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2017年9月30日 (土)

仙台の街にて

明日の東北・みやぎ復興マラソンを走りに、仙台の街にやってきている。

嵩上げ地域と旧来の道を名取から遠隅駅辺りまで往復するマラソンで、

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震災からの復興状況をつぶさに見せようと企画されたランだ。

仙台駅に降り立つと、そのマラソンに参加するランナーを含め、大変な人混みであった。

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集合時間の15時まで少し時短が有ったので、伊達政宗候の廟所である瑞鳳殿に行ってきた。

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この廟は、政宗が70歳で江戸に没した後、遺体を瓶に防腐措置をして詰め、仙台に運んでこの地に葬った所である。

実は廟は空襲で焼失していたのだが昭和54年に再建され、その折に瓶が掘りだされ、

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何かと調査されていて、その結果によると血液型B、身長159cm、死因は喉の癌だったらしい。

ともかくも一生一代の伊達男、仙台は政宗が造った街である。

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霊廟は、いかにも正宗かくやありなんと思わせる佇まいであった。

駅に戻って皆を待ち合わせ、今度は仙台(青葉)城の見物に向かったのである。

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とは言え仙台城は石垣だけの跡で、今年で正宗生誕450年を記念したイベントが行われていただけだ。

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でも仙台の落ち着いたたたずまいはどこからくるのか、城跡からはあの震災の海岸が見渡せた。

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みんな(11人)で夕食を済ませて、今は明日の準備をしているところだ。

そう、仙台は落ち着いた良い街である。

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2017年9月29日 (金)

自分を生きる

かつて、○×女性部総会に来賓として招かれた時、最初に会の歌を歌うのだが、

その歌の歌詞に「自分らしく生きよう〜♪」とあって、それで冒頭の来賓あいさつの折、

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よせば良いのに、「皆さんが今歌った歌に、≪自分らしく≫ってありましたね。

その自分らしい自分って、どんな自分だと思います?」と切り出していた。

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続けてどんな話をしたのか記憶にないが、まぁ〜他人と比較しないとか、自分は創るものだとか・・・そんな話をしたのかな?

自分らしいとは、「どんな状況下におかれても、自分の判断で自ら行動できる人」の言えることで、

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普通は付和雷同、他人にどう思われるかと気にしたり、真似をしたり、マスコミに操られたり、

そういう意味じゃ、まず自分になることが肝心で、それを貫徹出来る意志を持つってことが出来ないと始まらない。

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ところでその私だが、子供の頃から周囲に細心で過敏な程のアンテナを巡らし、

目立たないように、出過ぎないように、時には無理して衆愚の中に紛れ込み、

強調こそ大切と、自分の意思を貫徹するなんてことは、およそ無かったのではないかと思う。

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まぁそれが俺だって言えばそれまでだが、物語の主人公にしては随分と物足りない。

それがこのところ制約されるものが何も無くなって(山の神は??)、随分心が広くなった。

かつて背負っていた重ぉ〜いリュックサックがどんどん軽くなって、足取りすら軽快になっている。

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もう自由に生きりゃ良い・・・そう思うと、これまでの処世の要領なんて、およそ詰まらない。

型にはまった人生をずぅ〜っとやってきたけれど、もうその型は卒業である。

これまで出来なかったこと、やってこなかったこと、それがどれだけ出来るかがこれからの課題だ。

それを毎日、自分に言い聞かせている。

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2017年9月28日 (木)

物語願望

私達はみんな、それぞれ自分の物語を生きている。

それは生涯を通じての長編物語もあるが、本当はもっと短期(短編)の物語を求めている。

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私ならどこそこのレースに出て、こんなアクシデントがあって、結果的に大きな教訓を得た、

誰それと一緒に走って、その道行がドラマチックで楽しく、レースはともかく稔多い一日だったって具合である。

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いやいやもっと月並みに、あれをしてこれをして、あいつをやり残したからこうなったとか・・・。

そういう物語が何も無いと、人生ってのはただ漫然と流されているって感じがしてくる。

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ただ単に時が経っていくというか・・、人生そのものが空疎になっちゃうんだ。

大袈裟に言うとそれが怖くって、物語のテーマになりそうなことを、次から次へと創っている。

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と言うか・・?、本当は物語の展開を事前に幾分想定していて、そいつに身を任せているってところもある。

ところで今日の物語だが、朝がたの雨で山ランを断念、その代わりにハウスの畝を耕した。

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ところがやがて晴れてきて暑いの何の、それで玉ねぎと赤大根、小松菜の播種、

それにブドウへのお礼の施肥に切り替え、昼飯はインスタント焼きそばに野菜炒めを作ってのせ、婆さんと二人で食べたのだがこれが結構旨かった。

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朝、子供達と会っただけで、家族以外の人間と顔を合わず、この一日が終わってしまった。

つまり、この一日には主旋律が欠けてしまったようで、登場人物も婆さんと二人だけだった。

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それに不満はないが、どうせなら抑揚のあるダイナミックな短編小説が欲しい。

歳を経るごとに、これまで出来なかった何かを私の物語に取り込みたいと思う様になっている。

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それで今週末には、震災から復興しつつある仙台に向かう。

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2017年9月27日 (水)

山里の営み

この日本列島の大部分は、マウンティアスな地域の連続である。

かつて(戦前まで)これらの地域の営みは、林業が十二分に支えていた。

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建材や燃料(薪炭)、そしてジビエなどが、それこそ豊富な山の幸だったからである。

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先日訪れた天空の里(下栗の里)も、その95%が山林で、かつては正に林業で生きていた。

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男は山中の小屋で寝起きし、女や年寄りは雑穀を育てて暮らしていたという。

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今でも水田のない下栗では、斜面の畑にソバやアワ・キビ、コンニャクや独特なジャガイモ・茶などを育てている。

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正に耕して天に至ったからこそ日本のチロルとなった訳で、ビューポイントから見下ろすと、

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そこには何百年も営々と大地を愛しんできた人々の、生き様すらが伝わってくるようだ。

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そう・・・自然と共に生きてきた人々の力強さを感じずにはいられない。

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東を臨めば南アルプスの聖岳に光岳が聳え、周りはぐるりと伊那山地の山々に囲まれている。

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遠山郷から一歩外に出ようとすれば、それは数日も要しての山旅であったろう。

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何か所ものエイドで出会った地域の皆さんは、例外なく親切で話し好き、その穏やかな微笑みはこの山里が育んだ人間味だろう。

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合併で飯田市南信濃となった遠山郷だが、やはりその地域を支え続けて維持しているのは人々の力だ。

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とは言え林業の衰退は日々に顕著で、民宿が数軒あるとはいえ、地域を維持し守るのは高齢者ばかりになっていく。

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いやさ、日本のチロルと評判を呼ぶこの下栗の里だって、人々が支えているから美しいのだが、これから先を考えると如何にも難しい。

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この遠山郷だけでなく、この国の各地の中山間地域が、過疎と高齢化と廃村に直面しているのだ。

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都市部に過度に集中した産業活動の余波が、時代の荒波となって山里に押し寄せている。

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経済効率を考えるなら、それは山里を捨てて都市部に移り住む方がベターだろう。

