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2017年7月20日 (木)

この期に及んで

このところ、スマホから引っ切り無しにボーンと音が鳴るようになった。

何人かとラインで繋がって、そのお互いのやり取りがその音なのである。

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と言って、自分では書き込むこともなく・・と言うより扱い方を十分知らない。

それはともかく、世の中は大変な情報化時代らしく、瞬時に知りたくない事まで知ってしまう。

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それはその・・世の中の隅々までの事件・事故、誰かが何か言ったの言わないのと喧しい。

私は新聞は読むが、TVはニュース以外ほとんど(観るよう努めるのだが)観ない。

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ネットもブログと乗換案内、それに辞書代わり程度の使い方しかしていない。

週刊誌なんぞ、この二十年かた触ったこともない(そもそも字が小さくて、何が書いてあるのやら分からんし)。

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情報が一杯あると暇つぶしはともかく、それで必ずしも人々が幸せになる訳じゃない。

それでも、さもない情報に人々は群がるんだよなぁ〜(誰が、離婚だのと)。

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ともあれ情報は必要なだけあれば十分で、それに情報を活用してこそなんぼだろう。

そもそも余分なことに関心を向けてりゃ、肝心なことを忘れっちまう。

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そういう観点からすれば、今のTVなんて無用の長物だね。

関心の向いた本を読み、走りに行って友と語らい、この四季の移ろいの匂いを嗅ぎ、

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作物を育て・・・・、それにもっと肝心なことは、自らの生の成熟を感得することだなぁ〜。

それに親しい人との和気藹々の茶飲み話でもできりゃいい。

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世の喧騒に敢えて同調せず・・、これって知命・耳順・矩を超えずにつながるかも知れない。

そうさなぁ、人は自分の望むようにしか生きられないのも、これはこれで真実なのである。

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これが古希まぢかな男のモノローグさ!!・・・・・それにしてもこの時代、情報過多だね。

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2017年7月19日 (水)

あぁ、平和国家よ

この国は、武力は決して使用しないという世界に例のない憲法を持ち、かつ遵守している国だ。

勿論、これは70数年前の狂気を封じる為に、敗戦後に占領国が求めた規範でもある。Dscn1973

確かに恒久平和は理想だが、人間が国を作っている以上、その現実は甘いものでは無い。

しかしこの国に住む人々の多くは、恒久平和が現実にあり得ると思って生きてきている。

幸いにもこの60年余、現実の戦争に巻き込まれることなく過ごせたのは、平和憲法のお蔭だと信じているからだ。Dscn1979

すぐ隣にかつての大日本帝国に良く似た狂気の国が存在し、ICBMや核をちらつかせている。

それだって「なぁ〜に、滅多なことが出来る筈がない」と、何処かで楽観を決め込んでいる。

いわゆる「平和ボケ」に過ぎないのだが、イザとなればアメリカが守ってくれると信じてるようだ。Dscn1990

かつてABCD包囲網を打破すべく、負けると分かった戦争に突っ込んだ経験のある国だ。

だが、追い詰められると何をするのか分からないのが狂気だと、既に忘れているようだ。

それに人間(国家)の歴史は、その昔から戦争の技術を開発する歴史でもあって、

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作ったものは、広島・長崎への原爆投下のように、必ず使われてきた。

かの国は果たして、国民の生活を犠牲にして、使わない為のミサイルや核開発に邁進しているのだろうか?

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私達は、常軌を逸した暴挙だと非難はしているが、これはたった70数年前に辿った道ではないのか。

かの狂気の国から、核を搭載したミサイルが飛んで来ないという保証は無いのである。

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仮にそうなったら、これは観念して死を待つ他あるまい。

そして私達は、平和憲法の理念と共に滅びて行くのだろうか。

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2017年7月18日 (火)

養気養体

ここ数日来の暑さは、正に是、痛快なる暑さ(机上の温度計33.4度)ではなかろうか!!

こんな時にこそ「養気養体」とばかりに、今日も山を走って汗をたっぷりかいてきたところだ。

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山に向かう際には、500ccのペットボトルにデキストリンを溶かし、蜂蜜で味をつけて持っていく。

そのペットボトル一本が3時間近い山中行動の唯一の栄養で、一区切り毎のご褒美に一口含む。

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その一口が得も言われぬ美味しさで、それで次の区切り(2km)まで頑張ってしまうのである。

ともあれ暑い時には、動行(行動)して以て体を養うに限るのではないか。

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この点儒学者の佐藤一斎先生は「人は則ち地気の精鋭なり。吾れ静座して以て気を養い、

動行して以て体を養い、気体相資し、以てこの生を養わんと欲す。(言志晩録)」と言う。

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けだし名言であって、暑い暑いと冷房なぞに依存していたのでは気が萎えるばかりである。

