善く生きるとは?
炎暑はまだまだ続いているのだけれど、オミナエシが黄色い花を咲かせ、子供達がその傍らを登校してくるようになった。
かつて夏休みは八月一杯が定番だったが、今時はどこもフレキシブルになりつつあるようだ。
因みにバカンスの国ドイツでは、大人の長期休暇に合わせて、「夏休み地帯」が移り変わっていくらしい。
多くの人が長期休暇をを取るから、一斉に休暇をとってしまうと、産業活動はおろか地域が空っぽになってしまうから、夏休みは順番(少しずつずらせて)に取るのだという。
この休暇の取り方にも人生観の違いが滲み出ていて、如何にもアングロサクソンって感じだ。
日本人は兎角働くことに意義を見出すが、彼らの多くは「遊ぶ」ことにもより多くの価値を見出すのだ。
つまりそのぉ・・・、人は何の為に生きるのかってことである。
戦後の私達は「人は誰も生きているだけで価値がある」などと、漠然と思わされてきた。
だけど人間も動物で生きることの現実は、食って生殖して、排泄してやがて死ぬってことだ。
つまり、生きるだけなら(幾分の努力は必要だが)誰だってできるのである。
而して(多分)アングロサクソンのソクラテスは、人が生きる価値は「ただ生きることではなく、善く生きることだ」と2500年前に言っている。
それでソクラテスは、当時の快楽や金銭を人生の価値だと思っていた人達によって死刑にされてしまった。
しからば、そもそも「善く生きる」とはどういうことなのか・・・・こいつが知りたいのだが?
「善く生きている人だけが、生きている価値がある」って意味、皆さん分かります?
「良く生きる」なら俺だってそれなりにとは思うものの、「善く」とはハテ・・・・。
職も地位もなく、老いさらばえた男の生きる価値とは何なのかと、自問する日々であります。
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