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2017年8月31日 (木)

善く生きるとは?

炎暑はまだまだ続いているのだけれど、オミナエシが黄色い花を咲かせ、子供達がその傍らを登校してくるようになった。

かつて夏休みは八月一杯が定番だったが、今時はどこもフレキシブルになりつつあるようだ。

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因みにバカンスの国ドイツでは、大人の長期休暇に合わせて、「夏休み地帯」が移り変わっていくらしい。

多くの人が長期休暇をを取るから、一斉に休暇をとってしまうと、産業活動はおろか地域が空っぽになってしまうから、夏休みは順番(少しずつずらせて)に取るのだという。

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この休暇の取り方にも人生観の違いが滲み出ていて、如何にもアングロサクソンって感じだ。

日本人は兎角働くことに意義を見出すが、彼らの多くは「遊ぶ」ことにもより多くの価値を見出すのだ。

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つまりそのぉ・・・、人は何の為に生きるのかってことである。

戦後の私達は「人は誰も生きているだけで価値がある」などと、漠然と思わされてきた。

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だけど人間も動物で生きることの現実は、食って生殖して、排泄してやがて死ぬってことだ。

つまり、生きるだけなら(幾分の努力は必要だが)誰だってできるのである。

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而して(多分)アングロサクソンのソクラテスは、人が生きる価値は「ただ生きることではなく、善く生きることだ」と2500年前に言っている。

それでソクラテスは、当時の快楽や金銭を人生の価値だと思っていた人達によって死刑にされてしまった。

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しからば、そもそも「善く生きる」とはどういうことなのか・・・・こいつが知りたいのだが?

「善く生きている人だけが、生きている価値がある」って意味、皆さん分かります?

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「良く生きる」なら俺だってそれなりにとは思うものの、「善く」とはハテ・・・・。

職も地位もなく、老いさらばえた男の生きる価値とは何なのかと、自問する日々であります。

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2017年8月30日 (水)

男の魅力

仕事が出来て明るくて、身のこなしの颯爽とした美男児なら文句なく誰もに好かれる。

それは、あのスケートの何て言ったっけ・・・そう、羽生君の様な存在なら魅力は十分だ。

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この点私は、男の魅力と言う点でも、子供の頃から低空飛行を余儀なくされてきた。

子供の頃モテた子供ってのは、早く走るとか野球が上手いとか、運動のできる子供だった。

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体格が良くて運動会のヒーローって言うか、そんな子が目立っていた。

私は生れつきの運動音痴で、体だって前から何番目だったから、モテたなんて筈はない。

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女の子の眼中に入るところになんて、いたこともなかったのである。

それが中学に入ってから少し勉強する様になって、張り出される成績表に名が出る様になった。

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すると途端に注目は集めたが、今度は「あの子、がり勉で、贔屓されて・・嫌い」となった。

立つ瀬がないというか、その頃から「人生ってなぁ、こんなもんさ」って諦める様になった。

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而して生まれてこの方、ラブレターの一つも貰ったことなく生きてきた。

それに女性から見た自分の価値なんて考えたこともなかった訳で、それで自分の人生(結婚)を決めてきた。

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だけど考えてみると、女性の精神も成長過程と共に変わっていくもので、

子供の頃の動物的な感覚から、次第に実利や精神的な好みに変わっていくのだ。

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人間も他の動物と同じで、動物的志向から次第に精神的(?)な方向に目覚めるのだろうか。

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ともあれこんなに馬齢を重ねて、やっとそんな男と女の力関係が見えてきた様な気がする。

人間は体格でも頭脳でもなくって、極普通の生活力と性格が魅力だよなってね。

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つまり、俺だってそれなりの魅力があったんじゃないかって思った訳だ。

だけど今更、この期に及んでは男の魅力も何も、如何ともし難いのである。

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2017年8月29日 (火)

時間泥棒との決別

鞄はサラリーマンにとって貴重なアイテムで、私も毎日鞄と共にある生活をしていた。

鞄の中にはその日に読む本と手帳、それにその時々の会議資料などが入っていた。

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黒っぽい背広を着て、その鞄を抱えて毎日電車に乗り、50年近い時を過ごしたのである。

手帳には先々の予定がびっしりと書いてあって、その予定通りに動き回ることが、何故か心良いと思っていた。

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予定に沿って忙しく立振舞うことこそが、サラリーマン(仕事戦士)の道だと考えてもいた。

それはそれで間違いでは無かろうが、しかし良く考えてみると、人間は働蜂でも蟻でもない。

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それに手帳に書かれた未来は実は「現在」の先食いであって、「今」を生きようとする姿勢とは相反する。

ミヒャエル・エンデがモモで描いたあの世界が、実は私の50年だったのかも知れないのだ。

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それでこの夏、ようやく手帳を手放し(必要なくなっ)た。それと同時に灰色の服を装い、

灰色の帽子をかぶって黒い鞄を持った男達(時間泥棒)と決別したのだった。

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長い間の習性で、先々の予定が決まっていないと不安になりがちだったが、それもようやく慣れてきた。

元来人間も一匹の動物で、こま鼠のようにあのワッカを回し続けるのは変だよね。

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本来その時々で自在に振舞えるのが、もともとの人間なんじゃなかろうか。

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而して今、私の最大の財産は残された自由な時間なのである。

そうしてこれを浪費するのではなく、誰の為でもなく、自分のためにこそ使えば良いのだ。

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もぉう、時間泥棒との付き合いはしないぞぉ〜。

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2017年8月28日 (月)

山の思い出

人間と言うのは、どうやら神様が巧く計算し尽くして創った生き物であるらしい。

人生に於ける諸々の出来事にしても、ウルトラマラソンで苦しかったことも、陰湿ないがみ合いをしたことだって、

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或は山登りのリスキーな体験だって、喉元過ぎればみんな忘れてしまう。

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それでウルトラの大会も次々とエントリーしてしまうし、今は砂漠レースに向けてその準備に苦労している。

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主催者の求めるEQUIPMENTは事細かく決められていて、容易に調達できないのである。

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エントリーの前の資材調達だけで、多分数か月を要するのではないか。

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昨日と今日は目星をつけたリュックを調達しようと専門店を回ったのだが、メーカーに問い合わせても在庫が無いという。

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33点の必須装備品をそろえるには、どうもネット空間を頼る他ないらしいのだ。

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話が逸れたが、一昨日の佐久間への60kランにしても、道中「何で、

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こんなことを・・」って思ったりするのだが、人間ってのは始めたら最後までやろうとする。

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キャンプ場にゴールして懇親会が始まる頃には、汗をかいたことすら忘れているのである。

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これが先日の八ヶ岳縦走のように数日に及ぶと、登った山はやがて下りなきゃぁならない。

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しかも荷物は重いし、足の疲れが日増しに加わって、実のところ下山するとホッとする。

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しかし帰りの車の中では、既にそんなことはすっかり打ち忘れて、「あの景色は・・」などと思い浮かべている。

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あの怖かった幾つかの難所だって、心良いスリル感になり替わっているのである。

而して、次は何処に行こうかとなるのである。

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何故人間は大変なこと・苦しいことを忘れてしまうんだろうか…・、多分それは人生が「苦」だからだろうな。