因みに我が家では、冷房器具の使用は一切(うちわと扇風機を除き)ご法度である。

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ところでこの暑さは、稲や夏の青果をも養うものであって、サツマイモも勢いよく蔓を伸ばしている。

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稲はそろそろ花(鈴花)を付けようかという頃合いで、今頃の彼らの姿にも元気をもらう。

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春先から実を成らせ続けてきたキュウリは、そろそろ選手交代の時期で、

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新たな畝に苗を植え、そして立派な柵を完成させた(これも汗の賜物)ところだ。

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水さえ補給すれば、「地これを養う」のであって、彼らはグイグイと成長していく。

その植物たちの恵みに支えられて私達は生きている訳だが、その根本は自然の命だ。

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自分の日々の暮らしは、「地に従いて生きる」そのものだと思っている。

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2017年7月17日 (月)

若さと元気

最近気になっていることは、走ってもスピードが出ないことで、それは年齢の故だとばかり思っていた。

昨日のマラニックでもかなり歩いてしまったし、それは失われつつある若さだと半ば諦めていた。

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生きている限り人は老いる訳で、この若さを失いつつあることへの不安と焦燥は、私にとっての永遠のテーマとすら思っていた。

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それで昨日の懇親会で、広島から来られたHさんが84歳(見たところ75歳)だと知った。

そしてそのHさんは、私よりもはるかに速くゴールしていたのである。

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と言うことは、走るスピードは必ずしも年齢に制約されないってことで、それに広島から遥々浜名湖まで走りに来ること自体が元気の印だ。

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懇親会を終えて、弁天島から新居駅に向かう2kmばかりを、皆と一緒に四方山話をしながら歩いた。

その中である方が「走るって、ただ体を前に倒して、尚且つ転ばないように足を運びゃ良い」

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と金哲彦氏の言葉を引用しながら語っていた。

実は私はここ最近、前屈みになることを恐れて胸を張ることに専念してきていた。

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結果的にギコチない走りになって、足首を使うことで辛うじて走っていたのに気付いた。

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思いは「ひょっとして・・」だったが、今日は早速それを山で試してみたのである。

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なんと・・・・これまで15kを3時間も要していたのに、それが30分近く速くなったのである。

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何のことは無い、アンチエイジを工夫していた筈が、そもそも基本から逸脱していたのである。

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老いていくことは絶対の事実だが、これに無駄な抵抗などしなくても自然体で十分なんだ。

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而してそのことに気付いたというか、新たな発見をした貴重な一日になったのである。

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2017年7月16日 (日)

汗腺全開

今日は、恒例の浜名湖半周サマーランである。

スペインから帰国したばかりの萩さんも加わって、40数名が汗を流した。

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そう、このマラニックは汗をかくための大会と言っても過言では無く、35度近い炎天下を28k程走るのである。

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8:15何時もの弁天島海水浴場をはますたーとし、左回りに湖岸をたどり、舘山寺港へ。

ここで対岸(湖西)に渡る船を待って、午後は瀬戸から弁天島までを走るのである。

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と言っても何時もと違って、今回は暑さ故にかなりの距離を歩くことになってしまった。

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飲んでも飲んでも汗が吹き出て、気持ちが萎えてしまうのである。

それでも今回は、私設エイドを三ケ所も設営して下さっていて、これに随分と助けられた。

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午後3時、弁天島の民宿に到着し、直ぐに海に入って体を冷やし、入浴の後は恒例の懇親会である。

而して暑さの中での一日は終わったのだが、それにしてもこの連中は「良くやるよ」と思う。

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高温注意報の最中、日影とて少ないく熱くなった舗装道路を延々と辿るのである。

そうだなぁ〜、一人ではとても出来ないことを、仲間と一緒ならやってしまうのである。

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折々に隣り合った仲間とあれこれ話しながら進むうちに、5k程度は忽ちにして経過する。

そうして、今日決められた道筋を全て完走(歩)することで、自分自身の栄養とするのだ。

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それとあれかな・・・この大会に来れば仲間に会えるってことも大きな要素だ。

それぞれの近況を語り合い、「よし俺も」ってな具合に元気をもらう。

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それに今日は、自転車で私たちを追いかけて私達をサポートして下さった女性2名もいた。

彼女達も、自分が走れ無い分、別の形で参加しているのである。

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という訳で、今年もこの大会を機に、ランナー達の本格的な夏が始まった。

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2017年7月15日 (土)

山を走る男達

いつもの(小笠)山を走る様になって、もう四半世紀が経過する。

ウバメガシに覆われた昼なお暗いけもの道だから、最初のうちは一人じゃ怖かった。

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それが慣れ親しむうちに、何時しか蛇もガマカエルもコジュケイも山の自然になった。

この山を走って25年にもなるんだから、知り合った人々も色々で、走る動機だって様々だ。

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それで昔からずう〜っと走っている人は5人位だろうか・・・ともかく人は入れ替わっている。