しかしそれでは、この日本列島の大部分が大なり小なり荒廃することになる筈だ。

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延べ54kのつづら折りの険しい山里を走りながら、これからの人々の営みを思った。

取り敢えず私達に出来る応援の手立ては、多くの人達がこの山里を訪れる事だろう。

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2017年9月26日 (火)

言葉を書くってこと

紙に字を書くと言うことが、人間の文明を革命的に発展させる契機になったはずだ。

だけど近年のIC化によって、私達はどんどんペーパーレスになりつつあるし、手紙も葉書もいずれ無くなるのではないかとさえ思う。

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それと同時に私達は手書きの文章を書かなくなって、漢字もどんどん書けなくなっている。

私なぞも脳細胞の老化?も手伝って、ふとした折に思いだせずびっくりすることがしばしばだ。

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もとより私は、話し言葉よりも書き言葉に馴染んできたのに、これが趨勢なのである。

と言うのも、数人集まって丁々発止・才気煥発語り合う、あの話し言葉が苦手なのである。

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思っていることを即座に口にする、その当意即妙が出来ない(頭の回転が遅い)のである。

この点文章を書くなら、それはマイペースでじっくり考えながら書くことができる。

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それでいきおい、このブログもしかり、本などの形でまとまって書く方向になっている。

しかし時代は、どんどん伝達機能を優先するようになってきて・・、あのラインがそうだよね。

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多数が丁々発止、それぞれの思いを即座に活字にしていく・・・まさに伝達機能だ。

私のスマホもしきりに受信音を発していて、それを見ながら良いなぁと思いつつ、何時ぞやの会話の疎外感を感じたりしている。

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「話すように書くとは、考えずに書くことと、ほぼ同じだ」と言う意見があるが、それでも良いじゃんと思う。

鳥だって猿だって、いわんや人間だって囀りながら、仲間同時で通じ合う会話があるんだ。

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かしこまった文章が全てじゃなくって、色々あるからこの時代が面白くなっているんだ。

でもさぁ〜三つ子の魂百までも、引っ込み思案は簡単には治らない。

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言葉を活字にするってこと・・・・そうさなぁ〜、かつて私も恐る恐る書き出したんだ。

自分の考えていることを活字にして衆目の目に晒すのが、それは恐ろしかった。

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そうやって文章を書き始めて、かれこれ30年にもなる。そして今、文章は私だ。

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2017年9月25日 (月)

天空の里を走る

南アルプスと伊那山地に挟まれた谷間に佇む遠山郷、その山里を走るマラニックだ。

主催は地域おこしを目指す地域ぐるみの実行委員会で、今回で11回目を迎える。

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兼ねてから知る人ぞ知る人気の大会なのだが、毎年丹後100kと重なって私は初参加だ。

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前夜は遠山川の畔に張ったテントで、沢音と虫の声を子守歌に寝たのたが、

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まだ暗いうちから、ざわざわと周りは動き出していた。

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朝の五時半にはスタート地点に熱いお茶や特産の饅頭が用意されていて、ランナーが起き出してくる。

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その道の駅遠山郷では6:00に開会式が始まって、式の最後は神主の祝詞の後、お守りの木札が全員に配られる。

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私もこのお守りを首に掛けると、何となく今日一日の快適なランが約束された様な気になった。

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6:30記念撮影の後、参加の150人余が三々五々(?)スタートして行く。

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(どうやらこの大会は、人それぞれの楽しみ方があるようだ)

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私はむしろ先頭集団に近い位置で小嵐山を登っていくと、最初の合戸峠にエイドがあった。

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「あいど」とは、その昔山の両側から登ってきた人達が出会う峠だったことに由来するという。

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さらに山頂近くまで登ると子嵐稲荷神社があって、村の衆が太鼓を打ち鳴らしながら待っていた。

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この稲荷社は何と正一位とあって極めて位が高く、静岡方面からの講も組織されているらしい。

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この山を一気に駆け下ると、そこには旧木沢小学校(猫の校長先生のいる博物館)があって、

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やはりここにも村の衆がご馳走を準備して待っていた。(ここでは蕎麦と栗を戴いた)

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更に進んで旧森林鉄道の梨本停車場から右折して、遠山川を遡ってあの下栗の里に向かう。

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川沿いの道を行くと、やがて道はつづら折りの山道になって、ここは流石に歩く他なくなった。

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この日本のチロル(オーストリアのチロルに似ている)と呼ばれる里は、標高1100mまで続いていて、

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その頂き近くのはんば亭に盛大なエイドが設営されていて、

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ここでは揚げ饅頭やらブルーベリー、リンゴと梨の砂糖漬けをたっぷりと頂いた。

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更にその1k先に「天空の里ビューポイント」があって、林間の道を辿ると下栗の里を見下ろす絶景が広がった。

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この地点が25kで今回のコースの半分弱に過ぎないのである。

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さてもここからは下りが多くなって、先ずは下栗林間遊歩道を下ること2.5k余り。

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そして中根集落に入ると、ランナー大勢がたむろしていて宴会状態ではないか。Img_0731

私もこの中に加わって、栗汁やら栗結び、それから色々と腹一杯戴いて、

そこに根が生えるのを恐れて、その先を急ぐことにした。

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更に山をずう〜ッと下り切ると、梨本ていしゃばで、ここでは幻の豚の葱まを戴いた。

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流石にお腹が重くなったのだが、まだ先は遠く川沿いの道をひたすら進んで、今度は名水の源である龍淵寺への石段を登る。

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かつての遠山和田城跡とかで、このエイドで給水して、最後の八重河内地区の山に向かう。

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途中の陶芸館ではヤマメを焼いて下さっていて・・・流石にもう食べられなかった。

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しかしながら更に山を登らねばならず、ほとほと参った頃、

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村のエイドがあって、ここではスズメバチのから揚げとハチの巣密を戴いた。

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スズメバチのように坂を飛んで降りられるというのだが、・・・ともかく15:00近くゴールに辿り着いたのである。

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最後はかき氷を戴いただいたのだが、この日の実質走行距離は54kくらいかな。

 

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2017年9月24日 (日)

あぁ〜遠山郷

明日の遠山郷チャレンジマラニック51kを控え、スタートが6;30だからと押っ取り刀で手かけた。

水窪経由なら3時間もあれば十分と、自宅を1;00に出発したのだが、幾分早すぎると思って、

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天竜区にある本田宗一郎記念館に立ち寄ることにした。

本田の創始者宗一郎はこの天竜二俣の出身で、鍛冶屋から身を起こして今日のホンダを育てた。

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その足跡をほんの少し、覗いてみようと思ったのである。

それなりに立派に展示だったが、偉人(経済人)の足跡を表現するのはさすがに難しい。

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経済も産業も生き物だし、それに組織は個人の力だけで出来上がってはいないからだ。

ここでしばらく時間をつぶして、15:00には遠山郷に到着すべく佐久間に向かったのである。

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実はマラニックで青崩れ峠を越えたことは何度もあるが、車で向かうのは初めてである。

地理に幾分自身が無かったので、佐久間への入り口でカーナビをセットした。

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そのまま水窪方向に向かおうとすると、繰り返し戻って佐久間経由のコースに入れという。

