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2017年7月31日 (月)

獅子身中の虫

井伊谷城の裾近くに、井殿の塚と呼ばれる石垣で囲まれた一角がある。

タブの巨木で覆われた一隅だが、井伊一族の悲劇を象徴する場所でもある。

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と言うのも、戦国期の井伊一族には悲劇相次いでおり、その歴代の当主を弔う趣旨だろうか。

直虎の父直盛は桶狭間の戦いで戦死、祖父の直宗は討ち死、曽祖父直平は毒殺されているし、直虎の許婚だった直親は今川に謀殺されている。

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当主が相次いで亡くなって残されたのが、娘の直虎一人という状態になったのである。

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しかも時代は、戦国乱世の真っただ中だったから、龍潭寺に伝わる井伊家伝記のごとく

「次郎法師は女にこそあれ、井伊家総領に生れ候間、僧侶の名を兼て次郎法師とは是非なく・・」となったのだろう。

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ともあれ、この井伊家の相次ぐ不幸には、家老の小野但馬が大きくかかわっている。

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そもそも小野家は、今川に忠誠を誓って、その威光を背景に井伊を威嚇することで、隠然とした力を持ち続けてきた家だ。

言うならば井伊にとっては獅子身中の虫の存在で、直満もその子直親もその讒言で殺されたのである。

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小野氏は井伊を散々痛めつけた訳だが、その反対に目付家老だった新野左馬之助は大いに助けに回っていた。

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大河ドラマでは小野氏を複雑に描いているが、実際にはかなりの危険人物だったのではないか。

事実、今川氏真と結託して直虎を追い出し、井伊谷城代として君臨し、虎松の暗殺を目論むのである。

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マラニックを終えて奥浜名湖の宿の風呂に浸かりながら、湖上に築いた城跡を眼下に眺めた。

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そこには箱庭のように田圃や入り江、氣賀の街が広がっていた。

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都田川が浜名湖に広がりを始める、まさに奥浜名湖がこの大河ドラマの舞台だ。

因みに浜名湖は都田川の流域そのもので、湖でもあるが「川」なのである。

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2017年7月30日 (日)

井伊の国

井伊直虎は男だったのではないかとの議論も残るが、戦国の有力守護大名のはざまで、

尚且つ今川から猜疑の目で監視されながら生き残り、あの中山間の辺境の地から、

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戦国の勇者となった井伊直正(彦根三十五万石藩主)を生み出したのだから、やはりそれなりのものがあったのだろう。

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井伊の本拠地は、浜名湖の北岸、今の浜松市の引佐町・細江町一帯である。

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今日は井伊直虎を訪ねるマラニックで、新居弁天から舘山寺まで走り、そこから直虎号(船)

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に乗って氣賀港へ、そして井伊の本拠地を訪ね巡るマラニックに参加したのである。

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この辺りは良く知った所のはずだが、今回改めて訪ねてみると別の地域が見えてきた。

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先ずは大河ドラマ館から共保候出生の井戸へ、地域遺産センターから井伊谷城に登る。

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下って今度は謂伊神社(共保の産すな神社)、妙雲寺(直虎の菩提寺)、井伊谷宮から龍潭寺と巡ったのである。

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決して広くはない地域に、これらの遺産が集まっていて、走りながら巡るには好都合である。

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井伊氏の発祥の地とは承知していたが、こんなにも諸々の遺産が残されていたことを始めて知った次第だ。

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さても奇観は謂伊神社の巨岩群だろうか、そして歴史の妙は妙雲寺に並んで寄り添う直虎と南渓和尚の位牌だろう。

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妙雲寺には和尚の生前の肖像(掛け軸)も残されていて、それがまた良い顔をしているのである。

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それらを逐一、地元のボランティアの皆さんが説明してくださるのだ。

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ともあれ大河ドラマを機に、地域の埋もれた歴史を改めて発見する良い機会になった。

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こんなマラニックも、また楽しだね。

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2017年7月29日 (土)

一生の付き合い

日に日に、ものぐさになりつつあるようだ。

いやなに、日々のリズムはキチッとしているのだが、郵便物(メール返信)や片付けなどは一向手を付けようとしない。

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特に封書などは封を切らずに机上に積んであって、何時でもできるだろっと放ってある。

それで時折督促などを受ける様になって、まことにこの世の付き合いは厄介である。

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ともあれそのものぐさが、今日も山を走り、大汗こぼして沢山のゴボウを掘り採った。

この自分も自然の一部に違いないのだが、僅かでもその母なる体に働きかけるのが私の労働だ。

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その自己と自然の混然不可分な感覚に浸っている方が、机上のあれこれよりも面白い。

終日一人で過ごしている訳だが、だから孤独かと言うと決してそんなことは無い。

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山でだって(走り終わって)、仲間との四方山話が嫌いではないが、それよりも一人が良い。

人には依存癖があるらしく、常に何か(何処か)と繋がっていたいって気持ちがある。

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その証拠に近頃じゃ常時スマホをいじっている人が多く、先日久しぶりに乗った電車では10人が9人まで専ら画面を眺めていた。

電車の中くらい本を読んだリ一人あれこれ思いをはせても良さそうなものだがさにあらず。

要するに、何もしないで一人でいるってことが、不安でもあるらしい。

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この点私は、何時だってと言うか…かなり多くの時間を自分との付き合いに使っている。

そもそも人は、生涯を通じて自分と付き合わなきゃならないんだ。

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今時の人達は、他人と付き合うことに熱心で、この大切な自分との付き合いを疎かにしているようだ。

この世を生きるのは常に自分なんだから、とことんこの自分に寄り添っていこうと思っている。

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2017年7月28日 (金)

自分の人生

先日、映画「忍者の国」を観ながら、儚い人の命と生き方みたいなものを感じていた。

映画はアクション仕立てだが、その中に少し無理やりに人それぞれの「人生感」を滲ませようとしている。

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下忍の命など消耗品として扱われる忍者の世界、そして「金」をこそ生きる価値と追い求める人達。

それはそのまま今日の社会に通じていて、今の子供達の夢は「お金持ちになること」だとか。

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目指すべき夢が語られず(夢など思いもせず)に、欲望のままに生きる人間がそれだけ増えているんだろう。

数日前に書いた様に、自分の価値感を貫いてこそ、自分を生きたことになるのだと思う。

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誰にも、或は何にも差配されない自分(の歳)になって、やっとその自分の価値観を極めたいと思っている。

それはさぁ〜・・これまで、あの人・この人に気を使い、時に権力におもねり、お世辞を言ったりもして生きてきた。

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それは正に下忍の生き方であって、思えば私もそれによって家族を支えてきたのである。

確かにこの世の中は悪意と欲望に満ち満ち(政治の世界が典型的)ていて、なべて人が人の失敗を喜ぶ風がある。

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そもそも今時の人達は「何の為に生きるか」なんて考えもしないし、人と比較しての不満・不平に生きている。

どのみち人は、遅かれ早かれ必ず死ぬのである。

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馬鹿々々しい生き方をしても、良い人生を全うしようと心掛けても必ず死ぬのだ。

だからこそ今生の「今を大切に生きる」ことの大切さを説いたのは、日蓮上人である。

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私も無信心な日本人の一人だが、南無妙法蓮華経の人生観には共鳴する。

ともあれ、自分の人生を生きるには、他人の価値観に振り回されない事だ。

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2017年7月27日 (木)