理由は転勤とか体調不良、人間関係、老化・・・などと様々だが、それは正に人生模様でもある。

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梅雨が終わったかのような暑い今日も、山では10人の汗をかいて走る男達と出会った。

それぞれの生活(仕事)も家庭環境も異なるし、日頃考えていることだって同じじゃない。

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ただ裸の付き合いというか、気心はみんな通じ合っている。

それに、険しい山道を走り続けていると言う共通項(変人)の故に、一種の連帯感もある。

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実は私はこの山で、一人で黙々と走りながら、いつも「自分」を感じてきた。

よく下世話に「自分探し」なんて言われるけど、あんなもん探したって見つかるもんじゃない。

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だって自分はここにいる自分でしかなくって、本当は「今、感じている自分が自分」なんです。

だけど世間一般に、自分を感じるなんて事は(常日頃)普通じゃすることはない。

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自分を考えずに付和雷同で生きているって言ったら、これは多分言い過ぎだろうが、でもそう言う面が多分にあると思う。

それで政治が悪い、あいつがこんなことするから、女房のやつが・・などと愚痴っている。

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それも人生だけど、人間ってのは本来「自立」していないと面白くないよね。

だから私はどんなに苦しくても自立しようと生きてきたし、それにゃ自分と会話しなきゃね。

山を黙々と3時間、それを毎日走るってことは、実はそういうことなんだ。

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勿論走る理由は健康管理や心身のリフレッシュなどと色々だが、芯の所にそれがある。

75歳になるNさんの顔を眺めると、「いい顔になったなぁ〜」とつくづくと思う。

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2017年7月14日 (金)

親子の縁

今朝、出勤前の息子が「親父、孫娘の家庭教師をやれよ。ついでに進学塾をやったら・・」と言う。

毎日が悠々自適の父親を、どうやら所在に困っていると見ている様子なのだ。

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特段口もきいたことのない息子だが、少しは年老いた(まだ若すぎる)父親を気にかけているらしい。

・・・・と思いつつ、甘い甘いと反芻する自分がそこにはいた。

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女房の父母は既に他界し、実父も11年前に旅立って、93歳の実母だけが健在である。

その母親は、自分を産み育て、更に多くの薫陶を与えてくれたし、今も息子の為にと汗を流している。

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時に言い争いもするが、とてものこと疎かには出来ない存在である。

実は、今は亡き父親との関係を、我が子と相比べて少しばかり思っている。

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父親は一言で言うと、青年期に両親を亡くし、出征したりもして、まぁ〜「必死」で生き抜いた人だ。

晩年には幾分余裕ができて、議員やら連合会長・老人会長などを務めたが、その子供には取り立てての影響を与えていない。

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彼を看取ったのは私一人で、混濁状態の中で確かに「ありがとう」と言って死んでいった。

元気な頃の父親は、私にとっては何かとうっとおしい存在だったし、対抗心の方が先だっていた。

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親子それも父親には、子供は中々素直になれないんじゃないかなぁ〜。

だけど親からすれば、息子はあくまでも自分の製造した、まごうことない自分の所有だと思っている。

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自分がセックスしただけで、それで製造なんてチャンチャラおかしいが、親はそう思っている。

だけど、ある男女の精子と卵子が偶然結合して生まれたのがオレで、親だって一期一会だ。

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人はある母となる人の腹に宿り、親子となって数10年の縁を結ぶ訳だ。

その若さを自任している私にも孫が4人いて、今更父親の背中の有難さを思っている。

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2017年7月13日 (木)

考えてみたら・・・

私自身、自分はそれなりに考える力(頭)を持っていると思って生きてきた。

確かにこのブログでも「・・・と考えている。」などと書いていたが、しかしながら、本当に考えていたんだろうかと思案している。

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と言うか、そもそも考えるとはどういうことなのか、「思う」と何が違うのか、或は「知る」とは?

それに考え方なんて教えられた記憶も無いから、それぞれが我流でその型を創ってるんだろう。

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悩んだり困ったりした記憶はあるが、本気で考えたことがあるのかどうか?・・むしろ、考えるよりも感じてきたのではないか。

「70年も生きてきて、今更何を」と言われるだろうが、あんまりものを考えてこなかったんじゃないか。

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あの16年も学んだことになっている学校は、考えることを教える機関だとばかり思っていた。

だけど学校で教えられたのは、記憶をすることとそれを再生することで、その能力の高い奴が優秀とされてきた。

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私もそのコツを少しばかり得て幾分成績は良かったけど、私よりも優秀だったはずの人間は無数にいたはずなのだが、彼らが大成したという話をついぞ聞いたことが無い。

つまり、記憶と再生の能力なんて知れたもので、生きる力にはあんまり役立たないってことだ。

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その証拠にこの二十年来のITの進化で、人間はとてものこと記憶と再生では機械に勝てない。

