消えて無くなるだろうし、私達だって明日にも大災害に直面するかも知れない。

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それでなくたって、そんなに遠くない先には寿命が尽きるのである。

それでも私達はそんなことは知らないこととして、この普段の暮らしを送っている。

いやさ、時々その普段の生活から抜け出す為に、遠くマラソン大会に出掛けたりする。

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「俺りぁ、田圃の中だけじゃないぞ」って、自分の命の広がりを確認するかのように走る。

しかしそれだって、田圃の中の蛭と五十歩百歩なんだなぁ~。

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ゆく河の流れは絶えずして、その流れに身を任せてあぁ~七十年。

随分と下りに下ってきたものだが、さてこそ諸行は無情、おい蛭よ! これからどうする?

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2017年6月 1日 (木)

早起きにて候

春眠暁を覚えずというあの心地良さを忘れて、もうどの位になるだろうか?

私はもともとは夜型で、試験勉強も仕事の事前準備も前夜のうちに済ませてきた。

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それを忘れて寝入ったりすると、頭の神経が半分起きていて、次の日はダブルパンチだ。

何か心配事や興奮事があると熟睡は出来ないから、済ませてから寝るのがベターだ。

その試験勉強が無くなって久しく、近頃では早々(10時過ぎ)に寝てしまうのが常だ。

すると朝がドンドン早くなって、4時半頃には起きてしまう。

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日の出の遅い冬場は本当に困るのだが、この時期は一日が長くなって重宝している。

先ずは牛乳に溶かしたプロテインを飲みながら、新聞三紙にざっと目を通す。

世の中の事はこんなもんかと納得すると、ブドウのハウスに入ってこの時期ならば、

二回目のジベレリン処理作業を終え、ひと房ずつ摘粒をしながら仕上げの形を作る。

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全ての房だからこれは気の遠くなるような作業だが、摘粒が遅れると房がコンクリートのように硬くなってしまう。

切り落としたブドウの青い粒が床一杯広がる頃、細君が朝飯の連絡に来る。

これがもう少し季節が進むと、ブドウやオクラの収穫・調整作業になるのである。

この朝の作業は暑さ対策でもあり、正に朝飯前におおよその仕事を済ませてしまう。

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それで朝食を済ませると街頭に立って子供達を見送り、その足で山に向かうのである。

昔から早起きは三文の得と言われるが、この得よりも快適な一日のリズム感が大変良い。

早起きは老人の得手とされているから、私もそうなったかと思わないでもないが、

もうこの習慣は二十年以上前からのものだ。

それに我が最愛の細君などは、7時近くなって起き出してくるのが常なのである。

ともあれ、もう宵っ張りは出来ないなぁ〜。

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