山草人は私

山草人は、言うまでもなく私のペンネームである。

命名のきっかけは、15年程前に書き溜めた拙文を一冊の本として出版したことだ。

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「スローな気分で・・」と題したその本は、如何にも当時の自分の仕事とは関係が無く、

実名で本屋に並べるのは厚かましいと思われたからだ。

その限りではネットで使われるハンドルネーム(匿名)に近かったのだが、

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以来「農の風景」等の半公的な場面でも十数年に亘って使い続け、今では明らかに私の別名になっている。

もとより山を走る人から転成させたのだが、少なくともネット上も含め「山草人」を名乗っているのは私だけだ。

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ハンドルネームというのは明らかに匿名の意図であって、ある意味自分を秘匿するために使われる。

しかし山草人は既に私の別名になっていて、まさにそれは私の本名に限りなく近い存在だ。

個人情報保護法が出来て以降、同窓会や電話帳、自治会、防災など様々な場面でこの法律の弊害が指摘されている。

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そもそも本名を知られて困ることは無いはずなのに、悪用する者の登場が世の中を複雑にしている。

つまり悪意に満ちた社会から身を守るために、名前一般を秘匿することにしたからである。

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およそ馬鹿々々しくも嫌らしい世の中だが、さりながら現実に馬鹿げたことを面白がる愚劣な(或は営利上ずる賢い)人間が存在するのである。

人間の屑と言うべきだが、そんな下劣な輩はネット上でも様々な偽名(変名)を使ったりする。

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ともあれ、情報が悪用されることを想定した法律があるってことは、猜疑心の極みであって、確かに変な世の中だ。

話がかなり脱線したが、私は自分のペンネームに誇りを持っている。

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2017年7月26日 (水)

俺にもできる?

グズ(優柔不断)は、多分に劣等意識や不安と繋がっている様だ。

思えば元来がグズの私は、子供の頃からもじもじとしていてオスンバーと言われていた。

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即断・快諾が出来ない性格で、良く言えば慎重だが、実のところ自信がなかったのである。

そもそも人間は、難しい事態に直面した場合「出来る」と思わない限り、前には進めない。

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だから教育に於いては、自尊感情を如何に育てるかが大事とされるのだが…

当時(子供の頃)は、そんな理念はなかったから、何時も劣等感にさいなまれながら大きくなった。

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ぶきでスポーツが下手で、勉強も出来ない子供だったから、かばってくれたのは母親だけだった。

その母親の薫陶のお蔭で、幾分自分に自信が持てるようになったのは、中学生になってからだった。

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それは少しばかり勉強することを覚え、成績が徐々に上がることを知ったからだった。

・・・今夜は最初から脱線してしまったが、残された時間を悔いなく動き回ると決意したばかりだ。

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それには、躊躇などせずにどんどん前に進むしかないのだが、実は今その躊躇の中にいる。

友人からサハラ砂漠250kマラソン(5日間)に誘われていて、色々と考える程に決断できないでいる。

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炎暑の砂漠を10k強(食料や寝袋など)のリュックを背負って、毎日50kを走るのである。

もともと一度は挑戦したいと思っていたレースだが、躊躇の理由は我が年齢であって、

最悪の場合は沙漠に骨をうずめることになるかも知れない・・・と、今になって弱気になっている。

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しかし、これが最後のチャンスであろうし、あの時やっておけば良かったと後悔もしたくない。

それでこの三か月、サハラ挑戦を前提に色々と準備をしてみることにした。

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例えは13kほどの荷物を背負って砂浜を走ることなど・・・である。

それで無理なら、それから諦めても良かろうと思っている。

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2017年7月25日 (火)

人生とは何かと考えてみる

70年近く生きてきて、改めて「人生とは何か?」と問われても、私には答えることができない。

昔、「何のために勉強するの? 」って聞いたら、それは「稔りある人生を生きる為さ」って返ってきた。

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それで怠惰な心を鞭打って幾ばくかの勉強もし、怠けることもなく50年近く働いてきた。

それで今・・・少しばかりの時間的余裕ができて、改めて人生って何なのかと思ったりする。

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果たして「稔りある」生き方が出来たのかどうかとの問いである。

振り返ってみれば、あれこれと生活の仕方を教えられた記憶はあるが、「人生とは何か」を学んだことは無い。

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それで今、人生とは生活の仕方の事だったのかと思いつつ、どうも納得がいかないのである。

それなら「良い生活が出来るように」勉強しなさいと、何故言わなかったのだろうか。

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だけどなぁ〜、勉強したヤツが幸せな「人生」を生きた訳じゃないってことも知っている。

ガリ勉だった某は一人寂しい暮らしだし、優秀の誉れ高かった彼女は大学時代に自死した。

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人間はどうやったって、生まれてから死ぬまでの間を生きることができる。

それは犬畜生や植物と同じであって、それを何故殊更「人生」などと言うのだろうか。

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確かに私も「より、豊かに・・・」などと考えつつ生きてきて、やがて古希を迎えようとしている。

だけど、それが確かに≪人生≫だったのかどうか、単に小利口に生きただけじゃなかろうか?

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或はこの先にこそ本当の「人生」があるのではと夢想してみても、それにはやや無理がある。

結局のところ、「人生とは何か」が分からないと言うことが分かりつつあるのである。

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そうやって私達の先祖は、日々の暮らしの為に必死に生死してきたのである。

とどのつまり、人生とは日々の暮らしそのものでしかない。

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ならばこそ、人生とは今を大事に生きる事と見つけたり・・・かな。

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2017年7月24日 (月)

箱根八里

かつて天下の険と歌われた、あの箱根八里とは如何なるものかご存知でしょうか?

8里なら32kと手頃な距離だから、何時か「そのうち」走ってみようと思っていた。

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それが悠々の身となって言い訳が無くなったのを機に、そいつを実行することにした。

朝一番の新幹線に乗って小田原へ、小田原城を右に見てそのまま箱根街道を登っていく。

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登り切ったら三島に降りる路で8里+アプローチだから、ざっと40k近くになるだろうか。

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前半はあの箱根駅伝のコースと一部重なるが、大部分は石畳みの旧街道を辿るのだ。

湯本の早雲寺(北条早雲の菩提寺だった寺)を過ぎた辺りから、その石畳みが残されている。

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林間の今なお暗い(雲助が出没しそうな)路で、おまけに小雨が降り出して、これがつるつる滑るのである。

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畑宿を過ぎて七曲り辺りまで来ると登りはピークとなって、古色蒼然とした茶屋が現れる。

囲炉裏の燃える傍ら座って甘酒を戴いたのだが、汗が冷えて風が冷たく早々に芦ノ湖を目指した。

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石畳み部分は相当歩いたのだが、それでも4時間近くで箱根の関所を通過できた。

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芦ノ湖の水は冬の様に波立っていて肌寒く、早々に三島への道を辿ることにした。

1000m足らずの標高なのに南からガスが吹きあげ、かなり下るまで霧の中になった。

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三島側にもかなりの区間に石畳みが整備(残され)ていて、これを辿るとやはり時間がかかる。

気を抜くと湿った石に足を滑らすので、この石畳みの縁を慎重に降りていく。

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三島市の外縁近くには山中城跡があって、この城は実は戦国期最後に造られた山城だ。

北条氏が秀吉の小田原攻めに備えて築城したのだが、17倍もの軍勢に囲まれ一日で落城となった。

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つまり、規模も構えも立派だが、何の役にも立たなかった城のようだ。