おかしいなぁ〜と思いつつ、時間はたっぷりあると思いつつ、佐久間ダム方向に変更した。

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実はこれが大変な間違いで、その時点で目的地は69k先と表示されていて、ままよと幾つもの真っ暗くて狭いトンネルを越えていく。

佐久間ダム湖の縁をつづら折りに進むことになって、何時まで経っても距離は縮まらない。

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残り35k地点に来ると、今度は土砂崩れで全面通行止めときた。

流石に参ったが、ここまで来たら愛知県を迂回する他なく、新野峠越を目指すことにした。

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走れば走るだけ目的地はドンドン遠くなっていって、60kになってやっと減少に転じた。

飛ばしに飛ばして、それでも遠山郷に葉17時10分前に着いたのだが、やっと受付に間に合ったものの、前夜祭会場へのバスは既に終わっていた。

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止む無く今夜の為にテントを張っていると、Tさんやよっちゃん、I島さん、K井さんと合流し、

五人で細やかな前夜祭である。

ともあれ前夜祭組も帰ってきて、車の横で前夜祭の二次会が開かれていた。

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その他にも途上色々とあった訳だが、地図上では佐久間と遠山郷はすぐ隣なのに、

何ともはや遠山郷は気の遠くなるほど遠かった。カーナビを信じちゃ遺憾なぁ!!!

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2017年9月22日 (金)

体力と神経

昨日は交通安全運動の初日で、私の立哨交差点に何人かの自治会役員が立っていた。

半ズボンランシャツ姿の私を見て、「若いねぇー」と声を上げたのだが、お歴々は皆私より年下で、かなりの重ね着をしてのお出ましであった。

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私の体感とは異なって今朝は幾分寒かったらしいのだが、これも日頃の運動習慣の成果だ。

運動(私の場合はラン)は、肉体が健やかになるのは勿論のこと、脳の血流も良くしてくれる。

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つまりボケ防止にも有効ということだが、この運動習慣を身につけるのは容易じゃない。

40歳を過ぎてからの運動だったから、始めは中々続かなくって、三日坊主を何度も繰り返し、

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運動が習慣化するまでに4年位は掛ったろうか、それを助けてくれたのがランニングクラブだ。

走る仲間の存在が続ける契機になって、自分の脳に運動するって回路を定着させることが出来たんだ。

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ともあれ何度も書いているように、現在も月に400k以上の距離を走っている。

何しろ年齢も年齢だから決して無理はしないから、若い人からすればノロノロってことかな。

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それでもその蓄積の賜物で、山に登ったって足はビクともしない。

毎日爽快感を味わって、飯は旨いし、眠りもパタンキューの安眠である。

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この運動は止められないって言うか、多分この世を去る時だってバタンキューってな具合になるんじゃなかろうか。

勿論今日も午前中は山を走って、午後はずぅ〜っとホウレンソウの種播きである。

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丹後100kマラソンが中止になったお蔭で、私のホウレンソウ栽培に弾みがついてしまった。

午後の4時間、淡々と種を播き続ける根気を養ったのも、実はランニング習慣のお蔭である。

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人生は何も派手なことがありぁ良いって訳でもなく、何の変哲もない単調な繰り返しも大事なんだ。

播いたホウレンソウの何千粒は、今日から一斉にその生命力を発揚し始めるのである。

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私は、その彼らの元気と共に、明日に向かって走るのである。

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2017年9月21日 (木)

人生の値打ち

何を今更、この期に及んで既に手遅れ、笑止千万だとお思いあるな。

至極真面目に「人生の値打ち」なんてことを、古希を迎えようとする歳になって考えている。

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勉強して結婚して子どを育てて、それなりに人並みに仕事をして、今日ここに至っている。

その生き様のどこに価値を見出せばよいのかと思いつつ、人生とは一日一日と老いて行く過程以外の何物でもないとも思う。

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簡単に言うと、人生とはすなわち老いること(如何に老いるか)なのである。

今月で94歳になる私の母親が、毎日暑い最中も黙々と畑の草を取っている。

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そう、彼女の生甲斐は、草を取ることと日記を書くこと、それに健康管理である。

世間一般には、肉体が老いて衰えれば人生の価値がなくなるように思われるが、果たしてそうだろうか?

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新聞各紙を私よりも丹念に読み、社会問題だって一定の意見を持ってしっかり生きている。

私はその母親を見ながら「人生の価値って、懸命なんじゃないか」って思う。

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○×社の何とか部長を経験したとか、議員や市長をやったから価値があるってんじゃなく、

自らの心中にどんな火を灯し続けたか・・・つまり、人生の価値は精神にあるんだろうな。

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前向きな自分の気持ちに忠実であること、目標に向かって無心で進むってことが大事さ。

人生ったって、毎日多くの人が生まれて死んでいく訳で、一人の人が生きるのも自然現象の一部でしかない。

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他の動植と同じように生死するのに、人間だけが特別だって思っている。

私達の人生に、そういう自然界の法則からすれば、特段の意味なんて有る訳がない。

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只唯一人間には精神(気持ち)ってものがあって、そう・・好きとか嫌いとか、自分はこう生きるって方向性もそうだ。

そいつを大切にしながら、精一杯生き抜くって姿勢にこそ価値があるんじゃないかなぁ〜。

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私も、望むらくは残り10年、そんな心持ちで生きられたら十分満足だと思っている。

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2017年9月20日 (水)

毛無山に登る

少し変な名前だが同名の山が全国に26山程あるとかで、今日は富士山西麓の朝霧にあるその山(1946m)に登ってきた。

先日の丹後100kが台風で中止になったから、その代替えのつもりでの登山である。

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国道139号線を通る度に、あの山に一度登ってみようと思っていた山である。

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登山道入り口を間違えて戸惑ったが、9:15入り口駐車場に着いて何とか登山開始である。

歩き始めると直ぐに麓宮があって、何だか山の神様の様な気がして、丁重に一礼して先に進む。

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すると金鉱山跡地の表示に続いて、当時の鉱石破砕機が赤錆びて残されていた。

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富士山と違ってこの天子山塊一体には鉱石があって、明治まで採掘が続いていたらしい。

少し大きな沢を渡ると、いきなり急登の道が続いていて、直ぐに汗まみれになった。

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それでもガシガシと登っていくと、いきなり水音が高くなって、不動の滝美晴台に出た。

滝は楽さ100m余で、その流れ落ちる間に4カ所ほどの滝つぼが臨めた。

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しかしここはまだ二合目で、実は100m標高を上げるごとにこの表示が現れるのだ。

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励みにはなるのだが、岩場に続く険しい岩場の連続で、少々毛無山を甘く見ていたようだ。

四合目を過ぎて暫く行くとレスキューポイントなる所に出て、遭難の場合ここでホバーリングするヘリに釣り上げてもらうところらしい。Dscn2456

・・・ってことは、多分過去に何度かそんな場面があったのかも知れない。

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ともあれ取り掛かった以上頂上を目指す他なく、黙々と山頂を目指したのである。

途中に富士山見晴台なる大石があって、その上に乗ると今日の天気でも裾野を含め一望である。

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そんな具合に難渋しながらも、12時過ぎ(所要時間2時間45分)に山頂に至ることが出來た。