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苦しいことを乗り越えてこそ、自分の人生が面白くなるって知っているんだ。

そもそも苦労知らずに生きたって、そんな人生幸せでも何でもなかろうが。

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「若い時の苦労は買ってもしろ」などと言われるが、これは若い時に限ったことじゃない。

もっとも今時の若者は苦労なんて知らないから、はてさてこの国の行く末は??だけどね。

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山行から10日、あの苦行を懐かしく楽しく思い出している。

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2017年8月27日 (日)

浜松縦走

昨日と今日、浜松から佐久間までの60k×2=120kを走ってきた。

朝7時、浜松駅に集まったのは12人で、相前後しながら遥々60k先を目指したのである。

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とは言っても昨日は朝からぐんぐんと気温が上がり、10時頃には温度計は35度を指していた。

どうも高温はホルモンの体内活性を低下させるらしく、走りはドンドン緩慢になって、

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引っ切り無しに水分補給をするのだが、20kを過ぎた辺りからは歩くことが多くなった。

どだいこの真夏の暑さの中をリュックを背負って、北遠の地を目指すのだから普通ではない。

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まぁ一種の宗教、またまた修行と言った方が当たっているかも知れない。

しかしこれも、一人ではとても不可能かもしれないが、仲間がいると不思議に出来てしまうのである。

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スタートしてから35k付近に、路肩で店を開いている「金ちゃん」があって、このカキ氷が当面の楽しみで、

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それを過ぎてトンネルを抜けると、秋葉ダム湖沿いの道が11.4kも続くのである。

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西日に照らされてジリジリと暑く、一向にテンポは上がらない。

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それでも17時近くには佐久間の入り口「山香」を通過したが、ここから更に8k先が目的地だ。

かつてこの辺を車でウロウロした頃には、さして苦労もしなかった道程だが、自分の足でとなるとなかなか大変である。

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18時、佐久間高校(分校)脇のキャンプ場に到着すると、既にIさんの差配で宴会の準備が出来ていた。

早く到着した皆さんは、天竜川で汗を流し終えていたが、私は水道で体を拭くにとどめた。

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ともあれ例によってキャンプ場の夜はふけていくのだが、走る仲間の心通うひと時である。

さても一夜が明けると幾分涼しく、朝食を早々に済ませると、7時には復路の出発である。

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傍らの佐久間高校はかつての名門だが、今は分校となって生徒数は三学年で77人とか。

浜松市合併以降の人口減少で中心市街地も閑散として、往時の賑わいは久しい。

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やがての廃校も噂されて、山間部のこれからのあり様が危惧されるのである。

そんな思いを胸に、涼しいうちにとひたすら山を下って、11時には昨日の金ちゃんでカキ氷。

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更に先を急いで花桃の里を過ぎた辺りでスマホが鳴って、通り道に当たる天竜市のIさんから帰りに寄っていかないかと言う。

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気温も次第に上がっていたから、13時、渡りに船とばかりにIさん宅に上がり込んでしまった。

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キンキンに冷えたビールに手作りの味りん干し、それに冷や麦までご馳走になって、

縦断走はここで中断となって、西鹿島線に乗って帰ってきたのである。

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それでも、この2日間、暑い中を良く走ったぞなもし。

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2017年8月26日 (土)

盗人の種

振り込め詐欺の勢いが止まらない。

昨年は県下で被害額8億2千万円余、それが今年はもう既に6億円になろうとしている。

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これほど注意情報が流れているのに、依然として騙される人が絶えないのだ。

石川五右衛門の辞世(?)「浜の真砂は尽くるとも、世に盗人の種は尽きまじ」は真理のようで、

次々と新たな手練手管で年寄りを騙し、濡れ手に粟を得ているのである。

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実はこの犯罪、この国の世相を見事に反映して成果(?)を得ている様だ。

先ずはいよいよ高齢化社会となって、しかも一人暮らし老人がどんどん増えているという背景がある。

誰か相談する人がいれば詐欺と分かるものを、世は無縁社会であってそれができない。

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しかも年寄りには老後に備えた幾ばくかの蓄えがあって、これが巧く狙われるのである。

可愛い孫子の災難が現実となれば、手を差し伸べない爺婆はおよそ少ないだろうし、

その情愛の狭間に、奴らは跋扈しているのである。

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それはともかく、江戸の昔までは防犯は基本的に自治組織(村)の重要な機能だった。

余所者の進入はもとより、お互いに監視し合う目線があって、盗人の種はもっと少なかったのではないか。

それが個人主義全盛の時代になって、「隣の人は何する人ぞ」と感心すら払われない。

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防犯は警察の仕事とばかりに、詐欺は他人事と思いながら自分が騙されるのである。

実は先日警察署協議会があって、地域の安心・安全を署の皆さんと話し合う機会があった。

それで改めて、防犯は一人警察の専科ではなく、私達の問題として意識する機会になった。

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ネット犯罪やら振り込め、外人やら特別法犯などと、盗人の種は増える一方で、として警察だけでは手が回りかねるのである。

当然ながら、善良なる市民の支援(適切な情報提供)が必要なんである。

世界有数の治安の良い環境は、市民の協力があってこそ維持されるのだろう。

私の見守り活動(10年)も含め、出来ることはこれからもやっていきたいと思っている。

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2017年8月25日 (金)

好みの問題

私は好き嫌いに鈍感だという訳ではないが、好き嫌いを無くそうと努めて生きて来たと思う。

特に人間関係は「心根の卑しい人なんていやしない。こちらが好意を示せば、心は通い合えるはずだ」って考えてきた。

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だけどこの世の中色々あって、現実に心が恐ろしく貧しくて卑しい人間というのは、やっぱり存在するのである。

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特に嫉妬心に囚われた人との付き合いは、できれば避けた方が良いだろう。

・・・・とは言っても、現実には上司だったり商売相手だったり、損得感情が重なり合ったりして事はそんなに簡単じゃない。

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これが食べものなら、嫌いなものがあったらそれを食べなきゃ良いだけだ。

子供の頃はピーマンやニンジンが嫌いで、随分お袋に叱られたが、お蔭で今じゃ何でも食べられる。

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これは何というか、栄養素は幅広く均分に摂取すべしとの理屈が勝った結果だと思う。

だけど人間関係には水と油みたいな相性もあって、無理に一緒にすることもないだろう。

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この世の中、表向きは主義主張・理屈で動いているけど、本当は好きか嫌いかが判断基準なんじゃないか。

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ゲーテは「鉄の塊は磁石に恋している」と言ったそうだが、物性からしてそうなっている。

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そもそもこの世界には、磁石のように引き寄せる力と退ける力があって、それでもって動いている。

そう考えれば、人間ももっと自分に正直になって良いのではないかとも思うのである。

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いやさ我儘に生きろということではなく、嫌いだから排除するってんじゃなく、自然に共存して無理に関知しないってこと。

それにさぁ・・もう70年も人間やってっから、そろそろ自分の好みを鮮明にしても良かろうと思うのだ。

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フリーな身分になって、発想も気楽になったってことかなぁ。

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2017年8月24日 (木)