山中城を過ぎて少し下ると眼下に田方平野が見えて、これを下り切れば三島である。

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あまり寄り道することなく走った(歩いた)訳だが、15:30頃には三島大社の前に至った。

ほんの150年前までのこの国の基幹道だったはずだが、石畳みと勾配、狭さを思うと、

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確かに箱根を越えるのは大変だった筈で、むしろ「越すに越されぬ大井川」の方が楽だったんじゃないかと思った。

ともあれ、箱根八里はこの古希の爺の足でも、一日で超えることが出來たのである。エヘン。

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2017年7月23日 (日)

人生の不思議

泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり、そう言う色々なことをしながら、既に70年近くになる。

人生ってのは、生まれてから死ぬまでの一定の期間だが、これは権利でも何でもない。

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植物や諸々の動物と同じように、偶然この世に生まれ出て、そして消えていく一つの命に過ぎない。

そう言う意味じゃ、今ここに存在するこの自分の存在自体が神秘なのかも知れない。

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本気でそう思いながら、毎日汗をかいて走ったり、作物を育てたりしている。

仕事や何やカヤで振り回されている時には感じなかった、そんな当たり前の感覚になった。

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山で走りながら「風の気持」を感じ、山の木(ウバメガシ)の気持ちになったりもする。

とは言え仙人になった訳でもなく、喜怒哀楽はもとより日々の暮らしは何も変わっていない。

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こうやって日々好日、為すがままに生き暮して良いものかどうか?

今月は既に400k以上走っていて、朝起きると体がギィーギィと音を立てている。

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しかし、早朝の仕事を30分もすすめるうちに、さてこそ山へと言う気分になるのである。

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而して、毎日同じ様な日々が続くのである。

生きているものは必ず死ぬ訳で、その時は何時か分からないが、それも人生の面白さだろう。

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「生きて死ぬ」そのものが不思議だが、その間を如何に生きるかはもっと面白い。

「今を生きる」とは如何なるものか、そいつを極めたいと思っている。

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2017年7月22日 (土)

山巓に立つ

「どの下り道をとるかと言うことは、山巓に立って初めて分かるものだ」と森信三先生は言う。

しかしながら不肖が故に、70年近く生きてきて何処が山巓な(だった)のか、未だに分からないでいる。

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と言うよりも、人生の山巓はまだまだ先のことで、故に下り道が見えないのだと思いたい。

実は今日,20回目になる人生を学ぶ勉強会があって、「人間(的威)力」と言うか「内面に弾力のある人格」なんて議論をしたのである。

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今更「大志大望」をなぞと考える訳ではないが、そもそも人間は自分の望むようにしか生きられないのである。

ならば、年齢なぞ関係無く、山巓を目指してあくなき挑戦をするのみではないか。

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現実にそう生きようと努めているし、「今」をこそ大切にと思い定めている。

ところで相田光男の言葉に「そのうち、そのうち、べんかいしながら、日がくれる」とある。

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事実、暇が出来たら・・、仕事が終わったら・・、金が貯まったら・・子供がなどと、

人生には幾つもの関があって、常にやりたいことをやってきた訳じゃない。

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だけど古希を迎える今日、かつての弁解理由はあらかた消え失せて、私の前には遥かなる草原が広がっている。

そして今来たこの道は、既に引き返す事なんて出来ないのである。

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人の寿命は、天がその人に与えた使命を果たすだけは与えるものだという。

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果たして私に与えられた使命とは、これまでやってきたことが全てであったのかどうか?

いやさ、これまでは序の口で、これから人生の本番が始まるのではないかとすら思う。

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いわんや、我が山巓(ちん)は過去のものではあるまいと思う。

しかして人生は二度なし、今この時だってその一回きりのマラソンを必死で走っている。

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そうしてこのマラソンは、如何に楽しむかという競争で、結構面白いと思っている。

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2017年7月21日 (金)

唯の人

7月21日、明日から夏休みの学校も多いんだが、私のところは25日からになっている。

・・で(10年目)街頭に立ちながら、毎朝200回以上のスクワットを繰り返してきた。

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それでどうやら、唯の旗振り叔父さんから、スクワットのおじさんになりつつある様である。

とは言えこの暑さの中、田越えのそよ風があるにしても、Tシャツは汗びっしょりになる。

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そのスクワットのおじさんとの「お早う」の挨拶も、来週から暫くお休みになる訳だ。

それはそれ子供達にとって何よりの喜びだが、オジサンはスクワットの機会を逸するのだ。

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それはさておき、子供達に学年はあっても肩書なんぞはなくて、全身で子供をやっている。

生のままの「一個の私」を演じているのが小学生で、中学に入ると少し「恰好」をつける様になる。

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スポーツや勉強、ピアノや水泳が出来るとか、美人だとかイケメンだとかを意識するんだ。

時代は進化しても競争社会であることに変わりなく、彼らもやがてその渦中に呑まれていく。

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そして○×大学卒とか△◇社員、・・係長、何とか課長などと肩書を励みに生きる様になる。

凡庸な私も同様で、なんとこの50有余年その肩書の下で生きてきたのである。

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人間と言うのは不思議なもので、間違いなく「立場が人を創る」という要素があって、

振り返ってみれば、不肖この私も様々なと言うか、過分な役割を演じてきたと思っている。

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そうした肩書や役割をほぼ終えた今日、やっと生身の自分(小学生)に戻って生きている。

考えてみれば、もともと何物でもなかった訳で、ただのスクワット叔父さんなのである。

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そんな「唯の人」を俯瞰しながら、このひとり一人の子供達の行く末を思っている。

勿論50年のタームが残された彼らには無限の可能性がある訳で、だからこそ人生は面白いのだが、彼らにはそんなことは知る由もない。

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それにしても、地位も肩書も何もない唯の人の気楽さも中々快適で、これはこれで長生き出来そうである。

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2017年7月20日 (木)

この期に及んで

このところ、スマホから引っ切り無しにボーンと音が鳴るようになった。

何人かとラインで繋がって、そのお互いのやり取りがその音なのである。

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と言って、自分では書き込むこともなく・・と言うより扱い方を十分知らない。

それはともかく、世の中は大変な情報化時代らしく、瞬時に知りたくない事まで知ってしまう。

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それはその・・世の中の隅々までの事件・事故、誰かが何か言ったの言わないのと喧しい。

私は新聞は読むが、TVはニュース以外ほとんど(観るよう努めるのだが)観ない。

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ネットもブログと乗換案内、それに辞書代わり程度の使い方しかしていない。

週刊誌なんぞ、この二十年かた触ったこともない(そもそも字が小さくて、何が書いてあるのやら分からんし)。

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情報が一杯あると暇つぶしはともかく、それで必ずしも人々が幸せになる訳じゃない。

それでも、さもない情報に人々は群がるんだよなぁ〜(誰が、離婚だのと)。

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ともあれ情報は必要なだけあれば十分で、それに情報を活用してこそなんぼだろう。

そもそも余分なことに関心を向けてりゃ、肝心なことを忘れっちまう。

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そういう観点からすれば、今のTVなんて無用の長物だね。

関心の向いた本を読み、走りに行って友と語らい、この四季の移ろいの匂いを嗅ぎ、

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作物を育て・・・・、それにもっと肝心なことは、自らの生の成熟を感得することだなぁ〜。