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頂上に登山者は誰も見当たらず、一人で富士山と対面しながらの昼食としたが、急速に寒くなって手がかじかむ有様になった。

折角苦労して登ったのにと思いつつ、・・・いやさ、その下山も中々大変なのである。

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それにしても苦労して何故登るのかと思うのだが、一つには鍛錬、それに登山は人生に似て、

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山頂に何があるかなんて分からないけど、それでも懸命に登り続けるのが人生。

そうして苦労して登る坂道が、実は人生の一番充実している時で、そいつを登山で再確認しているのかも知れない。

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そして、2時間で下山、何だかスカッとした様な気分になれたのである。

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2017年9月19日 (火)

好奇心と夢

私の性格はおよそ糞まじめな堅物で、世渡りもさぞかし下手だろうって感じである。

それが世に慣れるにしたがって、少しずつ融通が利く様になってきたと思っている。

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実はその原動力が「この先には何がある?」って好奇心で、未知の世界を追い求めていたらここまで来たって感じである。

当然ながら動物がその目的(夢)を実現するためには融通無碍でなくてはならず、昆虫だって様々に自分の姿すらを変えていく。

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私の場合は40歳を過ぎた頃で、勤め先の外のコミュニティに次々と参加したことが契機だ。

走る会は勿論のこと、〇×研究会や△△学校などに加わって、いろぉ〜んな人達を知った。

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そこで学んだこと、それが人には様々な世界があって、その人生が又面白いってこと。

そして面白い生き方をしている人は好奇心が旺盛で、それを何処までも追い求めていくんだ。

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そんな人達と旅をしたり議論をしたり、共にボランティアをしたりしながら、私も何時の間にか好奇心に染まっていた。

誘われれば断わることを知らないというか、相手の意図など斟酌することもなかった。

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まぁ〜苦い思いもしたが、好奇心は夢につながるし、夢ってのはとどのつまり遊びなんである。

昨日書いた様に「遊ぶ為に働く」って方向に、次第に好奇心がし向けてきたってことだろう。

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ひとり欝々悶々と生きるのも人生、好奇心に逆らわずに開放的に生きるのも人生って訳さ。

もっともその一分始終は、このブログに4200日余書いてきたから周知の通りだが、

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人間ってのは、目的(夢)に向かって一歩一歩汗をかいている時が、それが人生なんだ。

生きることそれ自体が面白いんじゃなく、どう生きるかが面白いんじゃないの!!

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だからして、とことん好奇心のおもむくままに生きたいと思っている。

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2017年9月18日 (月)

天上天下唯我独尊

言うまでもなく、お釈迦様が生まれて直ぐに7歩歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して語ったというあの言葉である。

何となくだがその言葉の意味する所が、70歳を前にして感覚として分かる様な気がしている。

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今更何をと思われるだろうが、それも公職を去ってフリーになって初めて味わう感覚だ。

ところでかつて日本人は、欧米人からエコノミックアニマルと揶揄されたことがある。

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この基本的な生き方は今も変わっていない様で、欧米人は仕事を休暇を楽しむための手段だと考えるらしい。

バカンスなどの休暇を思いっ切り満喫するために、働く(稼ぐ)のである。

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この点日本人は、仕事を十分こなす為に、幾分の休養が必要だと考えている。

全く正反対と言えるが、お釈迦様の教えはどちらかと言えば、欧米人の生活スタイルだろう。

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「この地球上(天上天下)には自分に代わる命はないんだから、他人と比較なんぞせずに、

思うままに大切に生きなさい」って言うんだから、・・・そうでしょ!!

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だけど私達(私)は生まれてこの方ずう〜っと、他人と歩調を合わせることを考えて生きてきた。

それに「あの人に負けたくない」などと、嫉妬や怨嗟、優越や驕りに身を任せてきたのではなかったか。

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びくびくと人(まわり)の視線を気にしながら、僅かな優越を糧に生きてきたのである。

「だっけどさぁ〜、そんなのもう止めよう」ってのが、この数カ月来の気持なのである。

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そうして残された命を、まさに天上天下唯我独尊で生きてみようじゃないって感覚さ。

いやさかなり億手だが、やっとそんなことを考えられる境遇になったってことである。

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人にどう思われようと、今更どうってこともないしね。

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2017年9月17日 (日)

私の居場所

私は緊張に頗る弱い性格で、思えば長いことβ波に支配されてきたなぁ〜と思う。

人は緊張したり脇目も振らず頑張っていたり、一人閉じこもっていたりするとβ波が強くなって、その視野も次第に狭くなるんだそうだ。

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その逆にリラックスしているとα波が出やすくなって、右脳が活性化して視野も広くなるらしい。

このところそのα波のお蔭か、世の中の諸々も見通しが良くなったし、気分だって爽快である。

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第一幸か不幸か、ウジウジと悩むことが無くなっちゃって、毎日が前向きに楽観的になっている。

仮に困ったなってことがあったとしても、「まぁ〜何とかなるさ」って思っているうちに、落着している。

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これって歳の功なのか、諦めが良くなったのか分からないが、昔と比べると格段に心地よく暮らせている。

それに従来からすると、格段に一人でいることが多くなっている。

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山を走るのも一人だし、農作業は黙々と独りの作業だし、それに書斎で一人との時間も多い。

別に隠れ家って訳でもないが、気が付くとパソコンに向かっていたり、本を読んだリ、

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ほんの少しのお酒をちびりちびり戴くこともあるし、あれこれ空想するのもこの部屋かな。

もっとも書斎ったって四畳半の狭い部屋だけど、何時でも私の心落ち着ける所なんである。

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その狭い部屋に閉じこもると、心はむしろ稀有壮大になって、何でも出来てしまうようなそんな気分にもなる。

そうさなぁ〜、私にとっての最良な居場所は孤独な時間なのかも知れない。

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その孤独な時間がぐうぅ〜んと増えて、α波が出っぱなしって次第である。

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2017年9月16日 (土)

我が精神よ

人間はその肉体であると同時に、精神でもあると言われる。

そして肉体は一年一年必ず歳を取るのだが、精神はそんなにうまい具合には歳を取らない。

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むしろ精神は老化ではなく、一年一時の経過と共に成熟していくものでもある。

もっとも、この世的な享楽を追い求めるなら、残念ながら精神も肉体と共に老いていくようである。

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ほら、飽食や多淫など自堕落に生きるなら、それは当然のことだよね。

この点、小食で燃費の良い私は体重53k前後で、毎日かなりの運動量をこなしている。

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肉体?・・・それは確かに老眼や頭髪、瞬発力には衰えがあるが、精神は依然として36歳前後だろうか。

何かをやろうとする気持ちが旺盛で、これを抑え込むのがかなり大変なのである。

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ともあれ今日は期せずしてフリーとなって、朝からホウレンソウの畝づくりに鍬を振るった。

これがなかなか大変で手に豆が出来たのだが、気持ちが途中で止めることを許さない。

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ここまでと決めたら決して止めない100k走の鍛錬の賜物で、精神は決して老いてはいない。

肉体の疲労なんてのは、一晩寝ればそれなりに回復するのである。

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そもそも、この人生は肉体だと教えられて育った私達は、全ては物質で出来ていると考えてきた。