戦力

人間の歴史は、須らく争いの歴史であって、それはとりもなおさず兵器の歴史でもある。

石斧が最初かはともかく、刀槍から大筒へ、装甲車・戦車・ヘリ、そしてミサイル・弾道弾へと進化(?)してきた。

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第二次世界大戦の満州(ノモンハン)で日本軍が大敗したのも、帝国陸軍の旧式兵器への過信がその原因だった。

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更に遡れば、日露戦争初期の203高地攻略には、ロシアのベトン(要塞)に肉弾で挑む馬鹿をやった。

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精神論で無益な血を流し続けたのが旧日本軍だが、今日の自衛隊は徹底したマニュアル戦になっているようだ。

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実は今日、富士山の裾野で展開された「総合火力演習」を見物に出掛けたのである。

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日本の防衛力を披露する目的の演習で、自走榴弾砲・迫撃砲から始まって、各種誘導弾、

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ヘリからの重機関銃、戦車による戦闘進退、空挺パラシュウト降下、オートバイ隊の偵察、F-2戦闘機による空爆などが展開されたのである。

地雷原処理爆弾など地面の揺れるような響きと、戦車砲の轟音が2時間近く続いたのだ。

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そう・・・戦闘は機械がするもので、戦闘員はあくまでも付けたしなのである。

しかも今日の兵器は、狙った(照準した)が最後、百発百中なのである。

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当然ながら敵軍も同様な装備だろうから、瞬時にして双方が殲滅されることになる。

つまり敵の侵攻などは自殺行為に等しい訳で、戦力は則抑止力と言うことになる。

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ただマニュアル化された戦闘部隊がどれだけ戦えるのか疑問は残るが、これは大変な力だ。

いやいや人間ではなく、兵器の性能に関しての話だ。

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最新鋭の10式戦車や機動戦闘車が現れただけで、抗う術は無いだろう。

生身の人間など、何千人いようが歯牙にもかけないだろう。

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ともあれ、日本の戦力は抑止力としての存在価値だと確信できた。

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2017年8月23日 (水)

山よ岩よ

岩にしがみついて足場を探している時、すぐ目の前の岩の隙間に、チシマギキョウが紫の小さな花を咲かせていたりする。

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無我夢中で岩に立ち向かう自分と、やはり過酷な環境に生きる可憐な花々(高山植物)。

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それでも生きるのか!!・・・とその可憐さの中に、何かを感じてしまうのである。

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八ヶ岳を南から北に辿る道々、そんな多くの細やかな花たちに癒され続けた。

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代表的な山の花コマクサ(花が駒の形に似ていることに由来)も未だ花を咲かせていたし、

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イワベンケイやチョウノスケソウ、ミヤマシオガマもあちこちに見られた。

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彼らには洋ランはもとよりコスモスほどの艶やかさもなく、平地なら或は雑草と見なされるかも知れない。

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しかし私達は、山に岩に裸で向き合う時、なぜか彼らに慈しみの眼差しを向けるのである。

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しかしながら、今回登った権現・赤岳・横岳・硫黄岳などは、須らくロッククライミングを想わせる岩峰の連なりの印象だ。

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まぁせいぜい登ってホッとしたのは、硫黄岳くらいだったろう。

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その険しい岩峰を承知で敢えて挑み、ひたすら前に進むという習性は、一つの生き方かも知れないと思った。

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ウルトラマラソンとの共通項も多いが、ただ山には「危険」が常に伴い、途中撤退が難しいことだ。

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気をゆるせば忽ちにして怪我はもとより命にも関わるが、そのリスクの際を楽しんでいるとも言える。

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これまで、年に一度の登山(一昨年=北岳、昨年=甲斐駒ケ岳)に甘んじてきたが、

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今回この不思議な挑戦の魅力に触れて、山をもっと楽しみたいと思い始めている。

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2017年8月22日 (火)

もののけの森

八ヶ岳には32の山小屋があるそうだが、私達の泊まった黒百合ヒュッテ(2400m)は随分歴史のある小屋のようである。

泊まり客は70人とほぼ満員で、夕食後のひとときには、恒例の記念コンサートが催された。

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フルート(青木美咲)とギター(柴田杏里)の演奏で、疲れた体には勿体ない(?)くらいだった。

その演奏が始まる頃から外は雨になって、明日の下山を心配しつつ聴いていたのである。

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その夜が明けるとかなりの好天で、急遽時間を繰り上げて(7:10)、にゅう(2352m)経由で麦草峠に向かったのである。

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にゅうはヒュッテから45分程の所の岩山で、その露頭からは硫黄岳が真横から臨めた。

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そのにゅうから白駒池に下るのだが、泥濘に加えて岩の合間を縫うような行程で、この二時間余りの下山には随分苦労させられた。

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だが、そんな悪路をものともせず、短パンで登ってくる若者だっているのである。

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ともあれ白駒池に近づくと辺りは一面に湿原じみて、地面も木の幹も苔に覆われるようになる。

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白駒の池は周囲1.8kだが、周りには歩行用の高板が敷かれていて、苔や自然を楽しみながら周遊出来るようになっている。

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それで池の周りにはヤマネの森やら、白駒の奥庭やもののけの森などがある訳だ。

そう・・もののけで連想されるように苔が多い訳だが、クサゴケやらチョウチンゴケ、ムチゴケ、

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フウリンゴケ、スギゴケなどと11種もの苔が観察出来る様だ。

ともかく私達はこの白駒池に着けばやれやれで、麦草峠までは30分程で到着する。

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10:45頃には麦草ヒュッテに到着しリュックを下ろしたのだが、入山からのトータルの歩行時間は20時間となった。

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ここからはバスで一時間半程山を下り、茅野駅からJRで小渕沢の入山口(明神平)まで戻るのである。

荒々しさの目立つ南八ヶ岳から北八ヶ岳に入ると、池沼や苔などが多く、

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どこか幻想的な雰囲気になって、どうやら楽しみ方もかなり違うようである。

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2017年8月21日 (月)

赤岳から天狗岳へ

キレット小屋の早朝、朝食を済ませると、東の窓から明るい日差しがさし込んできた。

いよいよ(松原湖から見上げた)主峰赤岳(2899m)へと、6:10には登り始(2時間の行程)める。

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ところが山小屋を出て10分もしないうちに、下を見ないで岩にしがみついて、ひたすら四つん這いで登らざるを得なくなった。

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昨日の20m程の空中階段て十分スリルを味わったと思っていたのだが、それは序の口で、梯子に鎖に四つん這いが延々と続くのである。

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しかも先ほどまでの太陽も束の間で、一面にガスに覆われる状態になった。

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しかし、登山というものは中々途中で引き返すという選択には、さらなる困難が伴うものだ。

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岩登りを繰り返すうちに下りに入って、登ってきた若者に「頂上まで、どのくらい?」と尋ねると、

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「エッ、我々は登ってきたとこで・・」と返ってきて、コースアウトして下っていた事に気付いた。

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どうやら頂上をやり過ごして、阿弥陀岳の方向に向かっていたのである。

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声を掛けたおかげで事なきを得、暫しの八ヶ岳山頂(赤岳)を噛みしめることが出来た。

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しかし今日の日程はこれからで、慌ただしく阿弥陀岳を左下に見つつ横岳(2829m)に向かった。

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と言っても峰づたいに道が続く訳ではなく、真っ逆さまに下って又登り返すのである。

八ヶ岳はこの連続で、昨日の疲れとも相俟って、ペースは予定よりも遅れ気味になっている。Dscn2225

それにしても私達は重い荷物を背負って、 何故こんなに大変な登山に出掛けるのだろうか?