それに親しい人との和気藹々の茶飲み話でもできりゃいい。

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世の喧騒に敢えて同調せず・・、これって知命・耳順・矩を超えずにつながるかも知れない。

そうさなぁ、人は自分の望むようにしか生きられないのも、これはこれで真実なのである。

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これが古希まぢかな男のモノローグさ!!・・・・・それにしてもこの時代、情報過多だね。

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2017年7月19日 (水)

あぁ、平和国家よ

この国は、武力は決して使用しないという世界に例のない憲法を持ち、かつ遵守している国だ。

勿論、これは70数年前の狂気を封じる為に、敗戦後に占領国が求めた規範でもある。Dscn1973

確かに恒久平和は理想だが、人間が国を作っている以上、その現実は甘いものでは無い。

しかしこの国に住む人々の多くは、恒久平和が現実にあり得ると思って生きてきている。

幸いにもこの60年余、現実の戦争に巻き込まれることなく過ごせたのは、平和憲法のお蔭だと信じているからだ。Dscn1979

すぐ隣にかつての大日本帝国に良く似た狂気の国が存在し、ICBMや核をちらつかせている。

それだって「なぁ〜に、滅多なことが出来る筈がない」と、何処かで楽観を決め込んでいる。

いわゆる「平和ボケ」に過ぎないのだが、イザとなればアメリカが守ってくれると信じてるようだ。Dscn1990

かつてABCD包囲網を打破すべく、負けると分かった戦争に突っ込んだ経験のある国だ。

だが、追い詰められると何をするのか分からないのが狂気だと、既に忘れているようだ。

それに人間(国家)の歴史は、その昔から戦争の技術を開発する歴史でもあって、

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作ったものは、広島・長崎への原爆投下のように、必ず使われてきた。

かの国は果たして、国民の生活を犠牲にして、使わない為のミサイルや核開発に邁進しているのだろうか?

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私達は、常軌を逸した暴挙だと非難はしているが、これはたった70数年前に辿った道ではないのか。

かの狂気の国から、核を搭載したミサイルが飛んで来ないという保証は無いのである。

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仮にそうなったら、これは観念して死を待つ他あるまい。

そして私達は、平和憲法の理念と共に滅びて行くのだろうか。

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2017年7月18日 (火)

養気養体

ここ数日来の暑さは、正に是、痛快なる暑さ(机上の温度計33.4度)ではなかろうか!!

こんな時にこそ「養気養体」とばかりに、今日も山を走って汗をたっぷりかいてきたところだ。

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山に向かう際には、500ccのペットボトルにデキストリンを溶かし、蜂蜜で味をつけて持っていく。

そのペットボトル一本が3時間近い山中行動の唯一の栄養で、一区切り毎のご褒美に一口含む。

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その一口が得も言われぬ美味しさで、それで次の区切り(2km)まで頑張ってしまうのである。

ともあれ暑い時には、動行(行動)して以て体を養うに限るのではないか。

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この点儒学者の佐藤一斎先生は「人は則ち地気の精鋭なり。吾れ静座して以て気を養い、

動行して以て体を養い、気体相資し、以てこの生を養わんと欲す。(言志晩録)」と言う。

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けだし名言であって、暑い暑いと冷房なぞに依存していたのでは気が萎えるばかりである。

因みに我が家では、冷房器具の使用は一切(うちわと扇風機を除き)ご法度である。

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ところでこの暑さは、稲や夏の青果をも養うものであって、サツマイモも勢いよく蔓を伸ばしている。

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稲はそろそろ花(鈴花)を付けようかという頃合いで、今頃の彼らの姿にも元気をもらう。

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春先から実を成らせ続けてきたキュウリは、そろそろ選手交代の時期で、

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新たな畝に苗を植え、そして立派な柵を完成させた(これも汗の賜物)ところだ。

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水さえ補給すれば、「地これを養う」のであって、彼らはグイグイと成長していく。

その植物たちの恵みに支えられて私達は生きている訳だが、その根本は自然の命だ。

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自分の日々の暮らしは、「地に従いて生きる」そのものだと思っている。

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2017年7月17日 (月)

若さと元気

最近気になっていることは、走ってもスピードが出ないことで、それは年齢の故だとばかり思っていた。

昨日のマラニックでもかなり歩いてしまったし、それは失われつつある若さだと半ば諦めていた。

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生きている限り人は老いる訳で、この若さを失いつつあることへの不安と焦燥は、私にとっての永遠のテーマとすら思っていた。

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それで昨日の懇親会で、広島から来られたHさんが84歳(見たところ75歳)だと知った。

そしてそのHさんは、私よりもはるかに速くゴールしていたのである。

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と言うことは、走るスピードは必ずしも年齢に制約されないってことで、それに広島から遥々浜名湖まで走りに来ること自体が元気の印だ。

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懇親会を終えて、弁天島から新居駅に向かう2kmばかりを、皆と一緒に四方山話をしながら歩いた。

その中である方が「走るって、ただ体を前に倒して、尚且つ転ばないように足を運びゃ良い」

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と金哲彦氏の言葉を引用しながら語っていた。

実は私はここ最近、前屈みになることを恐れて胸を張ることに専念してきていた。

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結果的にギコチない走りになって、足首を使うことで辛うじて走っていたのに気付いた。

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思いは「ひょっとして・・」だったが、今日は早速それを山で試してみたのである。

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なんと・・・・これまで15kを3時間も要していたのに、それが30分近く速くなったのである。

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何のことは無い、アンチエイジを工夫していた筈が、そもそも基本から逸脱していたのである。

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老いていくことは絶対の事実だが、これに無駄な抵抗などしなくても自然体で十分なんだ。

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而してそのことに気付いたというか、新たな発見をした貴重な一日になったのである。

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2017年7月16日 (日)

汗腺全開

今日は、恒例の浜名湖半周サマーランである。

スペインから帰国したばかりの萩さんも加わって、40数名が汗を流した。

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そう、このマラニックは汗をかくための大会と言っても過言では無く、35度近い炎天下を28k程走るのである。

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8:15何時もの弁天島海水浴場をはますたーとし、左回りに湖岸をたどり、舘山寺港へ。

ここで対岸(湖西)に渡る船を待って、午後は瀬戸から弁天島までを走るのである。

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と言っても何時もと違って、今回は暑さ故にかなりの距離を歩くことになってしまった。

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飲んでも飲んでも汗が吹き出て、気持ちが萎えてしまうのである。

それでも今回は、私設エイドを三ケ所も設営して下さっていて、これに随分と助けられた。

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午後3時、弁天島の民宿に到着し、直ぐに海に入って体を冷やし、入浴の後は恒例の懇親会である。

而して暑さの中での一日は終わったのだが、それにしてもこの連中は「良くやるよ」と思う。

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高温注意報の最中、日影とて少ないく熱くなった舗装道路を延々と辿るのである。

そうだなぁ〜、一人ではとても出来ないことを、仲間と一緒ならやってしまうのである。

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折々に隣り合った仲間とあれこれ話しながら進むうちに、5k程度は忽ちにして経過する。

そうして、今日決められた道筋を全て完走(歩)することで、自分自身の栄養とするのだ。

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それとあれかな・・・この大会に来れば仲間に会えるってことも大きな要素だ。

それぞれの近況を語り合い、「よし俺も」ってな具合に元気をもらう。

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それに今日は、自転車で私たちを追いかけて私達をサポートして下さった女性2名もいた。