人間もしかり、諸々の自然界のすべてが科学の言う物質によって出来上がっていると。

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素粒子だとか遺伝子だとかだが、素粒子は波だし、遺伝子は情報そのものだ。

つまり現実は必ずしも物とは言い切れないのであって、精神世界がかなりのウエイトを占めているのである。

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言いたいのは、自分の気持ちに忠実に生きるべきだってこと。

体は、その自分の精神についてくるのである。

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2017年9月15日 (金)

人事を尽くしたが・・

人生一寸先は闇??先のことが分からないのは当たり前だが、丹後100kが中止になった。

台風18号の直撃予報を受けてのことである。

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実は体調はもとより、スペシャルドリンクの調合、宿へのお土産などを含め、

準備万端多少の雨風くらいどうと言うこともないと考えていたのである。

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しかしそれはランナーのことであって、レースにかかわる多くの人達にとっては大変なこと。

土砂崩れだって起こるかも知れないし、そんな嵐の中で誰が走路管理をするのかって訳だ。

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しかしながらこの数か月間、ひたすら丹後のレースの為に積み重ねてきたものが、一瞬にしてパーなのである。

何とも拍子抜けの極みだが、これもまた人生の味わいなのかも知れない。

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人生は決断の連続だと言われるが、このことに関して何の関与もしていないのであって、

そもそも人生に於いて、自分の意志で決断出来ることなんて、たかが知れているのである。

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「人事を尽くして天命を待つ」気分でいたのに、今回は天は私にその機会すら与えなかったのである。

而して、私に三日間の空白が生まれた訳で、ハテ、何としようかと考えている。

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取り敢えず、先日来準備を進めていたホウレンソウの播種作業を本格化させようか。

ハウスの中は半年間の休作で土がカラカラに乾いていて、この土の洗浄にも時間を要するのだ。

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レース中止のおかげで、一気に秋の農作業が本格化することになりそうだ。

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そんなこんな逡巡していると、がやがやと大勢の声が近づいてきて、我が畑の前で止まった。

子供園の青組さん達で、来月収穫を予定しているサツマイモの出来具合を検分に来たのである。

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子供達の芋掘りが終わると、この畑には冬野菜(白菜やキャベツ)を定植するのである。

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2017年9月14日 (木)

淡々と平穏に

北朝鮮がが核実験をしたり、台風が来たりと色々あるけれど、私の日常は淡々と平穏に過ぎていく。

山を走り、畑を耕して種をまき、時にマラニックやマラソン大会に出掛け、いわば人生を謳歌している。

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私の身分はと言えば「サンデー毎日」だけれど、幸いにして「やりたいことが無い」ってことが無い。

私の前には次々と「やること」が出現して、もって淡々とそいつをこなしているのである。

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人は「やること」がないと、兎角迷ったり悩んだりするものらしいが、私の場合はTVなどを観てジッとしているのは苦手だ。

だから何時も動き回っている訳だが、それは決して楽だからじゃない。

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この夏も月間450k前後を走って、それなりの体力(筋力)を造りあげてきたが、これだって流した汗の結果でしかない。

随分楽しませてもらったブドウの収穫もようやく終わりに近づいたが、これも半年間の慈しみの成果だ。

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このブログは4,100日超書いてきたが、これだって書くことが好きだから続けてきただけだ。

今週末は台風18号の襲来と鉢合わせしそうだが、多分嵐の中の100kを走り通すだろう。

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私の毎日は、そうやって淡々と平穏に過ぎていくのである。

決して楽じゃないし苦労もある、難しいのは当たり前だけど、やりたいことだからやるんだ。

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それに走りにしても、園芸にしても、これで良しなんて思ったことはないし・・・、つまり挑戦に限りなんて有る訳がない。

淡々と走り、淡々と生きて、淡々と死ぬ、人生はそれでよいのではないかと思っている。

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そして齢70歳、私の挑戦は終わることなくまだまだ続くのである。

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2017年9月13日 (水)

人生って何?

もう直ぐ敬老の日(9月18日)がやってきて、各地で祝賀行事が行われる。

自分もやがてあの席に座るのだと思うと、今一つ嬉しい気持になれないのは何故なのか。

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長寿はそれは結構なことだとは思うが、ただ、人は何故長生きをしたがるのだろうか?

もっと率直に言うと、長生きをして何をしたいのだろうか?

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確かに臓器移植やらゲノム解析などと近代科学の進歩は目覚ましく、その気になれば100歳を越えて遥かに生きられそうな勢いである。

仮に130歳まで生きるとしたら、ハテ、人は生きることに飽きてしまうのではないか。

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健康で長生きなのは大歓迎だが、大事なのはやっぱり、どう生きるかなんだろうと思う。

男の平均余命は84歳くらいらしいから、そうだなぁ〜、80歳位まではやりたいことをやって、

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それでサヨナラってのが理想かなぁ・・・要するに人生は量よりも質ってことだ。

無理に長生きするよりも、成り行きに従って生きて死ぬことが一番なんじゃないかと思う。

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もっとも自分が死ぬなんて露ほども考えていないんだから、勝手な言い草だが・・・・。

昔の人は「辞世」なるものを残したんだけど、これは含蓄があるなぁ〜。納得するのは、

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「面白き 事もなき世に 面白く 住みなすものは 心なりけり」高杉晋作

「露とおち 露と消えゆく 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢」豊臣秀吉

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高杉は36歳、秀吉は62歳で没しているけど、何れも実に素直で納得できるように思う。

それにしても、生と死、生きていて悩んだり考えたり怒ったり笑ったりって、不思議な現象だよね。

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植物は勿論、諸々の人間以外の動物が生きるってのと、人間は少しばかり違っている。

そういう具合に人間に生まれて来たんだから、面白く生きなきゃいかんなぁとつくづく思う。

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だからして、有意義に生きるには「どうする?」って毎日考えている。

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2017年9月12日 (火)

先のことなんて

かつては、ずう〜っと決まった時間に会社に行って、定められた仕事をして、頑張っても

頑張らなくても同じ額の給料をもらって、そうやって平穏無事に毎日を暮らしてきた。

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誠に羨む様な「平凡な」人生を送ってきた訳だが、この平凡は永遠に続くかのように思っていた。

それがいつしか定年退職を迎え、それからもう十年の歳月が経過しようとしている。

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人生も人それぞれ色々で、何時どこで何が起こるのか分からないのが習いだろう。

それでもこの十年何とか暮らしてきて、根拠はないのだが、俺には不幸なんて絶対起らないとそう思っている。

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だからと言う訳ではないが、毎年自治体の主催する健康診断には暫く足を向けなかった。

しかし今年は特定健診とかで、受診の督促までもらったので、仕方なく五年ぶりに受診した。

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高額な国保税を払っているのに約一万円を徴収されて、まぁ初詣のお賽銭かと我慢である。

人間の体というものは、本人が一番良く分かっている筈なのだが、果たしてどうだろうか。

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人は先のことが分からないと不安になるらしいが、本当は明日何が起こるのかだって分からないのだ。