おまけに学習機能を備えたAI(人工知能)の登場で、「考えるとは何か」が根底から揺らいでいる。

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私が自負してきた考える力なんぞ、スマホ一台ですべて事足りてしまう。

私が学校で習ったことなんて、悉くこのちっぽけな機械が応えてくれるのである。

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してみれば、今時の学校で教えることは、本来の「考え方」であるべきなのだが、そのツールは未だ開発されてはいない。

辛うじてアクティブラーニングが注目されているが、これも試行錯誤だ。

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人間は機械の具備できない創造性を競うべきだと思うのだが、「考えれば、考える程」人間の能力ってものが分からなくなってきた。

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2017年7月12日 (水)

晴耕雨読

今朝はピーマンを収穫していると、北九州の豪雨もかくやと思われるような雨が降り出した。

前庭がたちまち川の様になって、排水溝からも水が溢れ出した。

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ブドウやオクラ・キュウリの収穫は終えていたから、これも程良き雨だと黒雲を眺めていた。

ところで私もようやく農耕民族の末裔らしくなって、陽に従い、自然に従い、この瑞穂の国の四季を正しく暮らし始めている。

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つまり取り立てての予定などありはしないから、今日は種を播き、明日は畝を立て、水をまき、雑草を取り、やがての収穫を待つのである。

その日にするべき(出来る)ことをその日にキチッとやって、残りの時間をランに当てる。

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そう言う地道な毎日の繰り返しが、それはもうこれからずっと続くのです。

言うならば、待ちに待った晴耕雨読の毎日なのであります。

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カレンダーも手帳もさして必要が無く、私に存在しているのは「今」、もしくは「今日」だけだ。

そうやって毎日が繰り返されて、一年また一年が過ぎて行くのだろうと思う。

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先日の葬儀で20年ぶりにお会いしたKさん(88歳)が、今も2haの水稲を一人で栽培していると言っていた。

昔と違って機械力があるとは言え、一人暮らしのKさんにとって農業は大変だが生甲斐でもある。

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多くを読み、かつ書を嗜むKさんは、長紙に般若心経と菩薩を墨書して持参してくださった。

この時代、人々は農耕を離れ、多くが組織の一員として生涯を送っているのだけれど、

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そもそも人は、何をして生き、何を生甲斐として続け、そして死すべきなのか。

私も、来年こそはもっと良いブドウをなどと思いつつ、正しく巡ってくる季節の循環の中に生きている。

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そう・・・もう25,500日も生きてきたのだけれど、人生はその一日一日の中身如何だ。

ものを思いつつ暮す晴耕雨読の日々、今朝の雨はその思いを洗い流していった。

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2017年7月11日 (火)

初夏・命の躍動

朝、まるまる冷えたスイカに包丁を入れると、やはり鮮紅の彩が広がった。

年寄り夫婦では食べきれないと判断し、早速冷えた西瓜を近くに住む息子夫婦の所に届けた。

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どうも、その一分始終を見ていたのがカラスの夫婦のようで・・・(ヤロ〜メ)、

私が畑を見まわると、次に採ろうと思っていた西瓜に、しっかりと穴が明けられていた。

熟れたブドウへのスズメの襲来とも併せ、この時期は生けるもの全ての生命力が全開になる。

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山に行ってNさんに会うと、昨日は大きな蛇とイタチの格闘(死闘)に遭遇したという。

結局イタチは小さな体で蛇の頭をつぶし、ずるずると大きな蛇を引きずって茂みに入っていったそうな。

ひょっとするとイタチは営巣していて、子供達の食料を確保する大一番の勝負だったろうか。

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暑さの始まる初夏・・・なるほど季節は春夏秋冬を繰り返して巡るものだが、それぞれの季節には趣(季節の感覚)がある。

春は明らかな始まりだし、秋が深まれば私達は終末を感じるが、やはり夏は盛りだ。

植物の成長も春先の用心深さを脱して、勢いよく稔りの秋に向けて伸び始める。

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やがて訪れる冬枯れの季節など、おくびにも感じさせないのである。

その勢いよく伸びる植物を見ると私達の心も元気になるから、やはり同じ自然的生命として自分達をも同じ様に感じるんだね。

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そうだなぁ〜この季節は、人生の残りの時間と言うものをあんまり考えなくてよい季節だ。

私なぞはとかく「日暮れて道遠し、何をか為さん」と考えがちだが、この時期は心楽しい。

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毎朝、キュウリの成長力の凄さ(一日で倍にもなる)に感心するし、オクラだって負けちゃいない。

だけどあれだね、この夏だってやがて終わりに向かうんだろうなぁ〜。

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2017年7月10日 (月)

邂逅

朝一番に、一番成りのスイカを収穫した。

と言っても、果たして熟れたものかどうか分からないのだけど、ズッシリと重い果実を抱きしめた。(冷蔵庫に入れて明日の朝、ドキドキのカットをと思っている。)