彼女達も、自分が走れ無い分、別の形で参加しているのである。

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という訳で、今年もこの大会を機に、ランナー達の本格的な夏が始まった。

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2017年7月15日 (土)

山を走る男達

いつもの(小笠)山を走る様になって、もう四半世紀が経過する。

ウバメガシに覆われた昼なお暗いけもの道だから、最初のうちは一人じゃ怖かった。

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それが慣れ親しむうちに、何時しか蛇もガマカエルもコジュケイも山の自然になった。

この山を走って25年にもなるんだから、知り合った人々も色々で、走る動機だって様々だ。

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それで昔からずう〜っと走っている人は5人位だろうか・・・ともかく人は入れ替わっている。

理由は転勤とか体調不良、人間関係、老化・・・などと様々だが、それは正に人生模様でもある。

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梅雨が終わったかのような暑い今日も、山では10人の汗をかいて走る男達と出会った。

それぞれの生活(仕事)も家庭環境も異なるし、日頃考えていることだって同じじゃない。

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ただ裸の付き合いというか、気心はみんな通じ合っている。

それに、険しい山道を走り続けていると言う共通項(変人)の故に、一種の連帯感もある。

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実は私はこの山で、一人で黙々と走りながら、いつも「自分」を感じてきた。

よく下世話に「自分探し」なんて言われるけど、あんなもん探したって見つかるもんじゃない。

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だって自分はここにいる自分でしかなくって、本当は「今、感じている自分が自分」なんです。

だけど世間一般に、自分を感じるなんて事は(常日頃)普通じゃすることはない。

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自分を考えずに付和雷同で生きているって言ったら、これは多分言い過ぎだろうが、でもそう言う面が多分にあると思う。

それで政治が悪い、あいつがこんなことするから、女房のやつが・・などと愚痴っている。

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それも人生だけど、人間ってのは本来「自立」していないと面白くないよね。

だから私はどんなに苦しくても自立しようと生きてきたし、それにゃ自分と会話しなきゃね。

山を黙々と3時間、それを毎日走るってことは、実はそういうことなんだ。

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勿論走る理由は健康管理や心身のリフレッシュなどと色々だが、芯の所にそれがある。

75歳になるNさんの顔を眺めると、「いい顔になったなぁ〜」とつくづくと思う。

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2017年7月14日 (金)

親子の縁

今朝、出勤前の息子が「親父、孫娘の家庭教師をやれよ。ついでに進学塾をやったら・・」と言う。

毎日が悠々自適の父親を、どうやら所在に困っていると見ている様子なのだ。

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特段口もきいたことのない息子だが、少しは年老いた(まだ若すぎる)父親を気にかけているらしい。

・・・・と思いつつ、甘い甘いと反芻する自分がそこにはいた。

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女房の父母は既に他界し、実父も11年前に旅立って、93歳の実母だけが健在である。

その母親は、自分を産み育て、更に多くの薫陶を与えてくれたし、今も息子の為にと汗を流している。

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時に言い争いもするが、とてものこと疎かには出来ない存在である。

実は、今は亡き父親との関係を、我が子と相比べて少しばかり思っている。

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父親は一言で言うと、青年期に両親を亡くし、出征したりもして、まぁ〜「必死」で生き抜いた人だ。

晩年には幾分余裕ができて、議員やら連合会長・老人会長などを務めたが、その子供には取り立てての影響を与えていない。

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彼を看取ったのは私一人で、混濁状態の中で確かに「ありがとう」と言って死んでいった。

元気な頃の父親は、私にとっては何かとうっとおしい存在だったし、対抗心の方が先だっていた。

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親子それも父親には、子供は中々素直になれないんじゃないかなぁ〜。

だけど親からすれば、息子はあくまでも自分の製造した、まごうことない自分の所有だと思っている。

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自分がセックスしただけで、それで製造なんてチャンチャラおかしいが、親はそう思っている。

だけど、ある男女の精子と卵子が偶然結合して生まれたのがオレで、親だって一期一会だ。

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人はある母となる人の腹に宿り、親子となって数10年の縁を結ぶ訳だ。

その若さを自任している私にも孫が4人いて、今更父親の背中の有難さを思っている。

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2017年7月13日 (木)

考えてみたら・・・

私自身、自分はそれなりに考える力(頭)を持っていると思って生きてきた。

確かにこのブログでも「・・・と考えている。」などと書いていたが、しかしながら、本当に考えていたんだろうかと思案している。

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と言うか、そもそも考えるとはどういうことなのか、「思う」と何が違うのか、或は「知る」とは?

それに考え方なんて教えられた記憶も無いから、それぞれが我流でその型を創ってるんだろう。

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悩んだり困ったりした記憶はあるが、本気で考えたことがあるのかどうか?・・むしろ、考えるよりも感じてきたのではないか。

「70年も生きてきて、今更何を」と言われるだろうが、あんまりものを考えてこなかったんじゃないか。

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あの16年も学んだことになっている学校は、考えることを教える機関だとばかり思っていた。

だけど学校で教えられたのは、記憶をすることとそれを再生することで、その能力の高い奴が優秀とされてきた。

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私もそのコツを少しばかり得て幾分成績は良かったけど、私よりも優秀だったはずの人間は無数にいたはずなのだが、彼らが大成したという話をついぞ聞いたことが無い。

つまり、記憶と再生の能力なんて知れたもので、生きる力にはあんまり役立たないってことだ。

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その証拠にこの二十年来のITの進化で、人間はとてものこと記憶と再生では機械に勝てない。

おまけに学習機能を備えたAI(人工知能)の登場で、「考えるとは何か」が根底から揺らいでいる。

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私が自負してきた考える力なんぞ、スマホ一台ですべて事足りてしまう。

私が学校で習ったことなんて、悉くこのちっぽけな機械が応えてくれるのである。

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してみれば、今時の学校で教えることは、本来の「考え方」であるべきなのだが、そのツールは未だ開発されてはいない。

辛うじてアクティブラーニングが注目されているが、これも試行錯誤だ。

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人間は機械の具備できない創造性を競うべきだと思うのだが、「考えれば、考える程」人間の能力ってものが分からなくなってきた。

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2017年7月12日 (水)

晴耕雨読

今朝はピーマンを収穫していると、北九州の豪雨もかくやと思われるような雨が降り出した。

前庭がたちまち川の様になって、排水溝からも水が溢れ出した。

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ブドウやオクラ・キュウリの収穫は終えていたから、これも程良き雨だと黒雲を眺めていた。

ところで私もようやく農耕民族の末裔らしくなって、陽に従い、自然に従い、この瑞穂の国の四季を正しく暮らし始めている。

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つまり取り立てての予定などありはしないから、今日は種を播き、明日は畝を立て、水をまき、雑草を取り、やがての収穫を待つのである。

その日にするべき(出来る)ことをその日にキチッとやって、残りの時間をランに当てる。

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そう言う地道な毎日の繰り返しが、それはもうこれからずっと続くのです。

言うならば、待ちに待った晴耕雨読の毎日なのであります。

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カレンダーも手帳もさして必要が無く、私に存在しているのは「今」、もしくは「今日」だけだ。

そうやって毎日が繰り返されて、一年また一年が過ぎて行くのだろうと思う。

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先日の葬儀で20年ぶりにお会いしたKさん(88歳)が、今も2haの水稲を一人で栽培していると言っていた。