・・・ってなことを思いながら進むのだが、始まったからには人生と同じで止める訳にゃいかない。Dscn2232

それに考えてみれば、人生ってのは退屈なもので、波乱万丈があるからこそやってられる。

山もそれと同じで、大変に次ぐ大変があるからこそ、登山の醍醐味があるのだ。Dscn2230

それにリスキーな所では誰もが緊張して油断はないのだが、フッと間がさすというか、幾分楽な所でこそ怪我をする。

今回もK隊長が一段上から後向きに倒れるアクシデントがあったが、下に我々がいて事なきを得た。Dscn2235

ともあれ11時過ぎには硫黄岳山荘に着いて、行動食の軽い昼食と休息をし、息を継いだ。

午後は硫黄岳(2760m)から夏沢峠を経て天狗岳(2640m)を目指すのである。Dscn2236

硫黄岳は野辺山高原の真西にある山稜で、下から見上げると一番の広がりを持って見える。

登り詰めると山頂も広く、その東側が大きな円を描いて切り立っていて、これが噴火口である。Dscn2243

噴火口の東半分は吹き飛んでしまっていて、八ヶ岳創成の荒々しさを感じさせる。

その昔、富士山と背比べをした此花咲矢姫が自分より高い八ヶ岳に腹を立て、ボカンと殴ったとされるが、

南八ヶ岳から北八ヶ岳に至る山容からすれば、富士山より相当に高かったことになる。Dscn2246

暫しその硫黄岳の広がりを楽しんだ後、最後の天狗岳に向かうのだが、その前に根石岳(2603m)があった。

その根石岳山頂に登ると俄かに霧が晴れ、南の方向に昨日から辿ってきた山峰が遥かに見渡せた。Dscn2247

「そうかぁ〜、あそこからここまで来たんだぁ」と、まさに山の醍醐味を味わう一瞬だった。

天狗岳に登るとそこは天空の別天地で、何と言うか足の裏がもぞもぞする高さを感じて、Dscn2252

下を見渡すと、遥か彼方に松原湖やヤッホーの湯とおぼしき所が見えて、土地勘が一気に出来上がっていた。

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次は、その天狗岳の裾野の黒百合ヒュッテまで降りるのだが、途中鬼の奥座敷なる巨石の原を越えることになって、最後の苦労の末に3:30山小屋に到着となった。

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2017年8月20日 (日)

編笠山から権現岳へ

早朝5時に出発し、登山口の観音平を目指していると、小淵沢IC近くから雨が降り始めた。

IC近くのコンビニで雨装備を整え、観音平に着く頃には既に大雨になっていた。

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その八ヶ岳の一角の編笠山(2524m)から丁度降りてきた外人が、「登山道が滝になっている」と興奮気味に言う。

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私達も流石に怯んだが、9:30、ぬかるんだ登山道を一歩一歩登り始める他なかった。

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編笠山はその名の通り編笠を伏せた様にこんもりとして見えるが、その実急登の続く山だ。

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外は雨に打たれ、内側は汗でびっしょりりになりながら、約2時間余で山頂に到着。

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その頃には雨も上がって、滝になっている筈の登山道もそれ程では無かった。

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軽い昼食を済ませ、巨岩で埋め尽くされた斜面を下りて青年小屋を経由、次の目的地権現岳(2715m)をめざした。

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途中は賽の河原の様(?)な分厚い石の急斜面が続き、相当に疲労が重なっていく。

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八ヶ岳は所を変えるごとに、その組成する石の中身が変わっていくようである。

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それはともかく権現とは如何なる命名かは知らないが、山はドンドン険しくなっていく。

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そして辿りついた山頂は槍のようにとがった岩の先端で、そこにしがみ付いて写真を撮り、

直ぐに下山して、一日目宿泊地のキレット小屋を目指したのである。

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途中には長がぁい梯子(30cm間隔61段)があったり、ヒヤリドキドキが続いたのだが、

キレットとは谷合との意味だろうか、随分と山を下った所にあって、4時近くに到達することが出來た。

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小屋は小綺麗に整頓されていて、ともかく明日への鋭気を養うのだが、本番は明日である。

私達は八ヶ岳連峰の南の端から北八ヶ岳の方向を目指して進むのである。

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それにしてもイントロに当たる初日、健脚自慢のメンバーなのにそれぞれかなり疲労していた。

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2017年8月17日 (木)

時間の錯覚

時間と言うものは、川の流れのように漠然と川下に向かって流れるものと思い込んでいた。

しかし、自分が止まっていて、時間だけが流れていくというのは少し変だ。

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それはどうやら就業時間(8:30〜17:00)に起因している様で、仕事が終わったらって一杯などと、待ち焦がれているサラリーマンの心情だ。

それが、このところの(フリーになってからの)私の時間は、実は私と共に流れている。

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実際のところ時計など無用で、自分の感じるままの時間で何の支障もないのである。

ブドウの収穫を済ませて、山を走り、暑いけど諸々の農作業で一日が終わる。

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今日は秋キャベツを定植して、暑さ対策の寒冷紗を施したりして・・・

確かに一日一日と経過していくのだけれど、それは私の十二分に関った一日なのである。

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「生存」するとか「生活」するという感覚を離れて、自ら生きているって気持ちになっている。

主体的能動的に明日を考えるし、思い立てば直ちに行動に移すのである。

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昨日は砂漠レースのEQUIPMENTの相談にモンベルに出掛けて、少し手ごたえを得た。

自分が自分として行動する確かな感覚は、この二か月でかなり身に付いて来たのでは無いか。

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「今」と言う現在を鷲づかみに生きられるってのは、それは何よりのことだと思う。

ところで明日から三日間、八ヶ岳縦走登山に出掛ける。

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天候に幾分の心配はあるが、もう二十数年見上げて走ってきたあの山を極めるのだ。

編笠山から権現岳、赤岳を経て横岳、硫黄岳、そして小淵沢へ降りるのである。

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という訳で、多分明日と明後日はブログを書けないだろう。

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2017年8月16日 (水)

心臓に感謝

毎月の勉強会でご一緒するXさんが、医者から余命1年と宣告されたとおっしゃっていた。

それで自慢だったオープンカーも売り払うなど身辺整理を進め、ワゴンカーを買って夫婦旅に出ている。

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命のあるうちに、これまで行けなかった所を夫婦と犬一匹で辿るのだと言う。

見かけたところ健康そのもので俄かには信じ難いのだが、本人は真剣そのものである。

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しかしながら、私達だって余命X年のはずなのに、そのXさんの行動を他人事と思っている。

胸に手を当てれば、ドックン、ドックンと力強い心臓の動きを感じるし、こいつが止まるなんて絶対有り得ないと思っている。

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考えてみれば、心臓は生まれてからこの方(生まれる前から)動き続けて、もう30億回超動いている。

