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2017年8月 1日 (火)

地史の妙

一昨日の直虎マラニックで巡った辺り(地域)の歴史に思いを巡らせている。

先ずは井殿の塚だが、これは直虎の大叔父の井伊直満とその弟直義の墓の様である。

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いずれも家老の小野和泉の守の策謀によって今川に殺されたのだが、この場所は井伊氏の居館の本丸跡に相当する様だ。

そしてその塚の立派な石垣は、嘉永五年に井伊直弼が墓参の際に寄進したと伝わる。

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この辺りには旧引佐町の役場や公民館があった場所だが、直虎の時代から中心地だったのだ。

それから井伊谷宮だが、ここは元々龍潭寺の敷地の北半分に造営された新しい宮だ。

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造営は明治天皇の勅命を受けた彦根藩主井伊直憲が、明治5年に後醍醐天皇の建武中興

(鎌倉幕府からの王政復古)を記念して造営された。

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境内西側には宗良親王の墓が京都の方向を向いて建てられ、傍らにはつき従った井伊道政らが祀られている。

圧巻は氣賀関所から500m程南西に離れた所にある堀川城址だ。

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田圃の真ん中の小さな城跡になっているが、実は歴史に残る悲劇の城でもある。

都田川を外堀として浜名湖の潮の満ち引きを利用して、干潮時だけ出入りできる設計だった。

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この城を永禄12年(1569)に家康が干潮時を狙って攻め、皆殺しにしたと言うのである。

しかもその数は千七百人余で、氣賀の住人の半数以上が殺されたと伝わる。

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生き残って捕えられた700人余はことごとく斬首され、川沿いの土手に首が並べられたとされ、今なお獄門畷と呼ばれている。

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戦国の世とは言え家康も残酷なことをしたもので、氣賀の地にそんな悲劇があったとはついぞ知らなかった。

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のどかな田園風景も過去から現在へと移り変わってきたのだが、・・・今、私達はその現代を生きている。

その同じ私達の先祖が繰り広げた歴史ドラマは、露骨な権力闘争であり、

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そこに浮沈した人々に思いをはせると、何だか不思議な郷愁をさえ感じるのだ。

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コメント

今回その堀川城址まで行ってきました。
満潮時に水に浸かった場所とは思えないのは、湖岸工事されたからでしょうか⁇
青々とした稲田の中に残る首塚と城跡が印象的な眺めでした。

投稿: 弥生 | 2017年8月 2日 (水) 22時37分

のどかな田園の只中、浜名湖一周などで何度も傍らを走ったけど、そんな悲劇の地とはついぞ知りませんでした。それもあの辺一帯は浜名湖を埋め立てた干拓地(水田)なんですね。それで城跡が田圃の中って訳です。
 未だに世界の各地では騒乱が続いていますが、それらが皆遺跡になると良いですよね。「昔、この辺で殺し合いがあったんだって」って、ピクニックが出来る時代にしたいですよね。・・平和な世界が何よりです。
                山草人

投稿: 山草人 | 2017年8月 3日 (木) 12時57分

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