昔と違って機械力があるとは言え、一人暮らしのKさんにとって農業は大変だが生甲斐でもある。

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多くを読み、かつ書を嗜むKさんは、長紙に般若心経と菩薩を墨書して持参してくださった。

この時代、人々は農耕を離れ、多くが組織の一員として生涯を送っているのだけれど、

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そもそも人は、何をして生き、何を生甲斐として続け、そして死すべきなのか。

私も、来年こそはもっと良いブドウをなどと思いつつ、正しく巡ってくる季節の循環の中に生きている。

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そう・・・もう25,500日も生きてきたのだけれど、人生はその一日一日の中身如何だ。

ものを思いつつ暮す晴耕雨読の日々、今朝の雨はその思いを洗い流していった。

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2017年7月11日 (火)

初夏・命の躍動

朝、まるまる冷えたスイカに包丁を入れると、やはり鮮紅の彩が広がった。

年寄り夫婦では食べきれないと判断し、早速冷えた西瓜を近くに住む息子夫婦の所に届けた。

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どうも、その一分始終を見ていたのがカラスの夫婦のようで・・・(ヤロ〜メ)、

私が畑を見まわると、次に採ろうと思っていた西瓜に、しっかりと穴が明けられていた。

熟れたブドウへのスズメの襲来とも併せ、この時期は生けるもの全ての生命力が全開になる。

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山に行ってNさんに会うと、昨日は大きな蛇とイタチの格闘(死闘)に遭遇したという。

結局イタチは小さな体で蛇の頭をつぶし、ずるずると大きな蛇を引きずって茂みに入っていったそうな。

ひょっとするとイタチは営巣していて、子供達の食料を確保する大一番の勝負だったろうか。

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暑さの始まる初夏・・・なるほど季節は春夏秋冬を繰り返して巡るものだが、それぞれの季節には趣(季節の感覚)がある。

春は明らかな始まりだし、秋が深まれば私達は終末を感じるが、やはり夏は盛りだ。

植物の成長も春先の用心深さを脱して、勢いよく稔りの秋に向けて伸び始める。

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やがて訪れる冬枯れの季節など、おくびにも感じさせないのである。

その勢いよく伸びる植物を見ると私達の心も元気になるから、やはり同じ自然的生命として自分達をも同じ様に感じるんだね。

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そうだなぁ〜この季節は、人生の残りの時間と言うものをあんまり考えなくてよい季節だ。

私なぞはとかく「日暮れて道遠し、何をか為さん」と考えがちだが、この時期は心楽しい。

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毎朝、キュウリの成長力の凄さ(一日で倍にもなる)に感心するし、オクラだって負けちゃいない。

だけどあれだね、この夏だってやがて終わりに向かうんだろうなぁ〜。

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2017年7月10日 (月)

邂逅

朝一番に、一番成りのスイカを収穫した。

と言っても、果たして熟れたものかどうか分からないのだけど、ズッシリと重い果実を抱きしめた。(冷蔵庫に入れて明日の朝、ドキドキのカットをと思っている。)

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スイカのあの文様が好きで、何だか水を透かして過去が覗き込めるような奥深さがある。

実は毎年西瓜を栽るのだけれと、今年の様にゴロゴロとたわわに成るのは初めてで、

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どうやら春先に雨が少なかったのが幸いしているらしい。

ともあれあの西瓜の文様の奥底に、(どす黒い?)自分の過去が埋まっている様な気がするのだ。

実は今日は長年役員を務めてきた団体の最後の会があって、実に多くの方々との別れをしてきた。

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一期一会とは言うものの、そのほとんどが二度と会わない人なんだと思うと、殊の外別れ難く感じてしまう。

その内の一人から40年前の私との思い出を聞かされて、あぁ〜あの時の・・・と邂逅したのである。

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もっと早く言えば良かったのだと言いつつ、私もどこかでお会いしたような印象だけは持っていた。

勿論、組織の長として采配を振るっておられる方で、昔のことなど話す暇もなかったのだろう。

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いやさそれだけではなく、今夜は「実はね・・・」って話を沢山伺ったのである。

それは私も70年近くも生きてきたのだから、色々とあって不思議はないが、

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それでも始めて伺う話も幾つかあって、人と人のえにしの不思議を思ってしまった。

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人間は多くの場合に立場で生きていて、生身の自分をいつも晒している訳じゃない。

それが送別会と言う特別な時に、フッとその本当の姿を見せたりするのである。

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人間、裸になりぁ〜、みんな同じさぁ・・・・・、そして裸になれるのかどうかが人の器量さ。

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2017年7月 9日 (日)

人生という賭け

細君の母親がなくなって今日明日と葬儀なのだが、世代交代というか、一世代が去ったという過ぎ去りし時間を思っている。

あの頃(たびたび実家を訪れた)義父母はまだ現役で、毎度大変な歓待をしてもらったものだ。

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そう・・・お互いに十分若く、将来への未知の期待だって十二分に持っていた。

私達が人生を生きるのは、何がしか野漠然とした将来への期待がベースにあるからだろう。

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子や孫ができたり、社会的に何かを実現したり、美味いものを食べたいとか、

意図するか否かは別にして、喜怒哀楽を含め人は何かを目標にして生きているんだと思う。

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そうやって常日頃は、何事もなく平穏に過ぎ去って行くのである。

だけどどこかで、その平穏は打ち破られるのが常で、人の死もその一つに過ぎない。

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そうして私達誰もが、普段は忘れているのだが、その死に向かって歩いているのである。

かく言う健康そのものの私だって、いつ何があるのか分かったものじゃない。

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だからこそ、「今」を生きることに心掛けているのだが、それとて時に弛緩してしまう。

そうして、人生と言うのは予定通り行くべきものだと思い込んでいたりするのだ。

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何かある度に人生には何があるか分からないと思い直すのだが、思えば私達は毎日、

幾つも幾つもの選択をしながら生きていて、そういう意味じゃ右か左か賭けの連続だ。

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イエスかノーか、進むか止まるか、行くか行かないか、そういう意味じゃ人生ってなぁ賭けだね。

そして死ぬとは何なのか、それも死んでみなきゃ〜さぁ分からないんだ。

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さぁ〜て、人生の賭けに正解(勝利)なんてあるんだろうか?

みい〜んな、そいつを考えながら必死で生きているんだよね。

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2017年7月 8日 (土)

ビアマラ

この昼日中、暑い最中をと思うのだが、それを敢えて走ろうというのがビアマラだ。

午後一時、三十度はゆうに超えている浜松駅に集まって、5k程先の中田島海岸まで走り、

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帰ってきて、遠鉄デパート屋上のビアガーデンで楽しもうという試みである。

去りながら流石に暑く、持っていたペットボトルは直ぐに空になってしまった。

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中田島海岸は砂丘や凧あげ祭りで知られるが、今は例の防潮堤の建設の真っ最中である。

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東日本大震災以降、津波から地域を守ることが大きな課題になって、H13mの防潮堤の建設が進んでいるのだ。

砂丘の景観などと言う人もいるが、沿岸に住んでいる人にとってみれば喫緊の課題だ。

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その工事現場を越えて海岸に出ると、流石に涼しい風が吹いていて、

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ホッと何か懐かしい気もするが、海の恐ろしさも併せて感じざるを得ない。

人間も元を辿れば海から這い出してきたはずなのに、今じゃ海を恐れる様になっている。

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堤防はビルの四階ほどもあって、頼もしい堤なんだろうが、大自然の波動は巨大だ。

ともあれ、砂丘を500mほど往復しただけで、サハラ砂漠250kを考えてしまった。

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靴に砂場入り込むし、気温は40度を超えるだろうし、果たして命が持つのかどうか・・・?