私の場合、人前に立ったり走ったり、緊張するシチュエーションが多くて酷使してきたから、もう相当に使い古している筈だ。

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そうして、この心臓が止まる(心肺停止する)と、人間は「死」と判定されるのである。

ともあれ、何時まで働いてくれるのか分からないが、この心臓には感謝しなければなるまい。

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ところで今朝は、ブドウの収穫を終える頃からかなりの降雨となった。

山に向かうべきかどうかと思案していると、Nさんからメールがあって既に7台も車があるという。

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それで押っ取り刀で山に向かい、降り続く雨の中を2時間ばかり走ってきた。

流石に雨の中での着換えは辛いが、走り始めてしまえばむしろ心地良い雨であった。

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人間は不思議なもので、こんな日にも自分の心臓を意識することは無い。

そう・・危急存亡の時、人生の重要な刹那に始めて自分に心臓があったと意識するのだ。

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余命X年の今日、時々は胸に手を当てて、この心音をとくと味わわねばなるまいと思った。

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2017年8月15日 (火)

自在であれかし

この30年の間に、100kレースを数多く(平均して年に7大会)走ってきた。

100kレースは心と体のせめぎ合いでもあって、「もう、いいや」と思えばレースは負けだ。

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かつての私の100kレースは50kに節目があって、50kを過ぎた地点で気分が随分と楽になったものだ。

以降ゴールまで49k、48k、47・・・・30k、20kと残りの距離を縮めて行くのが快感でもあった。

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過去形で書いたのは、それがここ数年来「未だ、ゴールまで50k・・」って感覚になっている。

関門時間に追われて疲労はピークに達しているし、ゴールまでの余裕がなくなりつつあるのだ。

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それでヘトヘトになって、ゴールに辿り着ければ上出来なのが最近のレースだ。

ともかくも最近の大会では、「折り返し点」という感覚がなくなってしまった。

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考えたのは、しからば人生の折り返し点は何処(何歳)かということだ。

勿論、結婚や子供の成人・定年などと節目は幾つもあるし、体力の衰えの始まりなら30代からだろう。

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あれやこれや、色々と考えてみると、どうやら私の場合には「古稀」かと思い至った。

子供の頃からずぅ〜っと登り詰めてきて、今年諸々の役職や仕事から殆どフリーになった。

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思えば遥けく来たものだが、それに人生レースの内容だってそれなりに充実していた。

そして、もぉ〜ぅ拘束されることもないし、融通無我・・・言うならばしたい放題が出来るのである。

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正に折り返し点であって、後は残りのゴールまでの距離を楽しみながら縮めれば良いのである。

しかも、それは自在が利くうちが花で、最近のレースの様なヘロヘロでのゴールは避けたい。

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そうなんだ・・・、これからの生き方は「自在」を持って良しとすである。

それにもう十分生きたし・・・、人生は長けりゃ良いってものでもなかろう。

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だからさぁ〜、自在だよ。これからは自在に生きることが肝要と見つけたり。

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2017年8月14日 (月)

人生は物じゃない!

戦後の貧しい時代に育った私達は、冷蔵庫やTV、ラジカセや車など、物が一つ増えるごとに幸せを感じてきた。

現実に親父の自慢は「村で二番目に早くTVが入った」ことだった。

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あの時代は、そうやって幸せを競い合った誠に無垢な時代だったと思う。

何時の間にか見渡すと身の周りは物で溢れ返る様になって、おまけに暮らしているのは我が家なども年寄りばかり。

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おまけにカミさんが片付け嫌い(ゴミ主婦)ときているから、ゴミの山の中での生活を余儀なくされている。

せめて自分の身の周りだけはと、机の周り2m四方は整然と片付けられている。

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勿論モノにはそれなりの思いが詰まっていているが、それはその当人だけのこと。

いずれ当人が死ねば、すべからく何の価値もない粗大ごみになるのは必定なんだ。

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捨てられないのは、そもそも自分自身の過去に未練があるからだろう。

この私も未練まみれで生きてきたが、そろそろその未練を捨てても良い頃合いになりつつある。

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それでこれからは、自分の行動そのものにアンデンティティを見出して行こうと思っている。

つまりモノへの未練を捨て去って、残された命の甲斐をこそ充実させることだ。

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そうして充実した沢山の思い出を残すことが出来れば、それは結果として良い人生になる筈だ。

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しかもその思い出は自分の頭の中の記憶だけでいい、日記など残すのは愚の骨頂だ。

思えば十数年前からそんな思いで日々を暮らしてきたが、これからはもっと徹底するだけさ。Img_0508

今日より明日は何を減らすことが出来るか・・・ってな具合に少しずつ身辺整理をする。

一方で、これまでやり残したことを一つ一つクリアーしていく。

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人からは、「飛んでいる・・・」などと言われるが、これがホントの生き方じゃないかと思いつつある。

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2017年8月13日 (日)

初盆縁に

旧盆の今日は、村内の初盆のお宅を訪ねて供養に歩く風習がある。

この夕暮れ時、私も近所の人達と連れ立って、村内の白提灯を飾った6軒のお宅を訪れた。

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祭壇にはそれぞれ故人の遺影が飾られて、あぁこの人も死んだのかとの思いを新たにする。

それが私と幾つも歳が離れていない方も何人か亡くなっていて、

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それは他人事(自分と関係無い)と思いつつも、そういう時の流れをどこかで感じている。

人は誰でも年を取り、そして例外なく一度は死ななければならない。

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だからと言って、思い悩んだりしたところでどうなるものでもなく、人生ってものは歳を取って死に至る過程以外の何物でもない。

しかも肉体の衰えは別にして、内面は日一日と充実して味わい深くなるものではないか。

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駄飯を食らって歳ばかり重ねるのは愚の骨頂で、中身の空っぽな年寄りはそれは醜い。

どこかそんな目線で遺影を眺めていたのだが、みんな「そんな事は、他人の知ったことか」って顔していた。

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それはそのはずで、誰だって懸命に、その人なりの人生を懸命に歩いたのである。

自分と言う人生最大の作品を遺影が現しているのである。

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そしてそれは、自分が選び取った結果なんだから、南無阿弥陀仏としか表現しようがない。

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初盆縁は故人を偲ぶ習わしだけど、実は自分の生を見つめ直す機会でもある。

死を他人事にしてしまうのではなく、自分なりに噛みしめる機会なのではないか。

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生きている以上、何時死と遭遇するのかも知れないし、だからこそ悔いなく今を生きろってこと。

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2017年8月12日 (土)

乃至無老死

盆の入りで我が家にも和尚さんがやってきて、熱心にお経を唱えていった。

その最初の教が、あの魔訶般若波羅・・で始まる般若心経である。

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それで良く聞いていると、始めの部分で「・・亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。・・・」

と唱えていて、要するに「迷いはない。故に迷いがなくなるということもない。老いと死はない。

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ゆえに老いと死がなくなるということもない。」とお釈迦様は仰ったと言うのである。

正に禅問答で訳が分からんから、お布施をさし出しながら「死が無いとは一体・・」と口にした途端、

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和尚は「毎日、暑いですねぇ〜。それでも、走っているんですって?」と、話題は一気にそっちへ行っちゃった。

確かに和尚に色即是空を問うても詮無い話で、我が和尚の方が一枚上手だったようだ。

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しかしながら、この「無老死」ってくだりは仏さんに言う言葉じゃなく、我々の現実にこそ必要だ。

もう古希になるんだから余命は十年と少しってことになって、

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それは遠い先の他人事だと思いつつ、それでも終活なんて意識が何処かにある。

それまでに貯金を使い切って、あれとこれをやって・・・・などと、呑気に考えている。

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厄介なのは自分が何時死ぬのか分からんことであって、死ぬまで生きなきゃならんことだ。

色々とおもんみるに、お釈迦様は「空」の境地に達していて、そもそも自分なんてものは無い。

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ないものが死ぬ訳ないだろう。それに仮に死があったとしても、死んだ時にゃ自分はいないんだから、「死」なんて無いでしょ!

