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2017年7月 5日 (水)

見猿・聞か猿

情報公開や見える化などの時代だが、知ることが必ずしも幸福とは限らない。

特に人間関係が典型的で、立派な人だと見えた人も親しく付き合ううちに普通の人になってしまう。

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これが異性なら「夜目、遠目、笠の内」ってな諺通りで、とかく私達は未知のものに心惹かれる。

残念ながら、連れ添いに何の魅力も感じないのは、多分知り過ぎた故だろう。

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知りたくもない事を興味本位に書きたてるのが週刊誌(新潮)で、これで稼いでいる訳だ。

もっとも最近のコッカイは、ただのメモ書があったのどうのと、全く週刊誌に似て来ている。

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当事者意識の欠落した野党にすれば、高尚な政策論議が出来ないから、安易な週刊誌化でお茶を濁すんだろう。

ところで「見ざる・聞かざる・言わざる」は、江戸の昔から権力に対する対処法でもあった。

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触らぬ神に祟りなしってことだが、この由来が日光東照宮の厩舎に並ぶ猿の彫物だ。

厩舎の周りにぐるりと猿の彫物があって、実は人間の一生の場面を猿で表現している。

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その最初の彫刻が「見ざる聞かざる言わざる」で、彫刻の趣旨は子供の時代には素直に育てってことらしい。

以降順に右へ、恋に悩んだり、結婚したり、子供ができたりと彫刻は続いていく。

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それにしても、何故最初の彫刻だけが際立つことになったのかが、何だか日本人らしい。

おそらく世の中を風刺する誰かが言い始めたのだろうが、人生訓としても的をついている。

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陽明門にも無数の彫刻が掘られているが、儒学の影響が色濃くて面白くない。

猿や猫が突出することになったのは、掘師の思惑とは別に、やっぱり庶民感覚だろうか。

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その東照宮を訪れて、いつの時代も変わらぬ人々の人情を思っていた。

しかしながら、東京都議選に象徴される人情の移ろいも、あまりに軽いなぁ〜と思う。

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