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2017年9月 8日 (金)

ブドウと子供達

子供園や保育園の子供達が、我が家のブドウを見物に来るのが恒例になっている。

いや見物と言うよりも、ブドウを食べに来る訳だが、今日は子供園から70人がやってきた。

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今年のブドウは折からの天候不順で、裂果や着色不良など出来が悪く、収穫も遅れている。

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とは言え我が家のブドウ収穫は7月初めからで、もうほとんど収穫してしまっている。

だが子供達が来るとあっては残しておかねばならず、この日の為に収穫を遅らせていた。

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今日も暑い日になったが、なんと園から2kの道程を隊列を組んで歩いてやってきた。

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挨拶もそこそこに早速摘み残しブドウ探しから始まって、いよいよ5品種の食べ比べである。

ピオーネ、翠峰、シャインマスカット、巨峰、安芸クイーンと、ブドウの房は瞬く間に棒殻になった。

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ところで70人の子供達だが、みい〜んな同じように見えて、実はブドウの品種のように皆違う。

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好き嫌いのある子、面倒みの良い子、暑がりな子、欲張りな子、泣き虫な子・・・とその片鱗が見える。

子供園ではその雑多な子を一つの丼ぶりの中で育む訳だが、葡萄の房の様な訳にはいかない。

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既に三つ子の魂はそれぞれの家庭で育まれており、どうしても園では同一化を目指してしまう。

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個々人の自発性を助長していたのでは、クラスを維持することが出来ないからだ。

ともあれ子供園、小学・中学へと、周りに同調する方向に私達は育てられるのである。

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そうして、何時の間にか人と同じ行動をするようになって、やがて老成していくのである。

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しかし、ドイツの作家トーマス・マンが「人の若さとは、自発性のことだ」と言っている。

自分自身が自立して、独自の行動を取れるのかどうかが若さのバロメーターってことだ。

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とかく私達は、子供の頃からこの自発性を削がれることに慣れてしまっている嫌いがある。

老いてなおますます盛んってな具合に、「ここに我ありって」生きられたら素晴らしい。

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子供達の顔を眺めながら、そんなことを考えていた。

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