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スイカのあの文様が好きで、何だか水を透かして過去が覗き込めるような奥深さがある。

実は毎年西瓜を栽るのだけれと、今年の様にゴロゴロとたわわに成るのは初めてで、

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どうやら春先に雨が少なかったのが幸いしているらしい。

ともあれあの西瓜の文様の奥底に、(どす黒い?)自分の過去が埋まっている様な気がするのだ。

実は今日は長年役員を務めてきた団体の最後の会があって、実に多くの方々との別れをしてきた。

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一期一会とは言うものの、そのほとんどが二度と会わない人なんだと思うと、殊の外別れ難く感じてしまう。

その内の一人から40年前の私との思い出を聞かされて、あぁ〜あの時の・・・と邂逅したのである。

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もっと早く言えば良かったのだと言いつつ、私もどこかでお会いしたような印象だけは持っていた。

勿論、組織の長として采配を振るっておられる方で、昔のことなど話す暇もなかったのだろう。

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いやさそれだけではなく、今夜は「実はね・・・」って話を沢山伺ったのである。

それは私も70年近くも生きてきたのだから、色々とあって不思議はないが、

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それでも始めて伺う話も幾つかあって、人と人のえにしの不思議を思ってしまった。

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人間は多くの場合に立場で生きていて、生身の自分をいつも晒している訳じゃない。

それが送別会と言う特別な時に、フッとその本当の姿を見せたりするのである。

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人間、裸になりぁ〜、みんな同じさぁ・・・・・、そして裸になれるのかどうかが人の器量さ。

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2017年7月 9日 (日)

人生という賭け

細君の母親がなくなって今日明日と葬儀なのだが、世代交代というか、一世代が去ったという過ぎ去りし時間を思っている。

あの頃(たびたび実家を訪れた)義父母はまだ現役で、毎度大変な歓待をしてもらったものだ。

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そう・・・お互いに十分若く、将来への未知の期待だって十二分に持っていた。

私達が人生を生きるのは、何がしか野漠然とした将来への期待がベースにあるからだろう。

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子や孫ができたり、社会的に何かを実現したり、美味いものを食べたいとか、

意図するか否かは別にして、喜怒哀楽を含め人は何かを目標にして生きているんだと思う。

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そうやって常日頃は、何事もなく平穏に過ぎ去って行くのである。

だけどどこかで、その平穏は打ち破られるのが常で、人の死もその一つに過ぎない。

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そうして私達誰もが、普段は忘れているのだが、その死に向かって歩いているのである。

かく言う健康そのものの私だって、いつ何があるのか分かったものじゃない。

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だからこそ、「今」を生きることに心掛けているのだが、それとて時に弛緩してしまう。

そうして、人生と言うのは予定通り行くべきものだと思い込んでいたりするのだ。

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何かある度に人生には何があるか分からないと思い直すのだが、思えば私達は毎日、

幾つも幾つもの選択をしながら生きていて、そういう意味じゃ右か左か賭けの連続だ。

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イエスかノーか、進むか止まるか、行くか行かないか、そういう意味じゃ人生ってなぁ賭けだね。

そして死ぬとは何なのか、それも死んでみなきゃ〜さぁ分からないんだ。

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さぁ〜て、人生の賭けに正解(勝利)なんてあるんだろうか?

みい〜んな、そいつを考えながら必死で生きているんだよね。

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2017年7月 8日 (土)

ビアマラ

この昼日中、暑い最中をと思うのだが、それを敢えて走ろうというのがビアマラだ。

午後一時、三十度はゆうに超えている浜松駅に集まって、5k程先の中田島海岸まで走り、

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帰ってきて、遠鉄デパート屋上のビアガーデンで楽しもうという試みである。

去りながら流石に暑く、持っていたペットボトルは直ぐに空になってしまった。

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中田島海岸は砂丘や凧あげ祭りで知られるが、今は例の防潮堤の建設の真っ最中である。

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東日本大震災以降、津波から地域を守ることが大きな課題になって、H13mの防潮堤の建設が進んでいるのだ。

砂丘の景観などと言う人もいるが、沿岸に住んでいる人にとってみれば喫緊の課題だ。

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その工事現場を越えて海岸に出ると、流石に涼しい風が吹いていて、

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ホッと何か懐かしい気もするが、海の恐ろしさも併せて感じざるを得ない。

人間も元を辿れば海から這い出してきたはずなのに、今じゃ海を恐れる様になっている。

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堤防はビルの四階ほどもあって、頼もしい堤なんだろうが、大自然の波動は巨大だ。

ともあれ、砂丘を500mほど往復しただけで、サハラ砂漠250kを考えてしまった。

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靴に砂場入り込むし、気温は40度を超えるだろうし、果たして命が持つのかどうか・・・?