北朝鮮のミサイルが降ってくるかもしれないし、地震や交通事故だって起こりうるだろう。

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災難は何も癌や糖尿病に限ったことではないのであって、自然と共に生きるなら、人生はなすがままで良かろうと思う。

ともあれ、お賽銭の効用を期待するばかりである。

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ところで今日は、3〜4月先のことを考えて白菜とキャベツの種を播いた。

そう・・1月頃には、この白菜でキムチ漬けを作って、美味しい朝飯を食べている筈なのだ。

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2017年9月11日 (月)

五尺四寸四部

たとえコンビニのお結びであろうと、塩結びが好きである。

マラニックの弁当は何時もこの塩結びで、昨日も辿りついた宇利峠でこいつを美味しく戴いた。

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それでお結びを食べながら、「五尺四寸、生きてござる」と、そう実感するのである。

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これは或は、瑞穂の国に生きた多くの先祖が感じたことと同じではないかと思っている。

確かに、腹の空いた体に少し塩のきいた握り飯は、何物にも代えられない美味しさである。

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そして高が五尺四寸、どおって事もない命だが、後生大事に生きてるって実感がする。

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実は今日、歯医者に行って、口に何やら器具を差し込まれ、あの研磨の音に20分耐えた。

高々虫歯の一本や二本、さしたることもないとは思うのだが、その瞬間生殺与奪の権は歯医者にある。

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人間の命など他愛のないもので、誤って喉を突き破れば、それで一巻の終わりである。

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それに人間も生きている限り、必ず一度は死ななければならない。

ただこればっかりは、死んだことが無いから仔細は分からないが、多分天国も地獄も無いだろう。

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ってことは、汗をかいて腹を空かせて仲間と共に、塩結びを食べている時が天国って訳だ。

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今年も来週18日は敬老の日と言うことになっているが、人間長く生きりゃ良いってものでもない。

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それにこの時代は到る所年寄りだらけだし、国も地域も少々辟易しているのでは無いか。

敬老の日だからお祝いしましょって言われても、どうにもしっくりこないのである。

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それよりも、なるほどこれぞ年寄りって人を表彰する方が賢明ではなかろうか。

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老人だからって一律に尊敬しろって方が無理があって、人間にゃ自ずと上品下品があろうってもんだ。

ただ単に歳を取るだけなら、サルにだってできるんだから。

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だからして、この五尺四寸、精一杯生きて見せようぜって思っている。

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2017年9月10日 (日)

湖西連峰縦断

T造さんの誘いで、浜名湖西岸の山々を新所原から細江まで一気通貫に走ることになった。

県境の新所原から山の尾根に出て、尾根伝いに多米峠、平山峠、宇利峠、金山、瓶割峠、

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冨幕山、尉ヶ峰を経て細江の国民宿舎までの32kである。

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32kとは言え山中の登り下りの連続で、平地に換算すれば60kは十分にあるコースである。

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早朝7:30駅に集まったのは8名の健脚揃いで、勢いよくスタートしたのだが、中々に距離が進まない。

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休むことなく走り、それで18k地点の宇利峠に着いたのは、何と13時少し前だった。

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水の補給の無い尾根道で、携帯した水が尽きかけていたが、ここにはOYさんが冷たい飲み物を準備して待っていてくださった。

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やっと息をついて、暫しの昼食休憩の後、慌ただしく残りの道程を辿ったのである。

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何しろこのままでは暗くなってしまう不安があって、とにかく先を急ぐのだがそれが・・・・。

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最後の難所は富幕山だが、この山が最も山体が大きく裾野も広がっていて、

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やっとのことで山頂をクリアーし、下り降りたところが風越峠だが、この時点で16:00だった。

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ここから更に登り返して尉ヶ峰へ、このピークからゴールまでは5kの距離である。

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実は途中で一人二人と脱落し、この時点で先頭を走るのは3人になっていた。

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実は尉ヶ峰からの私は、ゴールが近づいたこともあって快調で、心地よく飛ばすことが出來た。

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お蔭でまだ暗くならない17:43にゴールに辿り着くことが出來た。

32kを11時間余で走破したことになるが、この行程は中々に大変なコースだろう。

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誰もが簡単に走れるってもんじゃないが、私の場合来週の丹後100kを前にして、

かなり自信を付けたランになったのである。

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これまで二か月余の特訓が、かなり血となり肉となっている様である。

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2017年9月 9日 (土)

青首ダイコンの心

今日は、ダイコンを播いた。昔からのあの青首ダイコンである。

ダイコンを播きながら、十数年前に他界した親父のことを思っていた。

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最近93歳になるお袋が、十九歳で見合いした折の父との会話について話すのである。

親父は出征を前にして見合いしたのだが、当時既に一家の大黒柱として働いていた。

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母を早く亡くし、一家の賄い(炊事洗濯)を含め、弟二人の面倒をみながら百姓していた。

その親父が、見合いの席でしきりに「今月末にゃ、ダイコンを播く」とそんな話をしたと言う。

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今時の若い男女なら思いもしないことだが、一家を背負った親父の心情が分かるのである。

碌なものしか食べられなかった当時のこと、ダイコンは一家の貴重な食料だったろうし、

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そうやって懸命に働いて生きているってことを、女房になる人に言いたかったのだろう。

ともあれ二人は夫婦になって、父は間もなく中国中部に出征していった。

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戦局は既に敗勢の気配が漂い始めた頃で、それでも父は痩せ細って帰還したのである。

それで産れたのが私と言うことになるが、或は私の存在も紙一重だったのである。

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ゆく河の流れは絶えずして、諸行無常なのだが、父の思いはこの世に繋がったのである。

人間の生存などはそもそも泡沫で、ビッグバン以来百五十億年を思えば、ゴミみたいなもの。

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而して人の命も人生も、その永遠の宇宙からすれば、正に余興ほどにもならないだろう。

だけど一人一人の人生は後生大事で、そうした累代の人生の末に私が大根を播いている。

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多分、爺ちゃんもその親父も、そしてまたその親父も、この同じ土地に大根を蒔いたのだと思えば感慨深い。

たかが大根されど大根なのであって、人生もそれなりに奥深い。

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ところで私は来月には70の大台なるが、なんとまぁ〜何時の間にか立派な歳になって。

この歳になって、大根にさえ愛おしさを感じるのである。

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2017年9月 8日 (金)

ブドウと子供達

子供園や保育園の子供達が、我が家のブドウを見物に来るのが恒例になっている。

いや見物と言うよりも、ブドウを食べに来る訳だが、今日は子供園から70人がやってきた。

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今年のブドウは折からの天候不順で、裂果や着色不良など出来が悪く、収穫も遅れている。

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とは言え我が家のブドウ収穫は7月初めからで、もうほとんど収穫してしまっている。

だが子供達が来るとあっては残しておかねばならず、この日の為に収穫を遅らせていた。

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今日も暑い日になったが、なんと園から2kの道程を隊列を組んで歩いてやってきた。

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挨拶もそこそこに早速摘み残しブドウ探しから始まって、いよいよ5品種の食べ比べである。

ピオーネ、翠峰、シャインマスカット、巨峰、安芸クイーンと、ブドウの房は瞬く間に棒殻になった。

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ところで70人の子供達だが、みい〜んな同じように見えて、実はブドウの品種のように皆違う。