水もコンビニも無いサハラ砂漠を15kの荷物を背負って、毎日50k進まねばならない。

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年齢的には既に限界点に達しているが、このチャンスを逃したら二度と挑戦出来ないだろう。

そんなことを考えながら、あまりの暑さにかき氷屋に飛び込むことになって一息。

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俄かに進路を変更して、天竜川河口の八扇の湯へ向かうことになった。

ここで鋭気を養い、シャトルバスで駅に戻って、ビアガーデンに乗り込んだのであった。

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夏の始め・・・大変な人出で、私達もついつい長いしてしまったのである。

走って汗をかいて、さして仲間との四方山話も、それはそれは生きているしるしよ。

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2017年7月 7日 (金)

疑似現実の世界

私達は毎日現実の世界で生きているが、TV(映像)や読書・想像などで頭の中は必ずしも現実とは言い切れない。

否むしろ、空想や願望、夢や思いなどで、かなりの時間を過ごしているのかも知れない。

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TVドラマやアニメなどが典型的で、真に迫っているし、場合によっては本当よりも本当らしく見えてしまう。

私なぞは空想好きで、若い頃を思い起こすと四六時中夢想していた様な気がする。

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それが社会人になると一転して現実派になって、あんまり夢を見なくなった。

フィクションの世界で遊ぶ余裕がなくなった訳で、歴史物を除いて本もあまり読まなくなった。

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幾つものテーマパークが登場したのはバブル期だと思うが、或はあれは疑似の世界を求めていたのかも知れない。

ディズニーが人気を集め続けているのも空想の世界だからで、人はやはり夢を見たいんだ。

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先日の江戸村は時代劇のイメージが相俟って、私達を江戸の昔に連れて行ってくれる。

この点、ワールドスクエアーはミニチュアの世界旅行だが、これは多分に想像力がいる。

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世の中には様々な名所旧跡や著名な建造物があるが、それを一気に俯瞰するんだから。

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建物の周りでうごめく車や人々を上空から眺める感じだが、うぅ〜ん、感心はしても余りにも現実的で想像力が働かないのではないか。

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それにしても、あの数あるミニチュアの中で、東京タワーにスカイツリー位しか行ったことが無いんだから、あそこで世界旅行しておくべきだったか?

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来年も日光に行くとしたら、そうだな、江戸村で半日は過ごそうかと思ったりしている。

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マラソンを口実にあちこちに足を延ばすのも、また楽しからずやで、併せて疑似的世界を味わうことが出来れば願ってもないだろう。

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2017年7月 6日 (木)

時代村に思う

今回のレースで日光江戸村を少しばかり覗いて、改めて元号の妙について思っている。

江戸時代(元禄や万延、安政・・)が終わって、まだ150年も経過しないのに、江戸は昔だ。

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そしてその江戸村は、少しも古びていなくって、その佇まいは均整がとれて懐かしく美しい。

可能ならば、温かな人情に包まれて江戸の街に住まいたいと思ったくらいである。

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江戸村は、さもあらんで、かなりの頻度で時代劇の撮影の場になっているらしい。

ところで、時代劇のほとんどが江戸時代であるように、江戸は明らかにミュージアムとして成り立つ。

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明治も明治村(愛知県)があって、一頃は文明開化と日本の近代化がテーマで賑わっていた。

そして大正村は先日訪れたばかりだが、岐阜県の明智市にあって、大正ロマンでの地域起こしに奮闘していた。

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昭和はまだ村こそないが(大江戸博物館の一部など?)、戦争・敗戦・荒廃からの復興・経済成長と実に大変な時代だった。

ただしかし、これをミュージアムにするのは、歴史問題もあって中々難しいのではないか。

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それで29年まで来た平成だが、どうやら次の元号が密かに検討されているらしい。

改元されると、私も昭和・平成・?の三世を期せずして生きることになるのだが、

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このバブル崩壊以降の平成を表現するのも難しく、多分ITの時代とされるのかと思う。

となると・・・・、とてものこと「平成村」の成立は有り得ないんじゃないか?

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ともあれ元号は不思議なもので、その時代を一掴みにすることが出来てしまう。

この点欧米人は〇○○○年と西暦を言う他ない訳で、数字には何のイメージも伴わない。

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やはり元号には、人の生きた時代を想起させる物語が伴うのである。

それにしても昭和から平成??まで、新生日本と共に生まれ、共に成長してここまで来たって感じかな。

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さて、次の時代は、如何なる時代なのか、とくと見てみたいが…・

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2017年7月 5日 (水)

見猿・聞か猿

情報公開や見える化などの時代だが、知ることが必ずしも幸福とは限らない。

特に人間関係が典型的で、立派な人だと見えた人も親しく付き合ううちに普通の人になってしまう。

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これが異性なら「夜目、遠目、笠の内」ってな諺通りで、とかく私達は未知のものに心惹かれる。

残念ながら、連れ添いに何の魅力も感じないのは、多分知り過ぎた故だろう。

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知りたくもない事を興味本位に書きたてるのが週刊誌(新潮)で、これで稼いでいる訳だ。

もっとも最近のコッカイは、ただのメモ書があったのどうのと、全く週刊誌に似て来ている。

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当事者意識の欠落した野党にすれば、高尚な政策論議が出来ないから、安易な週刊誌化でお茶を濁すんだろう。

ところで「見ざる・聞かざる・言わざる」は、江戸の昔から権力に対する対処法でもあった。

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触らぬ神に祟りなしってことだが、この由来が日光東照宮の厩舎に並ぶ猿の彫物だ。

厩舎の周りにぐるりと猿の彫物があって、実は人間の一生の場面を猿で表現している。

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その最初の彫刻が「見ざる聞かざる言わざる」で、彫刻の趣旨は子供の時代には素直に育てってことらしい。

以降順に右へ、恋に悩んだり、結婚したり、子供ができたりと彫刻は続いていく。

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それにしても、何故最初の彫刻だけが際立つことになったのかが、何だか日本人らしい。

おそらく世の中を風刺する誰かが言い始めたのだろうが、人生訓としても的をついている。

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陽明門にも無数の彫刻が掘られているが、儒学の影響が色濃くて面白くない。

猿や猫が突出することになったのは、掘師の思惑とは別に、やっぱり庶民感覚だろうか。

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その東照宮を訪れて、いつの時代も変わらぬ人々の人情を思っていた。

しかしながら、東京都議選に象徴される人情の移ろいも、あまりに軽いなぁ〜と思う。

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2017年7月 4日 (火)

心は晴れやか

日光いろは坂を走ってから2日経過したのに、足のむくみのみならず体全体に疲労感がある。

しかし人間は不思議なもので、体調とは反比例して心は極めて軽やかなのである。

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その理由は言うまでもなく、目標をやり遂げることが出來たのか如何である。

仕事でも同じことで、疲労困憊しながらでもやり遂げてしまえば、身も心も軽くなる。

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而して野辺山・高山と落胆の後だけに、今回の完走は私にとって何よりの僥倖となった。

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これで今年は3勝(宮古島・富士五湖・日光)2敗と、ようやく勝ち越しに転じたのである。