水もコンビニも無いサハラ砂漠を15kの荷物を背負って、毎日50k進まねばならない。

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年齢的には既に限界点に達しているが、このチャンスを逃したら二度と挑戦出来ないだろう。

そんなことを考えながら、あまりの暑さにかき氷屋に飛び込むことになって一息。

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俄かに進路を変更して、天竜川河口の八扇の湯へ向かうことになった。

ここで鋭気を養い、シャトルバスで駅に戻って、ビアガーデンに乗り込んだのであった。

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夏の始め・・・大変な人出で、私達もついつい長いしてしまったのである。

走って汗をかいて、さして仲間との四方山話も、それはそれは生きているしるしよ。

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2017年7月 7日 (金)

疑似現実の世界

私達は毎日現実の世界で生きているが、TV(映像)や読書・想像などで頭の中は必ずしも現実とは言い切れない。

否むしろ、空想や願望、夢や思いなどで、かなりの時間を過ごしているのかも知れない。

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TVドラマやアニメなどが典型的で、真に迫っているし、場合によっては本当よりも本当らしく見えてしまう。

私なぞは空想好きで、若い頃を思い起こすと四六時中夢想していた様な気がする。

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それが社会人になると一転して現実派になって、あんまり夢を見なくなった。

フィクションの世界で遊ぶ余裕がなくなった訳で、歴史物を除いて本もあまり読まなくなった。

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幾つものテーマパークが登場したのはバブル期だと思うが、或はあれは疑似の世界を求めていたのかも知れない。

ディズニーが人気を集め続けているのも空想の世界だからで、人はやはり夢を見たいんだ。

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先日の江戸村は時代劇のイメージが相俟って、私達を江戸の昔に連れて行ってくれる。

この点、ワールドスクエアーはミニチュアの世界旅行だが、これは多分に想像力がいる。

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世の中には様々な名所旧跡や著名な建造物があるが、それを一気に俯瞰するんだから。

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建物の周りでうごめく車や人々を上空から眺める感じだが、うぅ〜ん、感心はしても余りにも現実的で想像力が働かないのではないか。

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それにしても、あの数あるミニチュアの中で、東京タワーにスカイツリー位しか行ったことが無いんだから、あそこで世界旅行しておくべきだったか?

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来年も日光に行くとしたら、そうだな、江戸村で半日は過ごそうかと思ったりしている。

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マラソンを口実にあちこちに足を延ばすのも、また楽しからずやで、併せて疑似的世界を味わうことが出来れば願ってもないだろう。

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2017年7月 6日 (木)

時代村に思う

今回のレースで日光江戸村を少しばかり覗いて、改めて元号の妙について思っている。

江戸時代(元禄や万延、安政・・)が終わって、まだ150年も経過しないのに、江戸は昔だ。

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そしてその江戸村は、少しも古びていなくって、その佇まいは均整がとれて懐かしく美しい。

可能ならば、温かな人情に包まれて江戸の街に住まいたいと思ったくらいである。

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江戸村は、さもあらんで、かなりの頻度で時代劇の撮影の場になっているらしい。

ところで、時代劇のほとんどが江戸時代であるように、江戸は明らかにミュージアムとして成り立つ。

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明治も明治村(愛知県)があって、一頃は文明開化と日本の近代化がテーマで賑わっていた。

そして大正村は先日訪れたばかりだが、岐阜県の明智市にあって、大正ロマンでの地域起こしに奮闘していた。

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昭和はまだ村こそないが(大江戸博物館の一部など?)、戦争・敗戦・荒廃からの復興・経済成長と実に大変な時代だった。

ただしかし、これをミュージアムにするのは、歴史問題もあって中々難しいのではないか。

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それで29年まで来た平成だが、どうやら次の元号が密かに検討されているらしい。

改元されると、私も昭和・平成・?の三世を期せずして生きることになるのだが、

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このバブル崩壊以降の平成を表現するのも難しく、多分ITの時代とされるのかと思う。

となると・・・・、とてものこと「平成村」の成立は有り得ないんじゃないか?

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ともあれ元号は不思議なもので、その時代を一掴みにすることが出来てしまう。

この点欧米人は〇○○○年と西暦を言う他ない訳で、数字には何のイメージも伴わない。

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やはり元号には、人の生きた時代を想起させる物語が伴うのである。

それにしても昭和から平成??まで、新生日本と共に生まれ、共に成長してここまで来たって感じかな。

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さて、次の時代は、如何なる時代なのか、とくと見てみたいが…・

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2017年7月 5日 (水)

見猿・聞か猿

情報公開や見える化などの時代だが、知ることが必ずしも幸福とは限らない。

特に人間関係が典型的で、立派な人だと見えた人も親しく付き合ううちに普通の人になってしまう。

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これが異性なら「夜目、遠目、笠の内」ってな諺通りで、とかく私達は未知のものに心惹かれる。