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好き嫌いのある子、面倒みの良い子、暑がりな子、欲張りな子、泣き虫な子・・・とその片鱗が見える。

子供園ではその雑多な子を一つの丼ぶりの中で育む訳だが、葡萄の房の様な訳にはいかない。

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既に三つ子の魂はそれぞれの家庭で育まれており、どうしても園では同一化を目指してしまう。

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個々人の自発性を助長していたのでは、クラスを維持することが出来ないからだ。

ともあれ子供園、小学・中学へと、周りに同調する方向に私達は育てられるのである。

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そうして、何時の間にか人と同じ行動をするようになって、やがて老成していくのである。

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しかし、ドイツの作家トーマス・マンが「人の若さとは、自発性のことだ」と言っている。

自分自身が自立して、独自の行動を取れるのかどうかが若さのバロメーターってことだ。

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とかく私達は、子供の頃からこの自発性を削がれることに慣れてしまっている嫌いがある。

老いてなおますます盛んってな具合に、「ここに我ありって」生きられたら素晴らしい。

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子供達の顔を眺めながら、そんなことを考えていた。

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2017年9月 7日 (木)

時代の置き土産

マラニックなどを通じて思うこと、それはその地域なりの歴史的な景観を残しているってこと。

いやさ景観は象徴的なことで、言葉や地域文化・文物を含め、各地を訪ねる楽しみでもある。

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それは近回りでも同じことであって、先日訪れた直虎マラでは思わぬ郷土史に驚いた。

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単に神社仏閣では無く、土に埋もれた、それは先人達の悲喜劇が埋まっているのである。

そうして生き伸びた末裔が我々なのであって、だからこそ私達は歴史の置き土産を珍重するのだろう。

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先日はたまたま名古屋を訪れ、ついでに地下まわりをジョグしたのだが、名古屋城界隈では

徳川尾張藩の栄華を偲びつつ、多くのランナーが城の周りを走っていた。

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近くにはかつての城下町に橦木館などが文化のみちに残されていて、橦木とは正にあのシュネクザメのジュモクで、

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木槌の形の小路に出来上がった街にあるから、橦木館と名付けられたのだとか。

城下町街の風情を残しつつ、町の文化を大切にしていこうとの試みである。

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そしてその一角には、明治初期に活躍した川上貞奴の邸宅が移築されていて、当時のスターの活躍を偲ぶことが出來た。

いずれも私の知らなかった地域の在り様であって、そこには地域の人々の歴史への深い思いが感じられた。

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翻って自分の住むこの地域に、如何ほどの歴史文化がの越されているかとなると、ほとんど知らない。

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終戦直後前の浜に不時着した緑十字機のことなども、最近小さな看板が立てられたばかりだ。

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況や私の村と隣村との水争いの犠牲者を祭った祠の存在など、誰にも知られていない。

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歴史の価値は(戦中の価値観がそうであったように)その時代で移り変わるものだが、

先人の辿った足跡は、この歳になってみると殊更大切に思う様になった。

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泡沫の様に消えていく人の命だけど、その時代にそれぞれ必死に生きていたのである。

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2017年9月 6日 (水)

若きチャレンジャー

先日のスカイツリーマラニックの折、懇親会で思いがけず石原さんにお目にかかった。

ホテル業経営者でウルトラランナー、と言うよりもあのナビブ砂漠を走った最高齢者である。

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NHKの放映ビデオで何度も拝見していたのだが、その本物が目の前で飲んでいたのである。

石原さんは世界の四大砂漠を走破し、現在極地(南極)マラソンを準備中だという。

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御年72歳なのだが、何故か私よりもずっと若く見える。

酒を酌み交わしながら、あれこれと砂漠レースのこと(携帯食やリュックなど)を伺った。

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彼が何の不自由もない身分なのに、何故過酷なレースに挑戦し続けるのか、それは聞くまでもないだろう。

人は生きている限り老いる訳で、これはどうあがいても詮無いし、絶対の事実でもある。

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とかく人は若さを失うことへの不安と焦燥を感じつつ、何となく生きてしまうものの様だ。

しかし彼は、あくまでも真っ直ぐに自分の人生と向き合って、その自分に挑戦を続けている。

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幸福とは若い肉体を持つということではなく、何を目指しどう生きるかなのである。

つまり歳を取るということは、精神も肉体も成熟して自由度も増すのだから、これは面白い。

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仮に歳を取って面白くないのは、それはチャレンジ精神を忘れているからだと思うのだ。

歳を取ればとったなりに、世の中の諸々に対する理解の深まりや、物事に対する感じ・感慨も味わいを増す。

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人生を観察する年齢の力だって、がむしゃらな若い人達には真似のできないものだろう。

そう・・・仮に馬齢を重ねて来たとしても、それはそれなりに歳を取るのは面白いことだ。

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石原さんにならって、俺も面白く生きてやれって、勇気をもらったなぁ〜。

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2017年9月 5日 (火)

以「身」伝心

普段TVを見ない私が時々覗くのがためしてガッテンで、先日の放送で思ったことである。

筋肉は神経がコントロールしているから、よぉ〜く伝わるようにユラユラ運動をしろってやつ。

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とかく人は筋肉を鍛えようと頑張るが、同時に神経を鍛えないと駄目ってことらしい。

TVを観て「あっ、これって以身伝心(心を伝え、身を以てす)じゃん」って思った。

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簡単に言うと、脳が走れって命令しても、それが上手く伝えられないと駄目ってこと。

そもそも人間の体は、首から上で精神的活動と食うことをやって、首から下で移動運動をする。Dscn2342

この首の上下を上手く繋げておかないと、当然人間の体は塩梅が悪くなる。

肥満状態なのにどんどん食べるとか、動作に時間差が出て転ぶなどのミスマッチが起こる。

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実は私は月間450k近く走っていて、足の筋肉は一見精悍そのものに見える。

しかるに、いざ走ろうとしてもそのパフォーマンスは、自分でも思う様な状態とは思えない。

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その成果が上がらないのは、加齢の故で対抗するには鍛錬しか無かろうと思い込んでいたのである。

そして鍛錬をすれど一向に思しき成果は上がらず、ホントのところ悶々としていたのである。

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その原因がどうも神経経路にあるんじゃないか、この以身伝心が巧く言っていないから筋肉が十分なパフォーマンスを発揮できないのかも知れない。

それで早速、くの字やフラフラ運動、そして蛙体操を始めたという次第である。

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果たして成果の程は如何と思いつつ、そうした運動もさることながら、何というか・・

そう、フォース(理力)・・・体を反応させる強い制御力を鍛えられないかと考えている。

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齢70になんなんとして、これで50代の力が出せれば天下を獲った気分になれるなぁ〜。

十二分に試してみる価値はあるだろう。

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2017年9月 4日 (月)

都市景観と私達

徳川時代初期の江戸は、関東の小さな漁村に過ぎなかった。

その広大な関東平野と利根川と江戸湾、これをキャンバスにして壮大な土木工事で都市を創りあげたのが江戸幕府だ。

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言うまでもなく江戸城を築いて堀を巡らし、入り江を埋めて日本橋から日比谷に至る町人町を作ったのが始まりだ。