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と、まぁ〜そう仰っている訳ですよ。

つまりその・・・・、死なんてことを考えるより、今をこそ懸命に生きろってことになる。

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あの世なんて、無いんだからさぁ〜。

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2017年8月11日 (金)

この今

この夏は暑さの割に、セミの鳴き声が大人しい様に思うけど、気のせいだろうか?

今日の山は曇り空のために木立の下は薄暗く、騒々しいアブラゼミなどは押し黙って、

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山全体にカナカナの声が響きわたっていて、何だか黄泉の国の鈴の音(?)の様だった。

それで思ったのは彼らの寿命のことで、地上での彼らの寿命は3週間程度だ。

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地中で1~5年の幼虫時代を過ごすとは言え、三週間鳴き尽くす合間に交尾して産卵し、死んでしまう。

誠に忙しいというか、慌ただしい蝉生ではある。

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これに比べると、人生は短いとは言っても80年位は生きるんだから、相当に長いってことになる。

交尾して子供を産み育てたら用済みな訳だが、人間だけはどうした訳か余生が長い。

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それで古希になろうとする私も、今からあれをしよう、これも出来ないかといまだに青年をしている。

この時期、山の杣道にはセミの死骸が幾つも転がっていて、ついつい人間の性を考えてしまう。

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役割を終えたらセッセと死ねばよいのに、何故何時までも生きているのかってこと。

そう・・・、この人生、何のために生きるのか定かではないが、それでも精一杯生きたい。

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まだ実感はないが、老いと言うものがあるのなら、それがどんなものか楽しんでみよう。

いやさそれ以前に、まだまだ出来ることがあるのではないか。

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セミも人間も生きている以上いつか死ぬ訳で、長かろうが短かろうが死ぬことに変わりない。

多分、セミには未来への不安なんて無くって、その3週間の蝉性をジージー・ミンミン鳴きながら目一杯生きている。

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人間だって同じで、いつだってあるのは「この今」だけなんだよね。

その今を楽しまなくって、どうするの?・・・・っていつも言い聞かせている。

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2017年8月10日 (木)

幸せは何処に

学校が夏休みなので、私の朝はブドウやオクラの収穫から始まる。

朝食を済ませて山に向かい、午前中に15k余の山道を走るのが日課だ。

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午後はもっぱら農作業で、今日はカボチャを除いて最後のキュウリを定植した。

とは言えキュウリはウリハムシとの格闘が続いていて、毎日7~8頭を捕殺するのだが、

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被害は一向に減らず、今日は2畝を防虫ネットで覆って、少しばかり安心をしているところだ。

そんな何の変哲もない一日を終えつつ、それなりに満たされている自分を感じている。

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昔は「青い鳥は、何処にいる?」って彷徨ったり、財産や権力・名声或は才能が幸せかと思ったりしたこともあった。

だけどそんなのは・・・贅沢な暮らしが幸せかって??、そんなことは無いって簡単に分かった。

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不満?・・・それは税金が高いとか、刺激が少ないとか無いことはないが、そりぁ幸せとは関係ない。

金も物もいらないし、日々の命の充実があればそれで十分だ。

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それはさぁ〜、昔は出世競争なんてのもあって、なんで俺はなどと思ったこともあったさ。

だけどそれは昔の話で、過ぎてみれば出世したが為に不幸を招いた人だっている。

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そんなあれやこれやを思えば、幸せとは物や現象じゃなく、そいつの心根次第だね。

今、その心根(我が魂)は実に自由を謳歌していて、正に幸福の絶頂にあるのではと思う。

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その証拠に、ブドウの収穫をしながら、山を走りながら、西瓜を食べながらetc、あぁ〜俺りぁ幸せだぁ〜って感じている。

6月7月と月間400k以上を走って来たことで、私の足は一層逞しくなって登坂も随分楽になった。

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心も体も強くなるにはそれなりの努力が必要で、それは楽じゃないけど、その苦しみが今では喜びになりつつある。

それにしても、さんざん汗をかいて、帰宅して食べる冷えたスイスは美味しいなぁ〜。

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2017年8月 9日 (水)

我が魂

私も含めて、それぞれの人が異なったその固有の人生を歩んでいる。

私も70年近く生きてきて、この間子供の頃から少しずつ変わってきて、今ここに居る。

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そいつをここから眺めると「鈍」だなって思ったりするが、そんな愚鈍なことも沢山やって、

そりゃあさぁ〜、面白い事も嬉しいことも、哀しいことハラハラ・ドキドキだってあったさ。

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それって、考えてみると、みぃ〜んな私の人生と言う「魂」の歩みじゃないかと思った。

色々な失敗や挫折を繰り返したのも、得意満面で仕事をしたのも、100kマラソンを走るのも私の魂だ。

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もちろん何をして何をしないのも私の魂であって、そいつが脅かされりゃ反作用も起こす。

それで仲違いとか、喧嘩や離反なんてことにもなるんだろう。

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ともかく、この70年間この俺を演じているのは、間違いなく俺の魂だ。

「それじゃぁ〜、お前は誰か?」だって・・・・、そりゃぁ間違いなく魂の俺さ。

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その俺は、この魂を未知の世界への冒険やめくるめく愛の世界(?)や・・・に誘おうとしている。

様々な、そう・・心躍るような喜びや感動の体験をさせてやりたいのである。

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今日は稀に見る暑さとかで、我が机上では37度を記録していた。

夕暮れと共に幾分生温かな風に変わってきたところだが、別に暑さに当てられた訳じゃない。

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我が魂(プシュケー)はちゃぁ〜んと生きていて、この俺を突き動かしているのである。

ただしかし、この魂はちっとも歳を取らないのが玉に傷なんである。

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2017年8月 8日 (火)

好かれたくって!