残念ながら、連れ添いに何の魅力も感じないのは、多分知り過ぎた故だろう。

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知りたくもない事を興味本位に書きたてるのが週刊誌(新潮)で、これで稼いでいる訳だ。

もっとも最近のコッカイは、ただのメモ書があったのどうのと、全く週刊誌に似て来ている。

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当事者意識の欠落した野党にすれば、高尚な政策論議が出来ないから、安易な週刊誌化でお茶を濁すんだろう。

ところで「見ざる・聞かざる・言わざる」は、江戸の昔から権力に対する対処法でもあった。

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触らぬ神に祟りなしってことだが、この由来が日光東照宮の厩舎に並ぶ猿の彫物だ。

厩舎の周りにぐるりと猿の彫物があって、実は人間の一生の場面を猿で表現している。

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その最初の彫刻が「見ざる聞かざる言わざる」で、彫刻の趣旨は子供の時代には素直に育てってことらしい。

以降順に右へ、恋に悩んだり、結婚したり、子供ができたりと彫刻は続いていく。

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それにしても、何故最初の彫刻だけが際立つことになったのかが、何だか日本人らしい。

おそらく世の中を風刺する誰かが言い始めたのだろうが、人生訓としても的をついている。

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陽明門にも無数の彫刻が掘られているが、儒学の影響が色濃くて面白くない。

猿や猫が突出することになったのは、掘師の思惑とは別に、やっぱり庶民感覚だろうか。

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その東照宮を訪れて、いつの時代も変わらぬ人々の人情を思っていた。

しかしながら、東京都議選に象徴される人情の移ろいも、あまりに軽いなぁ〜と思う。

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2017年7月 4日 (火)

心は晴れやか

日光いろは坂を走ってから2日経過したのに、足のむくみのみならず体全体に疲労感がある。

しかし人間は不思議なもので、体調とは反比例して心は極めて軽やかなのである。

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その理由は言うまでもなく、目標をやり遂げることが出來たのか如何である。

仕事でも同じことで、疲労困憊しながらでもやり遂げてしまえば、身も心も軽くなる。

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而して野辺山・高山と落胆の後だけに、今回の完走は私にとって何よりの僥倖となった。

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これで今年は3勝(宮古島・富士五湖・日光)2敗と、ようやく勝ち越しに転じたのである。

という訳でこの夏のトレーニング意欲は、いや増すばかりとなる筈である。

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それで明日から、トレーニングを始めようと思っている。

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今日一日は不自由な足運びのままに、遠征中に溜った仕事(ブドウや野菜)の整理である。

ブドウは三日間も目を離すと、徒長枝がどこまでも伸びていってしまう。

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それやこれやで汗を流し、それに今朝からデラウェアの収穫(出荷)を始めた。

これも数か月間の丹精の成果であって、やっぱり収穫できるってことは嬉しいなぁ〜。

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デラが終わるとベニバラード、サマーブラックと繋いで、ピオーネやスイホウになる。

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つまり収穫の先駆けって訳で、果実を手にする女房殿に祝ってもらいたいのだが、それは望むべくもない。

それで今夜は密かに缶ビールを買い求め、紅バラードをツマミに乾杯することにした。

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外は台風三号の雨風が強くなりつつあるが、葡萄の部屋は窓を閉め切って大丈夫だろう。

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この三日間、写真をアップ出来なかったが、その問題も解消し遡及して貼付した。

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やはり写真がないと、レースの模様も臨場感がないからね。

ともあれ日光も苦しいレースだったけど、中禅寺湖まで踏ん張れば後は何とかなる。

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今はもう、その苦しかったことすら忘れつつあるようだ。

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2017年7月 3日 (月)

日光ぐるり走

さて昨日はかなりの疲労もあって途中までになったこんな坂の、その後を書かねばならない。

杉並木、東照宮山内、いろは坂、中禅寺湖、更にいろは坂を駆け下るところまで書いたが、

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60k辺りまではかなり快調なペースで、12時間代のゴールを頭に浮かべていた。

やはりトレーニングの効果はあると自信満々だったのだが、70k辺りから苦しくなってきた。

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それでも歩かずに鬼怒川温泉に向かって、なだらかな坂道を登っていく。

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山から降りた後の後半のコースは、鬼怒川エリアに入って、先ずは日光江戸村、しかもそこには江戸の町衆と殿様一行が出迎えていた。

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後ろ髪を引かれる思いでその江戸村を覗き見て、更に遡って鬼怒川温泉街を一巡、大鬼階段を登って街を抜け、

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次のエイドは、何と例のミニチュアの国、ワールドスクエアで、突然異国に入り込んだ様なものである。

ここでもゆっくりする訳にはいかず、とにかく先を急いだのである。

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つまりこの日光の著名な観光スポットを巡って走るのが、今回の日光ウルトラ100kなんだ。

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名所を巡るコースは実に素晴らしいが、私の足は鬼怒川の街に入る辺りからブレーキがかかり始めていた。