という訳でこの夏のトレーニング意欲は、いや増すばかりとなる筈である。

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それで明日から、トレーニングを始めようと思っている。

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今日一日は不自由な足運びのままに、遠征中に溜った仕事(ブドウや野菜)の整理である。

ブドウは三日間も目を離すと、徒長枝がどこまでも伸びていってしまう。

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それやこれやで汗を流し、それに今朝からデラウェアの収穫(出荷)を始めた。

これも数か月間の丹精の成果であって、やっぱり収穫できるってことは嬉しいなぁ〜。

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デラが終わるとベニバラード、サマーブラックと繋いで、ピオーネやスイホウになる。

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つまり収穫の先駆けって訳で、果実を手にする女房殿に祝ってもらいたいのだが、それは望むべくもない。

それで今夜は密かに缶ビールを買い求め、紅バラードをツマミに乾杯することにした。

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外は台風三号の雨風が強くなりつつあるが、葡萄の部屋は窓を閉め切って大丈夫だろう。

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この三日間、写真をアップ出来なかったが、その問題も解消し遡及して貼付した。

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やはり写真がないと、レースの模様も臨場感がないからね。

ともあれ日光も苦しいレースだったけど、中禅寺湖まで踏ん張れば後は何とかなる。

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今はもう、その苦しかったことすら忘れつつあるようだ。

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2017年7月 3日 (月)

日光ぐるり走

さて昨日はかなりの疲労もあって途中までになったこんな坂の、その後を書かねばならない。

杉並木、東照宮山内、いろは坂、中禅寺湖、更にいろは坂を駆け下るところまで書いたが、

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60k辺りまではかなり快調なペースで、12時間代のゴールを頭に浮かべていた。

やはりトレーニングの効果はあると自信満々だったのだが、70k辺りから苦しくなってきた。

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それでも歩かずに鬼怒川温泉に向かって、なだらかな坂道を登っていく。

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山から降りた後の後半のコースは、鬼怒川エリアに入って、先ずは日光江戸村、しかもそこには江戸の町衆と殿様一行が出迎えていた。

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後ろ髪を引かれる思いでその江戸村を覗き見て、更に遡って鬼怒川温泉街を一巡、大鬼階段を登って街を抜け、

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次のエイドは、何と例のミニチュアの国、ワールドスクエアで、突然異国に入り込んだ様なものである。

ここでもゆっくりする訳にはいかず、とにかく先を急いだのである。

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つまりこの日光の著名な観光スポットを巡って走るのが、今回の日光ウルトラ100kなんだ。

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名所を巡るコースは実に素晴らしいが、私の足は鬼怒川の街に入る辺りからブレーキがかかり始めていた。

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残りは今市に向かっての下り勾配の25kなのに、疲労と言うよりもとにかく歩きたい誘惑だ。

一昔前なら、このなだらかな下りを軽快に飛ばしたものをと思いつつ・・・9分/kがやっとである。

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となると、1kの距離がとてつもなく遠く感じるようになって、時間ばかり消費していく。

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何時の間にか12時間代は夢の彼方に霧消して、頭の中は完走のための時間ばかり考えるようになった。

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平らな所は歩き、下りを小走りして、何とか時間オーバーを回避しようと必死であった。

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それでもやがて残り5kの地点に達し、全て歩いても間に合う射程内に入った。

それも苦しい歩きだったが、私の名を呼ぶゴールのアナウンスが聞こえ、ゴールをくぐった。

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13時間42分の私の戦いは終わったのである。

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2017年7月 2日 (日)

何だ坂こんな坂、いろは坂

100kのレースは何があるか分からないのだが、今回もハプニングの多い大会になった。

午前三時シャトルバスで出発したのたが、隣の席には米国人のRさんが座っていて四方山話。

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会場に着いて荷物預け会場に入ろうとすると、目の覚める様な美人が目を丸くして私を注目している。

「誰だろう。こんな美人は知らないし・・」と思っていると、≪なんで、こんなとこにいるのよ!!≫という。

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その声は紛れもなくA秋元女子の声で、思えばこの日光はAさんの地元だったのである。

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それで室内トイレでは無理と判断して、屋外の仮設トイレに行って長蛇の列に並んだ。

20分程で私の順番になって、無事所要を済ませて安堵し、スタートラインに並んだのである。

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しかし何か忘れている様な気がして、アッと声を上げてしまった。

会場に預けるべき荷物をトイレに忘れてきたのであった。

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列を離れて慌てて戻っても依然として長蛇の列だし、訳を話してトイレを覗かせてもらう。

しかし私の荷物は見つからず、そうこうしているうちにスタート時間が来てしまった。

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止む無く荷物の行方を気にしつつ、しらじらと明け始めた夜の道を走り出したのである。

今市から日光街道を西に向かうと、直ぐに杉並木の街道に入った。

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そう、「日光は杉並木」であって、しかも巨木が立ち並びうっそうと暗い古色蒼然の道だ。

並木が切れると次は東照宮の森で、急な階段を登って昨日まわった各寺社を巡って行く。

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これが過ぎるといよいよ例のいろは坂である。

今回のレースではこのいろは坂の攻略がキーだが、先ずは「い」「ろ」・・と登っていくのだが、

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トレーニングの成果なのか、この登りを歩くことなく順調に登っていく。

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ところが坂はいろはで終わるのではなく、にほへとちり・・・・と続くのである。

・・ともかく、二十数か所の坂を登り詰めると、そこは標高1300mの中禅寺湖だった。

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課題は33kの関門だったが、制限時間の30分前に通過し、いろは坂の下りを経て、

順調な走りが続き、50k地点では55分の貯金がうまれていた。・・・・・続きは明日。

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2017年7月 1日 (土)

日光に来て

日光には、(東照宮だけだが)確か一度訪れたことがある。

だが、こんなにゆっくりと日光山内(東照宮、輪王寺、二荒山神社、輪王寺大獣院)を見て回るのは初めてである。

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日光を創始したのは1251年前の勝道上人とされているが、今日の原形を造ったのは怪僧・天海大僧正である。

後々、秀忠・家光と引き継がれ、家康の威光を示す一大霊地となったのである。

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天海僧正見立ては、江戸の鬼門に守護神(京の叡山に相当)を創ると言うことだったろう。

ともあれ遠州から見ると日光も鬼門の位置にあって、それに如何にも遠離の地である。

めったに来ることは無かろうと思っていたが、ウルトラマラソンが開催されることになった。

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それも日光街道の延々と続く上り坂を駆け抜けるのだから、これは挑戦せざるを得ないだろう。

それに29k地点までの登りをクリアーすれば、後はなだらかな下りが続くコースである。

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日光街道の並木も一度味わいたいし、私にも(完走)出来るかも知れないという思いだ。

それはさておき、大規模改修を終えた東照宮は流石に絢爛として、どこか落ち着きがない。

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家康も死して神とならんことを(秀吉同様に)望んだのだろう。

それにしても神の国とは、かくも原色と彫刻の国なのかどうかは別にして、人間の想像力とはこれが限界なのだろう。

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家康の神とは、とりもなおさず権力の守護神としての神であって、

それを証拠に五重塔や南蛮灯篭など、諸大名の追従と思われる寄進が数多い。

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ともあれ、100万石以上の大名が参拝したとされる場所(本殿)に座って御祓いを受け、

明日のいろは坂越えと100k完走を祈願したのだが、果たして御利益のほどは如何。

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