私は貧しい農家の生まれだが、母親の愛情に包まれて育ったと思っている。

毎日が重労働の連続で、それでも家計は苦しく、父母の会話から子供心に生活の現実を意識していた。

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朝は暗いうちから働き夜なべ仕事をして、それでもなお私は母親から愛情を受け取っていた。

母親の本能なのかも知れないが、「いつか、この母を喜ばせたい」と思って当然だろう。

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やがて世間に出ると、母から注がれた様な情愛を他人にも求める様になっていた。

だけどそんな馬の骨を好いてくれる物好きなどある筈もなく、ようやく世間ってものを知った。

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とかく人間は自分本位なのであって、自分に好意的な人を大切にするのである。

社会に出て職場の研修で「人を褒めることで、上手くいった・・・」話が印象的だった。

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だけどお世辞は別にして、職場の競争相手をそんなに褒められるもんじゃない。

でも「あの人は、〇×がすごく上手い」などと噂すると、それは確実に自分のところに跳ね返ってきた。

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そう・・・人は、自分のことを好きだと言う人のことを好きになるのである。

これを商売に駆使しているのが酒場の女性で、先ずは客を褒めて褒めまくって歓心を買う。

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褒められて嫌な客などいやしないから、ひょっとして本気で好かれているのかと通い詰めるって訳だ。

これは世間一般でも同じで、自分に好意を抱く人間に好意を寄せる様になるし、私もそうだ。

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味方を得たいし、自分を好いてくれる人は一人でも多い方が良い。

だけどこの人の世で、誰にもでも好かれるって訳もなく、果たして生涯に何人と心通じることができるのか?

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ともあれ、私を好きだって(お世辞でも)言ってくれる人が好きだし、これは母の愛に通じる。

だけどさぁ〜、世の中って、この好きか嫌いかで案外動いているんだよなぁ。

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2017年8月 7日 (月)

私は私

人間って奴は、多分に思い込みの動物であるらしい。

何かを思い込むことによって、少しずつその何かを変えてきたし、自分の指針にもしてきた。

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子供の頃の私の思い込みは、多分に母親の薫陶に負うところが大きかった。

特に学校を出た訳ではないが、おそらく修身で学んだ世界観を子供に仕込んだのだと思う。

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その母親の教えを通して世の中を見ていたし、今日の保守的な性格も根はその辺にある。

中学を卒業するあたりまで、その母親の教えをかなり忠実に守って生きたのだと思う。

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やがて高校・大学へと進んで別の世界観と交わるようになり、少しずつ自分を創ってきた。

儒教の世界からマルキシズムへ、やがて今日の世界観に至るまで、思い込みは常にあった。

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家族・夫婦関係はこうあるべきといった思い込みが現実が合わず、それで苦労もした。

それが60を過ぎたあたりから諦観が多くを支配する様になって、衝突は少なくなった。

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それに思い込みから脱して、自分で一人考えることが多くなった。

残された人生を、もっと自由に生きた方が良くはないかとの思いが、その根底にある。

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思えばずぅ〜っと、それぞれの時代の思い込みの中にいた訳で、今そういう枠をみんな取っ払おうとしている。

山頂近くに登り詰めた今日、そうした過去の思い込みの諸々が見えるようになって、

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越し方の人生の機微に思いをはせたりもする。

とは言えやり直しなどかなわぬ訳だから、悔いを残さぬとすればすべてこれからだろう。

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アフリカにナビブ砂漠があって、その砂漠の只中を一人走っている夢を見た。

砂漠だってこの地球上の世界だから、万端の準備があれば恐れるに足りないのかも知れない。

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そう、もはや他人のことなど知ったことじゃない。何処まで行けるか、私は私の道を行く。

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2017年8月 6日 (日)

センチメンタル

甲羅を重ねて図太くなったとは言え、自分はセンチメンタリストだと信じている。

子供の頃から情に感じやすく、本を読んでも映画を観ても、時に演説を聞いても涙を流していたりする。

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単純な精神構造をしているのか、案外簡単に感極まってしまうのである。

最近でも、100kマラソンのゴール近くでは、かなりの確率で涙していることが多い。

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それに音楽や歌でも、その世界の中に感情移入してしまっていたりする。

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例えば歌なら、愛や別れ、幸せを歌われることが多いが、その「永遠を信じて」って歌われるだけで、心が波立つというか、切なくなってしまうのである。

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永遠の愛や幸せなどある筈もないのに、それを信じようとする主人公に同情するのだろうか。

思えば人の世は思うままになるものでは無く、信頼し裏切られってなことを繰り返す。

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甘い期待を懐こうとする弱い心は、何時もそうやって傷つき続けてきたのである。

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何時の間にか感受性は鈍くなって、人生の割り切りを覚えるのだが、ふとした調子にその箍が外れるのである。

先日は直虎コンサートの録画を見て、あのドラマ以上に重厚な音楽に感激していた。

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別に秀吉や信長でなくとも、田舎の小さな両国の主にだって、そりゃ壮大なドラマがあって何の不思議もない。

それはしがない我が人生だって同じ・・・と思った途端に涙が流れてきたのである。

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2017年8月 5日 (土)

ゲームの難しさ

今日は、随分久しぶりのサッカー観戦である。

Jリーグ6連勝で6位に順位を上げてきた、上げ潮ジュビロの7連勝を期待しての観戦だ。

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試合開始1時間前にスタジアムに入ると、もの凄い人で既に立すいの余地無しだった。

ホーム側で聞くと、19時の試合開始なのに13時から来ているという。

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場内をウロウロし、やっとフリーゾーンの隅っこに座ることがで出来たのだが、昨年の今頃とは大違いである。

やはりゲームは勝たなければ面白くない訳で、勝てば人はドンドン集まるのである。

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それでゲームだが立ち上がり早々に、PKで中村俊輔が1点を先取して上々の立ち上がりである。

しかしゲームは得点争いとなって、後半に入って2-3と勝ち越されてしまった。

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この時点で試合を見きって帰ったのだが、内容が良かっただけにボールを引き込んでの失点は残念だった。

人生でも何でも同じだが、時(或はゲーム)の勢いってものがあって、そいつに乗れば面白い様に結果がついてくる。

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そうさなぁ〜、私だって得意絶頂で仕事したこともあるし、何をやっても駄目で苦しんだこともあった。

そんな時は縁起を担いだり、時には神頼み(黙々と山を走った)なんてことも有ったなぁ〜。

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しかしまぁ、勝負の世界は勝つか負けるかしか無い訳で、想像以上に厳しい世界だ。

もちろんアマチュアのそれとは雲泥の差がある。

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その自分の人生を掛けた一人一人の選手の動きに、自分の人生を重ねていたりする。

「ここで決めろ!!」と応援するが、本人は私達以上に攻めるも守るも真剣勝負なのだ。

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ともあれ、青い芝生と満員のスタジアムの歓声・・・・これぞ夏の醍醐味だろうか。

スタジアムの人々の95%はジュビロの勝利を期待して集まった人々だが、果たして結果は?