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残りは今市に向かっての下り勾配の25kなのに、疲労と言うよりもとにかく歩きたい誘惑だ。

一昔前なら、このなだらかな下りを軽快に飛ばしたものをと思いつつ・・・9分/kがやっとである。

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となると、1kの距離がとてつもなく遠く感じるようになって、時間ばかり消費していく。

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何時の間にか12時間代は夢の彼方に霧消して、頭の中は完走のための時間ばかり考えるようになった。

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平らな所は歩き、下りを小走りして、何とか時間オーバーを回避しようと必死であった。

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それでもやがて残り5kの地点に達し、全て歩いても間に合う射程内に入った。

それも苦しい歩きだったが、私の名を呼ぶゴールのアナウンスが聞こえ、ゴールをくぐった。

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13時間42分の私の戦いは終わったのである。

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2017年7月 2日 (日)

何だ坂こんな坂、いろは坂

100kのレースは何があるか分からないのだが、今回もハプニングの多い大会になった。

午前三時シャトルバスで出発したのたが、隣の席には米国人のRさんが座っていて四方山話。

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会場に着いて荷物預け会場に入ろうとすると、目の覚める様な美人が目を丸くして私を注目している。

「誰だろう。こんな美人は知らないし・・」と思っていると、≪なんで、こんなとこにいるのよ!!≫という。

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その声は紛れもなくA秋元女子の声で、思えばこの日光はAさんの地元だったのである。

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それで室内トイレでは無理と判断して、屋外の仮設トイレに行って長蛇の列に並んだ。

20分程で私の順番になって、無事所要を済ませて安堵し、スタートラインに並んだのである。

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しかし何か忘れている様な気がして、アッと声を上げてしまった。

会場に預けるべき荷物をトイレに忘れてきたのであった。

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列を離れて慌てて戻っても依然として長蛇の列だし、訳を話してトイレを覗かせてもらう。

しかし私の荷物は見つからず、そうこうしているうちにスタート時間が来てしまった。

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止む無く荷物の行方を気にしつつ、しらじらと明け始めた夜の道を走り出したのである。

今市から日光街道を西に向かうと、直ぐに杉並木の街道に入った。

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そう、「日光は杉並木」であって、しかも巨木が立ち並びうっそうと暗い古色蒼然の道だ。

並木が切れると次は東照宮の森で、急な階段を登って昨日まわった各寺社を巡って行く。

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これが過ぎるといよいよ例のいろは坂である。

今回のレースではこのいろは坂の攻略がキーだが、先ずは「い」「ろ」・・と登っていくのだが、

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トレーニングの成果なのか、この登りを歩くことなく順調に登っていく。

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ところが坂はいろはで終わるのではなく、にほへとちり・・・・と続くのである。

・・ともかく、二十数か所の坂を登り詰めると、そこは標高1300mの中禅寺湖だった。

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課題は33kの関門だったが、制限時間の30分前に通過し、いろは坂の下りを経て、

順調な走りが続き、50k地点では55分の貯金がうまれていた。・・・・・続きは明日。

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2017年7月 1日 (土)

日光に来て

日光には、(東照宮だけだが)確か一度訪れたことがある。

だが、こんなにゆっくりと日光山内(東照宮、輪王寺、二荒山神社、輪王寺大獣院)を見て回るのは初めてである。

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日光を創始したのは1251年前の勝道上人とされているが、今日の原形を造ったのは怪僧・天海大僧正である。

後々、秀忠・家光と引き継がれ、家康の威光を示す一大霊地となったのである。

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天海僧正見立ては、江戸の鬼門に守護神(京の叡山に相当)を創ると言うことだったろう。

ともあれ遠州から見ると日光も鬼門の位置にあって、それに如何にも遠離の地である。

めったに来ることは無かろうと思っていたが、ウルトラマラソンが開催されることになった。

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それも日光街道の延々と続く上り坂を駆け抜けるのだから、これは挑戦せざるを得ないだろう。

それに29k地点までの登りをクリアーすれば、後はなだらかな下りが続くコースである。

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日光街道の並木も一度味わいたいし、私にも(完走)出来るかも知れないという思いだ。

それはさておき、大規模改修を終えた東照宮は流石に絢爛として、どこか落ち着きがない。

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家康も死して神とならんことを(秀吉同様に)望んだのだろう。

それにしても神の国とは、かくも原色と彫刻の国なのかどうかは別にして、人間の想像力とはこれが限界なのだろう。

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家康の神とは、とりもなおさず権力の守護神としての神であって、

それを証拠に五重塔や南蛮灯篭など、諸大名の追従と思われる寄進が数多い。

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ともあれ、100万石以上の大名が参拝したとされる場所(本殿)に座って御祓いを受け、

明日のいろは坂越えと100k完走を祈願したのだが、果たして御利益のほどは如何。

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