やがて中小河川を使ってスケールの大きな外堀を巡らせ、次々と埋立地を造成していった。

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やがて100万都市が出来ると、地蔵尊三十三カ所巡りとか七社巡りなどと散策がテーマ化される。

昨日訪れた疑似富士山もその一つで、江戸の各所に人工の富士山(火山岩を運んで)が造られたという。

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江戸も成熟期を迎えると、寛永寺や墨田堤の桜などと、余暇社会の受け皿が生まれてくる。

そして平成の今日、世界に冠たる名所や都市景観が出来ているのだが、その大部分は埋め立て地だ。

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浅瀬を埋め立てればそこに都市が出来るのが、島国の良いところだが、江戸はその典型だな。

巨大都市東京に比べると、凄いなぁ〜と思うのが横浜のみなとみらいだ。

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何も無かった所に忽然と、近未来都市といえる巨大な空間を作りあげてしまったからだ。

その機能や技術ももさることながら、あの都市景観は圧巻としか言いようがない。

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東京にはあちこちに生活臭が漂うが、この点横浜のビル街には機能美だけが聳えている。

その横浜だって明治の開港まではまったくの寒漁村で、この150年で様変わりしたんだ。

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翻って私の住む田舎の風景は、耕地整理や人口・車の増加で幾分変わりはしたが、基本的には変わっちゃいない。

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景観は人々の生活が生み出すと言われるが、そういう意味では土地に依拠して暮らす形はあまり変わらなかったんだろう。

だけどあれだね、どんな景観の中で生きるかによって、人間ってかなり変わるんだろうな。

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2017年9月 3日 (日)

江戸ぶらり

恒例の、品川港南口から御台場を回ってスカイツリーに至たるマラニック(30k)である。

8:30品川に着くと、既に40名近い皆さんが集まっていた。

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久しぶりの顔もあって、暫くエールの交換の後、スカイツリーに向けてスタートとなる。

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だが私は、Sさん呼び掛けの裏コースを辿ることになって、先ずは品川神社へ。

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この社にはミニ富士山があって、たったの三分でお鉢周りまで出来てしまうのである。

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かつては北西の方向に富士山が臨めたらしいが、今はビルばかりが連なっている。

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神社参拝の後は、目黒川をひたすら遡る緑陰のコースで、ランナーの姿も多い。

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目黒のサンマと言われたように臨海部だった目黒もずっと内陸になっていて、その目黒川は浄化途上の半ばどぶ川だった。

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それで私達裏コース組の目指す先は、目黒川の上流、下北沢である。

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実は下北沢では、昨日からお祭りが行われていて、沢山のお神輿が練り歩いているという。

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その宴に立ち寄って祭り気分を味わい、電車で浅草に向かう算段である。

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走行距離は予定の1/3になってしまったが、まぁ江戸の祭りも珍しく、東京見物で良しとした。

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御神輿は連毎に掛け声も異なっていて、その神輿を40人程が担って進んでいく。

私達も神社に参拝し、ビールやらかき氷を戴いて善男善女の仲間入りである。

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少し良い気分になった所で浅草に移動し、あのウンコビルで又してもビールとなった。

ともあれスカイツリー下の「おなり橋」に15:00に到着し、墨田区総合体育館で入浴。

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近くのイタメシ屋さんで、懇親会となったのである。

今日もそんな楽しい一日を過ごしたのだが、目黒川の途中からカメラが言うことを聞かなくなった。

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従って今日の写真は途中までで、スマホで撮った写真は改めてアップすることにしよう。

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2017年9月 2日 (土)

晩夏

暑い暑い夏が続いてきたが、台風15号が彼方に去って一転、少し涼しい風が吹き始めた。

それに朝晩の日差しの気配にも、秋の気配が確実にやってきている。

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それはブドウの収穫が終わりに近づき、オクラやキュウリの成長が遅くなることでも明らかで、畑は如実に季節の移ろいを教えてくれる。

彼らは「おぉ〜い、夏はもう終わりだぜ、冬支度せいよ。」と急いている様でもある。

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なるほど季節は、春夏秋冬を繰り返すものだが、気持ちとすれば春から秋が一年だろう。

春には樹木が一斉に芽吹き花が咲き、あらゆる生命が活気づき、夏から秋へと様々な稔をもたらす。

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秋は紅葉がそうであるように、植物は枯れ衰えて、私達の心も侘しさの中に沈んでいく。

やがて冬に至りせば、心の冬ごもりと言うか、春に向けての長い休息に入るのだ。

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私の人生も50年近い夏を過ごし、いよいよ今年後半から冬に向けてのステージに入った。

言うならばこの時期は、晩夏から秋と言ったところだろうか。

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季節も我が身もうつろうもの、70の古希を得んとし、日暮れなんとするも道遠し、何をか為さん。

本格的秋はまだ少し先だが、それでも時折そんな気分になるのである。

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もっとも今更、何をか為さんと言ってみたところで、所詮出来ることなど知れているのである。

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それでも心根は若い頃と同じで、この夏のエネルギー(元気)を恋焦がれているのである。

そして、やがて冬が来る、だから急がなくっちゃ、早くあれもやらなくっちゃと気がせくのだ。

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それにしても日暮れが早くなって、やがて来る冬の夜長はかなわんなぁ〜と思う。

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2017年9月 1日 (金)

生きてみなけりゃ

今夜も、そう・・・性懲りもなく、自分の人生について思いをはせている。

私達は日々、漠然とした将来への期待、或は目指すものを目標に生きているのだと思う。

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それが頓挫すれば悲しくなるし、望外の進展なら歓喜するって具合に生きている。

それも毎日毎日、買うか買わないかとか、やるかやらないかなどと、幾つかの選択(賭け)をしながら漠然とした未来に向かっている。

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もちろん毎日は平穏だけど、その平穏な中に病気や事故などの非日常的な事態が起こったりする。

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その時どうするのかを含めて、人生には賭けの要素が多分に含まれている。

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先月見物に出掛けた総合演習だって、あれは演習だからマニュアル通りに事は進んだ。

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だけど仮に現実の戦闘なら、砲弾の炸裂する中で前線の進退を決めなきゃならない。

およそ一瞬の判断を誤れば、近代戦では全軍は壊滅するはずである。

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それで又あの203高地の馬鹿げた殺戮(ロシアの要塞に肉弾突撃を敢行した)を思いだしちゃった。

結果として要塞の下に数万の日本兵の死体が積み重なった訳だが、旧日本軍にはその反省すらなかったのだ。

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戦場でのシチュエーションはともかく、人生は大なり小なりその「決断」に差配される。

もっともきょうびの人達は、人生は予定通り行くものであって、上手くいかないのは誰かのせいだって考える。

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それで彼奴が邪魔したから、政府が悪いなどと、つまり文句ばっかり言っている訳だ。

だけどここまで生きてくると、文句を言ってたって何の足しにもなりゃしないってことが良く分かる。

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これが「矩を越えず」ってことかも知れないが、その代わりに「将来への期待」ってヤツが希薄になってきた。

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よわい70歳、人間まだまだだとは思うが、如何ほどの期待を持って良いものやら。

来年はナビブ砂漠250kレースを完走して、それから後はどこを目指そうか?

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