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2017年8月 4日 (金)

私と文章

文章の面白さを覚えたのは、はっきり思い出せないが中学生の頃だったと思う。

学校の図書室から本を借り、冒険ものを中心に次から次へとワクワクと読んだものだ。

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本の中には自分の知らない世界がある訳で、その世界に入り込むのが快かったのだ。

やがて自分で書けないかと思う様になって、ノートにスケルトンを作って書き始めたのだが、

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その中身の心もとなさに数か月で放棄することになった。

だけど書いていると、その言葉の先から新しい発見があったりして、「あぁ〜書くってことは自分を発見することだ」と思った。

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仕事に就いてから、何故か企画部門に籍を置くことが続いて、当然ながら「書く」ことが仕事になった。

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書くとは、まず先に何を表現するのか明確なコンセプト(思想かな)が必要な訳で、

その時代や社会の動き、人々のニーズなどに敏感になって、それが私の土台になった。

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思えば立場を変えたりして、書くということで様々な自身の主張をモノにしてきたと思う。

しかしそれは社会的なことで、自分の意見を公にし始めたのは40歳を過ぎたあたりだった。

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職場の先輩が「農の風景」誌を発行することになって、その編集局長務めたことが契機だ。

隔月に発行したその同人誌は、全国に数百人の読者を得て、その後20年余続いたのだ。

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自身の生の考えを文章を公にするってことは、少しばかりの覚悟がいる。

冒頭に書いた様に、明確なコンセプトとは正に自身の哲学であって、言うならば自分を丸裸にする作業だ。

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以来裸になるのが平気になって、本を出したり新聞に連載したりと、結構恥も書いてきた。

このブログもその延長線上にある訳で、この書き込みで4,103日目になる。

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アクセスカウンターには、この間に74万余の閲覧が記録されているのだが、私が毎日書くことで何がしかの影響があるのかどうか?

先日お会いしたU野さんが、「毎日、同じ様なことを書いて・・」と仰っていたが、

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書き手は唯の一人だからそうかも知れないと思いつつ、「俺だって日々変わっているんだぜ」って心していた。

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2017年8月 3日 (木)

人生の作品

人は何もしなくても歳を取る訳で、然したることを為した訳でもないのにやがて古希を迎える。

いやいや私だけでなく、この同年輩の知人縁者の顔を思い起こしながら考えている。

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歳を取ると言う事は若さという快適さを失うことでもあって、結果として無内容なただの年寄りになってしまう人が多い。

それは単に外見やライフスタイルだけでなく、何の価値観も持ち合わせない只の年寄りだ。

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夢も希望も無くって、失礼ながら「この人、何の為に生きているのやら」と感じる手合いだ。

現役時代はそれなりに気張っていただろうが、それが無くなって無内容になっちゃった感じ。

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そもそも人は何の為に生きるかってことを、多分考えてこなかったんだろうと思う。

それは金だよとか、仕事さとか、名誉だ、子孫の為だよ・・・などと考えているあなた!!

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それらはいずれも一時の通過点であって、人生の最大の作品は自分なんじゃないかと思う。

そりぁ私だって、50年も働いたんだから色々とあって、自費出版をしたり、遊びもした。

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「だから、それがお前の作品だろ」って問われると、それはもう過去の話さってことになる。

私達は今を生きているんだから、過去の作品なんて、そりぁ既に骨董の部類だ。

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まして価値が有ると思っているのは、残念ながら既に自分だけ(細君も絶対思わない)だろう。

どうやら人が歳を取ると、何を価値として生きてきたかが、その体全体に現れる様だ。

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日野原さんが105歳で亡くなったが、やはりあの人そのものが彼の最大の作品だろう。

老いるということは、実は精神のありようの如実な反映なんだろう。

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そういう意味で、心身ともに時間の経過もたっぷり浸み込んだ作品を創り続けたいと思う。

人間ってのは、簡単に言うなら、何を考えて生きているのかで決まるんだと思う。

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そして、自分なりの完成をさせて、静かに消えていけば良いんだ。

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2017年8月 2日 (水)

夏休みだぁ〜

夏休み真っ盛りである・・・筈だが、何処にも子供達の姿が見られない。

一体全体、何処でどんな過ごし方をしているのか心配な程である。

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私の頃はどこに連れて行ってもらえる訳でもなかったし、TVやゲームも無かったから、

とにかく外で遊んだ訳で、鬼ゴッコに殺生(魚獲り)、ささやかな冒険や縁台将棋を覗いたり、

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毎日村じゅうを駆けずり回って、村の中のそれこそ「人生いろいろ」を感じる貴重な機会だった。

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学校で何を覚えたってことよりも、体験的な夏休みの学びは遥かに貴重だったと思う。

それはともかく、実は私の日常が夏休みも夏休み、サンデー毎日になったのである。

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子供の頃のように鬼ごっこという訳にはいかないので、毎日山に行って走っている。

午前中の三時間ほどを急な山道を辿るので、毎日のダメージは相当なものになる。

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やがてこれが「普通」になるのではないかと続けているのだが、流石に疲労は貯まるようだ。

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ともあれ今日は、朝から久しぶりのささやかなお湿りがあって涼しく、計画通りの農作業を済ませた。

トマトやスイカの植わっていた所を耕し、這いキュウリと根深ネギを定植したのである。

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そう・・畑の一分を秋仕様に切り替える作業が始まっているのだ。

言うならば、これも夏休みの宿題のようなものだが・・・・・

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さても子供の頃の夏休みは、それは指折り数えて待っていて、それは夏の太陽の様に輝く存在だった。

再びその夏休みを満喫出来る身分になった訳だが、当然ながら勝手が随分と違っている。

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それは、あの頃には言葉すら知らなかった「黄昏感」ってものが、どこかに漂っている。

それに、この夏休みはずう〜っと冬休みにも続いていくのである。

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何はともあれ、この休みを精一杯使って、人生を謳歌せずばなるまいと覚悟している。

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2017年8月 1日 (火)

地史の妙

一昨日の直虎マラニックで巡った辺り(地域)の歴史に思いを巡らせている。

先ずは井殿の塚だが、これは直虎の大叔父の井伊直満とその弟直義の墓の様である。

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いずれも家老の小野和泉の守の策謀によって今川に殺されたのだが、この場所は井伊氏の居館の本丸跡に相当する様だ。

そしてその塚の立派な石垣は、嘉永五年に井伊直弼が墓参の際に寄進したと伝わる。

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この辺りには旧引佐町の役場や公民館があった場所だが、直虎の時代から中心地だったのだ。

それから井伊谷宮だが、ここは元々龍潭寺の敷地の北半分に造営された新しい宮だ。

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造営は明治天皇の勅命を受けた彦根藩主井伊直憲が、明治5年に後醍醐天皇の建武中興

(鎌倉幕府からの王政復古)を記念して造営された。

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境内西側には宗良親王の墓が京都の方向を向いて建てられ、傍らにはつき従った井伊道政らが祀られている。

圧巻は氣賀関所から500m程南西に離れた所にある堀川城址だ。

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田圃の真ん中の小さな城跡になっているが、実は歴史に残る悲劇の城でもある。

都田川を外堀として浜名湖の潮の満ち引きを利用して、干潮時だけ出入りできる設計だった。

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この城を永禄12年(1569)に家康が干潮時を狙って攻め、皆殺しにしたと言うのである。

しかもその数は千七百人余で、氣賀の住人の半数以上が殺されたと伝わる。

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生き残って捕えられた700人余はことごとく斬首され、川沿いの土手に首が並べられたとされ、今なお獄門畷と呼ばれている。

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戦国の世とは言え家康も残酷なことをしたもので、氣賀の地にそんな悲劇があったとはついぞ知らなかった。

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のどかな田園風景も過去から現在へと移り変わってきたのだが、・・・今、私達はその現代を生きている。

その同じ私達の先祖が繰り広げた歴史ドラマは、露骨な権力闘争であり、

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そこに浮沈した人々に思いをはせると、何だか不思議な郷愁をさえ感じるのだ。

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